田原市潮音寺②
夢にまで杜國を見て泣いた
というほど杜國の天分を
愛した芭蕉は、貞享4年10月、
「笈の小文」の途中、
鳴海より門弟越人を伴い、
愛弟子の悲境を慰めようと
二十五里の道を引き返し、
保美の閑居に杜国を尋ね得る。
再会した師弟が
そのとき詠みあったのが、
この三吟の句。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/17/676c322b5973227d9a82c29e655d9650.jpg)
翌日杜國の案内で同行三人は、
伊良湖崎に吟行の杖をはこんだ。
芭蕉の名句、
「鷹一つ
「鷹一つ
見付てうれし
いらこ崎」
は、このとき詠まれたもの。
翌年2月、
翌年2月、
杜國は伊勢に渡り芭蕉と落ち合い、
吉野の花を愛でた後、
各地を吟行。
5月にこの地に戻る。
この旅が、
5月にこの地に戻る。
この旅が、
後の『笈の小文』として刊行される。
その2年後の
その2年後の
元禄3(1690)年3月、
杜國は、望郷の念と吉野の思い出を
胸に寂しくこの世を去り、
潮音寺原に葬られる。
行年30余歳。
現存の墓碑は
現存の墓碑は
没後54年の延享元(1744)年に
建立されたものであり、
師弟三吟の句碑は、
杜國を慕う地元の有志により
明治28(1895)年に造られたもの。
<杜国墓碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/89/2fcb2dc56feea4b81eedc4ef38a39a5c.jpg)
明治44(1911) 年5月30日、
河東碧梧桐は潮音寺を訪れ、
杜國の墓碑を供養。
山頭火の句碑も建立。
「あの雲が
山頭火の句碑も建立。
「あの雲が
おとした雨に
ぬれている」
<自由律俳人山頭火の句碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/e7/d9b331819b1c84d4fbc325e075cd62b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/d7/380be0d4366202b3f138a6e66a5cf4b1.jpg)
行(ぎよう)乞(こつ)の僧として
雨の日も風の日も、
ただひたすら歩き続ける山頭火は、
雨とも一体となり、
自然の中に溶け込もうとする
禅の境地が伺うことができる。
「波(なみ)音(おと)の
「波(なみ)音(おと)の
墓のひそかにも」
旅日記によると、
旅日記によると、
昭和十四年四月十九日、
知多半島の師崎より船にて
福江港に着き、港近くの宿に一泊。
その翌朝、
伊良湖岬に向う途中潮音寺を訪れる。
俳人杜國の墓に詣でた時に一句詠む。
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