2019年7月12日 本河内低部ダム(再)
2023年5月22日
本河内低部ダム(再)は左岸が長崎県長崎市本河内2丁目、右岸が同1丁目の二級河川中島川本流上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1891年(明治24年)に日本初の水道用ダムとして本河内高部ダムが完成し、長崎市では横浜、函館に次いで日本で3番目の近代水道事業が開始されました。
その後の町の発展に合わせて事業の拡張が進められ、長崎市水道3番目の水源として1903年(明治36年)に本河内高部ダム直下に建設されたのが本河内低部ダム(元)です。
本河内低部ダムは兵庫県の五本松ダムに次ぐ我が国二番目の重力式コンクリートダムで、上流面は表面石張、下流面はコンクリートブロック張粗石コンクリート造りとなっています。
しかし1982年(昭和57年)の長崎大水害により、中島川流域では大規模な氾濫が発生し未曾有の大災害となりました。
翌1983年(昭和58年)に長崎県は長崎水害緊急ダム事業に着手、市内の上水用ダムの治水ダム化事業に取り掛かります。
同事業は建設省(現国交省)の『歴史的ダム保全事業』の指定を受け文化的価値の高い旧ダムを保全しながら新ダムの建設及び再開発が行われることになりました。
本河内低部ダムでは2008年(平成20年)から2011年(平成23年)にかけて再開発が進められ、旧堤体上流面に新堤体が貼り付けされるとともに、新たに竪坑型トンネル式洪水吐いわゆるダム穴式洪水吐が増設されました。
再開発によりダムの管理は長崎市上下水道局から長崎県土木部に移管され、従来の長崎市上水道への用水供給に加え、中島川の洪水調節と安定した河川流量の維持を目的とする補助多目的ダムとなりました。
一方保全された旧堤体はBランクの近代土木遺産に選定されています。
本河内低部ダム(再)には2019年(令和元年)7月に初訪、2023年(令和5年)5月に再訪しました。
下流からの写真は初訪時、左岸からの写真は再訪時のものです。
長崎市中心部から国道34号線日見バイパスを東進、蛍茶屋交差点で左手の枝道に入りドン詰まりが旧堤体直下の本河内低部水源公園となります。
下流から見えるのは旧堤体だけ。今も建設当時の姿をそのまま残しています。
長崎市水道の説明板。
本河内低部ダム再開発の説明板。
ダム中央には樋門跡。
一見石積みのようですが、下流面はコンクリートブロック張り。
当時のコンクリートは超貴重品。水道事業に賭ける長崎市の意気込みが感じられます。
一方、高欄には凹凸を使った二本の横帯が施されその下に等間隔の歯形模様(デンティル)が並びます。
これは当ダムと同年に建設された西山ダムと共通の意匠。
2023年5月の再訪時は前回見れなかった左岸を通る国道34号線日見バイパスからの見学です。
左の高い部分が竣工当時からの旧堤体、上流側の低い部分が再開発で肉付けされた新堤体。
ここから見ると旧堤体と新堤体がよくわかります。
この水位で常時満水位、新堤体直下が最高水位となりこの部分が新たに配分された洪水調節容量となります。
こちらが再開発で新たに設けられた竪坑型トンネル式洪水吐
手前のゲートの下に常用洪水吐があり、円形の越流部が非常用洪水吐となります。
洪水吐外壁は石積風の化粧型枠が施され堤体との協調性を図っています。
訪問時は常時満水位で、常用洪水吐から越流していました。
竪坑型トンネル式洪水吐は日本でも数カ所採用されていますが、ここは日本一のサイズ。
石積堰堤と竪坑型トンネル式洪水吐が並び立つのは全国でもここだけ。
(追記)
本河内低部ダム(再)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
2571 本河内低部ダム(元)
長崎県長崎市本河内町2丁目
中島川水系中島川
W
G
22.7メートル
115.2メートル
634千㎥/608千㎥
長崎市上下水道局
1903年
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3216 本河内低部ダム(再)(1481)
長崎県長崎市本河内町2丁目
中島川水系中島川
FNW
G
27.8メートル
118.8メートル
607千㎥/577千㎥
長崎県土木部
2012年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム