ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

岩倉池

2018-01-10 13:23:59 | 徳島県
2017年12月21日 岩倉池
 
岩倉池は徳島県美馬市脇町の吉野川水系吉野川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧と現地改修記念碑によれば1932年(昭和7年)に県の事業によって建設され、その後1985年(昭和60年)から吉野川北岸農業用水からの補給が開始され、さらに1994年(平成6年)には県の溜池等整備事業による大規模な改修が行われ現在の姿となりました。
管理は脇町土地改良区が行っています。
 
美馬市中心部の脇町から吉野川左岸の県道12号を西進、脇町別所で県道106号を右折して北上、高速の手前で右手の枝道に入ると岩倉池に到着します。
大きく湾曲した堤体は、堤頂長195メートルにも及びます。
1994年の大規模改修により上流面はコンクリートで護岸されました。
 
天端わきにある1994年(平成6年)の改修記念碑。
 
こちらは1932年(昭和7年)の竣工記念碑。
 
小さな洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
堤体上流面の斜樋。
奥のパイプは吉野川北岸用水からの補給用パイプ。
 
天端はダートの車道。
 
パイプに沿ってダム下への階段が続きます。
吉野川北岸用水からここを揚水して補給されます。
 
階段を下りると取水設備からの水路と洪水吐からの導水路が合流します。
たぶんこの奥に底樋があるんでしょうが無理な立ち入りは自重しました。
 
吉野川北岸用水からの揚水設備
ここから岩倉池に水がポンプアップされ貯留されます。
 
よくある溜池の一つと思っていましたが、吉野川北岸農業用水からの補給を受けており、揚水設備などがあり見所の多い溜池でした。
 
3576 岩倉池(1201)
ため池コード
徳島県美馬市脇町岩倉
吉野川水系井口谷川
18.3メートル
195メートル
101千㎥/101千㎥
脇町土地改良区
1932年

デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)

2018-01-09 23:10:09 | 徳島県
2017年12月21日 デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)
 
デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)は徳島県美馬市脇町の吉野川水系大谷川にあるアーチ式石積砂防堰堤です。
、明治政府の招聘で来日したオランダ人技師ヨハネス・デ・レイケは、吉野川の治水対策として吉野川左岸の主要河川での砂防対策を提案、その一環として彼の指揮のもとにより1989年(明治22年)に建設されたのが大谷川堰堤です。
高さ3.8メートル、堤頂長97メートルは彼が関わった砂防施設の中でも最大規模を誇り、土木遺産としての価値を評価して国の有形文化財に登録されているほか土木学会選奨土木遺産、Aランクの近代土木遺産にも選定されています。
 
大谷川は『うだつの町並み』として有名な美馬市脇町を貫流しており県道251号線大谷橋から上流側にその姿を見ることができます。
堰堤のある大谷川両岸は公園として整備され、桜の名所として知られるほか、デ・レイケの母国であるオランダにちなみオランダ風の東屋も設置されています。
大谷橋から
背後は徳島道の高架橋。
 
緩やかに湾曲したアーチ状の石積堰堤が続きます。
 
 
 
水量が少ないと堰堤への立ち入りも可能です。
 
 
右岸にある登録有形文化財と選奨土木遺産のプレート。
 
デ・レイケの顕彰碑。
 
デ・レイケの母国オランダにちなみ東屋もオランダ風。
 
デ・レイケ堰堤(大谷川堰堤)
吉野川水系大谷川
砂防堰堤
石積アーチ式
3.8メートル
97メートル
徳島県
1889年

高西ダム

2018-01-09 15:48:33 | 徳島県
2017年12月21日 高西ダム
 
高西(こうざい)ダムは徳島県阿波市市場町尾開の吉野川水系日開谷川左支流高西谷川にある防災・灌漑目的のアーチ式コンクリートダムです。
ダム便覧には1954年(昭和29年)に徳島県の事業で建設と記されており、農林省の補助を受けた県の農地防災事業で建設されたようです。
ダムの管理は市場土地改良区が行っています。
四国で3基しかないアーチダムの一つですが、堤高はわずか16.8メートルで『日本で最も小さなアーチダム』の枕詞がつきます。
 
阿波市市場町尾開地区から、高西谷川沿いのダートの林道を1キロほど進むと高西ダムに到着します。
 
湾曲した天端には錆びついた手すりがあり苔に滑らないように慎重に進みます。
 
越流部手前の取水用のスピンドル。
 
越流部表面は石張りになっています。
扶壁には水止めの板を填め込む溝が刻まれています。
 
減勢工
高さ16.8メートルと日本で一番小さなアーチダム。
 
貯水池も総貯水容量2万1000立米と極小。
 
ダムからの帰路すれ違った地元の男性のお話では、最近は四国堰堤ダム88箇所巡りの影響で遠方からの訪問者が増えているようです。
 
3575 高西ダム(1201)
徳島県阿波市市場町尾開
吉野川水系高西谷川
FA
16.8メートル
37.5メートル
21千㎥/21千㎥
市場土地改良区
1954年

浦池

2018-01-09 14:49:24 | 徳島県
2017年12月21日 浦池
 
浦池は徳島県阿波市土成町浦池の吉野川水系九頭宇谷川にある防災・灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
ダム便覧では1966年(昭和41年)に徳島県の事業で建設と記されており、ダムの目的が防災及び灌漑ですので、農林省の補助を受けて建設された農地防災ダムと見るのが妥当でしょう。
永く位置未確認の『浦之池』としてダム便覧に登録されていましたが2012年に現在の浦池がダムとして認定されました。
ダムの管理者は土成西部土地改良区が行っています。
 
徳島道土成インターから県道139号を西進、二股を右手に取り広域農道に入り浦池地区で交差する県道236号を右折すると浦池に到着します。
 
下流から
一見すると砂防ダム。
 
いや、どう見ても砂防ダム・・・。
 
直下に副ダムと減勢工。
 
 
ダムの右岸に不動明王の石像。
 
天端?
立ち入りに制限はないようなので堤体中央へ進みます。
 
越流部手前に取水用のシャフトがあり、この堰堤の目的が防災だけでないことを示しています。
 
越流部。
 
砂防堰堤に灌漑や上水道などの目的を付加したハイブリッド砂防ダムも存在しますが、浦池は見た目は砂防ダムそっくりながら正真正銘の重力式コンクリートダムです。
 
3574 浦池(1200)
徳島県阿波市土成町浦池
吉野川水系九頭宇谷川
FA
19メートル
80メートル
41千㎥/41千㎥
土成西部土地改良区
1966年

見坂池

2017-12-06 15:05:34 | 徳島県
2017年11月25日 見坂池
 
見坂池は徳島県阿波市土成町宮川内の吉野川水系宮川内谷川にある表面石張粗石コンクリート重力式ダムです。
竣工記念碑には『徳島県営砂防堰堤築造ノ計画ヲ見ルニ至リ之ヲ貯水池ニ利用スルコトハ一石二鳥ノ策ナリトス』と記されており、1939年(昭和14年)に御所池を築造した御所耕地整理組合が、さらなる干ばつ被害に対処するために徳島県が宮川内谷川に建設を計画していた砂防堰堤を灌漑用貯水池として活用する旨が記されています。
見坂池は1943年(昭和18年)に着工されますが戦争激化により工事は遅延し、結局終戦後の1946年(昭和21年)に灌漑・砂防目的のダムとして完成し、御所耕地整理組合が改組された御所土地改良区が管理を行っていました。
その後1964年(昭和39年)に見坂池上流500メートル地点に徳島県営宮川内ダムが完成したことで、見坂池は事実上その役割を終えることとなります。
現在は砂防堰堤として現地に存在しているというのが実情のようです。
 
宮川内ダムから国道318号線を南下すると国道脇に見坂池の竣工記念碑が建っています。
 
竣工記念碑の少し上流に古い側道がありこれを下ると池の右岸に出ます。
上流面はやや広い間隔で石が張られ、目地かしっかりと施されています。
 
越流部には木板をはめ込む溝が刻まれています。
堤体中央には石段があり、その下にゲート操作の設備があるようです。
 
ダム便覧では総貯水容量5万5000立米となっていますが、貯水はされていません。
ちなみに竣工記念碑では貯水量は12万9525立米となっています。
 
下流面。
 
排砂ゲートかと思いましたが、防災ダムとすればいわゆる穴あきダムの穴に相当するようです。
上流面のゲート操作設備はこの開閉を行うものでしょう。
 
微かな踏跡を辿りなんとかダム下に下りることができました。
堤体の厚みや傾斜は砂防堰堤そのものです。
 
切石が奇麗に布積みされた御所池と異なり、石は不整形で目地が欠けているところが多く見られます。
戦時中の人手や物資不足の中で作られた分だけ、御所池ほどの丁寧さで建設できなかったんでしょう。
 
副ダムも石積み。
 
先述の竣工記念碑には見坂池の諸元について『長サ五十七・五米 高サ十二米』とありこれに従うと堤高15メートルを満たしておらず見坂池は『河川法上上のダムではない』ということになります。
一方で昭和10年代に四国では特異点ともいえるべき2基の石積堰堤がこの地に出現したことは非常に興味深いところです。
 
3573 見坂池(1198)
徳島県阿波市土成町宮川内
吉野川水系宮川内谷川
FA
12メートル(ダム基準未達)
57.5メートル
55千㎥/55千㎥
御所土地改良区
1946年

宮川内ダム

2017-12-05 17:48:39 | 徳島県
2017年11月25日 宮川内ダム 
 
宮川内ダムは徳島県阿波市土成町宮川内の吉野川水系宮川内谷川上流部にある徳島県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、宮川内谷川の洪水調節、既得取水権としての御所地区および大井出地区の農地への灌漑用水への補給と安定した河川流量の保持、御所地区の新規農地への灌漑用水の供給を目的として1964年(昭和39年)に竣工しました。
2003年(平成15年)の改修で堤体を掘削して選択取水設備と低部放流設備が増設され、ダムの運用能力が大きく向上しました。
 
 
宮川内ダムは国道318号線沿いにあり、ダム湖右岸にある『道の駅 どなり』が目印となります。
国道318号線から
ダム下へ通じる管理道路は立ち入り禁止のため下流からはこれが精一杯です。
クレストにローラーゲートが1門
2003年の改修で堤体の掘削が行われた部分だけコンクリートが白くなっています。
 
右岸から下流面。
やはり掘削された白いコンクリートが目立ちます。
選択取水設備と低部放流設備が新設されたせいか、天端にはプレハブ風の建屋があれやこれやと乗っかっています。
 
天端は開放されていますが、職員さんにスズメバチの巣があるので注意とくぎを刺されました。
 
減勢工と放流設備
河川維持放流が行われています。
 
ゲートは超流型2段ローラーゲートという非常用洪水吐と常用洪水吐を兼ねた変わった構造です。
 
ダム湖は総貯水容量135万立米
非需要期ということで水位はずいぶん低くなっています。
ダム湖奥に見える建物は御所温泉で、その先に道の駅があります。
 
左岸から下流面。
 
放流設備をズームアップ。
利水放流を行っている放流管の左手に、2003年に新設された低部放流設備の放流管が見えます。
 
上流面
奥が管理事務所、手前に艇庫とインクライン。
 
上流から
ローラーゲートと選択取水設備
ゲートが2段構成になっているのが分かります。
 
宮川内ダムは四国ダム堰堤88箇所巡り1番札所で判子は天端のフェンスに架かっていました。
 
追記
宮川内ダムには95万立米の洪水調節容量が確保されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに23万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2128 宮川内ダム(1197
徳島県阿波市土成町宮川内
吉野川水系宮川内谷川
FNA
36メートル
130メートル
1350千㎥/1220千㎥
徳島県県土整備部
1964年
◎治水協定が締結されたダム

御所池(相坂ダム)

2017-12-05 14:29:50 | 徳島県
2017年11月25日 御所池(相坂ダム)
 
御所池は徳島県阿波市土成町宮川内の吉野川水系宮川内谷川右支流内谷川にある灌漑目的の表面石張粗石コンクリートおよび粗石モルタル工重力式ダムです。
吉野川北岸地域は阿讃山脈から吉野川に注ぐ各支流が扇状台地を形成し平野部では軒並み伏流するため、古来より農業用水の確保は困難を極めていました。
宮川内谷川流域の旧土成町も同様で、昭和以降灌漑用貯水池建設機運が高まり御所耕地整理組合が結成されました。そして国や県への陳情により国庫の補助を獲得し4年の歳月をかけ1939年(昭和14年)に御所池が竣工しました。
現在は御所耕地整理組合を引き継いだ御所土地改良区が管理を行っています。
ダム所在地の地名から相坂ダムもしくは相坂堰堤とも呼ばれ、四国ダム堰堤88箇所巡りのサイトでも相坂ダムとなっていますが、ここではダム便覧に従って御所池の名称を使用します。
御所池は四国では数少ない石積堰堤となっており、Bランクの近代土木遺産に選定されています。
 
国道318号線の道の駅『どなり』の一つ北側の分岐を西に折れ、さらに二つ目の分岐を左に取ると御所池左岸に到着します。
左岸に建つ立派な竣工記念碑。
 
天端にはゲート巻き上げ機が並びます。
 
副ダムと減勢工
 
貯水池は総貯水容量24万5000立米。
 
上流面
ゲートは左岸から自由越流式4門、ラジアルゲート2門、自由越流式1門という並び。
ゲート中央に取水設備があり、ラジアルゲートの上には巻き上げ機があります。
また自由越流式洪水吐は扶壁に溝が刻まれ、角落しになっています。
 
ダム下へも下りることができます。
堤体には長方形の切石が布積みされています。
 
5番6番ゲートは越流面がやや低く、ラジアルゲートが装備されています
古いゲートのようですが、まさか1939年(昭和14年)製?
 
ダム下から
ちょっと逆光になってしまいました
堤体下部の穴は排砂ゲート。
 
減勢工には副ダムがあります。
 
ラジアルゲートをズームアップ
天端の巻き上げ機でワイヤーを巻きながら動かします。
 
神戸~淡路島~徳島と石積堰堤がラインのように分布しています。
良い花崗岩が取れるといった地質的な背景なのか?それとも何か技術的・文化的な背景があるのか?
気になるところです。
 
2119 御所池(相坂ダム)(1196)
徳島県阿波市土成町宮川内
吉野川水系内谷川
15.9メートル
90メートル
245千㎥/200千㎥
御所土地改良区
1935年

旧吉野川河口堰

2017-12-04 15:17:01 | 徳島県
2017年11月25日 旧吉野川河口堰
 
旧吉野川河口堰は徳島県板野郡松茂町中喜来の一級河川吉野川左支流旧吉野川河口部にある水資源機構が管理する多目的可動堰です。
水資源公団法(現水資源機構法)によって建設された多目的ダムで、今切川河口堰と連携した旧吉野川・今切川河口部の洪水調節及び塩害防止、既得取水権として流域農地約3700ヘクタールへの灌漑用水の補給、鳴門市・北島町・松茂町への上水道用水の供給、徳島市・鳴門市・板野郡内22工場への工業用水の供給を目的として1976年(昭和51年)に竣工しました。
旧吉野川河口堰の堤高は7.3メートルで河川法上のダムの要件を満たしていませんが、水資源機構法により河川法上のダムと分類され、ダム便覧にも正式に掲載されています。 
 
徳島自動車道松茂スマートインターから県道40号を東進、空港大橋手前を左折して旧吉野川左岸を北上すると旧吉野川河口堰に到着します。 
河口堰左岸に管理事務所と案内板があります。
 
右岸下流側から
手前が閘門、調節門1門、制水門5門で構成されています。
 
上流から閘門。
 
上流から
閘門の左となりが調整門、あとは制水門です。
 
天端は車両通行可能。
 
堰による総貯水容量は493万立米。
 
左岸下流から。
訪問時は潮位があがっているせいか堰の上下流の水位はほとんど差がありませんでした。
 
左岸上流。
 
左岸魚道
フラップゲートがついています。
 
2131 旧吉野川河口堰(1191)
徳島県板野郡松茂町中喜来
吉野川水系旧吉野川
FNWI
MB
7.3メートル
192.3メートル
4930千㎥/---千㎥
水資源機構
1976年

今切川河口堰

2017-12-04 13:21:02 | 徳島県
2017年11月25日 今切川河口堰
 
今切川河口堰は左岸徳島県板野郡北島町鯛浜、右岸徳島市川内町の一級河川吉野川左支流今切川河口部にある水資源機構が管理する多目的可動堰です。
水資源公団法(現水資源機構法)によって建設された多目的ダムで、旧吉野川河口堰と連携した旧吉野川・今切川河口部の洪水調節及び塩害防止、既得取水権として流域農地約3700ヘクタールへの灌漑用水の補給、鳴門市・北島町・松茂町への上水道用水の供給、徳島市・鳴門市・板野郡内22工場への工業用水の供給を目的として1975年(昭和50年)に竣工しました。
今切川河口堰の堤高は6メートルで河川法上のダムの要件を満たしていませんが、水資源機構法により河川法上のダムと分類され、ダム便覧にも正式に掲載されています。
 
徳島市中心部から県道29号徳島環状線を北上、共栄橋を渡った先の交差点を左折し県道39号線を南下、鯛浜橋手前を西に折れると今切川河口堰に到着します。
今切川左岸(北島町側)下流から
調節門1門、制水門6門、閘門上下2門で構成されています。
 
下流面には『今切川河口堰』の標識
現在制水門1門の補修工事中です。
 
左岸の魚道。
 
天端は車両通行可能。
 
左岸上流から。
 
右岸にある工業用水の取水ゲート。
 
右岸の閘門(上流から)。
 
右岸の魚道。
 
右岸下流から
手前は閘門。
 
右岸に水資源機構旧吉野川河口堰管理所がありここでダムカードがもらえます。
管理所手前の小公園にある説明板。
また四国堰堤ダム88箇所巡りの判子はこちらの玄関先にあります。
 
 
2132 今切川河口堰(1190)
左岸 徳島県板野郡北島町鯛浜
右岸 徳島県徳島市川内町
吉野川水系今切川
FNWI
MB
6メートル
220メートル
---千㎥/---千㎥
水資源機構
1975年