13 各務原市:鵜沼宿: 脇本陣・坂井家跡
9月25日 7:20~
☆☆☆ 4時30分道の駅「可児ッテ」
に着く。雨も上がる。
朴の葉寿司を購入。710 円也。
5時15分よりのんびり夕食。
ラジオを聴きながら寝入る。
5時15分起床。ぐっすり眠れた。
マナーも皆よし。有り難きかな。
<沼宿: 脇本陣・坂井家跡>
鵜沼宿は、文化財として国の指定された所。
各家々も勝手に変えることができないが、
家も道も諸々整美されていた。
駐車場はまだ空いておらず近所のスーパー
マーケットに停めた。
説明板によると、「貞享2年(1685)
野ざらし紀行途中鵜沼を訪れ、脇本陣坂井家
に滞在。
その後貞享5年7月頃二度目の訪問。
同年8月3度目の訪問。
坂井家で菊花酒のもてなしを受け、主人に
求められ即興の句を楠の化石に彫った。
「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」 。
その後、更科紀行に美濃を離れる際に、
「おくられつ送りつ果ハ木曽の秋」 と詠み、
美濃の俳人達との別れを惜しんだと・・・」
と書かれていた。
二つ重なる句碑の前は、桃青の名前で、
後ろは芭蕉となっている。
桃青時代の句は、
「汲溜の水 泡たつや 蟬の声」
芭蕉の句は、
「 はらなかやものにもつかす啼くひばり 」
である。
この句は、「原中や 物にもつかず
鳴く雲雀」 という句で、おそらく深川の
芭蕉庵の近くの広い原っぱの中で、何物に
もとらわれず、空高く舞い上がり囀る雲雀は
いいなあということを詠ったのだろう。
何物にもとらわれず、天高く囀る雲雀の
ような自分になれたらこんな平安はない
だろう?
後世に残していくための知恵と工夫は、
やはりいつの世も欠かせないことだ。
隣の二宮神社には、8時前から緑の帽子を
被った男女数名が集まっておられ、神社に向
かう人たちとも擦れ違った。
これから神社の掃除などご奉仕されるのだ
ろう。有り難きことなり。
宿泊先の坂井家

脇本陣

脇本陣説明板

芭蕉句碑
「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」

芭蕉句碑
「 はらなかやものにもつかす啼くひばり 」

桃青句碑
「汲溜の水 泡たつや 蟬の声」

見事に整備されていた芭蕉句碑

芭蕉と鵜沼宿の説明

9月25日 7:20~
☆☆☆ 4時30分道の駅「可児ッテ」
に着く。雨も上がる。
朴の葉寿司を購入。710 円也。
5時15分よりのんびり夕食。
ラジオを聴きながら寝入る。
5時15分起床。ぐっすり眠れた。
マナーも皆よし。有り難きかな。
<沼宿: 脇本陣・坂井家跡>
鵜沼宿は、文化財として国の指定された所。
各家々も勝手に変えることができないが、
家も道も諸々整美されていた。
駐車場はまだ空いておらず近所のスーパー
マーケットに停めた。
説明板によると、「貞享2年(1685)
野ざらし紀行途中鵜沼を訪れ、脇本陣坂井家
に滞在。
その後貞享5年7月頃二度目の訪問。
同年8月3度目の訪問。
坂井家で菊花酒のもてなしを受け、主人に
求められ即興の句を楠の化石に彫った。
「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」 。
その後、更科紀行に美濃を離れる際に、
「おくられつ送りつ果ハ木曽の秋」 と詠み、
美濃の俳人達との別れを惜しんだと・・・」
と書かれていた。
二つ重なる句碑の前は、桃青の名前で、
後ろは芭蕉となっている。
桃青時代の句は、
「汲溜の水 泡たつや 蟬の声」
芭蕉の句は、
「 はらなかやものにもつかす啼くひばり 」
である。
この句は、「原中や 物にもつかず
鳴く雲雀」 という句で、おそらく深川の
芭蕉庵の近くの広い原っぱの中で、何物に
もとらわれず、空高く舞い上がり囀る雲雀は
いいなあということを詠ったのだろう。
何物にもとらわれず、天高く囀る雲雀の
ような自分になれたらこんな平安はない
だろう?
後世に残していくための知恵と工夫は、
やはりいつの世も欠かせないことだ。
隣の二宮神社には、8時前から緑の帽子を
被った男女数名が集まっておられ、神社に向
かう人たちとも擦れ違った。
これから神社の掃除などご奉仕されるのだ
ろう。有り難きことなり。
宿泊先の坂井家

脇本陣

脇本陣説明板

芭蕉句碑
「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」

芭蕉句碑
「 はらなかやものにもつかす啼くひばり 」

桃青句碑
「汲溜の水 泡たつや 蟬の声」

見事に整備されていた芭蕉句碑

芭蕉と鵜沼宿の説明
