ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

青野大師ダム

2020-12-25 22:00:00 | 静岡県
2016年 1月17日 青野大師ダム
2020年12月22日
 
青野大師ダムは静岡県賀茂郡南伊豆町青野の青野川水系鈴野川源流部にある静岡県交通基盤部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、鈴野川及び青野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、南伊豆町への上水道用水の供給を目的として2006年(平成18年)に竣工しました。
青野大師という名前はダム建設地にあった弘法大師を祀る『青野の大師様』に由来しており、ダム建設に合わせてお大師様はダム湖上流側に移設されました。
 
青野大師ダムには2016年(平成28年)1月17日に訪問、2020年(令和2年)12月22日に再訪しました。
初回訪問時の写真の画質が悪かったので、すべて2回目の訪問時の写真と差し替えました。
 
ダム下は小さな公園になっており、車数台分の駐車場とトイレがあり竣工記念碑もここに建っています。
 
クレストゲート1門、オリフィスゲート1門のシンプルなゲートレスダム
減勢工脇に利水放流設備があります。
 
堤頂部のいわゆる『襟』がずいぶん高くなっています。
 
天端は徒歩のみ通行可能。
 
上流面
対岸に管理事務所がありますが、職員は巡回のみで常駐はしていません。
 
天端から
オリフィスゲート上にデフレクターがあります。
利水放流設備から河川維持放流が行われています。
 
総貯水容量は29万5000立米と溜池サイズ。
 
上流面。
 
ダム湖上流も小公園になっており移設された『青野のお大師様』が祀られています。
 
上流から見た洪水吐と取水設備。
 
3125 青野大師ダム (0193)
静岡県賀茂郡南伊豆町青野
青野川水系鈴野川
FNW
39.5メートル
126メートル
295千㎥/240千㎥
静岡県交通基盤部
2005年

舟郡ダム

2020-12-17 12:21:42 | 山口県
2020年11月24日 舟郡ダム
 
舟郡ダムは山口県下関市豊浦町川棚の川棚川水系江良川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
下関市豊浦町は大河がなく渇水による干ばつが頻発し、安定した農業用水源確保は周辺農家の長年の悲願となっていました。
舟郡ダムは農水省の補助を受けた県のかんがい排水事業により2001年(平成13年)に竣工し、豊浦町の236ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
ダムの管理は運用開始当初は豊浦町が受託していましたが、その後の市町村合併により現在は下関市が受託しています。
 
舟郡ダム入り口に県営かんがい排水事業豊浦地区舟郡ダムの大きな案内板が設置されています。
 
 
県道から舟郡ダムのロックフィル堤体が一望できます。
ダム建設に合わせ、農村整備事業によりダム周辺が公園施設として整備されました。
ダム下は広場になっており駐車場とトイレが設置されています。
 
 
右岸ダム下の放流設備。
利水放流管のほか、常用洪水吐としてバルブも装備しています。
 
左岸に余水吐があります。
 
天端に上がります。
左岸から下流面
リップラップには僅かに草が生えていますが、総じてきれいに整備されています。
 
天端は車両通行禁止。徒歩はOKで貯水池を周回する周遊路になっています。
 
上流面、こちらもロック材で護岸されています。
対岸(右岸)に管理事務所と斜樋があります。
 
左岸の横越流式余水吐。
 
天端から余水吐を望みます。
 
管理事務所と斜樋をズームアップ。
 
ダム湖は総貯水容量54万立米。
立派なダムに比べたら意外に小さな貯水池。
道路が周回しており歩いて一週でき、朝夕は周辺住民がウォーキングをするようです。
 
天端から
ダム下に広場と駐車場があり、響灘に浮かぶ厚島が遠望できます。
 
ズームアップ
種田山頭火や世界的ピアニストのアルフレッド・コルトーが絶賛した景色が広がります。
 
完成から20年近くたちますが、ダム周辺は綺麗に整備され清潔感に満ちたダムです。
なによりも天端からの眺めは素晴らしく、海が見えるダムとしては屈指の眺めだと思います。
 
(追記)
舟郡ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
3047 舟郡ダム(1607)
山口県下関市豊浦町川棚
川棚川水系江良川
28メートル
221メートル
540千㎥/522千㎥
下関市
2002年
◎治水協定が締結されたダム

山の口ダム

2020-12-16 12:14:55 | 山口県
2020年11月23日 山の口ダム
 
山の口ダムは山口県萩市紫福の大井川水系山の口川源流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
農水省の補助を受けた県の農村基盤総合整備パイロット事業により1984年(昭和59年)に竣工しました。
運用開始後は211.8ヘクタールの農地に灌漑用水および営農飲雑用水の補給を行っています。
管理は運用開始当初は当時の福栄町が受託していましたが、その後の市町村合併により現在は萩市が引き継いでいます。
2018年(平成30年)に河川維持放流を利用した山の口ダム小水力発電所が建設され大晃機械工業(株)を発電事業者として最大40キロワットの発電を行っています。
 
山の口ダムは『世界遺産大板山たたら製鉄遺跡』手前1キロにあります。
農業用コンクリートダムらしく、洪水吐は自由越流式クレストゲート2門だけ
ダム下右岸に放流設備と2018年(平成30年)に増設された小水力発電所があります。
 
減勢工のエンドシル。
 
右岸から下流面。
堤体に白いパイプが見えますが、これは小水力発電用に新たに追加されたルート。
 
天端入口はロープが張られており歩行者のみ立ち入り可能。
 
トタン張りの白い取水設備。
 
天端から
減勢工右手は放流設備と小水力発電所。
放流設備にはパイプが2本。揚水設備かとも思いましたが受益農地は山の口川下流にあるのでポンプアップする必要はなさそう。
右手の建屋はサージタンクかもしれません。
 
総貯水容量69万立米のダム湖。
この上流にたたら製鉄遺跡があります。
 
ダム下の施設。
やはり放流設備が気になります。
 
上流面。
取水設備手前に発電用のパイプが見えます。
発電所増設にあたり、新しいルートでパイプが敷設されたようです。
 
追記(追記)
山の口ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2094 山の口ダム(1606)
山口県萩市紫福
大井川水系山の口川
40.2メートル
103メートル
690千㎥/583千㎥
萩市
1984年
◎治水協定が締結されたダム

多々良ダム

2020-12-16 12:07:50 | 山口県
2020年11月23日 多々良ダム
 
多々良ダムは山口県美祢市秋芳町別府の厚東川水系河原上川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。 
ダム便覧には1917年(大正6年)に山口県の事業で竣工と記されていますが、竣工記念碑等もなくこれ以上は不明です。
管理は水利組合等の受益組織が行っているようですが、具体的な管理者名を確認することはできませんでした。
 
国土地理院地形図では『多々良池』と記載されており、ダムとは名ばかりの普通の溜池です。
下流面は綺麗に刈られているので、今も水源として稼働中なのは間違いありません。
 
左岸に余水吐があります。
山口県らしい黄色いガードレール。
 
上流から。
 
余水吐導流部
この下は自然の岩盤を流下します。
 
横越流式余水吐
ちなみに道路はさらに上流へと続きその先に花尾山登山口があります。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸。
 
総貯水容量9万2000立米の小さな溜池。
『山中に佇むひっそりとした溜池』という飾り文句がぴったり。
 
左岸の斜樋。
シャフトは一本。
 
天端と洪水吐と斜樋。
黄色いガードレールが目立ちます。
 
下流面
ダム下へ下りる道を探しましたが見つからず。
 
ダム下には下りなかったので、底樋は確認できませんでした。
『多々良』という名前が示すように、この上流では明治大正期までたたら製鉄が行われていたそうです。
 

3570 多々良ダム(1605)
ため池コード 354620101
山口県美祢市秋芳町別府
厚東川水系河原上川
21.5メートル
60メートル
92千㎥/92千㎥
管理者未確認
1917年

美祢ダム

2020-12-15 02:51:11 | 山口県
2020年11月23日 美祢ダム 
 
美祢ダムは山口県美祢市大嶺町東分の厚狭川水系日永川にある山口県企業局が管理する工業用水目的の重力式コンクリートダムです。
美祢は戦前・戦後を通じて日本有数の無煙炭の採炭地として栄えてきましたが1960年代後半から資源の枯渇により炭鉱の閉山が相次ぎ人口も大きく減少しました。
これに対処するため、旧炭鉱地域の産業振興を目的として設立された産炭地域振興事業団(のちの地域振興整備公団)による工業団地造成事業が着手されます。同事業に合わせて山口県企業局はこの工業団地向けの用水を確保するために厚狭川右支流日永川への工水用ダム建設を進め、1981年(昭和56年)に竣工したのが美祢ダムです。
美祢ダムは自己流域での集水能力はほとんどなく、厚狭川から揚水した水を貯留し、市内工業団地および山陽小野田市の旧山陽地区に工業用水の補給を行っており、事実上の河道外貯留方式ダムと言えます。
 
ダムは自由越流式クレストゲート2門のシンプルな構造。
右下は山口県企業局厚狭川工業用水の揚水・送水施設。
 
ダムをズームアップ。
実質河道外貯留方式のダムのため、クレストから放流されることはまずなさそう。
 
左岸ダムサイトから
堤高36メートルに対して堤頂長160.5メートルの横長ダム。
 
天端は車両通行可能。
 
天端から
減勢工と左手は山口県企業局の揚水・送水施設。
 
ダム湖は総貯水容量189万立米。
自己流域での集水能力はほとんどなく、水の大半は厚狭川からポンプアップされています。
 
右岸から
 
奥の建物は美祢工業団地の工場建屋。
この工業団地へも美祢ダムから工業用水が供給されています。
 
取水設備。
 
上流面。
 
炭鉱閉山で寂れる町の振興のために工業団地を造成。その工業用水源として建設されたのが美祢ダムです。
なおダム便覧では竣工年度を1977年としていますが、ここでは山口県企業局の1981年を採用します。
 
(追記)
美祢ダムには洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2083 美祢ダム(1604)
山口県美祢市大嶺町東分
厚狭川水系日永川
32メートル
160.5メートル
1890千㎥/1860千㎥
山口県企業局
1981年
◎治水協定が締結されたダム

内日ダム

2020-12-15 02:46:18 | 山口県
2020年11月23日 内日ダム
 
内日(うつい)ダムは山口県下関市内日上の木屋川水系山瀬川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。 
1976年(昭和51年)より事業着手された山口県のかんがい排水事業の灌漑用水源として1990年(平成2年)に竣工しました。
堤高41.2メートルは全国のアースフィルダム中第15位の高さを誇り、遮水方式は傾斜コア式を採用しています。
運用開始後は下関市内日土地改良区が受託管理を行い、370ヘクタールの農地に灌漑用水の供給を行っています。
2018年(平成30年)には河川維持放流を利用して大晃機械工業(株)を発電事業者とする内日ダム小水力発電所が増設され、最大49.9キロワットの小水力発電が開始されました。
 
県道40号線が内日ダム右岸を通っておりダム下にも行けます。
正面はダム左岸の余水吐斜水路、向かって右手に内日ダム小水力発電所があります。
ここから見上げると堤高41.2メートルの高さを実感します。
 
ダム下は芝生の広場になっており、東屋もあります。
堤体には『内日ダム』の植栽。
 
天端に上がります。
右岸を県道が通っていますが、天端にはチェーンが掛かり車両は進入できません。
 
上流面はコンクリートで護岸
左岸に余水吐と斜樋、管理事務所があります。
 
ズームアップ。
 
天端から
ダム下の広場が2枚目写真となります。
 
総貯水容量は126万立米
本州の農業用アースフィルダムとしてはかなり大規模な貯水池です。
 
下流面
綺麗に刈られています。
 
余水吐と減勢工。
 
横越流式余水吐。
 
(追記)
内日ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2090 内日ダム(1603)
山口県下関市内日上
木屋川水系山瀬川
41.2メートル
229メートル
1260千㎥/1123千㎥
下関市内日土地改良区
1990年
◎治水協定が締結されたダム

内日第2貯水池(内日第2ダム)

2020-12-15 02:36:29 | 山口県
2020年11月23日 内日第2貯水池(内日第2ダム) 
 
内日(うつい)第2貯水池は山口県下関市内日上の綾羅木川右支流赤田代川にある下関市上下水道局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
1906年(明治39年)の内日第1貯水池と高尾浄水場の完成により全国で9番目となる近代水道事業として下関市水道事業が創設されました。 
その後も拡張事業は続き1929年(昭和4年)に既設の第1貯水池直上に建設されたのが内日第2貯水池です。
内日第2貯水池で貯水された水は日和山浄水場を経て市内に配水され、現在でも下関市水道の重要な水源の一つとなっています。
1998年(平成10年)には内日第2貯水池取水塔、溢水隧道入口をはじめ、第1貯水池取水塔、高尾浄水場などが国の登録有形文化財に登録されました。
また第2貯水池取水塔はAランク、溢水堤および隧道がCランクの近代土木遺産に選定されています。
 
内日第1貯水池から北に向かい車で5分もすると内日第2貯水に到着します。
ダム下で二つの水路が合流、右手が底樋からの水路、左手が余水吐からの導流路。
 
堤体
基部は石張りの擁壁、堤体は綺麗に刈りこまれています。
 
堤体左岸にある施設。
底樋及び管路出入口になります。
 
堤体の階段は立ち入り制限がないのでここを登り天端へ向かいます。
右岸から下流面。
 
天端からは第1貯水池と取水塔、堤体が遠望できます。
 
上流面はコンクリートで護岸、左岸に僅かに石積みが残ります
もとは第1貯水池同様石張護岸だったのか?それとも当初からコンクリート張りだったのか?
 
登録有形文化財の取水塔
第1貯水池が煉瓦造りだったのに対し、こちらはコンクリート造り。
管理橋の橋脚もコンクリート製。
 
アングルを変えて
第1貯水池の赤い屋根に比べて、こちらはシックな色調で上品な感じがします。
 
総貯水容量は第1貯水池にわずかに劣る100万立米。
 
右岸の横越流式余水吐。
市のHPでは溢水施設と記されています。
 
取水塔と余水吐。
導流部は隧道でここを流下した水は1枚目写真の左側水路へと流下します。
隧道入口、市のHPでは『溢水隧道入口』も登録有形文化財となっています。
 
ダム便覧では第2貯水池の竣工は1928年(昭和3年)となっていますが、ここでは下関市上下水道局HPに従い1929年(昭和4年)竣工とします。
 
2038 内日第2貯水池(1602)
山口県下関市内日上
綾羅木川水系赤田代川
23.6メートル
78.5メートル
1000千㎥/900千㎥
下関市上下水道局
1929年

内日第1貯水池(内日第1ダム)

2020-12-15 02:30:47 | 山口県
2020年11月23日 内日第1貯水池(内日第1ダム)
 
ダム便覧では内日第1ダムと掲載されていますが、ここでは下関上下水道局の表記に倣い内日第1貯水池と記載することにします。
内日(うつい)第1貯水池は山口県下関市内日上の綾羅木川水系綾羅木川上流部にある下関市上下水道局が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
 
山口県で最初に市政を施行した下関市(明治35年までは赤間関市)は県都山口を凌ぎ県内最大の商工業の中心として発展、1906年(明治39年)に全国で9番目となる近代水道事業が創設されました。
内日第1貯水池は市議会で上水道布設が議決された1901年(明治34年)に建設工事着工、1906年(明治39年)に竣工し当貯水池の完成を持って下関市水道事業が開始されました。
その後市街の拡大や人口増加による水道需要の増加を受け、1929年(昭和4年)には当貯水池直上に内日第2貯水池が竣工しました。
内日第1貯水池で貯水された水は日和山及び高尾浄水場を経て市内に配水され、現在でも下関市水道の重要な水源の一つとなっています。
内日第1貯水池は近代水道黎明期の優れた施設として近代水道百選にも選定されています。
また取水塔はCランクの近代土木遺産に選ばれているほか、1998年(平成10年)には内日第1貯水池取水塔をはじめ、第2貯水池取水塔、高尾浄水場などが国の登録有形文化財に登録されました。取水から配水に至る水道施設が一括して国の文化財に登録されるのは全国初のケースでした。
 
内日第1貯水池は県道34号線沿いにあり下関市中心部から県道34号線を北に進み内日上地区に入るとすぐ右手に内日第1貯水池が現れます。
貯水池と道路を挟んだ反対側に下関市水道記念碑が建ちます。
 
堤高21.2メートル、堤頂長85.2メートルのアースフィルダム。
市の水源ダムということで堤体は綺麗に刈りこまれまるで芝生のようです。
 
天端から
右手の円形の施設は取水塔の底樋及び管路の出入り口。
 
左岸から
堤体基部は花崗岩の石張り
右手の水路は第2貯水池からの水路。
万一第1貯水池が使用できなくなった際に第2貯水池の水を取水するためのバイパス水路です。
 
上流面上部は草が覆っていますが、こちらも花崗岩で護岸されています。
対岸に余水吐があり、左手が登録有形文化財の煉瓦造取水塔。
 
余水吐をズームアップ
奥に煉瓦製のアーチ、手前にコンクリートの扶壁があります。
 
余水吐
煉瓦製のアーチとコンクリートの扶壁
間の水道管は上記第2貯水池からの水路です。
 
余水吐導流部
床には花崗岩が敷かれています。
 
取水塔と貯水池
総貯水容量は110万立米。
 
取水塔
管理橋の橋脚も煉瓦造りです。
 
天端からダムへの立ち入りは禁止されていましたが、下流からのアプローチは可能でした。
中央の円形の施設は取水塔からの底樋及び管路出入口。
 
同時に文化財登録された高尾浄水場は事前予約すれば見学できるようです。また日和山浄水場には水道資料館がありますが、いずれも平日のみ。
ちょうど3連休の訪問となりいずれも叶いませんでした。

2017 内日第1貯水池(1601)
近代水道百選 
山口県下関市内日上
綾羅木川水系綾羅木川
21.2メートル
85.2メートル
1100千㎥/1000千㎥
下関市上下水道局
1906年

深坂ダム

2020-12-14 00:54:39 | 山口県
2020年11月23日 深坂ダム
 
深坂ダムは山口県下関市蒲生野の友田川水系友田川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地竣工記念碑には、『当地は土地肥沃ながら水利に乏しく溜池築造は農民の悲願』と刻されています。
大正末期に溜池築造の機運が高まり、1913年(大正2年)に安岡耕地整理組合が設立され、1918年(大正7年)から溜池築造工事起工。途中1921年(大正10年)の堤体決壊という難事を乗り越え1924年(大正13年)に深坂ダムが竣工しました。
ダム便覧では安岡土地改良区の事業により1923年(大衆12年)竣工となっていますが、ここでは竣工記念碑の1924年を採用することにします。
管理は耕地整理組合を引き継いだ安岡土地改良区が行ってきましたが、その後の土地改良区の合併により現在は下関土地改良区安岡地区運営委員会が行っています。
受益地である安岡地区はフグ料理に欠かせない『安岡ねぎ』の生産地として知られ、深坂ダムは稲作のほかネギ栽培の水源として重用されています。
また貯水池一帯は『深坂自然の森公園』として周遊路などが整備される一方、竜王山の登山口となっており季節を問わず多くのハイカー、登山者で賑わっており、農水省が定めるため池百選に選ばれています。
 
下関市街から県道244号を北に向かい下関総合病院手前を右に折れ農免道路を進むと正面に深坂ダムが見えてきます。
堤体には白鳥をかたどった植栽が施されています。
 
右岸ダム下に半円形の円筒分水工があります。
 
右岸から下流面
堤体は綺麗に刈りこまれ白鳥の植栽が。
 
右岸の余水吐導流部。
 
横越流域余水吐と上流面
上流面下部は花崗岩で、上部はコンクリートブロックで護岸されています。
 
左岸に深坂水天宮が祀られ、天端に狛犬が並びます。
右手は横越流式余水吐。その奥に斜樋があります。
 
ダム湖は総貯水容量124万8000立米と灌漑用溜池としてはかなり大規模。
湖畔一帯は深坂自然の森公園として整備され、多くのハイカーが訪れます。
 
天端からは下関市街中心部が遠望できます。
 
左岸の水天宮の鳥居と燈籠。
 
右岸の斜樋を遠望。
 
左岸に建つ竣工記念碑と改修記念碑。
 
深坂ダムが通算1600基目のマイルストーンとなりました。
コロナによる不要不急の外出自粛などもあり、100基積み上げるのに1年以上かかってしまいました。
目標の2000基はまだまだ先です。

2074 深坂ダム(1600)
ため池コード 352010402
山口県下関市蒲生田
友田川水系友田川
26.2メートル
233メートル
1350千㎥/1328千㎥
下関市土地改良区安岡地区運営委員会
1924年

相刈溜池

2020-12-14 00:41:10 | 山口県
2020年11月23日 相刈溜池
 
相刈溜池は山口県下関市吉見上の西田川水系左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。 
ダム便覧によれば1886年(明治19年)に山口県の事業で竣工とありますが、詳細は不明です。
現在も受益農家組織が管理しているようですが具体的な管理者名を確認することはできませんでした。
 
県道244号線から吉見温泉センター横を右折すると相刈溜池に到着します。
ダム便覧の諸元では堤高15メートル、堤頂長56メートルとなっています。
堤体の草は若干伸びていますが、天端は草刈りが行われているので管理はちゃんと行われているようです。
 
総貯水容量2万2000立米の本当に小さな溜池。
 
左岸から。
 
左岸に余水吐があります。
 
導流部上部はコンクリート施工されていますが、すぐ下は自然の川。
 
導流部を下流から見上げるとこんな感じ。
 
上流面中ほどに池栓があります。
 
一応コンクリートで補強されていますが、漆喰管に止水栓は昔ながらの木栓。
 
上流面は写真のように崩壊。大丈夫かい?
 
コンクリートの護岸が崩落しています。
大きめの地震が来たらちょっとヤバいんじゃない?
 
手入れされている天端を見るといまだに現役のようですが、上流面の崩落が非常に気がかりです。
底樋は確認しませんでした。
 
2007 相刈溜池(1599)
ため池コード 352010471
山口県下関市吉見上
西田川水系左支流
15メートル
56メートル
22千㎥/22千㎥
管理者未確認
1886年

牛ヶ迫池

2020-12-10 20:39:47 | 山口県
2020年11月22日 牛ヶ迫池
 
牛ヶ迫池は山口県長門市油谷伊上の泉川水系左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1914年(大正3年)に岡上り野耕地整理組合の事業で竣工と記されていますが、竣工記念碑や改修記念碑等がないためその後の経緯は不明です。
管理は受益者で組織される牛ヶ迫組持が行っています。
 
長門大津広域農道(みのりロード)の『楊貴館別荘ととろの里』の標識を南に折れます。最後の民家の先に泉川にかかる小さな橋がありすぐに右に折り返す分岐が現れます。これが牛ヶ迫池への入口です。
樹間から見る下流面
夏に草刈りが行われたようで、堤体は整っています。
 
右岸余水吐に架かる橋
山口県らしい黄色のガードレール。
 
余水吐導流部。
 
右岸の横越流式余水吐
紅葉の遅い山口県ですがモミジがいい感じで色づいています。
 
上流面
コンクリートブロックで護岸されています。
 
上流から見た余水吐。
 
右岸の斜樋
シャフトは2本。
 
天端
轍がついています。
 
総貯水容量19万2000立米。
 
天端からの眺め
海が見えそうで見えません。
 
ダム下には下りなかったので底樋は確認できませんでした。
 
2022 牛ヶ迫池(1598)
ため池コード 354830153
山口県長門市油谷伊上
泉川水計泉川左支流
25.6メートル
90メートル
192千㎥/118千㎥
牛ヶ迫組持
1914年

阿惣ダム

2020-12-10 20:35:20 | 山口県
2020年11月22日 阿惣ダム
 
阿惣ダムは山口県長門市油谷河原の二級河川掛淵川水系阿惣川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
長門市の旧日置町から油谷町を貫流する掛淵川流域は干ばつ頻発地帯で、本支流沿いには6基のダムが密集、うち5基が農業用ダムとなっています。
農水省の補助を受けた県営かんがい排水事業油谷地区が1993年(平成5年)より着手され、その灌漑用水源として2002年(平成14年)に竣工したのが阿惣ダムです。
かんがい排水事業も翌2003年(平成15年)に竣工し、阿惣ダムからは383.6ヘクタールの農地に灌漑用水が供給されています。
ダムの管理は運用開始当初は当時の油谷町が受託していましたが、その後の市町村合併により現在は長門市が引き継いでします。
 
旧油谷町中心部の新大坊交差点から国道491号線を南下、長門大津広域農道(みのりロード)との交差点の先に県営かんがい排水事業油谷地区阿惣ダムの大きな看板が現れます。
 
この案内板を右に折れると阿惣ダムに到着します。
まずはダム下から
ゲートは自由越流式洪水吐ゲート1門の農業用ダムらしいシンプルな構造。
右岸ダム下(写真左手)には2017年に新設された長門市阿惣ダム小水力発電所があります。
発電出力は49.9キロワットです。
 
減勢工から。
 
ダムサイトに上がります。
ダム周辺はかんがい排水事業と同時に進められた地域用水環境整備事業により公園として整備されています。
左岸展望台から俯瞰、右手は管理事務所。
 
総貯水容量132万立米のダム湖。
 
左岸から下流面
右岸に放流設備と小水力発電所があります。
 
天端親柱の装飾と小水力発電所の説明板。
 
上流面
ゲートの右手に取水設備。
 
左岸の展望台斜面
2001年(平成13年)に開催された『山口きらら博』で展示された『きらら時計』が移設されましたが、故障したため針が撤去されています。
事情を知らないと『変なモニュメント?』になっちゃいます。
 
天端から
右岸手前が利水放流設備、奥が2017年に増設された長門市営阿惣ダム小水力発電所。
 
右岸から見た天端。
 
楽しみにしていたきらら時計は、故障で針は撤去されていました。
ちょっと残念。
 
(追記)
阿惣ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
3215 阿惣ダム(1598)
山口県長門市油谷河原
掛淵川水系阿惣川
44.2メートル
134メートル
1320千㎥/1260千㎥
長門市
2002年
◎治水協定が締結されたダム

大坊ダム

2020-12-10 20:31:00 | 山口県
2020年11月22日 大坊ダム
 
大坊ダムは山口県長門市油谷河原の掛淵川水系大坊川にある山口県土木建築部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省の補助を受けて建設された補助治水ダムで、大坊川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給を目的として1970年(昭和45年)に竣工しました。
 
ダム右岸を国道491号が走っておりアプローチは簡単ですが、ダムを正面から見るポイントはありません。
管理事務所駐車場から。
 
管理事務所からダムへ下りてゆきます。
これがベストショット
非常用洪水吐としてクレストにラジアルゲート2門、常用洪水吐としてコンジットに高圧ラジアルゲートを1門装備。
さらに利水放流管としてホロージェットバブル1条があります。
昭和40年代前半の設計ということでゲート操作室等は大掛かりなものとなっています。
 
 
訪問時はホロージェットバルブから絶賛放流中。
 
山口県土木建築部ではおなじみ、ダム湖標識。
 
天端から
下流も狭隘な渓谷が続き、その先に採石場があります。
採石場からならダムを正対できるかと思いましたが、部外者立ち入り禁止。
 
ゲートと減勢工。
 
ダム湖の赤滝湖は総貯水容量386万立米。
 
天端から右岸を望む
正面に管理事務所、その向こうを国道491号線が走っています。
 
上流面。
 
昭和40年代の特徴を示すダムですが、とにかく展望スポットがないのが難点。
 
(追記)
大坊ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2080 大坊ダム(1597)
山口県長門市油谷河原
掛淵川水系大坊川
FN
43.5メートル
115メートル
3860千㎥/3410千㎥
山口県土木建築部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

有宗ダム

2020-12-10 20:26:11 | 山口県
2020年11月22日 有宗ダム
 
有宗ダムは山口県長門市油谷久富の二級河川掛淵川水系久富川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
長門市の旧日置町から油谷町を貫流する掛淵川流域は干ばつ頻発地帯で、本支流沿いには6基のダムが密集、うち5基が農業用ダムとなっています。
有宗ダムは1983年(昭和58年)に着手された農水省の補助を受けた県のかんがい排水事業の中核施設として1990年(平成2年)に竣工、運用開始後は273ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
ダムの管理は運用開始当初は当時の油谷町が受託していましたが、その後の市町村合併により現在は長門市が引き継いでいます。
 
長門市油谷久富で長門大津広域農道(みのりロード)から久富川沿いを南に進むと有宗ダムに着きます。 
ダム下から
ゲートは自由越流式のクレストゲート2門と農業用ダムらしいシンプルな構造。導流壁は斬縮型。
減勢工は湾曲しエンドシルの下流にバッフルブロックが並びます。
個人的に好きな絵柄。
 
左岸ダムサイトの道路沿いに建つ竣工記念碑。
 
下流面
堤高28.7メートル、堤頂長121.5メートルの小ぶりなダムです。
 
天端は徒歩のみ立ち入り可能。
 
上流面
ゲート左に選択取水設備。
 
天端から
減勢工はくねくね。
左岸に放流設備があります。
 
こちらは灌漑用水のバルブ。
需要期は5月から9月までなので今は閉じられています。
 
エンドシル下流のバッフルブロック。
イボイボ大好き!
 
総貯水容量は56万4000立米と溜池サイズ。
 
右岸から。
 
(追記)
有宗ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2105 有宗ダム(1595)
山口県長門市油谷久富
掛淵川水系久富川
28.7メートル
121.5メートル
564千㎥/564千㎥
長門市
1990年
◎治水協定が締結されたダム

畑ダム

2020-12-10 02:38:06 | 山口県
2020年11月22日 畑ダム
 
畑ダムは山口県長門市日置中の二級河川掛淵川本流上流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
長門市の旧日置町から油谷町を貫流する掛淵川流域は干ばつ頻発地帯で本支流沿いには6基のダムが密集、うち5基が農業用貯水池となっています。
畑ダムは1957年(昭和32年)に砂防目的の畑堰堤として建設されましたが、干ばつ対策や農業用水需要増加を受け1971年(昭和46年)の改修で農業用ダムに転用されました。
ダム便覧ではこの年を竣工年度としています。
ダムの管理は運用開始当初は当時の日置町が受託していましたが、その後の市町村合併により現在は長門市が引き継いでおり、289.2ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。 
 
畑ダム右岸を県道281号線が走っておりアプローチは簡単です。
畑集落から狩音ダム  へ向かう道に入ると左手に畑ダムが遠望できます。 
 
掛淵川沿いの隘路を進むとダム下に到着。
砂防堰堤を転用したのが一目瞭然で、自由越流式クレストゲート1門のシンプルな構造。
手前にコンクリートの固定堰があります。
 
堰には角落としの溝が見えます。
もともとは掛淵川流域への灌漑用取水用固定堰でしたが、いまはその役目は終えているようです。
 
堤体をズームアップ
堤体自体は1957年(昭和32年)竣工ですが、コケの緑と黒ずんだ導流部など戦前以前のダムのような雰囲気。
草木が繁茂した減勢工と相まって廃墟感半端ありません。
 
県道はダム右岸を通っています。
県道から見た越流部。
 
天端は立ち入り禁止。
砂防堰堤として建設されたため堤頂幅は極薄。
 
上流面は改修で補強されたようで、コンクリートの色が違っています。
 
ダムサイトに建つ2基の石碑。
左は1957年(昭和32年)の畑堰堤完工記念碑。
右は1972年(昭和52年)の農業用ダムへの改修完成記念碑。
 
 
右岸の斜樋。
 
上流から遠望
貯水池は総貯水容量63万7000立米。
 
砂防堰堤が農業用ダムに転用された珍しいダムです。
 
(追記)
畑ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2079 畑ダム(1594)
山口県長門市日置中
掛淵川水系掛淵川
21メートル
140メートル
637千㎥/531千㎥
長門市
1957年 砂防目的の畑堰堤として竣工
1971年 改修工事竣工で農業用ダムに転用
◎治水協定が締結されたダム