国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

人生最長の日9(怪我の功名?)

2019-01-06 | 帰省(2018〜19)
サービスカウンターの職員さんは手際よく対応し、ホテルの宿泊、夕食および朝食、そしてホテルまでの往復タクシーのクーポンを発行してくれました。(糞Peruvianとは月とスッポンです。)

思うに私たちが荷物をちゃんと預け直していたらここには来ていなかった訳で、あるいは搭乗口付近で空しく夜を過ごしていた可能性はありました。(実際、翌朝には椅子に寝っ転がっている人達を少なからず見ました。)

その後、Lindaは手荷物検査員と話し合い、裏口から通してもらいました。その際、スペイン語が全くできないアフリカ系米国人男性が同様の問題で困っていたらしく、(たぶん英語が解らない)係員から「あんたがたは英語が話せるか?」と訊いてきました。それでLindaが急遽通訳を買って出ることになりました。

荷物受取所のカウンターで事情を説明したところ、職員は荷物タグの控えのバーコードを読み取ってからトランシーバでどこかに連絡してくれました。時間はかなりかかりましたが、荷物の受け出しに成功。続いて乗り継ぎ用の荷物預けカウンターへ足を運びました。ここでも最初は「他の乗客の荷物のチェックインからだいぶ時間が経ってるし」などと渋られましたが、新しく成田までのタグを付け直すことで受け入れてもらいました。

ただし、この手続きは本当に必要だったのでしょうか? というのも、空港内で日本人数名が雑談しているのを見つけたので、この件について尋ねてみたところ、口々に「自分は何もしていない」と答えて平然としていましたから。ということで真相は謎です。

何にしてもこれでようやく空港から出られます。タクシーに乗り5分ほどでホテルに到着。

中庭から撮りましたが、ここは正真正銘の高級ホテルでした。

ただしフロントが明らかに人数不足でこの行列。チェックインまで20分近く待たされました。



遅い遅い夕食(ビュッフェ形式)です。時刻は午前2時20分頃。翌朝会った日本人グループ客は「肉がどれもこれも硬くて参った」とぼやいていましたが、私はそうは思いませんでした。けれども、胃腸の具合がまた悪くなったら困るので肉料理は自粛。ほとんどパエリアばっかし食べていました。部屋に入ったのは3時10分前。

こうなるのは当然です。すぐにでも眠りに就きたいところですが、私はWi-Fiに接続して職場へ送るメール文書を作成しなければなりません。月曜の朝6時過ぎに成田到着という当初の予定では午前中に米原へ着けるため、いったん帰宅して昼食を摂ってからでも出勤して4限目(14:50〜)の講義に間に合うという算段でしたが、それが不可能となったので、月曜日の有給休暇取得と授業の休講を伝えました。

11時半のフライトまで8時間ちょっとですが、既にチェックイン済みで搭乗券も確保しているため、空港入りは少し遅くなっても大丈夫。つまり、ちょっとぐらいなら寝坊もできます。

こうして本当に本当に長い1日が終わりました。クスコのホテルでの起床は午前4時、ここでの就寝は午前3時ですが、ペルーとメキシコの時差1時間を足すとピッタリ24時間でした。これは物理的にも心理的にも文句なしに人生最長の1日であったと断言できます。

おまけ(箸休め)

帰国後にメールソフトのログイン履歴をチェックしてみましたが、なぜかメキシコはありませんでした。この日はメールソフトを使わずブラウザ経由で送信したからでしょうかね?
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