貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大津市: 滋賀院門跡 庭竈の歌!

2024-01-15 10:33:56 | 日記
令和6年1月15日(月)
大津市: 滋賀院門跡     
      
 この寺は、
元和元年(1615)に江戸幕府に仕え、
「黒衣の宰相」と称された
天台宗の僧天海が、
後陽成天皇から京都法勝寺の
建物を下賜されてこの地に建立。 
<その由緒>

 明暦元年(1655)には、
後水尾天皇から滋賀院の名と
寺領千石が下賜される。
 滋賀院御殿と呼ばれた長大な建物は
明治11年(1878)火災により焼失。

 比叡山無動寺谷法曼院の
建物3棟が移されて再建される。
<滋賀院書院>
         
 書院には、
江戸時代初めの狩野派の障壁画が
見られ、また、庭園も名庭。                      
 「仁徳天皇
『高き屋にのぼりてみれば』
との御製のありがたさを今もなほ」
という前書きの後、
「叡慮にて 
   賑ふ民の           
     庭竈(かまど)」
 元禄元年秋冬の頃の題詠句。
<芭蕉句碑>

 仁徳天皇のご詠歌と伝えられる
「高き屋に 
  登りて見れば 
    煙立つ 
     民の竈は        
       賑ひにけり」
<芭蕉の句>

 「庭竈」とは、
正月三が日、土間に新しい囲炉裏を
切って薪を焚き、
囲りに主人家族、奉公人らが
集まって大服茶、酒、焼餅などを
飲食して団欒する民間行事。 

 元禄の頃、
奈良の庭竈が有名だが、
滋賀でも行われたか。


大津市西教寺②芭蕉没後300年の碑と月さひよの句碑!

2024-01-14 10:33:15 | 日記
令和6年1月14日(日)
大津市西教寺②
<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑の句は、
「月さひよ
   明智か妻の
     はなしせむ」。
「月も静かに落ち着いた感じで
 照らしてくれ。
 あの明智の妻の髪を切って
 夫の貧を救った昔話をしよう。」
の意。
<芭蕉没後300年の碑>

「将軍明智が貧の昔、
連がく会いとなみかねて侘侍れば、
その妻ひそかに髪を切りて
会の料に備ふ。
 明智いみじくあはれがりて、
いで君、
五十日のうちに輿にものせんと
いひて、
頓て云けむようになりぬとぞ。」
という前書きでよくわかる。



大津市: 西 教 寺①明智光秀公の墓と辞世の句!

2024-01-13 10:37:58 | 日記
令和6年1月13日(土)
大津市: 西 教 寺      
<本殿>
     
 寺伝では、
聖徳太子(574-622)が創建し.
後に天智天皇(626-671)から
西教寺の勅願を賜わるという。
<重要文化財本堂の説明>

 平安時代に
延暦寺中興の祖良(りよう)源(げん)
(913-985)が、続いて
横川の源信(942-1017)が
庵を結んで修行道場とする。
 その後、長らく荒廃。
<鐘楼>

 室町時代末期に
延暦寺で20年間もの修行を
積んだ真盛(1443-93)が
入寺して再興。
 当時は、混乱した世相を反映し、
真盛は戒律の厳守と称名念仏の
励行を唱える。
 以来、西教寺は戒律・念仏の
道場となり、現在に至る。
 幽玄静寂な空気が漂う境内には、
念仏と鉦の音が低く響き渡り、
独特の雰囲気が漂う。

 荘厳な風格を誇る本堂、
伏見城の遺構を移したという客殿、
<客殿>

その内部の狩野派による人物・
花鳥襖(ふすま)絵(え)等、
見応えがある。               
 また、戦国時代、
織田信長(1534-82)による
延暦寺焼き討ちで焼失した後、
明智光秀(1528-82)が
寺の復興に尽力したことから、
境内には、
光秀一族の墓と
光秀の辞世の歌碑がある。 
<明智光秀の公墓>

<明智光秀辞世の歌碑>
<その説明>

~続く。

大津市近江神宮②一人眺めし近江歌人たちの歌!

2024-01-12 11:03:14 | 日記
令和6年1月12日(金)
大津市近江神宮②
 当社の駐車場近辺には、
句歌碑が林立。
 先ず、保田與重郎歌碑。

 「さざなみの 
    しがの山路の 
      春にまよひ         
   ひとり眺めし 
     花盛りかな」
<その説明>

 春日真木子歌碑の歌は、
 「人間の 
   知恵のはじめよ 
      ひそひそと         
    秘色の水に 
      刻まあたらし」
<春日真木子の歌碑>

 伊藤香舟女句碑の句は、
「楼門に 
    湖脈打てる 
        望の月」
<伊藤香舟女句碑>

 高市黒人歌碑の歌は、
「楽浪乃
  国都美神乃
    浦佐備而
   荒有京
      見者悲毛」 
<高市黒人歌碑>
(さざなみの
   くにつみかみの
      うらさびて
     あれたるみやこ
       みればかなしも)
<桂障蹊子の句碑>

 桂樟蹊子の句碑の句は、
「漏刻の 
   音とこしへに 
       初日影」 。
 桂樟蹊子は水原秋桜子の門下で、
京都馬酔木会を起こし、
『霜林』を主宰した俳人。
等々。

大津市: 近江神宮 湖上朦朧たる春の日の芭蕉句!

2024-01-11 10:55:53 | 日記
令和6年1月11日(木)
大津市: 近江神宮            
 近江神宮は、
第38代の天智天皇によって
営まれた大津宮の跡地に
建てられた神社。
 祭神として祭られる天智天皇は、
大化の改新を実行し
激動の人生を歩んだ
運命開拓の神であり、
日本で最初の時計・漏刻を採用
した事から時の守護神でもある。
<漏刻>
<その説明>

 初めての参拝!
 「秋の田の 
   かりほのいほの 
     とまをあらみ 
   わが衣手は
      露にぬれつつ」
 百人一首〈第1番〉に
詠まれている。
 天智天皇を祀る「近江神宮」は、
別名「かるたの殿堂」と称され、
「競技かるた名人位・クイーン
位決定戦」を始め、
競技かるたの大会が盛ん。
 アニメ化もされた人気漫画
「ちはやふる」の舞台としても
要注目。
<芭蕉句碑と農地報償碑>
 
<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑の句は、       
「から崎の 
   松は花より           
     朧にて」。 
 貞享2年。大津での作。
 湖上朦朧たる春の日、
湖岸の桜より唐崎の老松のあたりが
一層濃く
水煙に霞んでいる駘蕩たる
春景色。