令和6年1月15日(月)
大津市: 滋賀院門跡
この寺は、
元和元年(1615)に江戸幕府に仕え、
「黒衣の宰相」と称された
天台宗の僧天海が、
後陽成天皇から京都法勝寺の
建物を下賜されてこの地に建立。
<その由緒>
明暦元年(1655)には、
後水尾天皇から滋賀院の名と
寺領千石が下賜される。
滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は
滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は
明治11年(1878)火災により焼失。
比叡山無動寺谷法曼院の
建物3棟が移されて再建される。
<滋賀院書院>
書院には、
江戸時代初めの狩野派の障壁画が
見られ、また、庭園も名庭。
「仁徳天皇
「仁徳天皇
『高き屋にのぼりてみれば』
との御製のありがたさを今もなほ」
という前書きの後、
「叡慮にて
「叡慮にて
賑ふ民の
庭竈(かまど)」。
元禄元年秋冬の頃の題詠句。
元禄元年秋冬の頃の題詠句。
<芭蕉句碑>
仁徳天皇のご詠歌と伝えられる
「高き屋に
登りて見れば
煙立つ
民の竈は
賑ひにけり」 。
<芭蕉の句>
「庭竈」とは、
正月三が日、土間に新しい囲炉裏を
切って薪を焚き、
囲りに主人家族、奉公人らが
集まって大服茶、酒、焼餅などを
飲食して団欒する民間行事。
元禄の頃、
奈良の庭竈が有名だが、
滋賀でも行われたか。