さて,話を僕の幼少時代にもどそう。
僕の母親は,住み込みの美容師であったことは前にも述べた。
僕が高二の春だったころ,母が父と婚姻。
それまでは私生児であり,いまどきの言葉でいうと母は未婚の母であった。
道徳的にいえば,妻子ある男との間に産ませた子どもであり,不適切な関係によって生まれた子どもでもあろう。
だが,自分でいうのも妙だが,僕は幸せな子ども時代を過ごしたと思っている。
それは,父と一緒に暮さなかったことも起因している。
当初,美容師が子どもを持つことに反対していた店の経営主が母を解雇,美容業とは縁が切れるはずだったが,店随一の技量をもった母の抜けた穴は大きく,再び店に迎えられる。
その後,母は仕事に専念,養育は子どものいない経営主が行ってこともあり,経済的には裕福な暮らしをしたと思っている。
逆にいえば,肝心の身内とのつながりは皆無に等しく,特に父親方の身内は高二まで存在すら知らなかったのである。
僕の母親は,住み込みの美容師であったことは前にも述べた。
僕が高二の春だったころ,母が父と婚姻。
それまでは私生児であり,いまどきの言葉でいうと母は未婚の母であった。
道徳的にいえば,妻子ある男との間に産ませた子どもであり,不適切な関係によって生まれた子どもでもあろう。
だが,自分でいうのも妙だが,僕は幸せな子ども時代を過ごしたと思っている。
それは,父と一緒に暮さなかったことも起因している。
当初,美容師が子どもを持つことに反対していた店の経営主が母を解雇,美容業とは縁が切れるはずだったが,店随一の技量をもった母の抜けた穴は大きく,再び店に迎えられる。
その後,母は仕事に専念,養育は子どものいない経営主が行ってこともあり,経済的には裕福な暮らしをしたと思っている。
逆にいえば,肝心の身内とのつながりは皆無に等しく,特に父親方の身内は高二まで存在すら知らなかったのである。