『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『デス・レース』を観た^^]

2008-11-30 15:43:02 | 物語の感想
☆よく映画好きのブロガーが、さも特筆すべき監督かのようにポール・W・S・アンダーソン監督の名前を出しているが、私には全く思い入れがない。

 この映画も、今週公開の洋画『D-WARS』との二者択一で観ようと思っただけだ。

 それなりに豪勢なB級映画を期待していた。

 しかし、とても面白かった。

 B級のアイディアをゴージャスに撮り上げていた。

   ◇   ◇

 ・・・主人公は、元レーサーの肉体労働者(ジェイソン・ステイサム。機能的な筋肉が凄い!)、貧しいが温かい家庭を築いていた。

 だが、妻殺しの罠にかけられて投獄される。

 世界経済の破綻により、刑務所の収容者は膨れあがり、維持が民間に委託され、その刑務所を「経営」する会社は、受刑者を使った<デスレース>を開催し、利益を上げていたのだった。

 主人公は、優勝者に与えられる「釈放」を、娘のために得ようと、そのチャンスに賭ける。

 何よりも凄まじくテンポが良く、我々に興味を惹かせようとアイディアが惜しみなく費やされていた。

 我々の興味とは、この場合は緊張感の持続である。

 緊張感に波はあるが、クライマックスに向けて、上り調子であることは崩れない。

 映画としての文法がしっかりしているのだ。

   ◇   ◇

 まあ、刑務所からの脱出が、イコールで物語の収束に直結しなくてはならないので、先行する類似作品と似通った導入と決部であるのだが、その見せ方が全く違う。

 主人公が奥さんを殺されるところなどはショッキングでありつつも、その後の「刑務所所長が黒幕」に至る情報がふんだんに盛り込まれている。

 生き残った赤ちゃんは、とても愛らしく、主人公が必死にならざるを得ないのも理解できる。

 オーソドックスな、収監前に、ホースからの水流でいたぶられる主人公の姿を描きつつ、やはりオーソドックスな、食堂で絡まれての派手な暴力描写が映し出される。

 様式美以上に魅せてくれる^^

 さて、レースは、三日連続の3ステージ行なわれる。

 機関銃にミサイル、装甲にスモークに火炎放射器、プレス機、オイルにマキビシなんでもありだ。

 それを使えるようになるシステムも、物語上の説明はないのだが、話の進行と共に、容易に心に馴染む。

 洋画なので、いまいち外人の顔の区別がスピーディーな展開の中で最初は分かりにくかったのだが、徐々にリタイアも多くなり、個性も絞られてきて燃える!

 3ステージも行なわれると、ダレるだろうと思いきや、1ステージの最初からフルスロットルで、そのままクライマックスまで走り抜ける。

 2ステージでは、妻殺しの直接加害者と決着をつけるのだが、コテンパンにやっつけてくれるので痛快だ。

 その辺は、スタローン的だ^^

 また、2ステージでは、システム側の最終兵器<ドレッドノート>が出てきて、『マッドマックス2』や『バトルトラック』を思い出させてくれた(『激突!』『恐怖の報酬』『移動交番175(イナゴ)』『ナイトライダー』の1エピソードなんてのもあるね)。

 面白かった^^

 一緒に行った連れは、はじめは、この作品をバカにしていた気配濃厚であったが、途中から前のめりで見ていた^^;

 エピローグで、赤ちゃんと幸せそうな主人公に救われました^^v

 PS.ヒロインの女が現われる時、「いい女」風に、スローモーションで、微妙なBGMがかかるのが笑えた^^

                         (2008/11/30)
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[映画『トロピック・サンダー:史上最低の作戦』を観た]

2008-11-26 14:10:28 | 物語の感想
☆完成度が高いのは分かる。

 しかし、ダメだった。

 私の英語力と体内リズムに頗る合わない作品だった。

 映画が悪いのではなく、私との根本的な相性の問題だろう。

 かようなコメディ映画は、一瞬のうちに笑えてこそ、理解できると言えよう。

 そういった意味で、私は、この作品を全く理解できなかった。

 私は、こんなグレードの高い、ギャグ密度の濃いコメディを、隅々まで理解したかった。

 が、考えて、「面白いな^^」とニヤリと笑ったときには、ギャグは2,3歩先に進んでいる始末だ。

 私はまことに口惜しい^^;

   ◇   ◇

 ・・・人気下降気味の大スター、演技バカの演技派、お下劣コメディアンらが、リアルなベトナム戦争映画作りに終結した。

 しかし、アクの強い俳優達故に、全然まとまりがない。

 ならばと、彼らをモノホンの戦場に連れて行き、嫌がおうにも、作品にまとめようと目論むストーリーだ。

 物語は、色んな形式のギャグに彩られている。

 ボケやツッコミ、映像表現やパロディ、下ネタにお下劣、シュールにリズム・・・。

 だが、私には、言葉の壁があり、それらを十分に理解できず、面白いなと思っても、果たして、それが本当に面白いのかも分からないで、物語はスピーディーに進む。

 ギャグの形質が傾向化されていないので、鈍い私にはついていけないのだ。

 ロバート・ダウニー・”アイアンマン”Jrは、演技バカの役者だが、彼の生真面目さの周囲のとのギャップなども、考えると延々と面白いのだが、私は、笑っていいのか悪いのか、心の衝動の中で判別がつけれなかった^^;

 どんな複雑な情況も、瞬間に笑わせなくてはならないのが「お笑い」だと思う。

 おそらく、映画が悪いのではない。

 アメリカの映画館では、爆笑の渦だっただろう・・・。

 ・・・だから、私は、ジャック・ブラックのオナラギャグは、子供のようにすぐに理解し、素直に笑った。

 でも、このオナラギャグは、お下劣ではあるけれど、間(ま)が実に見事なんだよね。

 おそらく、全てのギャグが、計算された洗練さに裏打ちされているんだよ。

 確かに、私は今、どうやらインフルエンザで、体調が思わしくなかったのだが、この映画にノレなかったのは、純粋に私の感性の鈍さのような気がする。

   ◇   ◇

 映画の薀蓄も多く語られている。

 バカ役についての考察は面白かった^^

 コッポラの『地獄の黙示録』のパロディは、ベン・スティラー演じる元大スターが、密林の組織に溶け込み、「闇の奥」で顔を洗っているシーンからして言うに及ばず、アルトマンの『プレイヤー』なんかからもパロっていた。

   ◇   ◇

 ・・・作品中、妙にカリスマ性のある人物がいるなあと思っていたら、それが、エンドクレジットでトム・クルーズと分かり、私はかなりの衝撃を受けた。

 トム・クルーズは、『大いなる陰謀』と言い、かような純真かつ倣岸不遜な役をやらせると、とても活きる。

   ◇   ◇

 なお、作品中に、主役ら一行は、ジャングルの中の遺跡に辿り着くが、その中の遺跡に、カンボジアはアンコール遺跡で有名な「仏顔」があった。

 作品の舞台となったベトナムにもラオスにもアンコール遺跡はあるが、「仏顔」のある遺跡はカンボジア領内(アンコール・トムが有名)にしかないので、一言いっておきまする^^;

                      (2008/11/26)
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[映画『ブラインドネス』を観た(パワフル!)]

2008-11-23 15:17:55 | 物語の感想
☆私は、パッと見で似た作品イメージであるシャマランの『ハプニング』にも、なかなかの高評価を与えた者であるが、

 いかんせん、所詮は、この『ブラインドネス』の前座でしかなかったようだ。

 『ブラインドネス』・・・、物語の中盤、この下腹部に鬱積する暗澹たる未来への不安は何なのだろう・・・。

 この世界の、全世界に広がる「失明の病」だが、私は、これを<ノアの箱舟>や<バベルの塔へのイカヅチ>の如き、文明への警告と捉えた。

 それで正しいのだと思うが、こうして書くと、月並みな意見だなあ^^;

 ・・・と、書いてはいるが、洋画であるにも関わらず、宗教的な描写は少ない。

 だが、失明患者が隔離される施設や、そこでの暴力的な独裁者による野蛮な人間関係、周囲が見えない故にの連なって歩くさま、殺された人間への埋葬風景、・・・それらが何とも原始宗教的な雰囲気を漂わせているのだ。

 キリストと言うトップのいる新約の世界ではなく、旧約的なイメージを感じた。

   ◇   ◇

 『ドラえもん』は、毎回、異なる、未来の世界の秘密道具を使用する。

 ノーマルな世界に、毎回、イレギュラーな行為が起こるのだ。

 そして、『デスノート』では、その「ドラえもん」の秘密道具の如きモノが一つでも現実社会に紛れ込んだ場合の、リアルな(もちろん娯楽作だが)社会が、長編作品としてシミュレーションされている。

 『ブラインドネス』もそうだ。

 絶対失明の病が全世界に蔓延する。

 その、世の中を構成する要素一つ(この場合は視力)を排除するだけで、社会はこんなにも変容してしまうことを、この作品では執拗に描いている。

 そのバイオレンス度は高い。

 隔離施設は、汚物に塗れている。

 だが、フェルナンド・メイレレス監督の演出は、圧倒的なパワーで、聖も俗も押し流し、その果てに、ただ、温もりを与えあえる人間関係の大切さを訴えかけてくる。

 ・・・と、また、月並みなことを言ってしまった^^;

 物語の途中で、眼帯の黒人が、荒れた世界での、仲間との何人かでの共同生活に対し、「今が幸せだ」と言うのだが、

 私も、自分の家、飢えない程度の食料、仲間との語らいの時がある、そんな物語上の平安に、とても幸せの姿を見ることが出来た。

   ◇   ◇

 ジュリアン・ムーアだが、最近では『NEXT』でのFBI捜査官が記憶に新しいが、どうにも、美形だが、年齢的にトウが立っていてギスギスしたイメージが嫌いだった。

 しかし、この作品を見終えた後は(映画の作品テーマもそうなのだが)、そう言った、年齢に代表されるような見栄えなどではない、「心の強さ」を感じられたので、とても魅力的に感じた。

 終盤に、そのおっぱいを拝めたのも新鮮だった。

   ◇   ◇

 なんと言うか・・・、繰り返すが、汚れていても、痩せギスであっても、心の隙間を抱きしめあって埋めあえるような原始的な愛のあり方を、豊かな文明の中に住んでいる我々に思い知らせただけでも、この作品は凄い。

                    (2008/11/23)
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[映画『落下の王国』を観た(大傑作!!)]

2008-11-19 14:29:08 | 物語の感想
☆9月に数館で公開された作品が、段々と公開館を増し、遂に、私の「行きつけの映画館^^;」である<MOVIX昭島>で土曜から公開された。

 こりゃ、去年の『パンズ・ラビリンス』以上の傑作ですな。

 『トト・ザ・ヒーロー』にも匹敵するスケールの大きさだ。

 ・・・私は、死の床にあっては、この『落下の王国』や『バロン』のような作品をエンドレスで見つつ逝きたいと思っている。

 どこが「『パンズ・ラビリンス』以上」かと言うと、前者主演の美しい少女(イバナ・バケロ)が、性的な暗喩を醸していたのに対し、今作主演の幼女(カティンカ・ウンタール:美少女ではないが、とても魅力的だ^^)は、可愛らしさの純粋さを発揮させて物語を引っ張っていった点が、だ。

 その悲劇度も、考えれば考えるほど、深い。

 また、『トト・ザ・ヒーロー』の人生時間的(縦軸)なスケールに対し、世界空間的(横軸)な大きさがあった。

 ちなみに『トト・ザ・ヒーロー』にも美少女が出てくる(サンドリーヌ・ブランク)。

 それから、『バロン』にも美少女が出てきていた(サラ・ポリー)。

   ◇   ◇

 正直、私、傑作に対しては、特に語るべき言葉がないんですよね~^^

 う~ん・・・、とても軽快な作品だと思った。

 それは、事故で入院し寝たきりのスタントマンの青年(リー・ペイス)が、同じく入院していた少女に、世界中を飛び回る(飛び回り過ぎる^^;)空想を話して聞かせている、そのスケール感もあるのだが、何よりも、その話の臨機応変さが軽快だったのだ。

 1秒前にはピラミッドの前、1秒後には万里の長城へ。

 それらの短いカットが、一定の説得力ある映像で見せられる。

 非常に制作費もかかっているのだろう。

 よくもまあ、こんな脚本が通ったなあ。

 監督二作目のターセムに、何でこんな大作が任されて、しかも、こんな堂々たる作品に仕上げられたのであろう・・・。

 私は、こんなにも世界を飛び回る作品は、『ジャンパー』以外には知らない^^;

 でも、『ジャンパー』には、それぞれのロケーションで元を取ろうとした気配がありありだったね^^;

   ◇   ◇

 空想の世界には6人の戦士が登場する。

 それぞれが、類型的でない苦悩のエピソードを持っている。

 そして、それぞれの逸話は、それぞれに豪勢なロケ・美術・セットでもって語られている。

 特に、インド人の、さらわれた奥方の話、・・・奥方が彷徨うことになった「青天の迷宮」のビジュアルに圧倒させられた。

 この映画全体に言えるのだが、エッシャーのだまし絵の如き緻密な映像がそこかしこに見られ、また、作品構造自体も、数学的な尺度で成り立っているように思える。

 少女アレキサンドリアの骨折したギプスの固定が、立体的であることも、何がしかの意味を秘めているようではないか。

 寓話的であり、ヒロイックであり、陽性に充ちている。

   ◇   ◇

 ・・・物語の冒頭は、スタント事故に遭った青年が救出されるさまが、モノクロカットで描かれる。

 アンティーク写真のような情景が、無声時代のような映画音楽に彩られ、この作品が「ただ者の手によっては作られていない」ことが分かる。

 私は、その後、物語展開において、何度となく、いい意味で裏切られる。

   ◇   ◇

 その物語の世界の「神」である青年ロイは、暗黒の失恋の痛手の中にある。

 ・・・青年は死にたいのである。

 故に、動けない自分に代わり、その話を、少女を手なづけるため「だけ」に語っているに過ぎない。

 青年は、少女を手なづけ、自殺のための「モルヒネ」や「睡眠薬」を取ってこさせようとしているのだ。

 ・・・自分が死ぬために、青年は、自分の夢ある空想を少女に聞かせ、少女を喜ばせるのだ。

 その矛盾・・・。

   ◇   ◇

 青年の稚気と、少女の拙い経験は、ファンタジーを映像化する。

 故に、現実と空想は多くの「断片(キーワード)」で繋がっている。

 それらは、意味のあるよな、ないよな、暗喩・伏線となって作品を彩る。

   ・・・オレンジ。

   ・・・入れ歯。

   ・・・チョウチョ。

   ・・・切り込みの入ったメモ。

   ・・・板氷。

 ファンタジーの登場人物も、現実の世界のマスカレードの如く入り乱れる。

   ◇   ◇

 病床の青年の自殺が未遂に終わり、青年の語る話は、どうしても悲劇的な様相を呈していく。

 6人の戦死は次々に倒れていく。

 少女は、小さな顔をくしゃくしゃにして、「どうしてみんな死んじゃうの?」と泣きじゃくる。

 ・・・少女は病院内で、青年の薬を得ようと高い棚への踏み台から転倒し、頭を打つ、その処置は、人形アニメーションで表現される。

 私は、それまでの映像表現でもたいがい驚かされていたのだが、このシーンではほとほと呆れて圧倒させられた。

 そして、病床にある痛々しい少女の前であっても、青年は、悲劇を語ることをやめられない。

 失恋の内にある青年にとっての「世界」とは、悲劇でしかあり得ないからだ。

 他の選択肢などは思いつかない。

 だから、ロイと言う「神」が司る「空想」は、悲劇的結末こそが当然の帰結であった。

   ◇   ◇

 私も、即興で話を作るのが得意である。

 そして、かつての私の話も、陽気に語りつつ、最終的にとんでもない悲劇に突き進んでいた。

 幼児であった姪っ子に聞かせて、よく泣かせていた。

 当時の私は、世界をそう見ていたからだと思う。

 だから、ロイの苦悩に、私は共感しまくった。

 だが、同時に、私は、「失恋」と同時に、目の前の「チビ」も、同様に人生の大問題足り得た。

 ロイもそう思っていたと思う。

 だって、空想の途中から、茶目っ気たっぷりのアレキサンドリアがチョコチョコ登場し始めていたから^^

   ◇   ◇

 物語は、突然の転調でハッピーエンドを迎える。

 私は、それでいいと思った。

 アレキサンドリアの魅力は、一つの世界の悲劇を食い止めたのだ。

 少女の笑顔の魅力とは、そのためにある。

   PS.もう一度映画館で観て、DVDも買おうっと!!^^v

                     (2008/11/19)
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[映画『ハッピー・フライト』を観た]

2008-11-16 17:01:45 | 物語の感想
☆悪くない。

 面白い。

 むしろ、小気味良くまとめた良作だと思う。

 私が全幅の信頼を寄せて、その新作を待ち望む、ネイティブの「スタニスラフスキー・システム」の具現者である綾瀬はるかも、自分のパートをそつなくこなしている。

 でも、もはや、邦画って、こんな作品形式でしか作っていけないのだろうか? と、一抹の不安を覚える。

   ◇   ◇

 『おくりびと』の時に限らず、私は(この手の作品を見るといつも書いているが)、これらは伊丹十三や周防正行の作品と同じ<カタログ作品>だと考えている。

 私がネーミングし定義する<カタログ作品>とは、「一般の人が知り得ない世界を舞台にして、その世界の<ハウツー>を語っていくことで、その物語性を成り立たせているもの」を言う。

 この作品も、作り手は綿密にリサーチしているのが分かる。

 私は成田空港で数年働いていたのだが、物語の途中で、自分がミスをしたと思い込んだ整備士が、私服で整備地区を駆けずり回る、という、国際空港を舞台にしているにしては言語道断のシーンがあったが、それは「物語上のリアル」として構わない^^

 そして、今回の飛行機トラブルの原因も、惑星(空港)から衛星(航空機)の範囲を逸脱してない(Uターンフライトのトコなんか^^;)、通な内容で良かった。

 にもかかわらずの、このせせこましさは何なのだろう?

   ◇   ◇

 そこには、ハリウッド映画的な骨太なストーリー性がないからである。

 原因は、細かなエピソードの4コマ漫画化からくる。

 ・・・この作品は、空港やフライトにおいての「人間群像」を描こうと目されている。

 故に、

  ・機長昇格試験として、乗客を乗せた実機操縦に臨む副パイロット。

  ・その教官として同乗する厳しい機長。

  ・国際線フライトに発搭乗の新人CA。

  ・新人泣かせの鬼チーフパーサー。

  ・乗客のクレーム対応に追われるグランドスタッフ。

  ・離陸時刻が迫り必死にメンテナンス中の整備士。

  ・ハイテクに疎いベテランオペレーション・ディレクター。

  ・ディスパッチャー。

  ・管制官。

  ・バードパトロール。

  ・飛行機オタク。

  ・空港見学小学生軍団。

  ・お客さんたち。

 色んな側面から人物が描かれ、それらの人物が緻密に相関関係を持つ。

 ただ、それらの関係が全て「起・承・転・結」の4コマで完結できるような希薄さなのである。

 つまり、それぞれの「起・承・転・結」を分解して、

      「起起起承起起承承承承転転転転結転結結結結」

 として一本作品を作り上げたような手応えなのである。

 皆さんは、どう思いましたか?

   ◇   ◇

 また、新人スチュワーデスのお客さんとのトラブルの「尻拭い」をチーフパーサーが二度三度と行なうのだが、その接客対応がどうしても私には納得が出来なかった。

 まあ、シナリオがそうなっているんだから納得するしかないんだけど、どうにも、万人が納得できる対応とは思えなかった。

                      (2008/11/16)
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[映画『七夜待』を観た]

2008-11-12 22:17:46 | 物語の感想
☆純映画畑の女性監督の、カンヌに媚びた、すかした、ちょいとこまっしゃくれた作品だと思っていたら、

 作るにあたっての方式は奇抜だったようだが(『電波少年』の猿岩石方式^^;)、映画としての手触りは真っ当な作品だった。

 面白かった。

 日本の生活で何らかの不具合があって、「何か」を求めてタイに旅行に来たOL(って設定だろ?)の7日間の物語だ。

 ちょっとした観光にしかなりようのない「何か」のはずが、言葉のトラブルでジャングル深い村にまで行き着いてしまう。

 この作品は、おおまかな筋をメモで渡し、後は限りなくアドリブで撮られたそうだ。

 アドリブと言っては悪いか・・・、ドキュメントの手触りである。

 私事で悪いが、私は、カンボジアに十数回行っており、その経由地でもあり、物語の舞台となるタイは数え切れないほど行っている。

 それこそ、「猿岩石」や「水曜どうでしょう?」の以前から、ビデオを持ってジャングルに分け入っている。

 その経験から言わせて貰えば、画像とは正直で、このドキュメント風の作品の随所で、主演の長谷川京子の、幼児のような「無知」が見て取れる。

 その「無知」とは、主に、言葉の壁に所以がある。

 美人のハセキョーが、言葉が通じない、その一転で、心に恐慌をきたす様がリアルだった。

 異国語での話を長々と聞き、意味など理解できようはずはないのに、痴呆の様に頷くハセキョー。

 ああ、旅しているときの自分の姿を思い出す・・・。

   ◇   ◇

 物語の落としどころは、「タイ古式マッサージ」だと、映画の紹介文などを読んで思っていたのだけど、そう言ったカギ括弧付きのものではなく、なんと言うか・・・、スキンシップの重要性を描いた作品だと思った。

 そう、言葉で駄目なら、体の触れ合いだあ、ってトコだ。

 特に、長谷川京子の、フランス人青年とのマッサージを通した触れ合いは、エロティックだが、

 青年は、その前のシーンで、「自分はゲイ」だと告白しているので、物語的に釘が刺さっている^^;

 しかし、物語の冒頭から、カメラは執拗に、ハセキョーの肢体を追っていく。

 粘着的なカメラワークに何ら遜色がないほどに彼女は美しいので、文句の言いようがない・・・。

 しかし、この撮り方は、何とも、それこそ、「レズ」的なのである。

 女同士と言うのは、男と違って、射精で終わる性行為ではない。

 故に、そのペッティングは延々と続く。

 キスなどは夜通し続けられる。

 長谷川京子を狙うカメラの粘っこさは、監督ともども女に違いない!

 そしたら、案の定、フランス人の女性であった・・・。

   ◇   ◇

 一言いっておきたいのだが、この良作を見て、おそらく、多くの女性が、自由旅行をしたいと思っちゃうだろう。

 それは、やめておけ!

 と、声を大にして言っておく。

 さもなくば、近いうちに、アジアのどこかの川に暴行された日本人女性の「土左衛門(どざえもん)」が浮かぶことになる。

 私の予言はよく当たる。

 おそらく、半年後に、私は「だから言ったのに~」とエントリーするだろう・・・。

                      (2008/11/12)
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[本格ミステリ『極限推理コロシアム』を読んだ]

2008-11-10 23:59:36 | 物語の感想
☆<ブック・オフ>で100円で買ったミステリを、昨日、読んだ。

 メチャ面白かった。

 申し訳ないので、続編はちゃんと本屋さんで買います^^;

     
     『極限推理コロシアム (講談社ノベルス・矢野 龍王著)』

 《二つの館に強制的に集められた七人の「プレイヤー」たちに「主催者」は命じる――「今から起きる殺人事件の犯人を当てよ」――もちろん、被害者もプレイヤーの中から選ばれる。二つの館で起きる事件を、互いにもう一つの館より早く、解決しなければならないのだ。不正解の代償は「死」! 過酷きわまるデス・ゲームの幕が開く! 究極のサバイバル・サスペンス!》

 ・・・人気の映画シリーズ『SAW』と、数年前にアメリカで流行った番組『サバイバー』と、ちょっとだけ『バトルロワイヤル』を混ぜたような内容です。

 大勢の人物が出てくるのですが、それをスムーズに読者に理解させる能力が、この作者にはありますね。

   ◇   ◇

 私は、このミステリの犯人は、『そして誰もいなくなった』みたいに、死んだと思っていたけど生きていた、と言うパターンだと思っていた。

 そして、その私の推理は、この作品内では否定されていない・・・。

                       (2008/11/10)
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[映画『櫻の園 ‐さくらのその‐』を観た(今年一番の感動!)]

2008-11-09 00:41:12 | 物語の感想
☆映画の始まる前は、一緒に行った娘と、こんな会話をしていた。

「『櫻の園』じゃなくて、『シャクレの園』だったらどうする? (顔をシャクレさせながら^^;) お前らは『クッキングパパ』かって~の!?」

「あははは^^」

 そしたら、物語の最初に出てきた主人公が、やや受け口だったので、笑えなかった^^;

 その主人公を、福田沙紀が演じたのだが、よく「線の細い女」とか表現される言葉があるが、福田嬢は、恐ろしく「線の太い女」だった。

 彼女のファンには悪いが、お嬢様学校・桜華学園(だっけか?)の生徒に、こんなにも不似合いな娘っ子はいないだろう^^;

 女子プロレスのかわいこちゃんてな風情だ。

 それが気になって気になって、物語の前半は全く距離を置いた鑑賞になった。

 ヴァイオリンの天才児であり、反逆児でもある主人公・・・。

 その冒頭の役作りは、『4分間のピアニスト』のパクリだわな。

   ◇   ◇

 物語は、至ってベタであった。

 ・・・過去に事件があり、学内での上演を禁止されていた戯曲「櫻の園」を、それを行なうことで友情結ばれた生徒たちが、何とかして学校に認めてもらうまでの物語だ。

 そして、映画の撮り方も、至って「散文」的だった。

 それは無駄のない完璧さとは違った「ベタ」な展開だった。

 私は、この監督、こんな作品を作りたくて、自分の作品をリメイクしたのかよ! と、いささかシラケかけていた。

 ・・・しかし、編入の難しいお様様学校に転向してきた主人公・桃に反感を抱いていた学級委員長・赤星さん(寺島咲)が、女子校ゆえの中性的な魅力の学園のアイドル・葵さん(杏)への淡い恋心を見せはじめた頃から、物語は俄然面白くなる。

 ああ、今、思い出しても、胸がキュンとなる!

   ◇   ◇

 『魍魎の匣』では、演技派の谷村美月と対で出演していた寺島嬢で、可愛い顔だと記憶していた。

 しかし、この作品では、スッピンに近い顔で、上品な役だが、地味であった。

 ・・・赤星さんは、学級委員長として、転校生の桃の学校案内をする。

 最後に案内したのが、陸上部で棒高跳びをする葵のいる校庭だった。

 後に、葵が、桃が演じようとする「櫻の園」の演劇に参加し、二人が接近していくと、気になって気になってしょうがない。

 そして、つい、後を追っていった時、葵に劇への参加を促される。

 参加はしてみたけれど、葵の前だからだろうか? 不慣れで恥ずかしいからだろうか、声が出ない。

 そこで、こちらには、演劇部の中での孤立が感じられるのだが、映画の作り手は、そんな余計なトコではストレス展開をしない。

 ただ、赤星さんが、懸命に、劇団の中で大きな位置を占めていくのを丹念に描く。

 赤星さん演じる寺島咲は、「無力な瞳」と、「わずかに感情の起伏を表わす頬」と、葵への恋を抱く「心の強さ」を存分に発揮する。

 私は見ながら、赤星さん、頑張れ! と思った。

   ◇   ◇

 桃は、わりと強い性格だが、もちろん若いので、欠点もある。

 リーダーとして、みんなの意見を受け入れられない時も多々あるし、不満をすぐに顔に出す。

 そこに、作り手の「予定調和」を是としない意気込みも感じられるし、何よりも、若者を描く上でのリアルを感じた。

   ◇   ◇

 葵は葵で、ボーイッシュさで人気である自分に、女らしさを求めていた。

 そこで、赤星さんとの対話が生まれる。

 葵に憧れる赤星さん。

 女らしい赤星さんを羨む葵。

 しかし、その対話の中で、葵は、赤星さんの自分への「特別な想い」を感じ戸惑う。

 だが、それも、クライマックスに向け、サラリと流される。

   ◇   ◇

 物語は、色々あって、学園での上演が許され、舞台直前のメンバーの姿で終わる。

 舞台「櫻の園」の主人公の女に扮した葵(美しい)。

 現在の<櫻の園>の領主となった男を演じる赤星さん(恐ろしく美しい)。

 赤星さんが、二人の晴れ姿を、写メに収めようとするシーンに泣けた。

 葵が屈託なく、赤星さんに顔を近づける。

 赤星さんはメークをして派手な顔になっていたのに、この瞬間、喜びの絶頂の無表情になってしまっているのだ。

 私は、こんなにも可愛らしいシーンを他に知らない。

 そして、葵は、赤星さんに、緊張を解くおまじないとして、抱擁する。

 この瞬間、私の心は赤星さんにシンクロしてしまい、もうドキドキのの絶頂だ。

 私は、凄まじく感動してしまった。

 赤星さんにとって、今、この瞬間が、青春のクライマックスなのだ!

 そこまでを、丹念に描いてきた作り手に、私は「コングラッチレーション!」と叫ぶしかない。

 物語の中で、11年前の上演禁止の当事者であった担任教師(菊川玲)も、桃の姉(京野ことみ)も、その「青春のクライマックス」を演じられなかったばかりに、悔やんで生きている。

 しかし、赤星さんは、それを得られた。

 桃は、この時点では、物語の「狂言回し」の役割となっている。

 でも、その二人を見つめる桃の視線は優しい・・・。

   ◇   ◇

 ちなみに、『シャクレの園』についてだが、物語の途中で、桃は、とあるライブハウスで上演しようと考える。

 クラスメイト二人と、そのライブハウスを訪れた時、その二人は、ライブハウスの舞台に上がり、「猪木の真似」をするのだった。

 二人は、あごをシャクレさせるのだった^^;

   ◇   ◇

 (おまけ)・・・私は、『櫻の園』を観て、過去に書いたこのエントリーを思い出したので、どうか、読んでみて欲しい。

   [儚き美しさ 生涯一首の歌人・樋口リカ (2004/05/16の再掲)]

 ・・・限界のある美しさ

 5/2の産経新聞にこんな短歌が載せられ、評されていた。

   『  黒板に書かれたことが全てなら白いチョークを一つ下さい  』

 私は、普段は、この歌壇・俳壇のコーナーに目を通すことなどはほとんどないのだが、偶然、目についた・・・。

 作者の名は樋口リカさんだそうだ。

 途端に、私は、とてつもないドラマが、「バーン!」と頭に広がり、感動した。

 女学生が、何らかの苦難にぶつかったのだろう。

 それは、彼女の、初めての、<人生における障害>であったのかも・・・。

 それまで、何不自由なく生活してきて、おそらく、大それたことなどではなく、生活の中でのささやかな願望は、常に達成してしかるべきだと、信じて疑ってこなかった<夢見る乙女>の終焉のときだったのかも知れない。

 評者の福島泰樹氏が、その評で語ってくれている。

『・・・(この歌を)唇にのせた途端、鮮烈な感動が体を走った。作者に会うべく車を飛ばした。校長室に入って来たのは、セーラー服の清楚な少女だった。
大学に入り、演劇をやりたい。しかし家の事情で、許してもらえない。思い余って先生に相談した。すると、それが君の運命だよ、という返事が返ってきた。生まれて初めて短歌を書いた・・・』

 この女の子は、その後、この歌が福島泰樹氏の目にとまり、多くのメディアで紹介され、娘の演劇への進路を許さなかった父親の心を動かしたと言う。

 この歌における、この高校生の主張は、あまりにも穏やかで、無力でもある。

 私は、そのせめてもの<抵抗>に涙さえ出そうになる。

 「黒板に自分の想いを書く」、そんな、はたから見たらささやかな事が、この高校生の精一杯の<過激な反抗>なのである。

 ・・・おそらく、育ちがいいのであろう。暴力的な発想が微塵も感じられない。

 しかし、そう言わせている心情には芯の強さが窺われ、毅然としていて、揺るぎない。

 彼女の暮してきた環境から生成させられる<決断>としては、最も激烈なる思いであるだろう。

 そう・・・、彼女の生活においては<限界>があり、この短歌には、この女子高生・樋口リカさんの限界バリバリの過激な思いが込められているのだ。

 人の心を打たないわけがない。

 清く、正しく、美しい、究極の歌である。

 私は、この樋口リカさんに、今読んでいる『竜馬がゆく』のお田鶴さまに似た崇高さを感じました^^

 坂本竜馬への想いがある。深い思いがある。

 しかし、彼女には、身分が下の竜馬とは婚姻など想像だに出来ない<限界>を持っている。

 その美しさは、川端康成が『雪国』で描いた、<見返りを求めぬ愛の美しさ>に通づるものを感じる。

 福島泰樹氏は、こう書いている。

『・・・(彼女と)六年ぶりに電話で話をした。以後、歌は書いていないと言う。ならば、生涯一首、一度だけの短歌であるのか。・・・』

 福島氏は、寂しそうである。

 でも、しょうがなく、そう言うものでもあるのだ<歌>は・・・、と悟っているようにも思える。

                                       (2004/05/16の再掲)

   ◇   ◇


(2008/11/09)
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[『おらウェイズ:蘭丁目の白昼』 ⑦「いい風合い」]☆

2008-11-08 13:44:47 | 新・街を行く

☆近所のコンビニを出て前を見たら、「いい感じ(今風の発音で^^;)」の家屋があった。

 木造建築で、木がいい色合いを出している。

 屋根の押さえた赤系暖色のトタンも良い。

 一階も二階も表通りに面した全面が引き戸になっていて、同様の味が出ている木材の格子がはめられている。

 私は、缶コーヒーを飲みながら、しばし眺めるのだ。

 江戸時代とかの商店街って、こんなタイプの家屋が、引き戸を全開にして、店を出していたんだろうね。

 屋根は瓦だったろうけど・・・。

 ・・・ちなみに、木材が縦に並べられ、補強の横材のない格子は、正確には「連子」と言うそうだ。

                       (2008/11/08)

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[映画『X-ファイル:真実を求めて』を観た]

2008-11-07 14:31:08 | 物語の感想
☆何故か、かなり期待していた作品だ。

 ブームから10年以上も経って、リバイバル趣味とは違った雰囲気で映画化される様が、なんとも自信に満ち溢れているようなイメージに感じられたのだ。

 また、多くの客を呼べそうなUFOネタでないのも、なんか凄い展開を見せてくれるのではないかと期待していたのだ(UFOは『インディ4』で充分ですかね^^;)。

 見終えた結果としては、面白かったが、わりに地味な展開であった。

 そう感じたのは、私が熱心な『X-ファイル』ファンではないからだろうか?

   ◇   ◇

 FBIから遠ざかっているモルダー&スカリーが、FBI捜査官の失踪に伴い、現場復帰を促される。

 捜査には、遠隔透視能力者のジョー神父が関わっており、超常現象に「造詣の深い」二人が招聘されたのだ。

 私は、9シーズンに渡って放送されたTVドラマ版の「1」「2」シーズンの一部を見たに過ぎないのであるが、

 この映画版においてまでも、まだ、スカリーが超常現象について懐疑的なので驚いた^^

 そんな感情は、TV版の9シーズンの間に消え去っているのだと思っていた。

 故に、シリーズにあまり詳しくない私にとっては新鮮にも見えた、主人公二人の「信じる」「信じない」「信じたい」「信じられない」のやり取りは、ファンにとってはどうなのだろう?

   ◇   ◇

 私は、FBI復帰に至る葛藤などは最小限にして、

 いきなりバリバリ捜査に走る二人をキボンヌしていた。

 とは言え、物語の柱の一つとして、スカリーが医者として難病の少年と対峙する様が重要なので、それはダメか・・・。

   ◇   ◇

 前半は、事件の真相が読めず、私は、「X-ファイル」シリーズも、猟奇殺人事件パターンに陥ってしまうのかなと思わせられたが、それは違っていた。

 私は子供の頃に学校図書館で読んだアシモフのSF小説を思い出した(今、調べたら、どうやらアシモフではなく、A・ベリャーエフ「ドウエル教授の首」らしい^^; 子供の頃、アシモフの作品と合本になっていたと思われる)。

 しかし、連れ去られた者にとっては、真相が猟奇事件でなかろうと、そのやり口は正に「猟奇」なので、遭遇してしまった者の感じる恐怖感というものは、『羊たちの沈黙』なみに描きこんで欲しかった。

 そうでなくては、事件がリアルに感じられない。

 妙に、個々のシーンの描き込みが淡白に感じられた。

   ◇   ◇

 また、FBIの捜査が、私に理解できる範囲故に稚拙に感じた。

 例えば、二人目の被害者が乗っていた車が発見されたとき、普通なら、モルダーが到着した時点で、捜査官が「先の失踪したFBI捜査官と同じプールに通っていました」などと報告して、モルダーらが次のアクションへと移りそうなものなのだが、実際の展開は、モルダー自身がプールへ至る道筋を見つけるのである。

 そんなトコで鋭さを発揮されても、驚きはない。

   ◇   ◇

 冒頭の、遠隔透視者の神父を中心にして、雪原に大勢のFBI捜査官が横並びで、雪の上を棒で突いていくシーンがあり、私は、何かそんな神秘的な幕開けに、神々しいものを感じたのだが、

 神父は、神々しいどころか小児性愛者で、捕まった過去があり、事件の真相も、何故か、冷戦時代を引きずっているかのようなイメージで、やや、こじんまりと終わってしまった。

 これは、私の勝手な思い込みなのだが、「天使体験」とか「聖者の遺骸」ネタだと思っていたので、面白かったが肩透かしを喰ってしまった。

 でも、帰りに、レンタル屋で「X-ファイル」シリーズを借りてしまいました^^v

                       (2008/11/07)
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[映画『ホームレス中学生』を観た]

2008-11-07 00:04:05 | 物語の感想
☆ベストセラー本の映画化だが、私は原作を読んでいない。

 でも、メディアで語られる本の内容は断片的にだが、聞いている。

 ・・・幸せだった家庭が、母親の病死、そして、ルーズな父親のもとで崩壊し、残った家族は住んでいた家を追われてしまう。

 「家族解散!」を父親に告げられた三兄弟は、それぞれ町の片隅に居場所を求めてさまようことになる。

 主人公は、大学生の兄と、高校生の姉を持つ中学生のヒロシ。

 ヒロシは、公園のドルメン風の立体的な滑り台を住処とし、野糞をし、雨をシャワーとし、水で空腹を満たし、雑草や段ボールも口に入れる生活を余儀なくされるのだ。

 そして、温かな周囲の者たちとの触れ合い・・・。

   ◇   ◇

 面白かった!

 が、私が声を大にして言いたいのは、姉を演じた池脇千鶴の演技だ。

 いや、当初、私は、姉サチコ役を池脇嬢とは思っていなかった。

 物語の当初にも、主人公が心を寄せる同級生の女の子が出てくるのだが、その子にしても、サチコ役にしても、「年頃の<処女太り>の可愛い子」をよく配役したなあ、と感心していたのだ。

 特に、サチコ役なんて、もう、最初のシーンから、制服のブラウスがパッツンパッツンで、体がムチムチ、ムッチムチしていて、可愛いったらない。

 私は、池脇千鶴が出てくるのを知っていたが、サチコが池脇嬢とは思ってもなく、いつ出てくるんだろうと少し気になっていた。

 「ホームレス中学生」を演じているのは、『ラブ☆コン』や『KIDS』で、私の御ひいき役者となっている小池徹平君だ。

 小池君は、二十歳はとうに過ぎているのだろうが、童顔ゆえに、不自然じゃない程度に中学生を好演していた。

 ・・・さて、池脇千鶴は、もう30も近いだろう。

 お母さん役でもしているのか、な・・・?

 あれ?

 ・・・もしかして、サチコが池脇千鶴なのか?

 気づいたとき、池脇千鶴の凄さに驚いた。

 可愛い!

 その、「大阪のおばちゃん候補生」みたいなブスさ加減が、俺的には、メッチャ可愛かった。

 スエット姿のお尻のだらしなさと言ったら、言葉にならないくらい可愛かった。

 原チャリで走りつつの屈託ない笑顔も、も~う可愛かった^^

 今年も映画館で100本以上の映画を見て、私の本名はナカムラなので、「ナカデミー賞」を発表しようとしていて、今年の女優賞は綾瀬はるかかなあ、ライバルはポニョかなあ、などと思っていたのだが、ここにきて、池脇嬢が急浮上だ!!!

 ・・・少ないご飯で満腹感を得るために、兄弟は、普段の数十倍、ご飯を噛むのだった。

 それに熱心だったのは、姉サチコだった。

 そして、姉は、「味の向こう側」を発見し、恍惚となる。

 その表情たるや、「オルガスムス」・・・、つまり、「イク」表情なのである。

 ・・・いいもの見させてもらったよ^^

   ◇   ◇

 また、この映画で優れていると思ったのは、極限の空腹の後の食事シーンもさることながら、久し振りのお風呂シーンが良かった。

 私も、長時間残業した後のお風呂は、体が「おいしく」感じるタイプなので、ヒロシが久し振りに風呂に入るシーンは、見ながら、太ももがザワザワと共感した。

 アクション映画などを見ているときの体感とは違って、それはとても新鮮な体験であった。

 その一点を持ってしても、この映画鑑賞は価値あるものとなった。

   ◇   ◇

 主人公の仲間に「ヨシヤ」と言う珍しい名前の不細工な男がいる。

 実は、私の名前も「ヨシヤ」である^^;

 私は、自分の名前が、これほど呼ばれる物語を初めて見た!

                       (2008/11/07)
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[映画『ハンサム・スーツ』を観た]

2008-11-03 09:33:10 | 物語の感想
☆私がかなりショックを受けた傑作『ラブ☆コン』系列の作品である。

 不細工な男が、「洋服の青山」が開発した「イケメン着ぐるみ<ハンサム・スーツ>」を装着し、新しい世界を経験し、それまでの自分の生活半径での幸福を再発見する物語である。

 そう、幸せは身近にあった、と言う帰結は、メーテルリンクの『青い鳥』と同様である。

   ◇   ◇

 主人公は、不細工ゆえに、最愛の人に巡りあえない。

 だが、その周囲には、魅力的な仲間が溢れている。

 町は、ティム・バートンの作品のような不思議な色合いに彩られているが、非現実的とは言えない人間臭さも感じられる。

 これは、一種の「寓話」なのだろう。

 物語もギャグもキッチリと洗練された形で作られ、ソツがない。

 惜しむらくは、「いい性格なのに、顔が不細工なので恋人が出来ない」と言う主人公の「いい性格なのに」の部分の肉付けが足りないように思えた。

 そこが十全にクリアー出来ていたら、私は、クライマックスのハッピーエンドで、大泣きしただろう。

 話が「不細工であること」にどうしても向けられていて、「心の美しさ」の方の比重がやや薄れている印象が拭えない。

 
 まあ、仲間や、何故か子供たちにも人気がある主人公・琢也の姿を、「いい性格なのに」と脳内補完して、感動した^^;

 そして、「心の美しさ」は、ブスを演じた森三中の大島美幸から感じられた。

 とても魅力的な可愛い女に見えました^^

   ◇   ◇

 私は、予告編で、琢也がイケメンになったときに、卓也を振ったヒロコ(北川景子)がイケメンに「外見だけ見て好きになってもいいのですか?」と言っているシーンを繰り返し見せられていたので、その展開に不愉快を感じていたのだが、

 実際の物語は、「外見だけ見て好きになってもいいのですか?」のセリフは、全く反対のシチュエーションで使われていた。

 私は、「ああ、そうだったのか^^」と安心した。

 やっぱ、こういった物語は、頑張っている主人公に幸せになって欲しいからね。

 しかし、ヒロインを演じた北川景子だが、可愛いね。

 小さくて、細くて、フニャフニャしているところが最高だ!

 ・・・と、外見で好きになると、ヒロコちゃんは幻滅しちゃうんだよね^^;

   ◇   ◇

 豚也、…じゃなくて、琢也の太り方だが、誰かに似ているなあと思ったら、鏡に映る私自身に似ていたのが、親近感を通り越して、ちょっと切なかった^^;

   ◇   ◇

 琢也のイケメン時を演じるのは、谷原章介だが、ノリノリでお調子者を演じていますね。

 この作品には、<ハンサム・スーツ>を着ている人物が3組出てくるのだが、それぞれの「使用前」「使用後」の表情の演技が、ちゃんと重ねられている。

 だから、谷原章介の表情が、琢也(塚地武雅)とダブり、その反対も然りで、しまいには、それらが渾然一体になり、ハンサムでも不細工でもどうでもいい様に感じられる。

 それは、作り手の想像し得なかった意図なのかもしれないが、結果的に素晴らしい演出だ。

   ◇   ◇

 トップモデルのライカを演じた佐田真由美だが、この人、凄いや。

 『ICHI』に出てきたときも、強烈だと思ったが、・・・美しい。

                         (2008/11/03)
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[映画『レッド・クリフ PART1』を観た]

2008-11-02 10:44:55 | 物語の感想
☆最初は、TVゲーム的な画面構成で、時代状況や、英雄の配置を説明されて、「おやおや随分とザックリした映像作りだなあ」と思って見ていた。

 でも、そのカンニング的な作りが、すぐに語られる曹操軍や劉備軍の世界にスムーズに移行させてくれて嬉しい。

 私は「三国志」に詳しいほうではないが、人並みに趙雲・関羽・張飛の名前は知っているので、彼らが突然に活躍しても、何か顔なじみの人に会ったような気がして嬉しかった。

 特に、関羽は、いかにも「中国の頼れるヤツ」てな顔立ち・目つきで格好良かった~^^

 とは言え、「三国志」など全く知らない姪は、はじめは、それが退屈だったらしい。

 知らない人物達が、知らない間に激闘を繰り返している。

 その最中に放り出され、戸惑ったようだった。

 しかし、最終的には夢中になり、「赤壁の戦い」の序盤を終えて、周瑜と小喬が愛を確かめる(文学的な表現^^)シーンなどには、「たるい!」と不満を漏らしていた^^;

   ◇   ◇

 私も、「赤壁」の序盤を勝利で終えて、そのまま「PART1」が終了するのかと思いきや、エピローグが30分くらい続くので「おや?」と思った。

 確かに、戦場で負傷した周瑜を、小喬が手当てする場面は不用に感じた。

 包帯を巻くことを、一種の叙情的な行為に描こうとしているのは、分かりすぎるほど分かる。

 ジョン・ウー監督は、そこここに、そのようなエモーショナル(心象や物語の主題の画像への映し込み)を配していて、それが雨であったり、小鳥であったり、弦楽器であったり、虎であったりしているのだが、それが効果的なときは良いが、しつこく感じられる時もある^^;

 それは、『男たちの挽歌』の頃から変わりない。

 黒澤も、分かりやすくテーマを画像に据えていたが、もうちょい洗練されていたような気がする。

 ジョン・ウーは、黒澤末期の作『八月の狂想曲』レベルの拙さが見える。

   ◇   ◇

 これだけの人々の坩堝を描いた作品である。

 その力強い合戦シーンこそが、途方もない「説得力」なのだ。

 それもまた、『男たちの挽歌』の頃から変らない魅力だ^^

 私は、大陸や半島のビッグ・バジェット映画につきものの、完全に統率されたマスゲーム的な合戦シーンを想像していたのだが、この映画では、戦場の未曾有の雑多さが描かれていたように思う。

 「PART1」における最終決戦で布かれた劉備・孫権軍の陣の壮大さには度肝を抜かれた(写真参照^^)。

 土煙や、「ゴゴゴゴゴゴ!」と言う群れ犇く音が、耳でなく、心に届いた。

   ◇   ◇

 金城武は、孔明という美味しい役を嬉しそうに演じていた。

 役作りが、NHKドラマ『新撰組!』の山南副長(堺雅人)に似ていた。

 ちょっと諦観を感じさせるところが良かった。

 全編、潤んだ瞳で、こりゃ、世界の淑女を虜にするだろう^^;

   ◇   ◇

 私は、任侠グループの劉備軍よりも、孫権軍のほうに心を引かれた。

 周瑜(トニー・レオン)は、谷原章介みたいな「イケメン」で、私もかっちょいいと思ったが、孫権役のチャン・チェンが、石野卓球みたいな顔だが、シャープで良かった。

 宝剣を抜くか抜くまいかと暗がりで悩みつつ、その少し抜いた剣のさやの、反射の光を目に受けるシーンの表情など素晴らしいと思った。

 また、ここで孫権軍の将軍として中村獅童が出てくる。

 その役作りが、いかにも「ワル」風なので、

 あいや、また、裏切り将軍的な役回りか? と思いきや、そうではなく、最終決戦でもガンガン見せ場を与えられていて、同じ日本人として嬉しかった。

 この作品には、「裏切り」行為と言う、ストレスのたまる展開はない。

 孫権軍には、「項羽と劉邦」における<虞美人>的な「戦局を左右する美人」である小喬がいる。

 「裏切り」はないけど、「物語的な定番美人」はいます^^;

 また、颯爽とした戦う女も出てくる。

 尚香(ヴィッキー・チャオ)だ。

 この子は、アン・ハサウェイみたいに目がグリグリに大きくて可愛かった。

 女には、戦いの先陣は切らせて華は持たすが、後は男の仕事とばかりに、ひたすらに豪傑が戦い続ける・・・。

   ◇   ◇

 ・・・赤壁の対岸では、曹操の水軍の大艦隊が陣を敷いている。

 その絵柄は、勇壮で、美しい。

 PART2が楽しみである^^

                       (2008/11/02)
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