実は、この作品を楽しめなかった理由に、「こもった音響」があった。
セリフなどが異常に聞き取りづらかったのだ。
それを、私は、作り手の狙いと思っていた。
しかし、本日、MOVIX昭島に行ったら、
それが「デジタル音響設備の不調」だとわかった。
もし、音響が正常だったら、私の、この作品への評価は、
もうちょい高かったと思う・・・。
いや、これは、料金の払い戻しをしてもいいくらいの、映画館側の不手際である。
(以下、2009/01/31の鑑賞後の感想)
☆すいません、これ、私には駄目でした。
全然、何が何やら分かりませんでした。
なかなかの長尺の上映時間を全く飽きることなく見て、
主人公のカンナ(平愛梨)のグリグリに大きな瞳やシャープな輪郭の美しさ、
それと正反対の小泉響子(木南晴夏)の面長でキョトンとした表情の可愛らしさなどには、とても魅きつけられた(でも、この子、物語的には何のバックボーンもなく、けれど、核心に触れる位置に立たされちゃっているよね^^;)。
でも、見ていて、どうしても「解せない」感が渦巻いた。
それは、物語の各所での、ドラマツルギーの方向性の「ズレ」に起因するのだと思う。
例えるならば、家でお茶を飲むために、おもむろに外に飛び出し、鉄の薄い板を買ってくるみたいだ。
つまり、その薄い鉄板で、ヤカンを作ろうとするような、頓珍漢な「ズレ」具合が全編を覆っていた。
はじめは、原作の浦沢直樹作品に特有の「思わせぶり・寸止め」展開故の、私の「とまどい」かと思ったのだが、どうやら、そうではない。
挙げると切りがないし、いくつか挙げても、それを処理されたら改善されるとも思わないので、面倒なので書かないが、あまりにも多くの物語因子が欠落していて、もう、自分が物語のどこに没入していけばいいのかもわからない・・・。
監督の堤幸彦は『トリック』も撮っているが、あのドラマの遊びの部分だけを、お金をかけて拡大させたような<第2章>であった。
<第1章>(クリック!)は、まあ、60年代末の雰囲気をよく表わしていて、また少年時のノスタルジックと、記憶のあいまいさからくるサスペンスで楽しめた。
だが、今回は、非現実的な近未来が舞台で、かろうじて、前回にイメージとしてあった現在とのつながりが見えず、少なくとも、私が基準とする「物語認識の<足場>と出来るポイント」が皆無であった。
私の母は、<第1章>を見ていて、<第2章>も楽しみにしていた。
しかし、見終えて一言。
「つまらん」
私も、面白かったが、とてもつまらなくも感じた・・・。
姪は、それなりにエンジョイして見ていた様だ。
特に、少年時代の「サダキヨ」の顔には熱狂していた^^;
私は、少年サダキヨの顔を見て、思わず声を上げて怖がってしまった^^;
変な鑑賞後の気持ちだが、<第3章>も見に行くとは思う。
(2008/01/31)