ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

鳴子ダム

2024-09-26 08:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 鳴子ダム
     5月 4日
2024年4月25日
     7月28日
 
鳴子ダムは宮城県大崎市鳴子温泉の北上川水系江合川にある国土交通省東北地方整備局が管理する多目的のアーチ式コンクリートダムです。
東北地方では1947年(昭和22年)のカスリーン台風をはじめ毎年のように甚大な水害が発生する一方、戦後の食糧難や復興の遅れなど諸課題が山積していました。
これを受け、1950年(昭和25年)に成立した『国土総合開発法』に依り北上川流域での治水・灌漑・発電を目的とした北上特定地域総合開発計画(KVAが着手します。
これに併せて北上川の主要支流である江合川でも建設省(現国土交通省)直轄事業による多目的ダム建設が着手され1958年(昭和33年)に竣工したのが鳴子ダムです。
鳴子ダムは特定多目的ダム法に基づいて建設され、江合川の洪水調節(最大700立米/秒の洪水カット)、江合川流域9000ヘクタールへの新規灌漑用水の供給、東北電力鳴子発電所での最大1万8700キロワットのダム水路式発電を目的としています。
鳴子ダムは国内3例目のアーチ式コンクリートダムとして建設されましたが、それまで2例はいずれも米国をはじめとした海外からの援助や技術指導の下で建設されました。
鳴子ダムは日本人技術者のみで建設した初のアーチダムとして高く評価され日本ダム協会により日本100ダムに選ばれているほか、2016年(平成28年)には土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
鳴子ダムには2016年4月2日に初訪しましたが、この時は天端が開放されておらず同年5月4日の『すだれ放流』イベントに合わせて再訪しました。
さらに、2024年(令和6年)の『すだれ放流』の際に8年ぶりに訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
またすだれ放流の詳細については『鳴子ダムすだれ放流』の項をご覧ください。

国道108号線沿いのダムの下流350メートルほどに駐車場があります。
駐車場から左岸の管理道路を進むと正面に鳴子ダムが姿を現します。
(2024年4月25日)


2016年(平成28年)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。
こちらはそのプレート。
(2024年4月25日)

 
ダムサイトには交換されたハウエルバンガーバルブが展示されています。
(2016年5月4日)

 
さらに進むと、鳴子ダムの全容が姿を見せます。
2024年(令和6年)のすだれ放流はゴールデンウィーク前の平日三日間の開催です。初日、二日目はあいにくのお天気でしたが、訪問した三日目は絶好のお天気。
ダム下には虹がかかっています。
(2024年4月25日)

 
クレストには非常用洪水吐となる自由越流頂が8門
最大放流能力は998立米/秒
(2024年4月25日)
 
 
未明にまとまった雨が降り水位が上昇したため、クレストからのすだれ放流のほか低水放流設備であるコンジットバルブからも放流しています。
コンジットバルブはハウエルバンガーバルブで最大放流量は18.4立米/秒。
(2024年4月25日)

 
アングルを変えて
減勢工には円形のデフレクターがあり、越流した水を左岸側に寄せます。
(2024年4月25日)

 
こちらはバルブ放流のない2016年(平成28年)のすだれ放流の写真。
(2016年5月4日)


同じアングルで2024年(令和6年)の写真。
日差しが入ると美しい。
(2024年4月25日)


右岸から
写真右手の縦長の構造物はインクラインで定員は4人、最大斜度は60度もあるそうです。
一度乗ってみたい。
(2016年5月4日)

 
かつてはすだれ放流に合わせて鯉のぼりが張られていました。
奥の白い建物が管理所。
(2016年5月4日)

 
こちらが常用洪水吐となるトンネル洪水吐で最大放流量は750立米/秒。
堤体が薄いため堤体に常用洪水吐を作ることができず、結果として日本初のトンネル洪水吐が採用されました。
現在の洪水吐ゲートは2002年(平成14年)の施設改良事業で改修されたもので、新たに予備ゲートが創設されています。
(2016年5月4日)


ダム左岸高所の国道から俯瞰。
こちらは放流のない初回訪問時の写真。
(2016年4月2日)

 
こちらは2024年(令和6年)の写真。
(2024年4月25日)

ダム湖の総貯水容量は5000万立米、有効貯水容量3500万立米
近年の多目的ダムに比べて堆砂容量が多く配分されています。
右奥に見えるのが東北電力鳴子発電所の取水口。
ダム湖に発電容量の配分はなく利水従属発電となります。
(2016年4月2日)

 
上流面
左手の建屋はトンネル洪水吐ゲート。
(2016年4月2日)


自由越流頂とトンネル洪水吐ゲートの間に小さなゲートが二つあります。
右手はコンジットバルブの取水ゲートで予備ゲートが見えます。
左手は坂見堰取水塔でダムから発電所放流口までの農地への灌漑用取水工です。
(2016年4月2日)
 
 
東北電力鳴子発電所
最大出力1万8700キロワット
ダムに発電容量の配分はなく利水従属発電となります。
 
(追記)
鳴子ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0290 鳴子ダム(0289)
宮城県大崎市鳴子温泉
北上川水系江合川
FAP
94.5メートル
215メートル
50000千㎥/35000千㎥
国土交通省東北地方整備局
1958年
◎治水協定が締結されたダム

小田ダム

2024-09-25 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 小田ダム
2024年7月28日
 
小田(こだ)ダムは宮城県栗原市一迫川台の北上川水系迫川右支流長崎川にある宮城県土木部が管理する多目的ロックフィルダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫(はさま)川流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは河川が交錯する湿地帯だったこともあり洪水被害が多発、一方で1万ヘクタールを超える耕地面積に対して迫川の水量は絶対的に乏しく用水不足が常習化していました。
1957年(昭和32年)に迫川に花山ダム、1962(昭和37年)に三迫川に栗駒ダムが完成したことで治水能力は大きく向上しますが、用水不足はいまだ解決せず安定した水源確保やかんがい排水設備の整備は流域農家の悲願となっていました。
こうした状況を受け農林水産省は荒砥沢ダム及び小田ダム建設を軸とした国営かんがい排水事業迫川上流地区を採択、これに宮城県土木部が事業参加し迫川総合開発事業として治水機能を持った多目的ダム建設が進められることになりました。
そして1998年(平成10年)の荒砥沢ダムに次いで2005年(平成17年)に竣工したのが小田ダムで、両ダムともに補助多目的ダムになりますが施工は農林水産省によります。
小田ダムは長崎川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中は最大毎秒360立米の洪水カット )迫川上流土地改良区4349ヘクタールへのかんがい用水の供給を目的とし、完成後は宮城県土木部が管理を受託しています。
小田ダム竣工と同年の2005年に国営事業全体も完了し金成耕土における用水不足はほぼ解消しました。

迫川上流地区概要図


小田ダムには2016年(平成28年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
まずはダム下から
堤体は堤高43.5メートルに対し堤頂長は520メートルに及ぶ横長堤体。
ダム下は芝生の広場になっており、中央のくぼみはダム建設以前の長崎川の流路のあったところです。
ダムサイトの案内図には『ダム下流広場』と記され、当初は公園として開放する意図があったと思われますが、現在は立入り禁止。
(2016年4月2日)

 
洪水吐は高さはないものの減勢工が非常に長くなっており、シルの下流には洗堀防止のブロック工が並びます。
(2016年4月2日)

 
再訪時に同じアングルで
洪水期に加え前日まで雨により洪水吐から放流されていました。
(2024年7月28日)

 
ズームアップ
高さはないものの斜水路では転波列が見られます。
(2024年7月28日)

 
こちらは減勢工の下流側
このまま長崎川として流下します。
(2024年7月28日)

 
ダム左岸下流側の放流ゲート
再訪時はかんがい期のため放流量が増えています。
(2024年7月28日)

 
左岸高台にはパークゴルフ場が整備され、その一角が展望台になっています。
堤頂長520メートルの長いロックフィル堤体が一望できます。
(2024年7月28日)

 
左岸の係留設備
インクラインではなく浮桟橋です。 
(2024年7月28日)

 
右岸の洪水吐
同じ事業で建設された荒砥沢ダムと同じく、洪水吐は横越流式洪水吐とローラーゲート併設。
ローラーゲートは洪水期(7月1日~9月30日)は洪水調節容量を確保するために全開、非洪水期は全閉となります。
(2024年7月28日)

 
右岸から見た洪水吐ゲート
こちらは非洪水期のため2門のローラーゲートは閉じられたまま。
このゲートの下流側に横越流式洪水吐がありますが、ここからは目にすることができません。
(2016年4月2日)

 
左岸ダムサイトに移動
小田ダムの管理建屋はすべてエンジの早稲田カラーで統一
残念ながら天端やダム構内はすべて立入り禁止。
(2024年7月28日)

竣工記念碑。
(2024年7月28日)

 
右岸ダムサイトはかなり広くなっており、仮に開放したらローリング族が喜びそう。
(2024年7月28日)

 
上流から見た取水塔
かんがい用のため表層取水を行います。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は総貯水容量972万立米。
(2024年7月28日)

 
ダムの下流約1キロにある川台頭首工、こちらも建屋はエンジ。
ダムから放流された水をここで取水し、いったん迫川に導水したのち4349ヘクタールの農地にかんがい用水を供給します。
(2016年4月2日)

 
(追記)
小田ダムでは台風等の襲来に備え事前放流を行うための治水協定が締結されました。
 
0310 小田ダム(0283)
宮城県栗原市一迫川台
北上川水系長崎川
FA
43.5メートル
520メートル
9720千㎥/9010千㎥
宮城県土木部
2005年
◎治水協定が締結されたダム

花山ダム(再)

2024-09-24 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 花山ダム(再)
2016年5月 4日
2024年7月28日 
 
花山ダム(再)は宮城県栗原市一迫川口小倉の北上川水系迫(はさま)川にある宮城県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫川流域は『金成耕土』と呼ばれ宮城県屈指の穀倉地帯となっています。
しかしもともとは複数の河川が交錯する湿地帯のため氾濫が頻発し、とりわけ1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1948年(昭和23年)のアイオン台風により甚大な洪水被害が発生しました。
1950年(昭和25年)に採択された北上特定地域総合開発計画(KVT)に合わせ宮城県は迫川の治水・利水を目的とした迫川総合開発事業に着手し、その中核施設として1957年(昭和32年)に竣工したのが花山ダム(元)です。
その後2004年(平成16年)にかけてダムの嵩上げおよびゲート・取水設備の更新大を伴う大規模なダム再開発が行われ、洪水調節能力が強化されるとともに新たに上水道用水容量が付加されました。
花山ダム(再)は建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期に最大毎秒1020立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と沿岸農地への不特定かんがい用水の補給、栗原・登米地区への上水道用水の供給、細倉金属鉱業(株)川口第二発電所での最大1500キロワットのダム式発電を目的としています。
ダムは迫川の狭隘な渓谷部分を活用して建設され、堤体積4万6000立米で有効貯水容量3200万立米を支えており貯水効率が695倍と非常に効率的なダムとなっています。
花山ダムには2016年(平成18年)4月と5月、2024年(令和6年)7月の3度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダム下流から遠望
下流は牛渕渓谷と呼ばれる深い谷になっており、かつてはダム直下手前まで遊歩道が整備されていました。しかし、宮城岩手内陸地震以降落石の恐れありということで立入り禁止になっています。
(2016年4月2日)


ダムの下流には細倉金属鉱業(株)川口第二発電所から同川口第一発電所に通じる水圧鉄管が横切っています。
(2016年4月2日)

 
ダムの見学は管理事務所のある右岸からのみとなります。
周辺にはダムの展望台が設けられているほか、各種記念碑が並びます。
(2024年7月28日)


展望台から
花山ダム(再)の特徴の一つが再開発事業で設置された親子式のクレストローラーゲートです。
主ゲートにそれぞれ2門の子ゲートが併設され、洪水期は主ゲートを一定の開度で開ける一方、非洪水期は子ゲートを全開にして子ゲートから自然越流する自然調節を行います。
初回訪問時は水位が低く放流は見られませんでした。
(2016年4月2日)

 
再訪時は融雪や直前の大雨による水位上昇を受け、親子両ゲートから放流していました。
(2016年5月4日)

 
三度目の訪問時は洪水期ということで親ゲートが開けられる一方、子ゲートは閉じていました。
ちょうどゲートの塗装工事中で、向かって左手のゲートの塗装が終わったところです。
(2024年7月28日)

 
ダムは狭隘な渓谷に作られ、小さな堤体積で大きな貯水容量を貯留する効率的なダムとなっています。
(2016年4月2日)

 
洪水吐導流部。
(2016年5月4日)

 
ダム下右岸にある放流設備。
(2016年4月2日)


放流設備には細倉金属鉱業(株)川口第二発電所が併設されています。
もともと迫川では細倉金属工業の前身となる三菱鉱業が1941年(昭和16年)に川口発電所を稼働させていました。
同社は自社の鉱山事業で使用する電力確保のため、宮城県の迫川総合開発事業に発電事業者として参加し花山ダム建設に併せてダム式発電を行う川口第二発電所を稼働させました。
(2024年7月28日)

 
手前の青いゲートは取水設備からの放流ゲート。
朝顔形の余水吐が川口第二発電所及び利水用の取水工、奥の小さなゲートが川口第一発電所の取水ゲートになります。
(2016年4月2日)

 
ズームアップ。
(2024年7月28日)

 
さらにズームアップ。 
(2024年7月28日)


ダムサイトには各種説明板が並びます。
(2024年7月28日)

 
(2024年7月28日)

 
親子ゲートや朝顔型余水吐など見どころの多い花山ダム(再)ですが、ダムの見学は右岸展望台とダムサイトに限られます。
事前に予約をすればダム構内や放流設備なども見学できるようなので、機会があればぜひ見学イベントなどを開催してみたいと思います。

(追記)
花山ダム(再)は台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定が締結されています。
 
0289 花山ダム(元)
宮城県栗原市一迫川口小倉
DamMaps
北上川水系迫川
FNP
47.8メートル
72メートル
36600千㎥/30000千㎥
宮城県土木部
1957年
-------------
3108 花山ダム(再)(0287)
宮城県栗原市一迫川口小倉
北上川水系迫川
FNWP
48.5メートル
72メートル
36600千㎥/32000千㎥
宮城県土木部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

荒砥沢ダム

2024-09-23 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 荒砥沢ダム
2024年7月28日
 
荒砥沢ダムは宮城県栗原市栗駒文字の北上川水系二迫川にある宮城県土木部が管理する多目的のロックフィルダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫(はさま)川流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは河川が交錯する湿地帯だったこともあり洪水被害が多発、一方で1万ヘクタールを超える耕地面積に対して迫川の水量は絶対的に乏しく用水不足が常習化していました。
1957年(昭和32年)に迫川に花山ダム、1962(昭和37年)に三迫川に栗駒ダムが完成したことで治水能力は大きく向上しますが、用水不足はいまだ解決せず安定した水源確保やかんがい排水設備の整備は流域農家の悲願となっていました。
こうした状況を受け農林水産省は荒砥沢ダム及び小田ダム建設を軸とした国営かんがい排水事業迫川上流地区を採択、これに宮城県土木部が事業参加し迫川総合開発事業として治水機能を持った多目的ダム建設が進められることになりました。
このうち、1998年(平成10年)に二迫川上流部に建設されたのが荒砥沢ダムで、農林水産省東北農政局が施工し完成後は宮城県土木部が管理を受託しています。
荒砥沢ダムは二迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中に最大毎秒320立米の洪水カット )、迫川上流土地改良区への灌漑用水の供給(荒砥沢用水路156.4ヘクタールおよび一の堰頭首工1498.1ヘクタール)を目的とするほか農林水産省東北農政局が管理する荒砥沢発電所で最大1000キロワットの小水力発電を行います。
国営かんがい排水事業全体も2005年(平成17年)に完了し金成耕土における用水不足はほぼ解消しました。
 
その後、2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震の際はダム湖上流で大規模な山体崩壊が発生しダム湖で津波が発生するとともに(堤体への影響はなし)大量の土砂が流入しました。
これにより毀損した洪水調節容量を補填するためダムの下流に遊水地が建設されました。

迫川上流地区概要図


荒砥沢ダムには2016年(平成28年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
県道179号線のドン詰まりに荒砥沢ダムがあります。
こちらは洪水吐斜水路下流から
手前左手からの流入水は放流設備及び発電所からの放流水です。
(2016年4月2日)

 
初回訪問時は融雪期ということで水位が上昇し洪水吐から放流中、美しい転波列が現れています。
向かって左手の白い建屋が放流設備。
(2016年4月2日)

 
利水放流を利用した荒砥沢発電所
農林水産省東北農政局が管理を行い、売電収入は土地改良区の運営資金に供されます。
(2016年4月2日)

 
水利使用標識
こちらはダムのすぐ下流沿岸農地を対象とした荒砥沢用水路向け水利権。
(2024年7月28日)

 
ダムや洪水吐を一望できるポイントはありません。
これは右岸放流設備手前から見た下流面
中央を左岸ダムサイトに通じる道路が斜行しています。
(2024年7月28日)

 
左岸ダムサイトへ通じる道路から。
奥は洪水吐斜水路。
(2024年7月28日)


天端は立入り禁止。
(2024年7月28日)

 
上流面
かなり草が伸びています。
対岸には管理事務所と洪水吐、取水塔があります。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は藍染湖と命名され左岸にふれあい公園が整備されています。
(2024年7月28日)

 
ふれあい公園から洪水吐・取水塔を遠望。
再訪時は洪水期のためこれで最高位。
(2024年7月28日)


取水塔とインクライン・艇庫をズームアップ。
(2024年7月28日)


2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震の際にダム湖上流で大規模な地滑りが起きダム湖内で津波が発生しました(堤体越流はなし)。
こちらはその説明板で『荒砥沢ダム上流崩壊地』として日本の地質百選に選ばれています。
(2024年7月28日)

 
地滑りを地点を遠望
地震から16年が経過しますがいまだに大きな傷跡が残ります。
奥の崩落地点手前側の斜面がダム湖に向けて大きく滑りました。
(2024年7月28日)

 
右岸に移動します。
洪水吐は横越流式洪水吐とローラーゲート併設です。
写真は上流側からローラーゲートを撮ったもので、このゲートの奥(下流側)に横越流式洪水吐がありますが横越流式洪水吐を目にすることはできません。
ローラーゲートは洪水期(7月1日~9月30日)は洪水調節容量を確保するために全開、非洪水期は全閉となります。
この写真は洪水期のものでゲートが開いています。
(2024年7月28日)


アングルを変えて
ローラーゲートと上流面。
この写真は非洪水期のためゲートが閉じられており、水位は平常時最高水位となります。
(2016年4月2日)

 
オレンジの屋根が鮮やかな取水塔。
(2016年4月2日)

 
荒砥沢ダムの下流約10キロ地点にある一の堰頭首工。
国営事業によって既設の3基の取水堰を統合して1993年(平成5年)に完成しました。
荒砥沢ダムから放流された水を取水し約1500ヘクタールの農地にかんがい用水を供給します。
(2024年7月28日)

 
一の堰頭首工の説明板。 
(2024年7月28日)

 
水利使用標識。
(2024年7月28日)

 
(追記)
荒砥沢ダムは台風等の接近が予想される場合に事前放流を行う治水協定が締結されました。

0309 荒砥沢ダム(0282)
宮城県栗原市栗駒文字
北上川水系二迫川
FA
74.4メートル
413.7メートル
13214千㎥/12594千㎥
宮城県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

栗駒ダム

2024-09-20 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 栗駒ダム
2024年7月28日
 
栗駒ダムは宮城県栗原市栗駒沼倉の一級河川北上川水系三迫川にある宮城県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫川(はさまかわ)流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは複数の河川が交錯する湿地帯のため氾濫が頻発し、とりわけ1948年(昭和23年)のアイオン台風襲来時は3000ヘクタールを超える水田が冠水する大災害となりました。
これを受け宮城県は迫川上流三河川のうち迫川(一迫川)と三迫川への多目的ダム建設に着手、1957年(昭和32年)の花山ダムに次いで1962年(昭和37年)に竣工したのが栗駒ダムです。
ただ花山ダムが建設省(現国土交通省)の補助を受けた迫川総合開発事業によって建設された補助多目的ダムなのに対し、栗駒ダムは農林省(現農林水産省)の補助を受けた県営防災ため池事業で建設された農地防災ダムとなります。
完成後は県土木部が管理を受託し、三迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中は最大毎秒735立米の洪水カット)、迫川沿岸約2600ヘクタールへの特定かんがい用水の供給、細倉金属鉱業(株)玉山発電所での最大2800キロワットのダム水路式発電を目的としています。
両ダムの完成により迫川の治水能力は大きく向上しますが、依然1万ヘクタールに及ぶ金成耕土では用水不足の状態が続き、この解決は1998年(平成10年)の荒砥沢ダム、2005年(平成17年)の小田ダムの完成しまで待つことになります。
上記のように栗駒ダムは完成後は宮城県土木部が管理を受託していますが、農林省の補助事業で建設されたダムのため目的は『FAP』ではありますが、補助多目的ダムとはなりません。

2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震では栗駒山周辺で地滑りや土石流など多大な被害が出ましたが、栗駒ダムでも下流からダムへ通じる道路が崩落により通行不能となりました。
一方、施設の老朽化を受けて2010年(平成22年)にかけてゲートと堤体の改修が行われ、さらに2015年(平成27年)には取水設備が刷新されました。
栗駒ダムには2016年(平成18年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

右岸から下流面
堤高57.2メートル、堤頂長182メートル、残念ながらダム下流から堤体と正対できるポイントはありません。
(2024年7月28日)

 
堤体は右岸側が屈曲。
(2016年4月2日)

 
ゲートピアをズームアップ
2010年(平成22年)にゲートが改修されるとともにゲートピアや扶壁の一部も刷新されました。
(2024年7月28日)


右岸ダムサイトには記念碑がありその隣にはゲート改修で撤去された古い巻上げ機がモニュメントとして展示されています。
(2024年7月28日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年7月28日)

 
上流面。
ゲートは扉高15.6メートル、径間メートルの縦長ローラーゲート。
(2024年7月28日)

 
右岸の管理事務所とインクライン。
かつては職員が常駐していましたが、現在は花山ダム管理所で統合管理されています。
(2024年7月28日)

 
インクラインをズームアップ。
(2024年7月28日)

 
ゲートを真上から。
(2024年7月28日)

 
天端から減勢工を見下ろします。
減勢工左手は放流設備、その下流に落ちている石は2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震で崩落したもの。
(2016年4月2日)

 
同じアングルで再訪時。
栗駒ダムの洪水期は7月1日~9月30日で、この間は常時クレストローラーゲートを開けて放流し洪水調節容量を確保します。
(2024年7月28日)

 
手前の青い機器は取水ゲートの操作機器。
(2024年7月28日)
 
2015年(平成27年)に置換された取水ゲートのプレート
日本では2例目となる遮水膜式取水ゲートになります。
(2024年7月28日)

 
減勢工はジャンプ台式。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は『くりこま湖』
総貯水容量1371万5000立米、有効貯水容量1275万8000立米
かんがい期には有効貯水容量の7割の910万3000立米が洪水調節容量となります。
再訪時は直前まで記録的な豪雨が続き水位が上昇、ダム湖の水もかなり濁っています。
(2024年7月28日)

 
左岸から
取水設備は2015年(平成27年)に導入された遮水膜昇降式多段フロー取水ゲート
ダム水位に連動して鋼製フレームに取り付けられた複数段の遮水膜が伸縮し、最上部から取水することで連続的な表層取水を行います。
詳細はリンクをご覧ください。 
(2024年7月28日)

 
上流面
初訪時は非かんがい期にもかかわらずかなり水位が下がっていました。
(2016年4月2日)

宮城県のホームページでは、栗駒ダムの役割として
『既得用水の補給・維持流量の確保等、流水の正常な機能の維持と増進を図ります』と記され不特定利水(N)があるような表記がなされています。
しかし県が配布するダムカードにはダムの目的は『FAP』と記され『N』はありません。
貯水容量にも不特定利水容量の配分はないため当ブログでもダムの目的はFAPと記します。

(追記)
栗駒ダムでは台風の襲来に備え事前放流を行う治水協定が締結されています。
 
0293 栗駒ダム(0281)
宮城県栗原市栗駒沼倉
北上川水系三迫川
FAP
57メートル
182メートル
13715千㎥/12758千㎥
宮城県土木部
1962年
◎治水協定が締結されたダム

大倉ダム

2024-06-11 08:00:00 | 宮城県
2016年4月 9日 大倉ダム
2024年4月25日
 
大倉ダムは宮城県仙台市青葉区大倉の名取川水系広瀬川左支流大倉川にある宮城県土木部が管理する多目的マルティプルアーチ式コンクリートダムです。
仙塩地区への工業用水・仙台平野への灌漑用水を目的とした名取川水系での河川総合開発計画は戦前より進められていましたが戦況の悪化により着手には至りませんでした。
戦後の復興を受けた水需要の増加や仙台市街を貫流する広瀬川の治水を目的として建設省により「大倉川総合開発事業」が採択され広瀬川左支流大倉川に1961年(昭和36年)に建設されたのが大倉ダムです。
大倉ダムは建設省の事業で建設された特定多目的ダムで、完成後に宮城県に移管されました。同様に建設省の直轄事業で建設され完成後に地方自治体に移管されたダムとしては京都府の大野ダムや秋田県の皆瀬ダムなどがあります。
大倉ダムは広瀬川および名取川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期に最大800/秒の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定利水への補給、流域農地への灌漑用水の供給、仙台市及び塩釜市への上水道用水の供給、仙塩工業地帯への工業用水の供給、東北電力大倉発電所での最大出力5200キロワットのダム水路式発電をダムの目的としています。
 
大倉ダム建設地点は非常に安定した地盤でアーチダム建設に適しています。
しかし全幅200メートル近い谷を一つのアーチダムで結ぶよりも、中央にスラストブロック(人工アバット)を設置して2つのアーチダムを並立させるほうが経済的に優位ということでダブルアーチが採用されました。
ダブルアーチ式コンクリートダムとしては日本で唯一、ダムの型式であるマルティプルアーチとしても香川県の豊稔池ダムとともに2基しかない希少な型式のダムです。
構造令の改正により現在の日本ではマルティプルアーチダムを作ることはできないため、文字通り唯一無二の存在です。
そういった点を評価され2023年(令和5年)に土木学会選奨土木遺産に選定されるとともに日本ダム協会により日本100ダムに選ばれています。
大倉ダムには2016年(平成28年)4月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しましました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。
再訪時は職員様同行でダム見学を行いました。そちらの詳細は『大倉ダム ダム研見学会』の項をご覧ください。

まずはダム下へ
公園として整備され、桜の時期には融雪放流と花見をセットで愛でることができます。
一方で、ダブルアーチをを一望するにはスペースがなくその姿を写真で伝えることができないのが残念。
中央のスラストブロックを挟んで二つのアーチダムが並びます。
(2016年4月9日)

 
こちらは洪水吐のある左岸のアーチ堤体。
クレストにローラーゲート4門を装備。
(2024年4月25日)

 
ゲートをズームアップ。
例年ゴールデンウィークを挟んだ時期に融雪放流を行いますが、再訪時は歴史的な少雪だった影響もあり放流はなし。
(2024年4月25日)

 
こちらは非越流の右岸側アーチ堤体。
(2016年4月9日)

 
ダムの下流400メートル地点にある東北電力大倉発電所
もともと当地には水路式の旧大倉発電所がありましたがダム建設で水没するため新たな発電所に置換されました。
最大出力は5200キロワットでダムに発電容量はなく利水従属発電となります。
この発電所からの放流水が下流で灌漑・上水・工水として利用されます。
(2024年4月25日)

 
管理事務所内にある完成当時の写真
こういうアングルで見れる場所があればいいんですけどね?
当時はスラストブロックの上に管理事務所がありました。
トイレの排水はどうしてたんだろう?
(2024年4月25日)

 
右岸ダムサイトの大倉ダムバス停。
(2024年4月25日)

 
下流面
こちらは非越流の右岸アーチ堤体。
(2024年4月25日)

 
こちらはゲートのある左岸アーチ堤体。
(2024年4月25日)

 
減勢工
ダム建設地点周辺は全幅200メートル程度の渓谷ですが、左岸側が深く浸食され大倉川の流路になり右岸側は河岸段丘となっています。
ちょっとわかりづらいですが下流にアーチ型の副ダムがあり、段丘上はダム下公園です。
(2024年4月25日)

 
ダム湖の大倉湖は総貯水容量2800万立米
ダム湖越しに日本200名山の船形連峰が一望できます。
ダム建設以前は川沿いに盆地が開け農地が広がっていました。
大倉ダムはその下流の狭窄部に建設されており、ダム建設地としては理想的な立地です。
(2016年4月9日)

 
天端は県道55号となっており車の通行ができます。
ダム上流には『定義如来 西方寺』があり交通量の多い土日祝日は時計回りの一方通行となります。
ゲートピアは鉄骨トラス製
ピアの手前には艇庫と灌漑用取水設備があります。
(2016年4月9日)


左岸から。
(2024年4月25日)

 
こちらは非常用放流バルブ
大倉ダムでは利水放流や水位低下放流は発電所経由で行われますが、発電所の点検や改修際にこのバルブが使用されます。
(2024年4月25日)

 
こちらは左岸農業用水取水管
広瀬川沿岸の仙台市大倉川土地改良区に専用水路で灌漑用水を供給します。
(2024年4月25日)

 
左岸農業用水の水利使用標識。
(2024年4月25日)

 
こちらは東北電力大倉発電所の取水口
昭和30年代ということで大掛かりな取水設備になっています。
主要な利水のほか、水位低下放流などもここを経由して行われます。
(2024年4月25日)

 
発電用の水利使用標識。
(2024年4月25日)

 
上流面
左が左岸農業用水の取水設備、その右手が艇庫。
(2016年4月9日)

 
上流から遠望。
(2016年4月9日)

 
日本で唯一のダブルアーチということで、見どころ満載。
ただ、やはり高所から堤体を俯瞰できる場所があれば!というのが偽らざる本音。
 
(追記)
大倉ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0292 大倉ダム(0298)
宮城県仙台市青葉区大倉
名取川水系大倉川
FNAWIP
MA
82メートル
323メートル
28000千㎥/25000千㎥
宮城県土木部
1961年
◎治水協定が締結されたダム

川原子ダム

2023-12-27 17:00:22 | 宮城県
2016年 9月11日 川原子ダム
2023年11月 3日
 
川原子ダムは宮城県白石市福岡八宮の一級河川阿武隈川水系白石川左支流青沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
白石川左岸段丘に位置する旧福岡村では17世紀初頭に青沢の湧水を水源とした川原子堰用水路を開削し約400へクタールに及ぶ新田が開拓されました。
しかし水量が乏しく渇水による干ばつが頻発し安定した水源確保は福岡地区永年の悲願となっていました。
昭和初頭より貯水池築造機運が高まり、1944年(昭和19年)に当時の福岡村営事業としてダム建設が着手されますが、戦争激化により中断。
1951年(昭和26年)に県営事業により再着工されますが、基礎地盤が悪く漏水対策に時間を要し1969年(昭和44年)にようやく川原子ダムが竣工しました。
運用開始後は白石市が管理を受託し同市福岡地区約450ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
その後2001年(平成13年)に県のため池等整備事業で改修が行われ現在に至っています。

川原子ダム周辺は水源地の環境を守るため『不伐の森』(伐採をしない森)として保護され豊かな自然が残されています。
ダム湖をめぐる一周5.4キロの散策路が整備され春秋には多くのハイカーが訪れる憩いの場となっています。
川原子ダムには2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
ダム湖周辺は散策路が整備されており、ダム入り口には駐車場と清潔な公衆トイレが設置されています。
ダムの入り口。
(2023年11月3日)

 
左岸の横越流式洪水吐。
(2023年11月3日)

 
初回訪問時は直前にまとまった雨があり越流していました。
(2016年9月11日)

 
洪水吐導流部。
(2023年11月3日)

事業説明版。
(2023年11月3日)

 
完成記念碑。
(2023年11月3日)

 
川原子ダムは宮城蔵王三十六景に選ばれています。
奥の山は南蔵王の主峰、不忘山。
(2023年11月3日)

 
堤体はススキに覆われています。
意図して草を刈らないのかも?
(2023年11月3日)

 
天端は舗装され車両通行できます。
ただし対岸から先はかなり荒れたダートの林道。
(2023年11月3日)

 
上流面はロック材で護岸。
(2023年11月3日)

 
左岸の斜樋
再訪時は灌漑期が終わったこともあり、斜樋の大半が顔を出しています。
(2023年11月3日)


初訪時は満水でした。
(2016年9月11日)

 
ススキに覆われていますが、ダム下に続く階段があります。
立ち入り禁止の表記はありませんでしたが、草が深く自重。
(2016年9月11日)

 
総貯水容量は233万3000立米。
本州の農業用アースフィルダムとしてはかなり大規模。
風がなければ湖面に蔵王が映るのですが・・・・。
(2023年11月3日)

揚水技術のない時代、大河の段丘上はどこも目の前の水を指をくわえて眺めるのみ。
そんな中、遥か高所に水源を求めた先人たちの意地ともいえる川原子ダムです。
 
(追記)
川原子ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0296 川原子ダム(0556)
宮城県白石市福岡八宮
阿武隈川水系白石川左支流青沢川
20メートル
121メートル
2333千㎥/2150千㎥
白石市
1969年
◎治水協定が締結されたダム

小田川水源地取水堰堤(参考掲載)

2017-05-30 10:30:00 | 宮城県
2017年5月28日 小田川水源地取水堰堤
 
小田川水源地取水堰堤は宮城県角田市小田の阿武隈川水系小田川にある角田市が管理するの上水道目的の表面石張玉石コンクリート堰堤です。
1934年(昭和9年)に当時の角田町によって建設され、竣工当時の堰堤がそのまま残っており、Cランクの近代土木遺産に選定されています。
堤高5.67メートルとダムの要件を満たしていませんが、戦前の貴重な土木遺産ということでダム便覧に参考掲載されています。
現在も現役で稼働しており下流にある浄水場を通じて角田市小田地区に上水道用水を供給しています。
 
角田市中心街から県道105号線を南下し、小田地区に入ります。浄水場をやり過ごしてさらに進むと左手に小田川水源地取水堰堤が現れます。
想像以上に小さな堰堤で左岸に取水用のハンドルが並びます。
 
関知石を布積みしています。
堤体下部に穴があり排砂口と思われます。
 
小さな堰堤で貯水池も池と呼ぶのさえおこがましいサイズですので、雨でも降ればすぐに越流するんでしょう。堤頂部は泥で汚れています。
 
取水口
ここで取水した水は下流の浄水場を経て小田地区に供給されます。
 
S013 小田川水源地取水堰堤(参考掲載)(1007)
宮城県角田市小田
阿武隈川水系小田川
5.67メートル
12.37メートル
角田市
1934年

釜房ダム

2017-05-29 20:00:00 | 宮城県
2016年4月  9日 釜房ダム
2017年5月27日
 
釜房ダムは宮城県柴田郡川崎町小野の一級河川名取川水系碁石川にある多目的重力式コンクリートダムです。
1940年(昭和15年)に仙塩工業地帯建設計画の一環として当地へのダム建設計画が立案されますが、戦争激化により事業はいったん中断します。
戦後、名取川の治水に加え東北の中枢として発展著しい仙台地区への都市用水水源確保が喫緊の課題となり、改めて釜房ダムが着目されます。
1964年(昭和39年)に建設省(現国交省)直轄事業によるダム建設が着手され、1970年(昭和45年)に釜房ダムが竣工しました。
釜房ダムは国交省東北地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、碁石川および名取川の洪水調節、流域既得灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、仙台市など3市1町への上水道用水の供給、仙台湾沿岸工業地帯への工業用水の供給、東北電力釜房発電所(最大1300キロワット)でのダム式発電を目的としています。
とりわけ仙台市の上水需要の3割超を釜房ダムで賄っており、文字通り『仙台の水ガメ』となっています。
一方完成当初よりダム湖の釜房湖湖岸の環境整備が進められ、1989年(平成元年)には国営みちのくの湖畔公園が開設されるなど宮城県を代表するレクリエーションエリアとなっており釜房湖はダム湖百選にも選ばれています。

左岸下流側から
堤高は45.5メートルとさほど高くありませんが、水を支えるという重厚感が伝わってきます。
 
同じアングルで5月の新緑時に撮ってみました。(2017年5月27日)
 
同じ場所から広角で。
減勢工が大きい。
(2017年5月27日)
 
ゲート操作室。
 
IHIのガントリークレーン。
 
天端は車道で北向き一方通行。
 
取水棟。
 
直下に発電所。
 
湖畔の桜は8分咲き。
 
下流は立入禁止のため国道から
桜は見ごろ
霞んでいなければ蔵王の山並みもはっきり見えたのですが・・・。
 
 
追記
釜房ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0297 釜房ダム(0302)
宮城県柴田郡川崎町小野
名取川水系碁石川
FNWIP
45.5メートル
177メートル
45300千㎥/39300千㎥
国交省東北地方整備局
1970年
◎治水協定が締結されたダム

七ヶ宿ダム

2016-09-12 16:45:15 | 宮城県
2016年9月5日 七ヶ宿ダム
 
阿武隈川水系は中流部の福島県中通地域と下流部の宮城県白石市・角田市でたびたび洪水被害を引き起こし、抜本的な洪水対策を求める声が高まりました。
一方東北の中心都市として発展著しい仙台周辺では人口増や産業発展に伴う水需要の増加が続き、新たな水源を確保する必要性がでてきました。
そこで建設省は阿武隈川を1級河川に指定するとともに多目的ダムによる河川総合開発事業に乗り出し、1991年(平成3年)に阿武隈川の主要支流である白石川に竣工したのが七ヶ宿ダムです。
七ヶ宿ダムは大滝根川の三春ダム、摺上川の摺上川ダムと連携して阿武隈川水系の洪水調節を行うほか、慣行水利権分の用水補給と安定した河川流量の維持、仙台平野への農業用水補給、宮城県内7市10町への上水道の供給を目的としています。
また利水放流を利用した七ヶ宿ダム管理用発電所で最大3700キロワットの小水力発電を行っています。
 
白石市街から国道113号を西進し東材木岩トンネルを抜けると左に七ヶ宿ダム管理事務所への道が分かれます。
国道に沿って公園が設置され巨大なクワガタのモニュメントが現れます。
 
洪水吐。
クレストはラジアルゲート3門、オリフィスの予備ゲートが2門。
無塗装のラジアルゲートがメカニカルな印象を際立たせます。
 
ラジアルゲート下流側は赤い塗装。
 
洪水吐導流部と減勢工
堤体直下には公園があり材木岩から遊歩道が伸びていますが、震災以降立入禁止。
 
天端は歩行者のみ立ち入り可能。
堤体は緩やかに湾曲しています。
 
左奥の取水塔は上水道、工業用水の取水設備
管理事務所に隣接して左は灌漑用取水設備、右はインクライン。
 
右岸の壁面に七ヶ宿ダムの銘。
 
ダム湖(七ヶ宿湖)
右手に南蔵王の不忘岳と屏風岳が見えます。
 
下流面。
 
上流面。
 
堤体直下には公園がありますが、材木岩からの遊歩道は震災以降通行止め。
ダムの見学会に参加すれば下流からもダムを見ることができるようです。
平日なら予約なしでダム内部見学ができるのでぜひ平日に再訪したいと思います。
 
追記
七ヶ宿ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0304 七ヶ宿ダム(0555)
宮城県刈田郡七ヶ宿町
阿武隈川水系白石川
FNAW
90メートル
565メートル
109000千㎥/99500千㎥
国交省東北地方整備局
1991年
◎治水協定が締結されたダム

嘉太神ダム

2016-09-12 13:26:15 | 宮城県
2016年9月10日 嘉太神ダム
 
嘉太神ダムは宮城県黒川郡大和町の鳴瀬川水系吉田川にある灌漑・防災目的のアースダムです。
ダム便覧によれば1937年(昭和12年)に大和町によって築造され、戦後の溜池改修事業で嘉太神ダムとなったようで、吉田川流域溜池大和町外2市4ヶ町村管理組合が管理を行っています。
 
嘉太神ダムへは4月に一度アプローチしましたがこのときはダムへの道が通行止めのため引き返してしまいました。
帰宅後ダムへは三つのルートがあり一番上流からのルートでダムに到達可能なことがわかり今回の再訪となりました。
大和町中心街から県道147号升沢吉岡線を西進、沢渡集落の先で左に分かれる道を二本やり過ごし、三本目の道を左折すると嘉太神ダムが見えてきます。
上流から遠望。
 
荒れ気味の道をさらに進むとダム左岸の洪水吐に飛び出します。
大きくカーブを描く洪水吐と堤体手前のダム湖の離れ小島が特徴です。
まだ夏の景色ですが、紅葉すると素晴らしい眺めになりそう。
 
広角レンズで。
 
どのアングルから撮っても絵になる洪水吐。
 
ダム湖の奥には泉ヶ岳から船形連峰が広がります。
 
 
堤体へは吊り橋が架かっています。
 
残念ながら立ち入り禁止。
 
下流面。
 
追記
嘉太神ダムには農地防災容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0288 嘉太神ダム (0554)
ため池コード
宮城県黒川郡大和町吉田
鳴瀬川水系吉田川
FA
27メートル
101メートル
854千㎥/719千㎥
吉田川流域溜池大和町外2市4ヶ町村組合
1937年
◎治水協定が締結されたダム

二ツ石ダム

2016-09-12 13:13:53 | 宮城県
2016年9月10日 二ツ石ダム
 
二ツ石ダムは宮城県加美郡加美町の鳴瀬川水系田川の支流二ツ石川にある農業用水供給を目的としたロックフィルダムです。
鳴瀬川や江合川下流域は大崎耕土と呼ばれる県内屈指の穀倉地帯ですが安定した灌漑用水源が乏しく、水路の堰上げによる反復利用や番水等により用水を確保していました。
そこで農水省の基幹かんがい排水事業により2009年(平成21年)に竣工したのが二ツ石ダムで、完成後は宮城県が管理を行っています。
 
二ツ石ダムへは4月に一度アプローチしましたがこのときはダムへの道が冬期通行止めのため到達することができませんでした。
加美町から県道262号最上小野田線を西進して、旭小学校で二ツ石ダムの標識に従って左折すると二ツ石ダムに到着します。
右岸展望台から、足元にロックフィルダムがジオラマのように広がります。
ダム湖は山美湖。
 
洪水吐をズームアップ。
 
竣工記念碑。
 
右岸の洪水吐、越流しています。
 
 
 
上流面。
 
左岸の取水設備。
 
管理事務所。
 
追記
二ツ石ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3065 二ツ石ダム(0553)
宮城県加美郡加美町宮崎
鳴瀬川水系二ツ石川
70.5メートル
439メートル
10600千㎥/9700千㎥
宮城県土木部
2009年
◎治水協定が締結されたダム

岩堂沢ダム

2016-09-12 10:13:42 | 宮城県
2016年9月10日 岩堂沢ダム
 
岩堂沢ダムは宮城県大崎市の北上川水系江合川の右支流岩堂沢にある農業用水供給を目的とした重力式コンクリートダムです。
江合川下流域は大崎耕土と呼ばれる県内屈指の穀倉地帯ですが、灌漑用水の水源に乏しく安定した水源の確保が長年の課題となっていました。
そこで農水省の基幹かんがい排水事業により2009年(平成21年)に竣工したのが岩堂沢ダムで、完成後は宮城県が管理を行っています。
 
岩堂沢ダムへは4月に一度アプローチしましたがこのときはダムへの道が冬期通行止めのため到達することができませんでした。
古川インターから県道47号を西進、中山平温泉駅の先で岩堂沢ダムを示す標識に従って左折し、二ツ森トンネルを抜けるとダムサイトに到着します。
 
減勢工と利水放流設備。スノーシェルターのついた管理通路が特徴です。
 
下流面。
 
天端は立ち入り禁止。
 
竣工記念碑。
 
上流面。手前は取水設備。
よく見えませんがクレストは自由越流式のようです。
 
ダム湖(蛍泉湖)。
 
右岸のインクライン。
 
右岸上流から。
 
 
 
追記
岩堂沢ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2970 岩堂沢ダム(0551)
宮城県大崎市鳴子温泉
北上川水系岩堂沢
68メートル
200メートル
13480千㎥/13000千㎥
宮城県土木部
2009年
◎治水協定が締結されたダム

村田ダム

2016-04-12 08:00:00 | 宮城県
2016年4月9日 村田ダム
 
村田ダムは宮城県柴田郡村田町の阿武隈川水系荒川にある灌漑用アースダムで1979年(昭和54年)に宮城県の事業により建設され、村田町が管理を行っています。
1966年(昭和41年)に阿武隈川水系松川上流の蔵王山中で温泉が湧出し、松川の水質が農業に適さない強酸性となってしまいました。これに対処し、代替水源として宮城県が建設したのが村田ダムです。
水質改善を目的とする灌漑ダムとしては、同じ蔵王の強酸性の水質を真水化する目的の山形県の生居川ダムやかん水対策として建設された千葉県の荒木根ダムや平沢ダムなど数例しかなく珍しい目的のダムの一つといえます。
 
村田町中心街から県道14号を北上し、ダムへの標識に従って町道を西に進むと村田ダムが見えてきます。
堤体に『村田』と書かれています。
 
天端も含めてダムへは立入禁止。
 
上流面はロックフィル。
 
洪水吐。
 
左岸から。
 
少しアングルを変えて。
 
右岸にある取水設備
日本で初めて傾斜式シリンダーゲートを採用した設備らしい。
 
追記
村田ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに13万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0300 村田ダム(0304)
宮城県柴田郡村田町足立
阿武隈水系荒川
36.7メートル
182メートル
1660千㎥/1507千㎥
村田町
1979年
◎治水協定が締結されたダム

樽水ダム

2016-04-12 07:00:00 | 宮城県
2016年4月9日 樽水ダム
 
樽水ダムは洪水被害を繰り返していた増田川の治水と、仙台に隣接し発展著しい名取市の上水道供給のために宮城県が建設した治水・利水目的のロックフィルダムです。
名取市街から県道118号を西に走ると正面に樽水ダムが見えてきます。
 
まずは下流からアプローチしますが私有地のため遠望するのみ。
 
右岸にある洪水吐は常用洪水吐のローラーゲートと、非常用の自由越流式の一体型。
 
天端や堤体は立入禁止。
 
洪水吐導流部
ダムのすぐ下に1軒の民家と産廃処理施設があります。
 
交換されたホロージェットバルブ。
 
左岸は小さな公園になっておりなぜかテニスコートが??
公園の桜は満開でシートを敷いて花見を楽しんでいる人も。
一方で立入禁止エリアで釣りをするアホが数名・・・
 
対岸の洪水吐と管理事務所。
 
追記
樽水ダムには200万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに220万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0298 樽水ダム(0303)
宮城県名取市高館川上
名取川水系増田川
FW
43メートル
256.5メートル
4700千㎥/4200千㎥
宮城県土木部
1976年
◎治水協定が締結されたダム