ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

芹川ダム

2022-12-30 22:17:34 | 大分県
2022年11月18日 芹川ダム

芹川ダムは左岸が大分県竹田市直入町下田北、右岸が大分市今市の一級河川大分川水系芹川にある大分県土木建築部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)に大分県としては2例目となる河川総合開発事業により着工され、1956年(昭和31年)に竣工しました。
芹川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、芹川及び下流の大分川の洪水調節、芹川下流域および旧挾間町約2500ヘクタールへの灌漑用水の供給、大分県企業局芹川第1~第3発電所での計2万3800キロワットの水力発電を目的としています。 

県道30号庄内久住線から芹川ダムの表示に従い南に折れると、ダムの左岸に到着します。
苔が生えた堤体は竣工から60年以上の時間経過を醸し出します。


上流面
手前は水位計。


ゲートピアのコンクリートは白く、近年改修があったようです。


左岸の繋留設備。


左岸高台にプラント遺構が残り展望台になっています
右下の扉は監査廊入り口。


展望台から俯瞰
右手は管理事務所
貯水池は総貯水容量2750万立米と補助多目的ダムとしては結構なサイズ。


左岸の発電用取水口
芹川ダムには灌漑容量、発電容量がそれぞれ配分されていますが、灌漑期には発電所経由で灌漑用水の供給が行われます。


ダムサイトからダム下に下りる山道があります。
入り口にチェーンが掛かっていますが『立入注意』の警告のみ。
管理事務所で確認すると、立ち入ってほしくはないが立ち入り禁止ではないとのこと。
と言うことでダム下へ、正直足元は悪いです。
堤高52.2メートルを見上げます
放流設備はクレストローラーゲート3門のみ。


天端から減勢工を見下ろします。


取水された水の一部を維持放流として戻しています。
ダム一帯は阿蘇火砕流による凝灰岩で形成され、滝の手前には柱状節理が。


右岸から下流面。


天端は車両通行可能
左手が管理事務所。

芹川ダムだけでは大分川の洪水調節は不十分でしたが、2020年(令和2年)のななせダム 完成により大分川府内大橋地点では最大毎秒700立米の洪水調節が可能となり、大分川の治水能力は大きく向上しました。

(追記)
芹川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2752 芹川ダム(1932)
左岸 大分県竹田市直入町下田北
右岸 大分県大分市今市
大分川水系芹川
FAP
52.2メートル
193メートル
27500千㎥/22300千㎥
大分県土木建築部
1956年
◎治水協定が締結されたダム

長湯ダム

2022-12-29 17:29:35 | 大分県
2022年11月18日 長湯ダム
 
長湯ダムは大分県竹田市直入町長湯の一級河川大分川水系社家川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1946年(昭和21年)に水利に乏しい旧野津原町一帯の灌漑施設整備を目的として農林省(現農水省)の補助を受けた県営芹川用水改良事業が着手され、その灌漑用水源として1953年(昭和28年)に竣工したのが長湯ダムです。
当初は世利川(せりかわ)ダムとして着手されますが、下流に県営芹川ダムが着工され混同を避けるために長湯ダムに変更されました。
運用開始後は世利川井路土地改良区が管理を受託し、旧野津原地域の水田約480ヘクタールに灌漑用水を供給しています。
ダムはバスやワカサギなどの釣りスポットとして人気を集める一方、2016年(平成28年)には日本初のケーブルウエイクボードが楽しめる『Stone Wake Park』が開設され愛好家の人気スポットになっています。
(同施設は2022年7月豪雨で被災し閉業) 
 
右岸ダムサイトに駐車スペースがあります
温泉街に近いこともありダム湖を周回する遊歩道が整備され、洪水吐には吊橋が架かっています。


右岸上流から横越流式洪水吐越しに
2022年(令和4年)7月の豪雨、さらに9月の台風14号で大量の土砂や流木が流入し水は濁ったまま
人気のケーブルウエイクボード施設も甚大な被害を受け閉業となりました。


吊橋から見た洪水吐導流部。


吊橋から見た横越流式洪水吐とダム湖
いまだに大量の流木が残っています。


総貯水容量55万5000立米の長湯湖
天気が良ければダム湖越しに九重連山が一望できるのですが、あいにく雲の中。


これが下流面
もう長い間、草刈りは行われていないようで背の高い笹や草が繁茂。


たぶんこれが放流バルブ。


天端には湖畔をめぐる遊歩道が整備されていますが、上下流面ともに笹や草が伸び放題。


堤体上流側にある取水設備
ここで取水された水は世利川井路第1幹線で旧野津原町南部の水田に送られます。
また、第1幹線から分水された水が芹川第三発電所で使用されたのち芹川ダムを経て芹川逆調整池ダムから世利川井路第2幹線経由で旧野津原町北部の水田に送られます。


斜樋建屋にある芹川用水改良事業の銘板。


左岸から上流面。

長湯温泉に近く、釣りやウエイクボードの人気スポットになっていましたが、上記のように2022年7月豪雨で被災し閉鎖となりました。
堤体の草刈りなども十分ではなく、観光資源としても活用できる素材であるだけに荒れたダムを見るのは忍びないです。

(追記)
長湯ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

2750 長湯ダム(1931)
大分県竹田市直入町長湯
大分川水系社家川
 
 
15メートル 
112.4メートル 
555千㎥/555千㎥
世利川井路土地改良区
1953年
◎治水協定が締結されたダム

俵谷溜池

2022-12-28 17:48:56 | 大分県
2022年11月18日 俵谷溜池
 
俵谷溜池は大分県竹田市久住町白丹の大野川水系神馬川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧ではダム事業者直営事業により1926年(大正15年)に竣工と記されており、これ以上の詳細は不明。
管理は受益者で組織される谷川水路組合が行っています。
なお、ダム便覧とため池データベースでは諸元が大きく異なり
堤高は便覧20メートルに対しデータベース5.6メートル。
堤頂長は45メートルに対し90メートル
貯水容量は4万立米に対し1万1000立米となっています。

俵谷溜池への目印になるのは「オーベルジュコヤマ」です。
大規模農道奥豊後グリーンロードを北上しオーベルジュコヤマの入り口すぐ先の立体交差を西に折れると池に到着します。
道路はそのまま天端を横断しますが下流側が植林されているため、どこからどこまでが堤体なのか?判然としません。
便覧とデータベースの堤頂長の違いはどこを堤体とするのか?の解釈の違いによるものと思われます。

さらに引いた位置から
手前の建屋は斜樋機械室。


斜樋機械室
トタン張りの簡素なものです。


斜樋はシャフトが2本
建屋ともども近年改修があったようです。


左岸の越流式洪水吐。


左岸から見た斜樋。


貯水池
貯水容量はため池データベースの1万1000立米が妥当か?


左岸から見た天端
左手が下流面になりますが、植林されているため下流側が全く見えません。


左岸から上流面。
右手の杉林の向こう側にオーベルジュコヤマがあります。


洪水吐導流部
草に覆われよくわからない写真に。


便覧とため池データベースの数字の一番の相違は堤高。
堤体直下を奥豊後グリーンロードが横切っていますが、データベースの堤高5.6メートルはこの道路からの高さかと思われます。
しかし実際には池は神馬川右支流の谷底から築堤されており、谷底からの高さはダム便覧の20メートルが妥当かと思います。
グリーンロードから谷底に下りる踏み跡があり、たぶんここを下れば底樋管なども確認できたんだと思いますが、草が深く断念。
今振り返れば頑張って下りればよかったと後悔。

2741 俵谷溜池(1930)
ため池コード
大分県竹田市久住町白丹
大野川水系神馬川右支流
20メートル(ため池データベース 5.6メートル)
45メートル(ため池データベース 90メートル)
40千㎥(ため池データベース 11千㎥)/40千㎥
谷川水路組合
1926年

音無井路十二号分水(音無井路円形分水)

2022-12-27 17:41:35 | 円筒分水工
2022年11月17日 音無井路十二号分水(音無井路円形分水)

音無井路十二号分水は大分県竹田市九重野にある円筒分水工です。
井路(いろ)とは豊後地方では灌漑用水路を指します。
音無井路は大野川上流大谷川を水源として、現在の竹田市九重野から次倉に至る瀬の口川流域の灌漑用水路として1892年(明治25年)に通水しました。
しかし、1924年(大正13年)に音無井路取水口至近に荻柏原井路の取水口が設けられたことで、取水量が激減し井路間同士の対立に加え農家間の水争いが激化します。
そこで、視覚的に分水量の公平感が視認しやすい円筒分水工が採用され1934年(昭和9年)に音無井路十二号分水が完成しました。
1940年(昭和15年)に荻柏原耕地整理組合が大谷川上流に大谷ダムを建設したことで、音無井路の取水量も安定しますが分水工はそのまま活用され現在に至っています。
なお音無井路十二号とは音無井路暗渠区間約2キロ中に12か所のズリ出しの窓があることからこの名がつきました。
音無井路十二号分水は戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選ばれ、管理は耕地整理組合を引き継いだ音無井路土地改良区が行っています。

音無井路十二号分水の説明板。
井路は明治期に通水しましたが、事業自体の起源は江戸前期元禄期まで遡ります。


こちらは白水ダムのトイレに張られた説明書
大野川上流域では複数の井路の取水口が集中し、これに依る取水量の減少が水争いを引き起こしました。


毎秒0.7立米の水が20の小窓から溢流し、3線の用水路に分水されます。






こちらが音無井路暗渠の出口
大谷川の頭首工から約2キロの暗渠でここまで導水されます。


音無井路十二号分水(音無井路円形分水)
大分県竹田市九重野
大野川水系大谷川
全周溢流式
円筒分水工
分配数3
音無井路土地改良区
1934年

溜池2号ダム(第2号溜池)

2022-12-26 20:00:26 | 大分県
2022年11月17日 溜池2号ダム(第2号溜池)
 
溜池2号ダムは左岸が大分県竹田市荻町高練木、右岸が同市荻町柏原の大野川水系橘木川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1930年(昭和5年)にダム事業者直営により竣工と記されており、土地改良区の前身である荻柏原耕地整理組合の事業で建設されたようです。
1924年(大正13年)に大野川上流大谷川を水源とする荻柏原井路が完成し、さらに1926年(大正15年)に当ダム上流約1キロに溜池1号ダムが建設されました。
当ダムは溜池1号ダムともども井路を補完する目的で建設されたと思われます。
現在は井路の水源となる大谷ダムおよび溜池1号ダムと同じく荻柏原土地改良区が管理し、井路からの補給を受けつつ下流域に灌漑用水を供給しています。
なお土地改良区の資料やため池データベースでは『第2号溜池』と記載されていますが、ここではダム便覧に倣って溜池2号ダムと記すことにします。

1号ダム と同じく下流面は草ぼうぼう。


天端を道路が走っており、堤頂長はダム便覧が52.7メートル、ため池データベースが60メートル。


貯水容量はダム便覧が44万立米、ため池データベースは10万8000立米
これはどう見ても便覧の数字がおかしい。


左岸の斜樋
コンクリートやブロックが新しく近年刷新されたようです。

左岸から
止まっているのは私と友人の車。


上流面は草が刈られています。


左岸から見た貯水池。
どう見ても40万立米なんてありません。


切れ込みが入っただけの洪水吐。


斜樋の建屋。
石積みの土台は竣工当時のものか?

左岸の洪水吐導流部に並行する形で斜樋からの水路が設置されており、ちょっと変わった造りだったのですが、枝木が茂り写真に撮ることはできませんでした。

2742 溜池2号ダム(1929)
ため池コード
左岸 大分県竹田市荻町高練木
右岸     同市荻町柏原
大野川水系橘木川
16.5メートル
52.7メートル(ため池データベース 60メートル)
440千㎥(ため池データベース 108千㎥)/440千㎥
荻柏原土地改良区
1930年

溜池1号ダム(第1号溜池)

2022-12-26 17:38:54 | 大分県
2022年11月17日 溜池1号ダム(第1号溜池)
 
溜池1号ダムは左岸が大分県竹田市叶野、右岸が同市仏面の大野川水系橘木川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1926年(大正15年)にダム事業者直営により竣工と記されており、土地改良区の前身である荻柏原耕地整理組合の事業で建設されたようです。
1924年(大正13年)に大野川上流大谷川を水源とする荻柏原井路が完成しており、井路を補完する目的で建設されたと思われます。
1930年(昭和5年)には下流に溜池2号ダムも完成、現在は両ダムともに大谷ダムと同じく荻柏原土地改良区が管理し、井路からの補給を受けつつ下流域に灌漑用水を供給しています。
なお土地改良区の資料やため池データベースでは『第1号溜池』と記載されていますが、ここではダム便覧に倣って溜池1号ダムと記すことにします。

左岸から下流面
冬か春に草を刈るんでしょうか?


天端を車道が通りますが、道路両側も草が伸び放題。
堤頂長はダム便覧が69メートル、ため池データベースは104メートル
見た目は100メートルありそう。


上流面。


左岸の斜樋機械室
周りは草ぼうぼう、ドアも半開きです。


ダム下の様子
田んぼの右手を橘木川が流れてており、放流した水はこの川を流下します。
1号ダムの受益地はこの谷沿いの水田のようです。


貯水池
ダム便覧では貯水量は52万7000立米になっていますが、どう見てもそんなスケールはありません。
こちらもため池データベースの14万3000立米が正しいようです。


天端から斜樋を見ますが…
草が伸びシャフトは見えません。


右岸から上流面。


右岸の横越流式洪水吐
洪水吐の中も草が伸びており、あまり越流することはないのかも?


洪水吐導流部
木に隠れて上手く撮れません。


写真左上に底樋管があります。
右手は洪水吐導流部で、越流した水は底樋管からの用水路と合流します。


池の下流の水田も耕作されており、いまだ貴重な溜池なのは間違いなさそうですが・・・
繁茂した草木や荒れた斜樋を見るともうちょっと手入れしてよ!
と言いたくなります。

2740 溜池1号ダム(1928)
ため池コード
左岸 大分県竹田市荻町叶野
右岸     同市荻町仏面
大野川水系橘木川
20メートル
69メートル(ため池データベース 104メートル)
527千㎥(ため池データベース 143千㎥)/527千㎥
荻柏原土地改良区
1926年

大谷ダム見学

2022-12-25 17:27:28 | ダム見学会
2022年11月17日 大谷ダム見学
 
熊本県阿蘇郡高森町の大野川水系大谷川にある大谷ダムは、全国でも希少な表面コンクリート張粗石コンクリート造ダムで、近代土木遺産にも選ばれています。
しかしダムは関係者以外立ち入り禁止となっておりその姿を見ることはできないとされていました。
今回、管理する大分県竹田市の荻柏原土地改良区にダムの見学をお願いしたところ、職員様同行での見学許可がいただけました。
貴重な機会ですのでここではその詳細を記載したいと思います。

大分県竹田市荻町馬場の土地改良区事務所から約15キロ、車で30分弱で大谷ダム入口に到着。
ダムに通じる管理道路には厳重なフェンスが設置され、関係者以外の立ち入りを拒んでいます。


フェンスには『神の領域』という表現。
山向こうは天孫降臨伝説のある高千穂、てっきり神話が由来かと思ったら先代理事長発案の文章とか。
先人たちの苦難と努力に対するこれ以上ない敬意の表れとも取れます。


職員さんが門扉を開けて先導します。


先ずはダム下へ。
副ダムから湾曲したコンクリートが伸びますが、この下に取水塔からの水路が埋設されています。

その水路がこちらで1924年(大正13年)に開通した荻柏原井路の起点です。
大谷川下流にある第二幹線頭首工と併せて約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。


こちらは副ダム。

全面越流式のエプロン。
土砂吐ゲートは今は河川維持放流用。


正面から
左岸(向かって右手)にはスロープがつく左右非対称。


スロープはこんな感じ。
左岸法面を保護するために設けられました。


さらにズームアップ。


今度はコンクリートブロック張をズームアップ
コンクリート張のダムは明治期に長崎市で建設された本河内低部ダム西山ダムがありますが、両者はともに間知石サイズのブロック張り。
対してこちらは幅1メートルを超えるブロックが間断なく積まれています。
事前にイメージしたサイズよりもはるかに大きくびっくり。


副ダムから下流を見ると
溶結凝灰岩の岩盤が露出しており、細い導流堤が作られていましたが…
9月の台風14号では豪雨により副ダムを飲み込むような越流があり、導流堤の一部が破壊されたそうです。


堤体と副ダム。


堤体と減勢工
超広角で撮ったので傾斜は緩やかに見えますが…。


実際はこんな感じ。


一部ブロックの継ぎ目には止水処理が施されていますが、基本竣工当時のまま。


右岸の取水塔。


もう一点驚いたのが堤頂部の幅。
優に3メートルはあるでしょうか?
全面越流式ダムの堤頂部がこれほど厚いダムは初めて見ました。


左岸側の側水路
左岸法面保護のため作られました。
越流した水は上記スロープを流下します。


堤頂部と言うかこれが天端になるんでしょう。
非越流時は問題なく歩けます。


天端から下流を見下ろすと
ここから見ても荒れているのがわかります。


取水口
戦前戦中のダムでは堤体にビルトインされた半円形の取水塔が多いのですが、ここは堤体から完全に分離した円形取水塔。


総貯水容量202万1000立米、有効貯水容量150万立米と戦前の農業用ダムとしては屈指のスケール。
しかもそれが人馬も通わぬ秘境に作られたのですから驚きです。
ダムの完成により河川流量の変動に関わりなく安定した取水が可能となり、取水口が近接して水争いが絶えなかった他水路との紛争も緩和されました。


右岸の取水塔
建屋は戦後刷新されたようですが、石積の土台は竣工当時のまま。





堤頂部も隙間なくコンクリートブロックが敷き詰められています。



今回はダムを管理する荻柏原土地改良区様のご厚意によりダムの見学が叶いました。
同土地改良区はわずか職員4名で運営されており所々多忙の中、偶々翌週に定例となっている地元小学校の社会見学会の実施直前というタイミングの良さもあり、職員様同行での見学が叶いました。
対応していただいた荻柏原土地改良区様には厚く御礼申し上げます。

大谷ダム

2022-12-24 18:00:28 | 熊本県
2022年11月17日 大谷ダム
 
大谷ダムは左岸が熊本県阿蘇郡高森町尾下、右岸が同町津留の一級河川大野川水系大谷川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
大分県竹田市荻町一帯は阿蘇火砕流による火山噴出物が厚く堆積し、透水性が高い一方浸食により谷は深く、揚水技術のない時代丘陵上に広がる平坦地の開墾は困難を極めました。
江戸初期、当地を治めた岡藩は岡山藩で治水・利水に大きな功績を上げた熊沢蕃山を招聘し開墾を試みるも失敗、明治初期まで荻町の大半は地目が『荒地』のままでした。
明治後半より近代土木技術の活用により開墾地よりも標高の高い上流に水源を求め、豊後地方で井路(いろ)と呼ばれる灌漑用水路を引くことで、各所で大規模な開墾が試みられます。
荻町でも県境を越えた熊本県高森町の大野川上流大谷川に水利権を獲得し1924年(大正13年)に荻柏原井路が通水し本格的な新田開発が進められました。
一方で、従来より大谷川を水源としていた音無井路の取水量が激減したことで同井路との水争いが激化、さらに少雨による渇水も多く安定した水源確保が求められます。
そこで荻柏原耕地整理組合は大谷川へのダム建設を決断、1934年(昭和9年)に着工し1940年(昭和15年)に竣工したのが大谷ダムです。
ダム建設地は当時人馬も通わぬ秘境であり、土堰堤に必要な粘土質の土や石積み堰堤に必要な石材が入手困難だったこともあり、現地での成型が容易なコンクリートを使用し全国でも希少なコンクリートブロック張粗石コンクリート造りが採用されました。
当時コンクリートは高価な貴重品でしたが、地主などの資産家が私財をなげうち事業に協力したそうです。
現在は耕地整理組合を引き継いだ荻柏原土地改良区が管理し、約600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。

大谷ダムはダムに通じる管理道路入り口に厳重な門扉が設置され、関係者以外の立ち入りは制限されています。
今回は荻柏原土地改良区様のご厚意により職員様同行での見学機会を得ました。
見学の詳細については別項の大谷ダム見学 をご覧ください。

先ずはダム下から
堤高25.1メートル、堤頂長98.6メートルで、よくぞ昭和初期にこんな秘境にこのようなダムを造ったものだというのが正直な感想。
副ダムからカーブを描くコンクリートの下に取水塔からの水路が埋設されています。


ここが灌漑用水路である荻柏原井路のスタート地点となります。


コンクリートブロック張の堤体
コンクリートブロック張は明治期に建設された長崎市の本河内低部ダムおよび西山ダムで採用されているのみ。
ただ長崎では間知石サイズのブロックが使われているのに対し、当ダムのブロックは格段に大きいのが特徴。


堤体は左右非対称で、左岸側は法面保護のためスロープ状の導流面が設けられています。
ダム下の穴は排砂口で、現在は河川維持放流口となっています。


減勢工の下には結構大きめの副ダム。

下流面
大きなコンクリートブロックが寸分の隙間なく積まれているのがわかります。


全面越流式の堤頂部
堤頂部は数メートル幅があり、非越流時は歩いて対岸に渡れます。


左岸側の側水路?
左岸を越流した水はここから上記スロープを流下します。
左岸法面を保護するためのものです。


天端から
9月の台風14号により被災し、ダム下は結構荒れています。
職員さんの話では越流した水が副ダムを飲み込むほどの水量だったようです。


右岸の取水塔
昭和10年代のダムでは堤体に接続した半円形の取水塔が多いのですが、当ダムでは完全な円形。
基部の石積は竣工当時のままですが、上部建屋は戦後刷新されたようです。


アングルを変えて
総貯水容量は200万立米を超え、有効貯水容量は150万立米。
昭和15年当時は農業用ダムとしては屈指のスケールでした。


右岸から見た堤頂部。
 
ダムは熊本県高森町にありますが、受益地は県境を越えた大分県竹田市となり管理も荻柏原土地改良区が行っています。
大野川上流域では1979年(昭和54年)より国営土地改良事業大野川上流地区が着手され、2022年(令和4年)に大蘇ダム が竣工しました。
事業の竣工により竹田市では新たに1600ヘクタールに及ぶ水田、畑地向け灌漑設備が整備され、荻柏原土地改良区はこの最大受益地となっています。
荻町は西日本屈指のトマトの生産地で高原トマトとして強いブランド力を誇っており、ダムの完成により当地区農業の一段の飛躍が期待されます。

(追記)
大谷は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2675 大谷ダム(2657)
左岸 熊本県阿蘇郡高森町尾下
右岸        同町津留
大野川水系大谷川
25.1メートル
98.6メートル
2021千㎥/1500千㎥
荻柏原土地改良区
1940年
◎治水協定が締結されたダム

白水ダム(白水溜池堰堤)(参考掲載)

2022-12-23 17:46:56 | 大分県
2022年11月18日 白水ダム(白水溜池堰堤)
 
白水ダム(白水溜池堰堤)は左岸が大分県竹田市鴫田、右岸が同市次倉の一級河川大野川にある灌漑目的の表面石張粗石コンクリート造重力式ダムです。
大分県竹田市から豊後大野市一帯は阿蘇火砕流による火山噴出物が厚く堆積し透水性が高い一方浸食により谷は深く、揚水技術のない時代丘陵上に広がる平坦地の開墾は困難を極めました。
明治後半より近代土木技術の活用により開墾地よりも標高の高い上流に水源を求め、豊後地方で井路(いろ)と呼ばれる灌漑用水路を引くことでようやく大規模な新田開発が可能となりました。
豊後大野市緒方町から竹田市の大野川南岸地域でも大野川を水源として1914年(大正3年)に富士緒井路が通水し本格的な新田開発が進められますが、その後上流に荻柏原井路の取水堰が建設されたことで取水量が大きく低減しました。
これを打開するために富士緒井路耕地整理組合は大野川への溜池堰堤の建設を決断、1934年(昭和9年)に着工し1938年(昭和13年)に竣工したのが白水ダムです。
現在は耕地整理組合を引き継いだ富士井路土地改良区が管理し、約280ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
白水ダムは全面越流式の石積堰堤ですが、堰堤下部が軟弱地盤であり越流時の洗堀を防ぐために左岸は円形の階段状、右岸は武者返しと呼ばれる局面流路となっています。
転波越流の美しさは特筆で、麦焼酎のCMで取り上げられて以降全国的な知名度が増し、愛知の長篠堰堤、秋田の藤倉ダムとともに日本三大美堰堤とされています。
また技術的、文化的価値を評価してAランクの近代土木遺産に選定されているとともに1999年(平成11年)には国の重要文化財に指定されました。
堤高14.1メートルと河川法上のダムの要件を満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載されています。
 
白水ダムを下流から見る場合は左岸の鴫田地区へ、上から見下ろす場合には右岸の次倉地区へのアプローチとなります。
今回は左岸の下流側からのみの見学となりました。
2026年(平成8年)までの予定で10月~6月までの非灌漑期は土砂排出作業が行われていますが、今年は作業が中止のため美しい越流を愛でることができました。


堰堤下部が軟弱地盤のため越流時の洗堀を防ぐために左岸は円形の階段状、右岸は武者返しと呼ばれる局面流路になっています。 




堰堤は貯水池の左岸寄りに作られているため、水の流れはダムの右岸側により強く当たります。(10枚目写真参照) 
加えて堰堤下部が軟弱地盤となっており、減勢のために武者返しと呼ばれる独特の局面流路となっています。 
さらに武者返しを流下した水を導流するための溝が掘られるとともに縦にも副ダムが設けられています。


武者返しの擁壁も石積み。
それでなくても美しい転波が、曲線に沿って流下する様は『究極の美』と言っても過言ではありません。


ダムの説明板。


駐車場のトイレ
実はこれグッドデザイン賞受賞。


トイレの壁に白水ダムの説明書きが貼られていますが、これが非常にわかりやすい。
大野川は周辺各土地改良区(戦前は水利組合)の取水口が集中しており、それによる水争いや取水量の減少を補うために白水ダムや大谷ダムが建設されました。




これを見ると右岸側に武者返しが作られた理由がよくわかります。


本来なら排砂工事のために越流は見れないはずですが、今年は諸事情で中止。
一方で時間の 係で右岸側の見学は割愛してしまいました。
美しい越流が売りの堰堤ではありますが、表面石張りをじっくり見るために非越流時にも訪問したいものです。
 
S502 白水ダム(参考掲載)(1926)
左岸 大分県竹田市鴫田
右岸     同市次倉
大野川水系大野川
14.1メートル
87.26メートル
富士緒井路土地改良区
1938年

玉来ダム

2022-12-22 18:18:23 | 大分県
2022年11月17日 玉来ダム
 
玉来ダムは左岸が大分県竹田市志土知、右岸が同市川床の一級河川大野川水系玉来川にある大分県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
竹田盆地は三方をくじゅう山系、阿蘇外輪山、祖母傾山系に囲まれ竹田市街を軸に大野川から稲場川と玉来川が分岐しています。
このため豪雨のたびに洪水を繰り返し、とりわけ1982年(昭和57年)7月および1990年(平成2年)7月の二度の豪雨災害では長期にわたる都市機能の喪失を伴う甚大な被害が発生しました。
これを受け1991年(平成3年)に大分県は『竹田水害緊急治水ダム建設事業』を採択、稲葉川および玉来川への治水ダムの建設に着手しました。
そして2010年(平成22年)の稲葉ダムに次いで、2022年(令和4年)に竣工したのが玉来ダムです。
玉来ダムは国交省の補助を受けた補助治水ダムで、洪水時にはダムで毎秒300立米をカットすることで、下流の基準地点で毎秒280立米の洪水調節を行い竹田市街を洪水から守ります。
ダム自体はすでに竣工し訪問時は試験湛水も終えていましたが、一般開放は2023年(令和5年)のダムの運用開始後となるためまだダムの姿を見ることはできません。
 
ダムの空撮写真(玉来ダム建設事務所HPより)。
玉来ダムは平時は流入量は常用洪水吐よりそのまま流下させる流水型治水ダムです。


今回は竹田市役所隣の建設事務所でダムカードとパンフレットをもらうだけ。



詳細な開放時期はまだ未定とのこと。
次の九州遠征は玉来ダムの運用が始まってからになりそう。

3141 玉来ダム
左岸 大分県竹田市志土知
右岸     同市川床
大野川水系玉来川
 
 
52メートル 
145メートル 
4090千㎥/4000千㎥ 
大分県土木建築部 
2022年 

大沢ダム

2022-12-21 17:36:42 | 岩手県
2022年10月26日 大沢ダム
 
大沢ダムは岩手県宮古市腹帯の閉伊川水系大沢川にある東北電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
東北電力腹帯発電所の調整池で、閉伊川で取水された水が約7キロの導水路でいったん当ダムに貯留され大沢川の水と併せて約1.7キロの導水路で腹帯発電所に送られ、最大1万1100キロワットの水路式発電を行います。
腹帯発電所は1937年(昭和12年)に東北振興電力(株)によって着工されたのち、建設途上で日本発送電(株)に接収され1939年(昭和14年)に稼働を開始しました。
一方大沢ダムは発電所稼働の4年後の1943年(昭和18年)に竣工し、これらの発電施設は1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により東北電力が事業継承しました。
ちなみに東北振興電力(株)は昭和初期の冷害や三陸地震、さらには昭和恐慌で疲弊した東北地方の産業振興目的で設立された国策会社  で岩手の外山ダム、秋田の神代ダム夏瀬ダムなどが同社によって事業着手されています。   
またダム便覧には流域面積はすべて直接流域と書かれていますが、これは間違いで集水の大半は閉伊川からの導水に依ります。   

国道106号線から大沢川沿いの隘路を南下すると大沢ダムに到着します。 
ダム下へと通じる管理用の山道をはじめ、天端を含めダムの敷地はすべて立ち入り禁止のため見学ポイントはほとんどありません。 
道路沿いのフェンスの隙間から。 


全面越流式でダムの中央に放流用のバルブがあります。  


水利使用標識。


この建屋の下に流入口と取水口があるようです。


手前に伸びるのは除塵機で捕捉した塵芥の運搬用コンベア
改修があるのか測量作業中でした。


とにかく見学ポイントが限られます。
またセットで閉伊川の取水堰や腹帯発電所も見るべきなんでしょうが、予約していた新幹線の時間の都合もありスルーしてしまいました。

0233 大沢ダム(1925)
岩手県宮古市腹帯
閉伊川水系大沢川
30.8メートル
67メートル
170千㎥/75千㎥
東北電力(株)
1943年

矢櫃ダム

2022-12-20 18:00:00 | 岩手県
2022年10月21日 矢櫃ダム
 
矢櫃ダムは岩手県岩手郡雫石町西安庭の北上川水系矢櫃川にある農地防災目的のロックフィルダムです。
雫石町南西部の御所地区(旧御所村)では地区を南北に貫流する鶯宿川、南畑川、外桝沢川、矢櫃川沿いに1000ヘクタールを超える農地が広がっていますが、4河川ともに蛇行を繰り返す急流河川となっており豪雨の際には洪水被害が頻発していました。
そこで岩手県は1950年(昭和25年)に農林省(現農水省)の補助を受けた御所防災ダム事業を採択、各河川上流部への4基の農地防災ダム建設が着手されました。
そして1957年(昭和32年)の鶯宿ダム、1961年(昭和36年)の外桝沢ダム、1968年(昭和43年)のレン滝ダムに次いで1981年(昭和56年)に完成したのが矢櫃ダムです。
当ダムの完成により事業着手から31年の年月をかけた御所防災ダム事業はようやく竣工に至りました。
4ダムは完成後は雫石町が管理を受託し、4河川流域約670ヘクタールの農地防災を担っています。

御所湖から矢櫃川沿いの県道を約8キロ南下すると矢櫃ダムに到着します。
他の御所防災ダムはいずれも重力式コンクリートダムなのに対し、ここは唯一ロックフィル。
右岸ダムサイトに広大な広場があり3ダムとは様相が異なります。
対岸には安山岩の断崖。


右岸の洪水吐越しに下流面を望む。
ロックフィルですが下流面は芝が張られています。
寒冷地でよく見られる凍上対策と思われます。


アングルを変えて
堤高33.5メートルで提体はさらに下方に続きますが、地山が邪魔で全貌は見えません。


洪水吐導流部
この先でさらに流下します。


他の3ダムとは異なり立派な竣工記念碑が設置されています。


洪水吐に架かる管理橋の先に天端が続きますが、残念ながらこの先は立ち入り禁止。


右岸の横越流式洪水吐
奥の建屋は艇庫。


上流から
洪水吐の先の取水塔は常用洪水吐となる放流設備。


上流面はもちろんロックフィル。


艇庫とインクライン
普段ダム湖に水を溜めない防災専用ダムですので、巡視艇が出るのは洪水調節後ダム湖に水が堪った時だけ。


総貯水容量92万7000立米のうち堆砂容量17万立米分だけ貯留されているはずですが、ここからは見えません。
取水塔の基部に孔あき方式の常用洪水吐があり平時は流入量はそのまま放流されます。


なお岩手県内には一関市に同名の砂防ダムがあり、ダム便覧でも誤った写真が投稿されています。
こちらは河川法のダムですが、一関の物件は砂防ダムとなりダム便覧への掲載もありません。

(追記)
矢櫃ダムには農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え 事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0254 矢櫃ダム(1924)
岩手県岩手郡雫石町西安庭 
北上川水系矢櫃川 
 
 
33.5メートル 
140メートル 
927千㎥/757千㎥ 
雫石町 
1981年
◎治水協定が締結されたダム

外桝沢ダム

2022-12-19 18:00:00 | 岩手県
2022年10月21日 外桝沢ダム
 
外桝沢ダムは岩手県岩手郡雫石町南畑の北上川水系外桝沢川にある農地防災目的の重力式コンクリートダムです。
雫石町南西部の御所地区(旧御所村)では地区を南北に貫流する鶯宿川、南畑川、外桝沢川、矢櫃川沿いに1000ヘクタールを超える農地が広がっていますが、4河川ともに蛇行を繰り返す急流河川となっており豪雨の際には洪水被害が頻発していました。
そこで岩手県は1950年(昭和25年)に農林省(現農水省)の補助を受けた御所防災ダム事業を採択、各河川上流部への4基の農地防災ダム建設が着手されました。
そして1957年(昭和32年)の鶯宿ダムに次いで1961年(昭和36年)に完成したのが外桝沢ダムです。さらに1968年(昭和43年)のレン滝ダム、1981年(昭和56年)の矢櫃ダム の完成により事業着手から31年の年月をかけた御所防災ダム事業はようやく竣工に至りました。
4ダムは完成後は雫石町が管理を受託し、4河川流域約670ヘクタールの農地防災を担っています。

雫石広域農道から外桝沢川沿いを約3キロ南下すると外桝沢ダムに到着、まずはダム下に下りてみます。
堤高22.5メートル、堤頂長169メートルの横長堤体でクレストに自由越流頂7門が並びます。


左岸寄りに上下2段のオリフィスがあり、導流部はジャンプ台になっています。
この下に常用洪水吐となる下段のオリフィスがあり、ジャンプ台はデフレクターの役割のようです。
同様の設備は青森県の夏坂ダムでも見られました。


右岸ダム下の監査廊入り口。


右岸沿いの階段
特に立ち入り規制はなくこれを使って下りました。


朱色の手すりに赤さびたダイダイゴケ、赤いダムです。


右岸ダムサイトから
鶯宿ダムやレン滝ダム同様、天端はゲート部分だけ高くなっています。


堤体にはタイル張りの銘板
傷んでいていて読みづらいですが
『外桝沢ダム 昭和36年12月完成 岩手県 施工株木建設株式会社』
と記されています。

天端は立ち入り禁止。
赤い手すりが鮮やか。


上流面
総貯水容量99万4000立米ですが、流水型防災ダムのため平時は流入量はそのまま放流され、貯水池は空っぽ。


左岸側端に上下2段のオリフィスがあり塵芥除けのゲージで覆われています。
この反対側に上記ジャンプ台があります。


右岸ダムサイトの建屋
手前が管理事務所、奥が艇庫
職員の常駐はありません。


艇庫から伸びるインクライン
普段ダム湖は空っぽなので、洪水でダム湖に貯水された際流木や塵芥除去のため使われるんでしょう。


(追記)
外桝沢ダムには農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0244 外桝沢ダム(1923)
岩手県岩手郡雫石町南畑 
北上川水系外桝沢川 
 
 
22.5メートル 
169メートル 
994千㎥/994千㎥ 
雫石町 
1961年
◎治水協定が締結されたダム

レン滝ダム

2022-12-17 19:00:00 | 岩手県
2022年10月21日 レン滝ダム
 
レン滝ダムは岩手県岩手郡雫石町南畑の北上川水系南畑川にある農地防災目的の重力式コンクリートダムです。
雫石町南西部の御所地区(旧御所村)では地区を南北に貫流する鶯宿川、南畑川、外桝沢川、矢櫃川沿いに1000ヘクタールを超える農地が広がっていますが、4河川ともに蛇行を繰り返す急流河川となっており豪雨の際には洪水被害が頻発していました。
そこで岩手県は1950年(昭和25年)に農林省(現農水省)の補助を受けた御所防災ダム事業を採択、各河川上流部への4基の農地防災ダム建設が着手されました。
そして1957年(昭和32年)の鶯宿ダム、1961年(昭和36年)の外桝沢ダムに次いで、1968年(昭和43年)に完成したのがレン滝ダムです。
さらに1981年(昭和56年)の矢櫃ダム の完成により事業着手から31年の年月をかけた御所防災ダム事業はようやく竣工に至りました。
4ダムは完成後は雫石町が管理を受託し、4河川流域約670ヘクタールの農地防災を担っています。

雫石町南畑で県道1号盛岡横手線から県道234号花巻雫石線に入りすぐ先の分岐を右手に入るとレン滝ダムに到着します。
堤高37.7メートル、堤頂長170メートルで、洪水吐は堤体左岸寄りにあります。


クレスト自由越流頂が2門
天端はゲート部分が高くなっています。


ダム直下まで接近
導流部向って右手(左岸側)にオリフィスの穴が開いています。
さらに堤体下部に流水式放流管があります。


堤体に埋め込まれた竣工記念の銘板。


上流面
対岸に艇庫とインクラインがあります。


対岸に林道が続くため天端は車両通行可能
ゲート部分が高くなっています。


天端から右岸を振り替えると
ダムサイトに管理事務所がありますが職員の常駐はありません。
ダム下にはバッチャープラント跡と思しき遺構。


減勢工。


流水型防災ダムのため平時は流入量はそのまま放流させダム湖は空っぽ
堆砂容量の配分はなく、総貯水容量186万9000立米=有効貯水容量となっています。


上流面
クレスト越流部が上流側にせり出しています。


上流面全景。


上がオリフィスゲート、下は放流管
平時は流入量は放流管からそのまま放流し、洪水時は放流量を越える部分をダムでカットします。
オリフィスはさらに上下2段の越流部に分かれゲート操作により越流高を操作できるようです。


(追記)
レン滝ダムには農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0250 レン滝ダム(1922)
岩手県岩手郡雫石町南畑 
北上川水系南畑川 
 
 
37.7メートル 
170メートル 
1869千㎥/1869千㎥ 
雫石町 
1968年
◎治水協定が締結されたダム

鶯宿ダム

2022-12-16 19:00:00 | 岩手県
2022年10月21日 鶯宿ダム
 
鶯宿ダムは岩手県岩手郡雫石町鶯宿の北上川水系鶯宿川にある農地防災・灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
雫石町南西部の御所地区(旧御所村)では地区を南北に貫流する鶯宿川、南畑川、外桝沢川、矢櫃川沿いに1000ヘクタールを超える農地が広がっていますが、4河川ともに蛇行を繰り返す急流河川となっており豪雨の際には洪水被害が頻発していました。
そこで岩手県は1950年(昭和25年)に農林省(現農水省)の補助を受けた御所防災ダム事業を採択、各河川上流部への4基の農地防災ダム建設が着手されました。
そして御所防災ダム最初のダムとして1957年(昭和32年)に建設されたのが鶯宿ダムです。
その後、1961年(昭和36年)に外桝沢ダム、1968年(昭和43年)にレン滝ダムが完成、 さらに1981年(昭和56年)の矢櫃ダム の完成により事業着手から31年の年月をかけた御所防災ダム事業はようやく竣工に至りました。
4ダムは完成後は雫石町が管理を受託し、4河川流域約670ヘクタールの農地防災を担っています。
また鶯宿ダムはには20万5000立米の灌漑容量が配分されており、流域農地の水源にもなっています。

鶯宿温泉街を抜け鶯宿川沿いをさらに遡上すると鶯宿ダムに到着します。
残念ながらダム下からの展望ポイントはなし。天端も立ち入り禁止で左岸からの見学に留まります。

天端は立ち禁ですが、訪問時は測量作業中。
精緻な作業のようで、中に入れてもらえないか?お願いできる雰囲気もなし。
むしろ邪魔にならないように静かに見学。


御所防災ダムの説明板。



上流面
クレスト自由越流頂4門を備え、昭和20~30年代のダムらしく天端はゲート部分だけ高くなっています  
対岸左手は艇庫とインクライン、右手は常用洪水吐を兼ねる取水設備。




ズームアップすると湖中にアーチ状のコンクリート構造物が見えます
正体は不明。


総貯水容量179万3000立米
うち堆砂容量6万立米と灌漑容量20万5000立米分が貯留されています。

(追記)
鶯宿ダムには農地防災容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0240 鶯宿ダム(1921)
岩手県岩手郡雫石町鶯宿 
北上川水系鶯宿川 
FA 
 
17.5メートル 
67メートル
1793千㎥/1733千㎥ 
雫石町 
1957年
◎治水協定が締結されたダム