ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

丸山ダム(元)

2024-08-28 08:00:00 | 岐阜県
2016年1月10日 丸山ダム(元)
2024年5月29日
 
丸山ダム(元)は左岸が岐阜県可児郡御嵩町小和沢、右岸が同県加茂郡八百津町八百津の一級河川木曽川本流にある国土交通省中部地方整備局が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
電力国家管理政策により木曽川水系の発電施設を接収した日本発送電(株)は包蔵水力豊富な木曽川での電源開発を進め、1943年(昭和18年)に丸山ダム及び丸山発電所の建設に着手しますが、戦況悪化により事業は中断。
しかし、戦後の電力不足を受け1950年(昭和25年)に工事が再開され、電気事業再編成により木曽川水系の発電施設を継承した関西電力(株)が建設事業を継承しました。
一方、ダムによる木曽川の洪水調節を企図していた建設省(現国土交通省)は丸山ダムに着目、1952年(昭和27年)より丸山ダム建設事業に参加し関西電力と建設省の共同事業として1955年(昭和30年)に丸山ダム(元)が完成しました。
丸山ダム(元)は建設省(現国土交通省)と関西電力(株)が共同管理する『兼用工作物ダム』として運用が開始され、最大毎秒1800立米の洪水をカットする一方、丸山発電所(最大12万5000キロワット)でのダム水路式発電が開始されました。
さらに1971年(昭和46年)には新丸山発電所(最大出力6万3000キロワット)が稼働し合計18万8000キロワットと一般水力発電では国内有数の発電量を誇るに至りました。
丸山ダム(元)は近代的建設技術を駆使しわが国初の堤高100メートル級ダムとして完成し、その後の巨大ダム建設に大きな影響を与え建設業界におけるエポック的存在となっています。

ダム運用開始以降幾多の豪雨においてその治水能力を発揮した一方で、日本有数の大河川である木曽川本流における治水目的を持つ唯一のダムとしての丸山ダム(元)の治水能力には懸念も多く、その再開発は早期から遡上に上っていました。
1983年(昭和58年)の台風10号により木曽川中下流部で多大な洪水被害が発生したことを契機にダム再開発機運は一気に高まり、途中民主党政権下での事業検証による遅延はあったものの、2021年(令和3年)より新丸山ダム(再)本体建設が着手されました。
これに合わせ従来の国土交通省と関西電力の共同管理を国土交通省直轄管理に改め、兼用工作物多目的ダムから特定多目的ダムに変更されました。
現在は2036年(令和18年)竣工をめどに建設が進められている途上で、竣工の暁には丸山ダム(元)の総貯水容量に匹敵する7200万立米の洪水調節容量を有し、最大毎秒2500立米の洪水カットが可能となるほか、新たに不特定利水容量が付加されるとともに発電能力の増強が行われる予定です。

丸山ダム(元)には2016年(平成28年)1月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪シ、この際に職員様案内によるダム見学に参加しました。
当記事前半は初訪時、後半は再訪時の紹介となっています。また、見学については別項の『丸山ダム見学』にて紹介していますのでそちらをご覧ください。

こちらは新丸山ダム(再)の完成予想図。
丸山ダム(元)の50メートル下流側に新ダムが建設されます。
新ダム建設の進め方については国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらを参照ください。

 
【2016年1月10日】
ダム下の県道358号線からダムと正対できます。
堤高は98.2メートルでわが国初の100メートル級のダムとして建設されました。
クレストにはローラーゲート5門を装備し最大毎秒4800立米の放流能力を持ちます。

 
ゲートをズームアップ
当初は大井ダムのような堤頂一杯にゲートを並べる構造が想定されていましたが、巨大ゲートの導入により5門のゲートに収まりました。
当ダム以降、それまで主流だった横並びのゲートで川を閉め切るダムは姿を消しました。
ピアにはアーチのデザインが採用されています。
前身の大同電力を指揮した福澤桃介はアールデコを好みましたが、これに敬意を表したのかも?

 
右岸展望台から
導流部の膨らみはちょっと中空ダムっぽい。

 
ダム湖右岸にある関西電力の取水工。
奥は丸山発電所、手前は新丸山発電所の取水工となります。

 
上流面。

 
天端
ゲートごとに金属製のグレーチングがありますが、これは予備ゲート嵌め込み用。

施工した間組の銘板
当時は『ダムの間』と呼ばれ、ダム建設における第一人者でした。

 
ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が架かっています。
半円形のバルコニーはいかにも昭和20年代といったフォルム。


減勢工は深い渓谷。

丸山蘇水湖と命名されたダム湖は総貯水容量7952万立米。

 
下流面。


【2024年5月29日】
ここからは2024年(令和6年)の再訪時の記事となります。
新ダム着工に合わせて新たに設けられた丸山ダム展望台・まるっとテラスから
前日までの大雨で訪問時は毎秒600立米を放流中。

 
これは新たに建設された丸山大橋から
初訪時に写真を撮った、ダム直下の県道はすでに通行禁止。

 
その県道を工事用ダンプが横切ります。

 
ダム左岸では転流工を建設中。
ダム完成後は放流設備の放流口となります。

 
右岸の新丸山発電所
巨大なガントリーが四つ足ロボットのようです。

まるっとテラスには各種石碑が移設されています。
これはダム建設を指揮した関西電力社長太田垣士郎の揮毫で、『静中動』とは見た目は静かながらもその内には機に応じて動くべく熱量が潜められているという意。 

 
右岸から
掘削や法面補強など新ダム建設工事が進行中。

 
天端から放流を見下ろす
毎秒600立米でもかなりの迫力、前夜のピークには毎秒2600立米の放流を行ったそうです。



 
新丸山ダム(再)の竣工は12年も先。
定期的に見学会が開催されているので、機会があればまた参加しようと思います。
 
(追記)
丸山ダム(元)にはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1084 丸山ダム(元)(0185)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FP
98.2メートル
260メートル
79520千㎥/38390千㎥
国土交通省中部地方整備局
1955年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
1136 新丸山ダム(再)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FNP
118.4メートル
340.6メートル
131350千㎥/90220千㎥
国土交通省中部地方整備局
2036年竣工予定

大井ダム

2024-08-20 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 大井ダム
2023年4月20日
2024年5月29日
 
大井ダムは左岸が岐阜県恵那市大井町、右岸が同県中津川市蛭川の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が多い木曽川では大正中期より木曽電気製鉄(株)による電源開発が進められていました。
1921年(大正10年)に同社を含む3社の合併により新たに大同電力(株)が誕生、電力王と呼ばれた福沢桃介指揮のもと同社は木曽川での電源開発に邁進し、同社初の発電ダムとして1922年(大正11年)に大井ダムが建設着手されます。
大井ダム建設事業はわが国初の本格的コンクリートダム建設事業であり、海外の先端技術を導入し機械化が進められ、関東大震災による資金不足や洪水による堤体流失などの障害を乗り越え1924年(大正13年)に無事竣工しました。
併せて建設された大井発電所も1925年(大正14年)に運用を開始、最大出力4万2900キロワット(のちに4万8000キロワットに増強)は当時のわが国発電所の最大出力を誇りました。
大井ダム建設の成功は大同電力のみならず、例えば東信電気による阿賀野川の鹿瀬ダムなど他の電力各社の電源開発にも大きな影響を与え、まさに戦前日本のダム建設の金字塔ともいえる事業となっています。
大井ダム・発電所をはじめ木曽川水系の大同電力の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承し現在に至っています。
木曽川は中部電力(株)の営業管内ですが、日本発送電の分割に際しては発生電力はどの地域に供給されるか?という『潮流主義』が採用され、阪神地域への送電線網を持つ木曽川の発電施設はほぼ関西電力が受け継ぎました。
その後1983年(昭和58年)に新大井発電所(最大出力3万2000キロワット)が新設、1997年(平成9年)には大井発電所の出力が5万2000キロワットに増強され、大井ダムの発電能力は計8万4000キロワットとなっています。

大井ダムは日本初の本格的ダムとしての評価が高くダムおよび発電所は土木学会選奨土木遺産に、ダムはAランク、発電所はBランクの近代土木遺産および近代化産業遺産に指定されています。
またダムは日本ダム協会による日本100ダムに、ダム湖の恵那峡はダム湖百選に選ばれています。

大井ダムには2016年(平成28年)1月、2023年(令和5年)4月、翌2024年(令和6年)5月の3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

先ずは2015年(平成17年)に完成した県道82号バイパスの東雲大橋から。
水面からの高さは80メートルあり、まるで空撮のようなアングルでダムを俯瞰できます。
ここから見ると大正期に木曽川を締め切るダム建設事業がいかに難工事だったかが容易に想像がつきます。 
ダムの背後にそびえるのは日本百名山の恵那山
(2023年4月20日)

3度目の訪問時は前日までの豪雨で水位が上昇し、21門全門からの放流を見ることができました。
かなり高い位置ですが放流の轟音が響きます。
(2024年5月29日)


堤体をズームアップ
21門のラジアルゲートで木曽川を締め切ります。
ゲートはもちろん関電ブラック。
湖面では浚渫船が稼働していますが、大井ダムの浚渫は川砂採取業者が行っています。
(2023年4月20日)

普段は穏やかな表情のダムも、全門放流となるとまるで暴れまわる竜のようです。
(2024年5月29日)


ダム下の東雲橋に移動します。
ここも大井ダム撮影の定番スポット
手前が1925年(大正14年)運用開始の大井発電所。
現在はピーク発電を行っていますが、訪問時岐阜県は気温30度に迫る季節外れの夏日。見学中の正午ちょうどに発電が開始されました。
右奥は新大井発電所でこちらは常時発電を行います。
(2023年4月20日)

(2024年5月29日)


木曽川左岸の阿木川合流点にあるのは中部電力(株)奥戸発電所
1921年(大正10年)竣工と大井発電所よりも歴史の古い発電所ですが、こちらは阿木川の水を利用した水路式発電所で大井ダムとの水利関係はありません。
(2023年4月20日)


発電所下流の支流和田川に流下する大井発電所のサージタンクからの余水吐流路。
擁壁や流路はすべて石積、石敷で竣工当時のものと思われます。
(2023年4月20日)


右岸発電所脇からサージタンクの下を通り天端へ向かいます。
サージタンクから大井発電所に伸びる水圧鉄管。
内径は306~370センチ、有効落差は42.42メートル。
(2023年4月20日)


大井ダムの特徴の一つ、エプロン直下のシュート。
ブロックを積み上げたような幾何学形状のシュートは大井ダムならでは。
さらに21番ゲートからの導流部も大きく転流する独特の形状。
(2023年4月20日)


右岸天端には各種記念碑や説明板が並びます。
こちらは福沢諭吉のレリーフで『独立自尊』の文字が刻まれています。
大同電力を率いた福沢桃介の義父であり、維新直後から水力発電による国家近代化を訴えた諭吉を顕彰しています。
(2023年4月20日)


こちらの記念碑には大井ダム・発電所建設事業に貢献した大同電力幹部、国内外技術者、さらに資金難に陥った大同電力に出資した海外投資家など13人のレリーフが嵌め込まれています。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトの新大井発電所取水ゲート
1983年(昭和58年)に増設されたためコンクリートやゲートは見た目にも新しい。
(2023年4月20日)

右岸から下流面
21門のゲートが並びます。
この後全国で建設される発電ダムの多くが大井ダムをモデルとしました。
(2023年4月20日)


左岸エプロン下のシュート。
減勢や河底洗堀防止目的ではありますが、染み出した錆色の骨材成分と相まってもはや芸術作品の領域。
(2023年4月20日)


新大井発電所の取水工
スクリーン上に除塵機が鎮座します。
(2023年4月20日)


天端は恵那峡遊歩道として開放されています。
大正期のダムということで照明や天端高欄の意匠も手が込んでおり、当時流行だったアールヌーボーやアールデコが多用されています。
(2023年4月20日)


天端から
右手に新大井・大井発電所
手前の橋が東雲橋、高架橋が東雲大橋。
(2023年4月20日)


右岸にある大井発電所取水工
背の高いクレーンは取水工周辺の浚渫用。
(2023年4月20日)


左岸から発電所・サージタンクを俯瞰
ここから見ると発電所やサージタンクの位置関係がよくわかります。
(2023年4月20日)


ズームアップ
撮影時は新旧発電所ともに運転中
発電所手前に擁壁がありますが、1983年(昭和58年)の台風10号により浸水被害が出たため、この擁壁が増設されました。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトから。
(2023年4月20日)

このブログでは一つのダムについては投稿写真を10枚超に抑えるようにしていますが、さすが大井ダム。
見どころが多く添付写真は20枚に膨らんでしまいました。
大井ダムだけに見どころも写真も『多い』…ちゃんちゃん・・・

(追記)
大井ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1057 大井ダム(0180)
近代化産業遺産
左岸 岐阜県恵那市大井町
右岸  同県中津川市蛭川
木曽川水系木曽川
53.4メートル
275.8メートル
29400千㎥/9250千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム

阿木川ダム

2024-08-19 20:00:00 | 岐阜県
2016年 1月 9日 阿木川ダム
2016年10月22日
2024年 5月29日 
 
阿木川ダムは岐阜県恵那市東野の一級河川木曽川水系阿木川にある水資源機構が管理する多目的のロックフィルダムです。
木曽川の主要支流である阿木川は沿岸の都市用水源となる一方、洪水被害も多く抜本的な治水・利水対策が求められてきました。
一方東濃地区の木曽川沿岸農地は木曽川に新規水利権を配分する余裕がなく慢性的な水不足に悩まされてきました。さらに、牧尾ダムを水源とする愛知用水事業も高度経済成長による水需要の急増に対し同ダムだけでは対応しきれず新たな水源確保が喫緊の課題となっていました。
1969年(昭和44年)に当時の建設省により阿木川への多目的ダム建設が採択され、のちに水資源開発公団(現水資源機構)が事業を継承、1981年(昭和56年)に本体着工、1990年(平成2年)に竣工したのが阿木川ダムです。
阿木川ダムは6月1日~10月15日の洪水期に最大毎秒730立米の洪水カットによる阿木川および木曽川の洪水調節、安定した河川流量の維持と木曽川沿岸の不特定利水への用水補給、岐阜県東濃地区への上水道用水の供給、愛知用水への上水・工水の供給を目的としています。
また利水放流を利用した阿木川ダム発電所で最大2600キロワットの管理用発電を行っています。
ダム湖の阿木川湖は地元恵那市民憩いの場としてレクリエーション施設が整備されダム湖百選に選ばれています。

愛知用水概要図(出典 水資源機構愛知用水総合管理所HP)


阿木川ダム容量配分図
(出典 水資源機構 阿木川ダム管理所HP)


阿木川ダムには2016年(平成28年)1月と10月、2024年(令和6年)5月の3度訪問、掲載写真にはそれぞれ訪問日時を記載しています。

ダム下から
2024年(令和6年)5月訪問時は前日までのまとまった雨を受けオリフィスゲートから最大毎秒195立米の放流が行われていました。
(2024年5月29日)

 
こちらは2016年(平成28年)10月。
堤頂部に5門の多彩なゲートを配しており、堤頂部で幅68メートルとかなり幅が広い導流部になっています。
(2016年10月22日)


真正面から。
(2024年5月29日)


ゲートをズームアップ
中央にオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲート1門、
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート2門、さらに両端に非常用洪水吐となるフラップゲート2門と特徴的なゲート配置となっています。
訪問時は中央のオリフィスゲートからの放流でした。
(2024年5月29日)


洪水吐ゲートのほか利水放流バルブとしてフィクストコーンバルブ1門、緊急放流バルブとして高圧スライドゲート1門を装備。
減勢工の下流にその放流口があります。
(2024年5月29日)


ダムの右岸を国道257号が通り、落葉期にはダムの下流がよく見えます。
(2016年1月9日)


天端は徒歩のみ開放、水資源機構管理ダムということで堤頂は2車線幅になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐管理橋親柱のプレート
水資源開発公団になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐はゲートに合わせて5つのラインになっています。
中央のオリフィスゲートから放流中。
(2024年5月29日)


減勢工の先でS字にクランクしそのまま阿木川として流下します。
(2024年5月29日)

堤頂長は362メートル
堤体は緩やかなアーチ状。
(2024年5月29日)

 
天端からの眺め
眼下には恵那市街、はるか彼方には御岳山が遠望できます。
(2016年1月9日)

 
総貯水容量4800万立米の阿木川湖
ダム湖百選に選ばれています
右手は選択取水設備。
(2024年5月29日)

 
左岸には水資源機構の文字。
(2024年5月29日)

 
左岸から下流面。
(2016年1月9日)

 
(2016年10月22日)

 
左岸ダムサイトの慰霊碑
斬新なデザインでぱっと見慰霊碑とは思えません。
(2024年5月29日)


ダム湖にかかる国道257号線阿木川大橋から遠望。
(2024年5月29日)


洪水吐をズームアップ
こちらから見るとゲート配置がよくわかります。
繰り返しになりますが、中央にはオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲートと予備ゲート
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート
両端には非常用洪水吐となるフラップゲート
本格的なダムの洪水吐にフラップゲートが装備されてるのは珍しい。
(2024年5月29日)

 
左岸の選択取水設備と隣接する艇庫とインクライン。
(2024年5月29日)

都合3度訪問しましたが、3度目の訪問では運よくオリフィスからの放流を見ることができました。
阿木川ダムでは10人以上が条件ですが、事前申し込みでダムの見学ができます。
できれば特徴的な洪水吐ゲートを間近で見てみたいものです。
 
(追記)
阿木川ダムにはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1127 阿木川ダム(0178)
岐阜県恵那市東野
木曽川水系阿木川
FNWI
101.5メートル
362メートル
48000千㎥/44000千㎥
水資源機構
1990年
◎治水協定が締結されたダム

小沢溜池

2024-07-25 20:00:00 | 岐阜県
2016年10月22日 小沢溜池
2024年 5月26日
 
小沢溜池は左岸が岐阜県恵那市長島町鍋山、右岸が同市岩村町飯羽間の木曽川水系阿木川左支流湯壺川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
恵那市長島町・三郷町・武並町にまたがる恵那中部地区は土岐川左岸の台地に農地が展開しますが、水利に乏しく小規模な営農を余儀なくされ安定した灌漑用水源の確保とかんがい排水設備の整備は地域住民の悲願となっていました。
こうした状況を受け、1956(昭和31年)に岐阜県営農地開発事業恵那中部地区が着手され、その灌漑用水源として建設されたのが小沢溜池です。
小沢溜池は恵那中部地区からは鍋山を挟んだ山の南方に位置し、鍋山隧道により山を貫通し同地区約400ヘクタールの水田言灌漑用水を供給します。
管理は受益農家で組織された小沢ため池管理組合が受託しています。
1990年(平成2年)に下流に水資源機構の阿木川ダムが完成しますが、上記のように小沢溜池の水は鍋山隧道経由で送水されるため、両ダム間では直接的な水のやり取りはありません。
小沢溜池には2016年(平成28年)10月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

阿木川ダム湖に掛かる国道257号線の湯壺橋南詰から林道を西に向かうと小沢溜池に到着します。
まずは下流から
小沢溜池の竣工記念碑。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。


 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。

 
下流の眺め。

 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
1103 小沢溜池(0665)
ため池コード 212100200 
左岸 岐阜県恵那市長島町鍋山
右岸     同市岩村町飯羽間
木曽川水系湯壺川
32メートル
141メートル
946千㎥/925千㎥
小沢ため池管理組合
1965年(ダム便覧)
1967年(現地記念碑)

岩村ダム

2024-07-24 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 岩村ダム
2024年5月26日
 
岩村ダムは岐阜県恵那市岩村町富田の一級河川木曾川水系富田川にある岐阜県県土整備部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
富田川は上流域が急流且つ土砂流出量が多いため出水が多く、抜本的な治水対策が求められていました。
一方、生活様式の近代化による水道需要増加を受け旧岩村町では水道事業整備のため安定した上水用水源の確保が課題となっていました。
こうした状況を受け岐阜県は1986年(昭和61年)に富田川最上流部への多目的ダム建設を採択し、1993年(平成5年)に本体工事着手、1997年(平成9年)に竣工したのが岩村ダムです。
岩村ダムは建設省(現国土交通省)の補助を受けた補助多目的ダムで、富田川の洪水調節(最大毎秒20㎥の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、岩村町(現恵那市岩村町)への浄水府道用水の供給を目的としています。
岩村ダムには2016年(平成28年)1月に初訪、2024年5月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。
 
恵那市岩村町富田の国道363号線から富田川沿いの町道を約3キロ、車で10分ほど走ると岩村ダムに到着します。
途中でダム下に至る管理道路が分岐しますが関係者以外立入り禁止、下流からダムを見るすべはありません。
洪水吐はクレスト1門、オリフィス1門のゲートレスダム。

 
右岸ダムサイトの説明板。

 
同じくダムの竣工記念碑。
このほかダム湖の『三森山湖』と書かれた石碑があります。

 
天端は徒歩のみ開放。

 
高欄のプレート
『公共岩村多目的ダム』という表記が珍しい。


右岸の管理事務所
委託職員さんが常駐されています。

 
天端から減勢工を見下ろす。
減勢工左側にダムにビルトインされたに放流設備があり2門の放流バルブがら放流中。


『三森山湖』と命名されたダム湖は総貯水容量僅か18万立米
貯水池のサイズからてっきり生活貯水池ダムかと思っていましたが、事業採択が1986年(昭和61年)ということで正々堂々の補助多目的ダム。
ちなみに三森山はダムの東南東約1.4キロにある標高1101メートルの山で、ダムのすぐ上流が登山口となります。

 
左岸から下流面。


通常艇庫はダム湖畔にあるのですが、このダムはスペースの関係で左岸ダムサイトにあります。

 

 
上流面。
中央に選択取水設備、右奥は管理事務所。

 
上流から
取水設備建屋は変形六角形のちょっと特徴的な形。

 
ダムに向かう途中の道路わきにはこんな標石が。


恵那の岩村と聞けば真っ先に想起するのが『女城主の城』として知られる岩村城
ダムから西方約2キロの山上にあります。
実は私の故郷は奈良県高取町で町内には高取城があります。
岩村城、高取城ともに日本三大山城の一つとなっており、その点で旧岩村町は非常に親近感を覚える町となっています。
 
(追記)
岩村ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2952 岩村ダム(0177)
岐阜県恵那市岩村町富田
木曽川水系富田川
FNW
35.8メートル
144メートル
180千㎥/160千㎥
岐阜県県土整備部
1997年
◎治水協定が締結されたダム

不破北部防災ダム

2024-01-09 07:00:00 | 岐阜県
2016年 3月20日 不破北部防災ダム
2023年11月25日
 
不破北部防災ダムは岐阜県不破郡垂井町岩手の木曽川水系岩手川にある農地防災目的のアースフィルダムです。
農水省の補助を受けた岐阜県の防災ダム事業不破北部地区により1985年(昭和60年)に竣工しました。
運用開始後は垂水町が管理を受託し岩手川下流域の農地防災を担っています。
一方現地には飲料用水源という標識や営農飲雑用水取水口という設備が設けられています。
この点を管理する垂井町役場産業課に問い合わせたところ、ダムは農地防災を目的に建設されたが地域の水不足に対応して堆砂容量から上水道用水の供給を行っているとの説明がありました。
名目的にはFの防災専用ダムですが、実際にはFWの防災・上水という運用になっているようです。
不破北部防災ダムには2016年(平成28年)3月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
垂井町岩手の県道53号から県道257号を北上し約3キロ、車で7分ほどで不破北部防災ダムに到着します。
まずはダム下から見学。
アース堤体はきれいに刈り込までまるで芝生のよう。
左岸に洪水吐があり地山を生かして斜水路が流下します。

 
洪水吐斜水路に接近します。
右手は常用洪水吐となる放流設備からの放流口。
有効貯水容量すべてが農地防災容量となるため、平時は流入量はそのまま放流されます。

一方ダム右岸側には半地下の建屋とそこから延びる水路があります。
手前は転流工の放流口になります。

 
ダム下の営農飲雑用水取水場
こちらが上水道用水の取水設備になり岩手地域に上水を供給します。

 
右岸から下流面
堤体にはダム湖名である『明神湖』の文字。
ここ以外にも岐阜県にはダム名や貯水池名が書かれた農地防災ダムが複数あります。

天端は車道で車両通行できます。

天端の警告板
防災専用ダムにもかかわらず飲料用水源とあります。
この警告板を見て疑問に思い確認の結果上水も供給している事実が判明しました。

 
上流面はロック材で護岸。
対岸には放流管と管理棟があります。

 
天端から
ダムの直下には岩手集落。
農地防災ダムではありますが、当然岩手集落の洪水被害も守りさらに上水用水源として運用されています。

 
天端からは名古屋の中心街まで遠望できます。


ダムサイトの記念碑。
明神湖と記されているだけで、ダムの由来や事業等については刻されていません。

 
石碑のそばの巨石は草を食む恐竜か?亀のよう。


左岸の洪水吐導流部。
この下は2枚目写真の斜水路に続きます。


非常用洪水吐となる円形越流式洪水吐
貯水池の明神湖は総貯水容量112万8000立米。
堆砂容量5万立米が貯留され、それ以外の有効貯水容量97万8000立米はすべて農地防災容量となります。
上記のように堆砂容量の一部は上水用水源として利用されています。


円形越流式洪水吐とロック材で護岸された上流面。
対岸(右岸)後方の山上には戦国時代に秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛の居城である菩提山城があります。

 
常用洪水吐となる放流管
平時は流入量はここから放流されます。

 
帰宅後に管理する役場に問い合わせ、防災のほか上水用水源として運用されていることが分かりました。
当然貯水池のどこかに上水用の取水口があるはず。
たぶん転流工を活用していると思われ、機会があれば取水口の所在も確認したいところ。
ダム自体は関が原古戦場の東端に位置し、ダムの近くには菩提山城や竹中半兵衛の子孫が藩主を務めた岩手藩の陣屋跡などがあり歴史好きにもお薦めのダムです。
 
(追記)
不破北部防災ダムは治水協定により台風等の襲来時は事前放流を行います。
 
1122 不破北部防災ダム(0264)
ため池データベース 213610034
岐阜県不破郡垂井町岩手
木曽川水系岩手川
F(W)
42.5メートル
142メートル
1128千㎥/978千㎥
垂井町
1985年
◎治水協定が締結されたダム

蜂屋調整池(蜂屋ダム)

2023-04-30 18:23:22 | 岐阜県
2023年4月20日 蜂屋調整池(蜂屋ダム)

蜂屋調整池は左岸が岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋、右岸が同市や天野山之上町にある水資源機構が管理する灌漑・上水・工水目的のアースフィルダムです。
木曽川用水上流部事業は、木曽川水系馬瀬川に1976年(昭和51年)に建設された岩屋ダムを水源とし、中部電力(株)上麻生堰堤を利用した白川取水口から岐阜県南部一帯の木曽川右岸地区に対し、農業用水、水道用水、工業用水を供給するもので、1969年(昭和44年)に着工され、1983年(昭和58年)に竣工しました。 
蜂屋調整池は1978年(昭和53年)に上飯田調整池とともに木曽川用水の取水管理の安定と水利用合理化を目的に幹線水路末端に建設されました。
なおダム便覧では蜂屋ダムと記載されていますが、水資源機構では『蜂屋調整池』の名称を使用しているため、ここではそれに従います。

木曽川用水上流部事業概要図(水資源機構HPより)  
  

ダム下流から
右岸側がわずかに折れた珍し形状
さすが水資源機構、下流面は芝生のように奇麗に整備されています。


ダム直下の放流設備。


ダム中段を管理道路が斜行します。


天端は通行禁止。
水資源機構に電話で確認したら、洪水吐までなら徒歩で入っても構わないとのこと。


総貯水位容量63万1000立米
河道外貯留ダムで集水のすべては白川取水口からの導水によります。

流入口をズームアップ。


左岸から
中央の施設は水位計
水位計の奥に取水設備があります。


上流面はロック材で護岸
奥に越流式洪水吐があります。


下流面
見た目ではわかりませんが、遮水方式は傾斜コア。


右岸の洪水吐。


洪水吐導流部。

1119 蜂屋調整池(蜂屋ダム)(1969) 
左岸 岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋 
右岸       同市山ノ上町 
木曽川水系木曽川用水
AWI
30メートル
144.5メートル
631㎥/479㎥
水資源機構
1978年 

今渡ダム

2023-04-29 18:04:25 | 岐阜県
2023年4月20日 今渡ダム

今渡ダムは左岸が岐阜県可児市今渡、右岸が同県美濃加茂市川合町1丁目の木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が続く木曽川水系では大正期より本支流での電源開発が活発化し、昭和初期には日本屈指の発電地帯となっていました。
しかし発電所の出力調整による水位変動は下流での灌漑用水の取水や漁業への影響が大きく看過できない状況となりました。
事態を打開するため木曽川で発電事業を行っていた大同電力と飛騨川で発電事業を行っていた東邦電力2社の共同出資により新たに愛岐水力(株)が設立され、同社によって1938年(昭和13年)に木曽川・飛騨川合流点直下に建設されたのが今渡ダムです。
今渡ダムは逆調整池として上流の発電所の出力調整による水位変動を緩和するほか、併せて建設された今渡発電所(最大出力2万キロワット)でダム式発電を行います。
ダム・発電所は1941年(昭和16年)に日本発送電に接収されたのち、1956年(昭和26年)の電気事業再編政令により関西電力が事業継承しました。
その後1995年(平成7年)に右岸に美濃川合発電所(最大出力2万3400キロワット)が新設され現在の今渡ダムの発電能力は計4万3400キロワットとなっています。
今渡ダムおよび今渡発電所は戦前の貴重な土木建築物としてBランクの近代土木遺産に選ばれています。

今渡ダム下流の国道21号線『新太田橋』から
堤高34.3メートル、堤頂長308メートル
19門のローラーゲートで木曽川を締め切ります。ゲートはもちろん関電ブラック。
向って左手(右岸)に美濃川合発電所、右手(左岸)に今渡発電所があります。
左右両岸に発電所のあるダムは珍しい。


6番ゲートと7番ゲートの間に舟筏流路があります。


右岸の遊歩道からダム下流の河原に下りることができます。
余りにも川幅が広いため、超広角じゃないと発電所も含めた全景が撮れません。
両発電所ともに常時発電を行っており、河川維持放流は発電所の放流水および魚道経由となります。


舟筏流路をズームアップ。


1995年(平成7年)に稼働した美濃川合発電所。
従来ゲート放流されていた水量の有効利用のため新たに建設されました。
発電所の擁壁とゲートの間に魚道があります。

右岸から今渡発電所を遠望。


ズームアップします。
ほぼ竣工当時の姿を残し、ダムともどもBランクの近代土木遺産に選ばれています。
ちょっとわかりづらいですが、発電所の左手のダム最左岸に塵芥流路があります。


美濃川合発電所取水ゲート
関電ブラックじゃない!


上流から見た取水工
手前には塵芥除去装置が並びます。


上流面
対岸に今渡発電所の取水工があるんですがちょっと遠すぎます。


左岸から
昭和10年代の設計らしい絨毯を広げたような平面的なシュート
滑り台のような舟筏流路はこのダムならでは。


残念ながら今渡発電所の撮影ポイントはほとんどありません。
左手が発電所建屋、奥に取水ゲートが見えます。
こちらは関電ブラック。


ダム直上をJR大多線が走っており、車窓からダム上流面がよく見えるようです。
今回はまだ次のダムが残っていたの乗車する時間的余裕がありませんでしたが、機会があれば列車から舟筏流路の上流側を見てみたいものです。

(追記)
今渡ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1067 今渡ダム(1968)
左岸 岐阜県可児市今渡 
右岸 岐阜県美濃加茂市川合町1丁目
木曽川水系木曽川
34.3メートル
308メートル
9470千㎥/4240千㎥
関西電力(株)
1939年
◎治水協定が締結されたダム

上平第一溜池

2023-04-27 18:32:21 | 岐阜県
2023年4月20日 上平第一溜池

上平(うわだいら)第一溜池は岐阜県恵那市三郷町野井の庄内川水系土岐川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
恵那市三郷町野井地区は『上平』の通称が示すように土岐川左岸丘陵上に位置し、水利に乏しく農地開拓には安定した水源確保が必須となっていました。
大正期に入り貯水池建設機運の高まりを受け耕地整理組合が結成され、組合による事業で1925年(大正14年)に建設されたのが上平第一溜池です。
その後上下流に第二、第三溜池が築造され併せて約7万立米の貯水容量が確保されました。
現在は恵那土地改良区が管理を行い、引き続き野井地区に灌漑用水を供給しています。

恵那市三郷町野井の大規模農道『東美濃ふれあい街道』沿いに溜池への入口があります。溜池に通じる道路にはチェーンが張られているため、ここに車をデポし徒歩で溜池に向かいます。

溜池までは約1キロ、15分ほどの行程ですが東海自然歩道にもなっており歩く分には全く問題ありません。
狭い谷に急傾斜で盛り立てられているためか?真下から見上げた堤体は堤高17メートルよりもはるかに高く見えます。
天端への道が堤体に九十九折れにつけられています。
左岸(向かって右手)には洪水吐斜水路。


ダム下の底樋管。
野井地区ではちょうど田植え準備が真っ盛り、水が勢いよく流れています。


底樋管からの水は洪水吐に合流します。
専用の灌漑用水路はなく川を通じて用水補給を行うようです。


堤体につけられた九十九折れの道
東濃地方では花崗岩が広く分布しており、擁壁にも花崗岩の切石が谷積みされています。


天端
草は刈られていますが、轍はありません。
そばを東海自然歩道が通っているためか?貯水池側にはフェンスが張られています。


天端からの眺め
ダムの下流は杉林が続きます。
受益地となる野井地区の農地は1キロ以上下流になります。


総貯水容量5万4000立米と小さな溜池です。
『山中にひっそりと佇む』という飾り言葉がぴったり。


左岸の洪水吐脇から見た上流面。


草が生えていますが、上流面も花崗岩の切石で護岸。
たぶん竣工当時のものがそのまま残っていると思われます。


左岸の洪水吐
越流堤はなく流路がわずかに高くなっています。


洪水吐導流部
こちらの擁壁も谷積み。
写真ではわかりませんが、流路にも石が敷かれています。


地形図を見ると受益地の野井地区は水利が乏しいのが一目瞭然。
小さな溜池ですがよく整備された様を見ても貴重な灌漑用水源であることがわかります。
また、九十九折れの道路擁壁や上流面、洪水吐などに竣工当時のままと思しき花崗岩の石積みが多々残り、なかなか見ごたえのある溜池です。
一方で取水設備の写真を撮るのをすっかり失念していました。
ダム便覧フォトアーカイブスを見ると右岸にシャフト一本の斜樋があるようです。

1058 上平第一溜池(1967)
ため池データベース 212100246 
岐阜県恵那市三郷町野井
庄内川水系土岐川左支流


17メートル

80メートル
54千㎥/54千㎥
恵那土地改良区
1925年

保古の湖

2023-04-26 18:33:11 | 岐阜県
2023年4月20日 保古の湖

保古の湖(ほこのこ)は岐阜県恵那市東野の木曽川水系小野川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
岐阜県中津川市と恵那市境界上にある保古山山頂平坦部には上流側に根の上湖、下流側に保古の湖と2基の灌漑用貯水池が並びます。
一帯は根の上高原と呼ばれ風光明媚な景観が広がり、高度成長期よりゴルフ場や別荘地、キャンプ場などリゾート開発が進み「東海の軽井沢」と呼ばれる保養地となりました。
保古の湖は1924年(大正13年)に完成、保古の湖用水管理組合が管理し小野川下流の飯沼川から阿木川流域農地に灌漑用水を供給しています。
ため池データベースでは堤高19.3メートルとダムの要件を満たしていますが、ダム便覧には未掲載です。
根の上湖 と保古の湖は上下に連続する溜池ですがそれぞれ管理者と灌漑用水の供給先が異なっているのが興味深いところです。

下流面は犬走を挟んで二段構成。
根の上湖 と異なり下流面はきれいに草が刈られています。 




天端は舗装路ですが、関係者以外通行禁止の表記があったので立ち入りは自重しました。


貯水池の説明板かと思ったらボートの案内だけ。


上流面
満水なので見えませんが、コンクリートで護岸されています。|


右岸の斜樋。
斜樋のある半島の向こう側に越流式洪水吐があります。


浮桟橋に並ぶボート群
湖面は管理釣り場でワカサギ釣り場として知られています。


総貯水容量は75万8000立米で根の上湖 のほぼ2倍。 

ダム便覧未掲載のため軽く写真を撮っただけでしたが、帰宅後調べると明らかに『ダム』。
天端やダム下も見学が可能なようですので、機会があれば改めて訪問するとともに、細かな諸元等をまとめてダム協会に報告したいと思います。

保古の湖
ため池データベース 212100201 
岐阜県恵那市東野
木曽川水系小野川

19.3メートル
168メートル
758千㎥/758千㎥
保古の湖用水管理組合
1924年

根の上湖

2023-04-25 18:12:57 | 岐阜県
2016年10月22日 根の上湖
2023年 4月20日

根の上(ねのうえ)湖は岐阜県中津川市手賀野の木曽川水系小野川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
岐阜県中津川市と恵那市境界上にある保古山山頂平坦部には上流側に根の上湖、下流側に
保古の湖と2基の灌漑用貯水池が並びます。
一帯は根の上高原と呼ばれ風光明媚な景観が広がり、高度成長期よりゴルフ場や別荘地、キャンプ場などリゾート開発が進み「東海の軽井沢」と呼ばれる保養地となりました。
根の上湖は岐阜県営事業により1964年(昭和39年)に建設され、茄子川用水路管理組合が管理を受託し保古山北麓の中津川市茄子川地区に灌漑用水を供給しています。
ダム便覧では堤高15メートルとなっていますが、ため池データベースでは14.7メートルとなっており、ダムの要件を満たしていません。
また便覧では河川が百々川になっていますがこれも誤りで正確には小野川です。

一方下流側の保古の湖は保古の湖用水管理組合が管理し小野川下流の飯沼川から阿木川流域の農地に灌漑用水を供給しており、上下に連続する溜池で管理者や用水の供給先が異なっているのが興味深いところです。
ちなみに保古の湖はため池データベースでは堤高19.3メートルとダムの要件を満たしていますがダム便覧には未掲載です。

根の上湖には2016年(平成28年)10月に訪問しましたが、当時は改修工事中で立ち入りできず2023年(令和5年)4月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。

根の上高原はツツジの群生が多く湖畔はこれからが見ごろ、丘の上には『幸せの鐘』が建っています。

湖畔の芝生広場にある野外ステージ。
湖畔にはほかにも森林キャンプ場やコテージなどレクリエーション施設が整備されています。


右岸のボート乗り場。


左岸洪水吐にかかる管理橋。


洪水吐導流部
このまま下流の保古の湖に流れ込みます。


すぐ下流に保古の湖があるためか?根の上湖の洪水吐に越流堤などは見られません。


上流面はコンクリートブロックで護岸
前回訪問時の改修工事で刷新されたものです。


貯水池は総貯水容量33万2000立米。
満水です。


天端
花崗岩地帯らしく真砂土が敷かれています。
奥には日本百名山の恵那山。


右岸から上流面。
手入れの余裕がないのか?敢えて放置しているのか?定かではありませんが、改修から間がないにもかかわらずかなりの小松が茂っています。


右岸の斜樋
取水された水は山の反対側の中津川市茄子川地区に送られます。


堤体直下は樹林帯で、下流面にも草木が茂っています。
下流面全体を見る場所はなくこれが精いっぱい。
堤体直下には盛り土が施されているようで、見た目の高さは6~7メートルほど。

貯水池を周回する遊歩道が整備され、湖畔には林間キャンプ場もあり豊かな自然を満喫できます。
保古の湖と上下2連の溜池を形成していますが、管理者が異なり灌漑用水の供給先も別々なのは興味深い点です。
池建設に当たってはそれぞれの水利権の調整が大変だったのではないでしょうか?

3436 根の上湖(0662)
ため池データベース 212060250 
岐阜県中津川市手賀野
木曽川水系小野川


15メートル(ため池データベース 
14.7メートル
166メートル(ため池データベース 163メートル)
332千㎥/332千㎥
茄子川用水路管理組合
1964年

御大典池

2017-03-03 11:40:06 | 岐阜県
2017年2月26日 御大典池
 
御大典池(みのりがいけ)は岐阜県多治見市美山町の庄内川水系小泉川右支流(河川名不明)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1915年(大正4年)に小泉耕地整理組合の事業で竣工と記されており、受益者の持ち出しで建設されたと思われます。
御大典は天皇陛下の即位式を指し1915年に大正天皇の御大典式典が行われたことを記念してこの名を付けました。
ため池データベースには所有者・管理者ともに『自然人』と記されていますが、自然人は代表者名であり実際には受益者で組織された水利組合が管理しているようです。
 
多治見中心街から国道18号を西進し、富士見町交差点を右折して市道を進むと左手に御大典池の堤体が見えてきます。
溜池右岸に続く車道もありますが今回は堤体直下からアプローチ。
 
取水設備からの底樋吐口。
 
堤体中央の階段で天端に上がります。
 
天端。
 
天端からの眺め
奥に多治見市街地が広がります。
かつては水田が続いていたであろう溜池直下も住宅や町工場が並んでいます。
 
斜樋。
 
貯水容量3万5000立米と小ぶりな溜池です。
 
右岸の洪水吐。
 
 
上流面
釣り人が何人かいます。
 
1050 御大典池(0848)
ため池コード 212040005 
岐阜県多治見市美山町
庄内川水系小泉川右支流
15メートル
238メートル
35千㎥/35千㎥
自然人
1915年

伊自良溜池

2016-11-15 11:44:37 | 岐阜県
2016年11月12日 伊自良溜池
 
伊自良溜池は岐阜県山県市にある灌漑用アースダムで1966年(昭和41年)に岐阜県の事業で建設されました。
ダム湖の伊自良湖はもともと観光地でしたが今年1月に『恋人の聖地』に認定されカップルのデートコースの一つになっています。
 
県道174号線のドン詰まりが伊自良溜池です。途中の道路には『伊自良湖』の標識が各所に設置されていおり迷うことはないでしょう。
堤体直下は岐阜バスの転回場になっています。
アースダムですが基部は石積みです。
 
堤体中央に階段があります。
 
天端から。
 
県のため池等改修事業による改修工事が行われています。
工事関係者の方の許可を取って撮影させていただきました。
 
工事のため水抜きされています。
 
上流面
コンクリートの護岸がはぎ取られています。
 
左岸の斜樋。
斜樋周辺はきれいに石積みされています。
 
右岸から
洪水吐に橋がかかっていますが工事のため立ち入り禁止。
 
洪水吐
水色の越流部がいいインパクト。
 
ダム湖インレットに恋人の聖地があります。
 
 

1104 伊自良溜池(0713)
ため池コード 212150012
岐阜県山県市長滝
木曽川水系伊自良川
18メートル
126メートル
540千㎥/540千㎥
伊自良湖管理組合
1966年

上大須ダム

2016-11-15 09:21:40 | 岐阜県
2016年11月12日 上大須ダム
 
上大須ダムは岐阜県本巣市根尾上大須の木曽川水系揖斐川支流根尾東谷川にある中部電力(株)の発電用ロックフィルダムで、隣接する関市の長良川水系西ヶ洞谷川にある川浦ダムを上部池、上大須ダムを下部池として奥美濃発電所で最大150万キロワットの揚水式発電を行っています。
1973年(昭和48年)のオイルショックにより原油価格が高騰、水力発電が再評価されます。とくに火力発電や原発と連携が図れ余剰電力を有効に活用できる揚水発電に注目が集まり、電力各社は揚水発電の建設計画を推進しました。
中部電力は包蔵水力に余裕のある揖斐川と全くの手つかずだった長良川源流部に着目、1976年(昭和51年)に着工、1995年(平成7年)に竣工したのが川浦ダムと上大須ダムです。
 
本巣市垂水から県道255号を北上すると正面に巨大なロックフィルダムが見えてきます。
通常はダムサイトまで車で上がることができ天端も開放されているようですが、この日は天端へ通じる道路が工事中で通行できませんでした。
左岸から遠望。
 
洪水吐をズームアップ。
三角屋根の建屋がおしゃれです。
 
下流から
クレストは中電レッドのラジアルゲートが2門。
 
洪水吐をズームアップ。
 
 
仮排水路でしょうか?
 
ダム直下には奥美濃発電所の変電設備があります。
 
道路工事がなければ天端も立ち入り可能だったので残念至極です。
ちなみに上部ダムの川浦ダムはダムへの管理道路は関係者以外立ち入り禁止。
ちょっと縁が薄い上大須ダムと奥美濃発電所でした。 

(追記)
上大須ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1125 上大須ダム(0712)
岐阜県本巣市根尾上大須
木曽川水系根尾東谷川
98メートル
294.5メートル
14500千㎥/9000千㎥
中部電力(株)
1995年
◎治水協定が締結されたダム

川上堰堤

2016-11-14 23:12:44 | 岐阜県
2016年11月12日 川上堰堤
 
川上堰堤は岐阜県揖斐郡揖斐川町の揖斐川支流坂内川にあるイビデンが運営する発電用取水堰堤で、1925年(大正14年)に揖斐川電気(現イビデン)によって広瀬発電所の取水堰堤として建設されました。
戦時中も日本発送電へ出資されることなく社名改称した揖斐川電気工業が所有し続け現在に至っています。
川上堰堤で取水された水は下流の広瀬発電所に送られ最大8000キロワットの発電を行っています。
堤高は6メートル弱で河川法上のダムではありませんがダム便覧に参考掲載されています。
最近の改修で越流面はコンクリートになりましたが依然堤体の大部分は石張となっており建設当時の姿を忠実に残しています。
 
横山ダムから国道303号線を西進すると左手に川上堰堤が見えてきます。
下流から
残念ながら越流部は改修でコンクリートになりましたが堤体の大半は石張です。
 
右岸に2門の排砂ゲート
 
越流部。
中央だけ切れ込みがありここから越流しています。
 
アングルを変えて。
 
前面越流の際には、越流した水が中央に集まるように傾斜がつけられています。
 
右岸から。
 
左岸上流側から
正面に取水口があります。
 
取水口をズームアップ
堰柱や取水口周辺は竣工当時の姿を残す練石積。
 
 
越流面がコンクリートになってしまったのは少し残念ですが、竣工当時の姿を残した素晴らしい堰堤です。
近代土木遺産に選ばれてもおかしくないと思うんですが・・・。
 
S514 川上堰堤(0711)
岐阜県揖斐郡揖斐川町坂内川上
木曽川水系坂内川
5.91メートル
38.18メートル
千㎥/千㎥
イビデン(株)
1925年