なんかムカつくんだよなあ、mixiって(笑)。いや自分で入っていながらいうのもナンだけどさ。てか、もうすっかり飽きてぜんぜんいじってないし、「やめようかなあ」みたいな今日このごろだ。
私はなぜそんなふうに思うのか?
まず第一に感じるのは、そもそも私はmixiのコンセプトにまるで適合しない人間だってことだ。mixiって、内輪だけで閉じられたコミュニケーションをするための道具だよね? 基本的に。
で、なにがいちばんムカつくかっていうと……。
たとえばmixiでは足跡が残る。んで、私のところに足跡が残ってるからと思って、その人のところにアクセスしてみると……。
「この日記は友だち以外には公開していません」
みたいな画面が出ることあるでしょ? つまりその人は自分の日記にアクセス制限かけてるわけよ。
この「進入禁止」みたいな画面を突きつけられたとたん、なんか「ムカーッ」とするんだよねえ(笑) 自分でもよくわからないんだけど、この気持ち。うーん、あえて説明すると……。
あなたは私のところにアクセスして私の日記を見てるのに、私にゃ日記を読ませないわけ? みたいなことかなあ。
これってどう? 私と同じように違和感おぼえてる人っていない?
いや別に「その人の日記がどうしても読みたい」とか、そんな話じゃぜんぜんないんだけどさ。ただなんか向こうはこっちに対して自由自在にアクセスできるのに、「あんたは自分を公開しないのかよ?」って心理かなあ。相手は万能の力をもってるのに、こっちだけが権利を制限されてるみたいなイヤな感じっていうか。うまくいえないや、やっぱ。だれか代わりに説明してよ(笑)
そもそもインターネットの精神って、すべての人に情報を公開し、また逆にすべての人から公開してもらう、みたいなことじゃない? つまりオープンな場所だってことね。で、せっかくそういう開かれたインターネット上にいるのに、わざわざ自分から閉じてどうする? って感じがするんだわ。
もちろん「同じ価値観を共有してる人だけとコミュニケーションしたい」とか、「特に親しい人たちとだけ」、「仕事関係のグループ内だけで」やり取りしたい、ってニーズや心理はわかるんだけどね。
でもなんか私の皮膚感覚としては、そういう「身内だけコミュニケーション」な人たちと同じ空間を共有したくないなあ、って感じがするんだよねえ。なんとなく。で、もうやめようかなあ、と思ってるわけなんだけど(笑)。
それで思い出したのは、チャットについてだ。
たとえばチャットって、いわゆる常連だけで仲よく固まってる閉鎖的な部屋があるじゃない? 初めての人が入室してきてもあいさつさえしない、みたいな部屋。私の場合、ああいうコミュニケーションのしかたって基本的にきらいなんだよねえ。
私にとってインターネットって、「今度はいったいどんな見知らぬ人と出会うんだろう?」って感じの場だ。私は自分とはちがう価値観の人とどんどん知り合いたいし、むしろそういう人と話がしたいと思う。だからチャットではおハツの人ってすごく大切だと思う。
ところがチャットの常連部屋やら、mixiでアクセス制限かけてる人たちって、親しい身内だけでやりたいわけだよね。私から見るとそういうコミュニケーションのしかたって、なんだか排他的な気がしていい感じがしないんだ。
もちろんコミュニケーションに対する考え方は自由だし、そういう人たちの気持ちもわからないわけじゃない。なおかつ彼らがそうしたいなら、「そうできる権利」は守られるべきだと思う。
けど私はやっぱりチャットでは見知らぬおハツの人を大事にしたいし、シカトするようなまねはしたくない。他人を排除するような行為はどうも肌にあわない。
だから「身内だけコミュニケーション」な考えの人たちに文句をいうつもりはないけど、あんまり同じ空気は吸いたくないなあって感じがする(笑)。いや別に彼らに対して悪気があるわけじゃないし、うまくいえないんだけどさ。ソリがあわないってやつかなあ。
「同じ空気は吸いたくない」ってことは、逆にお前自身が彼らを排除してるじゃないか? ってツッコミはやめてね(笑)。それ以前に彼らは、自分から閉じてるわけだから。
みなさんはネットやってて、こんな違和感を感じる瞬間ないですか?
●追記/タイトルおよび文中のミクシーをmixiに変えた(2007-10/30)
私はなぜそんなふうに思うのか?
まず第一に感じるのは、そもそも私はmixiのコンセプトにまるで適合しない人間だってことだ。mixiって、内輪だけで閉じられたコミュニケーションをするための道具だよね? 基本的に。
で、なにがいちばんムカつくかっていうと……。
たとえばmixiでは足跡が残る。んで、私のところに足跡が残ってるからと思って、その人のところにアクセスしてみると……。
「この日記は友だち以外には公開していません」
みたいな画面が出ることあるでしょ? つまりその人は自分の日記にアクセス制限かけてるわけよ。
この「進入禁止」みたいな画面を突きつけられたとたん、なんか「ムカーッ」とするんだよねえ(笑) 自分でもよくわからないんだけど、この気持ち。うーん、あえて説明すると……。
あなたは私のところにアクセスして私の日記を見てるのに、私にゃ日記を読ませないわけ? みたいなことかなあ。
これってどう? 私と同じように違和感おぼえてる人っていない?
いや別に「その人の日記がどうしても読みたい」とか、そんな話じゃぜんぜんないんだけどさ。ただなんか向こうはこっちに対して自由自在にアクセスできるのに、「あんたは自分を公開しないのかよ?」って心理かなあ。相手は万能の力をもってるのに、こっちだけが権利を制限されてるみたいなイヤな感じっていうか。うまくいえないや、やっぱ。だれか代わりに説明してよ(笑)
そもそもインターネットの精神って、すべての人に情報を公開し、また逆にすべての人から公開してもらう、みたいなことじゃない? つまりオープンな場所だってことね。で、せっかくそういう開かれたインターネット上にいるのに、わざわざ自分から閉じてどうする? って感じがするんだわ。
もちろん「同じ価値観を共有してる人だけとコミュニケーションしたい」とか、「特に親しい人たちとだけ」、「仕事関係のグループ内だけで」やり取りしたい、ってニーズや心理はわかるんだけどね。
でもなんか私の皮膚感覚としては、そういう「身内だけコミュニケーション」な人たちと同じ空間を共有したくないなあ、って感じがするんだよねえ。なんとなく。で、もうやめようかなあ、と思ってるわけなんだけど(笑)。
それで思い出したのは、チャットについてだ。
たとえばチャットって、いわゆる常連だけで仲よく固まってる閉鎖的な部屋があるじゃない? 初めての人が入室してきてもあいさつさえしない、みたいな部屋。私の場合、ああいうコミュニケーションのしかたって基本的にきらいなんだよねえ。
私にとってインターネットって、「今度はいったいどんな見知らぬ人と出会うんだろう?」って感じの場だ。私は自分とはちがう価値観の人とどんどん知り合いたいし、むしろそういう人と話がしたいと思う。だからチャットではおハツの人ってすごく大切だと思う。
ところがチャットの常連部屋やら、mixiでアクセス制限かけてる人たちって、親しい身内だけでやりたいわけだよね。私から見るとそういうコミュニケーションのしかたって、なんだか排他的な気がしていい感じがしないんだ。
もちろんコミュニケーションに対する考え方は自由だし、そういう人たちの気持ちもわからないわけじゃない。なおかつ彼らがそうしたいなら、「そうできる権利」は守られるべきだと思う。
けど私はやっぱりチャットでは見知らぬおハツの人を大事にしたいし、シカトするようなまねはしたくない。他人を排除するような行為はどうも肌にあわない。
だから「身内だけコミュニケーション」な考えの人たちに文句をいうつもりはないけど、あんまり同じ空気は吸いたくないなあって感じがする(笑)。いや別に彼らに対して悪気があるわけじゃないし、うまくいえないんだけどさ。ソリがあわないってやつかなあ。
「同じ空気は吸いたくない」ってことは、逆にお前自身が彼らを排除してるじゃないか? ってツッコミはやめてね(笑)。それ以前に彼らは、自分から閉じてるわけだから。
みなさんはネットやってて、こんな違和感を感じる瞬間ないですか?
●追記/タイトルおよび文中のミクシーをmixiに変えた(2007-10/30)
なんだかわけわからん代物だ・・・
「ミクシ~??」
今朝の出金途中のこと・・・。メル友から「ミクシーに入りたいんだけど・・さんたはミクシー入ってる?」って・・・
メールがきた。
「なんじゃそれ?ピクミンの親戚か?」ってさんた・・・
そしたら・・・あーだこーだと返事かきて・・、
で・・早速検索しまくり~・・
最後にココに来ました。(^^)
不可解な感じだったので・・なんとなくすっきり・・・
寝よっと・・・おやすみなさい。
先日同窓会で、ミクシィの話になり、なんのこっちゃわからなかったので当然のように「ミクシー」でググッてみました。こちらのサイトが2番目にヒットして、覗いたのですが、「ミクシー」と間違ってよかった。おかげさまで、一気にミクシーの特性と問題点が理解できました。ありがとうございました。
利用したこともないので、きちんと理解できていない部分も多いと思われますが、大いに助かりました。
「開かれたインターネット」も、一般化する中で、いろんな人がいろんな目的で使う中で、さまざまな使われ方をするようになってきたんでしょうね。
私の主観では、ミクシィは、ある程度閉じられた世界を作ることにより、リアルな世界っぽくしてるんじゃないでしょうか。なんのしがらみもない自由な世界というのは、逆に居心地が悪い部分もありますから。
「開かれたインターネット」で、自ら閉じた世界を作らなくてもいいじゃんという考えもわかります。しかしながら、インターネットのもうひとつの特徴である多様性という側面から言えば、きれいなものも、汚いものも、ひっくるめてのインターネットなので、「違和感」という言葉自体がナンセンスだと思います。
要は、何でもありでええじゃないかと。
でも、日記が読めたとしても「外部のblogを利用されてます」ということで、完全に公開されているblogのURLが出るだけです。
完全に公開されている「日記」なんですが、閉じられた世界からのアクセスには、あえて制限を加えているわけです。
あなたは、誰でもアクセスしてあなたの日記を見せるようにしてないので、あなたにゃ日記を読ませない。。。のです。
んー、でんでんさんと私の間にも、ちがいがあるように感じますね。自分が足跡をたどって先方へ行き、アクセス制限がかかってたとき、でんでんさんは「自分の日記がそこでどんな書かれ方をしてるかわからない」から気持ち悪い、ってことですね? 私の場合はそうじゃなくて、エントリー中に書いた通りこっちはオープンに情報公開してるのに、先方はクローズドなのがなんかヘンな気分だ、ってことです。先方が私のことを「どう書いているか?」が気になる、とかいう意味じゃないんです。インターネットは開かれた世界である、っていう精神に共感するかどうか? みたいな話です。なんていうか、うまく説明できないのが困り物なんですが(笑)
>エントリーに書いたとおり、足跡をたどって行ってみたらアクセス制限日記だった、ってのはなんか違和感あります(笑)。
おっしゃる通りです。ボクのボキャブラリの無さを露呈してしまいました(^^ゞただ正直、彼ら(mixi)には意見を交わす事の意義を感じません。彼らのシステムはその扱う内容に関わらず、陰口と大して変わりませんからね(苦笑)。
はい了解です。
■Robさん
いま仕事明けのボケた頭なので、脳がいうことききません(笑)。下のほうでJEFFさんが書いてる意見に私は近いです。
■さなえさん
おひさです♪ でかい仕事はひと段落しましたが、昨日まで、その次にきた嵐にもまれてました(笑)。
>客観的に別のことを話していてもどうせ私なんてとすべて自分のこととしか受け止められない人もいるんですよね。
これにはふたつ理由があると思います。ひとつは、日本人が「客観的にものを考えるクセ」がついていないということですね。だからたとえば「私はAを支持する」と相手に言うと、「あなたはAが『好き』なんですね?」みたいな主観的な解釈に基づいた答えが返ってくる。逆に「あなたの考えは、私とここがこうちがう」と言えば、「オレを『非難』する気か?」「あなたはオレが『嫌い』なのか?」みたいな主観的な話になっちゃう。「感情」ってまさに主観そのものですからね。もうひとつは、「認知のゆがみ」が原因である可能性もあるんじゃないかということなんですが……そう言い切るのは危険なので保留にします(笑)。
>私の場合は、議論やブログは自分の意見を確認し、発展させることに使っているような気がします。議論しているうちに、書いているうちに自分ではっきり分かっていなかったことが分かってくるって快感です。
はい、私もまったく同じです。議論やブログをネガティブな方向でしか使えなかったり、解釈できないのはとてももったいないと思います。
■でんでんさん
こんにちは。「リンク元解析」って足跡のこと? それとも何か独自にアクセスログを取ってるとか? 私はアクセス記録を「気持ち悪い」とは別に思いませんが、エントリーに書いたとおり、足跡をたどって行ってみたらアクセス制限日記だった、ってのはなんか違和感あります(笑)。
■JEFFさん
私の考えを代弁してくれてどうもです(笑)。ただひとつ誤解があるのかな? と思ったのは、「それをBlogでやっちゃってる松岡さん」ってくだりです。私がブログを「エキサイティングだ」と感じるのは、別にレジュメとして使ってるからじゃないですよ?(笑) また逆に、私がミクシーを「エキサイティングじゃない」と感じるのは、「すでにブログをレジュメとして使ってるから」なんて理由じゃないです。レジュメと「それがエキサイティングであるかどうか?」は、ぜんぜん関係ないです。私がなぜブログをエキサイティングだと思うのか? については今までさんざん書いてきたので、おわかりだとは思いますが(笑)。
それではまた。
その辺りを誤読して「負け惜しみだ」って言う人がいそうですね、って言うコメントでした。
僕がそう感じているわけじゃないですよ(笑)
Robさんの意見を読んで思ったのですが
SNSって、居室化してしまったら、役に立たないのでは?
だって、自分のレジュメを載せて人脈を確立させるツールでしょ?
それをBlogでやっちゃってる松岡さんはmixiをエキサイティングなツールだと思わないのは当たり前と思ったりしてます。
自分を魅せるツールなのに、隠しちゃっている人が多すぎ。
日本的利用法なのかもしれないけど、そうしたら、SNSではなく、mixiっていうジャンルのサービスになっちゃう(前にどこかで似たようなことを書いた気が)。
>そもそもインターネットの精神って、すべての人に情報を公開し、また逆にすべての人から公開してもらう、みたいなことじゃない?
そんなMixiの件ですが、ボクもリンク元解析すると、そこから飛んできた記録が何度か残っています。そこまではいいんです。でもどんな扱われ方をしているかわからないって、気持悪いです。いい悪いに関わらず、発信先とコミュニケーションもとらない歯がゆさ。そこまで閉鎖的なら、Mixiの中だけで完結して欲しい。やっぱ上でも書かれていましたが、ネット社会はギブアンドテイクですよね。
最近は「自尊心というか自己愛というか自意識」の強すぎる人が多いと感じます。客観的に別のことを話していてもどうせ私なんてとすべて自分のこととしか受け止められない人もいるんですよね。コミュニケーションの手段として楽しんで議論をしていると信じ込んでいたのに、周囲の人からどうなるかとはらはらしたといわれ、信じられない思いをしたことも一度ならずあります。
私の場合は、議論やブログは自分の意見を確認し、発展させることに使っているような気がします。議論しているうちに、書いているうちに自分ではっきり分かっていなかったことが分かってくるって快感です。世の人すべて先生です。違う人や違う意見があるから楽しいし発展があるのですから。なんか優等生のようになってしまいましたが、腹が立つことは多々ありますが、そのために考えが深まることがあるのも事実です。
実世界に例えて言うなら、普通のインターネットが町の大通り、SNSは個人の居室ってところでしょうか。
居室の窓から外の大通りを眺めることはできるし、外出から帰ってきた住人(友人でもよい)が、外の世界の出来事をネタに家族と会話を交わすのも普通にあることです。ですが、その内容は普通外の世界からは分かりませんし、外から居室の中が見えないからといって文句を言う人もいないですよね。
同様に、自分のことが自分の見えないところでネタにされているというのも、やはり実世界でもありうることです。今日もあなたの同僚が、どこかの居酒屋であなたの噂話を肴に酒を飲んでるかもしれないわけで。
現状、技術的に公的空間と私的空間が同じ技術(Web)で作られているために、referrerで私的空間から参照されていること(だけ)が分かってしまったりしますが、これは単に技術的な不備、もしくは実装がそこまでこだわって作られていないだけでしょう。
レスありがとうございます。
「同士」は私も書いていて違和感があったのですが、いい言葉が見つからなかったのです。
お互いに自立、独立した人間というくらいの意味の言葉が欲しかったのですが。
・・・思わず感情的になってしまっておりました・・・orz
こういうことが自分結構起してしまっていることなので、すごく反省すべきところですねぇ・・・orz
・・・失礼いたしました。
こんにちは。上のレスを書いているうちに、はいじゃんぷさんからコメントをいただいたようです。失礼しました(^^;
私は個人的には、ミクシーはファンクラブ志向、ブログは議論志向だと思います。実はこのお題でエントリーを書こうかなと思ってるんですが(笑)。
友だちがたくさんいるのがうれしい人はミクシー志向だというのは、その通りだと思います。一方、「ブログは同士志向」というのは、個人的にはちょっとちがう気もします。「同士」の定義が「同じ価値観を持っていること」なのだとすれば、ブログは場合によってはその対極に位置するものだと思いますから。
ブログの特徴は、異なる価値観をもつ者同士が意見交換できることだと思います。加えて、価値観のちがう相手であっても、その人の視点や物の見方に見るべきものがあれば、その相手を「尊敬しながら、かつ異論を述べられる」ツールだと思います。
こんにちは。
>その辺のユーザーが、わざわざ「負け惜しみだ」とか言って絡んできそうなエントリーですね。
わはは。いや、「負け惜しみ」っていうのは、「ミクシーに入りたいのに誰も誘ってくれない」とか、入ってはいるけど「マイミク登録を断られてムカついた」、あるいは「誰もマイミク登録をしてくれない」みたいな不満をもつ人が、「ミクシーのシステムはおかしい」と言うときのことですよね? 私が書いているのはそゆことじゃなくて、そもそもミクシー的なコミュニケーションの仕方は自分にとって「エキサイティングじゃない」ってことなんです。
あと、「mixiは非公開が原則だ」っていうのは確かにその通りかもしれませんね。そもそも人に誘ってもらって初めて加入できるシステムですから。ますます自分とはソリが合わないなあ、って感じがしてきました(笑)
■teraさん
こんにちは。
>いつもこっそり読ませて頂いています。
なんで「こっそり」なんですか?(笑) それはさておき、私はマイミク登録に関しては、それぞれ自分の好き勝手なルールにもとづいてやるのが普通だと思うんですよ。「登録してくれ」と言われて、いけ好かない相手なのに断れないなんておかしな話ですから。
けど、自分が書いてる文章(日記)にも、その「俺ルール」を適用できることになんだか違和感を感じるんです。これってわかりやすく言えば、「オレは自分が読みたいと思ったものはすべて読ませてもらうが、オレが書いた文章は気に入ったヤツにしか読ませない」みたいなことじゃないか? みたいな。上でJEFFさんも書いてますが、ギブ・アンド・テイクの精神じゃないんですよね。
もちろんシステムのあり方としては、「気に入ったヤツにしか読ませない」って機能もアリかとは思います。けどそれならそれで、「完全に内輪で閉じている」のが筋じゃないか? とも感じるんです。たとえば「オレが書いた文章は気に入ったヤツにしか読ませない」というのであれば、その人が他人の文章を閲覧する場合も「自分の『仲間内』の文章しか読めない」のが筋じゃないか? と(笑) つまり情報発信と受信の両方に、等しく「俺ルール」が適用されてなければおかしいじゃないか? って話です。けど、そんなシステムはそもそもナンセンスだし、ミクシーのシステムにいちゃもんつけたって意味がない。「イヤならやめれば?」ってことですよね。で、ソリが合わないならやめようか、って話になるわけです(笑)。
■KMさん
こんにちは。その「松岡様」っての、やめてよ(笑)
>インターネットが発達してきたのは、(中略)お金を払っても手に入れたいと思うような情報や読むコンテンツがあってこそ、ですし。
オープンソースって思想はその典型ですよね。「フリーウェア」なんていう考え方は、ほかの業界ではまずありえないです。あと、相談系の掲示板で困ってる人にレスをつけるのもそうですね。「そんなことをして自分になんのトクがあるんだ?」って考える人は、そもそもインターネットには合わない人だと思います。
>自分が記載したコメントを管理人さんから無視された、と同じぐらいへこみますよねぇ・・・。
これ、私のことを言ってるんだとしたら、おかど違いですよ。そもそもブログ主は、すべてのコメントにレスをつけなきゃいけない義務なんてありません。そういう考えをもつのはあなたの自由ですが、それをいちいち私のブログ上で「公開」されても困ります。正直、こちらとしてはあんまり愉快じゃないですし、そういう「俺ルール」を押し付けられるのは迷惑です。また、これは自分で言うことじゃないですが、私はいただいたコメントには、いつもレスをつけているつもりでいます。シカトするのはおかしいじゃないか? などと、いわれのない文句を言われる筋合いはありません。
KMさんはちょっと勘違いしてるんじゃないか? と思うのは、ブログは掲示板とはちがうってことです。たとえば掲示板に「困っています。教えてください」と書き込んだ人が、もらった回答に対してすべてレスをつけるのは当然です。ですがブログのコメント欄は、それとはまったく別の次元のものですよ。たとえば極端な話、ブログ主がいっさいレスをつけなくても、「読んだ人同士」がコメント欄でお互いに有意義でおもしろいコミュニケーションをしていれば、そのブログは「おもしろいブログだ」と私は感じます。
KMさんは以前にも一度、まったく同じ主張をして、ほかの人から「それはおかしい」って指摘されてましたよね? そういうの、疲れるからもうやめませんか?
■えっけんさん
こんにちは。
>一番嫌な気分になるのが、mixiなどの会員制サイトからのアクセスです。
>必ずしも批判されている訳でもないのかもしれませんが、自分の知らない所で、また知ったとしてもアクセス制限をかけているようなところで、URLを記載されて語られるのはいい気分じゃないですね。
会員制サイトじゃないですが、このブログなんかその典型ですよ(笑)
「Tritsch-Tratsch」
私に異論を述べてるわけですが、この人の解釈は誤読だらけです。おまけに自分の都合のいい部分だけをつまみ食いして批判してます。ところがこっちが反論しようにも、ブログなのにトラックバックもコメントも受け付けてないんです。つまりこの人は他人より「一段高いところ」に居座り、ご高説を述べてるわけですね。
しかも私に異論を唱えているのに、向こうからトラックバックを送ってくるわけでもない。典型的な「NO! 議論」の人です(笑)。この人のメンタリティを分析すれば、「自分は言いたいことを言うけど、相手の反論は受け付けない。議論もする気はない」って話なわけで……。これって単なる「自己中」じゃないのか? と笑ってしまいます。2つ前のうちのエントリーのコメント欄でcavoriteさんが書いていましたが、まさに「おれの言葉を聞け!! そのまま受け入れろ!! 意見はするな」という「神託者」ですね(笑)
■夏葉さん
こんにちは。面白いと言っていただけて光栄です(^^;
>でも、いちばん「困ったなあ」と思うのはコメント機能が無いことです。日記への感想が伝えられなくて、歯がゆい思いばかりです(感想を伝えるには、同じユーザーになって、そのサイトをリンクして呼びかける、のがいいようです)。
これ、「はてなブックマーク」の問題点と共通してますね。はてブにブックマークされて否定的なコメントを並べられると、それに反論するにはわざわざ「はてな」のIDを取らきゃいけない。おまけに、はてブは双方向の議論を想定して作られていませんから、はてブ上でそういうやり取りをするのはむずかしい。はてブを作った人はこんなことは想定してなかったと思いますが、はてブには一種の「晒し上げ効果」があるってことですね(笑)
■robitaさん
こんにちは。もしかしたら、ご自分の文章を推敲されたとき、「だが~」とか「~です」が連続してしまっているのに気づいて「直さなきゃ」みたいなことをお書きになっていた方ですか? それでしたらよく覚えておりますよ。「私と同じだなあ」と思ってなんだかうれしくなり、コメント欄に書かせていただきました(笑)。今後ともよろしくお願いします。
■husaosanさん
こんにちは。中毒患者さんですか(笑)。自分が書いた日記に対するアクセス制限に関しては、上のほうのレスに私の考えを書きました。あのアクセス制限は「荒らし対策」というよりも、ある種の「自己中」を実現するためのシステムじゃないかと思います(笑)。
>まぁ、匿名禁止になったら100万ユーザーなんかピューッといなくなるんでしょうけど
これはその通りかもしれませんね。ただミクシーって、初めのころは「実名でやるもの」だった記憶がありますが。けど実名制にも弊害がありますし、匿名か実名かというのはやっぱりむずかしい問題だと思います。
私もミクシに入ってますが、飽きたというか、居心地の悪さ、違和感を感じてほとんど「活動」していません。
ブログは更新頻度は下がりましたが、こちらは別段飽きた訳でもなく、単にネタがみつからないとか、時間が取れないという理由です。
思うにミクシ向きの性格の人とブログ向きの性格の人(もちろん両方に向いている、両方に向いていない人もいるんでしょうね。ミクシにもブロガーコミュニティがあるくらいですから。)がいるのではないでしょうか。友達が沢山いるのがうれしい人はミクシ向けで、数より質、友達より同志という人はブログとか???
アンケートを取ってみたいところですが、アンケートが簡単にできるのはミクシだったりします。
マイミクのマイミクまで、、、ってのは確かに同感な部分ありますね
ただ、あの世界にも荒らしとか粘着が紛れ込んでしまうので、しょうがないのかなぁと
ああ言うシステムで匿名性を担保する理由が逆に自分にはわかりません
限りなく実名にすることで責任能力がないヤツを排除する方に働いてくれた方がうれしい
(半匿名な自分が言うのもなんですが)
まぁ、匿名禁止になったら100万ユーザーなんかピューッといなくなるんでしょうけど
「ミクシー」ってなんだかよくわかりませんが、仰っていることはよくわかります。
私も時事問題などに興味を持って、政治ブログなどにコメントしたり、リンク貼り付けてTB送ったりすることもありますが、無反応だと、「あー、そうですか、どうせ57歳のおばさんですよ。おばさんはブログなんてやんな、もう来んな、ってことですかい。」なんていじけたくなる時ありますね。
・・・なんて、あんまりばかばかしい意見なので相手にできないってことなのかも知れませんですから、反省はしますけど。それにコメントが多いといちいち返事してられないのもよく理解できます。
そんな中、人気ブログの主さんであるにもかかわらず、こんなおばさんのブログに丁寧なお返事をくださった(もうご記憶にないとは思いますが)松岡さんはきっと心根の良いおかたなんだろうなあ、と想像します。
あっ、こういう褒め言葉決して重荷に感じないでくださいね。
これからも丁寧に返事くださいという催促ではありませんから。
ただ、ブログ界の片隅で感激してるおばさんもいる、ということだけお知らせします。
私はmixiは利用していませんが、同じように閉鎖的に感じるサービスサイトに『Diary-Note』があります。
ここのサービスは“日記”というコンセプトを大々的にうたっているので、ユーザーも(日記なんだから自由に書いていい)
と思っている方が多いようです。
そして“ひみつ日記”とかいう、相互リンクした相手だけが読める機能もあり、時々
『○○さんへひみつのみ』
などというエントリーの日があり、それを見るとなんか引きます。
でも、いちばん
「困ったなあ」
と思うのはコメント機能が無いことです。
日記への感想が伝えられなくて、歯がゆい思いばかりです(感想を伝えるには、同じユーザーになって、そのサイトをリンクして呼びかける、のがいいようです)。
>一番嫌な気分になるのが、mixiなどの会員制サイトからのアクセスです。
私もよくわかります。
目の前で指差されてのひそひそ話って感じで、
自分が記載したコメントを管理人さんから無視された、
と同じぐらいへこみますよねぇ・・・。
無視するぐらいなら、「もう来るな!!」といってもらったほうがまだ救いがありますし・・・。
必ずしも批判されている訳でもないのかもしれませんが、自分の知らない所で、また知ったとしてもアクセス制限をかけているようなところで、URLを記載されて語られるのはいい気分じゃないですね。
mixiのコンセプトを聞いた瞬間から肌に合わないなぁと感じていました。
やはり、松岡様の考えられていることとほぼ同じなんですよねぇ。
それにインターネットが発達してきたのは、そもそも匿名で、かつ石玉混合で提供される、お金を払っても手に入れたいと思うような情報や読むコンテンツがあってこそ、ですし。
それこそギブアンドテイクで発達する情報の伝え方ですから・・・。
口コミも似た話ですしねぇ・・・。
口コミを封じたらそれこそそこは衰退するだけです。
すいません、余りにも考えていらっしゃることが同じなので笑いながら驚き、竹中直人っぽくなりました。
中途半端なんですよね、全てが。
匿名なら匿名なりの責任ってあると思うんですが。
ネットを匿名でやっててリアル(知り合い以外マイミクお断り)もくそもないだろう、と。
#自分も止めようかと悩み中です・・・
いつもmixiという道具箱に対して同じようなことを考える人はいるものです。
mixiの鉄則の一つは
・相手に無償で与えても良い情報以外は公開するな
ですよ。
もともとSNSってgive and takeで成り立つものだったのですがね。