ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

真野ダム

2017-05-30 14:45:04 | 福島県
2017年5月28日 真野ダム 
 
真野ダムは福島県相馬郡飯館村の真野川にある福島県営の多目的重力式コンクリートダムです。
真野川は飯館村の三郷森付近に源を発し飯館村から南相馬市鹿島区を東西に横断して太平洋に注ぐ2級河川です。阿武隈山地北東端にあたる相馬地域は山懐が狭い上に真野川は急流河川のため豪雨のたびに流域に洪水被害をもたらしてきました。
一方で渇水による干ばつ被害も多く安定した灌漑用水の確保が求められてきました。
さらに都市化の進展や相馬中核工業団地の造成により都市用水の需要増加が見込まれ新たな水源確保が課題となってきました。
これらの諸課題に対応するため福島県は真野川総合開発事業を策定、その中核施設として1991年(平成3年)に竣工したのが真野ダムです。
真野ダムは真野川の洪水調節、安定した河川流量の保持と既得取水権としての灌漑用水への補給、相馬市等への上水道用水及び工業用水の供給を目的とするほか、東北電力傘下の東北自然エネルギー(株)真野発電所で最大1100キロワットの発電を行っています。
 
真野ダムは県道268号線沿いにありアプローチは簡単です。
ダム下への道は立ち入り禁止ですが、県道から下流面をみることができます。
クレストには自由越流式洪水吐が並び、中央に真っ赤なラジアルゲートが1門設置されています。
 
下流面。
 
堤体には取水設備がビルトインされています。
 
 
天端に埋め込まれた方位版。
 
相馬野間追を描いた陶板。
 
高覧下にも馬が描かれています。
 
ダム湖(はやま湖)
総貯水容量3620万立米
鯉釣りの名所で上流では多くの釣り師が湖畔で糸を垂れていました。
 
堤体は右岸側が緩やかに湾曲しています。
 
右岸上流展望台から
堤体が湾曲しているのがよくわかります
それにしても赤いゲートが鮮やか。
 
同じ展望台からインクラインと『まのダム』の植栽。
 
ダム湖周辺はレクリエーションエリアとしてよく整備されていますが、やや荒れ加減なのは震災の影響なのでしょう。
 
追記
真野ダムには1100万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害予想される場合に事前放流により新たに最大1285万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0524 真野ダム(1011)
福島県相馬郡飯館村大倉
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
真野川水系真野川
FNWIP
 
69メートル
239メートル
千㎥/千㎥ 
福島県土木部
1991年
◎治水協定が締結されたダム

山田溜池

2017-05-30 13:07:59 | 福島県
2017年5月28日 山田溜池
 
山田溜池は福島県相馬市坪田にある灌漑用アースダムで、ダム便覧によれば1971年(昭和46年)に福島県の事業で整備されました。
相馬地域は海岸段丘上に農耕地が広がっていますが、大河がなく山が海に迫っているため降雨もすぐに海に流下し灌漑用水の確保が困難な地域でした。
そのため多数の溜池が密集し中には大規模なため池も見られますが、堤高15メートル未満のためダムと認められている溜池は些少です。
そんな中、山田溜池は堤高が15メートル以上であることことが確認され、2016年(平成28年)にダム便覧に新規に掲載されました。
 
坪田地区の集落最奥に民家が一軒あります。その手前の分岐を左折し未舗装の道路を200メートルほど進むと山田溜池に到着します。
天端は舗装されており車も入れます。
 
総貯水容量8万3000立米と小規模なため池です。
 
右岸の斜樋。
 
右岸の洪水吐。
 
 
上流面はアスファルトで護岸されています。
 
下流面
秋に刈り払われたようでまだ草は伸びていません
ダム下は昔は水田だったようですが今は放棄され藪になっています。
 
洪水吐。
 
右岸上流からの上流面。
 
斜樋。
 
1971年(昭和46年)竣工とありますが、洪水吐やアスファルト処理された上流面をみるとその後大規模な改修があったようです。
 
3697 山田溜池(1010)
福島県相馬市坪田
日下石川水系町場川
20メートル
93.3メートル
管理者未確認
1971年

鴻の巣ダム

2017-05-30 11:08:23 | 福島県
2017年5月28日 鴻の巣ダム
 
鴻の巣ダムは福島県相馬郡新地町にある灌漑用アースダムで、1978年(昭和53年)に福島県の事業で建設され現在は新地町土地改良区が管理を行っています。
 
今回は宮城県丸森町から国道113号を南下、常磐道新地インター入口の先を左折すると左手に鴻の巣ダムの堤体が見えてきます。
 
堤体に天端へ上がる階段がありますがその手前の門扉でゲートアウト。
 
いったん引き返し天端へ向かう道路に入るとこちらも関係者以外立ち入り禁止。
 
結局下流からの姿を見るだけに終わった鴻の巣ダムでした。
 
0517 鴻の巣ダム(1008)
福島県相馬郡新地町駒ヶ嶺
地蔵川水系立田川
23.5メートル
187メートル
新地町土地改良区
1978年

小田川水源地取水堰堤(参考掲載)

2017-05-30 10:30:00 | 宮城県
2017年5月28日 小田川水源地取水堰堤
 
小田川水源地取水堰堤は宮城県角田市小田の阿武隈川水系小田川にある角田市が管理するの上水道目的の表面石張玉石コンクリート堰堤です。
1934年(昭和9年)に当時の角田町によって建設され、竣工当時の堰堤がそのまま残っており、Cランクの近代土木遺産に選定されています。
堤高5.67メートルとダムの要件を満たしていませんが、戦前の貴重な土木遺産ということでダム便覧に参考掲載されています。
現在も現役で稼働しており下流にある浄水場を通じて角田市小田地区に上水道用水を供給しています。
 
角田市中心街から県道105号線を南下し、小田地区に入ります。浄水場をやり過ごしてさらに進むと左手に小田川水源地取水堰堤が現れます。
想像以上に小さな堰堤で左岸に取水用のハンドルが並びます。
 
関知石を布積みしています。
堤体下部に穴があり排砂口と思われます。
 
小さな堰堤で貯水池も池と呼ぶのさえおこがましいサイズですので、雨でも降ればすぐに越流するんでしょう。堤頂部は泥で汚れています。
 
取水口
ここで取水した水は下流の浄水場を経て小田地区に供給されます。
 
S013 小田川水源地取水堰堤(参考掲載)(1007)
宮城県角田市小田
阿武隈川水系小田川
5.67メートル
12.37メートル
角田市
1934年

釜房ダム

2017-05-29 20:00:00 | 宮城県
2016年4月  9日 釜房ダム
2017年5月27日
 
釜房ダムは宮城県柴田郡川崎町小野の一級河川名取川水系碁石川にある多目的重力式コンクリートダムです。
1940年(昭和15年)に仙塩工業地帯建設計画の一環として当地へのダム建設計画が立案されますが、戦争激化により事業はいったん中断します。
戦後、名取川の治水に加え東北の中枢として発展著しい仙台地区への都市用水水源確保が喫緊の課題となり、改めて釜房ダムが着目されます。
1964年(昭和39年)に建設省(現国交省)直轄事業によるダム建設が着手され、1970年(昭和45年)に釜房ダムが竣工しました。
釜房ダムは国交省東北地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、碁石川および名取川の洪水調節、流域既得灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、仙台市など3市1町への上水道用水の供給、仙台湾沿岸工業地帯への工業用水の供給、東北電力釜房発電所(最大1300キロワット)でのダム式発電を目的としています。
とりわけ仙台市の上水需要の3割超を釜房ダムで賄っており、文字通り『仙台の水ガメ』となっています。
一方完成当初よりダム湖の釜房湖湖岸の環境整備が進められ、1989年(平成元年)には国営みちのくの湖畔公園が開設されるなど宮城県を代表するレクリエーションエリアとなっており釜房湖はダム湖百選にも選ばれています。

左岸下流側から
堤高は45.5メートルとさほど高くありませんが、水を支えるという重厚感が伝わってきます。
 
同じアングルで5月の新緑時に撮ってみました。(2017年5月27日)
 
同じ場所から広角で。
減勢工が大きい。
(2017年5月27日)
 
ゲート操作室。
 
IHIのガントリークレーン。
 
天端は車道で北向き一方通行。
 
取水棟。
 
直下に発電所。
 
湖畔の桜は8分咲き。
 
下流は立入禁止のため国道から
桜は見ごろ
霞んでいなければ蔵王の山並みもはっきり見えたのですが・・・。
 
 
追記
釜房ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0297 釜房ダム(0302)
宮城県柴田郡川崎町小野
名取川水系碁石川
FNWIP
45.5メートル
177メートル
45300千㎥/39300千㎥
国交省東北地方整備局
1970年
◎治水協定が締結されたダム

半田沼ダム

2017-05-29 11:14:07 | 福島県
2017年5月27日 半田沼ダム
 
半田沼ダムは福島県伊達郡桑折町にある灌漑用アースダムです。
半田沼の西にある半田山は生野、石見とともに日本3大銀山として知られ長く採掘がおこなわれてきました。しかし採掘の影響もあり明治中期以降地滑りが続き1903年(明治36年)の大規模な地滑りで誕生したのが現在の半田沼です。
その後、福島県の事業で灌漑用水源として整備され、1950年(昭和25年)にダム化され半田沼ダムとなりました。
現在は桑折町が管理を行っています。
半田沼および半田山一帯は福島県の半田山自然公園として整備され、登山、ハイキング、キャンプなどが楽しめるレクリエーションエリアとなっており、年間を通して多くの人が訪れています。
 
県道353号線から半田沼の標識に従って西に折れ、山を登ってゆくとビジターセンターの駐車場に到着します。
ここから遊歩道を歩くとほんの数分で半田沼に到着です。
右岸上流から。
 
右岸から。
 
洪水吐導流部
この左手が堤体になるはずですが、下流面に当たる部分も植林が施され堤体と山林の区別がつきません。
 
右岸の洪水吐。
 
 
天端
ベンチが置かれ花のシーズンには絶好のお弁当スポットになりそう。
 
上流面はコンクリートで補強されています
自然公園ということで景観にマッチした石張り風の型枠が使われています。
 
左岸にある階段式斜樋。
 
半田沼
春には桜やツツジ、秋は紅葉が楽しめるレクリエーションスポットです。
 
竣工記念碑。
 
灌漑用水の確保に苦労していた半田地域の農家にとって半田沼は貴重な水源でしたが、一方でたびたび決壊被害を繰り返し、半田沼の整備は半田地域の長年の悲願でした。
 
3696 半田沼ダム(1005)
福島県伊達郡桑折町北半田
阿武隈川水系普蔵川
29.4メートル
70.5メートル
桑折町
1950年

小仁熊ダム(富蔵ダム)

2017-05-24 10:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 小仁熊ダム
2017年 5月21日
 
小仁熊(おにくま)ダムは長野県東筑摩郡筑北村の信濃川水系麻績川左支流小仁熊川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
筑北村を南北に貫流する麻績川支流東条川は河川整備が遅れていたため豪雨のたびに洪水被害をもたらす一方、筑北村周辺は内陸性気候のため年間降水量が少なく渇水による干ばつや取水制限も頻発し抜本的な治水対策が求められていました。
また生活様式変化や長野自動車道の開通による上水道需要の増加が見込まれ新たな水源確保も大きな課題になっていました。
1983年(昭和58年)に長野県は東条川総合開発事業を採択、多目的ダム建設事業に着手します。
しかし、東条川にはダム建設適地がなかったため、並行する別所川支流の小仁熊川に着目します。
小仁熊川にダムを建設する一方、東条川には分水堰を設けてダムまでの導水路を整備し洪水時には東条川の水量をカットして小仁熊ダムに導水することで東条川の洪水を防ぐという仕組みを採用しました。。
小仁熊ダムは1998年(平成10年)に本体工事が着工されますが、ダムの建設地が旧炭鉱跡地だったことから止水対策に手間取り計画の3倍の費用が掛った上に工期も大幅に遅れ、2004年(平成16年)にようやく竣工に至りました。
これが当時の田中知事による脱ダム宣言につながったともいわれています。
小仁熊ダムは東条川および小仁熊川の洪水調節、小仁熊田川および東条川の安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、上水道用水の供給を目的としています。
小仁熊ダムには108万立米の洪水調節容量が設定されていますが、近年頻発する豪雨災害に備えて2020年(令和2年)より豪雨の際に事前放流を行う治水協定が締結され、基準降雨量160ミリの雨が予想される場合には事前放流によりさらに45万立米の洪水調節容量が確保されることになりました
 
なお正式名称は小仁熊ダムですが、現地では『富蔵(とくら)ダム』が一般的で、道の駅の案内板や道路マップでも富蔵ダムと表記されています。
国道403号沿いの『西条温泉 とくらの湯』の先から富蔵ダムの標識に従って西に折れると右岸ダムサイトに到着します。
脱ダム宣言をした田中知事在任中に竣工したということで知事名が入った竣工記念碑は設置されず、代わりに『愛称 富蔵ダム』という碑が建てられています。
 
右岸から下流面
ガッツリ系の堤趾導流壁。
 
減勢工
オリフィスから越流しています。右手は利水放流設備。
 
左岸から
ダム周辺にはかつて炭鉱があり茶褐色な山肌が続きます。
今もダム右岸の山は崩落が続いていますが大丈夫なんでしょうか?
 
上流面
対岸に管理事務所とインクラインがあります。
 
ダムの少し下流に展望台があります
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート4門 常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門を備えています。
 
ダム下にも行けますが、減勢工がカーブしているのでこれが精いっぱい。
 
上流から。
 
ダム湖を長野道が横切っています。
 
2度目の訪問で前回見逃してしまった東条川の分水堰を見学しました。
分水堰とダムの位置関係は地図の通りです。
赤マルの分水堰から小仁熊ダム上流の小仁熊川にトンネル式導水路が作られています。
洪水時にはここで水をカットして小仁熊ダムに導水し、東条川の洪水調節を行う仕組みです。
 
分水堰上流にラバー堰が設置され右岸には魚道があります
東条川の河川維持放流水はこの魚道を流下し、東条川の河川流量を安定させています。
 
上流から見た分水堰
右手の水路は上の写真の魚道です。
 
 
本川および左岸の導水路ともに同じ高さの越流面があります。
本線と導水路への越流量を計算して設計されているのでしょう。
導水路側には手動の放流用スライドゲートがありこれで細かい調整を行うようです。
 
アングルを変えて下流から
向かって右手が小仁熊川への導水路 左手が本川となります。
こうやってみると低いながらも堰堤と洪水吐という並びです。
 
小仁熊川への導水路はこのゲートの先からトンネルとなります。
 
2度目の訪問でようやく小仁熊ダムの全貌を見ることができました。
なお写真はすべて2回目の訪問時のものと差し替えました。
 
1041 小仁熊ダム(富蔵ダム)(0049)
信濃川水系東条川
FNW
36.5メートル
99メートル
1930千㎥/1610千㎥
長野県建設部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

水上ダム

2017-05-24 05:00:00 | 長野県
2015年11月23日 水上ダム
2017年 5月21日
 
水上ダムは松本市北東部の旧四賀村の信濃川水系間川左支流水上沢川に建設された長野県営の多目的重力式コンクリートダムです。
会田川は豪雨のたびに流域に洪水被害をもたらす一方、この地域は内陸性気候のため年間を通して降水量が極めて少なく渇水による干ばつや取水制限が頻発していました。さらに山間部でも下水道や簡易下水道の普及で生活用水の需要の増加が見込まれることもあり新たな水源確保が課題となっていました。
そこで長野県が2000年(平成12年)に建設したのが水上ダムで、会田川流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、旧四賀村地域への上水道用水の供給を目的としています。
ダム湖の総貯水容量は27万6000立米と非常に小規模で、いわゆる生活貯水池として建設されました。
 
松本市街から国道143号を青木村方面に進むと『横沢バス停』に水上ダムを示す標識があります。
これに従って右折すると集落のすぐ上に水沢ダムが現れます。
まずはダム下から
クレストは非常用の自由越流式洪水吐が3門、その下に常用洪水吐のオリフィスゲートが1門のゲートレスダムです。
 
 
右岸ダムサイトに管理事務所や竣工記念碑、駐車場があります。
 
右岸から下流面。
 
管理事務所。
管理事務所の壁にはコンクリートの凹凸が施されぱっと見大谷石の石造り風洋館に見えるデザイン。
 
ダム湖は溜池サイズ。
 
天端は歩行者のみ通行可能。
 
減勢工
右岸に利水放流設備があり河川維持放流が行われています。
 
上流面
手前は取水設備。
 
上流から。
 
初回訪問時はコンデジでの撮影となったので、掲載した写真はすべて2度目の訪問時のものに差し替えました。
 
 追記
水上ダムには15万立米の洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに10万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3012 水上ダム(0065)
長野県松本市中川
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
信濃川水系水上沢川
FNWG
38メートル
171.5メートル
㎥/㎥
長野県建設部
2000年
◎治水協定が締結されたダム

大町ダム(元)

2017-05-23 23:01:00 | 長野県
2015年11月21日 大町ダム(元)
2017年  5月21日
 
大町ダム(元)は長野県大町市平の信濃川水系高瀬川にある多目的重力式コンクリートダムです。
高瀬川は信濃川最大支流犀川の左支流で豊富な水量に着目して大正期から電源開発が進められる一方、洪水被害や扇状地での瀬切れも多くその治水は長く課題となっていました。
1969年の昭和44年8月豪雨では流域で壊滅的被害が発生、これを契機に当時の建設省(現国交省)は高瀬川上流部への多目的ダム建設を決定、7年の工期を経て1985年(昭和60年)に完成したのが大町ダムです。
大町ダムは国交省北陸地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、高瀬川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、大町市・長野市など2市2町村への上水道用水の供給、東京電力リニューアブルパワー大町発電所での最大1万3000キロワットのダム式水力発電を目的としています。
また高瀬川上流にある東京電力リニューアブルパワー中の沢発電所の出力調整に伴う水位変動を緩和する発電逆調整池の役割も担っています。
2015年(平成27年)には国交省による『大町ダム等再編事業』が着手され、高瀬川上流に位置する高瀬ダム七倉ダム・大町ダムの治水能力強化および高瀬ダムの堆砂対策が進められることになりました。
治水強化については高瀬ダム・七倉ダムについては発電容量から洪水調節容量への振り替え、大町ダムについては水道容量から洪水調節容量への振り替えにより3ダム計1267万立米の洪水調節容量の確保が検討されています。
 
大町市街から県道326号を西進すると大町ダムに到着します。
国交省直轄ダムらしくダム左岸やダム下は園地になっています。
ダム下から
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲート2門を装備。
さらに利水放流用のジェットフローゲート及び高圧スライドゲート各1条を備えています。
 
右岸高台から
ダム中央には選択取水設備
 
取水設備とゲートをズームアップ
青いゲート群が鮮やか
左が選択取水設備、2門のクレストラジアルゲートの間にコンジット予備ゲートが並びます。
 
天端は歩行者のみ開放。
 
天端から見下ろすと
減勢工手前の建屋が大町発電所
左手は開閉所になります。
 
堤体から発電用水圧鉄管が突き出ています。
訪問時は発電所は稼働しておらず利水ゲートから放流中。
 
ダム湖は龍神湖で総貯水容量3390万立米
天気がいいと北アルプスが一望できます。
左手は烏帽子岳、右手は北葛岳になります。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
右岸から
 
対岸の建物は管理事務所。
 
ゲートをズームアップ。
 
 追記
大町ダムには洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1032 大町ダム(元)(0056)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
1985年
◎治水協定が締結されたダム
-------------
3686 大町ダム(再)
長野県大町市平
信濃川水系高瀬川
FNWP
107メートル
338メートル
33900㎥/28900㎥
国交省北陸地方整備局
2015年~

味噌川ダム

2017-05-23 19:00:00 | 長野県
2015年11月 3日 味噌川ダム
2017年 5月21日
 
味噌川ダムは長野県木曽郡木祖村小木曽の木曾川本流源流部にある水資源機構が管理する多目的ロックフィルダムです。
木曾川は古くから濃尾平野の水源として重用され、明治以降はその豊富な水量に着目して積極的な電源開発が進められました。
戦後経済復興政策全般を担っていた経済安定本部は1935年(昭和10年)より実施されていた『河水統制事業』を叩き台に多目的ダム建設を軸とした河川総合開発に舵を切り、1949年(昭和24年)に『河川改修改定計画』が採択されました。
木曾川水系においては『木曾川改修改定計画』が立案され手始めに木曾川本流中流部に多目的ダムとして丸山ダムが建設されました。
その後1962年(昭和37年)に成立した水資源開発促進法により、木曾川の河川開発事業は新たに組織された水資源開発公団(現水資源機構)に移管されることになり、さらに1968年(昭和43年)には愛知用水公団が水資源開発公団に併合されました。
愛知用水の水源としては1961年(昭和36年)に木曾川水系王滝川に牧尾ダムが完成していましたが、高度成長を受けた中京工業地帯の発展や急速な人口増加を受けて都市用水の需要増加は留まるといころを知らず、新たな水源確保は喫緊の課題となっていました。
そこで水資源開発公団は1967年(昭和42年)に木曾川支流阿木川への阿木川ダム建設を、1973年(昭和48年)に木曾川本流源流部に味噌川ダム建設をそれぞれ事業化します。
味噌川ダムは1980年(昭和55年)年より本体工事に着手し、1995年(平成7年)に牧尾ダム、阿木川ダムに続く愛知用水3番目の水源として竣工しました。
 
味噌川ダムは、木曾川上流域の洪水調節、既得取水権としての流域灌漑用水への補給と安定した河川流量の維持、愛知県・岐阜県・名古屋市への上水道用水の供給、愛知県への工業用水の供給、長野県企業局奥木曽発電所による最大4800キロワットのダム式水力発電を目的としています。
味噌川ダムから放流された水は木曾川中流部の兼山ダム湖にある兼山取水口および犬山取水口で取水され愛知用水に供給されています。
また味噌川ダムは天端標高1130メートルとなっており、竣工当時は日本一標高の高い『多目的ダム』でしたが、2007年(平成19年)に山梨県琴川ダムに抜かれ現在は第2位となっています。
 
愛知用水概略図(水資源機構ホームページより)
 
味噌川ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)5月に再訪しました。
木祖村から県道26号を上高地方面に車を走らせると、かなり手前から右手に巨大なロックフィルが遠望できます。
県道から離れ木曽川沿いの道を進むと、ダム下に到着します。
 
真下から導流部を見上げます。
放流があれば迫力満点でしょう!
 
堤高140メートルで木曾川に建設された多くの中で最も堤高が高くなっています。
またロックフィルダムの中では全国第5位の堤高となります。
 
洪水吐は非常用、常用一体のバスタブ型。
常用洪水吐はローラーゲートとなっています。
 
天端から導流部を見ると
中央が常用洪水吐、左右は非常用洪水吐からのラインです。
 
天端は車両通行可能です。
 
減勢工は導流壁が高くなっています。
左は発電所。
 
天端からの眺め
正面に木曽駒が見えます
(2017年5月21日)
 
木曽駒をズームアップ
(2017年5月21日)
 
『奥木曽湖』と名付けられたダム湖は総貯水容量6100万立米。
木曽川の源流はここからもうわずか。
右手は取水棟です。
 
上流面
堤体は緩やかに湾曲しています。
 
右岸展望台から。
 
同じ場所から
季節が変わると色彩も変わります。
(2017年5月21日)
 
ダム周辺はちょうど紅葉の盛り、黄金色に色づいたカラマツ林の眺めは壮観です。
一方天端からは正面に木曽駒が見えるようですが、ちょっと雲がかかって残念。
2017年5月21日にバージョンアップしたダムカードをもらいに再訪しました。
前回は紅葉の盛りで下が今回は新緑真っただ中、前回は雲がかかってすっきりと見えなかった木曽駒がきれいに拝めて満足!
 
1035 味噌川ダム(0039)
長野県木曽郡木祖村小木曽
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
木曾川水系木曾川
FNWIP
140メートル
446.9メートル
㎥/㎥
水資源機構
1996年
◎治水協定が締結されたダム

黒川ダム(参考掲載)

2017-05-23 16:08:14 | 長野県
2017年5月21日 黒川ダム(参考掲載)
 
黒川ダムは長野県木曽郡木曽福島町の木曾川右支流黒川にある中部電力の発電用重力式コンクリートダムで木曾川電力によって1938年(昭和13年)に建設されました。
木曾川の電源開発といえば福沢桃介率いる大同電力をイメージしますが、王滝川との合流点以北の木曾川源流部は木曾川電力によって開発され、1951年(昭和26年)の電力分割民営化では中部電力が事業を継承しました。
ここで取水された水は導水路で下流の城山発電所に送られ最大出力1300キロワットの発電を行っています。
 
国道19号の木曽大橋交差点から国道361号に入り木曽大橋を渡るとすぐに左折して南に進むと黒川ダムに到着します。
下流から
黒いローラーゲートが3門。
堤高13.484メートルに対して堤頂長14.6メートルと縦長になっています。
15メートルに満たないので縦長ダムランキングには入りませんが、もし15メートル以上なら帝釈川ダムに続く日本第2位の縦長ダムになっていました。
 
ピアや扶壁のコンクリートが白いのでここは改修されたんでしょう。
 
上流から。
 
ダムの直上を町道の黒川渡橋が通っています。
案内板ではこの橋は『下路ポニーボーストリングトラス』といい長野県内ではここにしかない珍しい形式だそうです。
 
逆方向から。
 
説明板。
 
ダム湖。
 
ダムのすぐ先には黒川渡ダムバス停があります。
地元では黒川渡ダムと呼ばれてるんでしょうか?
 
S006 黒川ダム(参考掲載) (1004)
長野県木曽郡木曽福島町新開
木曾川水系黒川
13.484メートル
14.6メートル
中部電力
1938年

大沢池

2017-05-23 14:01:51 | 長野県
2017年5月21日 大沢池
 
大沢池は長野県上田市上室賀にある灌漑用ため池で、ダム便覧によれば1921年(大正10年)に建設されました。
ダム便覧では事業者は土地改良区になっていますが、現在は受益者で構成される下室賀水利委員会が池の管理を行っています。
 
県道273号を北西に進み『室賀温泉』の案内板で左折、さらに公民館前を左折して橋を渡り山へと入ります。最初の分岐を右手に採ると大沢池に到着です。
下流面。
 
右岸の見慣れない設備・・・
計量器??と思ったら池栓でした。
 
洪水吐と上流面
洪水吐はコンクリートですが、上流面は原始的な姿を残しています。
 
パイ生地のような円形の洪水吐。
 
下流側から。
 
洪水吐導流部。
 
貯水容量2万9000立米の小さなため池
田植えシーズンということで取水設備からガンガン水を流し水位は低くなっています。
 
天端。
 
池の由来が分かる記念碑でもあるかと思ったら水神様でした。
 
山中に佇むひっそりとしたため池で、岡山県でよく見た眺めです。
小さいながらも下室賀地区の貴重な灌漑用水源で、折からの田植えシーズンのために池栓からは勢いよく流れる水の音が響いていました。
 
0981 大沢池(1003)
ため池データベース
長野県上田市上室賀
信濃川水系室賀川
15.3メートル(ため池データベース 13.6メートル
59メートル(ため池データベース 43メートル)
29千㎥/29千㎥
下室賀水利委員会
1921年

塩之入池

2017-05-23 12:21:33 | 長野県
2017年5月21日 塩之入池
 
塩之入池は長野県小県郡青木村にある灌漑用アースダムです。
上田を中心とした小県地方は内陸性気候のため年間降水量が極めて少なく、古来より灌漑用水の確保には苦労していました。
塩之入池は昭和恐慌や立て続けに起こった飢饉により疲弊した旧浦野村に対する国の救農土木事業として1939年(昭和14年)に建設され、現在は川西地区土地改良区が管理を行っています。
 
上田から国道143号を西進し、青木村に入るとすぐに大宝寺の標識に従って右折します。大宝寺入口をやり過ごし公民館前バス停で左に道に入ると塩之入池左岸に到着します。
上流から左岸洪水吐と上流面。
 
上流面はコンクリートブロックで補強されています。
 
洪水吐導流部
両側壁面は石積です。
 
天端から
下流にはのどかな農村風景が広がります。
 
総貯水容量21万立米の貯水池
奥には登山者に人気の子檀嶺岳の独特の山容が望めます。
 
天端には轍がありますが、車は対岸で行きどまり。
 
左岸の斜樋。
 
下流面
ジグザグに歩道が作られています。
 
洪水吐からの流路と取水設備からの樋管がダム下で合流します。
 
ダム下から。
 
眼下には典型的な農村風景が、上流には子檀嶺山が望めるのどかな農村の溜池です。
 
0991 塩之入池(1002)
ため池データベース
長野県小県郡青木村当郷
信濃川水系阿鳥川
18.5メートル
122.4メートル
210千㎥/208千㎥
川西地区土地改良区
1939年

沢山池

2017-05-23 11:13:57 | 長野県
2017年5月21日 沢山池
 
沢山池は長野県上田市の独鈷山南西の千曲川支流産川にある防災・灌漑目的のアースダムです。
千曲川南岸に広がる塩田平は鎌倉時代から信州の中心とて発展し農地開拓も進みました。しかし内陸性気候の影響で年間降水量が極めて少なく、一帯には多数の溜池が作られていました。
沢山池はこれら溜池群の水源として1936年(昭和11年)に建設され1996年(平成8年)には県の防災ダム事業で大幅な改修が行われ、新たに洪水調節機能が付加されました。
現在は上田市塩田平改良区が管理を行っています。
また塩田平の溜池ともども『塩田平の溜池群』として全国ため池百選に選定されています。
 
県道82号を走ると上田市新町で『さくら国際高校』の標識があるのこれに従って市道を南下、高校をやり過ごしそのまま直進すると左手に沢山池を示す小さな道票が現れ、ここを折れると沢山池左岸に到着します。
田園空間博物館の沢山池案内板。
 
下流面。
 
左岸の洪水吐と溜池(沢山湖)
貯水容量は108万立米。
 
左岸上流から
建物は管理事務所
緩やかに湾曲した洪水吐は管理事務所の下でトンネル式導水路を流下します。
 
ダムの下流の眺め
独鈷山の荒々しい山並みが続きます。
 
洪水吐は湾曲しており、手前に放流用のスライドゲートがあります。
奥の建物は艇庫、赤い設備は取水塔。
 
天端は車両通行可能
でも右岸側の道は土砂崩れで通行不能。
 
上流面はコンクリートで補強されています。
 
 
取水設備をズームアップ
水温が低いため表面取水となっています。
 
てっきり灌漑用ため池かと思ったら防災機能を持った立派なアースダムでした。
 
0987 沢山池(1001)
左岸 長野県上田市手塚
右岸     同市前山
信濃川水系産川
FA
25.5メートル(ため池データベース 26.9メートル)
87メートル(ため池データベース 65メートル)
1082千㎥/995千㎥
上田市塩田平土地改良区
1936年

鷽ノ口(うそのくち)円形分水

2017-05-22 17:53:06 | 円筒分水工
2017年5月20日 鷽ノ口(うそのくち)円形分水
 
鷽ノ口(うそのくち)円形分水は長野県南佐久郡佐久穂町畑にある円形分水で、石堂川から取水された水を上村・佐口・小山の3つの用水に分水するために1953年(昭和28年)に建設されました。
分水工ができるまでは藤蔓の長さで分水割合を決めていたため水争いが絶えなかったそうです。
 
鷽ノ口円形分水は内円筒に穴のあいたタイプで分水の穴は全部47あり、上村28、佐口13、小山6の配分で分水されています。
このタイプは塵芥やゴミが溜まりやすいため流入部に機械式の除塵機が装備されています。
 
内円筒に空いた穴から分水しています。
 
 
 
佐久穂町の説明板。
 
鷽ノ口円形分水
長野県南佐久郡佐久穂町畑
信濃川水系石堂川
オリフィス式(多孔式)
円筒形分水工
内円筒24メートル
分配数3
1953年