国技化するポゼッション率至上主義
日本では専門のサッカー雑誌でさえ、「試合を支配できない時間帯」「押し込まれる時間帯」などという表現を使い、それが悪いことのように書いている。
だが前者については、意図的に相手にボールを持たせてカウンターを狙う戦術はあるし、後者についてもわざとリトリートして低い位置にブロックを作って戦う戦術はある。
にもかかわらず日本のメディアはいつまでたっても、「試合を支配する」「相手を押し込む」ことが絶対的な善であるかのような報道をしている。つまり彼らにとっては、いまだに「ポゼッションこそが正義」なのだ。
だがポゼッションとカウンターは、どっちがいい悪いの問題ではない。どんな戦い方を選択するか? のポリシーの違いでしかない。しかも現代サッカーでは、同じチームが当然両者を兼備していなければいけない。
とすれば日本人はこの相反する二元論に対する認識を変える必要があるが……西野ジャパンの攻撃サッカーが躍進したおかげで、またぞろ日本では相変わらずのポゼッション率至上主義がはびこるのだろう。
やれやれ。
日本では専門のサッカー雑誌でさえ、「試合を支配できない時間帯」「押し込まれる時間帯」などという表現を使い、それが悪いことのように書いている。
だが前者については、意図的に相手にボールを持たせてカウンターを狙う戦術はあるし、後者についてもわざとリトリートして低い位置にブロックを作って戦う戦術はある。
にもかかわらず日本のメディアはいつまでたっても、「試合を支配する」「相手を押し込む」ことが絶対的な善であるかのような報道をしている。つまり彼らにとっては、いまだに「ポゼッションこそが正義」なのだ。
だがポゼッションとカウンターは、どっちがいい悪いの問題ではない。どんな戦い方を選択するか? のポリシーの違いでしかない。しかも現代サッカーでは、同じチームが当然両者を兼備していなければいけない。
とすれば日本人はこの相反する二元論に対する認識を変える必要があるが……西野ジャパンの攻撃サッカーが躍進したおかげで、またぞろ日本では相変わらずのポゼッション率至上主義がはびこるのだろう。
やれやれ。