ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

犀川浄水場小原取水口

2016-10-04 14:02:34 | 石川県
2016年9月23日 犀川浄水場小原取水口
 
犀川浄水場小原取水口は石川県金沢市小原町の二級河川犀川水系内川の
新内川ダム直下にある金沢市企業局が管理する上水道用水及びかんがい用水の取水口です。
金沢市の新しい上水道用水源として内川ダムが建設されたのに合わせて、第4次金沢市上水道計画工事により犀川浄水場の取水口として1973年(昭和48年)に完成しました。
建設に際し、もともと当地にあった金沢疎水群の一つである長坂用水の取水堰を合口し取水口から山川分水工までは長坂用水と兼用しています。
 
右岸から
内川は向かって左手から右手に流下します。
左手が取水口、右手が沈砂池と余水吐。
 
余水吐。
訪問前日にまとまった雨が降った影響で水量が多くなり余水吐から越流しています。
 
内川上流から
ゲートの左手のスクリーンが取水口。
 
ズームアップ。
 
長坂用水の記念碑。
長坂用水は1671年(寛文11年)に完成した歴史のあるかんがい用水で農林水産省の疎水百選にも選ばれています。
 
犀川浄水場小原取水口
石川県金沢市小原町
犀川水系内川
金沢市企業局
1973年

新内川ダム

2016-10-04 13:14:42 | 石川県
2016年9月23日 新内川ダム
 
新内川ダムは石川県金沢市小原町の二級河川犀川水系内川にある金沢エナジー(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
上流にある新内川発電所の出力調整に伴う水位変動を平準化するための発電逆調整池として1984年(昭和59年)に竣工しました。
当初は発電所を運営する金沢市企業局が管理する公営発電施設でしたが、2022年(令和4年)4月に金沢エナジー(株)に譲渡されました。
当ダム直下に金沢市の上水道用水及び長坂用水の取水工である犀川浄水場小原取水口がありそこでの取水に毀損がないようここに逆調整池が設けられました。
 
小原集落の南側で県道11号から東に分岐する道に入り、内川に向かってジグザグに下ると新内川ダムが見えてきます。
新内川ダムは敷地内立ち入り禁止のため下流から遠望するのみです
 
全面越流式の小さなコンクリートダムです。
 
新内川ダムの直下には金沢市企業局犀川浄水場小原取水口があります。
ここでの取水を安定させるためにも、新内川発電所の運用に合わせて逆調整池が必要でした。
 
0935 新内川ダム(0608)
石川県金沢市小原町
犀川水系内川
NP
18.9メートル
62.9メートル
61千㎥/57千㎥
金沢市企業局
1984年

内川ダム

2016-10-04 13:07:26 | 石川県
2016年9月23日 内川ダム
 
内川ダムは石川県金沢市小原町の二級河川犀川水系内川にある石川県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
金沢市街はおとこ川と呼ばれる犀川とおんな川と呼ばれる浅野川によって形成された沖積平野上に発展してきましたが、当然のことながら両河川の氾濫による洪水被害は深刻で、両河川の治水は加賀藩時代からの至上命題となっていました。
このうち犀川では1965年(昭和40年)に犀川ダムが建設されましたが、浅野川にはダム建設適地がないためなく抜本的な治水対策が取れずにいました。
そこで浅野川と犀川をつなぐ浅野川放水路を建設し洪水時には浅野川の洪水量を犀川に分水する一方、犀川の水量については犀川水系に新ダムを建設しそこで調節することにしました。
そして1974年(昭和49年)に建設省(現国土交通省)の補助を受けた補助多目的ダムとして犀川左支流内川に建設されたのが内川ダムです。
内川ダムは犀川ダム、2012年(平成24年)に竣工した辰巳ダムと連携して犀川及び浅野川の浅野川の洪水調節をおこなうほか、安定した河川流量の維持と不特定利水への補給、金沢市への上水道用水の供給、金沢エナジー(株)(当初は金沢市企業局)新内川発電所での最大7400キロワットのダム水路式発電を目的としています。
 
金沢市街から県道114号を南下するとドン詰まりに内川ダムがあります。
左岸下流側から。
 
左岸高台から俯瞰
直線的な導流壁、赤さびた堤体が特徴。
 
天端は歩行者のみ通行可。
年季の入ったエレベーター棟。
 
上流面
手前は利水放流ゲート。
 
ダム湖(内川湖)
金沢らしく湖岸には竹林もあります。
 
右岸の発電用取水口。
 
導流面と減勢工。
 
インクラインと艇庫。
 
右岸から上流面。

(追記)
内川ダムは台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定を締結しました。
 
0915 内川ダム(0607)
石川県金沢市小原町
犀川水系内川
FNWP
81メートル
172メートル
9500千㎥/8100千㎥
石川県土木部
1974年
◎治水協定が締結されたダム

犀川ダム

2016-10-04 11:56:24 | 石川県
2016年9月23日 犀川ダム
 
犀川ダムは石川県金沢市二又新町の二級河川犀川本流にある石川県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
金沢市街はおとこ川と呼ばれる犀川とおんな川と呼ばれる浅野川によって形成された沖積平野上に発展してきましたが、当然のことながら両河川の氾濫による洪水被害は深刻で、両河川の治水は加賀藩時代からの至上命題となっていました。
このうち1965年(昭和40年)に石川県最初の補助多目的ダムとして建設されたのが犀川ダムです。
現在は内川ダム辰巳ダム及び浅野川放水路と連携した犀川及び浅野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定利水への補給、金沢市への上水道用水の供給、金沢エナジー(株)(当初は金沢市企業局)上寺津発電所での最大1万6200キロワットのダム水路発電を目的としています。
 
犀川ダムへ通じる県道207号線は災害のため上寺津発電所の先が通行止めになっており、ダムに行くことはできません。
道路が復旧されれば改めて訪問したいと思います。

(追記)
犀川ダムは台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定を締結しました。
 
0910 犀川ダム
石川県金沢市二又新町
犀川水系犀川
FNWP
72メートル
160メートル
13600千㎥/10700千㎥
石川県土木部
1965年
◎治水協定が締結されたダム

上寺津ダム

2016-10-04 11:35:27 | 石川県
2016年9月23日 上寺津ダム
 
上寺津ダムは石川県金沢市の犀川上流域にある金沢エナジー(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により、日本発送電は解体され北陸では新たに北陸電力(株)が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、同社だけでは開発の手が足りず金沢市では公営発電である市企業局による電源開発が併せて進められました。
金沢市企業局は県土木部による犀川ダム建設事業に発電事業者として参加しダムの運用開始同年1966年(昭和41年)にダム水路式発電を行う上寺津発電所を稼働させました。
上寺津ダムは上寺津発電所の出力調整に伴う水位変動を緩和するための逆調整池として1965年(昭和40年)に竣工しました。
金沢市企業局は全国でも珍しい市による公営発電事業者でしたが、2022年(令和4年)に発電事業から撤退し、一連の発電施設は金沢エナジー(株)移譲されました。
金沢エナジー(株)は北陸電力、東邦ガス、金沢市、北國新聞社、北國銀行、松村物産、小松ガスの出資によって設立され金沢市内でガス及び発電事業を行います。 
 
辰巳ダムから県道207号を犀川沿いに遡上すると上寺津ダムに到達します。
ダムへの立入りはできず県道から見下ろすのみです。
スフィンクスの前足のような導流壁。
 
ゲートはローラーゲートが2門。
訪問前日までの大雨で放流しているようです。
 
 
0911 上寺津ダム(0606)
石川県金沢市熊走町
犀川水系犀川
19.5メートル
60メートル
129千㎥/77千㎥
金沢エナジー(株)
1965年

辰巳ダム

2016-10-04 11:02:06 | 石川県
2016年9月23日 辰巳ダム
 
辰巳ダムは左岸が石川県金沢市相合谷町、右岸が同市上辰巳町の二級河川犀川本流にある石川県土木部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
金沢市南端の奈良岳に源を発し金沢市中心部を貫流して日本海に注ぐ犀川は浅野川とともに古都金沢を象徴する川で女川と呼ばれる浅野川に対し男川と呼ばれてきました。
犀川は辰巳用水に代表されるように古くから生活用水・灌漑用水の水源として利用される一方で豪雨の際にはたびたび洪水をおこし金沢市街に大きな被害をもたらしてきました。
辰巳ダムは当初多目的ダムとして計画されますが、その後の水需要の変化を受けて防災専用ダムに変更されました。
また辰巳用水東岩取水口や絶滅危惧種の生物に配慮して建設場所も移動、環境に配慮したデザインを採用し、日本で2例目となる流水型治水ダムとして2012年(平成24年)に竣工しました。
 
今回は宿泊した砺波から県道27号を西進、山側環状を経由して県道207号を犀川沿いに遡上して辰巳ダムに到着しました。
県道から辰巳ダムの標識に従って右折するとダムが見えてきます。
クレスト、オリフィスともにゲートレスの防災専用ダムです。
 
洪水吐導流壁右岸側に穴が開けられ、辰巳用水東岩取水口への水を確保しています。
 
防災専用なのでダム湖はカラカラ。
 
天端は車道。
 
洪水吐。
右手の導流壁に穴があり右岸の辰巳用水東岩取水口に水が流れるように工夫されています。
 
左岸展望テラスから。
 
辰巳用水東岩取入口
1855年(安政元年)に建設された取水口と取水堰。
 
 
辰巳ダムは普段無人ですが、たまたま点検のため職員さんが駐在され資料室やビデオを見せて頂くとともに詳しいお話を伺うことができました。
 
0928 辰巳ダム(0605)
左岸 石川県金沢市相合谷町
右岸     同市上辰巳町
犀川水系犀川
47メートル
195メートル
6000千㎥/5800千㎥
石川県土木部
2012年

医王ダム

2016-10-03 14:13:13 | 石川県
2016年9月22日 医王ダム
 
医王ダムは石川県金沢市二俣町の大野川水系森下川にある農地防災及びかんがい目的のロックフィルダムです。
医王山に源を発し金沢市東部を貫流して河北潟に注ぐ森下川は、洪水のたびに流域農地に洪水被害をもたらす一方で晴天が続くと用水不足に陥り干ばつ被害が頻発していました。
そこで石川県により2001年(平成13年)に建設されたのが医王ダムで、森下川の洪水調節と森下川流域の灌漑用水の補給を目的としており、現在は金沢市が受託管理を行っています。
 
今回は富山県から医王ダムに向かいました。
福光から県道27号を西進、前日訪問した法林寺ダムを通過し石川県に入ると左手に医王ダムへの道が分岐します。
ちなみに県道27号は富山から金沢への抜け道として利用価値大です。
 
上流から。
 
左岸の洪水吐と堤体上流面。
 
洪水吐導流部
大雨のせいか越流しています。
 
洪水吐。
 
竣工記念碑。
 
天端。
 
ダム湖
右岸に管理事務所と洪水吐があります。
 
堤体下流面。
草が生えていますがロックフィルダムです。
 
下流から。
右手は放流ゲート操作室。
 
洪水吐は越流し美しい鱗紋をを見ることができました。
 
0923 医王ダム(0602)
石川県金沢市二俣町
大野川水系森下川
FA
58.8メートル
208.2メートル
3188千㎥/2801千㎥
金沢市農林水産局
2001年

大世町ダム

2016-09-28 19:07:26 | 石川県
2016年9月19日 大世町ダム
 
大世町ダムは石川県羽咋郡志賀町直海の米町川水系土屋川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
農林省(現農林水産省)による国営農地開発事業で1954年(昭和29年)に建設され管理は志賀町土地改良区が受託しています。
訪問時は洪水吐の改修工事が行われており堤体は立入り禁止になっていました。
今回は工事関係者にお願いしてダムの入口から写真だけ撮らせていただきました。
 
石川県の老朽ため池整備事業で洪水吐の改修工事が行われています。
 
 
天端。ダンプや重機の通行のため鉄板が敷かれています。
 
堤体下流面。
 
上流面。
右岸に洪水吐の改修工事が行われています。
洪水吐手前に取水設備も見えます。
 
貯水池(栗山貯水池)。
 
今回は工事中のため右岸から写真を取るにとどまりました。
工事は来年1月いっぱいの予定なので機会があれば改修後の姿を見てみたいと思います。
 
3349 大世町ダム(0581)
石川県羽咋郡志賀町直海
米町川水系土屋川
18メートル(ため池データベース 17.9メートル)
94メートル(ため池データベース 90メートル)
861千㎥/861千㎥
志賀町土地改良区
1954年

大坪川ダム

2016-09-28 18:24:51 | 石川県
2016年9月19日 大坪川ダム
 
大坪川ダムは石川県羽咋郡志賀町赤住の松戸川水系大坪川にある北陸電力(株)が管理する発電目的のロックフィルダムです。
全国でも珍しい原子力発電所向けのダムで、隣接する北陸電力志賀原子力発電所の運転に必要な補給水として利用するほか、緊急時には原子炉と核燃料を冷却するために使用されます。
ダムは立ち入ることはできませんが志賀原発の広報館『アリス館』の敷地から見ることができます。
 
アリス館3階から。
ロックフィルということですが見た目はアースの様です。
 
アリス館の敷地から
手前(右岸)に洪水吐導流部が見えます。
 
 
奥は取水設備
手前に洪水吐があります。
 
アリス館。
志賀原発の広報館で発電に関する多くの展示や子供向けのアトラクションもそろっていますが、閉館間近に訪問したのでじっくり見ることはできませんでした。
 
大坪ダムの説明板。
 
緊急時の取水設備の説明。
 
原発に対する考え方は人それぞれですが、個人的には安定した電力の供給には原発の再稼働は不可欠と考えています。
いち早い志賀原発の再稼働とともに、大坪川ダムの水が緊急用として使用されることがないことを願っています。
 
3068 大坪川ダム(0580)
石川県羽咋郡志賀町赤住
松戸川水系大坪川
20.3メートル
132メートル
490千㎥/360千㎥
北陸電力(株)
1992年

八ヶ川ダム

2016-09-28 16:27:24 | 石川県
2016年9月19日 八ヶ川ダム

八ヶ川で『はっかがわ』と読みます。
八ヶ川ダムは輪島市門前町の八ヶ川にある石川県営の多目的重力式コンクリートダムで、旧門前町を東西に貫流する八ヶ川の洪水調節、既得用水の補給と河川流量の維持、上水道と工業用水の供給を目的に1994年(平成6年)に完成しました。
 
県道7号に八ヶ川ダムの標識がありこれに従って県道51号を西進すると八ヶ川ダムに到着します。
まずはダムの下流から。
ゲートはクレストが自由越流式、オリフィスが自由調節式でオリフィスから放流されています。

ダムサイトに上がってみます。

ダムサイトは公園として整備されています。
富士山の様なカスケード。

天端は歩行者のみ通行可能。

高欄には旧門前町の町花である雪割草の装飾。

減勢工
利水放流が行われています。

ダム湖(八翠湖)。

右岸から下流面。

ダム湖の八翠湖の石碑。

ダム湖上流から遠望。

(追記)
八ヶ川ダムは台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定を締結しました。

0934 八ヶ川ダム(0579)
石川県輪島市門前町地原
八ヶ川水系八ヶ川
FNWI
52メートル
144メートル
3130千㎥/2870千㎥
石川県土木部
1994年
◎治水協定が締結されたダム

宮田防災ダム

2016-09-28 14:26:02 | 石川県
2016年9月19日 宮田防災ダム

宮田防災ダムは左岸が石川県鳳珠郡穴水町前波、右岸が同町沖波の諸橋川水系宮田川にある農地防災目的のアースフィルダムです。
穴水町北東部では海沿いに能登半島では数少ない耕作可能な平坦地が広がっていますが、当地を貫流する諸橋川本流及び右支流の宮田川は洪水被害が多く抜本的な防災対策が求められていました。
これを受け農林水産省の補助を受けた石川県営の防災ダム事業により1979年(昭和54年)に竣工したのが宮田防災ダムです。
1986年(昭和61年)は本流に諸橋ダムが完成し流域の防災能力は大きく改善しました。
両ダムともに穴水町が管理を受託しています。

穴水町の前波地区を横断する町道に『宮田ダム』を示す標識があり、ここを曲がるとダムへ向かう管理道路となります。
上流面はコンクリートで護岸されていますが、かなり草が伸びています。

草に埋もれたダムの石碑。

左岸に管理事務所がありますがこちらもかなり草が繁茂。

総貯水容量31万立米、有効貯水容量26万5000立米のダム湖。
堆砂容量分だけ水が溜まっています。

天端は舗装されています。

右岸の横越流式洪水吐。

洪水吐導流部。
導流部に沿って道路が下に続いていますが、草が繁茂して歩けるような状態ではありません。

0921 宮田防災ダム(0578)
左岸 石川県鳳珠郡穴水町前波
右岸        同町沖波
諸橋川水系宮田川
22.1メートル
101.5メートル
310千㎥/265千㎥
穴水町
1979年

諸橋ダム

2016-09-28 13:08:52 | 石川県
2016年9月19日 諸橋ダム

諸橋ダムは石川県鳳珠郡穴水町明千寺の諸橋川水系本流にある農地防災、灌漑目的のロックフィルダムです。
穴水町北東部では海沿いに能登半島では数少ない耕作可能な平坦地が広がっていますが、
水源の多くは溜池と天水に頼り用水不足が常習化していました。
一方、当地を貫流する諸橋川本流及び右支流の宮田川は洪水被害が多く抜本的な防災対策が求められていました。
そこで農林水産省の補助を受けた石川県営のかんがい排水事業及び防災ダム事業により1986年(昭和61年)に竣工したのが諸橋ダムで、完成後は穴水町が管理を受託しています。
諸橋川水系では同じ防災ダム事業により1979年(昭和54年)に支流の宮田川に宮田防災ダムが建設され流域の防災能力は大きく改善しました。
また当ダムの完成により永年の課題であった用水不足もほぼ解消しました。

諸橋ダムへはダム左右両岸からアプローチが可能です。
左岸に半円形の洪水吐があります。

アングルを変えて。

洪水吐導流部。

天端は車両通行可能。
下流面は草で覆われ写真の撮りようもありません。

貯水池。

ダムの下流は谷になっており小さな田んぼが続きます。
ダムがなければ大雨の際は水が溢れるだろうな!!

左岸の管理事務所。

0925 諸橋ダム(0577)
石川県鳳珠郡穴水町明千寺
諸橋川水系諸橋川
FA
35.2メートル
120メートル
1725千㎥/1680千㎥
穴水町
1986年

寺田川ダム

2016-09-28 12:33:32 | 石川県
2016年9月19日 寺田川ダム

寺田川ダムは石川県鳳珠郡能登町俎倉(まないた)の寺田川水系寺田川本流にあるかんがい及び上水道用水目的のロックフィルダムです。
能登町の神野川、上町川、寺田川流域は灌漑用水を流域面積の少ない川や渓流水に依存したびたび干ばつ被害受けていました。また上水道についても夏季に用水不足が頻発し安定した水源が求められていました。
とくに1994年(平成6年)の猛暑による渇水被害は深刻で給水車が出動し、ミキサー車で溜池に給水するほどの渇水となりました。
こうした状況を受け農林水産省の補助を受けた石川県営の農業用ダム建設事業が着手され、それに水道事業者として能登町が事業参加し2007年(平成19年)に寺田川ダムが竣工しました。
完成後は能登町が管理を受託しています。

能登町鶴町から分岐する農免道路を南下すると寺田川ダムを示す標識が現れます。これに従って右折すると寺田川ダムに到着します。
堤体直下から。

天端は車両通行可能。

右岸に管理事務所。
取水設備があります。

ダム湖。
総貯水容量46万㎥の小さなダム湖です。

下流面
草が生えアースの様ですが、ロックフィルダムです。

洪水吐導流部。

洪水吐
越流しています。

 
3268 寺田川ダム(0576)
石川県鳳珠郡能登町俎倉
寺田川水系寺田川
AW
26.7メートル
103.8メートル
460千㎥/420千㎥
能登町
2007年

北河内ダム

2016-09-28 12:18:17 | 石川県
2016年9月19日 北河内ダム

北河内ダムは左岸が石川県鳳珠郡能登町五十里、右岸が同町黒川の二級河川町野川水系河内川にある石川県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
町野川流域では戦後3度の大きな洪水被害に見舞われる一方、町野川の集水面積は小さく渇水による干ばつ被害が多発し、抜本的な治水利水対策が求められていました。
こうした状況を受け、そこで石川県は町野川支流河内川への多目的ダム建設を中核とする町野川総合開発事業に着手し、2010年(平成22年)に竣工したのが北河内ダムです。
北河内ダムは国土交通省の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、町野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、能登町への上水道用水の供給を目的としています。
ダムは能登町五十里地区にありますが、すでに五十里ダムという砂防ダムがありまた栃木県にも同名のダムがあることから、ダム湖の大半を占める『北河内』地区をダム名としました。

能登町柳田から県道26号を西進すると北河内ダムを示す標識があり、これに従って右折すると北河内ダムが見えてきます。
オリフィスから放流をしています。

左岸から。
左下の建物は利水放流設備です。

2010年(平成22年)竣工の新しいダムだけにダム周辺はきれいに整備され管理事務所のトイレも開放されています。
事務所前には弁慶石が鎮座しています。

天端は歩行者のみ通行可能。
建物は取水設備機械室。

ダム湖(やませみ湖)。

減勢工
副ダムの下流はS字に曲がっており、S字部分には十字工が敷き詰められています。

ダム直下にある浄水場。
ここから能登町へ上水道が供給されます。

右岸から。

上流面。
洪水吐は自由越流式と自由調節式、中央に選択取水設備があります。

(追記)
北河内ダムは台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定を締結しました。

3121 北河内ダム(0575)
左岸 石川県鳳珠郡能登町五十里
右岸        同町黒川
町野川水系河内川
FNW
47メートル
140メートル
2860千㎥/2590千㎥
石川県土木部
2010年
◎治水協定が締結されたダム

山口防災ダム

2016-09-28 11:20:33 | 石川県
2016年9月19日 山口防災ダム
 
山口防災ダムは石川県鳳珠郡能登町時長の九里川尻川にある農地防災目的のロックフィルダムです。
農林水産省の補助を受けた石川県営の防災ダム事業により1970年(昭和45年)に竣工しました。
完成後は能登町が管理を受託しています。
洪水吐にはダムとしては珍しくプールのような青い塗装が施され、クジラの絵が描かれているのが特徴です。

能登町中心街から国道249号を東進すると、行延地区で山口ダムを示す手書きの標識が現れます。これに従って町道を西に向かうと山口防災ダム左岸に到着します。
天端は車両通行可能です。

でも右岸洪水吐手前で立ち入り禁止。

洪水吐はプールの様な青い塗装、そしてクジラが描かれています。

ダムができた当初はもっと鮮やかなブルーだったんでしょうね?

堤体上流面
草が覆っていますがロックフィルです。

ダム湖と管理事務所
管理事務所から斜樋が下りています。

ダム湖上流から。

なぜダムの洪水吐にクジラの絵が?と思ってしまいますが、山がちで平坦地がない奥能登では漂着したクジラは貴重なたんぱく源として重用されてきました。
こうしたクジラは天からの授かりものとしてその亡骸がクジラ塚を作って丁重に弔い、住民たちはクジラに尊敬と感謝の意を表していました。
山口防災ダムにクジラの絵が描かれたのは、農地防災ダムにもかつてのクジラ同様地域の守り神としての期待と感謝の意を表したものではないか?と勝手に解釈します。 

0914 山口防災ダム(0574)
石川県鳳珠郡能登町時長
九里川尻川水系九里川尻川
27メートル
110メートル
392千㎥/349千㎥
能登町
1970年