すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【森保ジャパン】まず選手の個性ありきのシステムであるべきだ

2018-08-04 06:58:34 | サッカー戦術論
3-4-2-1は既定路線なのか?

 森保ジャパンではあたかも3-4-2-1が既定路線であるかのように言われている。また日本人は「選手をシステムに当てはめる」失敗を繰り返すのだろうか?

 いったいハリルジャパンで日本人は何を学んだのか? 監督が考える戦術やシステムという鋳型にハメ込むように、選手の個性と異なるプレイスタイルを強いるゲームモデル作りの限界を我々はハリルに見たのではなかったか?

 例えばヨーロッパの最前線では、相手チームのビルドアップをいかに制限するか? が焦点になっている。とすればロシアW杯で香川がやっていたような中間ポジションを取りながらの前からのプレッシングが不可欠になる。

 では3-4-2-1でそれをどう実現するのか? なんだか順番が逆になっているような感じがする。前からのプレッシングが前提ならどんなシステムがいいのか? と考えるのが正しい順番だろう。

代表監督はセレクター型が望ましい

 監督という生き物は2種類いる。フィロソフィ型とセレクター型だ。

 前者は監督の頭の中にあるフィロソフィ(サッカー哲学)を体現する戦術やシステムがまず先にあり、それに合う選手をあとから選んで行く(または育てる)。

 他方、後者は上から順に能力の優れた選手をまずセレクトし(選び)、集めた彼らに合う戦術やシステムは何か? をあとから考えるタイプだ。

 そもそも代表チームはクラブチームと違い、選手を育てる場ではない。監督の頭の中に存在するフィロソフィに合う選手をじっくり育てる、などということはできない。

 同時に代表チームで監督のフィロソフィに当てはまる選手ばかりを選んでしまうと、「この選手の能力は日本でトップだが監督の戦術に合わないから選ばない」などという矛盾が起きる。

 せっかく日本人という広い範囲から自由に選手を選べるのに、監督のフィロソフィに合わないから選ばないなどというのは大きな機会損失だ。

 となれば代表チームはすでに完成されているベストな選手をセレクトし、あくまで彼らを組み合わせる場だということになる。

 ならば代表監督は自分が理想とする戦術やシステムに選手を無理やり当てはめるフィロソフィ型でなく、優れた選手をまず選び、じゃあ彼らを生かす戦術やシステムは何なのか? を考えるセレクター型の監督が望ましいのではないか?

 とはいえ監督はすでに決まっている以上、いま在任する監督にセレクター型のチーム作りをしてもらう以外にない。

 そんなわけで森保ジャパンでは3-4-2-1がすでに決まったことであるかのような今の世論は、議論が逆立ちしていると言わざるを得ない。また日本は同じあやまちを繰り返すのか? という感じがしてならない。

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