令和5年3月8日(水)
「青海八景」から
親不知の岸壁添いを、まず楽しむ。
そして、
そして、
ウォルター・ウエストン
(Walter Weston)像の所で
一息入れる。
『日本アルプス―登山と探検』の著者、
ウォルター・ウエストン
(Walter Weston)は、
明治27年7月19日に
日本アルプスの起点でもある
この旧国道を通る。
モデルのような体型だ。
コミュニティロードの岩壁に、
コミュニティロードの岩壁に、
明治16年の道路開通を祝って
刻まれた、
「如砥如矢」
「如砥如矢」
(とのごとくやのごとし)の
文字が目に留まる。
「切り開かれた道が、
砥石のように平らで
矢のように真っ直ぐだ」
の意。
その英訳は、
“To no gotoku, ya no gotoshi”
(“As smooth as a whetstone’
and as straight as an arrow”)。
5月最終日曜には
5月最終日曜には
『親不知・海のウエストン祭』
が行なわれ、
ウエストン像に献花した後、
白鳥山(1287m)山開きが
行なわれている。
ちなみに、
親不知・子不知というが、
親不知駅がある歌(うた)
の集落を中心に、
西の市振(いちぶり)地区までが
親不知、
東の勝山(かつやま)地区までが
子不知。
(こしら合唱曲「親知らず子知らず」
では次のように歌われている。)
「荒磯(ありそ)の岩陰に
苔むした地蔵が
かすむ沖を
じっと見つめている
子を呼ぶ母の叫びが
子を呼ぶ母の叫びが
聞こえぬか
母を呼ぶ子のすすり泣きが
聞こえぬか
旅に病む父親の下へと
旅に病む父親の下へと
心を急がせた母と子に
北涙(ほくめい)の怒涛が
北涙(ほくめい)の怒涛が
グワッと 爪を立て
次々に 二つの悲しき命を
次々に 二つの悲しき命を
奪い去ったという
怒涛は何を怒ったか
その怒りを
その怒りを
何故(なにゆえ)に
悲しき母と子に向けたか
子を呼ぶ母の叫びが
子を呼ぶ母の叫びが
聞こえぬか
母を呼ぶ子のすすり泣きが
聞こえぬか
悲しき人を
悲しき人を
さらに悲しみで追い打ちするを
人生というか
悲劇に向かって挑む
悲劇に向かって挑む
喜劇(もの)を
運命の神は
憎むか
鴎(かもめ)は
鴎(かもめ)は
鳴きつつ飛び交い
海を潜り波を滑る
鴎の歌の悲しさよ
じっと見つめる
じっと見つめる
苔むした地蔵も
夕暮れる
親不知子不知の沖も
茫々(ぼうぼう)
茫々(ぼうぼう)
夕暮れる。」
水上勉さんは、
『新日本紀行』の中で、
「私の大好きな親不知」
といっているほど