貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

入母屋造りの優雅さ

2019-04-19 08:53:25 | 日記

入母屋造りの優雅さ

平成31年4月19日(金)

 昨日から20度越えの暑さ。

 数日前、北海道と沖縄の気温、

逆転現象が起こる。

 最近、「夏ばて」ならぬ「春ばて」

ということばも耳にする。

 この気温の較差、体調を整える

のに大変な時期、自律神経が病む

そうだ。

 入学、クラス替え、入社、異動等、

新たな環境がストレスを増大させる

ことも第二要因。

 大型連休が佳い効果を生み出して

くれればと願うのみ!

 「芭蕉翁」と刻印された碑が、

他の碑と並んでいる。

 ここは、美濃国分寺。

「芭蕉翁」碑。

 その背面。読み取れず。


 帰りに、駐車場から山の手の方を

見やると、入母屋造りの見事な寺院

の姿が誇らしく、ひときわ映えて

いる。

 お見事!


大平をねがうのは、同じ!

2019-04-18 08:53:51 | 日記

大平をねがうのは、同じ!

平成31年4月18日(木)

 様子伺いに行ったヘアーサロンに、

魅了される。

 短時間で、安い、そして、きれいに

なった満足感を得られることを・・・と、

自分の都合で、図書館帰りに寄ってみる。

 駐車場が7つもあり、駐車して入店。

6人目ぐらいだが、4人の理容師さんが

見えるので、やってもらうことにする。

 自動券売機で、自分の希望の券を

購入して、待つ。

 30分ほどで、自分の番。

 待っている時も感心したが、動きに

無駄が無く、的確。

 そして、接客態度も素晴らしい!

 これこそプロだと、感心度と満足度

が比例してアップ。

 じっとしている時間が長くなると、

体が固まりつつある年齢、時間短縮が

一番嬉しい!

 この大平感、大垣でも味わうことに。

  美濃国分寺。

 その前に広がる所が、国分寺跡。

 国分寺は、国家の泰平を願い、 

天平13年(741)聖武天皇の命に

より、全国68か所に建立される。

 何処も、国分寺の敷地は広大。

 美濃国分寺は、大垣市街地から

西方の国分寺山の南東麓に位置する。

 古代国分寺は、現国分寺南側の

平坦地(青野原)に位置し、

仁和3年(887)に焼失する。

 その後の再建を経て、12世紀末

頃に衰退の一途を辿る。

 そして、元和元年(1615)に、

土中から掘り出された薬師如来像を

本尊として、現国分寺が再興される。

 付近では、美濃国分尼寺跡のほか

美濃国府跡・昼飯大塚古墳(美濃最大

の古墳)が、南方には、南宮大社

(美濃国一宮)、西方には不破関も

立地し、古くから政治的・文化的

中心地かつ要所である。

 前方の広大な場所が国分寺跡。

 

 参詣者も多い。

 仁王像。

 木彫で、見事な風格!

 参拝!

           

 奥の院までの階段や通路には、

何万体(?)かの水子地蔵が

祀られている。

 そして、奥の院。参拝!

つづく。

 


追悼にシャガの花

2019-04-17 09:05:58 | 日記

追悼にシャガの花

平成31年4月17日(水)

 

「芭蕉翁」追悼碑。

 今朝は、場所追悼に、2・3日前に

咲き始めたシャガの花を供花とする。

 そして、芭蕉句碑。

 「あかあかと 

   日はつれなくも   

         秋の風」。


 さらに、木因の死後、

芭蕉と木因の親交を偲び、

木因碑を建て「芭蕉、木因遺跡」とする。

 それが、正覚寺門前に!

 その説明板。

 正覚寺の芭蕉塚も、

また一味違う印象!


大垣宿本陣跡から正覚寺へ

2019-04-16 08:55:56 | 日記

大垣宿本陣跡から正覚寺へ

平成31年4月16日(火)

 7・8年ぶりかな?

 多摩川橋の上から、大きな真鯉を

見つける。

 その上手に真鯉の子どもが2尾

一所懸命泳いでいる。

 8m下手の同じ場所で、ゆったり

見守っているよう。母鯉だ。

 2尾の子ども鯉は、僅かずつ流れに

勝り、上っている。

 5月5日ももうすぐ。

 鯉の滝登りではないが、恋の家族

のひとときを垣間見た。

 縁起よし!

 これが、大垣宿本陣跡だ。

 いよいよ芭蕉の大垣もおしまいに

近づく。

 

 愛宕神社の阿吽狛犬像。

 祭は秋かな?

 春かな?

 愛宕神社を参拝しようと一礼

するが社殿は?・・

 階段を下りるとそこが正覚寺。

 すぐ「芭蕉追悼の句碑・句塚」と

分かる。

「尾花塚、あかあかの句碑、

木因の墓、軽花坊・曙庵句碑、

廬元坊・五竹坊・冬恕坊句碑、

梅花仏碑、氷壷仙句碑、冬恕碑

と岩の築山塚で、難行する。


 芭蕉は元禄7年(1694)難波で

客死したが、その死を聞いた如行ら

大垣の俳人達がいち早く造った

もので、全国で一番古い芭蕉塚

である。

 芭蕉塚。


 
 現在読んでいる『乞食路通』、

その路通揮毫による「芭蕉翁」

追悼碑。

 


獅子ニ牡丹の住居?

2019-04-15 08:46:07 | 日記

獅子ニ牡丹の住居?

平成31年4月15日(月)

 祭も無事終了!

 今朝は、晴天。暖かい。

 4月半ばになって、やっと

4月の陽気?

 いよいよ芭蕉と木因とも

お別れとなる。

 高橋の欄干に、芭蕉と木因の

句がパネルに刻まれている。


芭蕉の句は、

「来てミれは 獅子ニ牡丹の

           住居哉」


 
 木因の句は、 
 
「矢張召せ 此処ハ伊吹の 

           吹すかし」

 滋賀県の伊吹山は、花の山。

 もう一度登りたい山の一つ。