ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

刈谷田川ダム

2023-10-30 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 刈谷田川ダム
2023年9月23日
 
刈谷田川ダムは新潟面長岡市栃堀の信濃川水系刈谷田川にある新潟県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
刈谷田川は『谷や田を刈る』という名が示すように暴れ川で豪雨の度に流域での出水被害が多発していました。
1967年(昭和42年)の羽越豪雨を契機に新潟県は県所管各河川の抜本的な治水対策に乗り出します。
刈谷田川では豪雨直後に上流部への多目的ダム建設事業が採択され1974年(昭和49年)より本体着工、1980年(昭和55年)に刈谷田川ダムが竣工しました。
刈谷田川ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで刈谷田川の洪水調節(最大毎秒170立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、上工水の供給を目的としています。
その後1990年(平成2年)に河川維持放流を利用した新潟県企業局刈谷田発電所(最大1100キロワット)が増設されました。
 
しかし2004年(平成16年)7月の新潟・福島豪雨の際にはダムの計画高を超える洪水に見舞われ、これを機に利水容量の一部が洪水調節容量へ振り替えられ、洪水期には有効貯水容量415万立米の大半が洪水調節容量となる治水重視の運用となりました。
運用の変更と河川整備の成果は大きく、2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨の際にはほぼ2004年とほぼ同量の降雨を記録したにもかかわらず刈谷田川流域での洪水被害は軽微にとどまりました。

刈谷田川ダムの容量配分(ダムパンフレットより)


刈谷田川ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダムは狭隘な谷間から平野への出口に作られ、細長い漸縮型堤体導流壁がダムを一段と縦長に見せます。
右手前の建屋が県企業局刈谷田発電所。
(2016年5月21日)

 
洪水吐はクレストラジアルゲート2門、オリフィス高圧ラジアルゲート1門を装備。
導流壁左手四角い穴はオリフィスの空気孔。
(2016年5月21日)


ダム直下に近づくと灌漑用の分水ゲートが現れます。
『大江』と呼ばれる灌漑用水でダムの減勢工から取水しています。
こちらはダム建設以前から慣行水利権でダムの目的としてはNの不特定利水となります。
(2023年9月23日)


副ダムと刈谷田発電所
発電所は河川維持放流を利用した利水従属の小水力発電となります。
(2016年5月21日)


左岸から下流面
下流からの姿とは一転、堤高83.5メートル、堤頂長202.5メートルのダムらしい姿。
(2023年9月23日)


ダム建設に併せて左岸ダムサイトは園地として整備されました。
今はやや荒れ気味ですがこのライオンのモニュメントは何気に目を引きます。
てか、かわいい!
(2023年9月23日)


ダムサイトの竣工記念碑。
(2016年5月21日)

初回訪問時の上流面。
(2016年5月21日)


再訪時は洪水期常時満水位に約1メートル程足りない水位。
コンクリートの茶色い部分が非洪水期満水位となります。
オリフィス上部には予備ゲート
(2023年9月23日)


天端は徒歩のみ開放
インクラインはなく巡視艇はこのクレーンで昇降させます。
これも胎内川ダム加治川取水ダムなど新潟県営ダムではおなじみの設備。
(2016年5月21日)

初訪時は天端に置かれた巡視艇が、再訪時はこちらに移動されていました。
(2023年9月23日)


洪水吐導流部と減勢工
上から見ても細長い導流壁、そして減勢工も深い。
(2016年5月21日)


再訪時は河川維持放流用の放流管から放流中。
(2023年9月23日)

発電所の水利使用標識。
利水従属発電となります。
(2023年9月23日)


初訪時のダム湖
非洪水期満水位でEL249.5メートルまで貯留されています。
(2016年5月21日)


再訪時のダム湖
洪水期の制限水位EL239.4メートルから1メートルほど低い水位です。
湖岸の植生を見れば非洪水期との水位差が見て取れるでしょう。
(2023年9月23日)


上流面
奥は選択取水設備、手前はオリフィス予備ゲート
ゲート、取水口スクリーンの枠、クレーンが赤で統一されています。
水位は低く見えますが洪水調節容量が過半を占めるためこれで常時満水位。
洪水期になるとさらに水位が下がります。
(2016年5月21日)


 (追記)
刈谷田川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0771 刈谷田川ダム(0399)
新潟県長岡市栃堀
信濃川水系刈谷田川
FWIP
83.5メートル
202.5メートル
4450千㎥/4150千㎥
新潟県土木部
1980年
◎治水協定が締結されたダム

牛ヶ島大堤(貝の沢池)

2023-10-28 17:02:15 | 新潟県
2016年7月20日 牛ヶ島大堤(貝の沢池)
2023年9月23日
 
牛ヶ島大堤は長岡市川口牛ヶ島にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では貝の沢池と表記されていますが、新潟県ため池データベースや長岡市のため池ハザードマップには貝の沢池は存在しません。
便覧では貝の沢溜池の事業者は牛ヶ島集落となっており、牛ヶ島集落のある長岡市川口には堤高10メートルを超える溜池は牛ヶ島大堤しか存在しないため、牛ヶ島大堤が貝の沢池であることはほぼ間違いないと思われます。
当ブログでは牛ヶ島大堤と記すことにします。
池の起源ですが、ダム便覧では1945年(昭和20年)に牛ヶ島集落の事業により竣工と記される一方、現地記念碑には築造は宝暦6年(1756年)に遡りその後1989年(平成元年)に県のため池等整備事業が行われたとあります。
また堤高についても便覧が15メートルなのに対しため池データベースは13.3メートルとなっておりこちらを採ればダムの要件未達となります。
現在も池の管理は川口牛ヶ島地区が行っています。

牛ヶ島大堤には2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
越後川口から国道17号小千谷方面に向かい、牛ヶ島交差点の先の狭い道路を左折すると池に到着。
まずは池下から。
堤高15メートル(ため池データベース13.3メートル)
右岸(向かって左手)に洪水吐斜水路、ダム中央の底樋管から灌漑用水路が伸びています。

 
アングルを変えて。
天端中央は階段
草が刈られ今も貴重な灌漑用水源であることが伺えます。

 
洪水吐斜水路。 

 
底樋管
訪問時はそろそろ稲刈りのシーズンですがいまだ勢いよく放流中。

 
分水ゲート
向って右手は灌漑用水路
左手は河川維持放流となります。

 

 
ダムサイトに上がります
右岸に建つ記念碑。

 
下流面。


池の下の赤い屋根の建物は鉄工所で池とは関係ありません。

 
横越流式洪水吐。

 
天端は道路で車両の通行もできます。 

 
上流面は草が生えていますが、コンクリートブロックで護岸。

 
池下左手にも小さな池があります。
そばの小屋も併せて個人所有の池のようです。

 
総貯水容量3万5000立米の小さな溜池
2023年(令和5年)の新潟は各所で渇水が発生しましたが、この池は水不足とは縁がなかったようです。

 
0739 牛ヶ島大堤(貝の沢池)(0488)
ため池コード 152029001
新潟県長岡市川口牛ヶ島
信濃川水系信濃川右支流(河川名不明)
15メートル(ため池データベース 13.3メートル
80メートル(ため池データベース 55メートル)
35千㎥(ため池データベース 23千㎥)/35千㎥
牛ヶ島地区
1756年築造
1945年竣工(ダム便覧)
1989年ため池等整備事業竣工(記念碑)

太田ダム

2023-10-27 17:00:00 | 新潟県
2016年5月21日 太田ダム
2023年9月23日
 
太田ダムは新潟県小千谷市山谷の信濃川水系太田川にある農地防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
現地竣工記念碑によれば1922年(大正11年)に25町歩(約25ヘクタール)の開田に合わせ太田溜池として建設されました。
その後県営防災ダム事業により再開発され、1999年に農地防災容量が付加された太田ダムとして新たに竣工しました。
運用開始後は小千谷土地改良区が管理を受託し、64ヘクタールの農地に灌漑用水を供給するとともに流域の農地防災を担っています。
ダム便覧では竣工年度が1996年(平成8年)になっていますが、この根拠が不明なためここでは竣工記念碑の1999年を竣工年度とします。

太田ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、渇水により貯水池が枯れているとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
ダム下から
堤体は堤高26.5メートル、堤頂長115メートル
犬走を挟んだ2段構成で右岸(向かって左)に洪水吐斜水路があります。
(2023年9月23日)

 
ダム下流の放流設備
ここで河川維持放流と灌漑用水を分水します。
(2023年9月23日)

 
洪水吐に架かる管理橋
左手の水路管が灌漑用のパイプライン。
(2023年9月23日)


 管理橋から斜水路を見上げる。
(2023年9月23日)


 減勢工にある転流工吐口。
(2023年9月23日)

 
河川維持放流ゲート
2枚目写真の放流設備から分水されます。
(2023年9月23日)

 
左岸から下流面。
(2023年9月23日)

天端は立ち入り禁止
ダムを所有する小千谷市に立ち入り交渉をしましたが残念ながら却下。
(2016年5月21日)


左岸の竣工記念碑。
太田溜池時代からの来歴が詳しく書かれています。
(2023年9月23日)


2023年(令和5年)は新潟県各所で渇水が発生、
太田ダムも8月に貯水率がゼロになり以来流入量をそのまま放流する低水運用を行っています。
上流面はコンクリートで護岸
対岸に横越流式洪水吐と斜樋があり高台には管理棟が建っています。
(2023年9月23日)


こちらは初回訪問時
これで常時満水位。
(2016年5月21日)

 
同じアングルで再訪時。
(2023年9月23日)

 
初回訪問時の貯水池。
有効貯水容量16万4000立米のうち灌漑容量11万5000立米が貯留され、残り4万9000立米が農地防災容量となります。
(2016年5月21日)


初回訪問時の斜樋。
(2016年5月21日)


再訪時
貯水池に溜まっているのは堆砂容量1万立米のみ
水位は取水設備の最低取水口を下回り、流入量は土砂吐ゲートからそのまま放流しています。
(2023年9月23日)

2023年(令和5年)7月にも新潟のダムを回りましたが、その時には予想もしなかった渇水。
当ダムのほか多くのダムで水不足に陥り、新潟県内の農家や土地改良区は近年まれにみる苦難を強いられました。
 
3116 太田ダム(0390)
新潟県小千谷市山谷
信濃川水系太田川
FA
26.5メートル
115メートル
174千㎥/164千㎥
小千谷土地改良区
1922年 太田溜池竣工
1996年 太田ダム竣工(ダム便覧)
1999年       (竣工記念碑)

2023年7月30日 豊丘ダムまつり・ダム探検

2023-10-17 17:00:23 | ダム見学会
2023年7月30日 豊丘ダムまつり・ダム探検
 
前日の内村ダム見学会菅平ダム・菅平発電所見学会に続いて7月30日は豊丘ダムまつりの一環として開催されるダム探検イベントに参加させていただきました。
豊丘ダムでは例年ダムを管理する長野県須坂建設事務所と地元豊丘地区が共同でダムまつりを開催し、ダム見学会であるダム探検のほか地元農産物の販売、建設機械の展示、工作教室など親子で楽しめるイベント多々用意されています。

午前9時30分ごろにダムに到着し、ダム探検イベントの予約をしたあと右岸ダムサイトをうろうろ。
まずは下流面の写真を何枚かパチリ。
前回訪問時よりも手前の木が伸び、見通しが悪くなっています。



ついで上流面
硫黄成分の影響でダム湖は美しいエメラルドグリーン。


定礎石。


10時前に建設事務所長さんや地元自治会会長によるダムまつり開会の挨拶。


ダム探検イベントは第1組
まずは職員さんによるダムの基本的な説明。
参加者の多くはダムマニアではない一般市民の皆さんなので、内容も初歩的なものとなります。


ダムの目的や運用方法のほか、監査廊内の設備の説明も行われます。


次に艇庫に移動
艇庫は『蔵の街須坂』をモチーフにしたデザイン。


インクラインの巻き上げ機。


艇庫に置かれたダムの立体模型
透明なプラスチック製なのでうまく写真が撮れません。


ついで天端からの説明。


天端から艇庫とインクライン
ダムまつりに合わせてインクラインのシャッターが開けられています。


乗っているのは流木や塵芥を除去する作業船。


ダムからは長野市街を挟んで戸隠や北アルプス後立山連峰まで遠望できますが…。


この日はやや靄っており戸隠と飯綱山がかすかに見えるだけ。


ダム下を見下ろします。


低水放流設備には管理用小水力発電所が併設されていますが、今は休止中。
発電所は県企業局に移管され刷新される予定。


ダム湖(昇竜湖)は総貯水容量258万立米
百々川ほどではありませんが、灰野川も硫黄成分を含むため湖面は独特のエメラルドグリーン。


オリフィスゲートを真上から
戸当たりの溝は試験湛水の際のゲート用。


上流面。


いよいよ監査廊内へ。
エレベーターでEL818まで下りて横坑を進みます。


続いて斜度45度の階段を下ります。
『ここでダメな方はエレベーターで引き返してください』という職員さんの言葉がありますが全員GO!


湿度ほぼ100%で案内板は結露。




右手はドレーン。


ようやくEL788の最下層へ
30メートルを下りきりました。


こちらもドレーン。


職員さんが説明しているのは?


監査廊ではおなじみのプラムライン
堤頂部からぶら下げたワイヤーでダムの微細な歪みを計ります。


三角堰漏水計。


排水ピット
漏水をここに集め排水します。




こちらは最新式の漏水量計。


再び30メートルを登り返し。


これにてダム探検終了
正直、ダム見学としては物足りなく取水設備やダム下の放流設備・発電所なども見れたらなあという内容。
せっかくなので農産物販売所へ。


ジャガイモ、タマネギ、ピーマン、プラムを購入。
東京から見ればかなりお安いお値段。


須坂はトウモロコシが特産
焼トウモロコシも頂きます。


上でも書いたようにダムの見学会としては監査廊の中を見るだけでちょっと物足りない内容。
ただ、多くのダムが単独イベントとして見学会を実施するのに対し、ここでは地元との共催によるダムまつりという点が味噌。
お昼過ぎにダムを後にしましたが、駐車場の空きを待つ車も多くお祭りとしてはなかなかの盛況。
ダムツーリズムという視点ではお手本とも言うべき豊丘ダムまつりでした。


豊丘ダム

2023-10-16 17:00:17 | 長野県
2017年8月 5日 豊丘ダム 
2023年7月30日
 
豊丘ダムは左岸が長野県須坂市塩野、右岸が同市豊丘の信濃川水系百々川支流灰野川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
須坂市域を東西に横断して千曲川に注ぐ百々川は酸性度が強いため灌漑用水としては不適で、酸性度の低い支流の灰野川の水を求めて古来より水争いが続いていました。
一方高度成長により百々川流域の氾濫原での市街化が進み、治水対策も重要な課題となっていました。
そこで1978年(昭和53年)に長野県は灰野川最上流部への多目的ダム建設を軸とした百々川総合開発事業を採択、1986年(昭和61年)に着工され1994年(平成6年)に竣工したのが豊丘ダムです。
豊丘ダムは建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、灰野川および百々川の洪水調節(最大毎秒90立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、須坂市への上水道用水の供給を目的とするほか、河川維持放流を利用し豊丘ダム管理用発電所(最大出力150キロワット)の小水力発電を行っています。
豊丘ダムには2017年(平成29年)8月に初訪、2023年(令和5年)7月の豊丘ダムまつりに合わせて併せてに再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
豊丘ダムまつりでのダム見学会については下記のリンクをご参照ください。

建設がバブル期と重なっていることもありダム周辺はよく整備され、ダム下は池や東屋を備えた親水公園になっています。
ただ残念なことにダムと正対できず、これが精いっぱい。
クレスト自由越流頂4門、自然調節式オリフィス1門を備えたゲートレスダムです。
(2017年8月5日) 


左岸から
堤高81メートル、堤頂長238メートルと補助ダムとしてはなかなかのサイズ。
上段は堤体導流壁、中段以下は堤趾導流壁。
(2017年8月5日) 


左岸から上流面
一見水位は低そうですがこれで常時満水位。
堤体前面の建屋はエレベーター棟、上流側は取水設備、その奥は艇庫とインクライン。
(2017年8月5日) 
 

さらに高い位置から
(2017年8月5日) 

 
天端から減勢工を見下ろす
エンドシルの下流には洗堀防止のためのブロック工が敷かれています
右手は小水力発電所を兼ねた放流設備
当所は管理用発電所として建設されましたが2023年7月現在運転休止中で、今後県企業局により新たな発電施設として刷新される予定。
(2023年7月30日)

 
天端からは須坂、長野市街を挟んで遠く北アルプスまで遠望できますが…
訪問時は霞んでアルプスは見えず。
(2023年7月30日)

天端は車両通行でき対岸に広い駐車スペースがあります。
向って左手は管理事務所、右手は艇庫
右岸ダムサイトも小公園になっており、地元豊丘地区の皆さんが清掃や花壇の手入れなどを行っています。
(2017年8月5日)

 
ダム湖(昇竜湖)は総貯水容量258万立米
百々川ほどではありませんが、灰野川も硫黄成分を含むため湖面は独特のエメラルドグリーン。
(2023年7月30日)

 
艇庫とインクライン
再訪時は豊丘ダムまつりのため各所に誘導要員が立っています。
(2023年7月30日)

 
右岸から下流面。
(2017年8月5日) 

 
左岸の山留はまるで断崖のよう
右手上部にクレーン台座が残っています。
(2017年8月5日) 


須坂は『蔵の街』として知られ、艇庫は蔵をモチーフにした意匠。
この辺りいかにもバブル期のダム。
(2017年8月5日) 


右岸に建つ女性像
裸婦像かと思ったら水着着用です
(2017年8月5日) 

右岸から上流面。
(2023年7月30日)


さらに上流から。
(2017年8月5日) 

バブル期のダムということで建屋などは凝った意匠、ダム下やダムサイトも公園としてよく整備されています。
最近は財政難や人手不足もあり、ダム建設に併せて整備された公園も荒れていることが多いのですが、ここは地元の皆さんがボランティアで清掃や手入れをされており、今も美しい環境が保たれているのが印象的。
もりみず旬間での見学会も地元地域との共催による『豊丘ダムまつり』として毎年盛況を博しているのも注目に値します。
 
(追記)
豊丘ダムはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1039 豊丘ダム(1098)
左岸 長野県須坂市塩野
右岸     同市豊丘
信濃川水系百々川支流灰野川
FNW
81メートル
238メートル
2580千㎥/2120千㎥
長野県建設部
1994年
◎治水協定が締結されたダム

2023年7月29日 菅平ダム・発電所ダムもりみず見学会

2023-10-15 17:00:22 | ダム見学会
2023年7月29日 菅平ダム・発電所ダムもりみず見学会
 
昼前の内村ダム見学会のあとに向かったのが長野県企業局が管理する菅平ダムです。
ここは普段ダム下流からの展望ポイントがなく、見学会の際にダムを下から拝めるだろうという期待もあり参加したのですが…
事前予約はなく希望者は適時、見学ができるスタイル。
 
見学会の前に国道から上流面
灌漑主体のため取水設備は表面取水となります。


取水設備の扉も開いていますが、中は立ち入り禁止。


取水設備概略図。


取水設備のプレート
メーカーは丸島水門(現丸島アクアシステム)。


天端から洪水吐を見下ろすと
取水設備から導水路までの落差を利用した小水力発電所の建設工事中。
こりゃあ、ダム下には行けないかも??


管理事務所入り口で見学手続きを終えたら、まずはダム操作室で運用についての説明。
旧式のダムコンだそうです。


取水ゲートの操作説明。
質疑応答に集中して写真はこの2枚だけ…。


次に監査廊見学。


ダムは堤高41.8メートル。


建設中の小水力発電所をズームアップ。


少し階段を下ります。


ここが監査廊入り口。


いきなり階段を下ります。
漏水計や電気ケーブルが通っています。


こちらはダム最下層。


ちょっと登り返すと。


ダム下の監査廊出入り口。


ダムの下流面はこれが精いっぱい。
普段ならさらに下流まで行けるのですが、今工事中のためここまで。


剥がれたコンクリートが建設以来50年以上の時間経過を感じさせます。


来た道を戻って見学終了。

意外にあっさり終わった見学会。
天端の愛車と記念撮影。


つぎに4キロ下流の菅平発電所へと向かいます。
見学終了時間ギリギリの到着でしたが、ご厚意により見学OK。


発電所越しに水圧鉄管を見上げます。


こちらは発電所からの放水路
舟形の余水吐が特徴的。


アングルを変えて
実はこの下流には戦前完成の中部電力(株)横沢第一および第二発電所があり、平時は菅平発電所の放流水がそのまま使われます。
一方、菅平発電所が停止中は、写真左手の神川取水堰から導水されます。


右手は発電所の放流口
見学時は絶賛発電中で勢いよく放流されています。
左手は上部水槽の余剰水放流口で、発電所をバイパスして放流されます。


有効落差276メートルの水圧鉄管
右手は発電用の鉄管、左手は余水管で余剰水の流下に使われ上の写真の余剰水放流口から放流されます。


ちょっと見づらいですが、鉄管の左手にモノレールのレールがあります。
かつては点検の際には右手の階段で標高差276メートルを昇り降りしていたそうですが、いまはモノレールで移動。
でも上部水槽まで約15分、急傾斜かつ乗り心地も悪いためお尻は痛くなるし首への負担も大きいようです。
昇りは良いけど、下りは怖そう…。


水圧鉄管のプレート
佐世保重工製。


いよいよ発電所内へ
認可最大出力5400キロワットの発電機。




明電舎製です。


職員さんによる説明を受けますが、発電機の音がすごくよく聞き取れません。


階下へ下ります。
これは上階の発電機と地下の水車を結ぶ縦軸。
発電中なので毎分900回転で回っています。


水車と縦軸は荏原製。


正直、ダムの見学は今一つでしたが、発電所では稼働中の発電機をすぐそばで見れたほか、珍しい形状の放流口余水吐など内容の濃い見学となりました。
特に発電所では見学終了間際の訪問にもかかわらず、時間超過で丁寧な説明、質疑応答をしていただき感謝の念に堪えません。
菅平ダムの小水力発電所完成の暁には改めて来訪したいと思います。

菅平ダム

2023-10-14 17:00:00 | 長野県
2015年11月23日 菅平ダム
2017年 8月 5日
2023年 7月29日
 
菅平ダムは長野県上田市菅平高原の信濃川水系神川源流部にある長野県企業局が管理する灌漑・上水・発電目的の重力式コンクリートダムです。
上田市のある小県地方は年間降水量1000ミリと国内有数の少雨地帯で、干ばつ被害が多発し安定した灌漑用水の確保は当地域農家の長年の悲願となっていました。
そんな中、終戦直後の食糧難を受け農業ダム建設機運が高まり、これに発電所や上水用水源を求めていた県企業局が事業参加し、灌漑・上水・発電を目的とする利水多目的ダムとして1968年(昭和43年)に竣工したのが菅平ダムです。
ダム建設の際、受益農家の負担軽減のため地元財産区が菅平高原に保有していた土地を県企業局に無償譲渡し、県はこれを別荘保養地として造成・分譲しその利益でダム建設や土地改良を実施し余剰利益が地元に分配されました。
これは菅平方式と呼ばれ、長野県の公営高原開発事業のモデルとなりました。
結果、ダム建設及びかんがい排水事業への地元負担は軽減される一方、菅平は長野県を代表する高原リゾートへと発展。現在はラグビー合宿のメッカとなっています。 
菅平ダムで取水された水は長野県企業局菅平発電所(最大出力5400キロワット)でダム水路式発電を行った後、神川沿岸土地改良区の約1250ヘクタールへの灌漑用水及び上田市上水道に供給されます。
 
菅平ダムへは2015年(平成27年)11月、2017年(平成29年)7月の高遠ダムスタンプラリー、さらに2023年(令和5年)のもりみず見学会の計3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
ダム見学会の詳細については下記リンクをご覧ください。

菅平ダムは上田から菅平に向かう国道144号線沿いにあります。
国道からゲートを遠望。この時はコンデジしか持参していなかったので画質が悪い。
治水目的のない利水多目的ダムのため放流設備はクレストラジアルゲート2門だけ。
(2015年11月23日)

 
右岸国道から。
(2017年8月5日)

 
天端は車両通行可能
我が家の愛車とともに。
(2023年7月29日)

 
上流面
写真中央は取水設備
灌漑がメインですので表面取水となります。
(2023年7月29日)

 
天端から減勢工を見下ろす。
パワーショベルのようなシュートブロック
利水用水はすべて発電所経由となり、ダム直下は基本無水河川となります。
(2017年8月5日)

 
2023年訪問時の同じアングル
取水設備から調圧水槽までの落差を利用した小水力発電所を建設中。
(2023年7月29日)

 
調節水槽
ここから約4.1キロの導水路で菅平発電所まで送水されます。
(2017年8月5日)

 
ちょっとアングルは変わりますが、発電所建設のため様変わり。
(2023年7月29日)


ダム湖は菅平湖で総貯水容量345万1000立米。
ダム湖のすぐ上流は日本のダボスと呼ばれる菅平高原。
(2017年8月5日)


左岸の管理事務所
平日は職員が常駐しています。
(2017年8月5日)


インクライン。
(2023年7月29日)
 
左岸から下流面。
(2017年8月5日)

 
2023年に同じアングルで。
(2023年7月29日)


左岸から上流面。
(2023年7月29日)


発電用の水利使用標識
灌漑期(5~9月)は利水従属発電
冬季電力需要期(12~2月)は発電主体の運用を行います。
(2023年7月29日)

 
灌漑用水の水利使用標識
灌漑期は5~9月となります。
(2023年7月29日)

 
ダム下から
もっと引いた位置からダムを見たかったのですが、工事中のためこれが精いっぱい。
(2023年7月29日)

 
上流から遠望。
(2017年8月5日)

 
ゲートと取水設備。
(2017年8月5日)

 
立入禁止の下流からダムを見上げることができれば!と思い見学会に参加しましたが工事中のため叶わず。
小水力発電所が完成したら改めて見学会に参加しようと思います。
 
(追記)
菅平ダムはは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1020 菅平ダム(0068)
長野県上田市菅平高原
信濃川水系神川
AWP
41.8メートル
149.7メートル
3451千㎥/3242千㎥
長野県企業局
1968年
◎治水協定が締結されたダム

2023年7月29日 内村ダムもりみず見学会

2023-10-13 17:00:28 | ダム見学会
2023年7月29日 内村ダムもりみず見学会
 
全国各地のダムが一斉に見学会等のイベントを実施する『森と湖に親しむ旬間』、通称『もりみず』。
ダム愛好家にとっては一年で最も楽しみな旬間です。
しかし。ここ3年はコロナ禍のため大半のイベントは休止、昨年ようやく一部のダムで再開の動きが出はじめ今年、4年ぶりに本来の『もりみず』が戻ってきました。
もともとマニアックな性格ですので人気殺到のメジャーなダムは避け、あまり人が来そうにないダムをあれこれ検討した結果、今回チョイスしたのは長野県の内村ダム菅平ダム豊丘ダムの3基。
7月29日から30日の一泊二日で3つのダムの見学会をはしごすることにしました。
29日早朝に自宅を発ち、山梨県の後沢溜池に立ち寄った後午前11時に内村ダムに到着。
予約した時間まで30分ほどあるのでまずはダム下をうろうろ。
減勢工直下のフロック工から。
草をかき分けここまで下りましたがあまりよく見えません。

 
定番スポットから
非常用洪水吐としてクレスト自由越流頂2門、洪水期および非洪水期用自然調節式オリフィス各1門ずつを装備
今回は洪水期用オリフィスから越流中。

オリフィスゲートをズームアップ
向って右手が非洪水期(10/11~5/31)
左手が洪水期(6/1~10/10)用オリフィス
非洪水期用はスライドゲート、洪水期用はローラーゲートで開閉します。


開始10分ほど前に右岸ダムサイトの管理事務所へ
本当は事前に職員さんによるレクチャーがあるのですが、前の組が押しているので先に艇庫や監査廊の見学をすることに。
前の組は大人数でしたが、私の組は嫁とシニアの男性一人の計3名。
ほぼ貸切見学会。


ダムサイトの説明板。


竣工当時の知事さん揮毫による記念碑。
中国の管子の言葉で
『自然は不動ではなく危険をもたらす一方で、易をもたらすことも多い』なんて意味だそうです。


左岸の艇庫。


こちらは作業船
ダム湖の流木やゴミの除去に使われます。


こちらは巡視艇。


インクラインの巻き上げ機。


艇庫とインクライン。


天端から管理事務所を見上げます。
斜めに伸びる階段が監査廊への入り口。


堤頂長は265メートルで右岸側が屈曲しています。


中段から
これは見学会じゃないと撮れないショット。


階段を下ります。


地震計
三角屋根の箱の中に感震機が入っています。


漏水量の説明板。


漏水量計。


一旦水平に進みます。


間隙水圧計、温度計間、継目計測

こちらはプライムライン
堤頂部からピアノ線が張られダムのたわみによる変形を計測します。


三角堰漏水量の説明板。


こちらが三角堰漏水量計。
漏水は奥の青いバルブで排水します。


さらに階段を下り最下層へ。


ここには低水放流設備があります。
そのプレート。

 
低水量の洪水調節、維持放流や利水放流はこちらで行います。
一般には低水放流設備は堤体から独立しては位置されることが多いのですが、こちらでは堤体に内包されているのがポイント。


手前のパイプはダムの下流300メートルにある内村浄水場への送水管。


監査廊の出口を出るとダムの直下へ。
導流壁そばの穴が低水放流管となるジェットフローゲート。
今回はオリフィスから越流しているため、ゲートは閉じられたたまま。


堤体に直に触れることができます。


上水道用水の水利使用標識。


続いて管理事務所で職員さんによるダムの概要説明
本来は見学前に行うのですが、順番が逆になりました。


続いてダム操作室での説明。
職員の常駐はなく平時は週1度の巡回のみ、長野県上田建設事務所での遠隔操作となります。


担当職員さんによるダム操作や運用の説明。




一番聞きたかった治水協定による事前放流の説明板。
内村ダムでは基準降雨量190ミリで、利水容量から最大29万5000立米の事前放流を実施します。
協定は結ばれていますが、万一事前放流を実施したにもかかわらず想定した雨量がなかった場合、つまり空振りの場合については現在国交省による利水容量の補償はないそうです。


見学終了後、天端を見て回り最後に国道254号線から遠望。


ゲートをズームアップ。


公式な見学会としては1年ぶり、なんだかんだで約1時間半の充実した内容でした。
のんびりしたいところですがこのあとは菅平ダム・発電所の見学が控えており、ダッシュで菅平へ!

内村ダム

2023-10-12 17:00:01 | 長野県
2015年12月13日 内村ダム
2023年 7月29日
 
内村ダムは長野県上田市鹿教湯温泉の一級河川信濃川水系依田川左支流内村川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
依田川水系では昭和30年代に2度の洪水が発生するなど水害が多い一方、年間降水量わずか1000ミリの少雨地帯のため渇水による干ばつも多く、抜本的な治水・利水対策が求められていました。
これを受け長野県は1972年(昭和47年)に内村川上流へのダム建設を採択、これに当時の丸子町(現在は上田市)が水道事業者として事業参加し1983年(昭和58年)に竣工したのが内村ダムです。
内村ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、内村川および依田川の洪水調節(最大毎秒120立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水(既得灌漑用水)への補給、上田市丸子地区への上水道用水の供給を目的としています。
内村ダムには2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)7月のもりみず旬間の見学会に合わせて再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
また2023年(令和5年)7月のもりみず見学会については下記リンクをご覧ください。
 
ダム下から
非常用洪水吐としてクレスト自由越流頂2門、洪水期および非洪水期用自然調節式オリフィス各1門ずつを装備
再訪時は洪水期用オリフィスから越流中。
(2023年7月29日)

 
オリフィスゲートをズームアップ
向って右手が非洪水期(10/11~5/31)
左手が洪水期(6/1~10/10)用オリフィス
非洪水期用はスライドゲート、洪水期用はローラーゲートで開閉します。
(2023年7月29日)

 
導流壁そばの穴は低水放流用ジェットフローゲート。
通常河川維持放流はここで行いますが、訪問時はオリフィスから越流していたため放流はなし。
(2023年7月29日)


水利使用標識
ダムのすぐ下流に上田市内山浄水場があり、専用管で上水道用水が送られます。
(2023年7月29日)


右岸高台に笠岩神社がありそこから俯瞰
堤頂長は265メートルで右岸側が屈曲しています。
(2015年12月13日)

 
笠岩神社の御神体となる笠岩
男性器に見立てられ、多産・子孫繁栄のご利益があるようです。
(2015年12月13日)

 
右岸ダムサイトの説明板
(2023年7月29日)


堤体中段から
見学会の際の写真で通常はこの位置からは撮れません。
(2023年7月29日)


右岸ダムサイトの管理事務所
職員の常駐はなく、平時は週に一度の巡回のみ。
(2023年7月29日)

 
右岸の艇庫とインクライン。
(2023年7月29日)


天端から減勢工を見ろす
副ダムのすぐ下には洗堀防止のブロック工が並びます。
通常あるはずの放流設備は堤体に内包されているのでありません。
(2023年7月29日)

 
総貯水容量200万立米のダム湖
左奥は三才山で山を越えれば松本。
(2023年7月29日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2023年7月29日)


堤体内の低水放流設備となるジェットフローゲート
長野県営各ダムでは河川維持放流を利用した小水力発電所設置が進められています。
しかし当ダムは放流設備が堤体内にあるため、発電所設置には堤体掘削が必要となるため見送られる方針。
(2023年7月29日)

 
国道254号線から遠望。
(2023年7月29日)


ゲートをズームアップ
この写真は初訪時で非洪水期でしたが、右側洪水期ゲートが開放されています。
左手に洪水期オリフィスのスライドゲートが見えます。
(2015年12月13日)

 
(追記)
内村ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。    

0131 内村ダム(0113)
長野県上田市鹿教湯温泉
信濃川水系内村川
FNW
51.3メートル
265メートル
2000㎥/1600㎥
1985年
長野県建設部
◎治水協定が締結されたダム

後沢溜池

2023-10-11 17:00:00 | 山梨県
2016年2月27日 後沢溜池
2023年7月29日
 
後沢溜池は山梨県甲斐市牛句の富士川水系荒川右支流亀沢川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
もともと荒川沿岸には30余カ所の灌漑用取水堰が設けられていましたが、1930年(昭和5年)に甲府市が上水道事業拡張のため荒川からの取水量拡大を決めたことで、既得取水権としての灌漑用取水に棄損が生じることとなりました。
県はこの補償として県営事業により2基の灌漑用貯水池の建設に着手、1937年(昭和12年)の丸山溜池に次いで1939年(昭和16年)に竣工したのが後沢溜池です。
両溜池はともに受益者で組織された荒川沿岸用水利用組合が管理し、現在は約1600ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
その後池に隣接して敷島総合公園が建設され、池も矢木羽湖公園として湖畔をめぐる遊歩道や親水護岸が整備され地域住民の憩いの場となっています。
後沢溜池には2016年(平成28年)2月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
右岸から下流面
堤高29メートル(ため池データベース)の下流面はきれいに草が刈られています。
手前は洪水吐。
(2023年7月29日)


天端は車道。
周辺には果樹園が広がります。
(2023年7月29日)


上流面
黒い水路パイプは後付けの河川維持放流用。
(2023年7月29日)

 
右岸の横越流式洪水吐
(2023年7月29日)

 
洪水吐導流部
この先に斜水路があります。
(2023年7月29日)

 
下流側から
交差する水路橋は北にある敷島公園からのドレーン水路と思われます。
(2023年7月29日)

矢木羽湖と命名された貯水池は総貯水容量11万2000立米(ため池データベース)
右岸湖岸にはデッキが設置されているほか、湖岸を一周できる遊歩道が整備されています。
(2023年7月29日)

 
上流から。
(2023年7月29日)


湖岸にある案内板
(2023年7月29日)


こちらは初訪時、2月の写真です
対岸の建屋は斜樋
奥には昇仙峡、さらには日本百名山の金峰山をはじめ奥秩父の2500メートル級の山が遠望できます。
(2016年2月27日)


ズームアップ
凝った造りの斜樋建屋。
(2016年2月27日)

 
天端から
下の谷を荒川が流れ、その下流域の甲府盆地に受益農地があります。
(2023年7月29日)


上流面に沿って河川維持放流用のパイプが伸びます。
(2023年7月29日)


蛍の小径と命名された左岸湖畔の遊歩道。
遊歩道沿いに亀沢川が流れ、ここから維持放流用のパイプが伸びます。
(2023年7月29日)


蛍の小径沿いの斜樋建屋。
(2023年7月29日)


0964 後沢溜池(0243)
ため池データベース
山梨県甲斐市牛句
富士川水系亀沢川
22.7メートル(ため池データベース 29メートル)
115メートル
213千㎥(ため池データベース 112千㎥)/213千㎥
荒川沿岸用水組合
1939年

杉沢溜池(簗沢ダム)

2023-10-10 17:00:42 | 山形県
2016年6月18日 杉沢溜池(簗沢ダム)
2023年7月26日
 
杉沢溜池は山形県米沢市簗沢の最上川水系鬼面川右支流太田川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1937年(昭和12年)に鬼面川堰用水組合の事業で竣工と記されており、受益者で組織された水利組合の事業、つまり農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在の管理者は米沢市で、受益農地は当池北方約6キロの鬼面川流域水田となります。
なおダム便覧では目的が『FA(農地防災・灌漑)』となっていますが、当溜池に農地防災容量の配分はなく『A』が妥当です。
また旧名を鬼面川貯水池といい国土地理院地形図では今も鬼面川貯水池と記されています。
杉沢溜池には2016年(平成28年)6月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

池直下から堤体を見上げる
定期的に草は刈られていますが、訪問時はかなり草が茂っています。
2023年7月26日)

 
堤体下部右岸側に底樋管があります。
灌漑期ということでかなりの水勢
このあと水路は直角に曲がり池下を左岸に向かいます。
(2023年7月26日)

 
これは初訪時に左岸から水路を撮ったもの
再訪時は草が茂りここまでは入れず。
またこの位置には量水計が新設されていました。
(2016年6月18日)

 
右岸から下流面。
(2023年7月26日)

 
上流面。
(2023年7月26日)

 
池下の量水計。
(2023年7月26日)

総貯水容量は46万立米。
(2016年6月18日)


斜樋。
(2023年7月26日)

 
改築されて間がない斜樋操作室。
(2016年6月18日)

天端はダートで、対岸からさらに林道が続くため車両の通行可能です。
(2023年7月26日)

 
左岸の横越流式洪水吐。
(2016年6月18日)


越流した水はこの導水路隧道を流下し太田川へと流れます。
(2016年6月18日)

 
上流側から
(2016年6月18日)


左岸に昔の水路と思われる空洞があり中にはニャンコの落書き。
今は物理的に立ち入り困難な場所なのでかなり昔の落書きのようです。
(2016年6月18日)


左岸から上流面。
(2023年7月26日)


こちらは初訪時
水位がかなり低くシャフトの大半が見えます。
(2016年6月18日)

 
0410 杉沢溜池(0468)
ため池コード
山形県米沢市簗沢
最上川水系鬼面川
22.5メートル(ため池データベース 22.7メートル)
135メートル(ため池データベース 116.5メートル)
460千㎥/460千㎥
米沢市
1937年

松沢溜池

2023-10-09 17:00:19 | 山形県
2016年7月10日 松沢溜池
2017年5月27日
2023年7月26日
 
松沢溜池は左岸が山形県上山市細谷、右岸が同市皆沢にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地記念碑によれば、大正期に約130ヘクタールの山野の開拓のために溜池築造が企図され、1921年(大正10年)に松沢耕地整理組合の事業により竣工と刻されています。
一方ダム便覧には1920年(大正11年)に松沢土地改良区の事業で竣工と記されており、竣工年度に1年のずれはありますが大正末期に耕地整理組合の事業、つまり受益農家の持ち出しで建設されたのは間違いなさそうです。
現在の管理者は上山市土地改良区です。
直近の改修で東北では2例目となるラビリンス洪水吐が設置されたことで、溜池ではありますがダム愛好家の中ではよく知られた存在となっています。
松沢溜池には改修工事終了間際の2016年(平成28年)7月に初訪、2017年(平成29年)の改修工事竣工を受け、同年5月に再訪、さらに2023年(令和5年)7月に3度目の訪問をしました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
上山市街から大規模農道フルーツラインを西に向かうと左手に松沢溜池が見えてきます。
溜池を運用しながらの改修のため、改修工事は主として非灌漑期に行われます。
初訪時は灌漑期ということで工事は中断中。
(2016年7月10日)

 
堤体下を横断し全長200メートルに及ぶ洪水吐導流部。
形状の異なるエンドシルが2基設置されています。
(2016年7月10日)

 
洪水吐斜水路。
減勢工にはシュートブロックとバッフルブロックが並びます。
洪水吐はここからL字に折れて、上の写真の導流部へと続きます。
(2016年7月10日)


灌漑期のため貯水池はほぼ満水。
堤体の土はむき出しで、洪水吐にはまだラビリンスは設置されていません。
(2016年7月10日)

 
刷新された斜樋
左岸の山留も今回の改修で施工されました。
(2016年7月10日)

 
ここからは再訪時の写真です。
堤体には芝が張られています。
(2017年5月27日)

 
新たに設置されたラビリンス越流頂。
(2016年7月10日) 

 
(2017年5月27日)

 
天端はアスファルト舗装
前回よりも水位が低いため、コンクリートブロックの護岸がよく見えます。
(2017年5月27日)

 
ここからは3度目の訪問時の写真
下流面の芝はしっかりと根付き洪水吐には手すりが設けられています。
一方でぴかぴかだったコンクリートは汚れが目立ちます。
(2023年7月26日)

 
洪水吐斜水路とシュートブロック、バッフルピア。
(2023年7月26日)


洪水吐はダム下でL字に折れ約200メートルの導流部を流下します。
堤体は右岸側で緩やかに屈曲
一応『カド』。
(2023年7月26日)

 
1962年(昭和37年)建立の記念碑
溜池築造からの経緯が詳細に刻されています。
(2023年7月26日)


2017年(平成29年)の改修竣工により新たに設置された記念碑。
(2023年7月26日)


ラビリンス越流頂
(2023年7月26日)


アングルを変えて
(2023年7月26日)


上流面にもずいぶん草が生えました。
(2017年5月27日)

 
天端から先は立ち入り禁止ですが、事前に許可を頂いています。
両側に手すり。
(2023年7月26日)

 
洪水吐を見下ろす。
下からは気づきませんでしたが、バッフルピアの下流にエンドシルがあります。
シュートブロック、バッフルブロック、エンドシルの3点セット装備。
(2023年7月26日)


天端からの眺め
池の下流には特産のサクランボ畑が広がります。
(2023年7月26日)

 
総貯水容量38万3000立米(ため池データベース)の貯水池。
(2023年7月26日)

 
上流面。
(2023年7月26日)

 
3度目の訪問でようやく完全完成形の池を目にすることができました。
 
0404 松沢溜池(0486)
ため池コード
左岸 山形県上山市細谷
右岸     同市皆沢
最上川水系思川
23.91メートル(ため池データベース 21.1メートル)
213メートル(ため池データベース 191メートル)
294千㎥(ため池データベース 383.9千㎥)/294千㎥
上山市土地改良区
1920年(記念碑1921年)

生居川ダム

2023-10-08 17:09:54 | 山形県
2016年7月10日 生居川ダム
2023年7月26日
 
生居川ダムは山形県上山市下生居の一級河川最上川水系須川右支流生居川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
山形盆地を南北に縦断する須川は最上川最大支流ですが、蔵王の火山活動に加え明治以降の硫黄採掘により昭和10年代より酸性化が顕著となり須川を主水源とする流域農地約500ヘクタールに多大な悪影響を与えていました。
1979年(昭和54年)に山形県は農林省の補助を受けた鉱毒対策事業『上山東部地区』に着手、その中核施設として1992年(平成4年)に竣工したのが生居川ダムです。
鉱毒対策事業全体も1994年(平成6年)に完了し、酸性水の源である蔵王沢の水を分離するとともに真水である仙人沢の水を生居川ダムに導水することで灌漑用水の真水化が可能となりました。
運用開始後は上山土地改良区が管理を受託し、現在は約400ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
農水省の補助を受けた鉱毒対策事業によって建設されたダムとしては千葉県の荒木根ダム平沢ダム、宮城県の村田ダムがあります。
生居川ダムには2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
下流から遠望
堤高41.8メートル、堤頂長は313.7メートルの横長堤体
ダムの下流は水田のほか、フルーツ王国らしくブドウなど果樹園地が並びます。
(2023年7月26日)


ダムを斜めによぎる洪水吐。
(2023年7月26日)


仮排水トンネルを活用した取水設備からの放流口
灌漑期ということで勢いよく放流されています。
(2023年7月26日)

 
左岸ダムサイトに上がります。
ゲートが設けられ徒歩のみ開放。
(2023年7月26日)


左岸の横越流式洪水吐
右手は監査廊入り口。
(2016年7月10日)

 
同じアングルで再訪時
越流はしていませんが水位が高いのがわかります。 
(2023年7月26日)

 
上流から
越流堤手前は石敷きになっています。
(2016年7月10日)

こちらは再訪時。
(2023年7月26日)

 
天端からの眺め
須川流域約400ヘクタールの水田が受益農地となります。
(2023年7月26日)
 
ダム下をズームアップ
2枚目写真は下の橋から撮影
3枚目写真の放流口は中央奥の資材が積まれた先にあります。
(2023年7月26日)


総貯水容量265万立米のダム湖
流域面積11.8平方キロのうち約半分の5.6平方キロは仙人沢からの導水によります。
ダム湖の奥には須川を酸性化させた蔵王主峰群が遠望できます。
(2023年7月26日)


右岸には各種建屋が並びます
左から管理事務所、普段は職員の常駐はありません。
すぐ右手は艇庫とインクライン、右奥は斜樋になります。
(2023年7月26日)


真っ黒なリップラップ
左岸を洪水吐斜水路が流下します。
(2023年7月26日)

 
右岸から上流面。
(2023年7月26日)


水利使用標識。
(2023年7月26日)

 
ダム説明板。 
(2023年7月26日)

 
ダム建設に併せて右岸は公園が整備されましたが、あまり利用されている風はありません。
展望台にある記念碑も草に埋もれがち。
(2023年7月26日)
 
(追記)
生居川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0450 生居川ダム(0484)
山形県上山市下生居
最上川水系生居川
47.8メートル
313.7メートル
2650千㎥/2470千㎥
上山市土地改良区
1992年
◎治水協定が締結されたダム

留山川ダム

2023-10-07 17:00:08 | 山形県
2016年7月10日 留山川ダム
2023年7月26日
 
留山川ダムは山形県天童市田麦野の一級河川最上川水系押切川右支流留山川にある山形県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
押切川はその名が示すように暴れ川で平成以降だけでも2度の洪水が発生する一方、灌漑期の渇水も多く安定した治水・利水対策が求められていました。
県は1990年(平成2年)に当地への治水ダム建設を採択、2011年(平成23年)に竣工したのが留山川ダムです。
留山川ダムは国交省の補助を受けて建設された補助治水ダムで、留山川及び押切川の洪水調節(最大毎秒75立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給を目的としています。
留山川ダムには2016年(平成28年)7月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
天童市街から県道281号を天童高原方面に進み、ダムの案内板に従って右手の枝道に入ると留山川ダムが見えてきます。
クレスト自由越流頂2門、自然調節式オリフィス1門のゲートレスダムで、導流壁はV字の漸縮型。
再訪時はオリフィスから越流中。
(2023年7月26日) 

 
初訪時もオリフィスから越流。
再訪時は道端の草が伸び、このアングルでの撮影はできなくなっていました。
(2016年7月10日)

 
堤高46メートル、堤頂長115メートルの小ぶりな堤体。
(2016年7月10日)

 
左岸ダムサイトの記念碑兼説明石板。
(2023年7月26日) 


天端は立ち入り禁止ですが、偶々駐在した職員さんにお願いしたらゲートを開けていただけました。
(2023年7月26日) 


竣工記念の銅板。
(2023年7月26日) 


天端から
左岸は放流設備。
訪問直前の大雨で水位が上がり利水放流のほかオリフィスからも越流しています。
(2023年7月26日) 

 
天留(てんりゅう)湖と命名されたダム湖は総貯水容量は112万立米
これで常時満水位。
(2023年7月26日) 
 
天端のほか管理事務所の中の定礎も見せていただきました。
(2023年7月26日) 


超広角で上流面と管理事務所をまとめて撮影。
(2016年7月10日)

 
さらに上流から
いかにもゲートレスダムといった眺め。
(2023年7月26日) 

 
このシャフトの下に取水設備があります。
(2023年7月26日) 


ダム建設に先立ち留山川では4基の砂防ダムが建設されました。
こちらは留山第4ダムの石碑。
(2023年7月26日) 


現在は貯砂ダムとして使用されています。
(2023年7月26日) 


ダム建設に併せて周辺整備が行われ、ダム湖上流には市民の広場が建設されました。
写真は市民の広場に建つ3基の記念碑。
広場は適宜整備されているようですが、人気はなく石碑も草に埋もれ気味。
(2023年7月26日) 


(追記)
留山川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3200 留山川ダム(0476)
山形県天童市田麦野
最上川水系留山川
FN
46メートル
115メートル
1120千㎥/1000千㎥
山形県県土整備部
2011年
◎治水協定が締結されたダム

洗馬丁溜池

2023-10-06 17:00:04 | 山形県
2016年9月 3日 洗馬丁溜池
2023年7月26日
 
洗馬丁(せんばちょう)溜池は山形県村山市白鳥の一級河川最上川水系樽石川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
河北町から村山市、大石田町にかけての最上川左岸段丘上では大正期以降の農地開拓に併せて多数の溜池が築造されましたが、洗馬丁溜池もその一つです。
現地記念碑によれば1934年(昭和9年)に当時の戸沢村村営事業により竣工とあり、その後1990年(平成2年)に県営ため池等整備事業による大規模改修が竣工しました。
ダム便覧ではこれを竣工年度としています。
当初の管理は戸沢土地改良区が、その後の土地改良区統合により現在は村山市西部土地改良区が管理を引き継ぎ、樽石川流域約230ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
洗馬丁溜池には2016年(平成28年)9月に初訪、2023年(令和5年)7月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
国道347号線から樽石川沿いに県道樽石碁点線、さらに市道を約5キロ西進すると洗馬丁溜池への分岐点が現れます。
(2023年7月26日) 

 
ダートの林道を約500メートル進むと洗馬丁溜池が見えてきます。
堤高20.5メートル、堤頂長91.5メートル、細い谷を塞き止めた谷池です。
(2023年7月26日) 

 
道路が堤体を斜行して登ります。
(2023年7月26日) 

 
右岸のため池等整備事業竣工記念碑。
(2023年7月26日) 

 
天端には轍がありますが対岸で行き止まり
記念碑には『前刃金型』とあり傾斜コア型フィルダムとなります。
(2023年7月26日) 

 
右岸の横越流式洪水吐。
(2016年9月3日)

 
上流面はコンクリートで護岸
初訪時は水位が低く池の構造がよくわかります。
(2016年9月3日)

 
再訪時は直前の大雨で満水。
(2023年7月26日) 


総貯水容量11万2000立米の貯水池。
受益農地は230ヘクタールですが、当溜池だけで230ヘクタールの水田をすべて賄うのは困難で、あくまでも補給用水源という位置づけでしょう。
(2023年7月26日) 

 
左岸の斜樋。
(2016年9月3日)

 
同じアングルで再訪時。
(2023年7月26日) 

 
天端からダム下を望む。
受益農地は樽石川2キロ以上下流になります。
(2016年9月3日)

 
右岸から上流面。
(2016年9月3日)

 
斜樋機械室。
(2023年7月26日) 


斜樋から上流面。
(2023年7月26日) 

 
池下へのルートが見つからなかったので底樋管は確認できませんでした。

0414 洗馬丁溜池(0529)
ため池コード
山形県村山市白鳥
最上川水系樽石川左支流
20.5メートル
91.5メートル
112千㎥/112千㎥
村山市西部土地改良区
1934年竣工
1990年大規模溜池等整備事業竣工