☆・・・三日と空けずに来店してくれる、英語しか話せない、うちの店では貴重なお客さんであるジョージアちゃん。
最近、一人であんまし来なくなった。
同僚の方らと来て、ペラペ~ラと英語で話しまくっている。
もしかして、うちの店は好きだけど、私と拙い英語で話すのはかったるいのかも知れない・・・、と少し哀しくなっていた。
と、思いきや、一昨日は一人で来た。
試しに、「ここに他の客がいるのと、誰もいないのとではどちらがいい?」と聞いたら、
「私一人のほうが良い^^」と答えた。
私は、「ほ~ぅ」と答える。
私の求めている問答とはちょっと違うのだが、安心した次第^^v
ジョージアちゃんは、いつも、プロシュートとアマトリチャーナを、赤ワインを傾けつつ食す。
アマトリチャーナは大盛りを頼み、半分を残し、持ち帰り、翌日に食べるそうだ。
アマトリチャーナを食べるときはいつも、「なんで、こんなに美味しいのかしら・・・」と首を傾げながら味わっている。
(2017/01/16)
ヤマモッちゃんから頂きました!
もう、私が吟味せしアプサラの如き美少女にプレゼントしてきます!!!(*ゝω・*)ノ
機能性と、そのデザインにおいて、ランドセルと言うのは、世界的に人気が出始めているそうです(*⌒▽⌒*)
☆・・・≪タイ・カンボジアの国境紛争、国際司法裁が11月11日に判決≫
<【タイ、カンボジア】タイ政府によると、タイとカンボジアの国境紛争地域の領有権に関する国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)の判決が11月11日に下される。
タイ政府は判決後に国境周辺で軍事衝突が起きないよう、カンボジア政府と事前協議を進めている。また、自国民が判決内容を理解できるようにするため、判決の様子を国営テレビの2つのチャンネルで放送する方針だ。
両国が争っているのはクメール王国が9―11世紀に建立したとされる山上遺跡プレアビヒアの周辺地域。プレアビヒア本体は1962年に国際司法裁がカンボジア領とする判決を下したが、周辺地域の領有権については判断を示さず、紛争の火種が残った。
プレアビヒアは2008年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。これを機に、プレアビヒアの世界遺産共同登録・管理を主張していたタイが周辺地域で頻繁にカンボジアと武力衝突を起こすようになった。2011年には砲撃・銃撃戦で双方の兵士、住民ら30人近くが死亡、100人以上が負傷し、周辺地域の住民10万人以上が一時避難した。紛争激化を受け、カンボジアは同年4月、国際司法裁にプレアビヒア周辺の国境未画定地域の領有権に関する判断を求めた。
タイでは同年7月に行われた総選挙で、カンボジアのフン・セン首相と個人的に親しいタクシン元タイ首相の政党が政権に復帰。タクシン氏の妹のインラク氏が首相に就任し、両国関係は急速に雪解けに向かった。>
この問題については、こちらのエントリーで簡単に書いた(私には絵の才能がないのはご理解のほど)。
[(短信)カンボジアとタイのクメール遺跡取り合い](2011-02-24)・・・クリック!
国際司法裁判所は、当事者両国の了解がないと裁判を開けない。
竹島の問題では、韓国は、日本が求める国際裁判所への問題の判断を、延々と拒んでいる。
何故って? ・・・韓国、自分たちがマジで「不法占拠」していることを、よーく理解しているからだ。
さて、カンボジア・タイのアンコール遺跡の問題だが、私は、カンボジアに分があると思っているのだが、さて・・・!
(おまけ・・・カンボジアの美少女)
はにかみの、いい笑顔です^^
(2013/10/30)
今、エロ小説を書いているので、この一週間は「再掲」週間となっております・・・。
以下は、2009/05/08 に投稿したものです。
◇ ◇
☆先ずはこちらを読み返してね^^
[よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記①》]
●第二章『グリーン・ラビリンス(ジャングル迷路)』
(6/17 快晴 オバラウ島[レブカ→ロボニ村]→ナウソリ→スバ)
▼『ああっ! まただ! もうダメだ』 僕は空を仰ぎ、うめいた。オバラウ島山中に入って、40分は経っていただろうか・・・?
【・・・・・・道、が、ない、のだ・・・・・・】
# # #
▼ホテルを朝に出発。満ち潮の荒々しいコロ海を横目に、フィジー航空出張所へ。午前の便を予約しようとすると『もう売り切れ』と言われてしまった。
ならば、午後の便までに、レブカから空港まで、オバラウ島を横断してやれ!
と、山間部にひっそりとあるロボニ村を目指すことにした。
しかし、山の入り口が分からない。おっさんに問うと、恐そうな人だったが、親切に教えてくれて、メモまでしてくれた。
【タクシーでドランバ村まで行き、誰かに金をやって案内してもらえ】
とりあえず、おっさんの前半の指示は聞いたが、後半の指示は無視。
ドランバ村の母子に山の入り口だけ聞いて、急斜面の山へ、単身で入る。
恐ろしく急な坂道、登り始めて数分で息切れし、汗がダラダラと流れた。
・・・そして、道などがほとんど存在してないことを痛感した。
道がなくなった!
と思い、周りをキョロキョロすると、かすかに草の生え具合が他と違っている箇所を見つけ、そこを進むのだ。
しかし、40分後、もはや戻ることが出来ない状況の中、道がなくなってしまった。
・・・時に午前9時・・・。
捜す! 探す! 必死で、草の生え具合を見る、見る、見るっ!
雑草の上をモンシロチョウが三匹、ヒラヒラと飛んでいる。
僕を「迷いの森」に引きずり込むかのようだ。
『もしかすると、この草っ!?』
他の草が雑草であるのに、その区画の草は背が高く、明らかに人為的に植えられた感じがあった。
・・・『これは人間が植えたんだ!』
僕はその草の一角を回りこんで進んでみる。
・・・あった! 道が開けていた^^
と言っても、15cmほどの小道だったが・・・。
先ほど、道を尋ねた時のドランバ村の母子の表情、『ロボニまで行けるものなら行ってみな。日本の坊や!』とでも言いたげな顔を思い出し、『へへーんだ!』と思った。
先は本当に長かった。
最初の斜面で体はヘトヘトだった。
それにも増して、ぬかるみの斜面横歩きは、一歩間違えれば<奈落>の危険があった。
時に、足に気を使うばかりに、足がつりそうにもなった。
『コーラが飲みてえ!』と呟く、『疲れた!』と叫ぶ。
これは、ハイキングじゃねえ、ジャングル探検だっ!
ヤシの木や、葉の大きな植物がうっそうと茂り、僅かな道の地肌に雑草が覆いかぶさり道を隠す。
草の間をヤモリがチョロチョロし、イボガエルがピョンピョンと跳ねて行く。
危険な動物がいないのが幸いだった。
毒ヘビなどがいたらと思うと恐い・・・。
本日の朝(と言っても、もう昔の記憶だ^^;)、部屋を出るとき、ジーパンにしようか、半ズボンにしようか迷った末にジーパンにしていた。
もし、半ズボンにしていたら、ふくらはぎは擦り傷・切り傷に苛まれたことだろう。
不幸中の幸いだ・・・。
しばらく歩くと、斜面を耕す男がいた。
<運命の男A>としよう。
『ロボニまで何時間かかる?』と問う。
すると男は、ポツリと『三時間・・・』と答えた。
ヒエエ~ッ! と思った。
僕はてっきり、この男の畑からロボニ村が開けているとの淡い希望を抱いていたのだ。
超ショック!
更に進む。
『♪疲れた』『♪疲れた』と歌いながら進む。
『ファイト!』『ファイト!』声を張り上げる。
【しかし、自然は無情(無常)、そこには緑が存在するだけだった】
『おおっ!』^^ 小川が流れてる!
<命の泉A>とする。
顔を洗い、そして口をゆすぐ、水はあえて飲まなかった。
後で更にノドが乾いてしまうだろうからだ。
こう言うときに休むと、余計につらくなるものだが、少し体力を回復し、進む。
いよいよジャングルも本格的になってきた。
地面のぬかるみに転び、ジーパンに泥ねっとり。
「・・・しかし、俺のこんな姿を見たら、マロン・グラッセちゃんはどう思うことやら・・・!?(蘭注・マロンちゃんは、当然ながら仮名で、当時、私の好きだった人^^;)」
一度転べば二度、三度。
手をつくので、両手もドロドロ。
【・・・そして、新しい局面に・・・】
目の前に沼地が広がっていた。
<絶望の泥沼>と名付けよう。
その向うに道が続いているようだった・・・。
僕はためらわない。進む!
グポッ! グポッ! 一歩二歩のうちはまだ良かった。
しかし、三歩、四歩・・・。
そして、五歩、六歩、七歩・・・。
グポポポポッ! グポポポポッ! 両足がヒザ近くまで泥だらけ・・・^^;
泥沼の中心部では酷いことになった。
僕のお気に入りのナイキのマウンテンシューズが脱げるほどに、泥沼に嵌まってしまった。
それを掘り返そうと、体勢を変えると、そのまま転び、今度は腕がズボズボとはまり込んでしまう始末・・・。
(蘭注・こんな室内ゲームがあったよね^^ 「ツイスター」とか言ったっけ? 床に、数字がランダムに書かれたマットレスを敷いて、プレイヤーは、対戦相手の指示通りの番号に四肢を配置しておくと言うゲーム。ゲームの終盤では、数字どおりに手足を置こうとすると、手足がこんがらがってしまう。泥沼での私は、そんな状態になってしまったのだわ^^;)
正直、半泣きになった。
でも、涙を拭くことさえ出来ない。
だって・・・、両腕が泥だらけであるから・・・;;
尚も、更に、奥地に進む。
この頃から、僕の心に疑問が起こる。
【俺は、ちゃんとした道を進んでいるのか?】
「遭難」の二文字が頭にちらついた。
(続く)
◇
●第二章『グリーン・ラビリンス・承前(ジャングル迷路)』
(6/17 快晴 オバラウ島[レブカ→ロボニ村]→ナウソリ→スバ)
▼・・・俺は、ちゃんとした道を進んでいるのか?
「遭難」の二文字が頭にちらつく、新聞の見出しが思い浮かんでしまう・・・。
▽<無謀! 日本人青年 単身ジャングルへ・・・楽園の孤独な死・・・
***若者に広がる『地球の歩き方』過信***
水筒も地図も持たずに・・・
(白骨死体となって発見された深夜蘭君の生前の親友・O君談)
『・・・「元気で帰ってくるからよ」、そう言って深夜君は旅立っていったものでしたが・・・。とても悲しいです。ところで、僕は、生前の彼に30万円を貸していたのですが、帰ってくるのでしょうか? 保険金の方は、どうなっているのでしょうか?』^^;
# # #
▼しかし、歩くしかない。
「ネバーギブアップ!」「ネバーギブアップ!」
フラフラした足取りで、森の中を突き進む。
時おり、クモの巣が道を遮る。
僕は先ず、手でクモの巣を払いのけ、クモが逃げたのを確認してから、先に進む。クモが毒を持っていたら大変だからだ。
『ネバーギブアップ!』『ネバーギブアップ!』
初めのうちは、転んだら立つまでに数秒を費やしたものだが、今ではもう、スックと立ち上がり、スタタタッ! と坂を下る。
走った方が楽なんだ。
赤土の斜面は滑りまくる。
この熱帯地方でスケートが出来るなんて!
何度も転ぶ、汗が流れる、鼻水が垂れる。
・・・しかし、僕自身は、自分の落ちぶれた姿を、少しだが、【格好良いなあ】と思っていた・・・。
破滅の美学ってやつだ。
尚も進む・・・。
ノドが渇く・・・。
<命の泉A>で水を飲まなかったのを悔やんだ。
あまりにもノドが渇いたので、思わず歌を作り、歌いながら歩いた。
『コカ・コーラが飲みたい』 作詞・作曲 Midnight・蘭
♪コークが飲みたいな (ホイホイ!)
♪ゴキブリなんだっけ (ホイホイ!)
♪ペプシでも良いのにな (ヘイヘイ!)
♪やっぱりコークが飲みた~い~な~ [←ここ、ビブラート^^;]
▽これを無限に繰り返し歌うのである。
・・・もう一曲作ったので記しておく。
人間ってやつは、極限状況の中では思わぬ才能が現れるものだ^^
『思い出に早く変われ!』 作詞・作曲 Midnight・蘭
♪どうでもいいけど この苦難
♪早く終ってちょうだいな
♪いつか笑って話せるように
♪楽しい思い出に
♪早く変われ-ッ! [←魂の叫び]
▽こんな風に、今となっては、楽しく書いてるが、この時点ではシャレにならなかった。
地図上の直線距離では、ドランバ村からロボニ村は2kmとないだろう。
しかし、僕は、その高低差を全く考えていなかったのだ。
僕は、ボーイスカウト時代、地図の読み取りを大得意にしていたのだが、実践(実戦?)において、その技術を失念していた。
疲労が激しい。
横になりたかったが、このネッチョリとした草の上に横になる豪快さはなかった。
・・・二時間が過ぎ・・・、そして三時間が経った・・・。
【僕、マジで疲れています。体が朦朧としています・・・】
▼いくつ、山を巡っただろうか?
少し平らな土地が視界に開けた。
人がいた!
<運命の男B>としよう。
『ロ、ロボニ村まで、後どのくらい?』
僕は問う。
男は言った。
『Just here!』
や、やた^^ やったあ!!
続いて、<命の泉B>が見つかった。
ザブン! と入って、シューズとジーパンの泥を落とした。
水も、飲んじまったよ^^;
しかし、そこからも長かった。
小川が流れ、何人かの人とすれ違ったが、なかなかロボニ村に到着しなかった。
小川を何本も渡ったが、どう考えても、その流れの方向が一定ではなかった。
不思議な土地である。
大きな木があった。
その木の赤い花びらが風でパラパラと落ちてくる。
きれいなものを一枚拾い、手帳に挟んだ^^
なかなか着かない。
ミカンらしき果実がいっぱい落ちていて柑橘系の酸っぱい香りを放ち、爽やかだった^^
▼『くっそーっ! まだ着かないのかよお!』
怒鳴った時、彼方まで続く林の間に小屋が見えたので、進む。
小屋、と言うか家屋の姿は増えていった。
【ロボニ村、だった。】
(続く)
(2006/12/28に再掲す)
◇ ◇ ◇
1992年の出来事である。
(2009/05/08)
「もしかして、やめちゃうのかな」と思った。
親しい人ではなかったのだが、あんまし口数の多い人物でもなく、話す人もいなくて、それで仕事を続けるのが嫌になっちゃったりしたのかな,と、なんか心配になって問うたら、「旅行に行くんですよ」と答えた。
「どこに?」と、私は、なんか興味を持ち聞くと、「トルコです」とのこと。
しかし、その後、トルコは今、治安が悪いとのことで、行き先をモロッコに変えたそうだ。
モロッコ・・・、私の行きたい海外リストに挙がったことのない国だが、そんな気軽に行けるのだと思うと、興味が湧いてきた。
私の行ったことのないアフリカ大陸の一角である。
映画『カサブランカ』や、カルーセル麻紀か、松田聖子の「♪マラケシュ 迷路の町」の歌詞ぐらいでしか知らない土地だ。
だから、なんちゅうか、その彼の旅行にあやかりたくて、餞別を渡し、「石ころを拾ってきてくれ!」と言った。
その彼が、今日、職場に復帰した。
モロッコ全土を回り、サハラ砂漠に昇って沈む太陽を、ラクダに乗って眺めたりと、海外旅行を満喫したそうだ。
「なんか、危険な目に遭ったかい?」と聞いたら、
「ヴォルビリスの古代遺跡を写真に収めていたら、夢中になって回りに注意が向かなくて、足を側溝に嵌めてしまい、擦り傷を負いました。その時は、もう、自分は、この側溝から一生 足が抜けないのかと心配になりました・・・」
私は、スリに遭ったとか、暴漢に襲われたとかの危険を想定していたので、その、日本の生活でもあり得るような危険が微笑ましかったし、「一生 足が抜けないのかと心配になりました」っちゅうのが気に入った^^
・・・ネットで拾った「ヴォルビリスの古代遺跡」の画像
で、タイトル写真は、彼がおみやげにくれた大理石のラクダです。
包んでいる新聞紙もアラビア語で、その伝わってくる異国情緒が嬉しい!
また、下の写真の線で囲んだ部分には、自然にあった異なる石の接合部が見られ、味わい深い。
(2012/11/16)
☆最近、アクセス数が好調だ。
しかし、500人前後の方が、いつも来訪してくれているが、どんな記事が好みなのか分からない。
とりあえず、来てくれたお客さんは逃がさないように、近頃は、一日2エントリーをかましている^^
さて、カンボジアの写真をランダムに載せてみたいと思う。
タイトル写真は、カンボジアはアンコール・トム(王都)の中央にあるヴァイヨン寺院にある仏顔塔の一つである(・・・南大門の仏顔かも)。
この、口の両端をクィッとあげている笑みが「クメールの微笑み」と呼ばれるものである。
・・・ヴァイヨン寺院(よく見ると仏顔いっぱい)
カンボジアにはじめて行ったときの初々しい私です。
カンボジアに何度か目に行ったときの私です。
髪の毛が金髪で、僧服とコラボしていますね^^
この時の、あまりにも激しい脱色が、私をハゲにしたとか・・・。
アンコール・ワットの中央尖塔から見下ろしたワットの前景です。
今は亡き、親友の中谷圭クンと写っています(プノン・バケン)の山頂にて。
カンボジアの美少女です。
丸顔のショートカットの子は、私のテッパンの好みです^^
(2011/10/12)
カンボジア北部の国境に位置するヒンズー教寺院遺跡<プリア・ヴィヘア>が舞台だ。
《タイ・カンボジア停戦破棄、再び交戦 世界遺産の遺跡損傷 (産経 2011/02/07 02:10)》
<【シンガポール=青木伸行】タイ、カンボジア両国の国境紛争が再燃している。国境に位置するヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」の周辺で、4日から6日にかけ、両国軍による散発的な戦闘が続いている。
ロイター通信によると、4、5の両日で、カンボジア兵やタイの民間人ら少なくとも5人が死亡。タイ、カンボジア双方とも、戦闘を仕掛けたのは相手側であると非難した。遺跡の一部も損傷を受けた。
現地からの情報によると、6日はプレアビヒア周辺で両軍幹部が会談し、停戦と、戦闘の発生で避難した住民の帰還で合意した。だが、6日夕になり再び両軍が衝突した。タイ軍のスポークスマンは、死傷者の有無は不明だとしている。
ダンレック山脈の断崖絶壁に建つ同寺院遺跡をめぐる国境紛争は、フランスのインドシナ植民地政策の「残滓(ざんし)」だともいえる。
もともとは現在のカンボジアの多数派民族、クメール人が建て、タイのアユタヤ王朝がカンボジアのアンコール王朝を倒した15世紀以降、タイの領土となる。だが、カンボジアが19世紀以降、フランスの保護国となると、タイはカンボジアの領土をフランスに割譲。この際の国境画定の“曖昧さ”に紛争の起源がある。
1962年に国際司法裁判所は、同寺院をカンボジアの主領土とし、2008年には世界遺産に登録された。しかし、タイ国内の保守派には、政府の「弱腰な対応」への不満が強く、今回もアピシット政権に批判の矛先が向けられている。>
◇
最近の情報には疎いのだが、もしかして、近年は、この<プリア・ヴィヘア(タイ名:カオ・プラ・ヴィハーン) >、カンボジア側からも行けたのかも知れないが、私がアンコール遺跡に夢中になっていた20年前から10年前くらいは、この遺跡は、カンボジア領内でありながら、カンボジア内部からは行けなかった。
それは、ジャングルに潜伏していたポル・ポト派が、このカンボジア北部に潜んでいたこともある。
カンボジアからだと断崖絶壁の上にあったからでもあろう。
地雷もたんまりと埋められている。
◇
私は、タイやラオスのクメール遺跡も訪ね、タイ東北部に行ったときは、この<プリア・ヴィヘア>にも行くつもりだった。
しかし、タクシーの運ちゃんが「危険だ!」と連れて行ってくれなかった。
となると、私も興奮してきて、「金を倍払うから連れてけ!」と言ったのだが、運ちゃんは首肯しなかった。
日本のマスコミでは、戦火を交えるまでしなくては報道されないが、この地区の両国の緊張はずっと続いていたのだろう。
・・・で、私なりに考えてきたのだが、おそらく、このような地形(カンボジア側からは高低差があり過ぎ)にあり、
地形国境を主張したいタイと、カンボジアは、地政学的帰結として争わざるを得なかったのだろう(間違っていたらゴメン)。
(2011/02/24)
私はイメージで、何故か首都のウェリントンで起こったかのような勝手な思い込みを持ってしまい、確かに20年前にワーキングホリデーで、彼の国に1年間滞在したが、オークランドとクライストチャーチしか知らないので、ニュースを聞いた直後は「そりゃ、大変だ」ぐらいにしか思わなかった。
しかし、今朝のニュースでの映像に絶句した・・・、クライスト・チャーチがグシャグシャになっていた。
町のシンボルであるカテドラル・スクエアの大聖堂も崩れていた。
私は、滞在中いつも、この大聖堂の見えるカフェで、フィッシュ&チップスやパイを食いながらコーヒーを飲んでいた。
夜は、近くのバーで、ステイン・ラガーやDBドラフトを飲んだくれ、
たまには<クレイジー・ホース>や<ルート66(だったか?)>でストリップを見た、観た、魅た。
カジノ・バーでは、日本の競馬も賭けの対象で、<トウカイテイオー>で儲けたものだ。
私は、この中心部から北にあるシャーリー地区で、グレンジャー・ファミリーの家にホームステイしながら、
町の中心部に近い、大橋巨泉の<OKギフトショップ>の前にある日本食レストラン<くらしき>で働いていた。
近くには、デザートレストラン<ストロベリー・フェア(だったっけ?)>があり、ここの「デス・バイ・チョコレート」は必食のものだ。
西には、地震で崩れた銅像が建っていた博物館があり、
この町に来た当初(オークランドで半年を過ごし、その後、フィジーでのバカンスを経て、厳冬のクライスト・チャーチに来た)、厄介になったユースホステルや、よくふらついたアートセンターがあり、
その向こうには、よく散歩したハグレー公園があった。
更に西のリカトンには、<くらしき>のオーナー夫妻の大邸宅があり、
ガールフレンドとデートした<モナベイル>と言うお洒落なレストランがあった。
<パーチカ>と言う雑貨屋は楽しかったなぁ。
南の高台のカシミア・ヒルには、私を超お嬢様学校<セント・マーガレット>の教壇に立たせてくれた女教師ジーナ・マリーの邸宅があった・・・。
東のニュー・ブライトンの港町では、仲間とバーベキューしたっけ・・・。
近郊のマウント・ハットでは、ジーパンでスキーを楽しんだ。
滞在の最後には、売春宿で女を買った。
そのお嬢の名前は<フォンダ・ポンダ>で、その娘は「日本のHONDAと似た名前でしょ^^」と笑っていたものだ・・・。
そんな街が、現在、機能不全に陥っている・・・。
◇
少し、写真を載せておきます。
今、忙しくて、スキャナーで写真を取り込む余裕がないので、写真を携帯で撮った写真でスマソ^^;
カテドラル・スクエアでの<マーディ・グラス>の一風景。右手奥の建物、地震のニュースで見たでしょ?
同じくカテドラル・スクエアに隣接する映画館です。『美女と野獣』の看板。
ホームステイしていたクライストチャーチ近郊のシャーリー地区の公園。
クライスト・チャーチ郊外。線路の上でパチリ!(私は右)
箱庭のような港町。
マウント・ハットのスキー場。私は上手く転ばないので、ジーパンでも平気!(私は真ん中)
◇
地震を身近に思うには、その思い出が、あまりにも時間的に遠く、実際の彼の地の距離も、地球の裏側ほどに遠い。
しかし、こうして思い出すに、「いい国」だったと心から思う。
思い出は、人の心の中に、「今」に生きる町を想起させる。
一刻も早い、遭難者の救助と、町の復旧を願います・・・。
(2011/02/23)
孤児院の子らのために、虎のマスクを被りリングに上がり、子供たちに夢と希望とファイトマネーを送り続けていたのが伊達直人であった。
・・・昨年末に、児童相談所に「伊達直人」名義でランドセルが届けられたことに始まり、全国各地で善意の贈り物をする「伊達直人」が頻繁に現われている。
・・・ガタイ良すぎ^^;
全国で現われる「伊達直人」は全員、同一人物ではないだろう。
私は、このような話には、いつも感動させられる^^
『電波少年』のクリスマス企画で、託児所の寝ている子供におもちゃを届ける話も、いつも感動していた。
で、話は変わるが、今回、大挙として現われている「伊達直人」が、実は「伊達臣人」だったら、どうなるだろうって話だ。
猛者揃いの<男塾>でも、最強の噂のある伊達臣人である。
例え、相手が女子どもであろうとも容赦ないだろう。
・・・で、この話はここで終わりである。
特に、続きのネタは考えていないのである^^;
今日も残業で疲れているのだ。
最近のランドセルのCMは、石井萌々果ちゃんがキビキビと踊っていて可愛いね^^
◇
てな訳で、私がカンボジアで「伊達直人」していた時の話を再掲しよう^^
◇
「2005/02/15」の再掲です。
私は毎度カンボジアに行くにあたり、子ども達に、文具や衣服・玩具などを大量に持っていくことは、これまでも語ってきた。
中でも、子どもたちが喜んでくれるのが、ぬいぐるみと人形である。
可愛い子どもが、可愛い動物のぬいぐるみを抱いて喜んでいる姿は、可愛さ×2で、見ているこちらも幸せになってくる^^
そんなことがあるので、私の周りの者は、機会があれば、どこからかぬいぐるみや人形を手に入れてきてくれる。
・・・ここ数年、コインランドリーと言うものは、洗濯機を持たない貧乏学生が、溜まった汚れた衣服を洗いに来る、なんて言う、暗いジメッとしたイメージとは程遠くなった。
コンビニ的な清潔感のある内装に、布団やシーツといった大物を洗える洗濯機や、靴などの特殊なものを洗えるような洗濯機も備えているし、もちろん最新の乾燥機なども揃えられていて、家に洗濯機を持っている主婦連も好んで来店しているようだ。
梅雨の時期などは、いつもにも増して、かなり盛況となるそうだ。
そう言った状況は、ちょっと近所を見回せば、多くの郊外に<スーパーコインランドリー>が店を開いていることで分かろうものだ。
・・・<スーパーコインランドリー>と言うのは、私の造語である。
今まであった銭湯は「家に風呂を持たない人にとっての不可欠なもの」と言う概念であったが、近年、銭湯というものは、「家に風呂を持っている人が、体の汚れや疲れを落とす為とはまた異なった、風呂を楽しむ為」と言うものにコンセプトチェンジを果たし、リニューアルされた。
そういった銭湯を<スーパー銭湯>と呼ぶので、同じようにコンセプトチェンジを果たしたランドリー施設を、そう呼んでみる事にした次第である。
類義語に<スーパー廻転寿司>がある^^
ある日、私の母親は、<スーパーコインランドリー>にいた。
目の前に、洗い終えたぬいぐるみや人形を、乾燥機に放り込んでいる見知らぬおばさんがいたそうだ。
『・・・・・』 我が母親は、見るともなしに、そのおばさんを見ていたと言う・・・。
すると、そのおばさんが、語り始めた。
『もう、いらない人形なんだけど、形のあるものだからね。捨てたりは出来ないのよ^^;』
それを聞いて、我が母親はすかさず言ったそうだ。
『私の息子は、よくカンボジアに行くんだけど、お人形を持っていくと喜ばれるのよね~^^』
『あら!』とおばさんは微笑んだそうだ。『じゃあ、この子たち、お風呂(洗濯機)にも入ったことだし、貰ってくれない^^』
・・・かくして、大量の人形やぬいぐるみが、我が家に貰われて来た。
人形やぬいぐるみは、幾つかの袋に入れられて、私の部屋の隅に置かれていた。
だが、問題が起こった。
その袋の一番上から、赤ちゃん人形が顔を出していたのだが、それが、あまりにも可愛いのだ。
まん丸顔にクリクリのお目々、口は指をおしゃぶり出来るような仕様になっていて、何か舌足らずで喋っているかのように開いているのだ。
赤ちゃんなので、上唇はアヒルのようにめくれている^^
「これは、一度でも抱っこしたら、情が湧くなあ^^;」と思い、私は触れないようにしていた。
カンボジアの子ども用の人形やぬいぐるみが、続々と我が家に集まっているのだが、その中にあまりにも可愛い赤ちゃん人形がありました。
起き上がると目が開いて、横にすると目が閉じます。いつも、親指をおしゃぶりしています。
人形たちは、ビニールに詰められ、部屋の片隅に置かれているのですが、その赤ちゃん人形の顔だけがいつものぞいています。
これが可愛いのです。
いつも、抱っこしたい衝動にかられます^^;
・・・と、わざとに投稿し、自分を抑制していたのだが・・・。
一昨日、帰宅し、自室に入ると、その人形が、私の寝床の上に、チョコンと寝ていたのである・・・^^;
私が不在の間に、何者かが、赤ちゃん人形を袋から出して、布団の上に置いていたのである・・・。
「う、うう;;;」
私はうろたえた・・・。
可愛いのである。
頭部と手はプラスチックで精巧に出来ているのだが、体と四肢は投げやりな縫いぐるみのような作りなのである。
着ている赤い水玉のワンピースは薄汚れていて、片方の足の先は破れていて、中の綿がこぼれている。
しかし、・・・可愛いのである。
私は、その気持ちを振り切り、赤ちゃん人形の体を片手でわし掴みし、袋の中に戻そうとした。
だが・・・、寝ていた赤ちゃん人形を持ち上げると、瞳が開いて、微笑んできやがるのだ^^;
・・・・・、・・・・・;;;;
『寝るときは、布団にちゃんと入らなくちゃダメだろ』
私は、布団をペロンとめくり、赤ちゃん人形を寝かせてやるのだった・・・。
それからは、夜は寝かせて、昼は椅子に座らせて過ごさせているのだが、赤ちゃん人形はそれで良いとしても、問題は【私】なのである・・・。
早いとこ、この人形を、カンボジアに里子に出さなくちゃ、私が、【世間様とのコミュニケーションが取れないレベル】になってしまう^^;
昔、渋谷原宿近辺を歩いていると、フランス人形を愛しげに抱いて散歩する白髪のおじいさんをよく見かけたものである。
私は、そのじいさんを見ると、侮蔑の視線を向けたものである。
だが、私が、そのじいさんの域に達するのも間近いかも知れない・・・。
(2005/02/15)
◇
では、寝ます。
おっと、『別冊 正論(14号:皇室の弥栄、日本の永遠を祈る)』は既に購入し、寝る前に毎晩読んでいる。
非常に読んでて「面白い!」、だが、あまりにものボリュームで読み終わらない^^
(2011/01/10)
[よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記①》]
[よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記②》]
なお、この旅の後、ニュージーランドのクライストチャーチを舞台に、エリオット君との激闘(クリック!)が始まるのでした。
◇
●第二章『グリーン・ラビリンス・承前(ジャングル迷路)』
(1992/6/17 快晴 オバラウ島[レブカ→ロボニ村]→ナウソリ→スバ)
『くっそーっ! まだ着かないのかよお!』
怒鳴った時、彼方まで続く林の間に小屋が見えたので、進む。
小屋、と言うか家屋の姿は増えていった。
【ロ ボ ニ 村、 だ っ た。】
とあるおばさんと目が合い、『シャワーを浴びたいんだけど』と言うと、村の中心に立っている水道の蛇口を示してくれた。
僕はそこでジーパンを脱ぎ、シューズ、靴下を手洗いした。
パンツ姿の僕に、村の、旦那の留守を守るおばさん連中が『ワオ~ッ^^!』と声をあげる。
とりあえず、最初に目が合ったおばさん・VITINIAさんの家に入れてもらい、くつろぐ。
『水を一杯ください』と言うと、ビチニアさんはバケツに汲み置きしておいた水をグラスにすくってくれた。
『子供は何人ですか?』と僕は問う。
ビチニアさんは『4人、女の子が3人で男の子が1人』と答え、『本当は2人くらいがベターなんだけどね』と付け加えた。
僕は、親切のお礼に、和紙と、子供の数だけ箸をプレゼントした。
そして、しばし、隣りの家のおばさんを交え、色々と話した。
僕は、昨日と今日とで、一気に英語力が上がったぞ^^
『結婚してるの?』と聞いてきた。
『いいえ』と答える。
『ガールフレンドは?』と聞いてくる。
『まあ、ボチボチ・・・』と答えると、『写真持ってる?』。
僕が持っている写真と言えば、マロン・グラッセちゃん(仮名)のものしかない。
とりあえず、それを見せる。
二人ともジッとそれを見つめる。
『可愛いでしょ?』と僕が言うと、二人とも本当に温かな瞳をした。
「カサバ」と言う、フィジーのイモの料理をごちそうになった。
けしてうまいものじゃないが食べられた。
淹れてくれた紅茶の温かさも疲れた体には効く。
『ところで、子供たちは?』と問うと、『今は学校に行ってる』とのこと。
ビチニアさんは『パブリック(公立)なんだ!』とちょっと誇らしげに言った。
おそらく、公立に行く方が難しいのだろう・・・。
昨日見た、灰色の制服か真っ青な制服、そのどちらかが「公立」なのだろう。
フィジアンの言葉は、日本語に似ているところがある。
例えば、語尾に『~~ね』と念を押すようなのである。
また、人を呼ぶ時、『おい! おい!』と言うのである。
いちお、大学で言語学を学んでる身としては、そう言う点なんかも気にかかる^^
その時、子供たちが学校から帰ってきた。
どこの子供も、僕を見て近寄ってきた。
みんな、モジャモジャ髪、クリクリの瞳、とても可愛い。
僕は子供たちと写真を撮りたくなった。
『みんな、おいで、一緒に写真に映ろう^^』と言ったら、15人以上の子供がドワーッとビチニアさんの家に入ってきた。
パチリと映す。
ビチニアさんが、僕に「スル」と言うフィジアン風腰巻を持ってきてくれた。
大きなフロシキみたいなものを体に巻くだけなのだが、なかなか似合っているのではないかと思う。
子供たちは『ギャハギャハ』笑っているが、僕としては、『アラビアのロレンス』がアラブの民族衣装を着たときのようないい気分だった^^;
子供たちは、僕の前に座り、僕に何かを期待する。
純粋な子供の期待には沿いたいものである。
リュックサックを探ると、『折り紙(しかも金色)』の束が見つかった。
子供たちの瞳が金色に輝く(反射して^^)。
先ず、みんなに一枚づつ配った。
この時、ちょっとしたパニックが起こった。
乱暴に差し出される手・手・手!
それはあたかも日本の終戦直後、アメリカ兵にチョコレートをねだる少年少女の如くだった。
フィジアンは優しいが、プライドは高い。
<ボロは着てても心は錦>!
そんな子供たちの光景を見たビチニアさん及び向かいの家の「鬼のような顔のお母さん」が、子どもたちに怒った怒った!
ヒエエ~ッ! 僕はやばいことをしてしまったような気がした。
・・・しかし、すぐに気を取り直した(立ち直りの早さはポプリちゃん直伝!^^;)。
そして、ただ恵んだだけではないことを示す為に、折り紙をたくさん折ってやった。
「鶴」「やっこさん」「たこ」「ぶた」「手裏剣」「蛾」「くじら」「風船」・・・、難しいものを折るときは間が出来て、みんな退屈だろうハズなのに、じっと僕を見つめてる。
僕の足に恐る恐る触れてきたりする。
終いには可愛らしく首をすり寄せてくる子もいた。
大勢いたので、それぞれの名前は覚えられなかったが「アリエタ」と言う、ビチニアさんの6才の子供だけかろうじて名前を覚えた。
みんな生き生きしている。
僕は言った。
『もしかしたら、僕は先生になるかも知れない。(蘭注・常連閲覧者の方は信じられないかも知れないが、私は大学で教職科目を取っていて、休まず受講してました! この後年、私は教育実習も行なうのでした・・・^^;) そしたら、君たちみたいな熱心な生徒のクラスの先生になりたいものです・・・』
しかし、ニュージーランドで私にスパルタで英語を叩き込んでいたアキラさんが以前に言った。
『教師で、まず一番に大切なことは、生徒の名前をいかに早く覚えるかなんだ』^^;;;
午後二時、僕はビチニアさんの家を後にした。
村外れまで4人の子供が案内してくれた。
僕の心にはしこりがあった。
家族の写真を見せたのだが、その時、おそらく、僕が写真を取り出した手帳の間の20$札の束をビチニアさんは見てしまったようなのだ。
もちろん、彼女は、それを盗るなどと言う気はないのだが、『日本の金持ちのドラ息子が道楽でここに来るんじゃあないわよ』に似たような気持ちが起こってしまったようなのだ。
懸命に取り繕ったが、修復は難しいようだった。
『Thank you very much! I will come back here together my wife someday』
と、いつもの文法メチャクチャの英語で言うのがやっとだった。
僕が村から去っても、遠くから『バイバーイ!』と叫ぶ声がいつまでも聞こえた。
僕はもはや振り返らず、出来るだけ大きく手を振った。
さて、気を取り直してナイビテイテイ空港へ。
思えば、ポプリちゃんだ(私は、このフィジーでのバカンスを終えたら、ニュージーランドに戻るのだが、彼女は、日本に帰るのだ)。
彼女は、ニュージーランドのオークランド空港で友人達と涙の別れをした。
しかし、その瞳は十分後には乾いていた。
そして、しばらく無表情になり、更に少ししてから言った。
『よしっ! スッキリした!』
そんなポプリちゃんの姿を見て、私は、『・・・さすがは、俺の親友だ・・・』と思ったものだ。
この心の<切り替え>、僕などは見習わなくてはならない。
これはスポーツ界における<スイッチング・ウィンバック>と呼ばれている精神切り替え法と似ている。
スポーツ選手などは直前に犯した失敗をくよくよ悩んでなどいられない。
ボールはすぐに飛んでくる。
かくして、何かを<きっかけ>にして立ち直らなくてはならない。
例えば、テニス選手ならラケットを替えてみる、など。
一流になればなるほど、その<切り換え>を迅速かつ容易に行なう。
ポプリの野郎も、そう言った意味では一流か・・・^^;
「涙」を<きっかけ>として立ち直るのだ。
ともあれ、<悩み>なんてものは、一通り考えを巡らせれば後は同じことの堂々巡り、早く立ち直るにこしたことはない。
悩みが人を成長させることはなく、悩みを克服するところに人間の成長はあるのだ。
ポプリの野郎は、そのエッセンスだけを吸収し、大きく成長して行く。
何故なら、彼女は、かつてオーストラリアで一年間生活し、そこを去るときには、帰りの機上、ずっと泣きっぱなしだったのだ。
恐るべしポプリ! 成長していくライバルと言えよう。
◇
これは、17年前の文章なので、私の今の感覚だと、ちょっと納得できない理屈を連ねていますね^^;
「悩みが人を成長させることはなく、悩みを克服するところに人間の成長はあるのだ」なんて、今の私には疑問が起こる。
繰り返し悩むことで、心が磨かれるのだと思うのだ。
(2009/08/09)
◇
承前『教育会議』の巻
・・・サチが来てから数日過ぎた、ある晩の彼女との会話。
グレインジャー家族といる時には、英語で話す僕も、サチと二人の時には、日本語で会話してしまう。
『今夜はミド蘭がいてくれて良かったよ^^』
『なんで?』
『だって、エリオットの世話が二分されるもん!^^』
『それは俺だって、サチが来てくれて助かったよ^^』
『アッハ^^ やっぱ、そう思ってたのね!』
『くすぐられていたでしょ?』
『うん』
『キスしてくるでしょ?』
『うん、された』
『耳キスは?』
『された』
・・・耳キスとは!?
耳にキスをされる。ただそれだけだ。しかし、それを受けた者は、身体がゾクゾクッとする^^;
・・・『俺たちは、なんだかんだ言っても、エリオットのペースにはまってしまっている』
『だって、やっぱ、ほっとけないじゃん』
『それはそうだけど…、なんだか俺たちって、自分勝手な彼氏に愛想を尽かしつつも、腐れ縁で離れられず振り回されている女の子みたいだよ』
『きっと、奴ぁ、プレイボーイになるね』
◇
それから、数日後、サチが深刻な表情で言った。
『私たちは、もしかすると、エリオットを甘やかし過ぎているのかも知れない』
『うん、俺もそう思っているよ。でも、今更、怒ることも出来ない。今まで怒らなかった俺が、急に怒るようになったとしよう。6歳の子供の頭の中では、俺の豹変に思考がついていけず、例えば、人間不信にでもなってしまったら困る。俺には、その、硬軟のバランスの取り方が分からないんだよ。自分の子じゃないからなあ』
『でも、もっと、エリオットの教育について考えなくては・・・』
『もちろん』
◇
それから、更に数日後のサチ。
『最近、やっと分かったの^^ 他の友達にも聞いたんだけど、どこの家庭の教育も似たようなものみたい。ほっぽらかしがニュージーランドの教育のキーワードなのね』
・・・それは違うと思う。
やはり、エリオットの教育はどこか間違っている。
NZの教育法の一言で片付けてしまってはいけない。
◇
色んな要素が複雑に絡んでいるので、答えは出せないが、こちらにも原因がある。
日本人の優しすぎる点があり、それが対象の「甘え」を増長させてしまいもするのだ。
だが、ホームステイと言う、中途半端な期間の対象との接触は、旅行の延長とも思え、対象に過度の感情をあらわにすることを躊躇してしまう。
つまり、対象の悪い部分を「叱る」と言う行為に、ホームステイの短い期間は「責任」がもてないのだ。
「叱る」ことには、アフターケアが必要なのである。
叱られた者は、すぐにその理由を察して理解できることはない。
その後の、自分の叱った者の行動を見て、次第に、自分の悪い面を改めていく。
特に子供はそうだ。
だが、旅行者の延長に過ぎない我々には、その説得力ある期間がないのだった・・・。
その場しのぎの表面上の優しさを向けるしかない弱点がある・・・。
(2009/07/19)
◇
『教育会議』の巻
エリオットについては、まだまだ語るべきことはあるのだが、それは後に記すサチとの会話に集約したいと思う。
まあ、根本的には、親分(エリオット)は可愛い奴なのだ^^;
僕に極悪非道の限りを尽くすエリオット、時に僕も我慢の限界を越す時もある。
そして、僕がすることは・・・、
・・・走って逃げて、部屋に籠もる・・・。
僕が怒って逃げ出すと、エリオット、ニコニコと笑って、「今度は鬼ごっこか?」とばかりに追いかけてくる。
僕が部屋のドアを閉めると、エリオットはギュウギュウと扉を押してくる。
僕も必死で押し返す。
エリオットは押しつつ、「もしかすると、ミド蘭は怒っているのかもしれない」と感じるらしく、急に可愛らしい声を出す。
『ミドら~ん、お外で一緒に遊ぼうよ^^』
そして、ドアの向こうで、ずーっと待っている時もあれば、すぐに諦めるときもある。
どっちにしても、僕はエリオットが可哀想になってドアを開けてしまう時が多い。
しかし、エリオットが、僕に非道を行うのを、母親ジェーンが気付く時がある。
何故か?
見取り図の「※」の部分に鏡があり、キッチンからリビングの様子が様子が見えるのだ。
かくして、時おり、エリオットは近所のブライアンの両親の家に隔離される。
そんなときのエリオットがなかなか可哀想。
真っ白な頬に玉の涙を幾筋も流し、
『ミドら~ん、一緒に行こうよ。プリーズ、プリーズ』
と、何度も繰り返すのだ。
僕は思うのだ。
「少しは、改心して来い^^;」
◇
・・・サチエ(愛知県出身・21歳)
そんな折、グレインジャー家に、新たなホームステイガールがやって来た。
エリオットと仲良く、楽しそうに遊ぶサチの姿を見て、僕は微笑みつつ、ちょっぴり、悲しさも伴うのだった。
・・・(完)
・・・のはずがない^^;
世の中ってのは、そんな単純なものではない。
サチが来てから数日過ぎた、ある晩の彼女との会話。
グレインジャー家族といる時には、英語で話す僕も、サチと二人の時には、日本語で会話してしまう。
『今夜はミド蘭がいてくれて良かったよ^^』
『なんで?』
『だって、エリオットの世話が二分されるもん!^^』
・・・・・。
(続く 2009/06/07)
◇
・・・そんな、やや荒っぽいエリオットだからだろうか、女の子には人気者らしい。
先週の水曜日は、クラスメイトのトレーシーちゃんの6歳のバースデイ
エリオットは、放課後の、彼女の家での誕生パーティーに、男の子で唯一招待された。
トレーシーちゃんは、ブラウンヘアーをおかっぱにしていて、大きな瞳、そして、真っ赤なホッペが印象的なプリティガールだ。
前日、ジェーンが、エリオットに持たせるトレーシーちゃんへのプレゼントを買っていた。
僕は、「これもやっとくれ!」と、折り紙を渡した
喜んでくれただろうか?^^
こちら(ニュージーランド)の学校では、誕生日には、バースデーハットと言うものを一日中被るそうだが、その変な緑色のハットを被って嬉しそうに、いつもにも増して頬を赤らめるトレーシーだった。
裏をテープで貼っていたので変色してます^^;
(次号『教育会議』篇 2009/07/01)
ナチュラル・ボーン・バイオレンス…
◇
・・・しかし、まだ、僕やサチは良い。
大人だからだ。
それでは、エリオット君、友達に対してはどうなのだろうか?
僕は時々(早く起きたとき)、エリオットを学校に送りに行く。
そして、ずうずうしく教室の中まで入っていく。
エリオットは、教室の前までは、僕にオンブされているのだが、教室に入ると、クラスメイトとうちとける。
エリオットは、やはり、男の子の中では一番に格好良く、一の子分の僕も鼻が高い。
女の子で一番に可愛いのはトレーシーちゃんだ。
それはさておき、エリオットの通う<Mairehau・School(英語っぽくない発音だが、おそらく、マウリ族の言語からきているのだと思う)>の一年生の教室は、何となく幼稚園を思わせるような机やイスの大きさで、棚には、お菓子の空き箱で作った工作物、壁には児童が描いたハンドペインティングの絵が飾られていたりする。
そんな中、ある日、ぼくは見たのだ。
いつも、僕やサチをぶつように、友達を叩くエリオットの姿を!
エリオットにとっては、いつもの通り叩いただけなのだが、その友達(推定名前:ロナルド・マクドナルド)にとっては、かつて経験したことのない衝撃(痛み)だったと思われる。
ロナルドは、あまりの痛みに、痛がるのを忘れたかのように、「信じられない(アンビリバボ)」の瞳で、エリオットの顔を、いつまでも、いつまでも、見つめていた。
(次回は「トレーシーちゃん」! 2009/06/23)