国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

完結編

2019-01-07 | 帰省(2018〜19)
チェックイン不要のため10時(フライトの90分前)に出ても十分間に合うとは思いましたが、せっかくここまで来てまた何かのトラブル(交通事故など)に巻き込まれたらシャレにならないということで(疑心暗鬼状態継続中)、9時前にチェックアウトすることになりました。空港までのタクシーのクーポンは持っていますが、車を呼ぶための通話料は自腹。しかも現地通貨(メキシコペソ)は持ってない。それでちょっと困りましたが、無料のリムジンバスが10分おきに出ている(さすがは一流ホテル)ということで一件落着。もちろんクーポンはボツにしました。

以後、何事もなく搭乗完了。機内で「(午後)4時には着けるかも」という話し声が聞こえました。たしかに飛行時間と時差(マイナス15時間)をもとに計算すると、成田には16時台、あるいはもっと早く到着できても不思議はない。それで期待したのですが・・・・滑走路が渋滞していたため飛び立つまでに1時間以上かかりました。

Lindaはフライト中ほとんど眠っていました。それも爆睡でした。

房総半島が見えました。帰って来たんだなぁ・・・・

着陸後もなぜかターミナルを1周以上したため時間をロス。結局空港に降り立ったのは17時半頃でした。しかしながら、その後の再入国審査→預け荷物受け取り(私たちのスーツケースが出てくるまで不安でしたが)→税関通過はスムーズそのもの。


それで18時20分発の京成本線、20時過ぎに東京発新大阪行きの新幹線(ひかり)と順調に乗ることができました。


父との旅行ではホームの売店で缶ビールとつまみを買って乗り込み、無事帰国を祝して乾杯していましたが、この日はアイスクリームで ¡Salud! 向こうでたまたまこの記事を見て無性に食べたくなったからです。売り子のお姉さんに「10分ぐらい待つんですよね?」と訊いたところ、「この気温ですから20分」という返事でした。

米原到着はホテルでの路線検索で「このくらいの時間になるだろう」と予想していた22時36分でした。(その次だと23:59でした。それが普通に考える終電ですが、のぞみ21:23東京発で京都まで行き、琵琶湖線快速で戻るという裏技を使えば米原に1時6分に着けます。遠回りの分だけ高くつきますが。)迎えに来てくれた父の車で自宅に着いたのは23時の少し前。この壮絶な長旅もようやくにして幕を閉じました。

ここで帰路の時間を計算してみることにします。コチャバンバの家を出たのが金曜日の(この際、端数は切り捨てるとして)4時、長浜の自宅到着は月曜日の23時(先に同じ)ですから、「(23 - 4)+ 24 × 3 = 91」というのが見かけの所要時間です。ただし日本とボリビアとの間に13時間の時差がありますので、それを引いて正味78時間(丸3日と6時間)となります。過去の記憶を辿るまでもなく、これはダントツで(2位以下を大きく引き離して)人生最長です。願わくば、この記録を更新する日が永久に来ませんように・・・・・・・・

追記
 1月4日の日記(おまけ)にはブラジルで計24時間超のバス旅を経験した女性タレントについて書きましたが、3年前にタリハでお会いした岡野真幸さんご自身のブログでそれに言及されています。その投稿によると、件の番組の岡野さんが出演された回では俳優の村田雄浩が日本出発からタリハで対面を果たすまでに88時間(番組最長?)を要したそうです。(日本国内の移動を入れたら90時間を超えるでしょう。)つまり「上には上があった」ということです。またJICAボランティアでも超僻地在住の隊員は任地から首都まで3日かかるという話を聞くことがありますので、私たちの78時間という移動時間もそんなに大したことではないのかもしれません。
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まともな1日

2019-01-07 | 帰省(2018〜19)
結局7時に目が覚めてしまいました。(普段早起きしている人間が急に寝坊をしたいと思っても無理です。)睡眠時間は4時間ほどですが、ぐっすり寝られました。

1階に下りてレストランで朝食。既に他のテーブルでは複数の日本人グループが食事中でしたが、ツアー旅行の団体さんと思われます。そのうちの何人かとちょっとだけ仲良しになりました。

訊いてみたら私も名前だけは聞いたことがあるU社の企画で、ニカラグア・コスタリカ・パナマの中米3ヶ国を巡って帰るところなのだとか。世界のメジャーな観光地はあらかた行き尽くしたので、こういうちょっとマニアックなツアーに参加する気になったのかもしれません。(ナミビアでも同国のみに10日以上滞在するというツアーの日本人団体と遭遇しましたが、それと同種の人達でしょうね。)先ほど調べてみましたが、たぶんこれですね。既に終了したツアーゆえ価格は不明ですが、成田行きの機内では男女1名ずつの添乗員がその人達に話しかけていたのを見ており、たかだか十数名に二人が付くということから考えるに、これは結構値も張るはず。普段なら私とはまず接点のないセレブの方々だったのでしょう。

その団体さんは私たちより1時間ほど早くホテルに来たそうですが(注)、やはりフロントでの大渋滞に閉口したとのこと。(注:さすがに添乗員はこういう遅延トラブルにも慣れており、速やかにホテルの手配等の行動を取ったと思われます。)ところで、朝食はビュッフェではなく個別オーダーでした。カットフルーツまたはジュース、スクランブルエッグまたはその他、コーヒーまたは紅茶というように。ところがウエイターには英語がほとんど通じず、難儀されていたのを見て私が通訳を買って出ました。前夜空港でLindaが米国人に助け船を出したのを見習ってのことです。

一仕事を終えて席に着いた私に彼女は「言葉が話せるだけで人の役に立てるというのは素晴らしいことね」としみじみ言いましたが全く同感です。そして、それは外国語を学ぶ大きな動機にもなります(つづく)。
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