貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

仙台市: 榴岡天満宮①芭蕉も参拝!道真公ご降臨の語り!

2025-01-15 15:37:46 | 日記
令和7年1月15日(水)
仙台市: 榴岡天満宮  ①            
 仙台市の観桜地として
有名な榴ヶ岡に鎮座する
榴岡天満宮は、
平安時代の天延2年(974)に
山城国(現在の京都府)に
創建される。
<奉祝御鎮座350年>

 その後、
平将春が陸奥国宇多郡
(現在の福島県)に勧請し、
次に宮城県柴田郡川内村に
御遷座したのが始まり。
 天文20年(1551)に
小俵玉手崎
(仙台市青葉区の仙台東照宮の地)に
三度目の御遷座が行われる。
 後に、
藩祖伊達政宗公が
仙台城を造営する時、
当宮の社木(境内地にあった樹木)を
用財として切り取った為、
その報賽に慶長16年(1611)に
新たに丹塗りの御社殿を造営する。
 しかし、
慶安3年(1650)
徳川幕府の命令による
仙台東照宮建立に際し、
その境内地東側に御遷座される。
 そして、
寛文7年(1667)7月25日に、
三代藩主伊達綱宗公の意思により、
丹塗りの社殿・唐門を新たに造営。
<社殿>

 さらに菅原道真公の真筆
(直筆の書)が奉納され、
現在の鎮座地である
榴ヶ岡に御遷座が行われる。   
 その後、
杜の都の天神様として
広く崇敬されている。
 御社殿は総欅造り、
照星閣とも呼ばれ、
明治9年(1876)の
明治天皇御巡幸の際に、
明治天皇が御参拝された
御宮である。
 また、仙台城構築の際、
有力な築城の候補地とされ、
元禄2年(1689)5月7日には
当宮に松尾芭蕉が参拝する。
「ここ玉田よこ野
つつじが岡は
あせび咲くころ也
ここに天神の御社など拝て
其日はくれぬ」
    (『奥の細道』)
という話を遺していることからも、
当時の天神信仰が
盛んだったことを示している。
 寛政7年(1795)2月25日に
落雷による不慮の火災が発生し、
本殿・拝殿・楼門・神楽殿・
鳥居と多くの歴史的建造物を焼失。
 非常に残念なことではあったが、
道真公が高天原より降神
なされたのでは、
という歴史的ロマンをくすぐる
唯一の天満宮といわれている。                     (現在の御社殿は、その当時の再建)
~つづく。

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