貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

11 和歌山市 紀三井寺 

2016-12-08 09:29:13 | 日記
11 和歌山市
  
紀三井寺 平成28年(2016)5月12日 7:30~8:10

 お寺の衆がみんなで清掃と拝観への

準備真最中に詣でる。

 紀伊國屋文左衛門が若い頃母を背負

ってこの坂を上り観音様にお詣りをし

ていたそうだ。

 ある日、途中で鼻緒が切れ、困って

いるところに玉津島神社の宮司の娘加代

が取りかかり、鼻緒をすげ替えたのが

縁で二人は結ばれたので、結縁坂(けち

えんざか)と呼ばれるようになり、今で

も出会いをと観音様にお詣りする人も少

なくないらしい。

 階段は、女厄(33)除坂」とか「還

暦厄除坂」等と名付けられ、階段にも

功徳が施されるようになっていた。

芭蕉句碑は、

見あぐればさくらしまふて紀三井寺  芭蕉

231段の階段の中程、清浄水の所に

あった。

 この句のように、紀三井寺の桜は早く、

早咲き桜の名所として知られているようだ。

因みに桜の木は500本あるという。

紀三井寺



紀三井寺からの和歌浦一望



芭蕉句碑





新たに造られた千手観音像を拝顔



女厄除坂


10 紀の川市   粉 河 寺

2016-12-08 09:09:45 | 日記
10 紀の川市  

粉 河 寺 平成28年(2016)5月9日 10:20~10:50

長者の娘が長患いをしていた。そこへ

童行者が訪ね来て祈祷すると、病から娘

は回復。

お礼にと申し出た七珍万宝を断り娘が

捧げたさげさや(お箸箱)と袴をもらい、

粉川の者と告げて立ち去る。

 翌年長者一家はお礼に粉河を訪れたが、

探しあぐね、小川の傍らで一休み。流れる

水が米のとぎ汁のように白いのに気づき、

その川を辿り庵を発見。扉を開けると、千

手観音が安置され娘が差し出したさげさと

袴をもたれていたので、かの童業者は、実

は千手観音の化身であったことがわかった。

 その開創の由来は当寺所蔵の粉河寺縁起

絵巻(国宝)に伝えられているという。

  歌碑は、水も嘸や白き粉河の山桜 五橘亭


 風猛や名に似ぬ里の小春かな 塊亭



 粉河寺遍路の衆の打ち鳴らす鉦々きこゆ

 秋の樹の間に 牧水  

 であった。

右側に3メートルほどの幅の小川が流れ、

整備されていた。井戸水も豊富お釈迦様の青

銅像があったり、川沿いに念仏堂など由緒あ

る建造物も多く、整備されていた。

 衣更えあの場所としては最高の場所でゆっ

たりもできたのであろう。

 岩の庭も桃山時代のもので、素晴らしい景観

の奥に本堂の屋根が厳かに輝いていた。

☆☆☆ 紀ノ川万葉の里でラーメンと柿の葉寿

司を食し、葛城温泉八風の湯につかり、疲れを

とる。

「青洲の里」という道の駅で泊まる。朝まで我

が車のみ。華岡青洲さんもあんぐりか。

産地の野菜の直売所しかないのが原因の一つ。

 今後の、創意工夫に幸あれ


奈良時代草創の粉河寺



巌の庭園





句碑



牧水歌碑