国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

お宝発見?

2019-01-03 | 帰省(2018〜19)

翌3日は何かの手続き(署名?)をするため市の中心街へ。私も同行。

用事を済ませた後、サルテーニャ屋へ入りました。


帰るまでに一度は食べたいとLindaに言っていましたので、それを叶えてもらいました。



さすがに私も3度目ということで、1年前のようなヘマはしませんでした。

帰ったらアサード(焼肉)の準備中でした。胃腸の調子も完全には戻っていないし、前日もお腹いっぱい食べたので今回は別にいいですよ、と伝えたのですが、Ana MaríaさんやElmaさんが「Yasuhiroにアサードを食べさせないまま日本へ帰すのは絶対まかりならぬ!」と厳命されたそうで(笑)、今年も開催の運びとなりました。

この日もチーフの料理人はOrlandoさん。上はヤラセです。

なお何が一番食べたいか尋ねられたので、チョリソとモルシーリャ(血のソーセージ)をリクエストしておきました。肉も十分美味しいんですが、こちらの焼き方はwell doneを通り越してoverdoneに近く、「血もしたたるような」という私の好みからはちと遠いことを知っていたので。

この日もなぜか食事中の写真は撮っていません。が、Igorさんが持って来られた品が目を引きました。幼少時に着ていた革のジャケットと遊んでいたおもちゃ。こういうのを親から子、子から孫へと引き継いでいくんだそうです。いい風習ですね。

ブリキの車は日本製とのことで、見たら確かに "Made in Japan" とありました。私はふとこの番組を思い出し、「もしこれが保存状態のいい品だったら何百ドルの値が付いたかもしれないな」とつぶやきました。それを聞いたみんなから「エエッ!」と驚きの声が。

で、スマホで検索して出てきた左の画像を示すと皆から溜息。(ゼロを二つ取ったらドルになるよ、と説明しました。)その後見つけた右には皆さん絶句。まあ無理もありません。「こういうのは未使用のデッドストック品などに付く値段だから」と言っておきましたが・・・・私たちが帰った後、皆さんは家中を大探しされたかもしれません。(追記:件の車には製造元と思しき "ALPS" と書かれたプレートが付いていたのを帰国後に思い出し、それで調べてみたらこれが見つかりました。)

今年も記念撮影をしました。ベラスケス=ヒメネス8兄弟姉妹が勢揃い。以下のように出生順に並ばれました。

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この日の写真はこれで終わりです。夜はパンとコーヒーで軽く済まし、翌日が早朝出発のため早めのお開きとなりました。何にしても陸路移動への変更のせいで少なくとも前後1日ずつ潰れたのはやはり痛く、コチャバンバに滞在できたのは実質的に6日(下痢で寝込んでいた日数も差し引けば4日)だけでした。この間スーパーに一度行って食料品を買うことはできましたが、お土産を探す時間は結局取れませんでした。それが心残りです。
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