ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

山茶花溜池

2019-08-06 01:44:36 | 長崎県
2019年7月15日 山茶花溜池
 
山茶花(さざんか)溜池は長崎県諫早市小長井町遠竹の田古里川本流源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
諫早湾北岸の諫早市小長井町から高来町にかけては多良岳火山活動で形成された傾斜地が海岸線まで続き平坦地はほとんどありません。
明治末期より丘陵地での新田開発が進められ、併せて多数の溜池が築造されました。
山茶花溜池もこうした溜池の一つで、ダム便覧には農場土地改良区の事業により1917年(大正6年)に竣工と記されており、前身となる水利組合の事業で建設されたと思われます。
現在も近接する山ノ神溜池ともども農場水利組合が管理を行っています。
 
県道195号線で山茶花高原ピクニックパークをめざしすと同パーク手前に未舗装の道路が分かれます。
これが山茶花溜池への入り口です。
車両進入禁止のロープが張ってあるので、路肩に車を止めて2~3分歩くとすぐに池が見えてきます。
道路は洪水吐導流部を跨ぎます。
 
溜池右岸天端には『新観光百選の地』の碑が建っています。
1979年(昭和54年)に長崎県内の観光資源の再発見などを目的に選定されたもので、山茶花高原もその中に含まれています。
当時はまだ山茶花高原ピクニックパークは開園しておらず、この溜池が山茶花高原を象徴する景勝地だったということでしょうか?
確かに高原の湖然とした雰囲気はあるし、下流側の木を伐採すれば雲仙の眺めもよさそうです。
 
洪水吐導流部
擁壁は石が谷積みされています。
 
円形越流式洪水吐。 
 
洪水吐脇に碑がありますが摩耗が激しく解読できません。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
 
天端からの眺め
下流面は草ボウボウ、木も茂ってます。
雲仙が遠望できますが、海が見えるかどうかは微妙・・・・霞んでいてよく見えません。
 
総貯水容量46万立米の貯水池。
この上流すぐにハーブ園が有名な山茶花ピクニックパークがあります。
 
右岸の斜樋。
 
天端と上流面は直前に草刈りされていました。
 
田古里川は水源こそ長崎県ですが、すぐに県境を越えて佐賀県太良町を流下します。
下流には1987年(昭和62年)に太良町のミカン農家向けの大浦ダムが建設されますが、山茶花溜池の水は諫早側に、大浦ダムの水は佐賀県の太良町に供給されます。
 
2583 山茶花溜池(1507) 
ため池コード 422040047
長崎県諫早市小長井町遠竹
田古里川水系田古里川
22メートル
130メートル
460千㎥/460千㎥
農場水利組合
1917年

船津ダム

2019-08-04 21:48:06 | 長崎県
2019年7月15日 船津ダム
 
船津ダムは長崎県諫早市小長井町小川原浦の船津川水系船津川本流中流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
船津ダムは建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、船津川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、諫早市小長井町の簡易水道への新規上水道用水の供給を目的として2001年(平成13年)に竣工しました。
 
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート4門、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門、堤高30メートルの小ぶりなゲートレスダムです。
ダム直下に金属製の簡易水道貯水槽があります。
 
右岸ダムサイトにある竣工記念碑。
金箔仕様。
 
ダム建設に至る経緯や地権者への感謝の言葉が記されています。
 
ダムサイトには駐車場が整備され小公園のようになっています。
左手は管理事務所、天端は車両通行可能。
 
減勢工と副ダム
左手は利水放流設備と上水道貯水槽。
 
天端からは有明海を挟んで雲仙が見えるはずですが、ちょっと霞んでしまいました。
 
総貯水容量37万立米と溜池サイズのダム湖
ダム湖というよりは川が広くなっているというのが正しいかも?
 
天端と管理事務所。
 
波返しの付いたがっつり系の堤趾導流壁。
 
上流面をすっきりと見れる場所がありません。
これが精いっぱい。
 
(追記)
船津ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3052 船津ダム(1505) 
長崎県諫早市小長井町小川原浦
船津川水系船津川
FNW
30メートル
155メートル
370千㎥/357千㎥
長崎県土木部
2000年
◎治水協定が締結されたダム

小ヶ倉ダム

2019-08-04 21:36:57 | 長崎県
2019年7月15日 小ヶ倉ダム
 
長崎県には小ヶ倉ダムが2基あり紛らわしいのですが、こちらの小ヶ倉ダムは長崎県諫早市小ヶ倉町の本明川水系小ヶ倉川にある灌漑及び上水道用水目的のアースフィルダムです。
農水省の補助を受け1970年(昭和45年)に着手された長崎県のかんがい排水事業に諫早市が水道事業者として事業参加し、1975年(昭和55年)に竣工しました。
運用開始後は小ヶ倉ため池土地改良区が受託管理を行い諫早市内の農地822.2ヘクタールに灌漑用水を供給するほか、諫早市水道局に日量最大5011立米の上水道用水を供給しています。
 
諫早市内から小ケ倉川沿いを南に進むと小ヶ倉ダムが見えてきます。
小ヶ倉ダムの下流面。
この時期のアースダムは草が伸びているのはやむをえません。
 
ダム右岸側丘陵地帯が宅地造成されており、天端はその住宅地への連絡道路となっています。
住宅地のそば、さらに上水用水源も兼ねていることから事故防止も含めて貯水池側は有刺鉄線付きフェンスが設置されています。
 
天端からの眺め
諫早市中心街までは約2キロほどの距離です。 
 
総貯水容量は220万立米
上水用水源になっていることもあり農業用アースフィルダムとしてはかなり大きな貯水池です。
 
右岸の管理事務所と斜樋。
 
洪水吐導流部。
 
横越流式洪水吐。
 
洪水吐と上流面。
 
上流面はロック材で護岸されています。
 
右岸にある立派な竣工記念碑。
 
長崎県には小ヶ倉ダムが2基あり、歴史や知名度は長崎市内の小ヶ倉ダムには及びませんが、貯水池の規模はこちらが凌駕しています。
 
2620 小ヶ倉ダム(1504) 
長崎県諫早市小ヶ倉町
本明川水系小ヶ倉川
AW
21.1メートル
156メートル
2200千㎥/2145千㎥
小ヶ倉ため池土地改良区
1975年

土師野尾ダム

2019-08-04 21:16:29 | 長崎県
2019年7月15日 土師野尾ダム
 
土師野尾ダムは長崎県諫早市貝津町の東大川左支流楠原川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、東大川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、諫早市への上水道用水の供給を目的として1985年(昭和60年)に竣工しました。
 
県道41号の土師野尾ダム入口バス停を西に折れると左手に土師野尾ダムが見えてきます。
洪水吐は非常用・常用を兼ねた二段式の自由越流式クレストゲート1門というシンプルな構造。
ダム下に車のスクラップ工場があり廃車が積み上げられちょっと雑然とした雰囲気。
 
越流部は二段になっており、これで非常用、常用洪水吐を兼ねています。
 
左岸から
右岸側が少し屈曲。
 
昭和の長崎県営ダムではよく見られる銅版の諸元プレート。
 
天端から
左手のスクラップ工場がなければのんびりとした農村風景なのですが。
 
利水放流設備
ちょっと変わった形の放流口になっています。
 
 
ダム湖は総貯水容量109万立米。
釣りOKなのかどうかわかりませんが、入り江の各所で釣師がいました。
 
ちょっとわかりづらいですが左岸に艇庫とインクラインがあります。
 
天端は車両通行可能
右岸側が屈曲しているのがわかります。
 
 
小ぶりでかわいいダムですが、ダム下の自動車スクラップ工場がせっかくの雰囲気を台無しにしていますって、むこうも商売なのだから仕方ないんでしょうが・・・・。 
 
(追記)
土師野尾ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2634 土師野尾ダム(1503) 
長崎県諫早市多貝津町
東大川水系楠原川
FNW
31.5メートル
160メートル
1090千㎥/1050千㎥
長崎県土木部
1986年
◎治水協定が締結されたダム

伊木力ダム

2019-08-03 02:44:49 | 長崎県
2019年7月15日 伊木力ダム
 
伊木力ダムは長崎県諫早市多良見町山川内の伊木力川水系山川内川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、山川内川および伊木力川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、諫早市多良見町への新規上水道用水の供給を目的として2007年(平成19年)に竣工しました。
 
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート2門、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門を備えたゲートレスダムです。
シミュラクラ現象で人の顔に見えるダムで、オリフィスの放流が口から吐いているように見えます。
 
 
右岸から。
 
天端は車両通行可能。
 
減勢工と副ダム
右手は利水放流設備。
 
ダム下流の眺め
周辺は『伊木力みかん』のブランドで知られる長崎有数のミカン産地で、斜面にはミカン畑が続きます。
 
ダム湖は総貯水容量88万立米。
 
左岸の竣工記念碑。
金箔仕様です。
 
上流面
対岸に管理事務所がありますが職員は常駐していません。
 
上流から
ゲートと取水設備。
 
(追記)
伊木力ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2648 伊木力ダム 
長崎県諫早市多良見町山川内
伊木力川水系山河内川
FNW
41.7メートル
192メートル
880千㎥/800千㎥
長崎県土木部
2007年
◎治水協定が締結されたダム

長与ダム

2019-08-02 16:38:44 | 長崎県
2019年7月15日 長与ダム
 
長与ダムは長崎県西彼杵郡長与町本川内郷の長与川本流上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
当初は治水ダムとして事業着手されましたが、長崎のベッドタウンとして交通至便な長与町でニュータウン造成が進められることになり、県はダム計画を変更、新たに貯水池を5万平米掘削することで上水用水容量を確保すし、1985年(昭和60年)に長与ダムが竣工しました。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、長与川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水及び上水道用水への補給、長与町への新規上水道用水の供給を目的としています。
 
長崎本線旧線に沿って県道33号を北に走ると左手に長与ダムが見えてきます。
高台を走る県道から長与ダムを俯瞰できます。
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムでオリフィスから越流しています。
左下の建屋は浄水場への送水機場。
 
ダム下から。
 
右岸ダムサイトに管理事務所があり、周辺に竣工記念碑やダムの説明板が並びます。
感謝の碑は金箔仕様。
 
管理事務所の前は『長与ダム』バス停。
 
上流面
ちょうど逆光になってしまいました。
 
減勢工と副ダム。
 
放流設備は九州でよく見られる減勢池があるタイプ。
ここで河川維持放流水と上水用機場への水が分水されます。
 
ダム湖は総貯水容量60万立米。
 
天端は車両通行可能、付近の生活道路になっています。
 
左岸から下流面
きりっと起った襟に洪水吐はゲートレス
いかにも昭和末期の公営ダムと言った風。
 
防災ダムとして工事が進められ、途中で計画変更して多目的ダムになった変わり種。
県道から俯瞰できるのがうれしいところです。 
 
(追記)
長与ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2630 長与ダム(1501) 
長崎県西彼杵郡長与町本川内郷
長与川水系長与川
FNW
36メートル
171メートル
600千㎥/540千㎥
長崎県土木部
1985年
◎治水協定が締結されたダム

中尾ダム

2019-08-02 13:16:14 | 長崎県
2019年7月15日 中尾ダム
 
中尾ダムは長崎県長崎市田中町の八郎川右支流中尾川にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1982年(昭和57年)の長崎大水害を受け上水用ダムであった本河内高部低部西山各ダムの多目的ダム化事業が進められることになり、3ダム再開発事業で減少する利水容量の補填に加え、八郎川水系の治水対策として事業化されたのが中尾ダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、中尾川および八郎川河口部の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、ダムと同時に建設された東長崎浄水場への上水道用水の供給を目的として2000年(平成12年)に竣工しました。
 
東長崎中心から中尾川沿いを西に進むと中尾ダムに到着します。
ダム下は親水公園になっており洪水吐直下まで下りることができます。
自由越流式クレストゲート2門、自然調節式オリフィスゲート1門のゲートレスダムでオリフィスから越流しています。
 
堤体右岸直下で道路がヘアピンを描きます。
 
左岸高台の展望台から。
 
天端は車両通行可能で、両岸親柱には地元の祭りをモチーフにした装飾がついています。
 
天端から
手前が放流設備、右上が浄水場への送水設備。
 
ダム下のヘアピン。
 
ダム湖は総貯水容量158万立米
ダム湖を長崎自動車道が跨ぎます。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
銅板の諸元プレート。
 
上流から
ちょっと逆光。
 
記念すべき通算1500基目のダムは中尾ダムとなりました。
節目のマイルストーンとしてはちょっと地味目のダムかもしれませんが、ダム下からの姿もスマートでオリフィス放流も見られたので良しとします。
 
(追記)
中尾ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2649 中尾ダム(1500)
長崎県長崎市田中町
八郎川水系中小川
FNW
40メートル
201メートル
1580千㎥/1470千㎥
長崎県土木部
2000年
◎治水協定が締結されたダム

神浦ダム

2019-08-01 15:53:02 | 長崎県
2019年7月14日 神浦ダム
 
長崎市から西海市へと続く西彼杵半島には南北に約8キロ間隔で伊佐ノ浦雪浦、神浦と3基のダムが並びいずれも名前に『浦』が付いています。
一番南の神浦(こうのうら)ダムは長崎市神浦下大中尾町の神浦川上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、神浦川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、長崎市への上水道用水の供給を目的として1969年(昭和44年)に竣工しました。
多目的ダムではありますが、主目的は長崎市への上水道用水の供給で、ダム建設と同時に神浦ダムから長崎市手熊浄水場まで延長21キロにも及ぶ導水管が整備されました。
 
長崎市の水道施設網(長崎市上下水道局HPより)
 
神浦ダムは県道57号線沿いにあります。
クレストにはラジアルゲートを装備し、堤高51メートル堤頂長210メートルの堤体は、小規模なダムが多い長崎県営ダムの中では大きく見えます。
前日の雨で水位が上昇し、片門だけクレスト放流を行っています。
 
ピア上には操作建屋が乗り、エメラルドグリーンのゲートと赤い手すりがくすみがちなダムの色彩に鮮やかな彩りを与えています。
 
ダムにビルトインされた放流及び分水設備
河川維持放流を行うほか、ここから21キロ先の手熊浄水場へ導水管で送水されます。
 
上流面
対岸に管理事務所があります。
 
ゲートをズームアップ
ゲート操作室はピアの上にプレハブを載せたような構造。
 
天端は車両通行可能
ゲート部分だけクランクになっています。
 
天端高欄には旧外海町の自然や名物が描かれた陶板が貼り付けられています。
 
ゲートを真上から。
 
僅かに海が見えます。
 
総貯水容量684万立米は長崎県内のダムでは断トツの一番。
右奥の白い建屋は艇庫で湖面にインクラインが伸びています。
 
小規模なダムが多い長崎県では珍しい本格的重力式コンクリートダムです。
近くには棚田百選にも選ばれている大中尾棚田があるのですが、ダム見学を終えたら夕方6時になっていたのでそちらは断念しました。
 
(追記)
神浦ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2615 神浦ダム(1499) 
長崎県長崎市神浦下大中尾町
神浦川水系神浦川
FNW
51メートル
210メートル
6840千㎥/6280千㎥
長崎県土木部
1969年
◎治水協定が締結されたダム 

雪浦ダム

2019-08-01 13:32:08 | 長崎県
2019年7月14日 雪浦ダム
 
長崎市から西海市へと続く西彼杵半島には南北に約8キロ間隔で伊佐ノ浦、雪浦、神浦と3基のダムが並びいずれも名前に『浦』が付いています。
雪浦ダムは西海市大瀬戸町雪浦幸物郷の雪浦川本流上流部にある長崎県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで雪浦川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水および西海市大瀬戸町への上水道用水の補給、長崎市への上水道用水の供給を目的として1976年(昭和51年)に竣工しました。
多目的ダムではありますが主目的は長崎市への上水道用水の供給で、ダム建設と同時に雪浦ダムから神浦ダムを経て長崎市の手熊浄水場まで延長28キロにも及ぶ導水管が整備されました。
 
長崎市の水道施設網(長崎市上下水道局HPより)
 
県道12号の下山バス停で右手の分岐に入り雪浦川沿いを遡上すると雪浦ダムに到着します。
クレストにはラジアルゲートを装備していますが、下流からの展望ポイントは全くなくこれが精いっぱい。
せめてゲートだけでも見えるように木を切ってくれ!とも言えないのがつらい所。
 
昭和40年代のダムらしく、打継目のはっきりした下流面。
 
上流からの展望ポイントもほとんどありません
左岸が緩やかに屈曲しています。
 
諸元プレート。
 
減勢工はかなり長くずいぶん下流に副ダムがあります。
 
ダム下の放流設備
ここから神浦ダム経由で手熊浄水場に水が送られます。
 
河川維持放流。
 
ゲートを真上から
前日の雨で水位が上がり放流が行われています。
 
総貯水容量は390万立米。
 
右岸から
よく見ると堤体右岸も屈曲しています。
天端は車両通行可能ですが、右岸から上流に向かう道路が崩落で通行止めのためここで行き止まり。
 
長崎県では3基しかないラジアルゲート装備ダムですが、下流側からの展望ポイントは全くありません。
 
(追記)
雪浦ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2618 雪浦ダム(1498) 
長崎県西海市大瀬戸町雪浦幸物郷
雪浦川水系雪浦川
FNW
44メートル
146メートル
3900千㎥/3220千㎥
長崎県土木部
1976年
◎治水協定が締結されたダム

伊佐ノ浦ダム

2019-08-01 02:05:20 | 長崎県
2019年7月14日 伊佐ノ浦ダム
 
長崎市から西海市へと続く西彼杵半島には南北に約8キロ間隔で伊佐ノ浦、雪浦神浦と3基のダムが並びいずれも名前に『浦』が付いています。
一番北の伊佐の浦ダムは西海市西海町中浦南郷の伊佐ノ浦川本流上流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
農水省の補助を受けた長崎県の畑地かんがい事業により1980年(昭和55年)に事業着手され1988年(昭和63年)に竣工しました。
運用開始後は西海土地改良区が受託管理を行い、旧西海町域の畑地約500ヘクタールに灌漑用水を供給しています。
また1998年(平成19年)にはダム湖周辺が伊佐ノ浦公園として整備され、コテージ・バンガローの宿泊施設やキャンプ場、さらにはサイクリングや貸しボート、バス釣り、ハイキング等が楽しめる長崎県を代表するアウトドアスポットになっています。
 
『道の駅さいかい』から広域農道の西海オレンジロードを南に進むと『伊佐ノ浦公園』を示す案内板が現れます。
これに従って西に折れると伊佐ノ浦ダムに到着です。
ダム下から
農業用コンクリートダムらしく洪水吐は自由越流式クレストゲート3門のみ。
前日の雨で水位が上がり美しい越流が見られます。
 
右岸ダムサイトにはドッグランやミニサッカー場などがあり家族づれにぎわっていますが、その脇にひっそりと佇む竣工記念碑。
佐賀・長崎ではおなじみの金箔文字仕様です。
 
下流面。
 
天端は車両通行可能。
天端親柱に伊佐ノ浦ダムの銘板。
 
半円形の取水設備。
 
減勢工と副ダム
越流してるため副ダムも水はたっぷり。
右手前が放流設備、奥は揚水機場。
 
越流をズームアップ。
 
ダム湖は総貯水容量187万立米と灌漑用ダムとしてはかなり大規模
湖畔にはコテージが並びます。
 
諸元プレート。
 
上流面。
 
訪問したのが海の日の3連休中日ということで、ダム周辺は家族連れやカップルで大賑わい。
ただダムそのものに興味を持つ人はほとんどいませんが。
国交省直轄ダムなどではダム周辺が総合的に公園化整備されるケースがよくありますが、農業用ダムでこのような事例はあまり見かけません。
湖畔のコテージにはぜひとも泊まってみたいのですが、長崎は遠すぎる・・・・。
 
(追記)
伊佐ノ浦ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  
 
2644 伊佐ノ浦ダム(1497) 
長崎県西海市西海町中浦南郷
伊佐ノ浦川水系伊佐ノ浦川
29.7メートル
140.7メートル
1870千㎥/1640千㎥
西海海土地改良区
1988年
◎治水協定が締結されたダム 

下の原ダム(再)

2019-07-31 15:01:40 | 長崎県
2019年7月14日 下の原ダム(再)
 
下の原(しものはる)ダム(再)は長崎県佐世保市下の原町の小森川水系鷹巣川にある佐世保市水道局が管理する上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保市では1907年(明治40年)に海軍水道からの分水を水源として全国10番目の近代水道として水道事業が開始され、終戦後は海軍水道を事業継承した佐世保市水道局によって事業が一本化されますが、米軍の駐留や朝鮮戦争、さらには高度成長を受けた人口増加から水需要は増加の一途をたどりました。
佐世保市水道局では数次にわたる拡張事業を実施、1964年(昭和39年)からスタートした第7期拡張事業によって1968年(昭和43年)に竣工したのが下の原ダム(元)です。
下の原ダムは佐世保市南部地区への水道水源として日量最大1万1800立米の水を供給していましたが、その後も宅地開発や生活様式の近代化を受け水需要は増大、さらに1994年(平成6年)から翌年にわたるいわゆる平成6年大渇水により給水制限が264日も継続する異常事態が発生し、新たな上水道水源の開発に迫られることになりました。
しかし市内には新たな水源開発の余地はなく、第9期拡張事業として既存の下の原ダムの嵩上げ再開発が進められ2006年(平成18年)に再開発事業は竣工しました。
再開発にあたっては水源機能を損なうことがないようダム堤体下流側に新しいダムが打ち継ぐ方法が採用され、堤高は5.9メートル嵩上げされ総貯水容量は87万立米増加、日量最大取水量も1万1800立米から1万4800立米に増加しました。
注目すべきは異常な渇水時にも必要最小限の水を補給できる渇水対策容量が確保されるとともに、全国で初めて渇水対策容量に水利権が付与されました。
 
下の原ダム再開発事業概要図(現地案内板より)
 
JR早岐駅から小森川に沿って市道を東進すると住宅地の先に下の原ダム(再)が見えてきます。
 
ダム下は公園として整備され芝生の広場が広がります。
 
洪水吐は自由越流式クレストゲートが3門。
嵩上げは下流側に新ダムを打ち継ぐ形で行われたので下から見る限り嵩上げの痕跡は見えません。
 
 
車でダムサイトに上がってみます。
天端は立ち入り禁止ですがダムサイトには駐車スペースがあり展望台にはベンチが設置されています。
 
左手の建屋は放流設備と浄水場への機場。
対岸の山向こうに広田浄水場があります。
 
ちょっとアングルを変えて。
 
ダム湖は総貯水容量230万立米。
再開発により約6割容量が増加しました。
 
上流面
前夜の雨のおかげでほぼ満水。
もっと水位が低ければ再開発のあとが見えるのですが上水用ダムなのでそれは不埒な思いですね。
 
日量最大1万4800立米の取水能力は佐世保市の水道用ダムでは最大ですが、下の原ダム再開発を受けてもなお佐世保市水道の需給は不安定とされています。
これが石木ダム建設の根拠の一つになっていますが、ダム建設の可否について部外者があれこれ言うのは分を超えたものと思われこれ以上の言及はやめておきます。
 
(追記)
下ノ原ダム(再)は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  

2612 下の原ダム(元) 
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
30.6メートル
169.5メートル
1430千㎥/1319千㎥
佐世保市水道局
1968年
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3344 下の原ダム(再)(1496)
長崎県佐世保市下の原町
小森川水系鷹巣川
36.5メートル
178メートル
2300千㎥/2182千㎥
佐世保市水道局
2006年再開発竣工
◎治水協定が締結されたダム

猫山ダム

2019-07-31 12:18:43 | 長崎県
2019年7月14日 猫山ダム 
 
猫山ダムは佐世保市郊外の日宇川本流上流部の佐世保市黒髪町にある長崎県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、日宇川の洪水調節、安定した河川流量の維持を目的として1974年(昭和49年)に竣工しました。
 
国道35号線日宇町交差点から日宇川沿いの市道を東に進むと猫山ダムに到着します。
小ぶりなダムですが1974年(昭和49年)竣工と言うことでクレストにはラジアルゲートを装備、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲートとなっています。
シミュラクラ現象で赤い眼鏡をかけた『おっさん顔』に見えます。
 
赤いゲートが鮮やかな一方、堤体や導流部には苔が生え、完成以来50年近い年月も感じさせます。
 
ダム直下まで迫れます。
非常用洪水吐はラジアルゲート、常用洪水吐は自然調節式のオリフィスゲート。
ゲートレスへの過渡期のダムと言ったところ。
 
天端親柱の銘板。
 
銅板プレートの諸元表。
 
天端は車両通行可能
周辺住民の生活道路になっているようで歩道も設置されています。
 
天端から
日宇川に沿って住宅地が延々と続きます。
そりゃあこのダムがなかったら大雨でアウトやん!って感じです。
ダム下は公園になっていますが、いるのはシニアの皆さんだけ。少子化なんですね。
 
ダム湖は総貯水容量33万立米と溜池サイズ。
 
上流面
右手の管理事務所は貼り付くように建っています。
 
上流から見たゲート
ちょっと目を剥いて叫んでる感じ?
 
(追記)
猫山ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
  
2616 猫山ダム(1495) 
長崎県佐世保市黒髪町
日宇川水系日宇川
FN
32メートル
166メートル
330千㎥/302千㎥
長崎県土木部
1973年
◎治水協定が締結されたダム

郷美谷池

2019-07-31 01:15:24 | 長崎県
2019年7月14日 郷美谷池
 
郷美谷で『ごみたに』と読みます。
郷美谷池は長崎県佐世保市里美の相浦川水系相浦川源流部にある灌漑目的のアースフィルダム溜池です。
池のある里美地区は江戸時代に入植がはじまった山林地帯ですが、当初は水利に乏しく入植者の離散が相次ぎ『ごみ谷』と呼ばれていました。
1803年(享和3年)に平戸藩により当地に灌漑用溜池が築造され、新田開発が進んだことから『ごみ谷』に郷美谷の字を充てたとされています。
さらに1941年(昭和16年)に佐世保市の事業により従来の堰堤を取り込む形で郷美谷池の拡張が行われたことで相浦川流域への灌漑用水供給能力は大きく向上しました。
ダム便覧ではこの1941年(昭和16年)の再開発事業の竣工を竣工年度としています。
現在池の管理は郷美谷溜池管理組合が行っており、総貯水容量45万立米はいまでも佐世保市内の灌漑用溜池では最大規模です。
 
県道53号線の里美トンネル手前を左折して旧道に入り『おさい観音』の標識に従って進むと郷美谷池に到着します。
左岸から。
竣工当時の姿を残す洪水吐の擁壁も楽しみの一つだったのですが草が伸び放題でよく見えず。
 
ダム便覧の写真を見て楽しみにしていた洪水吐を跨ぐ管理橋。
石橋にも見えるコンクリートの管理橋は池の竣工と同じ1941年(昭和16年)のものです。
 
円形越流式洪水吐
ここも草ボウボウですが、これももしかしたら1941年(昭和16年)当時のものかも?
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量45万立米は佐世保市内の溜池では最大規模
標高約510メートルの山中の溜池ですが、曇天という天候もあり深山幽谷の趣です。
 
斜樋操作建屋と上流面
上流面は石積みで護岸されており、これも竣工当時の面影を残しています。
 
竣工記念碑。
 
洪水吐の脇から池の下に下りられます。
底樋樋門直下に三方向への分水工
一部コンクリートが新しいので補修はあったんでしょうが基本は竣工当時のままのようです。
 
アングルを変えて
メカニカルな作りに感心させられます。
 
樋門と下流面
下流面基礎部分も石積みの擁壁。
 
洪水吐を跨ぐ管理橋、池下の分水工と期待を裏切らない郷美谷池です。
池が干上がれば江戸後期享和年間に築造された旧郷美谷池の堤体が姿を見せるようです。
今回は溜池の訪問は少ないのですが、過去に訪問した溜池と比べてもトップクラスの好感度の郷美谷池でした。
 
2600 郷美谷池(1494) 
ため池コード 422020048
長崎県佐世保市里美町
相浦川水系相浦川
17.1メートル
138メートル
450千㎥/305千㎥
郷美谷溜池水利組合
1803年平戸藩によって築造
1941年大規模改修

転石ダム

2019-07-30 12:32:35 | 長崎県
2019年7月14日 転石ダム
 
転石ダムは長崎県佐世保市柚木町の相浦川水系久保仁田川にある佐世保市水道局が管理する上水及び灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
日清・日露戦争を経て佐世保の発展は著しく、急増する水需要に対応するため海軍水道では数次にわたる事業拡張が行われその一環として1927年(昭和2年)に竣工したのが転石ダムです。
転石ダムは表面石張粗石コンクリート重力式ダムで、隔壁には火山灰を混入したコンクリートが使われています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され佐世保市水道局が事業継承します。
転石ダムは上水道に加えて久保仁田川流域への灌漑用水源も兼ねることになり、現在も日量最大2700立米の上水道用水を供給しています。
また戦前の貴重な土木遺産としてCランクの近代土木遺産に選定されています。
 
佐世保市上柚木町の国道498号線から転石ダムが遠望できます。
 
柚木郵便局前を南に折れると転石水源地正門前に到着します。
ここから先は立ち入り禁止。
 
敷地外から堤体を撮影するのみ。
 
 
持参したレンズではこれが限界。
 
念のためダム右岸方向にも行きましたが、この写真が撮れただけ。
 
佐世保市には山の田、転石、菰田相当と戦前戦中の貴重な上水道水源が複数ありますが、いずれも立ち入りが制限され満足に見学することはできません。人の口に入る水の水源ですのでやむをえないと思いますし、観光資源にと言っても首都圏近郊とは異なり石積みのダムで人が集まると思えません。
でもたとえば呉の本庄ダムのように期間限定でもいいので見学する機会があれば!と願うことしきりです。
 
2592 転石ダム(1493) 
長崎県佐世保市柚木町
相浦川水系久保仁田川
AW
22.7メートル
164メートル
246千㎥/233千㎥
佐世保市水道局
1927年

相当ダム

2019-07-30 10:49:43 | 長崎県
2019年7月14日 相当ダム
 
相当ダムは長崎県佐世保市上柚木町の相浦川水系牟田川にある佐世保市水道局が管理する上水用重力式コンクリートダムです。
佐世保は1889年(明治22年)の海軍鎮守府開庁をきっかけに軍港都市として発展し、1901年(明治34年)に近代水道としてまず海軍水道が開設されました。
昭和に入り戦争の足音が近づく中、帝国海軍佐世保工廠向けの水源として建設されたのが相当ダムです。
建設にあたっては戦争激化による人員、物資不足の中、南方戦線のアメリカ人捕虜も動員した手作業による突貫工事でダム建設が進められ、1944年(昭和19年)に竣工しました。
この際建設工事に従事したアメリカ人捕虜約50余名が病没し、戦後佐世保市水道殉職者慰霊塔建立の際に彼らも合祀されています。
終戦後、海軍の水道事業はすべて市に移譲され相当ダムも佐世保市水道局が事業継承し、現在も日量最大5700立米の上水道用水を供給しています。
 
佐世保市瀬戸越町から国道498号線を東進、上柚木町に入り柚木小学校前の信号を左折します。さらに上柚木三組公民館前を再び左折すると相当ダム正門前に到着します。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止。
門柱は頭頂部に円蓋が乗った戦時中のダムの親柱などでよく見られるスタイル。
 
正門脇から相当ダム堤体が望めます。
ここが唯一の展望スポット。
 
高欄に装飾がみられます。
 
これだけでは身も蓋もないのでグーグルの空撮写真を見てみます。
右岸に湾曲した横越流式洪水吐があり、堤体中央に半円形の取水設備があります。
 
戦時の強制労働という負の側面も持った相当ダムですが、それは日本に限った話ではありません。
強制労働に関わった軍関係者は戦後の軍事裁判で罪を負い、慰霊も継続して行われています。
必要以上の自虐史観は日本人の悪癖ともいえるでしょう。
 
2601 相当ダム(1492) 
長崎県佐世保市上柚木町
相浦川水系牟田川
34メートル
150メートル
415千㎥/400千㎥
佐世保市水道局
1944年