軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

区会活動

2024-12-13 00:00:00 | 日記
 私の住んでいる区に新しく公民館(新公民館)が建設され、昨日12月12日にその落成式が、町長はじめ町の関係者、設計・建設業者、区の公民館建設準備委員会メンバーと区の執行役員が参加して行われた。

 これまでの公民館(旧公民館)の歩んできた歴史については、以前当ブログでも紹介したことがあるが(2022年4月15日公開)、はじめ病院として建設され、その後病院機能の移転に伴い、建物の公民館としての利用が始まった。1975年に、それまでの公民からの引っ越しが行われ利用が始まり、その後建物の改修工事があり現在の形になって、開館式が行われたのは1979年のことであった。以来約45年にわたり地域の活動の拠点として利用されてきた。

 先月末、新公民館への引っ越し作業を行う中で、様々な古い資料も見つかった。何しろ、元病院ということで2階建ての建物であったのでとても広い。新公民館と比べると延べ床面積では2倍以上もある。収納スペースもたくさんあり、2階部分は最近では使うこともほとんど無く、部屋にはいろんな古い資料が眠っていた。

 その中に「530運動写真集」と題したスクラップブックがあり、ここには当時の写真や新聞記事、会議・回覧資料などが貼り付けられていた。

 そのなかのひとつ、中日新聞 56.5.17日付と付記された新聞記事を見ると、次のように書かれていて、この運動が昭和55(1980)年に始まっていたことがわかる。


軽井沢町での530運動の再開を報じる中日新聞、昭和56(1981)年5月17日掲載の記事

 「530運動再開 軽井沢町
 ごみのない街づくりをめざす北佐久郡軽井沢町は、昨年から530(ごみゼロ)運動を繰り広げているが、十六日から同運動を再開した。
 この運動は同町自治会三十区が中心になって行っているが、冬の間は雪があったことから運動を中断していた。この日は町内から約千人が参加し、午前六時ごろから一時間余にわたり各区ごとに道路や河川の清掃をした。一時間余の作業で、トラック十台分のごみが集まり、町は見違えるほどきれいになった。
 同町では今後、毎月十五日に清掃を続けるが、ことしは清掃作業のほかに町民の意識高揚を図るため530運動の標語、作文の募集や写真展などを計画している。また、同町の別荘地を訪れる別荘客らに同運動への参加、協力も呼びかけていく考えだ。【写真は530(ごみゼロ)運動で朝早くから道路などを清掃する町民ら=旧軽井沢で】 」

 ところでこの530運動とは一体どのようなものだろうか。ウィキペディアで調べると次のように記されている。

 「530運動(ごみぜろうんどう)とは、5月30日(語呂合わせ)に、街中のゴミを拾い歩く運動で、1975年(昭和50年)に愛知県豊橋市が始め、全国に広がった運動とされている。(ウィキペディア)」

 これを見ると、愛知県豊橋市で1975年に始まった運動が、長野県にも伝わり、当地軽井沢町では5年後の1980年に運動が開始されている。

 豊橋市でこの運動が始まったきっかけは、観光客など来訪者が増すにつれ、空き缶などゴミの散乱が目に付くようになってきたからとされる。

 軽井沢での運動は町全体の取り組みであるが、特に旧軽井沢区では銀座通り商店街を抱えており、さらに区内には矢ケ崎川と精進場川の2つの一級河川が流れていて、こうした場所でのごみ散乱が美観だけではなく防災面でも問題視され、区民の意識も高く、運動が進められると共に、「軽井沢530ニュース」も発刊されるようになった。



昭和57(1982)年7月1日発行の「軽井沢530ニュース」

 この「軽井沢530ニュース」のトップには、当時の旧軽井沢区の小林正直区長の次のような記事が掲載されている。

 「530運動三年目を迎えて
 去る五月三十日は関東各県が中心となって、空きカン収集などいわゆる530運動が展開されました。
 当地でも県境の碓氷トンネル頂上付近と、国道十八号線の町境追分付近の清掃運動が実施されました。
 このように関東一都九県の知事会がゴミの投げ捨て防止を呼びかけるとともに、散乱しているゴミの収集運動に取組むということはやはりみんなの力で私達の環境を美しくしようとする強い心の現れであると思います。ゴミのなげ捨てを法律で厳しく取締って効果を上げている国もあるそうですが、取締られるまでもなく文明社会人のモラルとしてゴミの投げすては自らが慎まねばならないことです。ゴミを拾う身になってみるととても投げすてが出来ないものです。
 当区では三月から十一月までの間毎月十五日朝六時から一時間位、区民の全世帯が総出勤で530運動を実施しておりますが、道路等をいつもきれいにしておくと、投げすても少なくなるようです。併し心ない外来者の一部の人達は気にもとめず平気でゴミの投げすてがまだまだ続いていますが、関東一円の運動だけでなく全国的にこの運動を強く進めたいものです。・・・
 旧道の商店街道路等は夜間のおびただしいゴミの散乱が目につきますが、朝はいつもきれいに掃除されています。毎朝自分の家の前の道路だけでなく、他人の家の前まで清掃奉仕する人の数が増えつつあることは本当に頭の下がる思いがいたします。今年もいよいよ最盛期を迎える季節となりましたが、この運動を通じて、私達の大切な環境が一層美しく保たれますよう一層のご協力をお願い申し上げます。
                               旧軽井沢区長 小林正直」

 そして、全国の530運動のテーマソングだろうか次のような歌詞が作られ、曲もつけられていることがわかる。


530運動の歌詞(作詞 神村民雄、作曲 神村みゆき)

 旧軽井沢区でも独自のテーマソングをめざしたのだろうか、歌詞が作られている。この作詞者の名前は、土屋三郎となっているが、当時の旧軽井沢区の役員の中にはこの方の名前は見当たらないので、作詞の才のある方に依頼したものだろうか。 


旧軽井沢区の530運動の歌詞(作詞 土屋三郎)

 いまでは考えにくいが、当時の日本では、多かれ少なかれ各地のゴミ捨ての状況は似たようなもので、全国的にこのような清掃運動が必要な背景があったものと思われる。

 では、現在はどうかというと、当地区ではつい先ごろまで4月から11月までの毎月の15日には、朝6時30分から自宅周辺や自宅近くの幹線道路の清掃活動を推進していて、前日には区内で放送がされ、意識づけも行われていた。また、当日には530衛生部の部長が区域内を音楽を流しながら車で巡回していた。

 しかし、清掃意識が定着し、ゴミのポイ捨てはなくなり、ゴミ出しについてもルールが守られるようになってきたことから、自然消滅する形で530活動が行われなくなっていることが確認され、区会役員会でこの活動を終了することが決まった。聞くところによると、軽井沢町内でも早朝清掃活動を継続してきたのは当区だけであり、その中でも私の住んでいる班だけであったという。

 一方、530運動の一部として始まった、河床整備は続けられていて、春・秋年2回の河川と周辺の雑草の刈り取りや樹木の伐採を行っている。これは美観を守るためでもあるが、洪水防止という防災面が主目的になっている。

 ところで、昭和55(1980)年に始まり、今年まで40年以上の長きにわたり継続されてきた530運動の早朝清掃であるが、私が区会活動に参加するきっかけになったのは、この早朝清掃でご近所の方に誘われたからであった。

 それから数えて今年で6年目になる。おかげで近隣だけではなく、多くの区民の方々と行動を共にする機会が増え、知己も増えた。

 自宅周辺の清掃運動はなくなったが、やはり軽井沢は観光地であり、多くの観光客が訪れる場所の中には住民の手の届かない場所も多くある。こうしたところにも改めて目を向けて、清掃活動を行うとともに、現在も行っている河床整備など防災につながる活動は今後も継続しなければならないと、古い資料を見ながら考えるのである。

 

 

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