ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

読書ダム

2024-08-05 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 読書ダム
2024年 5月26日
 
読書(よみかき)ダムは長野県木曽郡大桑村野尻の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)は急流かつ水量豊富な木曽川に着目し1920年代以降、次々と発電所を建設します。
読書発電所もその一つで1923年(大正12年)に運用が開始され、当初は最大4万700キロワットの水路式発電を行っていました。
木曽川流域の発電施設は電力国家管理政策による日本発送電(株)の接収を経て1951年(昭和26年)の電気事業再編成で関西電力が事業継承します。
同社は戦後の電力不足に対応するため各所で活発な電源開発を進めますが、とりわけ包蔵水力豊富な木曽川水系では既設発電施設の再開発や新規電源開発が積極的に展開されました。
その一環として1960年(昭和35年)に完成したのが読書ダムで、その完成により取水量が大幅アップした読書発電所では発電機が増設され発電能力は従来の2倍以上となる最大11万7100キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)には読書ダムの河川維持放流を利用した大桑野尻発電所(最大出力490キロワット)が運用を開始しますが、同発電所は同社として河川維持放流を利用した初の小水力発電所となります。
また読書発電所は大正期の発電所の形態をほぼ完全に残す貴重な建設物として1994年(平成6年)に稼働中の発電所としては初めて重要文化財の指定を受けたほか、Bランクの近代土木遺産に選定されています。

読書ダム構内は関係者以外立入り禁止ですが、左岸ダム下流側から堤体を眺めることができます。
堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、見えている洪水吐はダムの一端に過ぎません。

 
洪水吐は関電ブラックのラジアルゲート5門を装備、左岸側(向かって右手)1門の減勢工のみ導流壁で隔てられています。


扶壁、下流側の鋼板に目が行きます。
どういう役割なんでしょう? 


左岸から
堤体越しに延びる水管は後付けの河川維持放流設備
2011年(平成23年)には維持放流を利用した大桑野尻発電所が新設されました。

 
大桑野尻発電所をズームアップ
関西電力としては初の河川維持放流を活用した小水力発電所となります。


さらに引いた位置からダム全景を眺めます。
上記のように堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、洪水吐部分と段丘部の境界で堤体は『く』の字に折れています。

 
屈曲部をズームアップ
下流側に突き出るように折れておりいわゆる『カド』になります。
対岸には読書発電所への取水ゲートが2門あります。

 
大桑野尻発電所の竣工記念碑。

 
ダムの右岸に移動しますが、構内は立入り禁止のためフェンス越しの見学。
読書発電所への取水ゲートが2門。


上流面。


後付けの河川維持放流用取水工。


ダムの下流約8キロにある読書発電所。
こちらは1923年(大正12年)運用開始の1~3号機建屋で現役の発電所としては初めて重要文化財に指定されました。


円形の窓など当時ヨーロッパで流行していたアールデコが多用され、同様のデザインは桃山発電所や大井ダムでも踏襲されます。


重要文化財指定を受けた読書発電所の説明板。


1923年(大正12年)の読書発電所竣工記念碑
碑文には『流水有方能出世』(りゅうすいほうありよくよにいず)とあります。
これは『流水は方法によって電気にすることができ、世の中の文明を開くことができる』 との意(出典 関西電力ホームページ)。


(追記)
読書ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1012 読書ダム(0059)
長野県木曽郡大桑村野尻
木曽川水系木曽川
32.1メートル
293.8メートル
4358㎥/2677㎥
関西電力(株)
1960年
◎治水協定が締結されたダム

伊奈川ダム

2024-07-23 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 伊奈川ダム
2024年 5月25日
 
伊奈川ダムは長野県木曽郡大桑村長野の一級河川木曽川水系伊奈川上流部にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川左支流の伊奈川では大正期に大同電力(株)系列の木曽発電(株)が相之沢・田光・橋場発電所を稼働させていました。
3発電所は電力国家管理政策による日本発送電(株)の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編で関西電力が事業を継承します。
1970年代のオイルショックによる火力コストの上昇や、家電の普及に伴う電力需要増大を受け同社は既設発電所の増強や新規電源開発に着手し、包蔵水力に余力のあった伊奈川では新たに伊奈川発電所が新設されその取水ダムとして1977年(昭和52年)に竣工したのが伊奈川ダムです。
ここで取水された水は伊奈川発電所(最大出力4万700キロワット)および既設の相之沢発電所(最大出力6200キロワット)、田光発電所(最大出力2500キロワット)・橋場発電所(最大1900キロワット)に送水されます。
 伊奈川ダムには2015年(平成27年)11月に初訪しますが、ダム構内が立入り禁止のため左岸から見学するのみでした。
その後、伊奈川下流からダム直下まで遡上することが可能と分かり2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。

大桑村須原から伊那川沿いを約10キロ、車で30分ほど進むと車両進入禁止のゲートとなります。
このゲートの先のヘアピンの脇から伊奈川左岸に下りることができます。
洪水吐は関電ブラックのラジアルゲート2門、堤体は二つのゲートの間でわずかに屈曲しています。
河原には花崗岩の巨石が積み重なるように転がり、花崗岩に洗われた水がとにかく美しい。
 
左岸ゲートから放流中
減勢工はゲート両側に導流壁が設けられ、シュート部は洗堀防止のため分厚い叩きになっています。

 
ゲートをズームアップ
木曽川流域の関西電力の発電ダムの大半はずらっと並ぶゲートで川を閉め切るタイプ。
その中、昭和50年代に完成した伊奈川ダムは形状的にも異質のダムと言えます。

 
減勢工には副ダムはなく、分厚い叩きが設けられています。

 
道路に戻り左岸ダムサイトに上がります。
下流面、と言ってもほとんど見えません。

 
こちらは発電所への導水路吞口。
トンネルの先で伊奈川発電所と相之沢発電所に分水されます。


水利使用標識。

 
天端は立入り禁止
堤体中ほどで屈曲しています。
グレーチングの下には電気や通信ケーブルが入っています。

 
管理事務所と取水ゲート。

 
総貯水容量は80万3000立米ですが、堆砂が進み有効貯水容量は50万3000立米
とにかく水が美しく、まるで沖縄の海のよう。

 
ゲートをズームアップ。

 
実は伊奈川ダム上流にはもう一つ伊奈川第2発電所があります。
こちらはその放流口。


伊奈川ダムに至る途中で相之沢発電所への水圧鉄管を跨ぎます。
有効落差243.8メートルのほぼ中段
最大6200キロワットの発電を行います。

 
さらに下流の田光発電所
相之沢発電所の放流水を利用し最大2500キロワットの発電を行います。

 
(追記)
伊奈川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1040 伊奈川ダム(0060)
長野県木曽郡大桑村長野
木曽川水系伊奈川
43メートル
105メートル
803㎥/505㎥
関西電力(株)
1977年
◎治水協定が締結されたダム

木曽ダム

2024-07-21 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 木曽ダム
2024年 5月25日
 
木曽ダムは長野県木曽郡木曽町福島の一級河川木曽川水系王滝川にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前より5大電力の一つ大同電力(株)が電源開発を進め、のちにこれらを接収した日本発送電も木曽川支流王滝川最上流部に総貯水容量6000万立米超の三浦ダム を完成させるなど同流域での電源開発に邁進しました。 
1951年(昭和26年)の電気事業再編成により木曽川流域の発電事業の大半は関西電力が継承しますが、木曽川上流部の既設発電所の取水能力の低さがボトルネックとなり、せっかくの三浦ダムの6000万立方メートルの水を効果的に活用することができませんでした。
この解決手段として1968年(昭和43年)に建設されたのが木曽ダムで、併せて既存の寝覚・上松・桃山・須原各発電所をバイパスし木曽発電所に至る全長14.6キロの新導水路が建設されました。
木曽発電所では最大11万6000キロワットのダム水路式発電を行うほか、水資源機構の牧尾ダムを上部池、当ダムを下部池として三尾発電所で最大3万5500キロワットの混合揚水式発電を行います。(牧尾ダムを水源とする愛知用水向け放流は基本的に三尾発電所経由で行われます。)
さらに従来水路式発電を行っていた寝覚発電所以下4発電所への送水も当ダムを調整池とすることで安定した発電が可能となりました。
この結果、木曽川本流での河川利用率は大きく改善し三浦ダム の貯水容量を十分に生かし効率的発電が可能となりました。 

木曽ダムには2015年(平成27年)11月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
木曽川左岸を走る国道19号から木曽川にかかる管路橋(通称サイホン橋)に向かうと、木曽川越しに木曽ダムと正対できます。
場所はちょうど木曽川と支流の王滝川の合流地点で、木曽ダムは王滝川を閉め切って作られています。
(2024年5月25日)

 
クレストにはラジアルゲート3門を装備、もちろん関電ブラック。
右岸(向かって左)のゲートにフラッシュボードがついています。
減勢工左右両岸はコンクリートで固められ、護岸のため一段高いシュートが設けられています。
(2024年5月25日)


サイホン橋と木曽ダム
サイホン橋は寝覚発電所建設に併せて1938年(昭和13年)に竣工。
橋から約2キロ上流にある木曽川取水堰から導水しています。
(2024年5月25日)

 
橋の上部はプレートガーター、下部はプラットトラスの組み合わせ。 
写真ではわかりませんが木曽川両岸にタンクが設けられ、名前の通りサイフォンで木曽川を越えます。
(2015年11月22日)


水路管の上には鉄板が張られ、車両の通行も可能。
(2024年5月25日)


(2024年5月25日)

 
サイホン橋で王滝川右岸に向かうと、発電所への取水ゲートが現れます。
向かって右手は木曽川取水堰からサイホン橋経由の水、左手が木曽ダムからの水
取水ゲートの先で木曽発電所と寝覚発電所に分水されます。
(2024年5月25日)


(2024年5月25日)


ダムの右岸を町道が通りますが、フェンスや樹木が邪魔をしてダムをすっきりと見ることができません。
ピアにゲート巻き上げ機が並びます。
(2024年5月25日)

 
木曽ダムの取水工。
(2024年5月25日)


上流面。
(2024年5月25日)

 
こちらは左岸から
対岸に取水工がやスクリーンが見えます。
(2015年11月22日)

再訪時は左岸への道が工事で通れませんでした。
左岸からはダム下流の河原に下りるルートがあるので、再訪する機会があればそちらにも足を延ばしたいと思います。

(追記)
木曽ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1015 木曽ダム(0061) 
長野県木曽郡木曽町福島 
木曽川水系王滝川
35.2メートル
132.5メートル
4367㎥/1844㎥
関西電力(株)
1968年
◎治水協定が締結されたダム

常盤ダム

2024-07-20 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 常盤ダム
2016年 7月 3日
2024年 5月25日

常盤ダムは長野県木曽郡木曽町三岳の一級河川木曽川水系王滝川にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)により電源開発が進められ、支流の王滝川でも大同電力による電源開発が企図されていました。
しかし電力国家管理政策により同社の発電施設は日本発送電(株)に接収され、王滝川上流での発電事業も日本発送電が引き継ぐことになります。
常盤ダム及び発電所は1939年(昭和14年)に着工され、王滝川流域最初の発電施設として1942年(昭和17年)に竣工しました。
常盤ダムで取水された水は約2.7キロの導水路で常盤発電所に送られ、現在は最大1万5000キロワットのダム水路式発電を行っています。
1951年(昭和26年)の電気事業再編成により、常盤ダムを含む王滝川流域の発電施設は関西電力(株)が事業を継承し現在に至っています。

常盤ダム構内は立入りが制限され、ダム本体はダム湖上流に架かる大島橋から遠望するのみと思っていました。
ところが同じgooブログの『ダムの奏でる』にダム下流からの写真が掲載され、同ブログを執筆されているMさんにダム下流の河原に下りるルートを教えていただき、2024年(令和6年)5月に無事ダムを下流から愛でることができました。

県道256号から王滝川左岸にある木曽町三岳下殿地区処理場に向かい、ここから藪の中の踏み跡を辿ると難なく河原に到着します。
初めて目にする常盤ダムの姿に感激。

 
高さはありませんが、6門のブラックゲートで王滝川を閉め切るその姿はなかなかの存在感。
土砂流出で摩耗しているのか?導流部のコンクリートは意外に白くブラックゲートとのコントラストが際立ちます。


左右両岸は護岸のため一段高くなった叩きが設けられています。
右岸側からの小さな放流は後付けの河川維持放流設備によるもの。

 
左岸には塵芥放流ゲート。
河川法により現在はダムからの塵芥放流は禁止されており、このゲートを開けることはないと思われます。


ダムサイトに移動
分割式の予備ゲートも関電ブラック。

 
常盤発電所への取水ゲート。
こちらも関電ブラック。

 
アングルを変えて。

 
ダムサイトの慰霊碑。


上流の大島橋から
手前は古い橋の遺構。
(2016年7月3日)


ダムをズームアップ。
やはり土砂の流出が多いようで、ゲートが汚れています。
(2016年7月3日)


ダムの下流の常盤発電所。
最大1万5000キロワットのダム水路式発電を行います。


その姿を目にすることはできないと思っていた常盤ダムですが、Mさんのおかげで無事愛でることができました。
当ブログ同様『ダムの奏でる』もよろしくお願いします。

(追記)
常盤ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0992 常盤ダム(0062)
長野県木曽郡木曽町三岳
木曽川水系王滝川
24.1メートル
111.9メートル
1288千㎥/664千㎥
関西電力(株)
1941年
◎治水協定が締結されたダム

王滝川ダム

2024-07-19 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 王滝川ダム
2016年 7月 3日
2024年 4月25日 
 
王滝川ダムは長野県木曽郡王滝村の木曽川水系王滝川上流部にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)により電源開発が進められ、支流の王滝川でも大同電力による電源開発が企図されていました。
しかし電力国家管理政策により同社の発電施設は日本発送電(株)に接収され、王滝川上流での発電事業も日本発送電が引き継ぐことになります。
王滝川ダムは御岳発電所の取水ダムとして1942年(昭和17年)に着工され、終戦後の1948年(昭和23年)に竣工しました。
ダムの完成に先立つ1945年(昭和20年)に御岳発電所は部分運転を開始、ダム完成に合わせた1948年(昭和23年)に全面運転が開始されました。
その後、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により王滝川ダムや御岳発電所を含む木曽川本流域の発電施設の大半は関西電力が事業を継承しました。
現在は王滝川ダムで取水された水は約17キロの導水路で御岳発電所に送られ最大出力6万8600キロワットのダム水路式発電を行っています。
一方、王滝川ダムおよび御岳発電所の建設に際しては、過酷な労働環境の中で中国人労働者の暴動事件が起きるなど影の側面も併せ持っており、1983年(昭和58年)にその慰霊碑が建立されました。
 
王滝川ダムには2015年(平成27年)11月に初訪、翌年7月の『三浦ダム・王滝川ダム見学会』で再訪しました。
また2024年(令和6年)5月に御岳発電所を訪問(写真撮影のみ)しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

保安上の理由もあり王滝川ダム構内は完全立入禁止ですが、ダム直下の河原に下りるとダムと正対できます。
※現在はダム直下の河原への立入りは禁止されています。
(2015年11月22日)

 
右岸(向かって左)1門と左岸(向かって右)2門に敷高と大きさの異なるラジアルゲート3門装備。ゲートはもちろん『関電ブラック』
向かって左の放流は後付けの河川維持放流設備によるもの。
(2015年11月22日)

 
ここから先は2016年(平成28年)7月の見学会の写真です。
ダム左岸(向かって右端)には塵芥放流ゲートがありますが、河川法により現在はダムから塵芥の放流はできません。
(2016年7月3日)


水利使用標識。
(2016年7月3日)


左岸から
竣工当時そのままの導流部はコンクリートの痛みが顕著。
(2016年7月3日)

 
同じ王滝川にある三浦ダム牧尾ダムはピアが被覆されていますが、ここは剥き出し。
ただし巻き上げ機にはそれぞれカバーがついています。
上流側の歩廊は後付けのようです。
(2016年7月3日)

 
(2016年7月3日)

 
左岸の御岳発電所への取水工。
(2016年7月3日)


アングルを変えて
最大毎秒19.07立米を取水し、約17キロの導水路で御岳発電所に送水します。
(2016年7月3日)

 
ゲート直上の歩廊から見た関電ブラックゲート。
(2016年7月3日)

 
ピアは剥き出しですが、巻き上げ機はそれぞれカバーがついています。
左側は上記の取水工。
(2016年7月3日)

 
減勢部を見下ろす
戦時中施工のダムですのでまだ副ダムなどはなくゲート直下には叩きが設けられています。
すぐ下流は剥き出しの岩盤。
(2016年7月3日)

 
後付けの河川維持放流設備。
(2016年7月3日)

 
ダム湖は総貯水容量58万9000立米。 
直線距離でこの上流6キロに三浦ダムがあります。
(2016年7月3日)

 
2024年(令和6年)5月に王滝川ダムから水を送る御岳発電所を訪問しました。
1~3号機で計最大6万8600キロワットのダム水路式発電を行います。
この写真は1945年(昭和20年)運転開始の1・2号機建屋
山上に上部水槽があり有効落差は229メートル。
(2024年4月25日)


1・2号機建屋ズームアップ
戦争真っ只中の1942年(昭和17年)~1945年(昭和20年)に建設されました。
水圧鉄管はコンクリートで巻き立てられています。
(2024年4月25日)


こちらは1948年(昭和23年)運転開始の3号機。
(2024年4月25日)
 
(追記)
王滝川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。

0996 王滝川ダム(0064)
長野県木曽郡王滝村
木曽川水系王滝川
18.2メートル
80メートル
589千㎥/209千㎥
関西電力(株)
1948年
◎治水協定が締結されたダム

牧尾ダム(再)

2024-07-18 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 牧尾ダム(再)
2016年 7月 3日
2024年 5月25日
 
牧尾ダムは長野県木曽郡木曽町三岳の木曽川水系王滝川にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
水利に乏しい愛知県の尾張丘陵や知多半島では常習的な渇水に悩まされ安定した水源確保が長年の悲願となっていました。さらに中京工業地帯の発展に伴う都市用水の需要増加を受け、1955年(昭和30年)に愛知用水公団が設立され1957年(昭和32年)より愛知用水事業が着手されます。
そして愛知用水の水源として1961年(昭和36年)に竣工したのが牧尾ダムで、ダムから放流された水は岐阜県の関西電力兼山ダム湖畔で取水されたのち幹線水路112キロ、支線水路1000キロ超の愛知用水によって受益地各所に給水されます。
愛知用水公団は1968年(昭和43年)に水資源開発公団(現水資源機構)に改組され利根川や淀川水系など全国主要河川の総合開発事業に携わる一方、愛知用水の完成は中京地区が三大工業地帯へと発展する礎となりました。
牧尾ダムは水資源機構法による多目的ダムで、愛知用水を通じた中京地区への灌漑・上水道・工業用水の供給のほか、当ダムを上部池、木曽ダムを下部池とした関西電力三尾発電所(最大出力3万7000キロワット)での混合揚水式発電を目的としています。
その後の高度成長等による水需要増大を受け、新たな愛知用水水源として1990年(平成2年)に阿木川ダムが、1996年(平成8年)には味噌川ダムが完成、3ダム合わせて1億6700万立米の有効貯水容量を確保しています。
一方、1984年(昭和59年)の長野県西部地震による土砂流入など計画を上回るペースでの堆砂進行が看過できない状況となり、堆砂除去とダム湖掘削による貯水容量確保を目的とした『牧尾ダム再開発事業』が着手され2006年(平成18年)に竣工しました。
これによりダム便覧での表記は『牧尾ダム(再)』となっています。
 
愛知用水概要図(出典 水資源機構愛知用水総合管理所HP)

 
牧尾ダム(再)には2015年(平成27年)11月、2016年(平成28年)7月、2024年(令和6年)5月の3度にわたり訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。

木曽町三岳から王滝川沿いの県道256号を西進、六段橋から牧尾ダム(再)と正対できます。
地山を挟んで右岸(向かって左手)のロックフィル堤体と左岸(向かって右手)の洪水吐が離れているのが特徴。
ロックフィル堤体には九十九折れの管理道路が設けられています。
(2024年5月25日)

 
ダムの目的に洪水調節がないため、洪水吐はクレストラジアルゲート4門のみ。
ゲート右手はダム管理所。
(2024年5月25日)


雪対策として、ピアは被覆。
ここだけ切り取ると重力式コンクリートダムのよう。
(2016年7月3日)

 
ダムの右岸下流側に穴が二つあります。
ともに施工時の仮排水路を転用したもので、向かって左は非常用放流設備、右手は搬入トンネル。
(2016年7月3日)
 
県道を進み左岸ダムサイトへ。
こちらは管理所。
(2024年5月25日)


水利使用標識
愛知用水の水源として灌漑、上水、工水を供給。
特に灌漑用水については受益農地は1万5000ヘクタールに及びます。
(2024年5月25日)


左岸ダムサイトは園地になっており慰霊碑や各種記念碑、モニュメントなどが並びます。こちらは1961年(昭和36年)の竣工記念碑。
(2024年5月25日)

 
こちらは2006年(平成18年)の牧尾ダム再開発事業竣工記念碑。
石碑には『牧尾ダム堆砂対策完成記念』と記されています。
(2024年5月25日)

 
ダムの見学に戻ります。
ダム構内は車両進入禁止で徒歩での見学となります。
こちらは洪水吐、金属製のグレーチングは予備ゲート嵌め込み口。
(2016年7月3日)

雪対策としてゲート巻き上げ機は被覆されています。
(2024年5月25日)

 
ロックフィル堤体と洪水吐を隔てている地山のトンネル。
扁額には中山トンネル。
(2024年5月25日)

トンネルの中には巡視艇が格納。
(2024年5月25日)

御岳湖と命名されたダム湖は総貯水容量7500万立米
(2024年5月25日)


下流面には九十九折れの管理道路が続きます。(立入り禁止)
またリップラップが細かい階段状になっているのが特徴的。
ほぼ同時期に建設された岩手県の岩洞ダムもリップラップが階段状ですが、あちらは犬走を挟んだ3段の階段なのに対しこちらは細かい階段状。
(2024年5月25日)

 
右岸の県道わきにある入口。
扁額には『非常用ゲート』。
牧尾ダムでは三尾発電所を通じて利水放流が行われますが、改修や万一の故障等の場合は非常用ゲートから地下の水圧鉄管経由で上から4枚目の非常用放流設備による放流を行います。
(2024年5月25日)

非常用ローラーゲートと水圧鉄管のプTレート
ともに今はなき田原製作所製。
(2024年5月25日)

 
ロックフィル堤体上流面
写真左手の山向こうが洪水吐となります。
(2024年5月25日)


関西電力三尾発電所の取水工
当ダムを上部池、関西電力木曽ダムを下部池とし最大出力3万7000キロワットの混合揚水式発電を行います。
牧尾ダム(再)には発電容量はなく、愛知用水向け利水放流に準じた利水従属発電となります。
(2024年5月25日)

 
三尾発電所の水利使用標識。
(2024年5月25日)

 
最後に上流から洪水吐ゲートを遠望。
(2016年7月3日)

(追記)
牧尾ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1013 牧尾ダム(元)
木曽川水系王滝川
AWIP
105メートル
264メートル
75000千㎥/68000千㎥
水資源機構
1961年
-------------------- 
3321 牧尾ダム(再)(0063)
長野県木曽郡木曽町三岳
木曽川水系王滝川
AWIP
105メートル
264メートル
75000千㎥/68000千㎥
水資源機構
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

大池

2023-11-15 17:00:10 | 長野県
2017年8月 5日 大池
2023年9月24日
 
大池は長野県中野市永江の信濃川水系斑川最上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1927年(昭和2年)に建設と記されているだけで事業者等については記載がありません。
受益地となる中野市永江地区は千曲川左岸段丘上の平坦地に位置し、当地の開拓に併せてその灌漑用水源として建設されたものと思われます。
管理は北信州土地改良区が行っています。

大池には2017年(平成29年)8月に初訪、その後改修工事が一段落したとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
 
大池は北信五岳の一つで日本300名山の斑尾山東山麓、標高800メートル付近に位置します。
改修によってすっかりきれいになった下流面
背後には斑尾山が聳えます。
手前は支沢からの水路と桝。


池下から
右岸を改修で新調された洪水吐斜水路が流下します。

 
減勢工わきの底樋管
灌漑用水は斑川に放流したのち下流で取水されます。

 
減勢工
斜水路下段には石が積まれ、減勢工にはバッフルブロックとエンドシルが設けられています。
越流した水はそのまま斑川を下ります。

 
天端。


再訪時はすでに灌漑期が終わり池の水が抜かれていました。
殺伐とした眺めですが、おかげで普段水中にある諸設備を目にすることができます。
手前は斜樋。

 
所管する長野県北信振興局の許可を得て貯水池内に立ち入りました。
上流面はコンクリートで護岸、中央は斜樋でシャフトは一本。

 
斜樋の下には階段式の池栓が続きます。
こういう2段構成の取水設備は初見。

 
土砂吐ゲート
左右は蛇篭、背後は布製型枠で護岸。
水抜き後は流入量はここからそのまま放流します。

 
右岸から上流面。


刷新された洪水吐
越流堤には切欠きがあり小さなゲートが嵌められています。
これで水位を微調整するのでしょう。


緩やかにカーブを描く斜水路。

ここからは改修以前、2017年(平成29年)8月の写真となります。
盛夏のため濃い緑が水面に映えます。

 
取水設備
いたずら防止のためでしょうか?金属製のゲージで囲まれています。


総貯水容量16万2000立米。
満水です。


右岸から
対岸の建物は個人の住宅で池とは関係がありません。


堤体に切り込みを入れただけの洪水吐


天端右岸にある公衆便所『跡』
大池を『斑尾高原の穴場』と紹介する観光ガイドもあり、天端から先の山道には朽ちかけた道標もあります。
以前はハイキングコースになっていたのかも?

改修ですっかりきれいになった大池。次は満水の状態で見学したいものです。

3434 大池(1096)
ため池コード
長野県中野市永江
信濃川水系斑川
16メートル
118メートル
162千㎥/162千㎥
北信州土地改良区
1927年

豊丘ダム

2023-10-16 17:00:17 | 長野県
2017年8月 5日 豊丘ダム 
2023年7月30日
 
豊丘ダムは左岸が長野県須坂市塩野、右岸が同市豊丘の信濃川水系百々川支流灰野川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
須坂市域を東西に横断して千曲川に注ぐ百々川は酸性度が強いため灌漑用水としては不適で、酸性度の低い支流の灰野川の水を求めて古来より水争いが続いていました。
一方高度成長により百々川流域の氾濫原での市街化が進み、治水対策も重要な課題となっていました。
そこで1978年(昭和53年)に長野県は灰野川最上流部への多目的ダム建設を軸とした百々川総合開発事業を採択、1986年(昭和61年)に着工され1994年(平成6年)に竣工したのが豊丘ダムです。
豊丘ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、灰野川および百々川の洪水調節(最大毎秒90立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、須坂市への上水道用水の供給を目的とするほか、河川維持放流を利用し豊丘ダム管理用発電所(最大出力150キロワット)の小水力発電を行っています。
豊丘ダムには2017年(平成29年)8月に初訪、2023年(令和5年)7月の豊丘ダムまつりに合わせて併せてに再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
豊丘ダムまつりでのダム見学会については下記のリンクをご参照ください。

建設がバブル期と重なっていることもありダム周辺はよく整備され、ダム下は池や東屋を備えた親水公園になっています。
ただ残念なことにダムと正対できず、これが精いっぱい。
クレスト自由越流頂4門、自然調節式オリフィス1門を備えたゲートレスダムです。
(2017年8月5日) 


左岸から
堤高81メートル、堤頂長238メートルと補助ダムとしてはなかなかのサイズ。
上段は堤体導流壁、中段以下は堤趾導流壁。
(2017年8月5日) 


左岸から上流面
一見水位は低そうですがこれで常時満水位。
堤体前面の建屋はエレベーター棟、上流側は取水設備、その奥は艇庫とインクライン。
(2017年8月5日) 
 

さらに高い位置から
(2017年8月5日) 

 
天端から減勢工を見下ろす
エンドシルの下流には洗堀防止のためのブロック工が敷かれています
右手は小水力発電所を兼ねた放流設備
当所は管理用発電所として建設されましたが2023年7月現在運転休止中で、今後県企業局により新たな発電施設として刷新される予定。
(2023年7月30日)

 
天端からは須坂、長野市街を挟んで遠く北アルプスまで遠望できますが…
訪問時は霞んでアルプスは見えず。
(2023年7月30日)

天端は車両通行でき対岸に広い駐車スペースがあります。
向って左手は管理事務所、右手は艇庫
右岸ダムサイトも小公園になっており、地元豊丘地区の皆さんが清掃や花壇の手入れなどを行っています。
(2017年8月5日)

 
ダム湖(昇竜湖)は総貯水容量258万立米
百々川ほどではありませんが、灰野川も硫黄成分を含むため湖面は独特のエメラルドグリーン。
(2023年7月30日)

 
艇庫とインクライン
再訪時は豊丘ダムまつりのため各所に誘導要員が立っています。
(2023年7月30日)

 
右岸から下流面。
(2017年8月5日) 

 
左岸の山留はまるで断崖のよう
右手上部にクレーン台座が残っています。
(2017年8月5日) 


須坂は『蔵の街』として知られ、艇庫は蔵をモチーフにした意匠。
この辺りいかにもバブル期のダム。
(2017年8月5日) 


右岸に建つ女性像
裸婦像かと思ったら水着着用です
(2017年8月5日) 

右岸から上流面。
(2023年7月30日)


さらに上流から。
(2017年8月5日) 

バブル期のダムということで建屋などは凝った意匠、ダム下やダムサイトも公園としてよく整備されています。
最近は財政難や人手不足もあり、ダム建設に併せて整備された公園も荒れていることが多いのですが、ここは地元の皆さんがボランティアで清掃や手入れをされており、今も美しい環境が保たれているのが印象的。
もりみず旬間での見学会も地元地域との共催による『豊丘ダムまつり』として毎年盛況を博しているのも注目に値します。
 
(追記)
豊丘ダムはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1039 豊丘ダム(1098)
左岸 長野県須坂市塩野
右岸     同市豊丘
信濃川水系百々川支流灰野川
FNW
81メートル
238メートル
2580千㎥/2120千㎥
長野県建設部
1994年
◎治水協定が締結されたダム

菅平ダム

2023-10-14 17:00:00 | 長野県
2015年11月23日 菅平ダム
2017年 8月 5日
2023年 7月29日
 
菅平ダムは長野県上田市菅平高原の信濃川水系神川源流部にある長野県企業局が管理する灌漑・上水・発電目的の重力式コンクリートダムです。
上田市のある小県地方は年間降水量1000ミリと国内有数の少雨地帯で、干ばつ被害が多発し安定した灌漑用水の確保は当地域農家の長年の悲願となっていました。
そんな中、終戦直後の食糧難を受け農業ダム建設機運が高まり、これに発電所や上水用水源を求めていた県企業局が事業参加し、灌漑・上水・発電を目的とする利水多目的ダムとして1968年(昭和43年)に竣工したのが菅平ダムです。
ダム建設の際、受益農家の負担軽減のため地元財産区が菅平高原に保有していた土地を県企業局に無償譲渡し、県はこれを別荘保養地として造成・分譲しその利益でダム建設や土地改良を実施し余剰利益が地元に分配されました。
これは菅平方式と呼ばれ、長野県の公営高原開発事業のモデルとなりました。
結果、ダム建設及びかんがい排水事業への地元負担は軽減される一方、菅平は長野県を代表する高原リゾートへと発展。現在はラグビー合宿のメッカとなっています。 
菅平ダムで取水された水は長野県企業局菅平発電所(最大出力5400キロワット)でダム水路式発電を行った後、神川沿岸土地改良区の約1250ヘクタールへの灌漑用水及び上田市上水道に供給されます。
 
菅平ダムへは2015年(平成27年)11月、2017年(平成29年)7月の高遠ダムスタンプラリー、さらに2023年(令和5年)のもりみず見学会の計3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
ダム見学会の詳細については下記リンクをご覧ください。

菅平ダムは上田から菅平に向かう国道144号線沿いにあります。
国道からゲートを遠望。この時はコンデジしか持参していなかったので画質が悪い。
治水目的のない利水多目的ダムのため放流設備はクレストラジアルゲート2門だけ。
(2015年11月23日)

 
右岸国道から。
(2017年8月5日)

 
天端は車両通行可能
我が家の愛車とともに。
(2023年7月29日)

 
上流面
写真中央は取水設備
灌漑がメインですので表面取水となります。
(2023年7月29日)

 
天端から減勢工を見下ろす。
パワーショベルのようなシュートブロック
利水用水はすべて発電所経由となり、ダム直下は基本無水河川となります。
(2017年8月5日)

 
2023年訪問時の同じアングル
取水設備から調圧水槽までの落差を利用した小水力発電所を建設中。
(2023年7月29日)

 
調節水槽
ここから約4.1キロの導水路で菅平発電所まで送水されます。
(2017年8月5日)

 
ちょっとアングルは変わりますが、発電所建設のため様変わり。
(2023年7月29日)


ダム湖は菅平湖で総貯水容量345万1000立米。
ダム湖のすぐ上流は日本のダボスと呼ばれる菅平高原。
(2017年8月5日)


左岸の管理事務所
平日は職員が常駐しています。
(2017年8月5日)


インクライン。
(2023年7月29日)
 
左岸から下流面。
(2017年8月5日)

 
2023年に同じアングルで。
(2023年7月29日)


左岸から上流面。
(2023年7月29日)


発電用の水利使用標識
灌漑期(5~9月)は利水従属発電
冬季電力需要期(12~2月)は発電主体の運用を行います。
(2023年7月29日)

 
灌漑用水の水利使用標識
灌漑期は5~9月となります。
(2023年7月29日)

 
ダム下から
もっと引いた位置からダムを見たかったのですが、工事中のためこれが精いっぱい。
(2023年7月29日)

 
上流から遠望。
(2017年8月5日)

 
ゲートと取水設備。
(2017年8月5日)

 
立入禁止の下流からダムを見上げることができれば!と思い見学会に参加しましたが工事中のため叶わず。
小水力発電所が完成したら改めて見学会に参加しようと思います。
 
(追記)
菅平ダムはは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1020 菅平ダム(0068)
長野県上田市菅平高原
信濃川水系神川
AWP
41.8メートル
149.7メートル
3451千㎥/3242千㎥
長野県企業局
1968年
◎治水協定が締結されたダム

内村ダム

2023-10-12 17:00:01 | 長野県
2015年12月13日 内村ダム
2023年 7月29日
 
内村ダムは長野県上田市鹿教湯温泉の一級河川信濃川水系依田川左支流内村川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
依田川水系では昭和30年代に2度の洪水が発生するなど水害が多い一方、年間降水量わずか1000ミリの少雨地帯のため渇水による干ばつも多く、抜本的な治水・利水対策が求められていました。
これを受け長野県は1972年(昭和47年)に内村川上流へのダム建設を採択、これに当時の丸子町(現在は上田市)が水道事業者として事業参加し1983年(昭和58年)に竣工したのが内村ダムです。
内村ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、内村川および依田川の洪水調節(最大毎秒120立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水(既得灌漑用水)への補給、上田市丸子地区への上水道用水の供給を目的としています。
内村ダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)7月のもりみず旬間の見学会に合わせて再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
また2023年(令和5年)7月のもりみず見学会については下記リンクをご覧ください。
 
ダム下から
非常用洪水吐としてクレスト自由越流頂2門、洪水期および非洪水期用自然調節式オリフィス各1門ずつを装備
再訪時は洪水期用オリフィスから越流中。
(2023年7月29日)

 
オリフィスゲートをズームアップ
向って右手が非洪水期(10/11~5/31)
左手が洪水期(6/1~10/10)用オリフィス
非洪水期用はスライドゲート、洪水期用はローラーゲートで開閉します。
(2023年7月29日)

 
導流壁そばの穴は低水放流用ジェットフローゲート。
通常河川維持放流はここで行いますが、訪問時はオリフィスから越流していたため放流はなし。
(2023年7月29日)


水利使用標識
ダムのすぐ下流に上田市内山浄水場があり、専用管で上水道用水が送られます。
(2023年7月29日)


右岸高台に笠岩神社がありそこから俯瞰
堤頂長は265メートルで右岸側が屈曲しています。
(2015年12月13日)

 
笠岩神社の御神体となる笠岩
男性器に見立てられ、多産・子孫繁栄のご利益があるようです。
(2015年12月13日)

 
右岸ダムサイトの説明板
(2023年7月29日)


堤体中段から
見学会の際の写真で通常はこの位置からは撮れません。
(2023年7月29日)


右岸ダムサイトの管理事務所
職員の常駐はなく、平時は週に一度の巡回のみ。
(2023年7月29日)

 
右岸の艇庫とインクライン。
(2023年7月29日)


天端から減勢工を見ろす
副ダムのすぐ下には洗堀防止のブロック工が並びます。
通常あるはずの放流設備は堤体に内包されているのでありません。
(2023年7月29日)

 
総貯水容量200万立米のダム湖
左奥は三才山で山を越えれば松本。
(2023年7月29日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2023年7月29日)


堤体内の低水放流設備となるジェットフローゲート
長野県営各ダムでは河川維持放流を利用した小水力発電所設置が進められています。
しかし当ダムは放流設備が堤体内にあるため、発電所設置には堤体掘削が必要となるため見送られる方針。
(2023年7月29日)

 
国道254号線から遠望。
(2023年7月29日)


ゲートをズームアップ
この写真は初訪時で非洪水期でしたが、右側洪水期ゲートが開放されています。
左手に洪水期オリフィスのスライドゲートが見えます。
(2015年12月13日)

 
(追記)
内村ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。    

0131 内村ダム(0113)
長野県上田市鹿教湯温泉
信濃川水系内村川
FNW
51.3メートル
265メートル
2000㎥/1600㎥
1985年
長野県建設部
◎治水協定が締結されたダム

みどり湖

2020-06-26 09:00:00 | 長野県
015年11月 3日 みどり湖
2020年 6月22日
 
みどり湖は長野県塩尻市金井の信濃川水系田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ウィキペディアによれば長野県の土地改良事業によって1948年(昭和23年)より着工され1952年(昭和27年)に竣工しました。
ダム便覧では1948年(昭和23年)竣工となっていますがここではウィキペディアの年度を採りたいと思います。
完成当初は向坂溜池が正式名称でしたが、地元観光協会が観光促進のために『みどり湖』と命名しそれが正式名称となりました。
ダムの管理は塩尻市塩尻東土地改良区が行い、管内1244.45ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
その後1983年(昭和58年)に県の事業により大規模改修が行われ、さらに2012年(平成24年)に洪水吐の耐震性に問題があることが判明したことから、再び改修が行われ2019年(令和元年)に耐震補強工事が竣工しました。
 
上でも触れたように戦後の観光ブームの中で地元の観光協会が観光スポットとして売り出す為に『みどり湖』に改名しました。
長野道のパーキングエリアやJR中央線の駅名に採用されたこともあり知名度は抜群で名前からしてすごいリゾートなんだろう?と想像できますが、実際は釣りスポットとして有名なただの灌漑用溜池です。
 
みどり湖には2015年(平成27年)11月に初めて訪問、耐震工事の竣工を受けて2020年(令和2年)6月に再訪しました。
塩尻市街から国道153号線を辰野方面に南下、金井交差点の先で『みどり湖』の標識に従うとみどり湖に到着します。
まずは下流から
堤体中ほどに底樋樋門があり、そばに水利使用標識が立っています。
(2020年6月22日)
 
底樋の分水工
本流は田川に流れ、二つのゲートで灌漑用水路に送水されます。
(2020年6月22日)
 
天端は車両通行可能ですが、対岸で行き止まり。
(2020年6月22日)
 
総貯水容量22万3000立米と溜池としてはやや小ぶり。
(2020年6月22日)
 
2019年(令和元年)の耐震工事で新調された洪水吐導流部
コンクリートが真っ白です。
(2020年6月22日)
 
下流面
時節柄草ボウボウ、草が刈られれば見た目の印象も変わるんでしょう。
(2020年6月22日)

こちらは改修工事前の洪水吐
1983年(昭和58年)の大規模改修で整備されたものです。
 
刷新された横越流式洪水吐
(2020年6月22日)
 
アングルを変えて
(2020年6月22日)
 
こちらは改修前の斜樋。
 
改修後の斜樋(2020年6月22日)
 
有料の管理釣り場となっており、湖岸には釣り用の桟橋が設置されています。
(2020年6月22日)
 
湖畔の一部にはミズバショウの自生地があり、ダム下の田川はホタルの生息地となっています。
有名な観光地と言うよりは自然豊かな湖沼と言った風情のみどり湖です。
 
0998 みどり湖(0034) 
ため池コード
長野県塩尻市塩尻
信濃川水系田川
22メートル
110メートル
275千㎥/275千㎥
塩尻東土地改良区
1948年

箕輪ダム

2020-06-25 16:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 箕輪ダム
2020年 6月21日
 
箕輪ダムは長野県上伊那郡箕輪町東箕輪の天竜川水系沢川中流部にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、沢川の洪水調節・沢川の安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給・長野県上伊那広域水道用水企業団を通じ伊那市・駒ヶ根市・辰野町・箕輪町・宮田村への上水道用水の供給を目的として1992年(平成4年)に竣工しました。
さらに2021年(令和3年)6月に利水放流を活用した長野県企業局信州もみじ湖発電所が完成し最大199キロワットの小水力発電所が開始されました。
 
箕輪ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
もみじ湖と命名されたダム湖はその名の通り長野県有数の紅葉の名所となっており、秋のシーズンには多くの観光客が訪れます。
またダム下にはキャンプ場が整備されレクリエーションエリアとしても人気を集めています。
 
右岸下流から
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲートが14門並び、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲートが1門があります。
訪問時オリフィスゲートから越流していました。
(2020年6月21日)
 
天端は歩行者のみ立ち入り可能
下流側はエレベータ棟、上流側は取水設備機械室
(2020年6月21日)
 
左右両岸には堤趾導流壁が設けられています。
(2020年6月21日)
 
紅葉の名所ということで、天端高欄には紅葉の装飾が施されています。
(2020年6月21日)
 
減勢工
利水放流設備としてジェットフローゲートとスルースバルブ各1条が装備されています。
現在利水放流を利用した小水力発電所の建設工事が進められており、2021年(令和3年)竣工予定です。
(2020年6月21日)
 
天端からは正面に中央アルプス経ヶ岳が望めます。
 
もみじ湖と命名されたダム湖は総貯水容量950万立米
その名の通り湖畔には1万本のもみじが植えられ県内屈指の紅葉の名所となっています。
初回訪問時はちょうど紅葉の見ごろでした。
 
左岸の艇庫とインクライン
(2020年6月21日)
 
上流面
対岸に管理事務所があります。
 
もみじとセットで。
 
上流から
紅葉と冠雪した中央アルプスのコントラストが素晴らしい!
 
県内有数の紅葉の名所と言うだけあり、湖畔のもみじは見ごたえ十分。
ただ駐車スペースが少ないため紅葉期は路上駐車の大行列となります。
 
(追記)
箕輪ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1034 箕輪ダム(0036) 
長野県上伊那郡箕輪町長岡新田
天竜川水系沢川
FNW
72メートル
297.5メートル
9500千㎥/8300千㎥
長野県建設部
1992年
◎治水協定が締結されたダム

横川ダム

2020-06-25 15:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 横川ダム
2020年 6月21日
 
横川ダムは長野県上伊那郡辰野町横川の天竜川水系横川川上流部にある長野県建設部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、横川川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1986年(昭和61年)に竣工しました。
その後2020年(令和2年)に利水放流を活用した長野県企業局横川蛇石発電所が建設され、最大199キロワットの小水力発電所が行われています。
 
横川ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
国道153号を南下、辰野町上島で国道153号線から県道203号線に入り横川川に沿って西進、最奥の集落を抜けると横川ダムに到着します。 
ダム下には親水公園があり桜や紅葉の時期は訪問者が多いようですが、残念ながらダム全体を見渡せる場所はありません。
2度目の訪問時には小水力発電州周辺の整備工事のためダム下右岸はかなり手前から立ち入り禁止になっていました。
左岸からなんとかダムを見ることができます。前日の雨のせいで水位が上昇したせいかオリフィスゲートから放流しています。
堤頂超282メートルの横長ダムですが、ここから見えるのは横川ダムの中央のみです。
(2020年6月21日)
 
右岸下流から
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲートが18門並び、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲートが1門あります。
このほか常用洪水吐として右岸にスルースバルブも装備していますが、ダム全体を見れる場所がないのがこのダムの痛いところです。
写真で見るエリアは訪問時整備中で立ち入りできませんでした。工事が終わればもっとダムの近くまで入れるようです。
(2020年6月21日)
 
左岸ダムサイトにも公園がありますが、木が伸びてダム全体を見渡すことができません。
 
上流面も木が邪魔で全体が見れるのはこの場所だけ
なんだかストレスが溜まります
写真では分かりづらいのですが、オリフィスゲートの青い予備ゲートがあります。
(2020年6月21日)
 
2015年11月の減勢工と放流設備
左手前は常用洪水吐のスルースバルブ操作建屋
右上は利水放流設備
 
左上の黒い建屋は2020年(令和2年)4月に完成した長野県企業局横川蛇石発電所です。
右下の白い建屋の下に常用洪水吐であるスルースバルブが見えます。
(2020年6月21日)
 
貯水池は『よこかわ湖』
総貯水容量186万立米とダムのサイズに比べれば小さな貯水池です。
(2020年6月21日)
 
下流面
両岸に堤趾導流壁があります。
(2020年6月21日)
 
天端は歩行者のみ通行可
左手の建屋は取水設備操作建屋
(2020年6月21日)
 
左岸に艇庫があり堤体に沿ってインクラインが伸びています
(2020年6月21日)
 
(追記)
横川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1033 横川ダム(0035) 
長野県上伊那郡辰野町横川
天竜川水系横川川
FN
41メートル
282メートル
1860千㎥/1570千㎥
長野県建設部
1986年
◎治水協定が締結されたダム

生坂ダム

2020-06-25 14:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 生坂ダム
2020年 6月21日
 
生坂ダムは長野県東筑摩郡生坂村北陸郷の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められますが、これらの発電施設の大半は1951年(昭和26年)ので電気事業再編政令によって誕生した東京電力が継承しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため東京電力は会社誕生直後から犀川でのさらなる電源開発を推進し、まず1954年(昭和29年)5月に笹平ダムと笹平発電所が、ついで同年8月に小田切ダムと小田切発電所を、さらに1957年(昭和32年)には水内ダム上流に平ダムと平発電所が完成しました。
そして犀峡エリアでの電源開発の最後を締めくくったのが生坂ダム・発電所で、1961年(昭和36年)に水利権を獲得するとすぐさま建設に取り掛かり1964年(昭和39年)に竣工しました。
生坂発電所も他の発電所と同様半地下式発電所となっており、最大2万1000キロワットのダム式水力発電を行っています。
生坂ダム・発電所の稼働により東京電力による犀川での電源開発は一段落し、5基の発電所で計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至りました。
さらに1978年(昭和53年)には犀川総合制御所が設置され、5発電所の一括遠隔操作が開始されました。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により生坂ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されています。 
 
生坂ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
長野市街から国道19号を松本方面に進み、生坂トンネル手前で『道の駅 いくさかの郷』の表示に従って右手の旧道に入り、道の駅をやり過ごすと生坂ダムに到着します。
ダム下流の犀川の河原に下りると、ダムと正対することができます。
ローラーゲートが6門あり、前日の雨で水位が上がったこともあり1門から放流されています。
発電所はダム右岸(向かって左)にあります。
(2020年6月21日)
 
こちらは初回訪問時
6門のローラーゲートが並びますが、よく見るとそれぞれ特徴があるのがわかります。
右岸(向かって左手)1門目は2段ゲートになっており、2門目には河川維持放流用の小さなバブルがあります。
一方左岸(向かって右手)の2門はゲートが大きく越流部が低くなっています。
初回訪問時は右岸2門目のバルブから河川維持放流が行われていました。
生坂発電所の放流水はトンネル導水路で3キロ下流に放流されるため、この間の瀬切れを防ぐために維持放流が行われます。
 
右岸の沈砂池と取水ゲート。
(2020年6月21日)
 
こちらはスクリーンの除塵機で除去されたごみの選別所
細かい木材は右手のプラントで粉砕され農業用の肥料となります。流木も併せて希望者に無料で配布しているようです。
 
天端は車両通行可能ですが道幅は1.5メートル。
軽でもぎりぎりですが、地元の車は慣れたものですいすいと走ってゆきます。
 
下流の眺め。
 
左岸から
左岸2門はゲートが大きくなっている分、ピアも高くなっています。
(2020年6月21日)
 
左岸から上流面
右端に取水口があります。また天端には予備ゲート運搬用と思われるガントリーが留め置かれています。
(2020年6月21日)
 
取水口スクリーンをズームアップ
青い機械はスクリーンの除塵機です。
(2020年6月21日)
 
対岸中央に取水ゲートがあり、その左手に半地下式の生坂発電所があります。
半地下にすることで有効落差21.4メートルを稼ぎだしています。
(2020年6月21日)
 
上流から遠望
(2020年6月21日)
 
(追記)
生坂ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1014 生坂ダム(0048) 
長野県東筑摩郡生坂村北陸郷
信濃川水系犀川
19.5メートル
108.4メートル
3110千㎥/1328千㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1964年
◎治水協定が締結されたダム

平ダム

2020-06-25 13:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 平ダム
2020年 6月21日
 
平ダムは左岸が長野県東筑摩郡生坂村東広津、右岸が長野市大岡丙の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められますが、これらの発電施設の大半は1951年(昭和26年)ので電気事業再編政令によって誕生した東京電力が継承しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため東京電力は会社誕生直後から犀川でのさらなる電源開発を推進し、まず1954年(昭和29年)5月に笹平ダムと笹平発電所が、ついで同年8月に小田切ダムと小田切発電所を完成させます。
笹平・小田切両ダム建設のさなか、東京電力は犀川上流での水利権を新たに取得し、1953年(昭和28)に建設工事に着手し1957年(昭和32年)に完成したのが平ダムと平発電所です。
平発電所も笹平、小田切発電所と同様に半地下式発電所となっており、最大1万5600キロワットのダム式水力発電を行っています。
平ダム竣工7年後の1964年(昭和39年)には生坂ダム・発電所が運用を開始し、5基の発電所で計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至りました。
1978年(昭和53年)には犀川総合制御所が設置され、5発電所の一括遠隔操作が開始されました。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により平ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。 
 
平ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
長野市街から国道19号を松本方面に進み国道が大町市から生坂村に入って1キロほど進むと国道左手に平ダムが姿を見せます。
ダム直下に橋がかかりダムと正対できます。
犀川の峡窄部で川幅が狭いためかローラーゲートになっています。
右岸(向かって左手)に発電所、左岸(向かって右手)は国道19号が走っています。
 
再訪時は前日にまとまった雨があったせいかゲートが1門開かれていました。
一番左岸(向かって右手)の導流路だけ導流堤が設けられています。
(2020年6月21日)
 
左岸(向かって右手)の青い部分に予備ゲートが格納されています。
(2020年6月21日)
 
右岸の平発電所
有効落差を稼ぐために半地下式発電所になっています。
(2020年6月21日)
 
右岸から取水ゲートと沈砂池。
 
予備ゲート運搬用のガントリーと鉄道のような車止め。
(2020年6月21日)
 
アングルを変えて
(2020年6月21日)
 
予備ゲート運搬時はここで90度角度が変わるため、機関車庫のような転車台、いわゆるターンテーブルが設置されています。
ダムのガントリーでこのような転車台は見たことがありません。
 
上流から
対岸に発電用取水ゲートがあります。
(2020年6月21日)
 
取水ゲートをズームアップ
手前に除塵機があります。
(2020年6月21日)
 
(追記)
平ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1008 平ダム(0047)
長野県東筑摩郡生坂村広津東
信濃川水系犀川
20メートル
87.8メートル
3033千㎥/1273千㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1957年
◎治水協定が締結されたダム