☆観れば観るほど面白過ぎる『ヱヴァ:破』である。
前の職場の同僚だった娘(既に観ている)と電話で感想を言い合い、盛り上がり、結果として、次の休みに観に行こうと約束してあるのだが、
本日、我慢が出来なくなって、三観目に赴いた。
私は、もはや、この作品を「音楽」のように捉えている。
何度も繰り返し、「へヴィ・ローテーション」で観たいのである。
昨日、母親に「明日は映画に行く」と言うと、「何観るの?」と聞かれ、「あまりにも面白いのでヱヴァンゲリヲンをまた観に行く」と答えると、「私も連れてけ」と頼まれた。
母親は、もう70歳を超えている。
「アニメだぞ?」「ロボットだぞ?」と繰り返し聞き、それでも行きたいようなので、レンタル店で『ヱヴァ:序』を借りてきて見せた。
「予習として、最低限、これは見ておけ!」
で、本日、『ヱヴァ:破』鑑賞後の、70歳超えたババァの一言。
「面白くて、体がずーっとカチコチになっちゃったよ^^」
・・・連れて行ってよかった^^
◇
夢中になると、却って、全く目に入らないシーンがある。
今回、3観目なので、かなり余裕を持って楽しめた。
ミサトさんにシャワーシーンがあったことに、今回、初めて気づいた^^
この『破』においては、あまり、私の好きなミサトさんは派手な活躍をしていないように見えた。
でも、ガラス越しに、加持とリツコのイチャツキを見て「フンガー!」となったり、
飲んだくれて、部屋で寝相悪く眠ってたり(でも、身体のラインはどうしようもなく魅力的^^)、
やっぱり加持いいな、って感じで頬を紅潮させたりと可愛い。
この方より、私など遥かに年上だが、でも、ミサトさんのような「永遠のお姉さん」てのは魅力的で、私にとってもずっと「お姉さん」なんだよね^^
◇
ミサトさんの影が薄くなってしまったのは、アスカの登場だけではない、マリのこともあるが、いまだにレイの存在が大きいからだ。
もう、十年以上も前から、レイもアスカも二大トップ二次元ヒロインであるのだから、いい加減、皆、飽きてもいいはずなのに、魅力を発散し続けている。
特に、今回は、そのメンタリティが堂々巡りをしていた前シリーズでのレイとアスカに比べ、渚カヲル言うところの「今度」のシリーズ(世界)では、ピュアなシンジと触れ合うことによって成長をしていく。
成長は、使徒との戦いで何度となく遮られるし、今作の後も、一進一退を繰り返すのだろうけど、「365歩のマーチ」の如く、「三歩歩いて二歩下がる」、少しづつ進んでいく。
そして、子供の成長は、恋を経なければならない。
レイもアスカも、それぞれのアプローチの仕方は異なるが、明確にシンジに好意を抱き始める。
本来ならば、我々は、レイもアスカも既知の存在であり、その行動様式も理解できているはずなのに、レイもアスカも、我々の認識を超越した行動を始めるのだ。
その驚きたるや、かなり大きい。
◇
そんなレイ・アスカ・シンジを前にしたら、
ミサトさんは、日本独特の襖文化を問われると、「日本人の信条は察しと思いやりよ」とか、「和をもって尊しとなすよ」とか答える、本来のコーチの役割に徹するしかない。
特に、襖文化は、後に、孤独に温もりを求めたアスカが、シンジの部屋に入っていく伏線ともなっている。
・・・「伏線」なんて言葉で括ってしまうのは申し訳ないが。
そこでの、アスカの大人びた口調と、でも、他人を求めてしまうアンビバレントな思いは、それまでのアスカ像に二重三重の複雑さを加えてくれる。
私の母親が、「どの声の人(声優ね^^;)も奇麗な声だ」と言っていたが、
アスカの声をあてた宮村優子は幾つもの声を使い分けて、感情を表現できて、実にうまい。
人形の声も良かった。
・・・いや、そんなことを言っていたら、シンジ君もミサトさんもレイもマリも、そのほかの役もみんなうまいのだが。
◇
では、今回は、そろそろ終えるけど、気になった点が幾つかある。
シンジの聞いているウォークマンだが、ディスプレイをアップしたときの曲番、今作では「26」「27」がクローズアップされる。
アスカが部屋に忍び込んできたシークエンスが終わるとき、「26」→「27」と変わる。
作り手の何らかのメッセージだと思うのだが、誰か教えてくれ。
もしかして、「今は26話」「今は27話」と教えてくれているのか?
それと、加持さんのコーヒーだが、割とTPOを弁えていると思う^^
ミサトさんのビールだが、エビスのほかに黒ラベルがフューチャーされているのは、黒ラベルファンの私は嬉しい^^
それから、渚カヲルの最後のセリフは、「パラレルワールド」と思ってもいいんですかね。
となると、「負」=「エヴァンゲリオン」=「幻魔大戦」、「正」=「ヱヴァンゲリヲン」=「真・幻魔大戦」か?
でも、あのセリフだけで済ませて、続篇がそちら(多次元世界ネタ)に傾くのは止めて欲しい気がする。
・・・しかし何度見ても、限界突破、表現超越の「綾波救出シーン」は燃える。
(2009/06/30)
特に、今回は、「9割:1割」に注目~!!
その前に、簡単に説明^^
十数年ほど前に結成した「新しい歴史教科書をつくる会」は、西尾幹二を会長とし、刺激的な保守運動を展開した。
若き言論者たちも集い、その若きパワーに魅きつけられた市井の若者たちも教科書改善運動に多数参加した。
その全盛期は、一万数千人の会員を擁した。
しかし、その組織の中にも、保守の悪弊を持つ存在がいた。
私は、保守とは、世の中を保つ「バランス」だと思っている。
これは、私が十年近く言い続けていることで、誰の真似でもない。
私のオリジナルである。
故に、「保守の悪弊を持つ存在」とは、これ、保守にあらずなのである。
そして、その「保守の悪弊を持つ存在」とは、西尾会長であり、教科書執筆の筆頭であった藤岡信勝であり、運動のリーダーでもある一部の地区の支部長であったりした。
これらが、時に内紛を起こし、自分らの我を通せない相手の排除を画策した。
数年前に、八木秀次氏が、会に愛想を尽かし離脱。
多くの若手言論者もそれに続いた。
私はただの<ネット・オナニスト>であるが、その直前まで、孤軍奮闘で「つくる会の左翼的体質」を糾弾していたが、
八木秀次氏が理事長を務める「日本教育再生機構」に合流した。
つくる会は断末魔の叫びの中で、多くの生き残り戦術を駆使した。
裁判を起こし、それにより社会の注目を浴び続けるという作戦もあった。
多くの裁判の中には、ちっぽけな私と、安倍晋三首相(当時)との共同謀議を訴えたものもあった。
そして、保守であったはずの「つくる会」が雇った弁護士は、統一教会会員の弁護士だったりする^^;
大笑いである^^v
フジサンケイグループの扶桑社に断絶された「つくる会」は、左翼系の「自由社」と組んで、教科書を出版するに至る。
故に、その教科書の内容は、元「保守の牙城」の面影さえない、特定アジア3国(中国・朝鮮・韓国)に媚びた内容となってしまった・・・。
そして、現在に至る。
◇
では、私のマブダチの、現「つくる会」理事が教えてくれた「つくる会」最新ニュース!!!
【自由社で内紛】
自由社の取締役で教科書編集室長だった松本謙一氏(前「つくる会」東京支部長:小林よしのり氏追放に暗躍した男。別名「ハゲ松」。鉄道マニア)と、社員で推理作家の石井竜生氏(駄本を一冊出している)が対立。
松本氏が敗れて教科書作りから手を引いた。
【会員数は2800人】
「つくる会」の会員は現在2800人。
1割が正会員(年会費1万2000円)、9割が一般会員(年会費6000円)。
会費収入は年間2000万円を切っており、財政問題が深刻化している。
つまり、現在300人弱が正会員に過ぎない。
もしかすると、「オウム真理教(現「アレフ」w)」より少ない組織構成員^^;
【事務局でリストラ騒動】
「つくる会」事務局の専従職員は現在、事務局長の鈴木尚之(西村真悟事件で逮捕歴あり。八木氏ら追放に暗躍)と、鈴木の「日本真悟の会」時代の部下だった越後俊太郎の2人。
2人の人件費だけで年間計1000万円弱を支出していると考えられる。会報『史』の編集など担当していた男性職員が5月末日で退職させられた。
さらに、非常勤の経理担当の女性とコンピューター補修担当の男性がリストラの対象になっているが、2人が抵抗してトラブルとなっている。
【会報『史』発行のめど立たず】
会報『史』編集担当の職員の退職と同時に、事実上の編集長だった元出版社社員の外部ライターも手を引き、『史』の次号発行のめどが立っていない。
【つくる会と自由社は一体】
「つくる会」事務局は東京都文京区水道の日本出版協会ビルの2階をパーティションで3分割し、「つくる会」、自由社、日本出版協会で使用している。
このフロアに常駐しているのは鈴木と越後だけで、自由社や日本出版協会の電話にも出ている。このように「つくる会」と自由社は実務上も一体である。
文化庁所管の財団法人である日本出版協会のあり方も問われる。
◇
これらの情報は、結構前にもたらされていたのだが、いやはや、グダグダであるね。
こんな状況で、曲がりなりにも教科書を出したり、著名人を招いて大講演会を催したりするパワーには、ちょっとだけ感心してしまう^^;
(2009/06/29)
☆『ヱヴァ:破』公開初日である一昨日のレイトショーの<MOVIX昭島>は超満員であった。
私は、本来は、この日、一人でも見る筈だったのだが、急遽、翌日に二人で観る予定(チケット予約済み)だった姪っ子(14歳)も一緒に行くことになったのだが、席が離れ離れだった。
かくして、私と姪は、二日連続で、二人で『ヱヴァ:破』を観ることになったのだが、一日目、見終えて、席が離れていて落ち合った後の姪は、
『これが明日も観れる幸せ^^』
と呟いた。
嬉しいことを言ってくれる^^
名前が似ていて、巨乳で、メガネっ子の姪は、サードヒロインのマリに非常に親近感を感じているようだ。
・・・マリはいまだ、謎の多いキャラだが、その性格はあからさまだ^^;
新キャラなのに、昔馴染みのような感じで、ガンガン戦って、ガンガンやられてくれた。
二観目の時に、最初に見たとき、マリが冒頭に「365歩のマーチ」を歌いつつ、5号機のハンドルを前後させながら突き進んでいく様で魅きつけられた事を思い出した。
その黙々とした動作に、私は、妙な「エロス」を感じた^^;
後になっての、「身を捨ててこそぉ~ 浮かぶ瀬もあれぇ~」の火事場のバカ力にも萌える!
後で語るが、私は、極限状況の「根性・熱血」が大好きなのである。
また、第六使徒だが、地下で、天井からの巨大な柱を押し返すシーンが良かった。
これも、力技である。
竹細工のような長い首が、「コリコリコリ」と鳴るのも、そのセンスに感動しちゃうのだ。
◇
・・・私は、一度観てから、感想のエントリーをし、とにかく、他の方のレビューを読みまくった。
この感動を、他の人は、どう表現できているのか?
みんな、うまく書けていない。
私も書けない。
面白くて面白くて、はなはだ呆れた。
映画単体でも完成しているのだが、旧シリーズとの絡み、新しい展開の衝撃、
そして、前シリーズとの間に流れた、1ディケイドに及ぶ、観る人個々の人生を、…その成長を、圧倒的に肯定してくれるかのような高みに、物語は舞い上がっていたと思う。
私は、つくづく、この<大エンターテイメント>を提供できる側に属す人間でないことが悔しかった。
◇
姪は「腐女子」なので(容姿は美少女だけどね^^)、やはり渚カヲルが気になるようだが、今回は、カジ×シンの絡みがスマッシュヒットのようで、
自動販売機前でのエピソードを、何度も楽しそうに語りやがるので、私は「面倒くせ」と思った^^;
私は、シンジ君には興味がなかったのだが、今回のクライマックスの戦いで好きになった。
正確には、碇司令に怒りをぶちまけるシーン、「関係ないって言ってるでしょ!」と繰り返す、熱のこもった声にグッときて、それからの、しばしの静かなシーンを挟んでからの怒涛の展開に燃えた。
私は、熱い男が好きなのである。
マリやレイの、第10使徒との戦いでの、これ以上ない盛り上がりの中で、
次のシンジ君と初号機が、「盛り上がりの坂を、オーバーハングさせる」ほどの力技を見せてくれることに、私は本当に感動した。
私は、極限状況下での、更なるパワーの発現に心底共感する男なのである。
・・・『アポカリプト』の感想で似たようなことを書いているので読んでみて!
[十年に一度の傑作映画『アポカリプト』を観た]
思えば、『ヱヴァ:序』(クリック!)でも、シンジ君も、碇司令も、レイの安否を気遣いプラグのドアを力ずくでこじ開けていたものだ・・・。
◇
そう、第8使徒との戦いも「力技」であった。
シンジは力で、落ちてくる使徒を支え、・・・ギュギュギュッ!!
レイは、クルクル回って的を絞らせない「コア(核)」を力ずくで抑え、・・・グググッ!!
そして、アスカが、硬いコアをナイフで刺す、グサッグサッ! 「もういっちょー!」 ・・・グサッ!
◇
私は、仕事中も、ときおり、『ヱヴァ:破』を思い出して、鳥肌を立てて一日を過ごした。
・・・こりゃまた、明日、観に行かなくてはならないので、更に感想を書く^^;
([『ヱヴァ:破』を観た(三観目:三角関係)]に続く 2007/06/29)
☆明日、また観に行くので、ちゃんとした感想は後ほど・・・^^
でも、これ、現時点では究極とも言える<大エンターテイメント作品>だと思う。
本日忙しく、明日も忙しいので、今はちゃんと書けないですいません^^;
ファースト・インプレッションを箇条書きで記しておく。
◇
・冒頭に戦う使徒、全くのオリジナルデザイン。
私が、…だけではなく、多くのファンが再観するのを期待しているかのように、やや把握しづらい全容。
同様にヱヴァ5号機も造型が分かりにくい。
・マリのセリフ、「痛い! ・・・でも、気っ持ちいい~!」^^
(注:二回目観たら、「痛い! でも、面白いから、いいッ!」でした^^;)
この子、非常にアクティブ。
性格は掴みどころがなく、渚カヲル並みにいろいろ知っているみたい。
・次の使徒も、ほぼオリジナル。
鳥がコップの水をコックリコックリ吸うおもちゃみたいな形状。
・それに対するのは、ヱヴァ2号機、今回の作品では、作品自体及び、特に、この2号機の、
「ウルトラマン」アクションへの思いが感じられる。
うん、夕日のシーンは「帰ってきたウルトラマン」やね。
・アスカの体は、実に魅力的に描かれている。
色々とサービスショットがあるが、私は、ベッドの上の寝返りパンティが可愛いと思った。
それと、暗いシンジの部屋のドア口、背後に通路の光を背負い、体の線をクッキリさせるのもいい。
スケスケのプラグスーツもエロい。
まさか、それが、○○フラグであったとは^^;
それから、加持さんへの恋心が微塵も無くなっていた。
お人形が可愛い^^
・リツコさんも、今回は柔らかく描かれていて、魅力的だった。
・線の細かった加持さんも、今回はがっしりしていた。
加持菜園も大きくなっていた。
・レイは、前作と同じく、シンプルな描き方をされ、故に、また違った魅力。
丸く見えるときが可愛い^^
その性格も、かなり血の通ったものになっている。
レイのサービスショットは少ないが、制服のボタンを付けるシーンだけで興奮。
レイ主催のお食事会が行われなかったのは残念だが、
私、「新劇場版」のエンディングは、お食事会で明るく終わると思う。
・碇司令と冬月さん絡みの行動は、いまだ不明だが、二人が宇宙に出て、
月のゼーレ基地のシーンが出てきたのは、世界観に広がりが出ていたと思う。
使徒も、第三新東京市に出るとは限らない。
・今回の三番目の使徒は、基本はお馴染みのものだが、
その見せ方は、前作のプリズム風使徒との戦い以上に凝っていた。
戦いも、オリジナル版を踏襲しているが、
ヱヴァ3体の、その、使徒落下地点に急行する躍動感たるや、素晴らしい。
使徒との戦いは、いずれも、アドレナリンが大量に分泌させられる。
・真っ青な空、緑の山々、田園風景、要塞都市、人々の朝の通勤風景、・・・。
・海洋博物館(追記注:海洋開発機構でした^^)は、物語上どんな意味が?
ただ、水族館と言うか、魚は、性の暗喩とされるものだが。
・ヱヴァ4号機と、第2支部の消失。
・ヱヴァ3号機の登場。
ここらは、オリジナル版を換骨奪胎している。
「また会う日まで」・・・、よーやるよ。
クラシックの名曲を使いまくった後はこれですか?
小学生ノスタルジー!
鳥肌が立ちまくり。
・今回は、BGMもほぼ新作ですね。
・最強の使徒の登場。
ここも、オリジナル版のピースを、盛り上げるために組み替えている。
もちろん、ハイクオリティの画質で、だ。
マリが、アスカとは異なる、「アスカ的役割」で戦う。
マリはメガネを外さないで欲しい。
おっぱい、プルンッ!
・ビースト化。
庵野さんは、やっぱり永井豪が好きなんだな。
・「喰ってる…」から、「喰われた」への変転・・・。
・そして、シンジ君の、前向きな力尽くの戦い。
更に、更に、更に、・・・と、シンジ君及び初号機が「何か」を得ようとする様に感動。
「翼をください」・・・、よーやるよ!^^
◇
てな訳で、明日、二観目に参ります。
(2009/06/27)
なんで、短いエントリーですまないっちゃ^^(長次郎の真似^^;)
・・・いい作品だった。
明治時代の、日本の国土の最後の空白地帯を埋める測量作業に魂を賭けた男たちの物語。
同時期に山岳会も剱岳初登頂を目指しており、陸軍測量隊は、陸軍の名誉をも背負って剱岳に挑む。
陸軍のメンツばかり意識する陸軍首脳…、測量隊隊長の柴崎(浅野忠信)の奥さん(宮崎あおい)の可愛らしさ…、
物語は、そんな風に分かりやすく進んでいく。
私は最近、芸術を気取った、もしくは、新趣向を志向した複雑な作品の多い中で散文的に段取りを踏まえた作品を好む傾向にある。
だから、測量を始めてからの、山の危険を丹念に描いて、こちらの気分を盛り上げていくような、この作品の演出が好感であった。
手触りとしては、『明日への遺言』(クリック!)のような直球の作品であった。
何よりも、作り手が山に造詣が深いようで、実に、荘厳に、美しく、険しく山々を活写してくれていた。
実に高さの演出(撮り方?)が見事で、見ていてヒヤヒヤさせられた。
見ている者にそう思わせるのって、当たり前のようで、難しいんだよ。
吹雪にさらされる主人公たちは本当に吹き飛ばされそうなので、私は腹が冷えた^^;
つまり、この作品は、記号的に「山」を映しているのではなく、情感揺り動かす「高い山」を描いてくれているのだ。
記号としての「吹雪」ではなく、体感としての「吹き飛ばされそうな冷たい暴風」を表現してくれている。
紅葉緑葉入り混じる尾根の美しさ・・・。
雲海を照らす夕日の、息を飲む美しさ・・・。
『2001年 宇宙の旅』のモノリスのように唸り続ける山々・・・。
◇
この作品、構造的に、駄作『真夏のオリオン』と似ている。
大いなる大自然の中で、目的を持って二つのチームが競い合うのである。
最終的には、お互いは力を認め合う。
『真夏のオリオン』においては、その見せ方の無理矢理さで失敗した。
しかし、今作品においては、両者をむき出しの勝負にさせなかった(抑制の美学)ので、そのエンディングの掛け合いで清々しい思いをさせられた^^
私、実は、登頂以後の後日譚が長く、観ていて何度も蛇足のように思ったのだが、最後の山岳会のリーダー(仲村トオル)のスポーツマンシップと、それに対しての測量手たちの返答に感動した。
「陸軍的名誉」を逃した測量手たちは、山岳会のスポーツマンシップ・・・、そう、「スポーツ」の勝ち負けによって、また別の「名誉」を得ることになった。
◇
山の案内役(シェルパ)・長次郎を演じた香川照之は、完璧だった。
物語の冒頭、初対面の柴崎を富山駅に迎えに行き、そこから歩いていく様が遠景で映し出されるのだが、その歩き方からして既に「山男」であった。
◇
最後に、この作品の欠点を記しておく、
時に、作り手、もしくは演者の「視線」が、作品上の対象への角度と合っていないことがあった。
例えば、柴崎に剱岳の絵を見せる長次郎を見守る奥さんの微笑みの向きがおかしかった。
落石を見守る長次郎の視線の角度がおかしかった。
他にも、そういったことが無数にあり、観ていて、見るリズムがちょっと崩れた^^;
(2009/06/26)
ナチュラル・ボーン・バイオレンス…
◇
・・・しかし、まだ、僕やサチは良い。
大人だからだ。
それでは、エリオット君、友達に対してはどうなのだろうか?
僕は時々(早く起きたとき)、エリオットを学校に送りに行く。
そして、ずうずうしく教室の中まで入っていく。
エリオットは、教室の前までは、僕にオンブされているのだが、教室に入ると、クラスメイトとうちとける。
エリオットは、やはり、男の子の中では一番に格好良く、一の子分の僕も鼻が高い。
女の子で一番に可愛いのはトレーシーちゃんだ。
それはさておき、エリオットの通う<Mairehau・School(英語っぽくない発音だが、おそらく、マウリ族の言語からきているのだと思う)>の一年生の教室は、何となく幼稚園を思わせるような机やイスの大きさで、棚には、お菓子の空き箱で作った工作物、壁には児童が描いたハンドペインティングの絵が飾られていたりする。
そんな中、ある日、ぼくは見たのだ。
いつも、僕やサチをぶつように、友達を叩くエリオットの姿を!
エリオットにとっては、いつもの通り叩いただけなのだが、その友達(推定名前:ロナルド・マクドナルド)にとっては、かつて経験したことのない衝撃(痛み)だったと思われる。
ロナルドは、あまりの痛みに、痛がるのを忘れたかのように、「信じられない(アンビリバボ)」の瞳で、エリオットの顔を、いつまでも、いつまでも、見つめていた。
(次回は「トレーシーちゃん」! 2009/06/23)
佐藤錦です^^
私は「1991年の日記」(クリック!)の時代、八百屋でバイトをしていたので、さくらんぼの「佐藤錦」が高級なものであることを知っている。
初物など、一粒が100円以上した記憶がある。
若鷲さんは、「新しい歴史教科書をつくる会・内紛」事件のとき、ともに戦ってくれた方だ。
彼は、その御尊祖父さんの影響もあり、自然体の保守派である。
その彼が、現「つくる会」の言論活動を、ごく自然におかしいと言ってくれた時は、心強かった。
その彼に、ネット上の自称・保守派のしでかした事は「無視」であった。
曰く、内紛は「中国を利する」のだそうだ。
馬鹿である。
西尾幹二や藤岡信勝のような卑劣な左翼妄想家を保守派内にのさばらせておくことこそは、「日本を貶める」ことに他ならないのに、だ。
フジ・サンケイグループの教科書出版社・扶桑社(後継・育鵬社)は「つくる会」と絶縁した。
そして、「つくる会」は、著作権無視のコピペ教科書を自由社と言う左翼出版社から出した。
その教科書は、コピペからの脱却を図り、少し内容を手直しした。
その手直しが、全て、保守派の思想とは合致しない改悪を為されていた。
以下に詳しい。
<安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪> (クリック!)
・・・つまり、自由社版の教科書の内容の究極は、南北朝鮮、ひいては、「中国を利する」ことである。
若鷲さんが、現「つくる会」の首脳である西尾や藤岡を「こいつら、保守としてあるまじき人物だぞ」と言っていたのを、
「保守派の内紛は中国を利する」と<したり顔>で無視していたクソどもが育んだのが、「中国を利する自由社教科書」だったのである。
・・・若鷲さんは、その後、保守派を見限り、その真っ当な保守思想を日々の生活に活かすことにする。
若鷲さんは、私の愛するキュピルちゃんのお父さんでもある^^
◇
扶桑社教科書を正当に引き継ぐのが「育鵬社」である。
その会社のネーミングは、私の命名である(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%B2%E9%B5%AC%E7%A4%BE)。
私は、歴史教科書を出す会社なのだから、歴史的な名前にしたいと思った。
でも、古代や中世でなく、私が慣れ親しんだ時代「昭和」から採りたかった。
で、私らしく、やや軟らかい歴史的言葉「巨人・大鵬・卵焼き」から、昭和の大横綱である大鵬の「鵬」の字を頂き、そのような強靭な子供を「育む」の意で「育鵬社」とした。
また、大鵬が、当時は日本領であった樺太出身だったこともあり、北方の領土について考えて欲しいとも思った、というのは、…後付けである^^;
で、だ。
この「育鵬社」ネーミングに、バカども(現「つくる会」、私は「残党」と呼ぶ)が噛みついてきた。
曰く、「<鵬>の字は、中国に伝わる伝説の巨鳥で、媚中を表わしている。中国を利する気だ」。
いやいや、「<鵬>の字は、李鵬首相から採られているんだ」。
大の大人(社会的に地位のあるバカ)が、私が他の志(こころざし)をもって付けたネーミングに対し、延々と、見当違いのいちゃもんつけるのであった。
後に、「中国を利する教科書」をつくる「つくる会」が、そんなことを言ってくるのである^^;
◇
また、扶桑社・育鵬社と密接な関係のある日本教育再生機構の八木秀次理事長は、左翼メディア朝日系の雑誌『アエラ』の取材で、「(我々のつくる教科書は)朝日新聞に批判されるようなものにはならないはずですよ」と言った。
それも、その前後の文章を読み解けば、「安易に、敵対的・煽情的なものにはならないですよ」の意に取れるのだが、
残党どもは、そうは取らないで、延々と、延々と、「左翼教科書に転向だ」と言い続けた。
根本の誤読を改めずに、本当に、上記の八木理事長の言葉を自分の浅はかな人生経験で偏見拡大解釈し大した論文にまで仕立ててしまうのバカもいたのである。
大笑いである。
だから、私は、下記に転載する曽野綾子女史の言葉の意味するところが、実によく分かるのだ。
◇
正確には、数日前の(6/17)の掲載のものです。
曽野女史は、保守派の間でも毛嫌いする人が多いようだが、私は、結構、その言説に頷かされることが多い。
《(古い新聞を整理していたら)・・・川崎市立井田病院に勤める55歳の男性医師はこの3月7日、富山市で行われた約30人ほどの講演会で、「医療と介護」をテーマに講演したが、講演後の質疑応答で「神奈川県が制定を目指す公共的施設受動喫煙防止条例」について問われ、回答した際に、「禁煙が進むと医療費がかさむことは明らか。どんどん吸って早く死んでもらった方がいい」と答えた。これに対して禁煙推進団体は「人の命と健康を守る医師の発言とは思えない」と抗議したという。
何とも大人げない話である。
私はその場にいないので、発言者の表情も見ていないわけだが、この医師は何より自分がたばこを吸う人だという。とすれば普通の大人の会話なら、自己批判を含んだ反語と理解して笑うのが当然だろう。
こういう言葉を文字通りに取るのは、このごろ本も読まず、長い手紙も書けない、つまり子供のような読解力しかない、日本語の出来ない大人たちが増えたせいなのかもしれない。・・・》
非常に共感できる内容である。
私は、このような「読解力のない大人(っちゅうか、故に「子供」^^;)の存在こそが、今の日本の<公共の常識進行>を妨げていると思っている。
小泉純一郎の確信犯的な過激な言葉はもちろん、大阪知事や鳩山邦夫や石原慎太郎の自嘲の混じった派手な言葉はあげつらわれ、麻生太郎のささやかな言葉さえも、過剰に「言葉狩り」されてしまい、根本の政治的な動きがかき消され、その進行を妨げる
・・・それは個人でもあり、組織でもあり、そう、マスメディアでもある。
「天然」の奴もいて、わざとに誤読する「確信犯」もいる。
そいつらが入り混じり、過誤のキャッチボールを繰り広げ、間違いのパンデミックを拡大させていくのだ。
・・・少なくとも、私は、つくる会の「残党」どもを、今後も許さない。
(2009/06/21)
私は原作の西原理恵子の作品を読んだことはあるが、こんな作品があるのは知らず、映画化されるのも知らず、その公開がMOVIX昭島でやることも、つい最近まで知らなかった。
しかし、物語が、自分にしか見えない存在「いけちゃん」との少年の日々を描く、と聞くと、わりと良くある内容なのだなと合点がいき、その普遍的なテーマに魅かれ観に行った。
また、原作が西原理恵子っちゅうのも気になった。
この方、マンガエッセイなどで、よくカンボジアの話を描いている。
カンボジアには私も良く行くが、西原理恵子の描くところの、あの国の子供たちの純粋かつ無茶苦茶さが、きっと子供の世界を描いたこの作品にも表われているような気がしたのだ。
◇
四国の漁港を舞台にした作品だが、おそらく30年ほど前を描いているんだろうけど、あまり時代を感じさせず、淡々と主人公ヨシオの生活を描いていく。
ヨシオのそばに寄り添う不可思議な存在「いけちゃん」は、あまりヨシオの人生に介入せず、安心させてくれる相槌役としての存在でしかない。
両親との絡みも至って淡白で、父親は死んでしまうのだが、それもサラリと流される。
私には、その描き方が、計算なのか下手なのか分からなかった。
ただ、ところどころに、西原理恵子の描くところの「(子供の)残酷性」が表われる。
ヨシオと友人は、牛乳屋の空瓶を割るのを日課にしている。
町内のいじめっ子二人は、かなり強烈な暴力を日々繰り返す。
ヨシオは、いじめられた腹いせを、虫の虐待で晴らす。
でも、そこを殊更にあげつらう者はいない。
その「残酷性」は、少年時代のイニシエーション(通過儀礼)扱いだ。
ヨシオの憧れのお姉さん(蓮佛美沙子←七瀬だ!^^)がグレてしまうのも、
お父さんが浮気をするのも、それぞれの世代の通過儀礼とされている。
この、「しょうがないこと」の視点が、この作品を他の類似作品と比べての作品的な優位点なのだと思う。
その後の、お父さんの愛人だった女の「日常」の描き方など、子供が見たらスルーだし、大人が見たら、それもまた「しょうがないこと」とスルーしか出来ない。
◇
思えば、「いけちゃん」も、大人の視点を崩さない。
声の出演の蒼井優は上手だった。
と言うか、「いけちゃん」役が適任だったのだと思う。
妙に客観的なヨシオへの接し方が、クライマックスでも維持され、その、時間に対しての「諦観」に私は泣かされる。
「いけちゃん」のビジュアルはシンプルだが、その微妙な動き・・・、例えば、口の開き具合で心理が窺え、・・・泣ける^^;
この物語のテーマ、色んな作品表現で繰り返されてきた話ではある。
私も、かつて「ポロンちゃん」と言う人形を用いて同種の話を書き、好評を得た事がある(その内、再掲します)。
子供の世界の、子供にしか分からない世界は確かにあって、その終焉は悲しいものだ。
『ナルニア国物語』(クリック!)もそうだったよね。
◇
ヨシオは、暴力の連鎖を断ち切るべく、スポーツで決着をつけようとする。
そのヨシオチームの、不揃いのメンバーが良かった。
私は、子供の頃の、少しの歳の差や、男も女も混ぜこぜの感覚が実に好きなのである。
でも、メンバーが一人足りなかったら、犬を仲間とするのがデフォでしょーよ^^;
ちょうど、ヨシオのガールフレンドのミキが大きな犬を飼っているわけだしさ。
◇
また、主人公ヨシオ(深澤嵐)の顔が、昔懐かしい「あばれはっちゃく」シリーズ顔なのが良かったです。
◇
エンディングで私はちょい泣いた。
横には、ツインテール丸顔の幼女が座っていたのだが、その母親も向こうでハンカチを目に当てていた。
幼女は、両側に座る大人二人が何で泣くのか分からずにキョトンとしている。
「いけちゃん、とても面白かったのに、何で泣いてるの?」
って感じだ。
(2009/06/21)
仕事後の時間帯なのでレイトショーになるのだが、幼児は東京都の条例かなんかで午後11時を過ぎてしまう上映には入場できない。
でも、MOVIX昭島もうまくスケジュールを組んでいて、子供の楽しめる吹き替え版が午後8時10分開始で、二時間半の長尺作品ながらも午後11時前には終わるのでちびっ子も問題なく観れるのだった。
「ボク、こんな夜に映画観るの初めてだよ。ポテトもポップコーンも両方買ってね」と、可愛いやらチャッカシしてるのやら分からないセリフを甥っ子は吐きつつ、館内に・・・。
◇
さて、甥っ子は夢中になって観ていた。
ただ、トランスフォーマーが出て来るたびに、名前を聞いてくるのだ。
私は、「知らん。後で絵本で確かめろ!」と言うのだ。
「絵本」とは、一度目に観たときに買った高級パンフレット(1600円)のことである^^
ただでさえ、区別がつかないで私自身困っているのに、聞くな!^^;
しかも、オプティマスが倒されるとき、「死んだ? 死んじゃったの?」と画面から目を離して、こっちを向いて聞いてくる。
だから、オプティマスの顔が砕けた後の、二刀流で戦う雄姿を甥っ子は見逃してしまうのだ。
もったいない^^;
しかし、オプティマスは口汚いよね。
敵と戦いながら、「この野郎!」「メタルの屑が!」「スクラップにしてやる!」「死にくされ!(←これはない^^;)」とか言いたい放題だ。
私は、一観目では、それらのセリフはメガトロンのものだと思っていたので、オプティマスだったと知って衝撃的だった^^;
◇
何やら、後ろの席で、レオやシモンズ捜査官の挙動にやたら受けるカップルがいた。
はじめは「アハハハ!」と笑っていて、「ククッ」と続き、もうツボらしく、「ブフッ!」と吹くのだ。
いやはや、楽しそうで、幸せなカップルだと思った^^
◇
甥っ子は、オプティマスがやられた辺りから、「眠たくなってきちゃった…」とウツラウツラしていた。
弟がわりと厳しくしつけているので、甥は、このまま眠くても見続けそうだった。
私は、「一回眠っても良いぞ。面白くなったら起こすから」と眠らせ、そして、マトリックスが遺跡で見つかった辺りに起こした。
そして、そこからの怒涛のクライマックスを、甥は集中しエンジョイして観たようだ。
私も、細部を楽しんでみた。
余裕をもって観ていると、あまりオートボット軍団に頼らずに戦う米軍の姿が垣間見られ、あくまでも人類はオプティマスたちと共同作戦を遂行しているのが分かる。
ディセプティコン軍団は、隠密行動だと抜群の作戦行動を誇るが、正面切った戦闘においては、必ずしも強くない。
結構、ディセプティコン軍団を既存の武器で破壊できているのがリアルである。
◇
私は、あの重機合体トランスフォーマーがピラミッドを登るトコを注目してみた。
見知っているピラミッドに、異形の巨大かつカラフルな虫みたいのがズルズルと登っている様は違和感あるが、その特撮は非常に現実感がある。
あのガラガラ落ちる石のリアルさに圧倒された。
無数の瓦礫一つ一つがちゃんと運動している。
その脇を、瓦礫一つ当たったら即死だろうにシモンズが登っているのが笑える^^
フォールンが念動力で、ピラミッドの周囲に陣取った米軍兵器を手玉に取る図も凄い。
空中に浮かせて、ピラミッドの壁面に叩きつける。
戦車が、ピラミッドの上部に存在することなどはけしてないだろう。
でも、そこに叩きつけられる戦車の図が非常にシュール感たっぷりで良い。
◇
根本的に、私は、ミカエラみたいな容姿の女の子には全く魅かれないのであるが、演じるミーガン・フォックスは、アメリカンセクシー女優ナンバー1とされているようである。
おそらく、いかにもアメリカ人の好みに合致する女優なのだろう。
◇
また、メガトロンや、特にスタースクリームが毎度健在で、おそらくこの後も戦いを繰り広げ続けるのは、安易に敵と決着をつけないアメリカのアニメやヒーロー物の『トムとジェリー』以来の伝統だろう。
(2009/06/21)
未知の存在と言う観点がなくなっていたからだが、それはしょうがあるまい。
ただ、予告編では、未知の侵略者の雰囲気(天空からの落下物で表現)がプンプンしていたからなあ。
最初に欠点を語っておけば、マイケル・ベイの初期作品の悪いクセ「大雑把」「映像に拘り過ぎての情報欠落」が随所に見られた。
それらが、観つつも、こころの片隅で「解せなさ感」を蓄積させるのだ。
しかし、見ていてふと我にかえると、腕に鳥肌が立ち続けていたりするので、かなり興奮し楽しんで観ていたのだろう。
◇
先ず、私には、機械生命体の「法則」と言うものが分からなかったのだ。
メガトロンが復活したが、そもそも、彼らは「命」のやり取りが可能な者たちだったのか?
可能ならば、何で、前作で、オプティマスたちはメガトロンを完全に破壊しないで、どこぞの海溝に沈めたのか?
また、元々の命は一つで、それらが機械と融合しトランスフォーマーとなるわけだが、何で大きいのやら小さいのやらがあるのだろう。
まあ、人間も個体差があるから、そう思えばいいけど…。
また、機械生命体は、何故、ずっと同じマシーンでいるのか?
例えば、バンブルビーなどは、カマロ車でいるよりも、それこそ戦闘機形態に変わった方が戦いにおいて勝手が良いと思うのだ。
今回、双子の仲間トランスフォーマーが出てくるが、こいつらは、最初、アイスの販売車の形態なのだが、後にそれぞれシボレー車になる。
つまり、形態の変身も可能らしいのだが、じゃあ、何でオプティマスはトレーラーのままなのだろう。
どう考えても、陸上移動機械にしても戦車などのほうが戦いやすいだろう。
一作目では、地球に来た彼らが、今回は最初に変化した機械形態で戦うのだろうと認識したので納得したものだが…。
作中、太古のトランスフォーマー・ジェットファイアーが「形態変化」について語ってくれてはいるが、それは私の求める答えになっていない。
まあ、個々のトランスフォーマーの「趣味」っちゅうか「ファッションセンス」と思えば、合点はいく^^
ジェットファイアーは、かなりの昔から眠りについていたようなのだが、何で、最新鋭(なんだよね?)偵察機ブラックバード形態なのだろう(顔のジャラジャラがヒゲみたいで、柄のついた車輪を杖みたいにしているのは非常によい^^)。
また、このジェットファイアーは、主人公やトランスフォーマーたちをエジプトまでテレポテーションさせるのだが、トランスフォーマーにはそんな力があったのか?
あくまでも、「機械生命体」「固有のマシーン形態or人型ロボット間での変身」・・・、その二つが、この物語のベーシックな空想作品的特徴であり、物理的衝撃で壊れもするし、死にもするのが不文律…、だが、超能力などは持っていなかったはずだ。
◇
そして、物語の冒頭では、主人公の体にくっついていた、前作のキーアイテム・キューブの破片によって、主人公の家電がロボットに変身して暴れまわるのだが、これも意味が分からない。
無意識で動き出すのなら、キューブの不可思議なパワーとして理解できるが、意思をもって、あたかも「グレムリン」みたいに悪戯をするのである。
キューブには、そんな万能の力があったのか?
例えば、「デスノート」は、通常ではあり得ない力を秘めていたが、その力には厳密な「ルール」があった。
だが、今回の『トランスフォーマー:リベンジ』の如くルールの提示なく、都合良く適当に話を展開させてしまったら、大人はソッポ向いてしまうぞ。
今回は、どうにか好意的な解釈を行い得るが、今後(次作)はちゃんとして欲しい。
◇
もちろん、そういった特撮シークエンスは、通常作品以上の出来であり、私の書いたことは、今後の釘刺しに過ぎない。
予告編で圧倒されたデモリッシャー(超巨大一輪車野郎)は、プロローグでの敵に過ぎなかったのだが、それでも上海のハイウェイをデストロイ疾走するさまは秀逸の出来であった。
でも、今回の敵ボスキャラ・フォーレンの弱さは頂けなかった。
そのヴィジュアルも「エイリアン」にクリソツで、「エイリアン」の造型の恐怖の普遍さを再認識させてくれただけだったし。
まあ、仕事場でも、管理者より現場リーダーのほうが強いってことで、トランスフォーマーの最強適役はメガトロンでよろしいでしょうか?
◇
私はなによりも、実写パートが良く出来ていたので感動している。
序盤は、相変らずコメディ要素がふんだんで、大学の寮に入るサムに対しての両親の対応の違いが強調される。
家が破壊されるのも、「お約束」感があり、大笑いだ^^
犬は一匹増えて、盛りのついた犬のギャグで笑わせてくれる。
この「盛りのついたアクション」だが、後で「ヘコヘコ」と活きる。
始まった大学生活でのコメディ要素も楽しい。
普通、この手の作品は、アクションパート以外はダレ場になりがちだが、この作品は面白い。
もし、プロデュースのスピルバーグが監督であったら、そこには「甘ったるさ」が出てしまい、ギャグの切れ味や、女子大生やヒロイン・ミカエラのエロさは出なかっただろう。
そして、お母さんの、いかにも「おばさん」的な立ち居振る舞いの「可愛さ」も普通になってしまったことだろう。
それがマイケル・ベイ監督の功であり、主人公の両親の毒っ気、そして、前作で敵役だったシモンズ捜査官の現在の切なさが、クライマックスで全く別の様相を呈し、私の涙腺を緩めるのだ。
特に、サムの両親は、家を出て大学の寮に入る息子に対し、父親は「はよ行け」、母親は「息子が出て行ってしまう、オヨヨ;;」てな対応だったのに、
最終決戦で、息子が命を賭けようとするときには、父親は「絶対に行かせない!」と言い張り、母親が「行かせてあげましょう・・・」となる。
こりゃ、泣けるよ。
で、更に、「私はついていく!」と言うミカエラに、「分かった」と答える展開も素晴らしい^^
◇
また、地球上における、オプティマスらの善きトランスフォーマーの存在が、悪いトランスフォーマーの存在を引きつけている! と言う大統領補佐官の批判的言説に対してのオプティマスの返答もいかしている。
「では、私たちが去ったら、敵もいなくなってくれるのかな?」
イラク政策における米軍のあり方を髣髴とさせてくれるじゃないか?^^v
私は、意志を持った巨大なトランスフォーマーには、オプティマスのような哲学的な言説を求める。
だから、私は、表情豊かな芸達者だが、ペットみたいな仕草のバンブルビーにはちょいと違和感が起こる。
世界最速上映参加認定証^^v
(2009/06/19)
しかし、この『真夏のオリオン』は厳しかった。
その、作品で描かれた戦後左翼風潮的な戦争観も、国家観を無視した「私情」主義さえも、私は許そう。
だが、何よりも、潜水艦物と同義の「潜水艦という密室内での敵(水面の、もしくは同じく水中の、を問わず)との息詰まる<勝負>の緊張感」というものが皆無なのである。
それさえあれば、私はこの作品を賞賛も出来た。
銃後の女や子供との関係(戦う為の動機)などは、適当でも良いのだ。
そんなものは、観ているこちらが脳内補完すべきものだ。
しかし、この作品は、そちらがメインであった・・・。
まあ、北川景子の泣き顔キモカワ№1が見れたからいいけど^^;
<回天>の乗員たちにさえも、「自分は何で命を捨ててまでも戦うのか」と言う思考の帰結である国家観が全く見られなかったのには驚いた^^;
◇
評判の悪い玉木宏の艦長だが、私は頑張っていたと思う。
与えられた脚本の中で、独自性を持つ艦長を必死で表現していた。
他の役者も頑張っていた。
汗ダクダクで頑張っていた。
しかし、問題は、その「汗ダクダク」の意味がこちらの感情に伝わってこなくて、「汗ダクダクで、アシスタントさん、いい仕事してるな。全てが噛みあえば、佳作になれる可能性もあったんだな」と思わせてしまうところに問題がある。
丹念に、密室での長時間の経過を描いていけば、「汗ダクダク」姿もこちらの感情に直結したはずなのだ。
・・・映画文法を会得していない作り手だから、かような作品になってしまった。
◇
物語の序盤から、描写の経過の欠落がある。
例えば、主役潜水艦<イー77>は、魚雷を発射する。
魚雷は目標の米タンカーを炎上させる。
しかし、その命中している瞬間を描写しない。
敵タンカーはいつの間にやら、燃えている。
映画的に全く面白くない。
例えば、敵駆逐艦が強襲してくる。
遠景の駆逐艦・・・、そして、次のシーンでは、駆逐艦の後甲板から水雷が放たれる。
遠景の駆逐艦が、いきなり水雷を発射している描写に一足飛びなのだ。
わけが分からないのである。
映画文法としては…、っちゅうか、物語の最低限に使用されなくてはならない説明において、その経過には、必ず敵駆逐艦の全貌を見せるカットがなくてはならないはずなのだが。
私は、よっぽど、予算が足りなくて、爆破シーンや駆逐艦の俯瞰映像が撮れないのかと思ったのだが、その後にはちゃんとあるのだ。
そういった、踏まえておかなくてはならない描写の欠落が多数ある。
私が、クリント・イーストウッドに偉大さを感じているのは、彼の作品は、徹底的に散文の産物であることなのだ。
丹念に描写を積み重ねて、その描写描写は「ドット(点)」に過ぎないけど、ドットの集積で芸術作品へと昇華される。
だが、『真夏のオリオン』の作り手は、物語の肝である、感情を揺るがす勝負の場面に「分断されたドット」を配し続ける。
故に、全く、リズム感の欠如した、つまらない戦いになってしまっている。
おそらく、製作のテレビ朝日に、「反戦」「戦争の犠牲になる女・子供」「何よりも大切な命の尊さ」の強調を促されたのだろう。
別にそれでもいいんだけど、勝負はゲーム的に楽しませて欲しい(『ローレライ』にはそれがあった)。
所詮は、エンターテイメント作品なんだからよお!
妙に、「反戦」「戦争の犠牲になる女・子供」「何よりも大切な命の尊さ」に重きを置いてしまった主人公の個性であるが故に、
後に、艦長が戦死した部下の死体そのものを「囮(おとり)」に使うときに、私は、「なんて人非道な男なんだ!」とゾッとした。
艦長に、あんなにもの戦後民主主義的個性を付加させなければ、その作戦もありだったのだが。
◇
また、対決する両艦長の駆け引きも不気味だ。
あらゆる可能性の検討もなく、よくお互いを知らないのに、「奴はいる」とか「なかなかやってくれる」、「奴はそんなことはしない」とか「奴ならそう考えるだろう」とか、確信的な物言いで訳知り顔で言うのである。
これが、デスラーと古代進であったり、マリュー艦長とバジルール少佐の激突ぐらいの関係があったらいいのだが、倉本艦長も駆逐艦パーシバルの艦長も因縁が全くないのに、いきなり、お互いが旧知の間柄のように、結果オーライの「超」心理戦を行なうのである。
パーシバルの艦長はなかなかいい演技をかましていたけど、腐った脚本・演出の中での、相手を見抜いたような確信的な表情の演技は、
年末によくやる番組での、UFO研究家の自信満々の言説(笑)を髣髴とさせた。
◇
ところで、作中で、江田島の海軍兵学校みたいな建物が出てくるんだけど、あれはロケしたのでしょうか?
英霊たちは、みな寛大なので、この作品も歓迎すると思いますけど・・・。
(2009/06/16)
厚労省局長を逮捕 証明書偽造容疑 郵便不正、政界関与解明へ(産経:2009年6月15日(月)15:45)
《・・・違法ダイレクトメール(DM)に端を発した事件は、障害者福祉の根幹を担う厚労省の組織的な関与が問われる事態に発展。証明書発行をめぐり、民主党国会議員が厚労省側に口利きした事実も判明しており、特捜部は今後、政界の関与を含め全容解明を進める。・・・》
根こそぎ、いっちゃって下さい!!!
出かける直前なので短信ですみません^^;
(2009/06/16)
しかし、このシリーズ、絵で説明されているので、子供に見せて聞かせてあげると、メチャ受けます^^v
◇
ともかく、エリオットは子供なので限度を知らない。
例えば・・・、
刀で僕を切るふりをするエリオット! 「ギャァーッ!」
「死んだぁーッ!」 死んだふり… 「Wake Up!」
死んだふり 「What?」 「Wake Up!」 ドギャァアン!
こんな風に、死んだふりをした僕を、叩いたり蹴ったりするのだ。
それがハンパじゃなく痛い^^;
しかし、それでも、チャンバラごっこをして、僕がエリオットにやられると、死んだふりをしなくてはならない。
僕は、死んだふりをしながら、次に来るであろう一撃を恐れつつ思う。
・・・何故、俺は、六歳の子に怯えなくてはならないのだろう?・・・
後に、サチ嬢、語る。
『私、エリオットにぶたれた時、あまりに痛かったから、思わず泣いちゃったことがあるの・・・。でも、エリオット、私が泣いたことに気づいてくれてなかった・・・』
しかし、まだ、僕やサチは良い。
大人だからだ。
それではエリオット君、友達に対してはどうなのだろうか?
・・・次回、エリオット通学篇!
(2009/06/15)
若い多感な頃に、『ランブル・フィッシュ』や『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』を見せられたら、誰でも憧れるはずだ。
私は、ミッキー特有の、あの口を狭めて、その両端をクィッと上げる表情を格好良く思い、真似てみたりしたものだ^^;
だから、その後、役者として、やや精彩を欠きはじめた頃、プロボクシングにチャレンジし、そのファイト振りを「猫パンチ」などと揶揄されても、「お前ら、モーターサイクルボーイや、スタンリー刑事をしらねぇんだろ!」と思っていたものだ。
だが、その後、『レインメーカー』などで、何とも、私が求める本来の魅力のない役柄を見せられると、時の流れを感じさせられたものだ。
◇
そのミッキー・ロークが、新作『レスラー』で人気復活したそうだ。
『レスラー』は、近場のMOVIX昭島でも、ワーナーマイカル日の出でもやっておらず、シネマシティ立川に観に行った。
この映画館は、駐車場料金などを含めると高くつくので、いつも「もう二度と行くものか」と思うのだが、『リリィ、ハチミツ色の秘密』・『スラムドッグ$ミリオネア』(クリック!)など、西多摩ではここでしかやらなかった名作が多く、『レスラー』もその一つだった。
『レスラー』は、『ロッキー』的なスポーツ・カムバック物だと思っていた。
そう、陽性のアメリカン・ドリーム(もしくは、その亜種)を描いたものだ。
しかし、違った。
ミッキー演じるベテラン・レスラーは、ひたすらにB級の人生を送っていた。
そして、20年前こそ、プロレスというジャンルがA級に輝いており、ランディも全盛期にはS級として活躍していたのかも知れないが、今となっては、そのジャンルさえもB級となっている。
ミッキーの役者人生さながらの、廃れ振りが描かれる。
頑丈さだけがとりえの体も、節々にガタが来ている。
全盛期の忙しさに、構ってやれなかった娘には相手にされず、副業のスーパーではぞんざいに扱われ、好意を抱いているストリッパーとはうまくいかない。
そんなランディの日常を、カメラはドキュメントタッチで綴っていく。
私は、その見栄えに、松本人志の監督した『大日本人』(クリック!)に近しいものを感じた。
松本作品は、中盤から、作品バランスが崩壊していくが、序盤は傑作だった。
『レスラー』は、その、途中途中に、レスラーというもの特有の社会生活を営むにあたっての不器用さがユーモラスに描かれる。
そこも松本作品と似ていた。
両者とも、時代に取り残されたヒーローを描いている。
しかし、『大日本人』と異なる点は、『レスラー』が、A級の作品としてのレベルを、最後まで継続していることだ。
◇
邦画の学生プロレスを描いた名作『ガチ☆ボーイ』(クリック!)でも書いたことだが、プロレスというものは、格好悪い。
格好悪いけど、その懸命さに、観る者が共感した時、とてつもないレイブ感を生む。
『レスラー』では、『ロッキー』的な状況の好転はない。
ひたすらに、ランディの格好悪い姿を描いていく。
だが、その不器用さ、懸命さ、愚かさに、作り手の手法の見事さも相まって、我々は物語に引き込まれ続ける。
物語の終盤においても、ステロタイプな結末はない。
娘・ステファニーには去られ、複雑なる女性心理を経たストリッパー・キャシディの心は得る。
だが、それを振り切り、ランディは、心臓発作の危険を省みずリングに上がる。
◇
何とも悲しいのが、ランディがキャシディに「娘はレズかもしれない」と言うところだ。
そして、ランディがステファニーに、その子供時代、怖がるのにお化け屋敷に行きたがった話をしたときのステファニーの一言「その頃からマゾだったのね…」。
また、ランディがキャシディを口説くのに、キャシディがなびかず、ならばとランディがお金を払うからサービスをお願いするところだ。
理屈では正しいランディの申し出に、女心で戸惑うキャシディがいい。
この人、お尻や、<内またエクボ>がエロくてよろしい!
PS.<内またエクボ>は、私の考えた言葉です^^v
それから、リング上では血まみれで戦うレスラー同士が、控え室ではとてもいたわり合って過ごす様が泣ける。
(2009/06/14)
小さい子供がいる時は、高級焼肉店ではなく、ファミレス焼肉店のほうがうまくてリーズナブル!!^^
で、この安楽亭は、旧奥多摩街道沿いにある。
近くに、ちょいと面白いスポットがある。
でも、カーブがきつい場所で、これまで、そこを写真に撮るために車を停めることが出来なかった。
上の写真の中央、ガードレール背後に、興味深いものがある。
これです。
どうやら、交通整理のおじさん/おばさんの待機する場所らしいのだが、この急カーブでは、どう考えても、なんびとたりとも道を渡ることは厳禁だろう。
交通整理の必要がない。
ならば、この「詰め所」の存在意義は?
しかし、古くはあるが、小屋の中や外観に廃れた雰囲気はなく、現役で使用されているようだ。
だが、私はこの道を昼夜問わず通っているが、この小屋が使われているところを見たことがない。
もしかして、オカルトな秘密があるのだろうか?
(2009/06/13)