貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

おいの鼓舞覧 (こぶみ)~ 『笈の小文』紀行 完了

2016-12-13 10:44:27 | 日記
おいの鼓舞覧 (こぶみ)~ 『笈の小文』紀行 完了

 『・・・、千歳のかなしび此浦にとゞまり、

  素波(しらなみ)の音にさへ愁多く侍るぞ

  や。」

で終わる『笈の小文』。

 古里を追いかける感じでもあった。

 伊良湖岬から伊勢へ船で渡るのを残したが、

楽しみは少しとっておくことにする。

これが紙ベースでまとめた小冊子。



お付き合い戴き、ありがとうございました。

 次は、更科紀行です。

 またよろしくお願いします。

14 明石市 明石柿本神社

2016-12-12 09:12:44 | 日記
14 明石市   平成28年(2016)5月12日 13:10~

明石柿本神社 明石市人丸町1-26

「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の

ながながし夜を 一人かも寝む」

柿本人麻呂

高校時代以降かな?「銀も黄金も玉も何

せむに・・・」という歌を山上憶良が作っ

たと紹介したりしていたが、加齢の記憶違

いというのか、ここを訪れた時には、人麻

呂に変幻。思い込みも恋愛感情と同じかな?

さて、芭蕉が訪れた最西端の明石だ。

有名な句は、柿本神社の門前にあった。

 直前は明石天文台、すぐ傍に日本標準

子午線表示柱があり。

 「あきつ」別名トンボが乗っている。

 トンボの標識ともいわれている。

 その昔日本を「あきつ島」と呼んだようだ。

 明石大橋を渡る車が飛んでいる舟のように

見えた。

 芭蕉の句は、有名な

 「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」である。

 私も笈の小文の、「おいの鼓舞覧」の仕上

げに、

 たこつぼや 芭蕉とともに 夢のはかなき 

                貢人

と歌う。

 14時追跡完了。

 折角なので、知人のの父母が晩年庵をつくっ

たという淡路島に渡り、道の駅淡路で一泊する

ことにした。

柿本神社



芭蕉句碑説明



芭蕉句碑



明石天文台





子午線表示柱 上に蜻蛉


13 神戸市須磨区 :須磨寺を訪ねて

2016-12-11 09:31:46 | 日記
13 神戸市須磨区 平成28年(2016)5月12日 12:20~

須 磨 寺 神戸市須磨区須磨寺4-6-8

 和歌山から大阪、そして兵庫県須磨区へ。

あっという間に到着。

 道は本当に整備され、事故車もなかったの

で、すいすい。

 こんなに近いとはというのが実感である。

 高速の料金が普通車も軽も同じという所

があり、ちょっとびっくり!

所違えば・・・の感かな。

 さてさて、句碑は?

  暁や白帆過ぎ行く蚊帳の外 子規

  笛の音に波もよりくる須磨の秋 蕪村


須磨寺や ふかぬ笛きく 木下やみ  芭蕉

須磨寺  落ち着いた雰囲気の中で!



夫婦賛歌碑



源平の庭は、平敦盛と熊谷直実の馬戦像



子規句碑



蕪村歌碑



芭蕉句碑


12 大阪市福島区 福島聖天了徳院

2016-12-10 09:23:48 | 日記
12 大阪市福島区

福島聖天了徳院 福島区鷺洲2-14-1 平成28年(2016)5月12日 10:35~11:00

よく整備された処で「歓喜天」と呼ばれ、

人の喜びを自分の歓びとする。

「お聖天さんは、大歓喜天と申し上げます。

自分も『よろこび』、他の人も『よろこび』、

他の人の『よろこび』でもって自分の『よろ

こび』を倍増する『よろこび』の神様であり

ます。

潤いの徳を広めて社会の平安と繁栄のお役

に立ちたい。」という説明は、今まで訪れた

所には表明されていなかったこと。

大歓喜の日々が送れますように!


杜若 語るも 旅のひとつ哉
芭蕉


福島聖天了徳院



福島聖天了徳院



芭蕉句碑



芭蕉杜若句碑説明板



杜若(かきつばた)


和歌浦三段橋とあしべ茶屋敷   

2016-12-09 09:22:34 | 日記
和歌浦三段橋とあしべ茶屋敷   5月12日 8:40~9:15

 和歌山県内最古の橋で、不老橋と同様石材で

造られた。

 和泉砂岩で構築され、400年余りその原型を

失わずに存在しているという貴重な橋だそうだ。

 このあしべ茶屋敷には、未だ住んでいる人あ

り。洗濯物が干してあり、女性が一人質素に暮

らしている感じであった。


 行春に わかの浦にて 追付たり  芭蕉

三段橋



三段橋を渡ると、妹背山



旧あしべ屋別荘



多宝塔



芭蕉句碑と松



歌碑