ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

小沢溜池

2024-07-25 20:00:00 | 岐阜県
2016年10月22日 小沢溜池
2024年 5月26日
 
小沢溜池は左岸が岐阜県恵那市長島町鍋山、右岸が同市岩村町飯羽間の木曽川水系阿木川左支流湯壺川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
恵那市長島町・三郷町・武並町にまたがる恵那中部地区は土岐川左岸の台地に農地が展開しますが、水利に乏しく小規模な営農を余儀なくされ安定した灌漑用水源の確保とかんがい排水設備の整備は地域住民の悲願となっていました。
こうした状況を受け、1956(昭和31年)に岐阜県営農地開発事業恵那中部地区が着手され、その灌漑用水源として建設されたのが小沢溜池です。
小沢溜池は恵那中部地区からは鍋山を挟んだ山の南方に位置し、鍋山隧道により山を貫通し同地区約400ヘクタールの水田言灌漑用水を供給します。
管理は受益農家で組織された小沢ため池管理組合が受託しています。
1990年(平成2年)に下流に水資源機構の阿木川ダムが完成しますが、上記のように小沢溜池の水は鍋山隧道経由で送水されるため、両ダム間では直接的な水のやり取りはありません。
小沢溜池には2016年(平成28年)10月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

阿木川ダム湖に掛かる国道257号線の湯壺橋南詰から林道を西に向かうと小沢溜池に到着します。
まずは下流から
小沢溜池の竣工記念碑。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。


 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。

 
下流の眺め。

 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
1103 小沢溜池(0665)
ため池コード 212100200 
左岸 岐阜県恵那市長島町鍋山
右岸     同市岩村町飯羽間
木曽川水系湯壺川
32メートル
141メートル
946千㎥/925千㎥
小沢ため池管理組合
1965年(ダム便覧)
1967年(現地記念碑)

岩村ダム

2024-07-24 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 岩村ダム
2024年5月26日
 
岩村ダムは岐阜県恵那市岩村町富田の一級河川木曾川水系富田川にある岐阜県県土整備部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
富田川は上流域が急流且つ土砂流出量が多いため出水が多く、抜本的な治水対策が求められていました。
一方、生活様式の近代化による水道需要増加を受け旧岩村町では水道事業整備のため安定した上水用水源の確保が課題となっていました。
こうした状況を受け岐阜県は1986年(昭和61年)に富田川最上流部への多目的ダム建設を採択し、1993年(平成5年)に本体工事着手、1997年(平成9年)に竣工したのが岩村ダムです。
岩村ダムは建設省(現国土交通省)の補助を受けた補助多目的ダムで、富田川の洪水調節(最大毎秒20㎥の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、岩村町(現恵那市岩村町)への浄水府道用水の供給を目的としています。
岩村ダムには2016年(平成28年)1月に初訪、2024年5月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。
 
恵那市岩村町富田の国道363号線から富田川沿いの町道を約3キロ、車で10分ほど走ると岩村ダムに到着します。
途中でダム下に至る管理道路が分岐しますが関係者以外立入り禁止、下流からダムを見るすべはありません。
洪水吐はクレスト1門、オリフィス1門のゲートレスダム。

 
右岸ダムサイトの説明板。

 
同じくダムの竣工記念碑。
このほかダム湖の『三森山湖』と書かれた石碑があります。

 
天端は徒歩のみ開放。

 
高欄のプレート
『公共岩村多目的ダム』という表記が珍しい。


右岸の管理事務所
委託職員さんが常駐されています。

 
天端から減勢工を見下ろす。
減勢工左側にダムにビルトインされたに放流設備があり2門の放流バルブがら放流中。


『三森山湖』と命名されたダム湖は総貯水容量僅か18万立米
貯水池のサイズからてっきり生活貯水池ダムかと思っていましたが、事業採択が1986年(昭和61年)ということで正々堂々の補助多目的ダム。
ちなみに三森山はダムの東南東約1.4キロにある標高1101メートルの山で、ダムのすぐ上流が登山口となります。

 
左岸から下流面。


通常艇庫はダム湖畔にあるのですが、このダムはスペースの関係で左岸ダムサイトにあります。

 

 
上流面。
中央に選択取水設備、右奥は管理事務所。

 
上流から
取水設備建屋は変形六角形のちょっと特徴的な形。

 
ダムに向かう途中の道路わきにはこんな標石が。


恵那の岩村と聞けば真っ先に想起するのが『女城主の城』として知られる岩村城
ダムから西方約2キロの山上にあります。
実は私の故郷は奈良県高取町で町内には高取城があります。
岩村城、高取城ともに日本三大山城の一つとなっており、その点で旧岩村町は非常に親近感を覚える町となっています。
 
(追記)
岩村ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2952 岩村ダム(0177)
岐阜県恵那市岩村町富田
木曽川水系富田川
FNW
35.8メートル
144メートル
180千㎥/160千㎥
岐阜県県土整備部
1997年
◎治水協定が締結されたダム

伊奈川ダム

2024-07-23 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 伊奈川ダム
2024年 5月25日
 
伊奈川ダムは長野県木曽郡大桑村長野の一級河川木曽川水系伊奈川上流部にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川左支流の伊奈川では大正期に大同電力(株)系列の木曽発電(株)が相之沢・田光・橋場発電所を稼働させていました。
3発電所は電力国家管理政策による日本発送電(株)の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編で関西電力が事業を継承します。
1970年代のオイルショックによる火力コストの上昇や、家電の普及に伴う電力需要増大を受け同社は既設発電所の増強や新規電源開発に着手し、包蔵水力に余力のあった伊奈川では新たに伊奈川発電所が新設されその取水ダムとして1977年(昭和52年)に竣工したのが伊奈川ダムです。
ここで取水された水は伊奈川発電所(最大出力4万700キロワット)および既設の相之沢発電所(最大出力6200キロワット)、田光発電所(最大出力2500キロワット)・橋場発電所(最大1900キロワット)に送水されます。
 伊奈川ダムには2015年(平成27年)11月に初訪しますが、ダム構内が立入り禁止のため左岸から見学するのみでした。
その後、伊奈川下流からダム直下まで遡上することが可能と分かり2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。

大桑村須原から伊那川沿いを約10キロ、車で30分ほど進むと車両進入禁止のゲートとなります。
このゲートの先のヘアピンの脇から伊奈川左岸に下りることができます。
洪水吐は関電ブラックのラジアルゲート2門、堤体は二つのゲートの間でわずかに屈曲しています。
河原には花崗岩の巨石が積み重なるように転がり、花崗岩に洗われた水がとにかく美しい。
 
左岸ゲートから放流中
減勢工はゲート両側に導流壁が設けられ、シュート部は洗堀防止のため分厚い叩きになっています。

 
ゲートをズームアップ
木曽川流域の関西電力の発電ダムの大半はずらっと並ぶゲートで川を閉め切るタイプ。
その中、昭和50年代に完成した伊奈川ダムは形状的にも異質のダムと言えます。

 
減勢工には副ダムはなく、分厚い叩きが設けられています。

 
道路に戻り左岸ダムサイトに上がります。
下流面、と言ってもほとんど見えません。

 
こちらは発電所への導水路吞口。
トンネルの先で伊奈川発電所と相之沢発電所に分水されます。


水利使用標識。

 
天端は立入り禁止
堤体中ほどで屈曲しています。
グレーチングの下には電気や通信ケーブルが入っています。

 
管理事務所と取水ゲート。

 
総貯水容量は80万3000立米ですが、堆砂が進み有効貯水容量は50万3000立米
とにかく水が美しく、まるで沖縄の海のよう。

 
ゲートをズームアップ。

 
実は伊奈川ダム上流にはもう一つ伊奈川第2発電所があります。
こちらはその放流口。


伊奈川ダムに至る途中で相之沢発電所への水圧鉄管を跨ぎます。
有効落差243.8メートルのほぼ中段
最大6200キロワットの発電を行います。

 
さらに下流の田光発電所
相之沢発電所の放流水を利用し最大2500キロワットの発電を行います。

 
(追記)
伊奈川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1040 伊奈川ダム(0060)
長野県木曽郡大桑村長野
木曽川水系伊奈川
43メートル
105メートル
803㎥/505㎥
関西電力(株)
1977年
◎治水協定が締結されたダム

木曽ダム

2024-07-21 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 木曽ダム
2024年 5月25日
 
木曽ダムは長野県木曽郡木曽町福島の一級河川木曽川水系王滝川にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前より5大電力の一つ大同電力(株)が電源開発を進め、のちにこれらを接収した日本発送電も木曽川支流王滝川最上流部に総貯水容量6000万立米超の三浦ダム を完成させるなど同流域での電源開発に邁進しました。 
1951年(昭和26年)の電気事業再編成により木曽川流域の発電事業の大半は関西電力が継承しますが、木曽川上流部の既設発電所の取水能力の低さがボトルネックとなり、せっかくの三浦ダムの6000万立方メートルの水を効果的に活用することができませんでした。
この解決手段として1968年(昭和43年)に建設されたのが木曽ダムで、併せて既存の寝覚・上松・桃山・須原各発電所をバイパスし木曽発電所に至る全長14.6キロの新導水路が建設されました。
木曽発電所では最大11万6000キロワットのダム水路式発電を行うほか、水資源機構の牧尾ダムを上部池、当ダムを下部池として三尾発電所で最大3万5500キロワットの混合揚水式発電を行います。(牧尾ダムを水源とする愛知用水向け放流は基本的に三尾発電所経由で行われます。)
さらに従来水路式発電を行っていた寝覚発電所以下4発電所への送水も当ダムを調整池とすることで安定した発電が可能となりました。
この結果、木曽川本流での河川利用率は大きく改善し三浦ダム の貯水容量を十分に生かし効率的発電が可能となりました。 

木曽ダムには2015年(平成27年)11月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
木曽川左岸を走る国道19号から木曽川にかかる管路橋(通称サイホン橋)に向かうと、木曽川越しに木曽ダムと正対できます。
場所はちょうど木曽川と支流の王滝川の合流地点で、木曽ダムは王滝川を閉め切って作られています。
(2024年5月25日)

 
クレストにはラジアルゲート3門を装備、もちろん関電ブラック。
右岸(向かって左)のゲートにフラッシュボードがついています。
減勢工左右両岸はコンクリートで固められ、護岸のため一段高いシュートが設けられています。
(2024年5月25日)


サイホン橋と木曽ダム
サイホン橋は寝覚発電所建設に併せて1938年(昭和13年)に竣工。
橋から約2キロ上流にある木曽川取水堰から導水しています。
(2024年5月25日)

 
橋の上部はプレートガーター、下部はプラットトラスの組み合わせ。 
写真ではわかりませんが木曽川両岸にタンクが設けられ、名前の通りサイフォンで木曽川を越えます。
(2015年11月22日)


水路管の上には鉄板が張られ、車両の通行も可能。
(2024年5月25日)


(2024年5月25日)

 
サイホン橋で王滝川右岸に向かうと、発電所への取水ゲートが現れます。
向かって右手は木曽川取水堰からサイホン橋経由の水、左手が木曽ダムからの水
取水ゲートの先で木曽発電所と寝覚発電所に分水されます。
(2024年5月25日)


(2024年5月25日)


ダムの右岸を町道が通りますが、フェンスや樹木が邪魔をしてダムをすっきりと見ることができません。
ピアにゲート巻き上げ機が並びます。
(2024年5月25日)

 
木曽ダムの取水工。
(2024年5月25日)


上流面。
(2024年5月25日)

 
こちらは左岸から
対岸に取水工がやスクリーンが見えます。
(2015年11月22日)

再訪時は左岸への道が工事で通れませんでした。
左岸からはダム下流の河原に下りるルートがあるので、再訪する機会があればそちらにも足を延ばしたいと思います。

(追記)
木曽ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1015 木曽ダム(0061) 
長野県木曽郡木曽町福島 
木曽川水系王滝川
35.2メートル
132.5メートル
4367㎥/1844㎥
関西電力(株)
1968年
◎治水協定が締結されたダム

常盤ダム

2024-07-20 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 常盤ダム
2016年 7月 3日
2024年 5月25日

常盤ダムは長野県木曽郡木曽町三岳の一級河川木曽川水系王滝川にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)により電源開発が進められ、支流の王滝川でも大同電力による電源開発が企図されていました。
しかし電力国家管理政策により同社の発電施設は日本発送電(株)に接収され、王滝川上流での発電事業も日本発送電が引き継ぐことになります。
常盤ダム及び発電所は1939年(昭和14年)に着工され、王滝川流域最初の発電施設として1942年(昭和17年)に竣工しました。
常盤ダムで取水された水は約2.7キロの導水路で常盤発電所に送られ、現在は最大1万5000キロワットのダム水路式発電を行っています。
1951年(昭和26年)の電気事業再編成により、常盤ダムを含む王滝川流域の発電施設は関西電力(株)が事業を継承し現在に至っています。

常盤ダム構内は立入りが制限され、ダム本体はダム湖上流に架かる大島橋から遠望するのみと思っていました。
ところが同じgooブログの『ダムの奏でる』にダム下流からの写真が掲載され、同ブログを執筆されているMさんにダム下流の河原に下りるルートを教えていただき、2024年(令和6年)5月に無事ダムを下流から愛でることができました。

県道256号から王滝川左岸にある木曽町三岳下殿地区処理場に向かい、ここから藪の中の踏み跡を辿ると難なく河原に到着します。
初めて目にする常盤ダムの姿に感激。

 
高さはありませんが、6門のブラックゲートで王滝川を閉め切るその姿はなかなかの存在感。
土砂流出で摩耗しているのか?導流部のコンクリートは意外に白くブラックゲートとのコントラストが際立ちます。


左右両岸は護岸のため一段高くなった叩きが設けられています。
右岸側からの小さな放流は後付けの河川維持放流設備によるもの。

 
左岸には塵芥放流ゲート。
河川法により現在はダムからの塵芥放流は禁止されており、このゲートを開けることはないと思われます。


ダムサイトに移動
分割式の予備ゲートも関電ブラック。

 
常盤発電所への取水ゲート。
こちらも関電ブラック。

 
アングルを変えて。

 
ダムサイトの慰霊碑。


上流の大島橋から
手前は古い橋の遺構。
(2016年7月3日)


ダムをズームアップ。
やはり土砂の流出が多いようで、ゲートが汚れています。
(2016年7月3日)


ダムの下流の常盤発電所。
最大1万5000キロワットのダム水路式発電を行います。


その姿を目にすることはできないと思っていた常盤ダムですが、Mさんのおかげで無事愛でることができました。
当ブログ同様『ダムの奏でる』もよろしくお願いします。

(追記)
常盤ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0992 常盤ダム(0062)
長野県木曽郡木曽町三岳
木曽川水系王滝川
24.1メートル
111.9メートル
1288千㎥/664千㎥
関西電力(株)
1941年
◎治水協定が締結されたダム

王滝川ダム

2024-07-19 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 王滝川ダム
2016年 7月 3日
2024年 4月25日 
 
王滝川ダムは長野県木曽郡王滝村の木曽川水系王滝川上流部にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
木曽川水系では戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)により電源開発が進められ、支流の王滝川でも大同電力による電源開発が企図されていました。
しかし電力国家管理政策により同社の発電施設は日本発送電(株)に接収され、王滝川上流での発電事業も日本発送電が引き継ぐことになります。
王滝川ダムは御岳発電所の取水ダムとして1942年(昭和17年)に着工され、終戦後の1948年(昭和23年)に竣工しました。
ダムの完成に先立つ1945年(昭和20年)に御岳発電所は部分運転を開始、ダム完成に合わせた1948年(昭和23年)に全面運転が開始されました。
その後、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により王滝川ダムや御岳発電所を含む木曽川本流域の発電施設の大半は関西電力が事業を継承しました。
現在は王滝川ダムで取水された水は約17キロの導水路で御岳発電所に送られ最大出力6万8600キロワットのダム水路式発電を行っています。
一方、王滝川ダムおよび御岳発電所の建設に際しては、過酷な労働環境の中で中国人労働者の暴動事件が起きるなど影の側面も併せ持っており、1983年(昭和58年)にその慰霊碑が建立されました。
 
王滝川ダムには2015年(平成27年)11月に初訪、翌年7月の『三浦ダム・王滝川ダム見学会』で再訪しました。
また2024年(令和6年)5月に御岳発電所を訪問(写真撮影のみ)しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

保安上の理由もあり王滝川ダム構内は完全立入禁止ですが、ダム直下の河原に下りるとダムと正対できます。
※現在はダム直下の河原への立入りは禁止されています。
(2015年11月22日)

 
右岸(向かって左)1門と左岸(向かって右)2門に敷高と大きさの異なるラジアルゲート3門装備。ゲートはもちろん『関電ブラック』
向かって左の放流は後付けの河川維持放流設備によるもの。
(2015年11月22日)

 
ここから先は2016年(平成28年)7月の見学会の写真です。
ダム左岸(向かって右端)には塵芥放流ゲートがありますが、河川法により現在はダムから塵芥の放流はできません。
(2016年7月3日)


水利使用標識。
(2016年7月3日)


左岸から
竣工当時そのままの導流部はコンクリートの痛みが顕著。
(2016年7月3日)

 
同じ王滝川にある三浦ダム牧尾ダムはピアが被覆されていますが、ここは剥き出し。
ただし巻き上げ機にはそれぞれカバーがついています。
上流側の歩廊は後付けのようです。
(2016年7月3日)

 
(2016年7月3日)

 
左岸の御岳発電所への取水工。
(2016年7月3日)


アングルを変えて
最大毎秒19.07立米を取水し、約17キロの導水路で御岳発電所に送水します。
(2016年7月3日)

 
ゲート直上の歩廊から見た関電ブラックゲート。
(2016年7月3日)

 
ピアは剥き出しですが、巻き上げ機はそれぞれカバーがついています。
左側は上記の取水工。
(2016年7月3日)

 
減勢部を見下ろす
戦時中施工のダムですのでまだ副ダムなどはなくゲート直下には叩きが設けられています。
すぐ下流は剥き出しの岩盤。
(2016年7月3日)

 
後付けの河川維持放流設備。
(2016年7月3日)

 
ダム湖は総貯水容量58万9000立米。 
直線距離でこの上流6キロに三浦ダムがあります。
(2016年7月3日)

 
2024年(令和6年)5月に王滝川ダムから水を送る御岳発電所を訪問しました。
1~3号機で計最大6万8600キロワットのダム水路式発電を行います。
この写真は1945年(昭和20年)運転開始の1・2号機建屋
山上に上部水槽があり有効落差は229メートル。
(2024年4月25日)


1・2号機建屋ズームアップ
戦争真っ只中の1942年(昭和17年)~1945年(昭和20年)に建設されました。
水圧鉄管はコンクリートで巻き立てられています。
(2024年4月25日)


こちらは1948年(昭和23年)運転開始の3号機。
(2024年4月25日)
 
(追記)
王滝川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。

0996 王滝川ダム(0064)
長野県木曽郡王滝村
木曽川水系王滝川
18.2メートル
80メートル
589千㎥/209千㎥
関西電力(株)
1948年
◎治水協定が締結されたダム

牧尾ダム(再)

2024-07-18 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 牧尾ダム(再)
2016年 7月 3日
2024年 5月25日
 
牧尾ダムは長野県木曽郡木曽町三岳の木曽川水系王滝川にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
水利に乏しい愛知県の尾張丘陵や知多半島では常習的な渇水に悩まされ安定した水源確保が長年の悲願となっていました。さらに中京工業地帯の発展に伴う都市用水の需要増加を受け、1955年(昭和30年)に愛知用水公団が設立され1957年(昭和32年)より愛知用水事業が着手されます。
そして愛知用水の水源として1961年(昭和36年)に竣工したのが牧尾ダムで、ダムから放流された水は岐阜県の関西電力兼山ダム湖畔で取水されたのち幹線水路112キロ、支線水路1000キロ超の愛知用水によって受益地各所に給水されます。
愛知用水公団は1968年(昭和43年)に水資源開発公団(現水資源機構)に改組され利根川や淀川水系など全国主要河川の総合開発事業に携わる一方、愛知用水の完成は中京地区が三大工業地帯へと発展する礎となりました。
牧尾ダムは水資源機構法による多目的ダムで、愛知用水を通じた中京地区への灌漑・上水道・工業用水の供給のほか、当ダムを上部池、木曽ダムを下部池とした関西電力三尾発電所(最大出力3万7000キロワット)での混合揚水式発電を目的としています。
その後の高度成長等による水需要増大を受け、新たな愛知用水水源として1990年(平成2年)に阿木川ダムが、1996年(平成8年)には味噌川ダムが完成、3ダム合わせて1億6700万立米の有効貯水容量を確保しています。
一方、1984年(昭和59年)の長野県西部地震による土砂流入など計画を上回るペースでの堆砂進行が看過できない状況となり、堆砂除去とダム湖掘削による貯水容量確保を目的とした『牧尾ダム再開発事業』が着手され2006年(平成18年)に竣工しました。
これによりダム便覧での表記は『牧尾ダム(再)』となっています。
 
愛知用水概要図(出典 水資源機構愛知用水総合管理所HP)

 
牧尾ダム(再)には2015年(平成27年)11月、2016年(平成28年)7月、2024年(令和6年)5月の3度にわたり訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。

木曽町三岳から王滝川沿いの県道256号を西進、六段橋から牧尾ダム(再)と正対できます。
地山を挟んで右岸(向かって左手)のロックフィル堤体と左岸(向かって右手)の洪水吐が離れているのが特徴。
ロックフィル堤体には九十九折れの管理道路が設けられています。
(2024年5月25日)

 
ダムの目的に洪水調節がないため、洪水吐はクレストラジアルゲート4門のみ。
ゲート右手はダム管理所。
(2024年5月25日)


雪対策として、ピアは被覆。
ここだけ切り取ると重力式コンクリートダムのよう。
(2016年7月3日)

 
ダムの右岸下流側に穴が二つあります。
ともに施工時の仮排水路を転用したもので、向かって左は非常用放流設備、右手は搬入トンネル。
(2016年7月3日)
 
県道を進み左岸ダムサイトへ。
こちらは管理所。
(2024年5月25日)


水利使用標識
愛知用水の水源として灌漑、上水、工水を供給。
特に灌漑用水については受益農地は1万5000ヘクタールに及びます。
(2024年5月25日)


左岸ダムサイトは園地になっており慰霊碑や各種記念碑、モニュメントなどが並びます。こちらは1961年(昭和36年)の竣工記念碑。
(2024年5月25日)

 
こちらは2006年(平成18年)の牧尾ダム再開発事業竣工記念碑。
石碑には『牧尾ダム堆砂対策完成記念』と記されています。
(2024年5月25日)

 
ダムの見学に戻ります。
ダム構内は車両進入禁止で徒歩での見学となります。
こちらは洪水吐、金属製のグレーチングは予備ゲート嵌め込み口。
(2016年7月3日)

雪対策としてゲート巻き上げ機は被覆されています。
(2024年5月25日)

 
ロックフィル堤体と洪水吐を隔てている地山のトンネル。
扁額には中山トンネル。
(2024年5月25日)

トンネルの中には巡視艇が格納。
(2024年5月25日)

御岳湖と命名されたダム湖は総貯水容量7500万立米
(2024年5月25日)


下流面には九十九折れの管理道路が続きます。(立入り禁止)
またリップラップが細かい階段状になっているのが特徴的。
ほぼ同時期に建設された岩手県の岩洞ダムもリップラップが階段状ですが、あちらは犬走を挟んだ3段の階段なのに対しこちらは細かい階段状。
(2024年5月25日)

 
右岸の県道わきにある入口。
扁額には『非常用ゲート』。
牧尾ダムでは三尾発電所を通じて利水放流が行われますが、改修や万一の故障等の場合は非常用ゲートから地下の水圧鉄管経由で上から4枚目の非常用放流設備による放流を行います。
(2024年5月25日)

非常用ローラーゲートと水圧鉄管のプTレート
ともに今はなき田原製作所製。
(2024年5月25日)

 
ロックフィル堤体上流面
写真左手の山向こうが洪水吐となります。
(2024年5月25日)


関西電力三尾発電所の取水工
当ダムを上部池、関西電力木曽ダムを下部池とし最大出力3万7000キロワットの混合揚水式発電を行います。
牧尾ダム(再)には発電容量はなく、愛知用水向け利水放流に準じた利水従属発電となります。
(2024年5月25日)

 
三尾発電所の水利使用標識。
(2024年5月25日)

 
最後に上流から洪水吐ゲートを遠望。
(2016年7月3日)

(追記)
牧尾ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1013 牧尾ダム(元)
木曽川水系王滝川
AWIP
105メートル
264メートル
75000千㎥/68000千㎥
水資源機構
1961年
-------------------- 
3321 牧尾ダム(再)(0063)
長野県木曽郡木曽町三岳
木曽川水系王滝川
AWIP
105メートル
264メートル
75000千㎥/68000千㎥
水資源機構
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

長井坂円形分水工

2024-07-17 21:48:03 | 円筒分水工
2024年4月27日 長井坂円形分水工

長井坂円形分水工は福島県安達郡大玉村玉井の阿武隈川水系七瀬川にある大玉土地改良区が管理する円筒分水工です。
安達太良山南東麓の大玉村から本宮町一帯は透水性の高い扇状地が続き水利に乏しく、渇水時には激しい水争いが勃発するなど灌漑施設の整備が強く求められてきました。
特に1924年(大正13年)に上流の当時の大山村と下流の本宮町の間で『鳴俣堰騒動』と呼ばれる激しい水争いが勃発し、両者間で不売買同盟が結成されるなどの大騒動となりました。
このような事態を受け、1939年(昭和14年)に県営農業水利事業により三ツ森ダムが完成、当地での水利事情は大きく改善しました。
その際、ダムの下流約1キロに設けられたのが長井坂円形分水工で、ここで安達太良川と百日川に分水されます。
かつての遺恨が残る中、視覚的に公平感が実感できる円形分水が採用されたのです。
長井坂円筒分水工には2023年(令和5年)3月に初訪しましたがこの時はまだ通水されていませんでした。
翌2024年(令和6年)4月の再訪時に通水中の円筒分水見学が叶いました。

まずは2023年3月の初訪時の写真から
通水は4月中旬からのため、円形分水も空っぽ。
写真左手が上流で、ダムからの水路が通じています。


こちらは上流から
右手の安達太良川と左手の百日川に分水されます。
安達太良川向けには小窓が6か所、百日川向けには小窓が9か所あり、2:3の比率で分水されます。


ここからは2024年4月の通水時の写真。
上の写真とほぼ同じアングル。


ちょっと遅めのシャッターで撮ってみました。


下流から。


ダム湖の渇水時以外は基本灌漑期は流しっぱなし。
農地への補給は下流の取水堰で調整するそうです。

長井坂円形分水工
福島県安達郡大玉村玉井
阿武隈川水系七瀬川
全周溢流式
円筒分水工
分配数2
大玉土地改良区
1939年

大川ダム ダム研見学会

2024-07-16 20:18:28 | ダム見学会
2024年4月26日 大川ダム『ダム研見学会』
 
昨年8月に日本ダム協会よりダムマイスターを拝命以降、フェイスブックの勉強会グループ『ダム研』メンバーを中心に平均月1回ペースで見学会を開催してきました。
ゴールデンウィークに休みが取れない代休として4月25~27日に2泊3日で宮城・福島のダム歴訪を計画し、その中で宮城の大倉ダム、福島の新宮川ダム大川ダムの3基のダムで職員様同行による見学が叶いました。
ここでは国土交通省北陸地方整備局が管理する大川ダム見学の詳細を紹介したいと思います。
参加者は我が家夫婦とダム研メンバーで霞ヶ浦用水事業見学でもご一緒したIさん、ツイッターで知己を得た東北在住のKさんの計4人です。
大倉ダムについての詳細は『大川ダム』の項をご覧ください。
 
この日は新宮川ダムの見学、鶴沼川防災3ダムの取材見学に続いての大川ダム見学となり、一日で5基のダム見学イベントというのはこれまでにもないかなりのハードスケジュール。
約束の午後3時半前に何とか大川ダムに到着できましたが、右岸ダムサイトにある管理事務所に対しグーグルが左岸ダムサイトに案内したため、管理事務所まで500メートルを歩く羽目に…。
 
左岸駐車場から
手前から予備ゲートと運搬用のガントリークレーン、クレストラジアルゲート、選択取水設備という並び。


減勢工
減勢池の先で右に直角に折れる特徴的な造り。


天端は車両通行禁止。
昭和末期のダムでは珍しいガントリークレーン装備。




左岸の電源開発(株)下郷発電所
大内ダムとの間で最大100万キロワットの純揚水式発電を行います。


選択取水設備のプレート
ゲートは多段式シリンダーゲート。


ようやく管理事務所が近づいてきました。
右岸はロックフィルダム。


フィルダム下の大川ダムの植栽。


管理事務所に到着。
なんとか時間に間に合いました。
玄関には選択取水設備の模型が置かれています。


まずは大川ダムの概要について10分ほどレクチャーを受けます。


次にダム操作室の見学。




古いダムコンも残ります。


いよいよ見学スタート
まずは管理事務所屋上の通信アンテナを見上げます。
山上の反射板を使って情報通信やデータ収集を行います。

ダム湖の『若郷湖』
会津若松市と下郷町から一字ずつを取りました。


管理事務所裏手から見た上流面
万一の堤体越流に備え、フィル堤体保護のため重力式コンクリート部が一段低くなっています。


いよいよ監査廊へ。


節目の高さごとに表示があります。






ドレーン管。


ダム継目漏水量測定孔
文字通り、ダムの継目からの漏水量を計ります。


EL363.5メートルまで下りたら中段の監査廊に到着。


いったんダム下流面に出ます。


目の前には右岸側の『カド』。


EL366.5メートルの中段の監査廊を進みます。
『カド』に合わせて監査廊も屈曲しています。


逆アングルから。


その先の監査廊は『たいむとんねる フォトギャラリー』。


建設中の貴重な写真など、時系列で写真が展示されています。


ダム建設中の写真が多数。




ダム建設に併せて当時の会津線は移設されました。
こちらは移設前の舟子駅
さらに1987年(昭和62年)の会津鉄道転換に合わせ『大川ダム公園』駅に改名されました。
駅名にダムがつく数少ない駅です。


会津線時代のC11蒸気機関車。


こちらは1996年(平成8年)放送のTBSドラマ『風葬の城』のロケ風景
辰巳琢郎さん主演の浅見光彦シリーズです。


刑事役の小松政男さん。


主演の辰巳琢郎さん。


ダムの四季の風景や過去のイベント写真も展示されています。




最後にEL335の下部監査廊へ。


ダム案内図。


最下層の三角堰漏水計。


エレベーターで天端に戻り職員さんと記念写真。


大川ダムには展示館が併設されていることもあり、見学会は操作室や監査廊の見学にとどまります。
しかし、阿賀野川本流唯一の多目的ダムについてその目的や運用について詳しく知ることができたのは大きな収穫です。
もりみずイベントでは下郷発電所の見学や巡視艇乗船体験などもあるので機会があればそちらも参加してみたいと思います。


大川ダム

2024-07-16 01:15:29 | 福島県
2016年4月24日 大川ダム
2024年4月26日
 
大川ダムは左岸が福島県南会津郡下郷町小沼崎、右岸が同県会津若松市大川町の一級河川阿賀野川本流上流部にある国土交通省北陸地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムです。
阿賀野川は古くから会津盆地や新潟平野など沿岸の貴重な灌漑用水源として重用され、さらに大正期以降は豊富な水量を生かし日本屈指の電源地帯となります。
一方、頻発する洪水対策や流域での農業用水、上工水需要の増加、生活様式の変化による電力需要の日量格差の増大などが大きな課題となっていました。
これを受け当時の建設省(現国土交通省)は阿賀野川総合開発事業を採択し、阿賀野川本流上流部への多目的ダム建設に着手、そして1987年(昭和62年)に竣工したのが大川ダムです。
建設に際しては、堆積岩からなる軟弱な地盤に対処するために広範な基礎地盤部分をRCD工法によりコンクリートで固めたほか、左岸を重力式コンクリート、右岸をロックフィルダムとする重力式コンクリート・フィル複合ダムが採用されました。
大川ダムは阿賀野川の洪水調節(最大毎秒800㎥の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、沿岸約4400ヘクタールへの特定灌漑用水の供給、会津若松市ほか2町への上水道用水の供給、会津若松市への工業用水の供給を目的とするほか、大内ダムを上部池、当ダムを下部池とした電源開発(株)下郷発電所(最大100万キロワット)で純揚水式発電、東北電力(株)大川発電所でダム式発電(最大2万1000キロワット)を行います。
洪水期(6月21日~10月10日)と非洪水期(10月11日~6月20日)に洪水調節容量が変更されるほかダムの目的が多岐にわたるため放流設備も多彩で、非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート4門、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲート5門、低水量放流設備としてジェットフローゲート1門、選択式取水設備を備えています。

貯水容量配分図(出典 国土交通省阿賀川河川事務所ホームページ)


放流設備の配置図(出典 国土交通省阿賀川河川事務所ホームページ)


大川ダムには2016年(平成28年)4月に初訪、2024年(令和6年)4月に再訪しましました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載してあります。
また再訪時は職員様同行でのダム内部見学を行いましたが、その詳細は『大川ダム ダム研見学会』の項をご覧ください。

大川ダム建設に併せてダム下公園も整備されました。
しかし、その後の自然災害によりダム下に至る道が通行止めになり以来ダム下公園に立入ることはできません。 
ダム下流の樹間から遠望。
クレストラジアルゲート4門、コンジット高圧ラジアルゲート5門、手前には東北電力大川発電所が見えます。
(2016年4月24日) 

 
右岸にダム管理所があり、大川ダム資料館が併設されています。
(2016年4月24日) 

 
右岸の記念碑。
(2016年4月24日) 


右岸、フィルダム部下の植栽。
(2016年4月24日) 

 
右岸からダム下流面
重力式コンクリート部は右岸側が屈曲、『カド』のあるダムです。
直角に曲がる減勢工が特徴的。
ダム下に下りる遊歩道がありますが、こちらも立入り禁止。
(2016年4月24日) 

 
カドをズームアップ。
(2016年4月24日) 

 
右岸から上流面
手前がフィル部、奥が重力式コンクリート部になります。
フィルダムではおなじみ、万一の堤体越流に備え重力式コンクリート部の方が低くなっています。
(2024年4月26日)

 
天端からの右岸フィル部と管理事務所。
(2024年4月26日) 


予備ゲート運搬用のガントリークレーン
ガントリークレーンはトラッククレーンがまだ高価且つ希少だった昭和30年~40年代のダムで多く採用されました。
その点、トラッククレーンが安価になり、予備ゲートとしてコースターゲートが主流になった昭和末期の大川ダムのガントリーは異質と言えます。
(2016年4月24日)
 
ダム湖は会津若松市と下郷町から一字ずつ取った『若郷湖』
総貯水容量は5750万立米。
(2024年4月26日)

 
左岸の電源開発(株)下郷発電所
大内ダムとの間で最大100万キロワットの純揚水式発電を行います。
(2024年4月26日)

 
こちらは一般水力の東北電力(株)大川発電所
一つのダムで揚水発電と一般水力発電を行うケースは少なくありませんが、それぞれの発電事業者が異なるのは大川ダムのほかでは、栃木県の深山ダム、徳島県の長安口ダムだけ。
(2016年4月24日) 


右岸から見たガントリー。
(2024年4月26日)


上流面
左から予備ゲートとガントリークレーン、クレストラジアルゲート、選択取水設備という並び。
(2016年4月24日) 

 
重力式コンクリートとロックフィルの接続部。
(2016年4月24日) 

日本屈指の大河である阿賀野川は流域には多数の発電ダムが立ち並びますが、本流にある治水目的を持ったダムは大川ダムただ一つ。
その分、大川ダムにかかる責任と期待は大きくなります。
 
(追記)
大川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0523 大川ダム(0328)
左岸 福島県南会津郡下郷町小沼崎
右岸    会津若松市大戸町大川
阿賀野川水系阿賀川
FNAWIP
GF
75メートル
406.5メートル
57500千㎥/44500千㎥
国交省北陸地方整備局
1987年
◎治水協定が締結されたダム