ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大野ダム

2021-04-21 03:13:50 | 京都府
2021年3月27日 大野ダム
 
大野ダムは京都府南丹市美山町樫原の一級河川由良川本流上流部にある京都府建設交通部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
由良川は中流部に福知山盆地がある一方下流域は狭隘な山間部を流下するため豪雨のたびに福知山盆地ではバックウォーターによる洪水被害が頻発していました。
また河口の舞鶴は海軍鎮守府が置かれる軍事上の要衝で海軍工廠向けの電力供給が求められていました。
大野ダム建設事業は内務省直轄の河水統制事業として1944年(昭和19年)に着手されるも終戦により中断、1957年(昭和32年)に特定多目的ダム法の適用を受け建設省の事業として改めて事業着手され1960年(昭和35年)に竣工し、完成後に京都府に移管されました。
秋田県の皆瀬ダムや宮城県の大倉ダムととも特定多目的ダムでありながら都道府県が管理する数少ないダムです。
現在は京都府建設交通部が管理し由良川の洪水調節、京都府大野発電所での最大出力1万1000キロワットのダム式発電を目的として運用されています。
ダム湖は「虹の湖」と命名され、桜や紅葉の名所として知られるほか湖畔には多くのレクリエーション・レジャー施設が整備されダム湖百選にも選ばれています。
 
訪問した令和3年3月27日は春休みの週末、しかも桜の盛りということで多くの観光客がダムを訪れていました。
右岸高台から
堤体は上流側に「へ」の字に屈曲しています。
 
右岸の竣工記念碑
事業者は建設省近畿地方建設局になっています。
建設事業は建設省の手で行われ、完成後に京都府に移管されました。
 
クレストには非常用洪水吐のラジアルゲート3門
コンジットに常用洪水吐3門を備え、コンジットのデフレクターは珍しい円形です。
 
ダム下の京都府大野発電所。
京都府が所管する唯一の公営発電所です。
昭和30年代の発電所らしく大掛かりな作りで予備ゲート運搬用のガントリークレーンが目を惹きます。
 
右岸ダム下に残るセメントプラントの遺構。
隔壁などの作りは兵庫県の引原ダムに似ています。
 
天端を歩きます。
堤体ほぼ中央で「へ」の字に屈曲しています。
 
屈曲部上流側の円形バルコニー
屈曲部にベンチがあります。
 
手前は取水設備、奥はゲート操作建屋。
 
減勢工も複雑な作り
エンドシル手前左岸側の施設は流入する支沢により減勢工が洗堀されるのを防ぐための減勢施設と思われます。
 
取水設備の空気孔
こんな場所に空気孔があるのは初見です。
 
左岸の浮桟橋と巡視艇。
 
上流からゲートと取水設備。
 
建設省の事業で建設され、完成後に京都府に移管された異色のダム。
同様のダムとしては秋田県の皆瀬ダムや宮城県の大倉ダムなどがあります。
またユニークな減勢工、取水設備の空気孔、プラント遺構など見どころも多くコアなマニアには魅力たっぷりのダムとなっています。
 
(追記)
大野ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1402 大野ダム(1616)
京都府南丹市美山町樫原
由良川水系由良川
FP
61.4メートル
305メートル
28550千㎥/21320千㎥
京都府建設交通部
1960年
◎治水協定が締結されたダム

畑川脇ダム

2021-04-20 03:25:59 | 京都府
2021年3月27日 畑川脇ダム
 
畑川ダムは2012年(平成24年)に由良川水系高屋川右支流畑川に建設された京都府建設交通部が管理する多目的ダムです。
満水時に貯水池左岸から水が溢れてしまうため、高さ21.8メートル、全長105メートルの重力式コンクリートの脇ダム(遮水擁壁工)が建設されました。
一方で脇ダム建設により従来畑川に合流していた左支流の行き場がなくなったこと、さらに支流を跨ぐJR山陰線が盛土でありこの線路を維持するための苦肉の策としてトンネル水路(下図赤破線)が建設されました。(地図は京都府HPより引用。)
 
畑川ダム右岸から脇ダムを遠望。
 
天端は立派な車道です。
 
右岸から下流面。
 
左岸から。
 
支流のトンネル水路吞口。
 
上流面。
 
3631 畑川脇ダム(1615)
京都府船井郡京丹波町下山
由良川水系畑川
FNW
21.8メートル
105メートル
1960千㎥/1530千㎥
京都府建設交通部
2012年

畑川ダム

2021-04-20 02:25:09 | 京都府
2021年3月27日 畑川ダム
 
畑川ダムは京都府船井郡京丹波町の一級河川由良川水系高屋川右支流畑川にある京都府交通建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、高屋川および畑川の高屋川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、京丹波町への上水道用水の供給を目的として2012年(平成24年)に竣工しました。
また畑川ダムでは満水時での左岸からの溢流を防ぐため、主ダムのほか左岸に重力式コンクリートダムの脇ダムが建設されています。
脇ダム建設により従来畑川に合流していた左支流の行き場がなくなったこと、さらに支流を跨ぐJR山陰線が盛土でありこの線路を維持するための苦肉の策としてトンネル水路(下図赤破線)が建設されました。(地図は京都府HPより引用。)
 
ダムの下流を国道27号線高架橋が跨いでおり絶好の展望ポイントとなっています。
自由越流式クレストゲート4門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムで、堤趾導流壁から続く長く背の高い導流壁が畑川ダム一番の特徴となっています。
 
堤体をズームアップ。
 
左岸ダムサイトのダム案内板。
 
ダムサイトに駐車場やテーブル、ベンチなどを備えた展望ポケットパークが作られています。
天端は車両通行禁止のためここに車を置いて徒歩で見学します。
天端から見た減勢工、やはり背の高い導流壁に目が向かいます。
減勢工の奥には定石通りエンドシルが設置されています。
 
ダムのすぐ下流を国道27号線の高架橋が跨いでします。
1枚目、2枚目の写真は高架橋の上から撮ったものです。
左岸に利水放流設備があり、高架橋の真下左岸側に上記バイパス水路トンネルの吐口があります。
 
ダム湖は総貯水容量196万立米と府営ダムにしてはやや小ぶり。
下山色彩湖と命名されています。
 
右岸から
がっつりした堤趾導流壁。
 
天端は車両通行止め。
 
徒歩で右岸の周回道路を上流側に歩いてゆきます。
ダム湖に架かる橋から
ダムの左側に管理事務所がありますが、職員の常駐はありません。
 
ダムと国道高架橋をズームアップ。
 
(追記)
畑川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
3170 畑川ダム(1614)
京都府船井郡京丹波町下山
由良川水系畑川
FNW
34メートル
87.8メートル
1960千㎥/1530千㎥
京都府建設交通部
2012年
◎治水協定が締結されたダム

和知ダム

2021-04-19 03:20:30 | 京都府
2021年3月27日 和知ダム

和知ダムは左岸が京都府船井郡京丹波町小畑、右岸が同町市場の級河川由良川本流中流部にある関西電力の発電目的の重力式コンクリートダムです。
1968年(昭和43年)に関西電力和知発電所とともに建設され、同発電所で最大5700キロワットのダム式発電を行っています。
完成前年の1967年(昭和42年)の試験湛水中に第3ゲートが破損する事故が発生、ほぼ満水状態だったダム湖の水が一気に流出し死者1名を出す惨事を起こしています。
この事故を契機に河川施設構造令のうちダムの構造令が改正されることになりました。

京丹波町中心部から国道27号線を綾部方面に北上し、市場交差点で県道12号を分けると左手に和知ダムが見えてきます。
ダム下流側にある和知発電所への管理道路を進むと立ち入り禁止のフェンス手前から辛うじてダムの下流面が見えるようですが、今回は工事車両が止まっていたため管理道路に入ることができませんでした。
国道27号線から。


 

ダムの右下にあるのが和知発電所です。


上流から。


上流面全景
左岸にゴミ除去施設があります。


ゲート及び取水設備をズームアップ。
クレストには関電ブラックのラジアルゲート4門。
右手が取水洪スクリーン、さらに右隣の建屋下が巡視艇格納スペースになっています。


こちらはダム右岸上流側にあるダム管理事務所。
もちろん立ち入り禁止です。


(追記)
和知ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1404 和知ダム (1613)
左岸 京都府船井郡京丹波町小畑 
右岸           市場 
由良川水系由良川 
 
 
25.2メートル 
141メートル 
5119千㎥/1286千㎥ 
関西電力(株) 
1968年 
◎治水協定が締結されたダム 

由良川ダム

2021-04-19 01:54:58 | 京都府
2021年3月27日 由良川ダム
 
由良川ダムは左岸が京都府綾部市下替地町、右岸が同市戸奈瀬町の一級河川由良川本流中流部にある関西電力の発電目的の重力式コンクリートダムです。
1924年(大正13年)に川北電氣(株)によって由良川発電所の取水堰として建設され、同発電所で最大2460キロワットのダム式発電を行っていました。
その後由良川発電所および由良川ダムはは帝国電燈(株)を経て1939年(昭和14年)の国家電力統制法により関西配電により接収され、1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により関西電力(株)が事業継承しました。
その後1991年(平成3年)に由良川発電所が再開発され新由良川発電所が完成、最大出力が4900キロワットに増強されています。
 
左岸から
ダムは全面越流式で堤体はコンクリート製ですが、1924年(大正13年)の竣工当時は石張りだったようです。
ダム直上に吊り橋が架かっていますが、今は朽ち果て通行禁止です。
写真左手の建屋が新由良川発電所、吊り橋に隠れていますが対岸右手が取水口です。
 
右岸に回り込みます。
眼下の建屋が取水口です。
 
1枚目の写真はちょうど対岸から撮影しました。
 
ダムそばの桜は満開ですが、フェンスにガードされ同じような写真しか撮れません。
対岸(左岸)に魚道があり、また減勢部分にはもとは副ダムだったと思しきコンクリートの遺構が見えます。
 
水利使用標識
許可年月日と許可期限が白紙。
 
発電ダムのためガードが厳しく見学箇所が限定されるのはやむをえません。
 
(追記)
由良川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1386 由良川ダム (1612)
左岸 京都府綾部市下替地町
右岸       戸奈瀬町
由良川水系由良川
15.2メートル
89.7メートル
958千㎥/302千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム

岸谷ダム

2021-04-15 02:42:23 | 京都府
2021年3月27日 岸谷ダム
 
岸谷ダムは京都府舞鶴市与保呂の与保呂川水系岸谷川にある舞鶴市上下水道部が管理する上水道用水目的のアースフィルダムです。
帝国海軍舞鶴鎮守府開庁に合わせて海軍の補給用水道水源として1900年(明治33年)に桂貯水池堰堤が建設されますが、その後の海軍水道拡充のために1921年(大正10年)に建設されたのが岸谷ダムです。
堤高30メートルは大正期のアースフィルダムではもっと高いダムとされています。
水道事業黎明期の貴重な土木遺産としての評価は高く、2003年(平成15年)に『舞鶴旧鎮守府水道施設』として、周辺の水道施設と合わせて国の重要文化財に指定されたほかBランクの近代土木遺産に選ばれています。
終戦により『舞鶴鎮守府水道施設』はすべて舞鶴市に移管され、ダム直下に建設された与保呂浄水場ともども現在でも舞鶴市上水道の貴重な水源となっています。
ダムおよび堤体直下の与保呂浄水場は普段は立ち入り禁止のため敷地外から覗き見るしかなかったのが残念なところです。
 
与保呂川上流から遠望。
 
与保呂浄水場のフェンス越しに
ダム直下に植えられた桜がちょうど満開、
 
下流面には舞鶴市の市章をあしらった植栽。
 
浄水場のろ過池越しの桜。
与保呂浄水場は全国でも珍しい緩速ろ過方式です。
 
右岸にあるカスケード式の余水吐斜水路
カスケード式斜水路は明治から昭和にかけての上水用アースフィルダムで多く用いられています。
 
立ち入り規制のない斜水路沿いの山道を登ります。
 
斜水路越しに与保呂浄水場を望む。
 
右岸の余水吐
越流堤の下流側が階段状になっているのもの戦前の上水用アースダムの特徴の一つ。
 
貯水池は21万立米。
遠目ですが上流面は石積みで護岸されています。
 
円筒形取水塔
これもまた戦前の上水ダムの特徴です。
 
岸谷ダムおよび与保呂浄水場は毎年4月第一週の土日に一般公開されています。
訪問したのは3月最終週。一週間早すぎました。

1393 岸谷ダム(1611)
京都府舞鶴市与保呂
与保呂川水系岸谷川
30メートル
248メートル
210千㎥/184千㎥
舞鶴市上下水道部
1921年 

桂貯水池堰堤

2021-04-13 02:03:04 | 京都府
2021年3月27日 桂貯水池堰堤
 
桂貯水池堰堤は京都府舞鶴市与保呂の与保呂川上流部にある舞鶴市上下水道部が管理する上水道用水目的の表面石張重力式コンクリート堰堤です。
帝国海軍舞鶴鎮守府開庁に合わせて海軍の補給用水道水源として1900年(明治33年)に建設され、これは兵庫県の布引五本松ダムに次ぐ我が国2番目の重力式コンクリート堰堤とされています。
水道事業黎明期の貴重な土木遺産としての評価は高く、2003年(平成15年)に『舞鶴旧鎮守府水道施設』として、周辺の水道施設と合わせて国の重要文化財に指定されたほかBランクの近代土木遺産、近代化産業遺産、近代水道百選に選ばれています。
また堤高12メートルと河川法上のダムの要件は満たしていませんが、ダム便覧には参考掲載されています。
 
与保呂川沿いの県道を東に向かい、与保呂浄水場をやり過ごすと蛇切岩駐車場が現れます。
ここが桂貯水池堰堤ダム下への入り口となります。
まずはそのまま車道を上流に向かうとフェンス越しに堤体を見下ろせます。
 
天端上流側に後付けと思われる鉄柵が設置されています。
残念ながら天端への立ち入りは禁止です。
 
 
 
フェンスに貼り付けられた経産省認定の近代化産業遺産のプレート。
 
蛇切岩駐車場に戻ります。
こちらは蛇切岩の説明版で、その由来等がが書かれています。
もともと蛇や竜の伝説は洪水や土石流が起源で与保呂川も小河川ながら暴れ川だったと思われます。
蛇を切って退治したということはその治水が寓話になったとみるのが妥当でしょう。
 
駐車場から苔むした川沿いを歩くことものの2~3分でダム下に到着します。
直近の台風の影響で倒木などやや荒れ気味。
 
3門の越流部があり薄く越流中。
導流部の下にはこれまた石張りのシュート部があります。
向かって左は樋門。
 
越流部の扶壁は煉瓦製。
 
苔生した石張りの導流面はビンテージン感沸々。
 
樋門跡
扁額には「清徳霊長」の文字
要石には帝国海軍の軍証が刻まれています。
 
同じ海軍水道水源でも呉や大湊が公園化として整備されているのに対して、当堰堤は本当に森の中にあり、苔むした堤体など野趣感溢れる土木遺産です。
また舞鶴鎮守府初代司令長官はあの東郷平八郎、東郷さんもこの貯水池の水を飲んだに違いないと思うとなんだかワクワクしてきますね。


S509 桂貯水池堰堤(参考掲載)(1610)
近代化産業遺産
京都府舞鶴市与保呂
与保呂川水系与保呂川
12メートル
50メートル
8千㎥/8千㎥
舞鶴市上下水道部
1900年

世木ダム

2021-04-12 14:09:43 | 京都府
2021年3月26日 世木ダム
 
世木(せぎ)ダムは京都府南丹市日吉町天若の淀川水系桂川上流部にある関西電力が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
新庄発電所の取水ダムとして1950年(昭和25年)に着工され、翌1951年(昭和26年)に竣工しました。この間に、電気事業再編令により日本発送電が分割され新たに9電力会社が誕生していますので、着工は日本発送電、運用開始は関西電力ということになります。
その後、1997年(平成9年)に4キロ下流に日吉ダムが完成したことで世木ダムの堤体の大半は天若湖に水没しましたが、ラジアルゲートを撤去し全面越流式の発電用取水ダムとし現在も稼働を続けています。
世木ダムで取水された水は約3.6キロの導水路で下流の新庄発電所に送られ最大6700キロワットのダム水路式発電を行っています。
既存のダムが新ダム建設によって水没するケースは相応数ありますが、水没後も稼働し続けているケースは世木ダムと神奈川県の沼本ダムの2例のみです。
 
日吉ダムから府道58号線を上流に向かうと世木ダムに到着します。
まずは下流から
6門あったラジアルゲートは撤去され自由越流式ダムとして稼働しており、従来の発電目的に加え日吉ダムの貯砂ダムとしての役割も持っています。
天若湖の水位が低いと美しい越流を見ることができますが、今回は水位が高いため文字通り「水没」状態。
 
ズームアップするとわずかながら越流してるのがわかります。
左岸(向かって右手)のゲートは元の排砂ゲートになります。
 
この手の発電用ダムとしては珍しく天端が遊歩道として開放されています。
 
ゲート部分だけ階段で高くなっています。
これは昭和20~30年代前半の発電用ダムでよくみられる形状です。
扶壁に撤去されたラジアルゲートの跡がくっきりと残っています。
 
両側にもともとの低い高欄が残り、新たに背の高い手すりが付け加えられています。
 
円形のバルコニー
これはもう戦前の香りが漂う作り。
 
円形の線は撤去されたラジアルゲートの跡
縦の溝は予備ゲート嵌め込み用の戸当たりかと思います。
 
上流から遠望
天若湖の水位が高いため上下流どちらから見てもほとんど見分けがつきません。
 
新庄発電所への取水口
昭和20年代らしく大掛かりな取水設備になっています。
 
日本では2例しかない水没後も稼働しているダム。
できれば天若湖の水位が低い時期に再訪して越流を愛でたいものです。
 
1399 世木ダム(1609)
京都府南丹市日吉町天若
淀川水系桂川
35.5メートル
138.2メートル
5595千㎥/2790千㎥
関西電力(株)
1951年

日吉ダム

2021-04-11 03:01:39 | 京都府
2021年3月26日 日吉ダム 
 
日吉ダムは京都府南丹市日吉町中の淀川水系桂川上流部にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
桂川は淀川の主要支流の一つですが、保津峡が狭隘な閉塞区間となっており豪雨のたびに上流の亀岡盆地が自然遊水地となり甚大な洪水被害をもたらしてきました。
一方戦後の水道需要増大に対処するため1962年(昭和37年)の「水資源開発促進法」により淀川水系では水資源開発公団(現水資源機構)による河川総合開発が進められ、桂川においては1972年(昭和47年)に同公団により上流部への多目的ダム建設事業が着手され、長期の補償交渉を挟んで1997年(平成9年)に日吉ダムが竣工しました。
日吉ダムは水資源機構法による多目的ダムで、桂川の洪水調節、既得取水権への用水補給と安定した河川流量の維持、京阪神地区への上水道用水の供給を目的としています。
平成25年の台風18号や平成30年7月豪雨の際には設計最高水位まで貯水を行うなど、日吉ダムは保津峡上流域はもとより下流の京都市街の洪水被害軽減に大きく貢献しています。
 
事業計画から建設着手まで長期にわたる補償交渉があったことも踏まえ、建設省(現国交省)より『地域に開かれたダム事業』の指定を受け、ダム下流に温泉複合施設兼道の駅として「スプリング日吉」が設置されました。現在では日吉ダム一帯は丹波地方を代表するアウトドア・レジャースポットとなっており、ダム訪問者数は岩手県の御所ダムに次ぐ動員数を誇り、ダムツーリズムの顕著な成功例となっています。
以上の点を評価し日吉ダムは日本100ダムに、ダム湖の天若湖はダム湖百選に選定されています。
 
道の駅の駐車場に車を置き、芝生の広場を進むと名物のループ橋越しに日吉ダムが姿を現します。 
 
本体着工が1993年(平成5年)とまだバブルの余韻が残る時代の影響もあるのか、重厚感を持って前面に張り出すゲート扶壁など斬新なデザインとなっています。
クレストにはラジアルゲート4門、常用洪水吐としてコンジットに高圧ラジアルゲート2門を装備
さらに左岸(向かって右手)に利水放流設備として放流管が2条設置されています。
 
ダム下のループ橋のおかげでいろんなアングルからダムと正対できます。
洪水吐が左岸に寄っているので気づきませんでしたが、ゲートや扶壁はシンメトリーになっています。
 
左岸を通る府道58号線も絶好の展望ポイントとなっており、個人的にはここからの眺めが一番好みです。
堤高は67.4メートルと際立って高いわけではありませんが、巨大な扶壁がまるで5体の巨人像のようにも見え数字以上の存在感を醸し出します。
 
天端は2車線はあろう幅広の道路ですが、徒歩のみ通行可能です。
 
上流面は重力式ダムとしては珍しくわずかに傾斜しています。
 
円形の取水設備と無塗装のシルバーのゲートがメカニカル感を際立たせています。
 
天端から
やはり円形のループ橋に目が向きます。
 
ダム湖の「天若湖」
総貯水容量は6600万立米。
 
右岸から
いわゆる「襟」の部分がなく、堤頂から連続してバケットカーブに続いてゆきます。
手前のエレベーター棟及び、2階のバルコニー、1階のダム博物館は開放されています。
 
コンジットゲートの高圧ラジアルゲート
ガラス越しですが常時目にすることができます。
 
追記(追記)
日吉ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1407 日吉ダム(1608)
京都府南丹市日吉町中
淀川水系桂川
FNW
67.4メートル
438メートル
66000千㎥/58000千㎥
水資源機構
1997年
◎治水協定が締結されたダム