令和5年3月4日(土)
糸魚川市市振: 桔梗屋の跡
道の駅「親不知」で休憩。
道の駅「親不知」で休憩。
魚センターをうろうろして、
海沿いへの路を下る。
「桔梗屋の跡」に着く。
奥の細道では、
新暦8月26日、
市振の関に泊まる。
北陸道9日間の旅は、
「暑湿の労に神(しん)を悩まし,
病おこりて事をしるさず。」
とまで、健脚芭蕉を苦しめる。
「今日は、親知らず子知らず・
「今日は、親知らず子知らず・
犬もどり・駒返しなどという
北国一番の難所を越えて疲れたので、
枕を引き寄せて寝ていると、
一間隔てたおもての方の部屋から
若い女二人の声がしてくる。
年を取った男の声も混じって
世間話をしているのを聞くと、
越後の国・新潟という所の遊女
であった。
お伊勢参りをするというので、
お伊勢参りをするというので、
この関まで男が送って来て、
明日は故郷に返す手紙を書いて
ちょっとした伝言などをしている
ようである。
白波が押し寄せる浜辺の町に
遊女として身を晒して、
漁師の子のごとくひどく落ちぶれて
日々客を取り当ての無い
契りを交わす生活を送る
私たちの因縁は何なんだろうなど
という話を聞きながら
寝込んでしまった。
翌朝旅立つときに、
我々に
『どう行ったら良いか分らない旅、
不安で悲しくございますので、
見え隠れ程度で宜しいですから、
貴方様方のあとを付いて行きたく
思っています。
僧衣をまとっているお情けとして、
仏の大慈をお恵み下さいまして、
仏道との縁を結ばせてくださいませ』
と涙ながらに訴える。
『気の毒なことでは有りますが、
我々はあちこち寄り道しながらの旅。
あなた方は、ただ人の流れに任せて
後をついて行きなされ。
伊勢神宮のご加護の下、
きっと無事に着くことが出来るでしょう』
と言い置いて出発したものの
気の毒だったなぁという気持ちが
しばらく納まらなかった。
「一家(ひとつや)に
「一家(ひとつや)に
遊女もねたり
萩と月」
※一軒の家に我々と共に遊女も
寝ていたよ。
まるで、
地上の萩と天上の月のような
組み合わせだった。
曾良に話すとそれを記録してくれた。」
と、長々と記している。