令和5年3月19日(日)
高岡市: 有磯海:女岩(めいわ)荘
<松林の中の女岩荘>
「有磯海」は、
大伴家持の万葉集歌、
「かからむと
「かからむと
かねて知りせば
越の海の
荒磯の波も
見せましものを」
を初出とする歌枕の由緒地。
そして、
を初出とする歌枕の由緒地。
そして、
高岡市の雨晴海岸・女岩の周辺には、
義経岩もあり、
源義経ゆかりの伝説が伝わっている。
1187年(文治3)、
1187年(文治3)、
義経一行が追討の兵から逃れ、
京都から奥州へ落ちる途中、
雨晴海岸にさしかかる。
その時、
にわかに空が曇り、雨が降り出す。
弁慶が急いで岩を積み上げ、
弁慶が急いで岩を積み上げ、
岩穴をこしらえて
雨宿りしたとされる。
そもそも「雨晴」という地名は、
この伝説に由来しているという。
源義経一行の雨宿り伝説が残る
源義経一行の雨宿り伝説が残る
<雨晴海岸>
雨晴海岸からは、
「有磯海」の荒磯を象徴する女岩を
前景として、
か立山連峰を望むことができ、
観賞上の価値が高い。
現在
「万葉ロマンのコースタルステージ雨晴」
として整備されている。