ぼっち
2023-06-01 | 番外
先週起こった凄惨な事件に関する記事で最近よく目にする言葉ですが、自分には思い当たることが多々あるので書いてみる気になりました。
高校入学から数ヶ月後、少し嫌な目に遭いました。(決して安くないものを盗まれました。)今思うにそれが切っ掛けで心を閉ざすようになったのかもしれません。翌年になると自分が完全に浮いているのを否が応でも認めざるを得なくなりました。休み時間にクラスのあちこちが人気テレビ番組や流行歌などの話題で盛り上がっていても「何が面白いんだろう?」と冷ややかな目で眺めるだけ。そのうちごく数人を除いて誰とも口を利かなくなりました。そういえば月一の席替えの日のこと、級長が私の姓を捩って黒板に「ブキミ」と書いたことがありました。(大学院生時代にその話を研究室の後輩にしたら「それってイジメじゃないんですか?」と訊かれました。しかし、校則がルーズな割に非行やイジメとは (私が知る限り) 無縁の高校だったこともあり、当時の自分にも、おそらく笑いを取ろうとしてそう書いた級長にもそのような意識は全くなかったはず。彼を恨む気持ちは一度たりとも抱いたことはなく、ただクソしょーもない奴と思っただけです。)ついでに高2の修学旅行時の思い出ですが、私ともう一人だけが宿で観ていたテレビ番組(NHK教育の数学講座)の解説に何度も笑い転げるということもあったっけ。(そして周囲はポカンとしていました。)ちなみに後で判ったことには、その男は関東の地方国立大学で私と同じ職業に就いていました。
親元を離れて大学に入った後も周囲との埋めがたい溝の深さを意識する毎日。必要のある場合を除いて会話するのは片手の指以下の人数でした。昼食はいつも学食で一人。それがいつしか生協の惣菜パンを空っぽの講義室で食べるようになり、研究室に配属された4年目からは自炊の弁当を持参するようになりました。それでも中退するどころか博士課程まで終えることができたのは、許容量を超えるほど不快な目に遭わずに済んだこと and/or 自分の鈍感力のお陰だろうと思っています。
そんな自分ゆえ、40代早々には「おひとりさま」で一生を終えるだろうと私は確信していました。その読みが外れて(注)、というか縁あって外国人女性のパートナーを得ましたので、「神が決めたその日」まで二人一緒に暮らすことになります。(注:たぶん大昔の日記に書いていたはずですが、上野千鶴子の本でも買ってそろそろその準備でも始めようかと考えていた矢先にLindaと知り合ったのでした。)けれど鬱陶しくて仕方がない親戚付き合いや近所付き合いは最小限にとどめたい。(ただし義務感を伴うものや、自治会役員のように誰かが引き受けなければならないし、早かれ遅かれいつか回ってくるものは別です。受けた以上手抜きはしません。)いつの日かチャンスがあればそういうのに一切煩わされに済む所へ移り住みたいとまで考えています。
一方、職場の環境は恵まれているでしょうね。大学教員は基本的に個人事業主でお互い不干渉だし、同僚は個性の立った人揃いなので、余計な気配りとか本音と建前の使い分けなどで悩んだりする必要もない。自分で嫌気が差したら別ですが、定年前にストレスで辞めることはまずないです。あと趣味が同じ人との交わりは本当にいいですね。時間を忘れて話し込むことも度々でした。最近はコロナでご無沙汰ですし、NFL(アメフト)とか詰将棋ともなれば近くに同好の士を見つけることも容易ではありませんが(苦笑)。
・・・・などど結局グダグダ書くだけに終わった感もありますが、今改めて私が幸いだったと思うのは、一人でいる時間が圧倒的に多かったにせよ、それに全く苦痛を感じない人間だったということです。(本やパズルの類があれば決して退屈しませんからね。)これもどこかに書いているかもしれませんが、「一人」と「孤独」はあくまで別物です。一人の時に孤独感はなく、私にとって孤独はむしろ大勢の中で感じる(人が多ければ多いほど増す)ものでした。
高校入学から数ヶ月後、少し嫌な目に遭いました。(決して安くないものを盗まれました。)今思うにそれが切っ掛けで心を閉ざすようになったのかもしれません。翌年になると自分が完全に浮いているのを否が応でも認めざるを得なくなりました。休み時間にクラスのあちこちが人気テレビ番組や流行歌などの話題で盛り上がっていても「何が面白いんだろう?」と冷ややかな目で眺めるだけ。そのうちごく数人を除いて誰とも口を利かなくなりました。そういえば月一の席替えの日のこと、級長が私の姓を捩って黒板に「ブキミ」と書いたことがありました。(大学院生時代にその話を研究室の後輩にしたら「それってイジメじゃないんですか?」と訊かれました。しかし、校則がルーズな割に非行やイジメとは (私が知る限り) 無縁の高校だったこともあり、当時の自分にも、おそらく笑いを取ろうとしてそう書いた級長にもそのような意識は全くなかったはず。彼を恨む気持ちは一度たりとも抱いたことはなく、ただクソしょーもない奴と思っただけです。)ついでに高2の修学旅行時の思い出ですが、私ともう一人だけが宿で観ていたテレビ番組(NHK教育の数学講座)の解説に何度も笑い転げるということもあったっけ。(そして周囲はポカンとしていました。)ちなみに後で判ったことには、その男は関東の地方国立大学で私と同じ職業に就いていました。
親元を離れて大学に入った後も周囲との埋めがたい溝の深さを意識する毎日。必要のある場合を除いて会話するのは片手の指以下の人数でした。昼食はいつも学食で一人。それがいつしか生協の惣菜パンを空っぽの講義室で食べるようになり、研究室に配属された4年目からは自炊の弁当を持参するようになりました。それでも中退するどころか博士課程まで終えることができたのは、許容量を超えるほど不快な目に遭わずに済んだこと and/or 自分の鈍感力のお陰だろうと思っています。
そんな自分ゆえ、40代早々には「おひとりさま」で一生を終えるだろうと私は確信していました。その読みが外れて(注)、というか縁あって外国人女性のパートナーを得ましたので、「神が決めたその日」まで二人一緒に暮らすことになります。(注:たぶん大昔の日記に書いていたはずですが、上野千鶴子の本でも買ってそろそろその準備でも始めようかと考えていた矢先にLindaと知り合ったのでした。)けれど鬱陶しくて仕方がない親戚付き合いや近所付き合いは最小限にとどめたい。(ただし義務感を伴うものや、自治会役員のように誰かが引き受けなければならないし、早かれ遅かれいつか回ってくるものは別です。受けた以上手抜きはしません。)いつの日かチャンスがあればそういうのに一切煩わされに済む所へ移り住みたいとまで考えています。
一方、職場の環境は恵まれているでしょうね。大学教員は基本的に個人事業主でお互い不干渉だし、同僚は個性の立った人揃いなので、余計な気配りとか本音と建前の使い分けなどで悩んだりする必要もない。自分で嫌気が差したら別ですが、定年前にストレスで辞めることはまずないです。あと趣味が同じ人との交わりは本当にいいですね。時間を忘れて話し込むことも度々でした。最近はコロナでご無沙汰ですし、NFL(アメフト)とか詰将棋ともなれば近くに同好の士を見つけることも容易ではありませんが(苦笑)。
・・・・などど結局グダグダ書くだけに終わった感もありますが、今改めて私が幸いだったと思うのは、一人でいる時間が圧倒的に多かったにせよ、それに全く苦痛を感じない人間だったということです。(本やパズルの類があれば決して退屈しませんからね。)これもどこかに書いているかもしれませんが、「一人」と「孤独」はあくまで別物です。一人の時に孤独感はなく、私にとって孤独はむしろ大勢の中で感じる(人が多ければ多いほど増す)ものでした。