軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ポール・ジャクレーと蝶

2021-10-08 00:00:00 | 
 しばらく前から奥歯の調子が悪く、治療しなければと思いつつ、夏の間はショップを休まず開いていたこともあり、なかなか歯科医に行くことができなかった。

 9月になり繁忙期も過ぎてようやく時間がとれるようになったので、かかりつけの歯科医の予約をとり見てもらえることになった。

 ずいぶん前に治療をしてあった奥歯だが、歯根が虫歯になっているようで、先生はいつもの調子でブツブツと治療の難しさを耳元でつぶやいている。

 こちらは、もう諦めの気持ちになっているので、どのような治療になっても仕方ないと思っているが、何とか抜かない方向での治療をしていただけるようである。

 この日の治療が終わり、待合室で待っている間に、いつものように受付にいる奥様とあれこれ雑談をしていたが、その時、「ポール・ジャクレー」の版画展に行きましたかと尋ねられた。

 軽井沢町追分宿郷土館でポール・ジャクレーの版画展が開催されていることは、ポスターなどで知っていたが、8月1日から始まっているこの版画展は、繁忙期でショップを休まず開いている時期と重なっていたこともあり、また特別深い関心があったわけでもなかったので、ショップの定休日が復活している9月になってからもまだ見に行っていなかった。

 奥様の話では、版画はもちろん素晴らしいが、ポール・ジャクレーは蝶のコレクターでもあり、かなりのコレクションを持っていたとのことであった。奥様はかねて、このブログを見ていただいているので、私達夫婦がチョウ好きであることをご存じであった。

 2枚あるからと、いただいたこの版画展のパンフレットを帰宅後に見てみたが、次のような記述があるだけで、この中には蝶に関する内容は特にみあたらない。

 「フランス人浮世絵師とも言われたポール・ジャクレーは、1896(明治29)年、パリに生まれました。父親の仕事の都合で3歳の時に来日して以来、没するまで日本で暮らし、日本の文化と風土を深く愛しました。
 ジャクレーは、日本各地に加えて南洋の島々や朝鮮半島などを旅し、そこに住む人々に目を向け取材し、江戸時代以来の浮世絵版画の技法に基づく緻密で色彩豊かな作品を生み出しました。
 戦時中の1944(昭和19)年、ジャクレーは疎開のため軽井沢で暮らすようになりました。戦後も東京に戻ることなく、軽井沢にアトリエを構え、ここで多くの作品を制作し、1960(昭和35)年、64年の生涯を閉じました。
 本展では、ポール・ジャクレー没後60年を記念して、国内では初めて、ポール・ジャクレー全木版画162点を2期に分けて紹介します。また、写真・書簡・遺愛品などの資料により、軽井沢での生活や創作の様子なども併せてご覧いただきます。・・・」

ポール・ジャクレー全木版画展のパンフレット(表)

ポール・ジャクレー全木版画展のパンフレット(裏)

 ただ、よく見ると、このパンフレットの表に採り上げられている版画の題名は「馬の鈴草、トンダノ、セレベス島」とあり、なるほどポール・ジャクレーが蝶に興味を持っていたことを窺わせる。

 ウマノスズクサは日本ではジャコウアゲハの食草として、アジア各地でも多くのアゲハチョウ類の食草として知られている。

 展覧会に行けばもっと詳しい情報が得られるであろうと考え、次の定休日には佐久方面に出かける用があったので、妻と相談して、途中追分宿に立ち寄り、この「ポール・ジャクレー全木版画展」を見に行くことにした。

「ポール・ジャクレー全木版画展」の会場軽井沢町追分宿郷土館(2021.9.29 撮影)

追分宿郷土館の入り口(2021.9.29 撮影)
 
 追分宿郷土館に着いて、版画作品を楽しみながら展示会場内を一回りしたが、展示されているのは、版画作品の他には、版木、写真・書簡・遺愛品などの品々で、お目当てのチョウに関する品は全くなく、解説パネルなどを見てもそれらしい記述は見当たらない。

 帰り際に、これも何か蝶に関する情報が得られるのではと思い、10月2日にイベントとして予定されている「教養講座」「フランス人浮世絵師ポール・ジャクレーと軽井沢」の聴講を館員さんにお願いしたが、残念なことにすでに満員であった。

 10月17日に追加講演があり、こちらはまだ余裕があると教えていただいた。この追加講演は元は8月1日に予定されていたのだが、コロナの関係で一旦は中止になっていた日仏交流史研究家のクリスチャン・ポラック氏による基調講演で、「ポール・ジャクレーと軽井沢」と題するシンポジウムの中のものである。

 この講演への参加申し込みを行い、展覧会の図録を購入して追分郷土館を後にしたが、この図録に収録されている文章を読んでいて、ポール・ジャクレーの蝶コレクションに関する記述を数か所、それとチョウ標本と一緒に写っているポール・ジャクレーの写真を2点見つけることができた。次のようである。
 
 「・・・戦時中の1944(昭和19)年、ジャクレーは疎開のため軽井沢で暮らすようになりました。・・・蝶のコレクターとしても知られるジャクレーは、虫取り網を持って森を歩き、また文化人・芸術家や地元の人たちとの交流を深めました。・・・(『ごあいさつ』から)」

 「・・・夏には、ニッコウキスゲ、ヤマユリなどは野原や別荘の庭などどこにでも咲いており、ユリの好きなポール・ジャクレーは庭にも沢山植えて楽しんでいました。オダマキ、スズラン、スミレ、キキョウなどの野草や、ツツジ、シャクナゲ、山桜などの花木も多く、花に集まるアゲハ蝶などを採集することもありました。蝶と言えば30,000点を超えるコレクションを持っており、書斎の壁面を埋める標本箱に囲まれ、しばしは眺めて楽しむのが憩いの一時であったかと思います。
 南米やニューギニアなどに産する、モルファ、アグリアス、鳥に間違えられる程の大きなアレキサンドリア、トリバネアゲハなどの希少種も、採集を職業としている人と文通、交渉しながら収集していました。トリバネアゲハなどは作品の背景にも描かれています。軽井沢の地元の蝶では、アサマモンキ蝶、スミナガシ、アサギマダラ、ミドリヒョウモン、ミヤマカラスアゲハ、ミドリシジミ、コムラサキ、ウスバシロ蝶などが集められていましたし、またオオミズアオやアケビコノハなど蛾の標本も収集されていました。・・・(『ポール・ジャクレーと軽井沢』羅 智靖から)」

 「ジャクレーは少年時代から浮世絵の収集を続け、1920年には浮世絵番付の『前頭』として登場するほどであったが、1929年最初の南洋旅行以降は、世界の蝶を集めることに熱中する。そのコレクションは3万点となり、ジャクレーの没後、大阪市立自然史博物館に収蔵されている。蝶の標本を精緻に描いたデッサンがある他、蝶はしばしばジャクレー作品に登場している。蝶の羽の美しい色彩は、水彩画や木版画を制作する際にインスピレーション源ともなったと思われる。・・・(『フランス人浮世絵師ポール・ジャクレーと軽井沢』 猿渡 紀代子から)」

 「・・・『ベランダに出てみると、捕虫網をつけた棒を手にしてニコニコしながらジャコレーさんが立っていた。『いまごろちょうちょうがでているんですか』『一週間前から出てきましたよ』という話であった。春とはいっても、軽井沢ではまだあちらこちらに冬の根雪が残っているのに、もう蝶がとんでいるとは知らなかった。『いま黄タテハをそこで一匹捕りました』という。(高原の四季 幅 北光著)』
 ・・・ジャクレーは蝶の蒐集家としても知られ、当館所蔵の幅の自筆原稿『版画芸術家ポール・ジャコレー(二)によれば、『自分のアトリエの隣に一室と、玄関の左側の大きな一室を蝶の部屋としてざっと三十万匹を数える蝶を種属別に区分して整理していた』という。・・・(ポール・ジャクレーと幅北光との軽井沢での交流 大藤 敏行 軽井沢高原文庫副館長)」

写真1:羅 永漢と 42歳(1938年)
写真2:蝶のコレクションとともに 軽井沢 56歳(1952年)
   
 これらの内容から、ポール・ジャクレーが軽井沢在住中に蝶の採集を行っていたことがわかるが、それにも増して世界の蝶標本を採集業者から手に入れていて、その数が3万点にも及んでいたことは驚きである。世界の蝶の種数は現在約1万6000種とされているので、コレクションの数の多さが実感される。また、そのコレクションは現在、大阪市立自然史博物館に収蔵されているという。

 この図録には、前期・後期の2回に分けて行われた展覧会の全版画162点のうち、53点が収録されているが、その中で蝶が描かれている作品は次の2点である。

61 蝶、南洋 トリバネアゲハ、オオゴマダラ
79 仙人掌(サボテン)、南洋 トリバネアゲハ

 ところで、ポール・ジャクレーコレクションが収蔵されているという大阪市立自然史博物館といえば、私も蝶の展示を見に行ったことがあり、ブログでも紹介したことがある(2017.8.11 公開当ブログ)。


大阪市立自然史博物館の入り口(2017.7.19 撮影)  

 ここの展示品に、「所変われば・・・世界の蝶」として、多くの蝶が世界地図上に展示されていたが、この中にポール・ジャクレー所蔵の標本が含まれていたのだろうか。

所変われば・・・世界の蝶 1/2(2017.7.19 撮影)

所変われば・・・世界の蝶 2/2(2017.7.19 撮影)


同、部分拡大(2017.7.19 撮影) 

 それとも、ポール・ジャクレー・コレクションは特別な扱いを受けて保管され、あるいは展示されているのだろうか。

 大阪市立自然史博物館のHPを見て、「収蔵標本」→「昆虫研究室」→「特色のあるコレクション」とクリックしていくと、「ポール・ジャクレーチョウ類コレクション」に行き着く。ここをクリックすると、3頭のウスバシロチョウの写真と共に、「有名な版画家のポール・ジャクレーが収集したコレクション。当館のチョウ類コレクションの基本となったもの。」との説明文が見られるが、それ以上の情報は得られない。

 「特色のあるコレクション」に戻ると、ここには24項目のコレクション名が記されていて、その中には「ポール・ジャクレーチョウ類コレクション」の他にも、
・チョウ類基本コレクション(ポール・ジャクレーコレクションを含む) 
・岡村宏一チョウ・甲虫類コレクション
・住吉薫チョウ類コレクション
・小路嘉明チョウ類コレクション
・加藤信一郎チョウ類コレクション
といった多くのチョウ類のコレクション名を見ることができる。これらはチョウ類の収集家が寄贈したものではないかと思われるが、逆にこうした多くのコレクションに埋もれてしまい、ポール・ジャクレーのコレクションは収蔵庫に眠っているようであり、どのような内容のコレクションか、やはり確認はできない。

 そんなことを考えながらさらにネットを検索していて、興味深いブログに出会った。
 「大阪市立自然史博物館、ポール・ジャクレーのアレキサンドラトリバネアゲハ - 旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー」(2017.11.1 公開)
である。

 これは、この大阪市立自然史博物館の関係者のもので、ポール・ジャクレーのコレクションについて書かれていた。一部引用させていただくと次のようである。

 「・・・フランス人ポール・ジャクレー(1896~1960)は1899年以来、両親と共に日本に住み、版画家として名を成した人ですが、蝶のコレクションにも熱心に励んでいました。太平洋戦争後の日本と言えばまだまだ経済的に恵まれない時代でしたが、そのさなかにドイツのスタウディンガー&ハンクス商会に、アレキサンドラトリバネが入荷して、3ペアが日本に来ました。
 1ペアは後に国立がんセンター研究所初代所長となる中原和郎氏が入手、後に国立科学博物館動物研究部長になり、国の天然記念物であるヤンバルテナガコガネを新種記載した黒澤良彦氏と共に著した「世界の蝶」(1958年北隆館発行)に掲載され・・・僕もこの本を買い、むさぼるように読み、海外の蝶へのあこがれを募らせたものです。この1ペアは国立科学博物館に入ったけれども、今や朽ちて見る影もないと言われています。
 次の1ペアは先祖伝来の土地を売った資金で大阪の田中龍三なる人が買いました。この標本を専門は蚤の研究ですが、蝶に造詣が深い京大教授阪口浩平氏が引き取り、彼の死後、他の標本と共に阪口コレクションとして三田市にある「兵庫県立人と自然の博物館」に入ったはずですが、田中龍三氏のアレキサンドラは見当たらないと言われています。
 3番目のペアは前述のポール・ジャクレーが購入し、ジャクレー亡きあと大阪市立自然史博物館がジャクレーの他の標本と共に一括してポール・ジャクレーコレクションとして購入しています。
 1番目、2番目の標本はこのようにして、現在無きに等しいことがわかっていますが、大阪市立自然史博の3番目のアレキサンドラの現状は果たしてどうなっているのだろうか?標本の探索は自然史博外来研究員の僕に突き付けられた課題に思えました。・・・
 
 何ヵ月かをかけましたが、結局1階では見つからなくて、2階に挑戦せざるを得ませんでした。何回かの探索の後キャビネットの前の通路に他の標本箱が高く積まれている場所に来ました。「ああっ、これを動かさないと見られない。もうやめとこか」と思ったのですが、ここまで頑張ったのに・・・との思いと「虫(蝶)の知らせ!?」を感じて、定温に保たれて涼しいはずの特別収蔵庫で汗をかきかき標本箱を移動させました。
 後ろに隠れていたキャビネットの標本箱を一つ一つ疲れた身体で期待を抱きながら覗き込んでいきました。「ヤッタア!」ついに探し当てました。他の2ペアと違って、たぶん当時の姿のままで無事保管されているのを確認しました。整理されていなかったのは少し残念でしたが、大阪市民の税金を無駄にしていなかったこの大阪市立自然史博物館を誇りに思った瞬間でした。
 下に掲げた2枚の画像がまぎれもないジャクレーの貴重なです。」

 アレキサンドラトリバネを発見した時の様子が詳細に綴られていて、コレクションが大切に管理されていることが窺える。ただ、この文章からも、ポール・ジャクレーの蝶コレクションはこうした希少な種を含んでいるものの、特別な扱いは受けておらず、まとまった展示もなされていないと推察される。
 この文章の後には、この希少なアレキサンドラトリバネアゲハのペアの写真が示されている。

 こうして、ポール・ジャクレーコレクションにまつわる話はおおよそ理解できたのであった。

 ここまでの原稿を書き終えた10月1日、軽井沢町の広報誌「広報かるいざわ」が新聞と共に自宅に届いた。

 その表紙には軽井沢でのポール・ジャクレーの写真が大きく掲げられ、続くP2・3には「特集 フランス人浮世絵師ポール・ジャクレー」が掲載されていて、展覧会の図録でも見られた、チョウ標本を前にしたポール・ジャクレーの写真も掲載されていた。

広報かるいざわ 2021年10月号表紙

広報かるいざわ 2021年10月号P2

 





 





 

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