ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

西山ダム

2018-02-22 12:21:56 | 山梨県
2018年2月18日 西山ダム
 
西山ダムは山梨県南巨摩郡早川町奈良田の富士川水系早川上流部にある山梨県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により新たに電力9社が誕生し山梨県は東京電力の営業エリアとなりました。
東京電力は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、送電網末端部にあたる山梨県では東京電力だけでは電力需要を賄いきれず公営発電である県企業局による電源開発が併せて進められました。
新たに早川上流域での取水権を獲得した県企業局は、昭和30年代から電源開発を進め、奈良田第1~第3、および西山発電所を建設しました。
西山ダムは西山発電所の取水ダムとして1957年(昭和32年)に竣工し、ここで取水された水は西山発電所に送られ最大1万8800キロワットのダム水路式発電を行っています。
 
早川沿いの県道37号線の奈良田トンネルを抜けると西山ダムに到着します。
県道沿いのダムサイトに大きな駐車場があります。
訪問時はダムの改修工事中で、ダム湖の水が抜かれていました。
 
クレストには3門のローラーゲート
右岸のゲートが補修中でべニア張りです。
 
右岸に西山発電所への取水口があります。
 
取水口をズームアップ。
 
改修工事のためダム湖の水は抜かれています。
かなり堆砂が進んでいますが発電用ダムということ排砂は行われていません。
 
天端は工事のため立ち入り禁止。
 
発電ダムらしいゲートピア。
 
排砂ゲート?も工事中。
 
ダム下から。
 
べニア張りのゲートはこれはこれででレアな眺め。
改修工事のため発電所は止められ、流入量はそのまま流下させています。
 
追記
西山ダムは洪水調節容量のない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに55万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0966 西山ダム(1250)
山梨県南巨摩郡早川町奈良田
富士川水系早川
40.6メートル
112.3メートル
2382千㎥/313千㎥
山梨県企業局
1957年
◎治水協定が締結されたダム

雨畑ダム

2018-02-22 10:59:09 | 山梨県
2018年2月18日 雨畑ダム
 
雨畑ダムは山梨県南巨摩郡早川町雨畑の富士川水系早川右支流雨畑川にある日本軽金属(株)が管理する発電目的のアーチ式コンクリートダムです。
1939年(昭和14年)に設立された日本軽金属は、静岡県清水と蒲原に世界最大規模のアルミ精錬工場の建設を進め、精錬用の電力を賄うために富士川に波木井・富士川第一・第二の各発電所を建設し合計11万キロワットの発電能力を有しました。
しかし富士川の流量は季節変動が大きく、渇水期には十分な発電を行うことができませんでした。
そこで水利権を持つ佐野川および早川に河川流量を平準化させる上部調整池として2基のダム建設を進め、柿元ダムに次いで1967年(昭和42年)に竣工したのが雨畑ダムです。
柿元ダム、雨畑ダムから富士川の渇水期に放流を行うことで下流の自社発電所の安定した運用が可能となりました。
また雨畑ダム建設に合わせて新たに角瀬発電所が建設され最大1万3000キロワットのダム水路式発電を行っています。
 
早川は糸魚川ー静岡構造線と中央構造線が重なる大崩落地帯のため、雨畑ダムでは堆砂が著しく総貯水容量に対する堆砂率は90%を越えています。このため貯水池上流で浸水被害が発生するとともに富士川河口沖の駿河湾の環境への悪影響も見られることから2020年(令和2年)に日本軽金属は雨畑ダムの堆砂について国交省の指導を受ける事態となりました。
この件により、従来発電用ダムでは取水に影響がない限り堆砂対策を積極的に講じてこなかった発電業者の姿勢に一石を投じることになっています。
 
県道37号線から雨畑川沿いの県道310号に入ると雨畑ダムに到着します。
ダム手前から左に下る枝道に入るとダム直下に飛び出します。
アーチダムをこのアングルで見上げるのはなかなか珍しいのではないでしょうか?
 
ダム下流が完全に凍結しスケートリンクのようです。
 
右岸の岸壁に空いた穴、仮排水路の跡でしょうか?
 
県道からダムへ向かう管理道路は立ち入り禁止。
県道をさらに進むとダムの上流面を遠望できます。
貯水池は堆砂の影響で濁っています。
 
左岸にローラーゲートが2門。
 
自家発電を持つことで、日本で唯一アルミ精錬を続けてきた日本軽金属ですが、施設の老朽化を理由に2014年(平成26年)にアルミ精錬から撤退しました。
富士川水系で発電した電力は引き続き静岡県内の自社・グループ工場で使用されています。
 
(追記)
雨畑ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0969 雨畑ダム(1249)
山梨県南巨摩郡早川町雨畑
富士川水系雨畑川
80.5メートル
147.6メートル
11000千㎥/11000千㎥
日本軽金属(株)
1967年
◎治水協定が締結されたダム

大倉川ダム(大倉川農地防災ダム)

2018-02-22 05:00:00 | 静岡県
2016年1月17日 大倉川ダム(大倉川農地防災ダム)
2018年2月17日
 
大倉川ダムは左岸が静岡県富士宮市半野、右岸は同市精進川の富士川水系芝川右支流大倉川にある静岡県経済産業部農地局が管理する農地防災目的のロックフィルダムです。
富士川支流の芝川流域は富士山の火山堆積物で形成された透水性が高い地質で、豪雨になると河川流量が急増し流域農耕地に多大な被害をもたらしてきました。
そこで農林省(現農水省)の補助を受けた静岡県の農地防災事業により1975年(昭和50年)に竣工したのが大倉川ダムです。
富士宮市内野地区で芝川に横手沢分流ゲートを設け支流の大倉川への分流水路を開設、洪水の際には芝川の水を大倉川に導水して大倉川ダムに貯留し、芝川および大倉川中下流域の洪水被害を防止する仕組みとなっています。
大倉川ダム自体は普段は貯留せず、流水は放流設備からそのまま流下させています。
 
国道139号線上井出インターから県道414号を西進、県道184号線を左折して半野集落で右に折れると大倉川ダムに到着します。
天端は車道になっており車の通行が可能です。交通量は多くなく写真のトラックでは仕事サボリと思われる男性
が昼寝をしています。
 
右岸に横越流式洪水吐と管理事務所があります。(2018年2月17日)
 
総貯水容量222万立米のうち洪水調節容量が205万立米を占めるため通常はダム湖はほぼ空っぽ。
(2018年2月17日)
 
これが常用洪水吐になり、流入量はそのまま流下させます。
(2018年2月17日)
 
天端からは富士山が望めます。
富士山が見えるダムとしては山梨県の上日川ダムと2大双璧になります。(2018年2月17日)
 
下流面。(2018年2月17日)
 
洪水吐導流部。(2018年2月17日)
 
非常用洪水吐となる右岸の横越流式洪水吐。
 
右岸上流から。(2018年2月17日)
 
ダム湖左岸は断層のようになっており、そんな断崖から小さな滝が流れ落ちています。
 
大倉川ダムの案内板。(2018年2月17日)
 
 
2年ぶりに再訪、今回は冬場れの晴天の下、冠雪した美しい富士山を愛でることができました。
 
大倉川ダムには農地防災容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により205万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1173 大倉川ダム(0195)
左岸 静岡県富士宮市半野
右岸      同市精進川
富士川水系大倉川
45メートル
152メートル
2220千㎥/2050千㎥
静岡県経済産業部農地局
1975年
◎治水協定が締結されたダム

柿元ダム

2018-02-21 12:33:21 | 山梨県
2018年2月17日 柿元ダム
 
柿元ダムは山梨県南巨摩郡南部町の富士川水系佐野川上流部にある日本軽金属(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1939年(昭和14年)に設立された日本軽金属は、静岡県清水と蒲原に世界最大規模のアルミ精錬工場の建設を進め、精錬用の電力を賄うために富士川第一・第二発電所を建設しました。
しかし富士川の水位は季節間変動が大きく渇水期には十分な発電を行うことができないため、富士川の流量平準化を目的として1943年(昭和18年)に柿元ダムが着工されます。
しかし戦況悪化により工事は中断、戦後1949年(昭和24年)に事業が再開され1952年(昭和27年)に柿元ダムが完成しました。
さらに1967年(昭和42年)には雨畑ダムが完成し、両ダムから富士川の渇水期に放流を行うことで下流の自社発電所の安定した運用が可能となりました。
また柿元ダム建設に合わせて新たに佐野川発電所が建設され最大5800キロワットのダム水路式発電を行っています。
 
JR身延線内船駅南で国道52号線から町道に入り八木沢集落を抜け佐野川沿いの隘路をひたすら進むと右手に柿元ダムが見えてきます。
クレストに5門のローラーゲートが並びます。
 
町道の柿元バス停から俯瞰。
ゲート巻き上げ機が並ぶ姿はいかにも発電ダムと言った風。
 
ダムへ通じる管理道路は車両進入禁止のため歩いて下ります。
 
下流面。
 
ダム竣工年の1952年(昭和27年)から使用されているローラーゲート
 
貯水池の天子湖は総貯水容量759万2000立米。
 
減勢工は簡単な作り。
 
左岸は波返しがついた美しい導流壁。
 
ゲートピアは完成から60年以上経過した時代感を醸し出しています。
 
左岸にある謎の構造物
プラント跡なのか?
 
堤体上流部に取水設備があります
富士川の渇水期ということでダム湖の水位は低くなっています。
 
各ダム訪問記などからてっきり堤体へは立ち入り禁止かと思いましたが、登山者やハイカーなどの利用もあり徒歩での立ち入りが可能です。
日本軽金属の発電設備はアルミニウムという軍事物資向け発電だったため、日本発送電による接収はなく現在に至っています。
 
追記
柿元ダムは洪水調節容量のない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに最大107万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。 
 
0965 柿元ダム(1248)
山梨県南巨摩郡南部町下佐野
富士川水系佐野川
46.1メートル
215メートル
7591千㎥/7185千㎥
日本軽金属(株)
1952年
◎治水協定が締結されたダム

中島ダム

2018-02-20 16:07:02 | 静岡県
2018年2月17日 中島ダム
 
中島ダムは静岡県駿東郡小山町柳島の酒匂川水系中島川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地記念碑によれば、1918年(大正7年)に静岡県の事業によって建設されましたが、1972年(昭和47年)7月の集中豪雨により堰堤が決壊し犠牲者が出る惨事となりました。
その後県の災害復旧事業により1975年(昭和50年)に復旧され現在に至っています。
ダムの管理は中島水利組合が行っています。
 
国道246号線中島インターから『金時公園』の標識に従って北上し、新東名の建設工事現場を過ぎると中島ダムに到着します。
中島地区は金太郎こと坂田金時生誕の地とされ、ダム一帯は金時公園として整備されています。
 
ダム下から
堤体は近年さらに改修が行われたようで基部はコンクリートで補強されています。 
 
堤体左岸(写真右手)の洪水吐導流部。
 
ダム左岸に各種記念碑や水神が置かれ、石碑移設記念碑には中島ダム(中島貯水池)の由来が記されています。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
斜樋と土砂吐ゲート。
土砂吐ゲートはかなり大掛かりで、ちょっと他では見かけないタイプ。
 
左岸の洪水吐
日蔭になり見づらい写真に・・・。
 
天端は車道。
 
ダム一帯は金太郎にちなんで金時公園として整備されています。
石には『八重桐之池』の銘。
 
非灌漑期ということで水が抜かれほぼ空っぽ。
 
土砂吐ゲート。
 
底樋は確認しませんでした。
山中にひっそりと佇むアースダムという雰囲気のはずですが、ダムの下流1キロほどで新東名高速の建設工事が行われあわただしい雰囲気となっていました。
 
3371 中島ダム(1247)
ため池コード 223440002
静岡県駿東郡小山町柳島
酒匂川水系中島川
17.4メートル
60メートル
38千㎥/36千㎥
中島水利組合
1918年

三保ダム

2018-02-20 10:00:00 | 神奈川県
2016年1月16日 三保ダム
2018年2月17日
 
三保ダムは神奈川県足柄上郡山北町神尾田の二級河川酒匂川水系河内川にある神奈川県企業庁が管理する多目的ロックフィルダムです。
高度成長を受けて神奈川県内への人口、事業所の集中は一段と加速し、従来の相模川水系だけでは増加の一途をたどる都市用水需要を賄うことが困難となってきました。
そこで神奈川県は県西部最大河川である酒匂川に着目、建設省の補助を受けた補助多目的ダム建設事業に着手し、1978年(昭和53年)に三保ダムが竣工しました。
三保ダムは酒匂川水系の洪水調節、神奈川県全域への上水道用水の供給、東京発電田ノ入発電所での最大7400キロワットのダム式水力発電を目的としています。
 
三保ダム貯水池の丹沢湖は西神奈川を代表するレクリエーションエリアとなっており、四季を通じて多くの観光客やハイカーが訪れています。
またダム自体もダム下に公園が整備されているほか、堤体を登る道路も歩行者に開放されておりダム湖百選にも選ばれています。
 
県道76号から丹沢湖手前でダム広場への道に入ると正面に三保ダムが姿を現します。
三保ダム最大の特徴はまるで重力式コンクリートダムと見まがうばかりの巨大な洪水吐です。
この写真だけを見れば重力式コンクリートダム以外の何物でもありません。
 
ダム直下の吊り橋から
洪水吐はラジアルゲート4門、右岸に越流高の異なるローラーゲートが1門、一番右岸(向かって左手)寄りに横越流式洪水吐からの放流口があります。
 
 
ダム下公園にはミニチュアのダムや吊橋が作られています。
 
左岸から見た堤体下流面
リップラップには芝生が張られ見た目はアースフィルダム。
 
天端および下流面の道路は歩行者のみ開放されています。
 
天端は緩やかにカーブし上下に畝っています。
 
ここを見るとロックフィルだとわかります。
 
上流面
堤体が緩やかに湾曲。
 
ダム湖の丹沢湖は総貯水容量6490万立米
神奈川を代表するレクリエーションエリアです。
 
減勢工
減勢工の隣には茶畑。
 
ゲート最右岸には非常用洪水吐である横越流式洪水吐があります。
 
ダム下公園に置かれた東京電力田ノ入ダムのゲート巻き上げ機と嵐発電所のライナー。
 
東京発電田ノ入発電所の放流口。
ここは分水工になっていて、右手は嵐発電所の取水口、左手は河川維持放流や常用浮流として河内川に戻されます。
 
芝生が張られアースダムと見紛うような女性的な堤体と、それだけ見れば恰も重力式コンクリートダムのようなスパルタンな洪水吐の対比が非常に美しい三保ダム。
神奈川と言えば宮ヶ瀬ダムの人気が高いですが、個人的には三保ダムの方が好みです。
 
追記
三保ダムには1000万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに522万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0702 三保ダム(0191)
神奈川県足柄上郡山北町神尾田
酒匂川水系河内川
FWP
95メートル
587.7メートル
64900千㎥/54500千㎥
神奈川県企業庁
1978年
◎治水協定が締結されたダム

飯泉取水堰

2018-02-20 02:44:05 | 神奈川県
2018年2月17日 飯泉取水堰
 
飯泉取水堰は神奈川県小田原市の2級河川酒匂川河口から上流に2.3キロ地点にある神奈川県広域水道企業団が管理する上水道目的の可動堰です。
神奈川県の『酒匂川総合開発事業』に上水道事業者として事業参加した神奈川県広域水道企業団の取水堰として1973年(昭和48年)に竣工、翌年から運用が開始されました。
1978年(昭和53年)の三保ダム完成により日量最大156万4300立米の取水が可能となり、県内3カ所の浄水場を経て神奈川県営水道・横浜市営水道・川崎市営水道・横須賀市営水道に上水道用水を供給しています。
1985年(昭和60年)には近代水道の代表的施設として近代水道百選に選ばれました。
 
酒匂川にかかる国道255号線飯泉橋から下流に飯泉取水堰が見えます。
ちょうど日の出時間の訪問となり逆光に取水堰が浮かびます。
手前が上流です。
 
同じく上流から
対岸左手が取水口になります。
 
右岸下流から
管理橋は現在補修工事中
赤いゲートが朝日に映えて鮮やか。
 
洪水吐ゲート8門、土砂吐ゲート1門、計9門のゲートが並びます。
 
今度は左岸下流から
手前のコンクリートの導流堤の間に魚道がありますが、フェンスが邪魔で見えません。
背後には箱根の山越しに富士山も望めます。
 
左岸にある取水設備は立ち入り禁止ですが、定期的に見学会を催しているようです。
機会があればぜひ見学してみたいものです。
 
3078 飯泉取水堰(1246)
左岸 神奈川県小田原市中新田
右岸 神奈川県小田原市扇町四丁目
酒匂川水系酒匂川
MB
5.4メートル
342.5メートル
---千㎥/---千㎥
神奈川県広域水道企業団
1973年

大沢池(下大沢池)

2018-02-19 13:01:49 | 三重県
2018年2月11日 大沢池(下大沢池)
 
大沢池(下大沢池)は三重県伊賀市下友田にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1936年(昭和11年)に鞆田土地改良区により建設と記されていまが、下大沢池の経緯度の記載はなく、フォトアーカイブスへの投稿などでは現地に下大澤池の記念碑が建立されている『大沢池』が下大沢池とされています。
ここではダム便覧のフォトアーカイブスに習い『下大澤池』の石碑がある『大沢池』を下大沢池として記載します。
ただ、ため池データベースでは大沢池の堤高は14.5メートルとなっており、仮にここが下大沢池だったとしてもダムの要件は満たしていません。
 
左岸から
ダム便覧では堤頂長150メートルとなっていますが、目視でもせいぜい30メートル程度。
ため池データベースの32メートルが妥当な数字です。
上流面はコンクリートで護岸。
 
左岸の取水設備。
水没していますが尺八樋です。
 
2基の記念碑
この表面に『下大澤池』の名が刻されていますが、裏側の写真しか撮らなかった><。
 
下流面
ため池データベースでは14.5メートル。
 
天端。
 
ため池データベースでは総貯水容量15万4000立米。
 
右岸の洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
『下大澤池』の石碑をもって、大沢池を下大沢池と比定したとしても堤高は15メートルに及ばずダムの要件を満たすことができません。
 
1298 大沢池(下大沢池)(1243)
ため池コード
三重県伊賀市下友田
淀川水系鞆田川右支流
14.5メートル(ダム基準未達)
32メートル
154千㎥/154千㎥
管理者未確認
1930年

西米の川ダム

2018-02-19 11:46:15 | 三重県
2018年2月11日 西米の川ダム
 
西米の川ダムは三重県伊賀市丸柱の淀川水系米之川源流部にある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
1982年(昭和57年)に当時の阿山町によって建設され、現在は市町村合併に伴い伊賀市上下水道部が管理を行っています。 
 
伊賀市丸柱にある伊賀焼伝統産業会館先で国道422号を南に折れ、集落を抜けたどん詰まりに西米の川ダムがあります。
洪水吐は自由越流式クレストゲート1門だけと自治体管理の上水用ダムではよくあるタイプ。
 
ダム下から。
 
減勢施設としてバッフルピアが並びます。
 
ダム下にあるこの施設は灌漑用水向けの施設で、門扉の先には円筒分水工があります。
 
ダムの概要。
 
上水道用水に加えて灌漑用水の取水行われていますが、灌漑用水については既得取水権でありダムの貯水容量には含まれないのでダムの目的は『W』のみとなります。
 
1334 西米の川ダム(1242)
三重県伊賀市丸柱
DamMaps
淀川水系米之川
18.5メートル
65.3メートル
103千㎥/79千㎥
伊賀市上下水道部
1982年

大正池

2018-02-16 01:18:57 | 三重県
2018年2月11日 大正池
 
大正池は左岸三重県伊賀市石川、右岸伊賀市丸柱の淀川水系丸柱川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1935年(昭和10年)に大正池耕地整理組合の事業により竣工と記されていますが、池の名前は「大正池」です。
名前が大正池にもかかわらず竣工年度が昭和というのが納得のゆかないところで、実際の池の起源は大正時代に遡り昭和10年に改修が竣工したのか?それとも溜池築造に着手したのが大正期だったのか?そのあたりの事情が気になるところです。
 
大正池から延びるる灌漑用水路沿いを北に約600メートル歩きます。 
 
池の手前に洪水吐からの導水路が現れます。
ちょうど減勢工にあたる部分でしょうか?
やや扇形の美しい石積みのエンドシルです。
 
堤高15.5メートルの堤体
奇麗に刈り払われ、斜めに天端への踏跡が続きます。
 
ちょっとわかりづらいですが、取水設備からの底樋樋門。
 
天端。
 
天端から。
 
上流面と左岸の斜樋。
 
斜樋の操作室は国会議事堂風。
 
上流面は谷積の石で護岸。
 
総貯水容量は28万5700立米。
貯水池のまわりはゴルフ場。
 
取水設備からさらに湖岸を進むと洪水吐に行けますがが、倒木が道を塞いでいたので無理はしませんでした。
 
1296 大正池(1241)
ため池コード
三重県伊賀市石川
淀川水系丸柱川左支流
15.3メートル
71メートル
480千㎥/480千㎥
管理者未確認
1935年

滝谷池

2018-02-15 23:25:36 | 三重県
2018年2月11日 滝谷池
 
滝谷池は三重県伊賀市槙山の淀川水系河合川(上流では滝谷川)源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地記念碑には三重県の事業で1956年(昭和31年)に建設され、さらに県のため池等整備事業で改修が行われたと記されています。
滝谷池の管理は阿山町土地改良区が行っており、ここで取水された水は約2.2キロの導水路で玉瀧地区に送られます。
なおダム便覧では堤高23.5メートルとなっていますが、ため池データベースでは21.5メートルとなっておりここではデータベースの数字を採用します。
 
左岸天端わきに竣工記念碑や県の整備事業の案内板などが建っています。
天端にはチェーンが張られ車の進入はできません。 
 
竣工記念碑
1956年(昭和31年)の池完成時に建立されました。
戦後の石碑にしてはずいぶん年季が入っています。
 
左岸の斜樋
円形のちょっとしゃれた建屋です。
伊賀市のため池の取水設備建屋は凝ったものが多いですね。
 
天端からの眺め
集落までは約2キロ、延々と森が続きます。
 
総貯水容量は80万立米で、山中にある溜池としてはかなりの規模です。
 
天端
轍がありますが、関係者以外の車両は進入できません。
 
奇麗に刈り払われた堤体。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
また右岸が弓型に湾曲しています。
 
右岸の越流式洪水吐。
 
底樋や玉瀧地区へ続く水路も見てみたかったのですが、堤体を歩いて下るのは自重したため確認できませんでした。
 
1304 滝谷池(1240)
ため池コード
三重県伊賀市槙山
淀川水系河合川(滝谷川)
21.5メートル
246メートル
800千㎥/800千㎥
阿山町土地改良区
1956年

入鹿池(再)

2018-02-15 17:27:49 | 愛知県
2018年2月10日 入鹿池(再)
 
入鹿池(再)は愛知県犬山市堤下の木曾川水系五条川上流部にある灌漑・防災目的のアースフィルダムです。
徳川幕府成立以降木曽川流域の治水とともに新田開発が進められ、その水源として尾張藩初代藩主徳川義直の命により1633年(寛永10年)に築造されたのが入鹿池です。
しかし、幕末の1868年(慶応4年、明治元年)に『入鹿切れ』と呼ばれる大規模な決壊事故が発生し、犠牲者700人を超える大惨事となり、この復旧には1879年(明治12年)まで時間を要しました。
1991年(平成2年)に竣工した入鹿池再開発防災ダム事業により従来の灌漑に加えて農地防災機能が付加されダムの目的はFAとなりました。
2005年(平成17年)には愛知用水からの補給が開始され、灌漑機能は格段に向上しました。
入鹿池(再)は総貯水容量、湛水面積ともに香川県の満濃池を凌ぐ日本最大の農業用ため池で、池の管理は入鹿用水土地改良区が行い、犬山市・小牧市・大口町・扶桑町の628ヘクタールの農耕地に灌漑用水を供給しています。
また日本を代表する溜池として2010年(平成22年)に『ため池100選』に、2015年(平成27年)にはICID(国際かんがい排水委員会)により『世界かんがい施設遺産』に選定されました。
 
入鹿池南側を通る県道16号線から
堤体に『いるか池』の文字が見えます。
堤頂長は724メートルに及び、ここから見える堤体はほんの一部です。
ダム下には放流設備や愛知用水からの揚水設備などが並びますが、訪問時は工事中のため立ち入りできませんでした。
 
延々と続く堤体。
 
池を管理する入鹿用水土地改良区事務所
隣接する明治村に合わせて明治風の建物になっています。
 
右岸の横越流式洪水吐
鋼製起伏ゲートがあり貯水位を1メートル調整できます。
 
溜池としては日本最大規模を誇る入鹿池
ワカサギ釣りのメッカでシーズンの休日ということで多くの釣り船が湖面に出ています。
 
取水塔も明治風の建物。
 
上流面
堤頂長は740メートルを超えます。
 
天端は車道になっており、釣り客向けの貸船屋や食堂が並びます。
天端に店舗が並ぶアースフィルダムは全国でもここだけでしょう。
 
まるで墓石のように各種記念碑が並んでいます。
 
世界かんがい施設遺産の記念碑。
 
古い取水塔のバルブが展示されています。
 
日本を代表する灌漑用ダムとしてじっくり見学したいところですが、ちょうどワカサギ釣りシーズン真っただ中、駐車場の確保にも困りあわただしい見学となりました。

入鹿池(元)
ため池コード
愛知県犬山市
木曽川水系五條川
28.9メートル
692メートル
15200千㎥/15200千㎥
入鹿用水土地改良区
1633年
----------------
1242 入鹿池(再)(1239)
ため池コード
木曽川水系五條川
FA
25.7メートル
724メートル
18479千㎥/18479千㎥
入鹿用水土地改良区
1991年 

五ヶ村池

2018-02-15 16:22:31 | 愛知県
2018年2月10日 五ヶ村池
 
五ヶ村池は愛知県春日井市西尾町の庄内川水系西尾川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には愛知県の事業で1974年(昭和49年)に竣工と記されていますが、竣工記念碑等はなく詳細は不明です。
ただ、五ヶ村池という名称から、もともとは受益者となる下流五ヶ村の共同で建設された溜池と考えられ、竣工年度の1974年は従来あった溜池が整備された時期と推察されます。
池の管理は春日井市河川排水課が行っています。
なおダム便覧の堤高17.7メートルに対しため池データベースでは14.7メートルに留まっています。
 
国道19号線春日井バイパスの内津パーキング西側の立体の分岐を北に折れ、ゴルフ場に沿って進むと五ヶ村池に到着します。
 
堤体下流面は車道が通りどこが堤体かわかりずらい状況。 
 
一応これが天端。
 
左岸に越流式洪水吐があります。
 
堤体上流面の斜樋。
 
貯水池側から見た斜樋。
 
総貯水容量は10万5000立米。
 
上流面はコンクリートで護岸されていますが、ゴミが散乱。。
 
ちょっとわかりづらいですが越流式洪水吐。
 
洪水吐導流部
大きく湾曲し堤体とは別方向に流下してゆきます。
 
 
底樋は確認できませんでした。

3442 五ヶ村池(1238)
ため池コード
愛知県春日井市西尾町
庄内川水系西尾川
17.7メートル(ため池データベース14.7メートル
40メートル
105千㎥/105千㎥
春日井市河川排水課
1974年

宝地池

2018-02-15 14:04:49 | 愛知県
2018年2月10日 宝地池
 
宝地(ほうぢ)池は愛知県豊川市上長山の豊川水系宝川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムで、ダム便覧には愛知県の事業で1955年(昭和30年)に建設と記されています。
その後2017年(平成29年)にかけて大規模な改修工事が行われ、堤体は一新されました。
池の管理は宝地溜池組合が行っています。
 
実は宝地池には2016年(平成28年)1月に訪問するも改修工事中で立ち入りできず、改修工事工期が終わった翌年2月に再訪するも工事の延長で再び見学叶わず、今回3度目の正直でようやく池と対面することができました。
 
左岸から上流面
昨年3月に改修工事が終わったばかり、上流面は美しい石積みになっています。 
 
左岸の斜樋。
 
天端から。
 
総貯水容量は29万立米
池のすぐ北側を新東名が走っています。
 
右岸から上流面
奥には本宮山が見えます。
 
右岸の横越流式洪水吐。
洪水吐も改修で新調されました。
 
下流面
昨年3月に改修されたばかりで張られたばかりの生が黄金色に輝いています。
 
池の下流からアプローチする道もありますが、そちらは関係者以外立ち入り禁止。
ということで立ち入り制限がなかった堤体の階段を下りました。
洪水吐導流部と取水設備からの底樋とゲート。手前に円筒分水工があります。
 
底樋樋門をズームアップ。
 
円筒分水工
草が生え引退?と思いきやバリバリの現役
需要期のみですが、灌漑用水の溢流が見れるそうです。
 
見学中に見回りに来た関係者の方に話を伺うことができました。
高齢化などによる離農が進み、受益農家はこの20年ほどで半減、池は豊川市の所有で水利組合が管理をしているそうです。
また周辺の山林は山火事が多く、火事の際はヘリによる消火用の水源にもなるそうです。

1218 宝地池(1237)
ため池コード
愛知県豊川市上長山町
豊川水系宝川
19.6メートル
239メートル
290千㎥/290千㎥
宝池溜池組合
1955年

設楽ダム

2018-02-15 04:55:23 | 愛知県
2018年2月10日 設楽ダム
 
設楽ダムは愛知県北設楽郡設楽町の豊川本流上流部に国交省中部地方整備局の直轄事業として建設中の多目的重力式コンクリートダムです。
もともとは1963年(昭和38年)に電源開発が発電用ダムとして計画したものの地質上の問題から白紙化、その後当時の通産省(現経産省)により揚水発電用ダムとして再び事業計画され、1078年(昭和53年)に建設省(現国交省)による多目的ダム事業として事業着手されました。
2010年(平成22年)に国交省による検証対象ダムとなりましたが、2014年(平成26年)に事業継続が決定、2016年(平成28年)に2026年(平成38年)の完成予定が明示され、2017年(平成29年)より建設事業が開始されています。。
現在は資材搬入道路の整備および転流工の設置工事が始まったばかりです。
完成の暁には総貯水容量9800万立米の巨大な貯水池が出現し、豊川本流上流流部の洪水調節、不特定利水、東三河地域向けの上水道用水及び農業用水の供給を目的とする予定です。
 
完成予定図(国交省 設楽ダム工事事務所より)
 
設楽町中心部から県道33号線を西に向かい豊川本流に着くとダム関係の案内板や立ち並んでいます。
ダム予定地の案内板。
 
実際のダム建設予定地。
 
現在は資材搬入道路の整備と転流工の建設が始まったばかりです。
 
各種案内板。
 
 

1240 設楽ダム(1236)
愛知県北設楽郡設楽町清崎
豊川水系豊川
FNAW
129メートル
380メートル
98000千㎥/92000千㎥
国交省中部地方整備局
2026年予定