令和7年1月27日(月)
多賀城市: 末の松山
<沖の井の方から末の松山>
多賀城には、
坂上田村麻呂や
万葉歌人である大伴家持らも
派遣されている。
また、平安時代には、
また、平安時代には、
風流を愛する都人が
「歌枕の地」として憧れ、
地名を詠み込んだ和歌を
たくさん作っている。
<末の松山の黒松>
ここは、多賀城市八幡地区、
歌枕の地「末の松山」。
有名な歌は、
小倉百人一首の、
清原元輔の歌、
「契りきな
「契りきな
かたみに袖を
しぼりつつ
末の松山
末の松山
波越さじとは」
(後拾遺集)。
「約束しましたよね。
「約束しましたよね。
涙に濡れた着物の袖を
絞りながら。
末の松山を
波が越すことなど
あり得ないように、
私たちの心も
決して変わらない」
という意。
<末の松山の句碑と説明>
しかし、
どうして
「末の松山」と「波」は、
一緒に詠まれているのだろう?
~つづく。
~つづく。