ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

長湯ダム

2022-12-29 17:29:35 | 大分県
2022年11月18日 長湯ダム
 
長湯ダムは大分県竹田市直入町長湯の一級河川大分川水系社家川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1946年(昭和21年)に水利に乏しい旧野津原町一帯の灌漑施設整備を目的として農林省(現農水省)の補助を受けた県営芹川用水改良事業が着手され、その灌漑用水源として1953年(昭和28年)に竣工したのが長湯ダムです。
当初は世利川(せりかわ)ダムとして着手されますが、下流に県営芹川ダムが着工され混同を避けるために長湯ダムに変更されました。
運用開始後は世利川井路土地改良区が管理を受託し、旧野津原地域の水田約480ヘクタールに灌漑用水を供給しています。
ダムはバスやワカサギなどの釣りスポットとして人気を集める一方、2016年(平成28年)には日本初のケーブルウエイクボードが楽しめる『Stone Wake Park』が開設され愛好家の人気スポットになっています。
(同施設は2022年7月豪雨で被災し閉業) 
 
右岸ダムサイトに駐車スペースがあります
温泉街に近いこともありダム湖を周回する遊歩道が整備され、洪水吐には吊橋が架かっています。


右岸上流から横越流式洪水吐越しに
2022年(令和4年)7月の豪雨、さらに9月の台風14号で大量の土砂や流木が流入し水は濁ったまま
人気のケーブルウエイクボード施設も甚大な被害を受け閉業となりました。


吊橋から見た洪水吐導流部。


吊橋から見た横越流式洪水吐とダム湖
いまだに大量の流木が残っています。


総貯水容量55万5000立米の長湯湖
天気が良ければダム湖越しに九重連山が一望できるのですが、あいにく雲の中。


これが下流面
もう長い間、草刈りは行われていないようで背の高い笹や草が繁茂。


たぶんこれが放流バルブ。


天端には湖畔をめぐる遊歩道が整備されていますが、上下流面ともに笹や草が伸び放題。


堤体上流側にある取水設備
ここで取水された水は世利川井路第1幹線で旧野津原町南部の水田に送られます。
また、第1幹線から分水された水が芹川第三発電所で使用されたのち芹川ダムを経て芹川逆調整池ダムから世利川井路第2幹線経由で旧野津原町北部の水田に送られます。


斜樋建屋にある芹川用水改良事業の銘板。


左岸から上流面。

長湯温泉に近く、釣りやウエイクボードの人気スポットになっていましたが、上記のように2022年7月豪雨で被災し閉鎖となりました。
堤体の草刈りなども十分ではなく、観光資源としても活用できる素材であるだけに荒れたダムを見るのは忍びないです。

(追記)
長湯ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2750 長湯ダム(1931)
大分県竹田市直入町長湯
大分川水系社家川
 
 
15メートル 
112.4メートル 
555千㎥/555千㎥
世利川井路土地改良区
1953年
◎治水協定が締結されたダム

俵谷溜池

2022-12-28 17:48:56 | 大分県
2022年11月18日 俵谷溜池
 
俵谷溜池は大分県竹田市久住町白丹の大野川水系神馬川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧ではダム事業者直営事業により1926年(大正15年)に竣工と記されており、これ以上の詳細は不明。
管理は受益者で組織される谷川水路組合が行っています。
なお、ダム便覧とため池データベースでは諸元が大きく異なり
堤高は便覧20メートルに対しデータベース5.6メートル。
堤頂長は45メートルに対し90メートル
貯水容量は4万立米に対し1万1000立米となっています。

俵谷溜池への目印になるのは「オーベルジュコヤマ」です。
大規模農道奥豊後グリーンロードを北上しオーベルジュコヤマの入り口すぐ先の立体交差を西に折れると池に到着します。
道路はそのまま天端を横断しますが下流側が植林されているため、どこからどこまでが堤体なのか?判然としません。
便覧とデータベースの堤頂長の違いはどこを堤体とするのか?の解釈の違いによるものと思われます。

さらに引いた位置から
手前の建屋は斜樋機械室。


斜樋機械室
トタン張りの簡素なものです。


斜樋はシャフトが2本
建屋ともども近年改修があったようです。


左岸の越流式洪水吐。


左岸から見た斜樋。


貯水池
貯水容量はため池データベースの1万1000立米が妥当か?


左岸から見た天端
左手が下流面になりますが、植林されているため下流側が全く見えません。


左岸から上流面。
右手の杉林の向こう側にオーベルジュコヤマがあります。


洪水吐導流部
草に覆われよくわからない写真に。


便覧とため池データベースの数字の一番の相違は堤高。
堤体直下を奥豊後グリーンロードが横切っていますが、データベースの堤高5.6メートルはこの道路からの高さかと思われます。
しかし実際には池は神馬川右支流の谷底から築堤されており、谷底からの高さはダム便覧の20メートルが妥当かと思います。
グリーンロードから谷底に下りる踏み跡があり、たぶんここを下れば底樋管なども確認できたんだと思いますが、草が深く断念。
今振り返れば頑張って下りればよかったと後悔。

2741 俵谷溜池(1930)
ため池コード
大分県竹田市久住町白丹
大野川水系神馬川右支流
20メートル(ため池データベース 5.6メートル)
45メートル(ため池データベース 90メートル)
40千㎥(ため池データベース 11千㎥)/40千㎥
谷川水路組合
1926年

溜池2号ダム(第2号溜池)

2022-12-26 20:00:26 | 大分県
2022年11月17日 溜池2号ダム(第2号溜池)
 
溜池2号ダムは左岸が大分県竹田市荻町高練木、右岸が同市荻町柏原の大野川水系橘木川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1930年(昭和5年)にダム事業者直営により竣工と記されており、土地改良区の前身である荻柏原耕地整理組合の事業で建設されたようです。
1924年(大正13年)に大野川上流大谷川を水源とする荻柏原井路が完成し、さらに1926年(大正15年)に当ダム上流約1キロに溜池1号ダムが建設されました。
当ダムは溜池1号ダムともども井路を補完する目的で建設されたと思われます。
現在は井路の水源となる大谷ダムおよび溜池1号ダムと同じく荻柏原土地改良区が管理し、井路からの補給を受けつつ下流域に灌漑用水を供給しています。
なお土地改良区の資料やため池データベースでは『第2号溜池』と記載されていますが、ここではダム便覧に倣って溜池2号ダムと記すことにします。

1号ダム と同じく下流面は草ぼうぼう。


天端を道路が走っており、堤頂長はダム便覧が52.7メートル、ため池データベースが60メートル。


貯水容量はダム便覧が44万立米、ため池データベースは10万8000立米
これはどう見ても便覧の数字がおかしい。


左岸の斜樋
コンクリートやブロックが新しく近年刷新されたようです。

左岸から
止まっているのは私と友人の車。


上流面は草が刈られています。


左岸から見た貯水池。
どう見ても40万立米なんてありません。


切れ込みが入っただけの洪水吐。


斜樋の建屋。
石積みの土台は竣工当時のものか?

左岸の洪水吐導流部に並行する形で斜樋からの水路が設置されており、ちょっと変わった造りだったのですが、枝木が茂り写真に撮ることはできませんでした。

2742 溜池2号ダム(1929)
ため池コード
左岸 大分県竹田市荻町高練木
右岸     同市荻町柏原
大野川水系橘木川
16.5メートル
52.7メートル(ため池データベース 60メートル)
440千㎥(ため池データベース 108千㎥)/440千㎥
荻柏原土地改良区
1930年

溜池1号ダム(第1号溜池)

2022-12-26 17:38:54 | 大分県
2022年11月17日 溜池1号ダム(第1号溜池)
 
溜池1号ダムは左岸が大分県竹田市叶野、右岸が同市仏面の大野川水系橘木川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1926年(大正15年)にダム事業者直営により竣工と記されており、土地改良区の前身である荻柏原耕地整理組合の事業で建設されたようです。
1924年(大正13年)に大野川上流大谷川を水源とする荻柏原井路が完成しており、井路を補完する目的で建設されたと思われます。
1930年(昭和5年)には下流に溜池2号ダムも完成、現在は両ダムともに大谷ダムと同じく荻柏原土地改良区が管理し、井路からの補給を受けつつ下流域に灌漑用水を供給しています。
なお土地改良区の資料やため池データベースでは『第1号溜池』と記載されていますが、ここではダム便覧に倣って溜池1号ダムと記すことにします。

左岸から下流面
冬か春に草を刈るんでしょうか?


天端を車道が通りますが、道路両側も草が伸び放題。
堤頂長はダム便覧が69メートル、ため池データベースは104メートル
見た目は100メートルありそう。


上流面。


左岸の斜樋機械室
周りは草ぼうぼう、ドアも半開きです。


ダム下の様子
田んぼの右手を橘木川が流れてており、放流した水はこの川を流下します。
1号ダムの受益地はこの谷沿いの水田のようです。


貯水池
ダム便覧では貯水量は52万7000立米になっていますが、どう見てもそんなスケールはありません。
こちらもため池データベースの14万3000立米が正しいようです。


天端から斜樋を見ますが…
草が伸びシャフトは見えません。


右岸から上流面。


右岸の横越流式洪水吐
洪水吐の中も草が伸びており、あまり越流することはないのかも?


洪水吐導流部
木に隠れて上手く撮れません。


写真左上に底樋管があります。
右手は洪水吐導流部で、越流した水は底樋管からの用水路と合流します。


池の下流の水田も耕作されており、いまだ貴重な溜池なのは間違いなさそうですが・・・
繁茂した草木や荒れた斜樋を見るともうちょっと手入れしてよ!
と言いたくなります。

2740 溜池1号ダム(1928)
ため池コード
左岸 大分県竹田市荻町叶野
右岸     同市荻町仏面
大野川水系橘木川
20メートル
69メートル(ため池データベース 104メートル)
527千㎥(ため池データベース 143千㎥)/527千㎥
荻柏原土地改良区
1926年

白水ダム(白水溜池堰堤)(参考掲載)

2022-12-23 17:46:56 | 大分県
2022年11月18日 白水ダム(白水溜池堰堤)
 
白水ダム(白水溜池堰堤)は左岸が大分県竹田市鴫田、右岸が同市次倉の一級河川大野川にある灌漑目的の表面石張粗石コンクリート造重力式ダムです。
大分県竹田市から豊後大野市一帯は阿蘇火砕流による火山噴出物が厚く堆積し透水性が高い一方浸食により谷は深く、揚水技術のない時代丘陵上に広がる平坦地の開墾は困難を極めました。
明治後半より近代土木技術の活用により開墾地よりも標高の高い上流に水源を求め、豊後地方で井路(いろ)と呼ばれる灌漑用水路を引くことでようやく大規模な新田開発が可能となりました。
豊後大野市緒方町から竹田市の大野川南岸地域でも大野川を水源として1914年(大正3年)に富士緒井路が通水し本格的な新田開発が進められますが、その後上流に荻柏原井路の取水堰が建設されたことで取水量が大きく低減しました。
これを打開するために富士緒井路耕地整理組合は大野川への溜池堰堤の建設を決断、1934年(昭和9年)に着工し1938年(昭和13年)に竣工したのが白水ダムです。
現在は耕地整理組合を引き継いだ富士井路土地改良区が管理し、約280ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
白水ダムは全面越流式の石積堰堤ですが、堰堤下部が軟弱地盤であり越流時の洗堀を防ぐために左岸は円形の階段状、右岸は武者返しと呼ばれる局面流路となっています。
転波越流の美しさは特筆で、麦焼酎のCMで取り上げられて以降全国的な知名度が増し、愛知の長篠堰堤、秋田の藤倉ダムとともに日本三大美堰堤とされています。
また技術的、文化的価値を評価してAランクの近代土木遺産に選定されているとともに1999年(平成11年)には国の重要文化財に指定されました。
堤高14.1メートルと河川法上のダムの要件を満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載されています。
 
白水ダムを下流から見る場合は左岸の鴫田地区へ、上から見下ろす場合には右岸の次倉地区へのアプローチとなります。
今回は左岸の下流側からのみの見学となりました。
2026年(平成8年)までの予定で10月~6月までの非灌漑期は土砂排出作業が行われていますが、今年は作業が中止のため美しい越流を愛でることができました。


堰堤下部が軟弱地盤のため越流時の洗堀を防ぐために左岸は円形の階段状、右岸は武者返しと呼ばれる局面流路になっています。 




堰堤は貯水池の左岸寄りに作られているため、水の流れはダムの右岸側により強く当たります。(10枚目写真参照) 
加えて堰堤下部が軟弱地盤となっており、減勢のために武者返しと呼ばれる独特の局面流路となっています。 
さらに武者返しを流下した水を導流するための溝が掘られるとともに縦にも副ダムが設けられています。


武者返しの擁壁も石積み。
それでなくても美しい転波が、曲線に沿って流下する様は『究極の美』と言っても過言ではありません。


ダムの説明板。


駐車場のトイレ
実はこれグッドデザイン賞受賞。


トイレの壁に白水ダムの説明書きが貼られていますが、これが非常にわかりやすい。
大野川は周辺各土地改良区(戦前は水利組合)の取水口が集中しており、それによる水争いや取水量の減少を補うために白水ダムや大谷ダムが建設されました。




これを見ると右岸側に武者返しが作られた理由がよくわかります。


本来なら排砂工事のために越流は見れないはずですが、今年は諸事情で中止。
一方で時間の 係で右岸側の見学は割愛してしまいました。
美しい越流が売りの堰堤ではありますが、表面石張りをじっくり見るために非越流時にも訪問したいものです。
 
S502 白水ダム(参考掲載)(1926)
左岸 大分県竹田市鴫田
右岸     同市次倉
大野川水系大野川
14.1メートル
87.26メートル
富士緒井路土地改良区
1938年

玉来ダム

2022-12-22 18:18:23 | 大分県
2022年11月17日 玉来ダム
 
玉来ダムは左岸が大分県竹田市志土知、右岸が同市川床の一級河川大野川水系玉来川にある大分県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
竹田盆地は三方をくじゅう山系、阿蘇外輪山、祖母傾山系に囲まれ竹田市街を軸に大野川から稲場川と玉来川が分岐しています。
このため豪雨のたびに洪水を繰り返し、とりわけ1982年(昭和57年)7月および1990年(平成2年)7月の二度の豪雨災害では長期にわたる都市機能の喪失を伴う甚大な被害が発生しました。
これを受け1991年(平成3年)に大分県は『竹田水害緊急治水ダム建設事業』を採択、稲葉川および玉来川への治水ダムの建設に着手しました。
そして2010年(平成22年)の稲葉ダムに次いで、2022年(令和4年)に竣工したのが玉来ダムです。
玉来ダムは国交省の補助を受けた補助治水ダムで、洪水時にはダムで毎秒300立米をカットすることで、下流の基準地点で毎秒280立米の洪水調節を行い竹田市街を洪水から守ります。
ダム自体はすでに竣工し訪問時は試験湛水も終えていましたが、一般開放は2023年(令和5年)のダムの運用開始後となるためまだダムの姿を見ることはできません。
 
ダムの空撮写真(玉来ダム建設事務所HPより)。
玉来ダムは平時は流入量は常用洪水吐よりそのまま流下させる流水型治水ダムです。


今回は竹田市役所隣の建設事務所でダムカードとパンフレットをもらうだけ。



詳細な開放時期はまだ未定とのこと。
次の九州遠征は玉来ダムの運用が始まってからになりそう。

3141 玉来ダム
左岸 大分県竹田市志土知
右岸     同市川床
大野川水系玉来川
 
 
52メートル 
145メートル 
4090千㎥/4000千㎥ 
大分県土木建築部 
2022年 

千倉ダム

2022-06-14 18:00:00 | 大分県
2022年5月25日 千倉ダム

千倉ダムは大分県日田市三和の筑後川水系千倉川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には大分県の事業で1965年(昭和40年)に竣工と記されていますが、現地に由来碑などはなく、ネットでも情報がないため詳細は不明です。
現地を見た限りは農業水利事業やかんがい排水事業ではなく既設の溜池をため池整備事業等で改修した公算が強そう。
また、実情は溜池ですが日田市のため池データベースに記載がないので『農業ダム』と分類します。
管理は山田原土地改良区が行っています。

グーグルの空撮写真を見てわかるように、千倉ダムは地山を挟んで東西二つの堰堤で形成されています。
ここでは便宜的に右手(東側)の堰堤を東堤、左手(西側)の堰堤を西堤と呼ぶことにします。
ダム便覧の位置情報では東堤を主堤としています。


まずはダム下へ
こちらは副堤となる西堤
見た目では堤高15メートル以上あります。


底樋管も西堤にあります。


こちらが天端への入り口
東屋がありかつては公園として整備されたようですが、今は荒れています。
「釣り禁止」と明文されています。


左岸から
手前が主堤である東堤、奥が西堤
水位が異常に低く湖底が露出しています。


左岸わきの越流式洪水吐。


東堤下流面。


小さな地山を挟んで西堤へ
狭いですが車で入ってこれます。
止まっているのは釣り師の車。


西堤上流面
両堰堤ともに上流面は花崗岩できっちり護岸されています。
しかしどこにでもいる、禁止場所で釣りをするバカ。


総貯水容量56万7000立米ですが、水が溜まっているのはこれだけ。
これから灌漑期なんですが大丈夫なのかな?
もしかしたら大規模改修でも始まるのかもしれません。


西堤の奥に取水設備がありました。


湖面に伸びる7本のシャフト
かなりさび付いてますけど大丈夫?


東西二つの堤で形成されたユニークな溜池、できれば満々と水を湛えた姿を見てみたいものです。
帰宅後改めて調べると、訪問直後から大規模な改修工事が着手されるとのこと。
水位が低かったのは工事に備えて水が抜かれていたようです。

2755 千倉ダム(1854)
大分県日田市三和
筑後川水系千倉川
22メートル
94.5メートル
567千㎥/561千㎥
山田原土地改良区
1965年

耶馬溪ダム

2022-06-14 14:00:00 | 大分県
2022年5月25日 耶馬溪ダム
 
耶馬渓ダムは左岸が大分県中津市耶馬渓町大島、右岸が同町柿坂の一級河川山国川水系山移川にある多目的重力式コンクリートダムです。
山国川は九州北東部有数の大河で古くから流域の水源として利用される一方、洪水や干ばつも多く抜本的な治水・利水対策が求められていました。
1970年(昭和45年)に建設省(現国交省)の直轄事業による山移川への多目的ダム建設が採択され1984年(昭和59年)に竣工したのが耶馬溪ダムです 
耶馬溪ダムは国交省九州地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、山国川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、中津市・北九州市・京築水道企業団への上水道用水の供給、田辺三菱製薬への工業用水の供給、大分県企業局耶馬溪発電所(最大1700キロワット)でのダム式発電を目的としています。
大分県内にあるダムですが、福岡県への利水も賄っている点は水不足が慢性化している福岡県の悩みの深さの表れでもあります。
耶馬溪ダム完成直後から山国川河口部に取水堰建設が着手され1990年(平成2年)に竣工、元号から平成大堰と命名されました。

一方ダム建設に合わせてダム周辺の公園整備も進めら、ダム下には記念公園が、湖畔には水上スキーやウェイクボードが楽しめる耶馬溪アクアパークが開設されました。
ダム湖での水上スキースポットは全国初とのこと。

ダム下流から
クレストラジアルゲート3門、オリフィス高圧ラジアルゲート1門、コンジット高圧ラジアルゲート2門のほか利水放流管2条を備えています。
右手の建物はB&G海洋センター。


非常用洪水吐であるクレストゲートと、常用洪水吐であるオリフィス・コンジットゲートの減勢工が導流壁で仕切られているのが特徴です。


天端は車両の通行が可能
右岸堤体直上に繋留設備がありますが、作業船含め4隻の船が繋がれているのは珍しい。


天端から
非常用と常用洪水吐が導流壁で仕切られています。
左下手前が放流設備、奥が大分県企業局耶馬溪発電所。


総貯水容量2330万立米の耶馬溪湖
湖畔各所に公園やレジャー施設が整備されています。


左岸から下流面
対岸に管理事務所がありますが、早朝の訪問のためまだ開いておらずカードゲットならず。


右岸斜面の『やばけい』の植栽
ツツジのようですが、この時期緑に埋もれて判読しづらい。


左岸高台プラント跡は『もみじの丘』として公園化され展望台を兼ねた紅葉スポットになっています。


もみじの丘から俯瞰
右手は名物の噴水設備ですが、これまた早朝のため稼働していません。


低い位置から。


上流から遠望
噴水や曝気装置など様々な水質保全装置が並びます。


ゲートをズームアップ
クレストゲートは佐世保重工、オリフィス予備ゲートは三菱重工、コンジット予備ゲートは田原製作所とメーカーが異なります。
これほど大きなダムのクレストゲートを、当時中堅だった佐世保重工が担うのは珍しいようです。


(追記)
耶馬溪ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2787 耶馬溪ダム(1853)
左岸 大分県中津市耶馬渓町大島 
右岸         同町柿坂 
山国川水系山移川 
FNWIP 
 
62メートル 
313メートル 
23300千㎥/21000千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1984年 
◎治水協定が締結されたダム 

高瀬川ダム

2022-06-13 20:00:00 | 大分県
2022年5月24日 高瀬川ダム
 
高瀬川ダムは大分県日田市高瀬の一級河川筑後川水系高瀬川にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
筑後川上流部への松原ダム下筌ダム建設に発電事業者として参加した九州電力は、松原・下筌両発電所を建設します。
同時に両発電所の放流水を有効利用するため、1973年(昭和48年)に柳又発電所(最大出力6万3800キロワット)および松原発電所放流口直下を取水口とした約13キロの導水路が完成しました。
この導水路と筑後川左支流高瀬川の交差地点に建設されたのが高瀬川ダムです。
ここでは高瀬川から新たに最大68立米/秒の水が取水されるほか柳又発電所の出力調整に伴う取水量の増減を平準化する調整池となっています。

下流から遠望
川が狭くゲート部分だけが見えます。
手前は古い灌漑用取水堰の遺構。


クレストラジアルゲート2門と、向って右手(左岸)に排砂ゲート1門
ダム下は灌漑用の水路橋、向って左手(右岸)から河川維持放流が行われています。


フェンスがあるので、下流はこれが精いっぱい。


ゲートをズームアップ。


ダムサイトの草に覆われた竣工碑。


天端は開放されていますが幅が狭いので通れるのは自転車とバイクくらい。


天端から
水路橋やバルブ類は既得水利権となる灌漑用水用です。
ダム左岸の取水口から必要水量を分水し、左右両岸の灌漑用水路に流します。
水路橋やコンクリートが新しいので近年刷新されたんでしょう。


ダム湖は総貯水容量27万3000立米
高瀬川では発電は行わず、導水路で柳又発電所に送られます。


これは右岸側の農業用バルブ。


右岸から
堤体直上に取水口スクリーンがあります。
管理事務所横の民家も九州電力の所有でかつては職員が常駐、生活していたのかも?


(追記)
高瀬川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2777 高瀬川ダム(1851)
大分県日田市高瀬
筑後川水系高瀬川
25.6メートル
97メートル
273千㎥/240千㎥
九州電力(株)
1973年
◎治水協定が締結されたダム

女子畑第二調整池

2022-06-13 16:00:00 | 大分県
2022年5月24日 女子畑第二調整池
 
女子畑(おなごはた)第二調整池は大分県日田市天瀬町女子畑にある九州電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1911年(明治44年)に設立された九州水力電気(株)によって同社初の発電所として1913年(大正2年)に女子畑発電所が完成します。
同発電所は出力1万2000キロワットで稼働を始め、八幡製鉄所をはじめ北九州や福岡向けの送電が開始されましたが、電力需要の拡大を受け2度の出力強化により発電能力は2万9500キロワットまで増強されました。
女子畑第二調整池は発電所の出力増強に合わせ、出力調整に対するバッファとして1931年(昭和6年)に建設されました。
女子畑発電所関連施設は日本発送電及び九州配電の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編政令で新たに誕生した九州電力(株)が事業を継承しています。
また女子畑第二調整池は戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選ばれています。

残念ながら女子畑第二調整池がある一帯は九州電力の社有地として普段は一般開放されておらず、その姿は上流側からわずかに垣間見るのみです。
グーグルの空撮写真


調整池のある女子畑いこいの森の入口
徒歩での立ち入りは可能ですが、仮に先に進んでもダムの手前に厳重なフェンスがありダムの姿を目にすることはできません。




樹間からわずかに堤体を垣間見るのみ。



2020年(令和2年)に九州在住のダム友さんが、九州電力に申し込み見学会を実現させました。
前回はスケジュールが合いませんでしたが、次回その手のイベントが行われる際はぜひとも参加してみたいと思います。

2774 女子畑第二調整池
大分県日田市天瀬町女子畑
筑後川水系筑後川
34.3メートル
133メートル
392千㎥/113千㎥
九州電力(株)
1931年

大山ダム

2022-06-13 12:00:00 | 大分県
2022年5月24日 大山ダム
 
大山ダムは大分県日田市大山町西大山の一級河川筑後川水系赤石川にある資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1964年(昭和39年)の『筑後川水系水資源開発基本計画』(フルプラン)採択により、筑後川水系では水資源開発公団(現水資源機構)により河川総合開発が進められることになりました。
同公団は1972年(昭和47年)に筑後川水系小石原川に江川ダム、1978年(昭和53年)に佐田川に寺内ダムを建設しますが、同年発生したいわゆる『福岡大渇水』により福岡市では時間指定断水が287日間に及ぶ異常事態となり、新たな水源確保が緊急課題に浮上しました。
これを受け公団は1983年(昭和589年)に筑後川上流部の右支流赤石川への多目的ダム建設に着手、2007年(平成19年)に本体工事が着工され2012年(平成24年)に竣工したのが大山ダムです。
大山ダムは水資源機構法による多目的ダムで、筑後川流域の各ダムと連携した赤石川および筑後川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、福岡地区水道企業団および福岡県南広域水道企業団への上水道用水の供給を目的としています。

大山ダム独自の特色として放流水の水質保全及び、流入水と放流水の温度差解消のためダム湖上流に取水堰を設けダム湖をバイパスしてダム下流に直接放流する流入水バイパスが設けられています。
流入水バイパスは同じ水資源機構が2021年(令和3年)に建設した三重県の川上ダムでも採用されています。
また、利水放流を活用した大山ダム発電所で最大520キロワットの小水力発電が行われています。

一方大山町が人気アニメ『進撃の巨人』原作者の諌山創氏の出身地であることから、2020年(令和2年)にダム下公園にエレン、ミカサ、アルミンの等身大銅像が設置され、人気観光スポットなっています。

ダム下へ通じる道路を跨ぐ九州電力の水圧鉄管。
松原ダム下流の筑後川から柳又発電所への水圧鉄管で、大山ダムとは水利関係はありません。


ダム下から
堤高94メートル、堤頂長370メートルでクレスト自由越流頂4門、自然調節式オリフィス1門のゲートレス。
造形としてはたいして面白みのないダムです。



こちらが流入水バイパスからの河川維持放流水。


放流設備兼小水力発電所
各種放流ゲート3条を装備し、最大520キロワットの発電を行います。


これが流入水バイパスの鉄管。


エレン、ミカサ、アルミンの実物大銅像
アプリをダウンロードしてダムにかざすとARでダムに巨人が現れます。


左岸から下流面。


繋留設備へのインクライン。


左右非対称の減勢工。

ダム湖は『鳥宿湖』で総貯水容量1960万立米
曝気装置が稼働しています。


天端は徒歩のみ開放
左岸の三角屋根が管理事務所。


左岸高台の大規模農道からダムを俯瞰できます。


(追記)
大山ダムにはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2802 大山ダム(1850)
大分県日田市大山町西大山
筑後川水系赤石川
FNW
94メートル
370メートル
19600千㎥/18000千㎥
水資源機構
2012年
◎治水協定が締結されたダム

松原ダム(再)

2022-06-13 06:00:00 | 大分県
2022年5月24日 松原ダム(再)
 
松原ダム(再)は左岸が大分県日田市大山町西大山、右岸が同市天瀬町出口の一級河川筑後川本流にある国交省九州地方整備局が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の西日本水害を契機に『筑後川水系治水基本計画』が採択され、筑後川上流部への松原ダム・下筌ダム建設事業が着手されます。
しかし『蜂の巣城紛争』と呼ばれる13年に渡る激しい反対運動によりダムの完成は大きくずれ込み、1972年(昭和47年)にようやく竣工しました。
松原ダムは国交省が直轄管理する特定多目的ダムで、当ダムの上流3.9キロ地点に同時に建設された下筌ダムと一体運用されています。 
当初は筑後川の洪水調節と九州電力松原発電所(最大1万3000キロワット)でのダム水路式発電を目的としていましたが、1984年(昭和59年)にかけての再開発により有明海の海苔養殖業者向けの不特定利水容量および福岡県への上水道用水容量が追加されました。

ダム下から
ダムを正面から見る場所はありません。
クレストにラジアルゲート4門を装備、両端のゲートは径間が短く放流量の細かな変更が可能です。
また写真では写せませんでしたが、コンジット高圧ラジアルゲート3門を備えています。


左岸から。


堤体左岸側直上の繋留設備と巡視艇。


天端は日田と阿蘇を結ぶ国道212号線が通り、結構な交通量です。
大型車も多く車が途切れたタイミングで天端を歩きます。


ダム下には九州電力松原発電所(最大5万600キロワット)
放流水は川の下をくぐり右岸から導水トンネルで2.3キロ下流に放流されます。


ゲート越しに
発電所手前から河川維持放流が行われています。この設備は河川維持放流義務化の際に後付けされたものです。

4門のうち右端のゲートがフルオープンしておりちょっと珍しい絵柄
奥はダム管理事務所。


上流面
対岸は上流の下筌ダム通じる県道647号線。

水面に顔を出すのはコンジットの予備ゲート。
キャタピラゲートです。


上流から
利水放流は基本発電所を通じ行われます。


上流から遠望
右端のゲートが開いていいます。


上流の梅林橋から
二つのトラス橋とダムの絵は珍しいかも?


(追記)
松原ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2775 松原ダム(元) 
左岸 大分県日田市大山町西大山 
右岸     同市天瀬町出口 
筑後川水系筑後川 
FP 
 
83メートル 
192メートル 
54600千㎥/47100千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1972年 
---------------- 
2773 松原ダム(再)(1849) 
左岸 大分県日田市大山町西大山 
右岸     同市天瀬町出口 
筑後川水系筑後川 
FNWP 
 
83メートル 
192メートル 
54600千㎥/47100千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1984年 
◎治水協定が締結されたダム

下筌ダム(再)

2022-06-11 22:00:00 | 大分県
2022年5月24日 下筌ダム(再)
 
下筌(しもうけ)ダム(再)は左岸が大分県日田市中津江村栃野、右岸が熊本県阿蘇郡小国町黒渕の一級河川筑後川水系津江川にある国交省九州地方整備局が管理する多目的アーチ式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の西日本水害を契機に『筑後川水系治水基本計画』が採択され、筑後川上流部への松原ダム・下筌ダム建設事業が着手されます。
しかし『蜂の巣城紛争』と呼ばれる13年に渡る激しい反対運動によりダムの完成は大きくずれ込み、1972年(昭和47年)にようやく竣工しました。
下筌ダムは国交省が直轄管理する特定多目的ダムで、松原ダムの上流3.9キロ地点の松原ダム湖直上にあり、両ダムは完成当初から一体運用されています。 
当初は筑後川の洪水調節と九州電力下筌発電所(最大1万3000キロワット)でのダム水路式発電を目的としていましたが、1986年(昭和61年)にかけての再開発により有明海の海苔養殖業者向けの不特定利水容量が追加されました。
また津江川上流に取水堰を設け、自己流域だけでは湛水が賄えない熊本県の竜門ダムへの補給も行われています。

蜂の巣城闘争はその後の公共工事に大きな影響を与え、これを契機に『水特法』が施工されます。下筌ダムはダム建設の在り様の大きなターニングポイントとなった点も考慮し日本ダム協会により日本100ダムに選ばれています。

洪水期に向けて松原ダムの水位が低下する5月~6月のみ、下筌ダム直下まで近づくことができます。
クレストラジアルゲート3門とコンジット高圧ローラーゲート2門というアーチダムらしいゲート配置。
ダム直下で川が左方向に蛇行しているため、コンジットゲートはダムの右岸側(向かって左)に配置されています。


クレストゲートズームアップ。


コンジットゲート。


堤高98メール、堤頂長248.2メートルの本格的アーチ
広角で撮るとどこも似たり寄ったりになるのは致し方ないですね。




右岸の管理事務所から堤体や崖に張り付くようにキャットウォークへと続く階段棟。


天端から減勢工を見下ろす。
エンドシルのすぐ先がもう松原ダム湖。


右岸から超広角で。


コンジットゲートをズームアップ。


天端高欄のダム銘板はダム反対運動を指揮した室原知幸氏の書が使われています。

ダム湖名は反対運動闘争から『蜂の巣湖』と命名されました。


天端は県道12号阿蘇天瀬線になっています。


対岸右手はインクライン、左手は九州電力下筌発電所の取水口。


下筌ダムでは豪雨の際には大量の流木や塵芥を捕捉するため、ダムとしては非常に珍しく自前のゴミ焼却プラントを保有しています。


上流から
クレストゲートの下にはコンジットの予備コースターゲート
訪問時はゲートの点検中で右側のゲートの動作チェックが行われていました。


(追記)
下筌ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2775 下筌ダム(元) 
左岸 大分県日田市中津江村栃野 
右岸 熊本県阿蘇郡小国町黒渕 
筑後川水系津江川 
FP 
 
98メートル 
248.2メートル 
59300千㎥/52300千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1972年 
---------------- 
2797 下筌ダム(再)(1848) 
左岸 大分県日田市中津江村栃野 
右岸 熊本県阿蘇郡小国町黒渕 
筑後川水系津江川 
FNP 
 
98メートル 
248.2メートル 
59300千㎥/52300千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1986年
◎治水協定が締結されたダム

床木ダム

2017-07-02 14:23:03 | 大分県
2017年6月18日 床木ダム
 
床木ダムは大分県佐伯市弥生の一級河川番匠川水系床木川にある大分県営の治水目的の重力式コンクリートダムです。
急峻な山間部から谷あいの平野を流下して井崎川に注ぐ床木川流域では梅雨や台風による豪雨のたびに洪水被害をもたらしてきました。とりわけ1966年(昭和41年)8月の19号台風では壊滅的な被害が発生、抜本的な洪水対策を求める声が高まりました。
一方で、佐伯市一帯は瀬戸内海式気候の影響で年間降水量が2000ミリ程度と少なく、渇水による用水不足も頻発していました。
そこで大分県は治水・利水を目的とした多目的ダムの建設を進め、1985年(昭和60年)に床木川上流部に建設されたのが床木ダムです。
床木ダムは青江川の洪水調節と既得取水権への補給・安定した河川流量の保持を目的としています。
 
床木ダムは県道36号線沿いにありアプローチは簡単です。
今回は津久見から県道36号を南下、彦岳トンネルを抜けて床木ダムに至りました。
 
まずは下流から
クレストにずらっと並ぶ10門の自由越流式洪水吐が特徴で、堤体中央にはオリフィスゲートがあります。
 
下流面。
 
竣工記念碑。
 
ダムの説明板。
 
総貯水容量352万立米
右手に見える橋脚は東九州自動車です。
 
減勢工
利水放流設備から河川維持放流が行われています
ダム下右岸は公園になっており立ち入り可能です。
 
天端は車両通行可能
対岸に管理事務所があります。
 
上流面。
 
管理事務所に艇庫が併設されており、そこからインクラインが伸びています。
 
上流から。
 
大分の県ダムはどこも開放的かつ管理人さんの人柄が素晴らしいのですが、特に床木ダムの管理人さんは非常に素晴らしい方でした。
わざわざ東京から訪問したと話すと、周辺のお薦めの食事処や、日帰り入浴施設などダムに関係のないことまで親切に教えていただけました。
 
追記
床木ダムには263万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに3万1000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2784 床木ダム(1060)
大分県佐伯市弥生床木
番匠川水系床木川
FN
 
58.5メートル
249メートル
大分県
1985年
◎治水協定が締結されたダム

青江ダム

2017-07-02 13:04:46 | 大分県
2017年6月18日 青江ダム
 
青江ダムは大分県津久見市の青江川にある大分県営の治水目的の重力式コンクリートダムです。
津久見市・臼杵市境界にある標高619.9メートルの姫岳付近に源を発し津久見市を横断して津久見湾に注ぐ青江川は、急流河川のため豪雨や台風のたびに洪水被害を繰り返し抜本的な洪水対策が求められていました。
一方で、津久見市周辺は瀬戸内海式気候の影響で年間降水量が少なく、渇水による用水不足も頻発していました。
そこで大分県は治水・利水を目的とした多目的ダムの建設を進め、1977年(昭和52年)に青江川上流部に建設されたのが青江ダムです。
青江ダムは青江川の洪水調節と既得取水権への補給・安定した河川流量の保持を目的としています。
 
津久見市街から県道204号を西進すると青江ダムが見えてきます。
非常用洪水吐としてクレストに自由越流式ゲートが2門、常用洪水吐としてオリフィスゲートがあります。
43メートルと堤高はさほどありませんがV字の導流壁がダムに精悍さを与えています。
 
左岸にあるプラント跡
ダム下は公園になっていますが、時節柄草が伸びています
ダム直下にも行けますが、減勢工が屈曲しているためダムを真下から撮るポイントはありません。
 
左岸の竣工記念碑。
 
下流面。
 
天端は車両通行可能ゲート。
左手の階段も開放されダム下に歩いて降りることもできます。
 
逆方向から
手前は取水設備操作室。
 
ダム湖は総貯水量150万立米と多目的ダムとしては小規模です。
 
減勢工は左手に緩やかに湾曲しています
減勢工左手は利水放流設備。
 
上流面
オリフィスゲートのコースターゲートが見えます
対岸は管理事務所。
 
上流から
取水設備やゲートの並びがよくわかります。
 
セメントの町津久見の守り神青江ダムです。
 
2794 青江ダム(1059)
大分県津久見市上青江
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
青江川水系青江川
FN
 
43メートル
160メートル
 
大分県土木建築部
1977年