ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

川上ダム(再)

2017-07-31 23:27:39 | 山口県
2017年7月18日 川上ダム(再)
 
川上ダムは山口県周南市の富田川本流にある山口県営の多目的重力式コンクリートダムです。
戦前より旧徳山市沿岸部では工場進出が相次ぎ、工業用水確保のため1940年(昭和15年)に錦川上流域に日本初の多目的ダムとして向道ダムが竣工しました。
戦後の復興から高度成長期にかけて徳山市や隣接する新南陽市沿岸部への工場の集積は一段と加速、新たな水源確保のために旧徳山市から旧新南陽市を南北に流下する富田川に1962年(昭和37年)に竣工したのが川上ダムです。
当初の川上ダムは堤高46.5メートル、堤頂長120メートルの規模で富田川の洪水調節および工業用水の供給を目的としていました。
その後1965年(昭和40年)には錦川に菅野ダムが完成しますが、沿岸工業地帯の発展はとどまるところを知らず併せて人口増加に伴う上水道用水も含めた都市用水の新たな水源確保が喫緊の課題となりました。
そこで山口県は1971年(昭和46年)より川上ダムの再開発に着手、堤高を16.5メートル嵩上げして貯水容量を2倍以上に増やし、当時建設省(現国交省)が佐波川支流島地川に建設中だった島地川ダムから導水トンネルを建設し、同ダムから導水した水を工業用水・および上水道用水として供給することにしました。
川上ダムの再開発事業は日本初の本格的なダム再開発事業として1979年(昭和54年)に竣工、現在は富田川の洪水調節に加えて上水道用水および工業用水の供給を目的としています。
 
川上ダム下流に県道3号線川上大橋が架かっており、端から川上ダムと正対することができます。
クレストには非常用洪水吐として3門の赤いラジアルゲート、向かって左(右岸側)にはオリフィスゲートがあります。
堤体下部からの放流は河川維持放流です。
 
写真手前の施設は取水設備からのラインで、浄水場への機場ではないかと思われます。
 
右岸上流から
赤いラジアルゲート3門に、手前はオリフィスゲートの予備ゲート。
 
ゲートをズームアップ
ラジアルゲート手前の赤いラインはゲートの予備用の角落しを嵌めこむための戸当たりのようです。
 
天端は車両通行可能
右手はゲート操作室、左手は予備ゲート操作室。
予備ゲートは天端の金属板を外して嵌め込みます。
 
右岸上流にある取水設備
このクラスのダムでは珍しく傾斜式シリンダーゲートです。
ここで取水された水は上から2番目の写真の設備に向かうようです。
 
ダム湖(菊川湖)は総貯水容量1372万立米
島地川ダムからの導水路吐口があるはずなんですが、確認できませんでした。
 
天端からの眺め
正面の橋梁が県道3号線川上大橋です。
 
左岸の管理事務所。
 
左岸には岬のような出っ張りがあり上神神社という社が鎮座しています
水を祀るようなものではなく、たぶん水没した集落にあったものが移設されたのではないかと思われます。
 
この周辺には日本初の多目的ダムや世界初RCD工法で建設されたダムなど◎◎初のダムが多いのですが、この川上ダムも日本で初めて本格的な再開発が行われたダムという枕詞がつきます。
 
追記
川上ダム(再)には洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2085 川上ダム(再)(1092
山口県周南市川上
北緯34度06分31秒,東経131度47分12秒
富田川水系富田川
FWI
63メートル
187.3メートル
13720千㎥/13500千㎥
山口県土木建築部
1962年
1979年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

温見ダム

2017-07-31 16:39:26 | 山口県
2017年7月18日 温見ダム 
 
温見ダムは山口県下松市の末武川上流部にある多目的重力式コンクリートダムです。
1960年(昭和35年)に農林省(現農水省)の補助を受けた山口県の事業で建設され、現在は下松市が受託管理を行っています。
主として灌漑用水の供給を目的として建設されましたが、下松市への上水道用水及び工業用水の供給も行っています。
また河川維持放流を利用した小水力発電所の設置が検討されているようです。
 
温井ダム右岸を県道139号線を通っておりアプローチは簡単です。
まず下流からダムが見えるポイントを探して温見集落を右往左往しましたがこの写真がいいところです。
写真左手の民家の先を進めば堤体直下まで行けそうでしたが、ダートなうえに雨が降り出してきたので無理はしませんでした。
クレストに赤いラジアルゲートが2門、コンジットやオリフィスはなさそうです。
 
ダム右岸の管理事務所前には温見ダム建設の父として『木原六郎』氏の顕彰碑があります。
ネットで調べると多くの肩書を持つ地元の名士ですが、温井ダムが農業用ダムとして建設された経緯から推察すると『下松・徳山土地改良区連合理事長』という肩書が一番当てはまりそうです。
 
ダムの諸元表。
 
下流面。
 
天端は立ち入り可能
でも中央のゲート操作室で行きどまりですが・・・。
 
真上から見れないのでこのアングルから
堤体下部からの放流は河川維持放流のようです。
 
右岸の管理事務所。
 
上流面
ゲートピアの形状や円形の取水設備がレトロ感を引き立てます。
 
右岸上流側の謎の構造物?
 
ダム湖上流から
ダム湖の総貯水容量は452万立米。
 
諸先輩方のブログやホームページでは温見ダムを山口県営ダムと書かれている方が多数いますが、農林省の補助を受けて山口県農林部の事業で建設された農業ダムで、厳密には下松市が受託管理を行っているというのが正しいところです。
 
2073 温見ダム(1091
山口県下松市温見
北緯34度05分11秒,東経131度54分05秒
末武川水系末武川
AWI
36メートル
135メートル
4520千㎥/4520千㎥
下松市
1960年

平瀬ダム

2017-07-31 15:36:18 | 山口県
2017年7月18日 平瀬ダム 
 
平瀬ダムは山口県岩国市錦町の錦川本流中流部に建設中の山口県営の多目的重力式コンクリートダムです。
山口・島根県境の莇ヶ岳に源を発し大きく蛇行を繰り返したのち支流の宇佐川、生見川をあわせて岩国市中心部を貫流して瀬戸内海にそそぐ錦川は延長110キロの山口県最大の河川です。
錦川水系では1945年(昭和20年)の枕崎台風、1950年(昭和25年)のキジア台風、1951年(昭和26年)のルース台風と立て続けに台風の襲来を受け流域で甚大な被害が発生しました。
そこで山口県は錦川総合開発計画を策定、1965年(昭和40年)に錦川上流に菅野ダムを、1984年(昭和59年)に左支流の生見川に生見川ダムを建設します。
しかし錦川下流域ではその後も洪水被害が絶えない一方、夏場の水不足による大規模な取水制限が実施されるなど一段の治水・利水対策が必要となりました。
そこで1988年(昭和63年)から建設事業に着手し、2021年(平成33年)竣工予定で建設されているのが平瀬ダムです。
平瀬ダム完成のあかつきには、錦川流域の洪水調節容量は現在の2倍近くに拡大する見通しです。
 
錦川流域の洪水調節容量(山口県のホームページより)
 
平瀬ダムは菅野ダム、生見川ダムと連携しての錦川の洪水調節、既得取水権への補給と安定した流量の維持、岩国市への上水道用水の供給を目的とするほか、ダム直下に建設する水力発電所で最大1100キロワットの発電を行う予定です。
 
平瀬ダム右岸上流側に展望台が設置され建設現場を俯瞰することができます。
展望台からの眺め
左奥はつけ替えられた国道434号線の橋脚。
 
右下が建設中の堤体
左岸高台にプラントがありベルトコンベアが見えます。
 
建設中の堤体。
 
ケーブルクレーンで生コンが運搬されてきました。
 
ダムカードは岩国市錦町にある錦川総合開発事務所で配布されています。
 
追記
平瀬ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2098 平瀬ダム(1090)
山口県岩国市錦町広瀬
北緯34度15分15秒,東経131度56分14秒
錦川水系錦川
FNWP
 
73メートル
300メートル
29500千㎥/27500千㎥
山口県土木建築部
2021年
◎治水協定が締結されたダム

中国電力中原取水堰

2017-07-31 13:53:31 | 山口県
2017年7月18日 中国電力中原取水堰 
 
中国電力中原取水堰は山口県周南市(旧徳山市)の錦川本流にある中国電力の発電用取水堰堤で、ダム見学の事前予定にはなく水越ダムから平瀬ダム建設事務所に向かう途中で偶々見つけました。
錦川は山口・島根県境の莇ヶ岳に源を発し大きく蛇行を繰り返したのち支流の宇佐川、生見川をあわせて岩国市中心部を貫流して瀬戸内海にそそぐ錦川は延長110キロの山口県最大の河川です。
錦川水系では1924年(大正13年)に設立された山口県電気局が電源開発を進め、同年に完成した錦川第一発電所に次いで1927年(昭和2年)に錦川第二発電所が竣工しました。
その後1942年(昭和17年)に山口県電気局は解散し、その事業施設は中国配電に接収され、1951年(昭和26年)の電力分割民営化で誕生した中国電力がその事業を継承しました。
中原取水堰で取水された水は導水路で錦川第二発電所に送られ最大出力7400キロワットの発電を行っています。
 
国道434号から取水堰を見ることができます。
越流部、導流面ともにたぶん竣工当時のままの表面石張りが残っています。
 
草や枝葉が邪魔ですが、手前に魚道が見えます。
 
右岸側にはゲートがあるようです。
奥は取水口。
 
帰宅後調べると下流からの展望スポットもあったようです。
越流面、導流部ともに石張りのまま、また取水口周辺も竣工当時の姿を残すなかなか貴重な取水堰だと思われます。
山口県ということでなかなか再訪の機会があるとは思えませんが、もしチャンスがあれば今度は下流からの姿を眺めてみたいものです。
 
中国電力中原取水堰
山口県周南市金峰
錦川水系錦川
G(表面石張)
6.7メートル
67.63メートル
中国電力
1927年

水越ダム

2017-07-31 12:03:09 | 山口県
2017年7月18日 水越ダム 
 
水越ダムは山口県周南市(旧徳山市)の錦川本流、菅野ダム下流にある山口県企業局が管理する発電用の重力式コンクリートダムです。
水越ダムは錦川総合開発計画の一環で、菅野発電所の逆調整池として菅野ダムや菅野発電所と同じく1965年(昭和40年)に竣工しました。
上流の菅野発電所はピーク時発電を行っているため時間により発電所からの放流量が大きく変動します。そこで下流に逆調整池として水越ダムを建設し、錦川の河川流量を一定に保つ役割を果たしています。
また水越ダム直下にも山口県企業局水越発電所があり最大出力1300キロワットのダム式発電を行っています。
さらに水越ダム貯水池上流には周南市にある山口県企業局徳山発電所への導水路取水口があり、徳山発電所で発電に利用されたのち周南市の上水道用水及び工業用水として供給されています。
 
菅野ダムから国道434号線を北上すると右手に水越ダムが見えてきます。
ダムの上流ダム湖右岸にある取水口
ここから徳山発電所経由で、上水道用水と工業用水が周南市に送水されます。
 
上流面
発電ダムのため水位は高い位置に維持されています。
 
天端は車両通行可能
銀色の建屋はゲート操作室です。
 
貯水池は総貯水容量79万6000立米
逆調整池のためさほど大きくはありません。
 
天端から下流の眺め
右下が水越発電所です。
 
管理事務所
スペースがない場所に無理やり作り込んだという感じ。
ダムカードのほか企業局管理の発電所カードも配布されています。
 
発電所の取水ゲート。
 
右岸からみた天端。
 
右岸から上流面
手前に水越発電所の取水口、その左にラジアルゲートが3門並びます。
 
下流から遠望
堤高の割に大きなラジアルゲート。
 
追記
水越ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2076 水越ダム(1089)
山口県周南市金峰
北緯34度09分52秒,東経131度54分41秒
錦川水系錦川
18.8メートル
81.7メートル
796千㎥/400千㎥
山口県企業局
1965年
◎治水協定が締結されたダム

菅野ダム

2017-07-31 10:08:58 | 山口県
2017年7月18日 菅野ダム 
 
菅野ダムは山口県周南市(旧徳山市)の錦川本流上流部にある山口県営の多目的重力式コンクリートダムです。
錦川は山口・島根県境の莇ヶ岳に源を発し大きく蛇行を繰り返したのち支流の宇佐川、生見川をあわせて岩国市中心部を貫流して瀬戸内海にそそぐ延長110キロの山口県最大の河川です。
錦川水系では戦前より山口県電気局により電源開発が進められる一方、1940年(昭和15年)には上流部に河水統制事業として日本で最初の多目的ダムである向道ダムが建設されました。
しかし1945年(昭和20年)の枕崎台風、1950年(昭和25年)のキジア台風、1951年(昭和26年)のルース台風と立て続けに襲来した台風により流域は甚大な被害を受け抜本的な洪水対策を求める声が高まりました。
他方、戦後周防灘沿岸地域は工業地帯として発展、急増する都市用水の需要に対処するため新たな水源確保が至上命題となりました。
そこで山口県は錦川総合開発計画を策定、1965年(昭和40年)に向道ダム下流の錦川に竣工したのが菅野ダムです。
しかし菅野ダム運用開始後も錦川中下流域での洪水被害が続く一方、瀬戸内海沿岸部の工業化に伴う水需要もさらに増加の一途をたどりました。
これを受けて山口県は1984年(昭和59年)に錦川左支流生見川に生見川ダムを建設、さらに現在岩国市錦町で平瀬ダムが建設中となっています。 
菅野ダムは生見川ダムと連携しての錦川の洪水調節、周南地区への上水道用水と工業用水の供給を目的とするほか山口県企業局菅野発電所で最大出力1万4500キロワットの発電を行っています。
 
菅野ダムは天端を国道434号線を通っておりアプローチは簡単です。
天端は国道ですがさほど交通量は多くありません。
左手はゲート操作室。
 
手前は竣工当時からの取水設備
奥の巨大な建屋は後付で設置された選択取水設備の機械室。
 
ダム湖(菅野湖)は総貯水容量9500万立米と県営ダムとしてはかなり大きな規模です。
 
減勢工
右手に山口県企業局菅野発電所。
 
右岸川下流面
堤体は右岸で屈曲しています。
 
右岸から発電所。
 
下流面
写真ではよく見えませんがクレストは3門の赤いラジアルゲート
手前の白い出っ張りは後付で設置された選択取水設備のためのもののようです。
その下の水圧鉄管は選択取水設備から発電所への鉄管で、もともとは堤体下部の取水口から直接発電所に送水されていましたが、低温の水が下流の鮎の生態に影響を与えるということで選択取水設備と青い鉄管が付加され、現在はブレンドされた水が発電所に送られています。
 
ダム右岸に公園があり錦川総合開発事業の記念碑などが設置されています。
 
公園からはダムを俯瞰できます。
やはり選択取水設備の建屋が目立ちます。
 
菅野湖上流、県道8号線川久保橋から遠望。
 
残念ながらダムを下流から見るスポットはありません。
菅野ダムの見学会の際にダム下まで入ることができるようです。
 
追記
菅野ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました
 
2075 菅野ダム(1088
山口県周南市中須北
北緯34度08分28秒,東経131度54分14秒
錦川水系錦川
FWIP
87メートル
272メートル
95000千㎥/91200千㎥
山口県土木建築部
1965年
◎治水協定が締結されたダム

向道ダム

2017-07-28 17:59:51 | 山口県
2017年7月18日 向道ダム
 
向道ダムは山口県周南市(旧徳山市)の錦川本流上流部にある山口県と中国電力が共同管理する多目的重力式コンクリートダムです。
日本の土木技術理論において大正期から昭和初期にかけて第一人者であった物部長穂は治水と利水を統合し河川を一貫して開発する『河水統制計画案』を提唱、これをもとに内務省は1935年(昭和10年)に『河水統制事業』を採択、全国七河川一湖沼で治水・利水を一貫した河川開発が実施されることとなりました。
山口県では『錦川河水統制事業』として錦川の洪水調節を図るとともに周南地区への工業用水の供給と発電を目的とした向道ダムが1938年(昭和13年)に着工され1940年(昭和15年)に竣工しました。
向道ダムは着工こそ青森県の沖浦ダムに後れを取ったものの、竣工及び運用開始ベースでは日本初の多目的ダムとなっています。
1942年(昭和17年)に電力事業の国家統制に伴い発電事業は日本発送電傘下の中国配電に委譲、1952年(昭和26年)の電気事業再編政令により中国電力が継承し、以来向道ダムは山口県と中国電力が共同管理する兼用工作物となっています。
1965年(昭和40年)の菅野ダム完成によりダム機能の大半は菅野ダムへと移され、現在の向道ダムは上水道用水及び工業用水の供給、中国電力間上発電所で最大5600キロワットのダム水路式発電、向道発電所での最大500キロワットのダム式発電を目的としています。
 
国道315号線に向道ダムへの標識があり、これに従って隘路を進むと向道ダムに到着します。
この手のダムとしては珍しく堤体直下まで降りることができます。
扶壁の上にゲート操作室が乗るスタイルは中国地方の発電ダムではおなじみで、ここがプロトタイプと言えます。
 
せんぜんおダムでよく見られるすり鉢状の減勢工。
左手前のコンクリートの断面が堪りません。
 
手前は中国電力向道発電所。
 
 
右岸から
まるで戦艦の艦橋のよう。
 
 
ダム下には行けますが天端は立ち入り禁止。
 
これは古いタイプの水位計だそうです。
 
上流面
取水設備は手前側4番ゲートの左手水中にあります。
 
上流から遠望。
 
追記
向道ダムは洪水調節容量のない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たな洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2054 向道ダム(1087)
山口県周南市長穂
錦川水系錦川
WIP
43.3メートル
129.9メートル
7030千㎥/6863千㎥
山口県土木建築部・中国電力(株)
1940年
◎治水協定が締結されたダム

島地川ダム

2017-07-28 14:58:05 | 山口県
2017年7月17日 島地川ダム 
 
山口県中部を南北に流下する佐波川は、流域に広がる県内有数の穀倉地帯を潤す一方で幾多の洪水被害をもたらしてきました。
1956年(昭和31年)に佐波川本流上流部に山口県によって佐波川ダムが建設されますが、本流に匹敵する流入量のある島地川は手つかずのままで佐波川水系の洪水対策は万全とはいえない状況でした。
一方で高度経済成長に伴う沿岸部への工場集積はとどまるところを知らず、併せて人口も増加の一途を辿り新たな都市用水の水源確保が喫緊の課題となってきました。
おりしも1966年(昭和41年)の河川法施工により佐波川水系は一級河川に指定され、建設省(国交省)は『佐波川総合開発事業』を策定、その中核事業として佐波川の主要左支流である島地川上流部に1981年(昭和56年)に竣工したのが島地川ダムです。
島地川ダムは世界で初めて堤体本体をRCD工法によって建設されました。
 
島地川ダムは島地川および佐波川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水への補給と適正な河川流量の保持、防府市・周南市・山口市徳地地区への上水道用水及び工業用水の供給を目的としています。
工業用水については山口県企業局が周南市の旧新南陽地区および旧徳山地区向けの工業用水の水源として島地川ダムを利用しており、佐波川下流で取水された水は導水路で富田川にある山口県営の川上ダムへと送水されています。
 
今回は徳地から国道376号線を東進、国道が島地川ダムの天端を通っているのでアプローチは簡単です。
ダム右岸の管理事務所前の竣工記念碑。
 
RCD記念碑
そういえば同じRCD工法で建設された秋田の玉川ダムにも同じようなモニュメントがあったような?
 
下流面。
 
上流面
国交省直轄ですが、ゲートレスダムのため構造はシンプルです。
自由越流式洪水吐が4門とオリフィスゲート1門 右手に取水設備があります。
 
エレベーター棟
なんか半べそかいた顔に見えます。
 
ダム湖(高瀬湖)総貯水容量2060万立米
雨が上がった直後で空気が洗われ、スッキリした景色が広がりました。
 
減勢工
右手が利水放流設備で、河川維持放流が行われています。
 
天端は国道376号線
国道ですが交通量は非常に少なく見学中にほんの数台通っただけ。
 
下流から
前夜の雷雨で水位が上がったのか?オリフィスから放流されています。
 
ズームアップ
国交省直轄ダムだと、ゲートがごちゃごちゃあるイメージなのですが島地川ダムはゲートレスのスッキリした構造
V字の導流壁が格好いい!!
 
追記
島地川ダムには720万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに413万9000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2086 島地川ダム(1086)
山口県周南市高瀬
北緯34度10分13秒,東経131度46分31秒
佐波川水系島地川
FNWI
89メートル
240メートル
20600千㎥/19600千㎥
国交省中国地方整備局
1981年
◎治水協定が締結されたダム

佐波川ダム

2017-07-28 12:43:24 | 山口県
2017年7月18日 佐波川ダム
 
佐波川ダムは山口県山口市徳地の佐波川本流にある山口県土木建築部が管理する多目的重力式コンクロートダムです。
山口・島根県境の仏峠付近に源を発し山口県中央部を南流して防府市街を経て周防灘に注ぐ佐波川は流路延長57キロの一級河川で、県下最大の防府平野をはじめとして流域は県下有数の穀倉地帯となっています。
一方で豪雨による洪水被害も多く、とりわけ1951年(昭和26年)7月の豪雨では流域で甚大な洪水被害をもたらしました。
そこで山口県は抜本的治水対策として現地点への治水ダムの建設を計画し1952年(昭和27年)から事業に着手しました。
しかしこの間、戦後の食糧増産対策による新規農地の拡大、沿岸部の休息の工業化進展に伴う都市用水や電力需要の増大などから総合的な河川開発を求める声が高まりました。
これを受け県は1953年(昭和28年)に『佐波川総合開発事業』を策定、佐波川のダム建設を治水ダムから補助多目的ダムに変更し、1955年(昭和30年)に竣工したのが佐波川ダムです。
 
佐波川ダムは佐波川の洪水調節、既得取水権として流域の灌漑用水への補給と適正な河川流量の保持、防府市・徳地町(現山口市徳地)地区の新規開墾農地への灌漑用水の供給、防府市の工業地域への工業用水の供給を目的としているほか、山口県企業局佐波川発電所で最大出力3500キロワットの発電を行っています。
 
中国道徳地インターから国道489号線を北上すると徳地野谷で佐波川ダムへの標識が現れます。これに従って市道を進むと佐波川ダムに到着します。
まずは下流から
クレストには2門のラジアルゲートが装備され、向かって左奥に管理事務所が見えます。
 
正面から
2門のラジアルゲートの左岸側(向かって右手)に自由越流式の細長い洪水吐が並ぶ珍しい形状。
ラジアルゲートの扶壁のコンクリートが新しくここは改修があったようです。
1955年(昭和30年)の竣工当時からこのゲート配置なのか?改修でこうなったのか?
 
アングルを変えて
洪水吐導流部の下の方や減勢工を見たいのですが、見える場所がありません。
 
ゲートをズームアップ
こうやってみるとゲートの扶壁のコンクリートだけ白く、明らかに改修があったことがよくわかります。
ゲート巻き上げ機は被覆されています。
 
上流面
対岸の取水塔は発電用。
 
管理事務所のすぐ下に巡視船用の浮き桟橋があります。
 
天端は車両通行可能です
1950年代のダムらしくゲート部分がクランクになっています。
 
減勢工
やっぱり利水放流設備などが見えません。
 
ダム湖(大原湖)は総貯水容量2460万立米。
 
天端左岸はトンネルになっており、ダム湖上流へと続きます。
 
佐波川ダムの完成により佐波川流域の治水利水は大きく改善しましたが、なお中下流部で計画を上回る出水が発生しました。さらに沿岸工業地帯の一段の発展に伴う人口増を受けて上水道および工業用水の新たな水源確保が必要となりました。
1966年(昭和41年)の新河川法制定により佐波川は一級河川に指定され、1981年に建設省(現国交省)により支流の島地川に島地川ダムが竣工し上記諸課題は大きく解決に向かいました。
現在は佐波川ダムと島地川ダムが連携して佐波川の洪水調節を行っています。 
 
 
追記
佐波川ダムには810万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに234万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2067 佐波川ダム(1085)
山口県山口市徳地
北緯34度16分37秒,東経131度39分19秒
佐波川水系佐波川
FNAIP
 
54メートル
156メートル
24600千㎥/21400千㎥
山口県土木建築部
1955年
◎治水協定が締結されたダム

宇賀ダム

2017-07-27 16:56:21 | 広島県
2017年7月17日 宇賀ダム
 
宇賀ダムは広島市安佐北区安佐町久地の太田川支流高山川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化によって誕生した中国電力は、戦後の電力不足解消を目指し新たな電源開発を進めます。
太田川中流域では1925年(大正14年)に広島電気によって間野平発電所が建設され戦後中国電力が事業を引き継いでいましたが、太田川上流の王泊ダムの嵩上げ、樽床ダムの建設などにより間野平発電所地点での河川流量が安定し新たな電源開発の余地が生まれました。
そこで中国電力は1958年(昭和33年)から間野平発電所の再開発に着手、新たな水路を敷設しその途中の調整池として1959年(昭和34年)に竣工したのが宇賀ダムです。
上流の吉ヶ瀬発電所放水路および支流の水内川で取水された水を宇賀ダムにいったん貯め込み間野平発電所に送水することで、間野平発電所の発電能力は従来の最大9000キロワットから2万4000キロワットに大幅に増強されることになりました。
その後1986年(昭和61年)にも増強され現在の間野平発電所の発電能力は最大出力2万4500キロワットとなっています。
 
太田川右岸沿いの県道177号線を西進、宇賀集落で左折南下して集落を抜けると宇賀ダムに到着します。
この間、道路の大半は隘路となるので運転には気を使いました。
左岸から下流面
錆色のラインや苔がいい具合に時代感を醸し出しています。
 
 
天端は立ち入り禁止
堤体直下に1914年(大正13年)に建設された間野平発電所への水路橋があります。
 
水路橋をズームアップ Bランクの近代土木遺産に選定されています。
この水路も間野平発電所へと向かいますが、宇賀ダムとは直接の接続はありません。
 
天端と取水ゲート
ここで取水された水も間野平発電所へと向かいます。
 
ダム湖は総貯水容量90万3000立米
いわゆる調整池です。
 
下流から
アーチ越しにダムを撮りたかったのですが、ちょっと重なってしまいました。
 
アーチの橋脚を見上げると
煉瓦とコンクリートの違いはありますが、この眺めは紛いなく碓氷第3橋梁とそっくりです。
 
ダムの下流面
継ぎ目が明確でいかにも1950年代のダムといった風情。
 
ゲートピアや操作室は独特の構造。
 
夕暮れ時の見学となりましたが、逆に夕暮れの柔らかい日差しがこのダムの風情を一段と引き立ててくれたようです。
 
追記
宇賀ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに41万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1961 宇賀ダム(1084)
広島県広島市安佐北区安佐町久地
北緯34度32分25秒,東経132度23分16秒
太田川水系高山川
31.5メートル
108メートル
903千㎥/410千㎥
中国電力(株)
1959年
◎治水協定が締結されたダム

魚切ダム

2017-07-27 15:27:17 | 広島県
2017年7月17日 魚切ダム
 
魚切ダムは広島県広島市佐伯区の八幡川水系八幡川にある広島県営の多目的重力式コンクリートダムです。
広島県佐伯区北部の東郷山から阿弥陀山に至る山域に源を発し佐伯区南部(旧五日市町)を縦断して瀬戸内海に注ぐ2級河川の八幡川流域では豪雨のたびに洪水被害が発生し、1945年(昭和20年)の枕崎台風、1951年(昭和26年)のルース台風では河口部にあたる旧五日市町中心部がほぼ全域水没するという甚大な被害が発生し抜本的な洪水対策が求められていました。
一方、高度成長期以降旧五日市町や廿日市町は広島のベッドタウンとして人口が急増、さらに都市化の進展により都市用水の需要が急拡大し、新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
これらの課題に対処するために広島県は八幡川上流部に多目的ダムの建設を計画、1981年(昭和56年)に竣工したのが魚切ダムです。
魚切ダムは八幡川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水の供給・安定した河川流量の保持、上水道用水の供給を目的とするほか中国電力魚切発電所で最大700キロワットの発電を行っています。
 
魚切ダムは県道41号沿いにありアプローチは簡単です。
まずは堤体直下へ。
クレストには2門の赤いラジアルゲートがあるほか堤体下部にコンジットゲート、写真では見えませんが右岸に利水放流設備があります。
 
左岸のダム概要モニュメント
サイコロのようです。
 
竣工記念碑。
 
下流面。
 
魚切ダムの銘板と魚釣禁止の警告板
語呂が合うかと思ったけど今一つ。
 
ダム湖(窓竜湖)は総貯水容量846万立米。
 
導流面と減勢工。
 
天端は車両通行可。
 
右岸から下流面。
 
上流面をズームアップ
2門のラジアルゲートの間にコンジットの予備ゲートが見えます
右手は取水設備。
 
1987 魚切ダム(1083)
広島県広島市佐伯区五日市町上河内
北緯34度25分36秒,東経132度19分49秒
八幡川水系八幡川
FNWP
 
79.8メートル
255メートル
8460千㎥/7860千㎥
広島県土木建築局
1981年
◎治水協定が締結されたダム

梶毛ダム

2017-07-27 13:14:22 | 広島県
2017年7月17日 梶毛ダム
 
梶毛ダムは広島市佐伯区の八幡川水系石内川右支流の梶毛川源流部にある広島県営の多目的重力式コンクリートダムです。
石内川は八幡川の主要支流で広島市西部を縦断する流路延長8.7キロの河川ですが、高度成長期より流域での宅地開発が進む一方、豪雨のたびに洪水被害が発生し抜本的な洪水対策が求められていました。
一方1989年(平成2年)から佐伯区から安佐南区にかけての丘陵地帯で広大な宅地造成を主軸とした西風新都事業が着工され、造成に伴う流出量増加のための防災調整池の設置が必要となりました。
 
このような環境の下、2008年(平成20年)に梶毛川源流部に竣工したのが梶毛ダムです。
梶毛ダムは梶毛川および石内川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水への補給と適正な河川流量の保持を目的とするほか、梶毛川ダムの貯水容量には『西風新都』のうち梶毛川の流域内に当たる162ヘクタール分の災害調整容量も含まれています。
つまり梶毛ダムは河川の治水と、都市開発に伴う防災調整機能を併せ持つ『地域整備ダム』となっているのです。
 
県道71号五月が丘交差点から石内バイパスに入り西進するとすぐに梶毛ダムの標識が現れます。
これに従い右折して梶毛川沿いを北上すると梶毛ダムに到着します。
右岸の管理事務所でダムカードをもらったのちダムを見学します。
上流から
取水設備は堤体にビルトインされています。
 
天端は対岸で行きどまり
親柱には枝垂れ桜の装飾。
 
ダムの説明板。
 
下流面。
 
もう少し下流から これが限界
残念ながら下流からダムを正対することはできません。
クレストには非常用洪水吐として自由越流式ゲートが並び、左岸寄りにオリフィスゲートがあります。
ダム湖対岸には西風新都のうち『セントラルシティこころ』と呼ばれる住宅街が広がっており公園も設置されています。
ただし天端越しに対岸に行くことはできません。
 
ダム湖(神原湖)は総貯水容量106万立米ですが実際はもっと小さく見えます。
湖岸に住宅やマンションが立ち並ぶ風景は余所ではあまり見られないものです。
 
減勢工
右手は利水放流設備。
 
左岸から天端
右の青い屋根が管理事務所です。
 
セントラルシティ側から俯瞰
こちらサイドにも立派な公園がありますが、これはあくまでも宅地開発による公園でダムとは接続されていません。
 
ダムをズームアップ。
 
河川の治水と防災調整池を兼ねたダムとしては今回訪問した兵庫県の長谷ダムや千葉県の矢那川ダムなどがあげられます。
 
3561 梶毛ダム(1081)
広島県広島市佐伯区石内
北緯34度26分06秒,東経132度22分37秒
八幡川水系石内川
FN
 
49メートル
170メートル
1060千㎥/930千㎥
広島県土木建築局
2008年
◎治水協定が締結されたダム

荒谷池

2017-07-27 11:34:02 | 広島県
2017年7月17日 荒谷池
 
荒谷池は広島市安佐南区上安町の太田川水系荒谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1917年(大正6年)竣工と記されていますが事業者についての記載はありません。
またダム便覧への写真投稿もなかったため池の実態は不明で、今回のダム訪問に当たっては国土地理院地形図でおよびグーグルの空撮写真を参考にしました。
 
県道268号線で安佐動物公園を過ぎるとすぐに右手の旧道に入ります。
小さな河川(これが荒谷川)を渡る手前(川の北側)の分岐を右手に取り、分岐した旧坂を上り詰めると荒谷池に到着します。
今回は最初に荒谷川の先(川の南側)の分岐に入ってしまい距離にして往復約3キロ、標高差約200メートルの山道を無駄に歩くことになってしまいました。
 
池の堤体はフェンスが張られ立ち入りできません。
上流面はコンクリートで補強されているので竣工以降大きな改修があったと思われますが、記念碑等が全く見当たらないため詳細は不明です。
 
 
天端
フェンスによじ登って撮影しましたが天端も立ち入り禁止。
 
左岸の洪水吐。
 
アングルを変えて。
 
この先が導流部となります。
 
総貯水容量3万立米と小さな溜池です。
 
各種警告板。
 
周辺は花崗岩で形成され、標高の割に谷は深く傾斜もきつくなっています。
なによりも荒谷という名前がこの小さな谷川の性格を表しているのでしょう。
溜池は形式上は灌漑目的の貯水池ですが現実には洪水調節の役割も併せ持っています。荒谷池も貴重な水源であるとともに荒谷の洪水を防ぐという重要な役割を持った溜池です。
 
3561 荒谷池(1081)
ため池コード
広島県広島市安佐南区上安町
太田川水系荒谷川
17.5メートル
63メートル
30千㎥/30千㎥
管理者未確認
1917年

明神ダム

2017-07-27 01:17:32 | 広島県
2017年7月17日 明神ダム
 
明神ダムは広島県広島市安佐北区可部町南原にある中国電力の発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の南原発電所の上部調整池として1976年(昭和51年)に竣工しました。
明神ダムは下部ダムの南原ダムとの落差294メートルを利用して南原発電所で最大出力62万キロワットの揚水式発電を行っています。
 
南原ダムから県道253号線をさらに北上、県道とは名ばかりの南原渓谷の谷合の隘路を進むとやがて立ち入り禁止のゲートが・・・・
 
残念ながら明神ダムは間近でその姿を見ることは叶いません。
ただ落葉期などは周辺の登山道などからその姿を俯瞰することはできるようです。
首都圏近郊ならばそういうチャレンジもしてみるのですがさすがに広島では遠すぎる。
 
追記
明神ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに140万1000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1984 明神ダム
広島県広島市安佐北区南原
北緯34度35分08秒,東経132度30分18秒
太田川水系南原川
88.5メートル
402メートル
6145千㎥/5220千㎥
中国電力(株)
1976年
◎治水協定が締結されたダム

南原ダム

2017-07-26 23:01:44 | 広島県
2017年7月17日 南原ダム
 
南原で『なばら』と読みます。
南原ダムは広島市安佐北区可部町の太田川水系南原川にある中国電力の発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の南原発電所の下部池として1976年(昭和51年)に竣工しました。
上部ダムの明神ダムとの落差294メートルを利用して南原発電所で最大出力62万キロワットの揚水式発電を行っています。
 
原爆投下から奇跡の復興を遂げた広島では、自動車産業や造船業などの重工業が集積するとともに人口も急増、それに合わせて電力需要も増加の一途を辿りました。
1960年代半ばから発電の主力は火力へと移り、さらに原子力発電の台頭もあり水力発電のシェアは低下する一方でしたが、1970年代に入り火力や原子力との連携が図れ余剰電力を有効に利用できる上に大出力の発電が可能な揚水発電に注目が集まりました。さらにオイルショックによる原油価格の高騰が揚水式発電建設の追い風となりました。
 
中国電力もこの流れに乗り広島市中心部から北東20キロ地点の可部町(現安佐北区)に建設したのが南原ダム・明神ダムおよび南原発電所です。
この地点は1974年(昭和49年)に運用が開始された島根原発からの送電線が通っており、深夜の揚水運転のための電力供給が容易であることが最大のメリットとなりました。
 
国道54号線可部バイパスの南原交差点から南原川に沿って県道253号線を北上すると南原地区の奥に南原ダムが見えてきます。
ダムの敷地へは立入りができませんが、下流上流それぞれ遠望することができます。
草が生えているものの花崗岩が積まれた白いリップラップが特徴です。
また右岸の洪水吐導流部はかなりの急傾斜となっています。
 
 
立ち入り禁止のフェンスの手前まで接近してみます。
 
洪水吐導流部の下にトンネルの吐口が見えます。
常用洪水吐もしくは利水放流用でしょうか?
 
県道253号線の樹間から
周辺の山々は花崗岩で形成されており、ダムの堤体もこれらの石を利用して建設されました。
 
上流から遠望。
 
ゲートが見えそうで見えない・・・・。
 
追記
南原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに524万6000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1983 南原ダム(1080)
広島県広島市安佐北区可部町南原
北緯34度33分45秒,東経132度31分00秒
太田川水系南原川
85.5メートル
305メートル
5658千㎥/5246千㎥
中国電力(株)
1976年
◎治水協定が締結されたダム