令和6年7月5日(金)
田原市保美 潮 音 寺 ①
潮音寺は、1370年頃の創建寺。
潮音寺は、1370年頃の創建寺。
<本堂>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/cd/b2ef9851b9ac10b871397f2526737014.jpg)
本堂の左手に芭蕉の三吟句碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ce/76ec2301b01d6f44f4eb57f4ea427dcd.jpg)
<芭蕉第三吟句碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/17/676c322b5973227d9a82c29e655d9650.jpg)
「麦生えて
能隠家や
畑村」
芭蕉
「冬をさかりに
「冬をさかりに
椿咲く也」
越人
「昼の空
蚤かむ犬の
寝かへりて」
野仁
野仁は、杜国の別号。
三吟句碑の左下に
三吟句碑の左下に
杜国の墓碑がある。
<杜国の墓碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/89/2fcb2dc56feea4b81eedc4ef38a39a5c.jpg)
杜国は、
通称を坪井庄兵衛といい、
名古屋の御園町で壺屋という
米穀商を手広く営む傍ら、
町総代をも勤める豪商であった。
貞享元年(1684)、
芭蕉の「野ざらし紀行」の帰途、
名古屋で作られた連句集
「冬の日五歌仙」に
作者の一人として加わった杜國は、
尾張俳諧の重鎮として
その名を馳せていたが、
貞享2年、
ご法度とされていた米延商
(空米売買)の科により、
家財没収のうえ所払いとなる。
<杜国墓碑と三吟句碑についての説明>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/4d/52ad464325758a3d4aeea630b488e94a.jpg)
そして、この地、畠村に移り住み、
程なく保美の里に隠棲することになる。
~つづく。
~つづく。
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