☆・・・さて、無名な有名人として名高い私だが、直近では、「いじめ」について二つの再掲エントリーをしている。
なんで、再掲かというと、過去において、「いじめ自殺事件」については、事件の当事者に感情移入しつつ、システムを俯瞰し、自分なりに一定の考えを出し尽くした気がしているし、私の家にはテレビがなく、また、いじめ事件のニュースを聞くのも不快なので、現在 話題になっているいじめ事件についてはそれほど詳しくない。
[(再掲:日教組問題)自殺するくらいなら、そいつら殺しちまえ!! それが生存権!] (クリック!)
[三重いじめ密室(再掲:[『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・④<密閉教室>])] (クリック!)
・・・で、まあ、読んでくれましたかな?
さて、私はあまりネットサーフィンはしないのだが、産経新聞の
阿比留瑠比記者のブログはよく見る。
この方とは面識はなく、生で見たこともない。
でも、なんか、そのブログは、ときおり閲覧してしまう。
「いじめ」についての雑感エントリーがあった。
この方、私のブログ、たまには見てくれてるのかな^^
「いじめ」を受けた側は一生忘れないという現実について (2012/07/18)・・・クリック!
≪・・・大津市の件では、何より問題なのは学校と現場教師であり、事実上、学校と共犯関係にあった市教委であることは間違いありません。私がこのブログでしつこいぐらいに書いてきた山梨県の事例を引くまでもなく、教育委員会の事務局は教師の出向者の集まりであり、教育長の多くは教師の退職後の天下り先であり、今回の事例では詳しく把握していませんが、そうしたもたれ合い構造の背景には教職員組合の存在があります。
しかし、きょうはあえて、そういうシステムよりも、今現在も好んでか周囲に巻き込まれてか「いじめ」を続けている児童・生徒に言いたいことがあります。今回の大津市の事例のように、刑事告訴にまで至ることは稀で滅多にないことでしょうが、そうはならなくとも問いたいのです。
あなたは、今いじめている相手から、一生恨まれ、機会あれば復讐される覚悟があっていじめていますか。・・・≫
・・・しかし、子供って、ホント、(私の子供の頃含めて)先のこと考えていないんですよね。
その場だけ、「いじめ」てスッキリするのが(それも異常だが)、「現実」のようです・・・。
しかも、後からの後悔がない。
こいつらで分かるよね・・・。
<
亀岡暴走初公判 少年、謝罪なし…裁判官に一礼も遺族には目を向けず (2012/07/19)>
弁護士は、どーいう教育をしてるんだかな。
・・・また、阿比留記者ブログでは、こんな最新情報も!!
日教組のドンがいじめ事件についてようやく発信しました (2012/07/19)
≪・・・記者 大津市のいじめ自殺事件への所見を
(蘭注記:世にも、卑劣な悪相の)輿石(東)氏
非常に残念なこと。だれが責任がある、ないなんて問題ではない。尊い人の命をなくしてしまう、自ら命を絶つ、そういうのは大変なことなんで。学校が悪い、先生が悪い、教育委員会が悪い、親が悪いと言ってる場合じゃないでしょう。みんなで、そういうことのないようにきちんとやっていく、ということだと思います。・・・≫
もはや、輿石…、何を言ってるのか分からない・・・。
◇
それから、阿比留記者ブログで、昨夕の「夕刊フジ」に、日本教育再生機構の八木秀次理事長の主張が載っていたとのこと。
「夕刊フジ」ブログに飛ぶ。
これは全文転載しちまえ!^^;
【危機の正体】民主党政権の大罪…道徳教育といじめ自殺★5 (2012/07/15)
≪大津市の中学生いじめ自殺事件は、滋賀県警がやっと被害少年が在籍した中学校と大津市教委を家宅捜索した。自殺の練習をさせるなど、いじめは残酷を極めていたのに、学校も市教委も事態を放置してきた。市教委はいまだにいじめと自殺の因果関係を正面から認めようとしない。警察も遺族が3度も被害届を出しながら受理しなかった。マスコミや世論が騒ぎ始めて、やっと警察も重い腰を上げたのだ。2つの問題を指摘したい。
1つは教育界の構造的問題だ。学校を所管するのは教育委員会。ここでは大津市教委となる。教委は「レーマン・コントロール」といって教育関係以外の者が委員となって高い見地、広い視野から教育行政をコントルールする仕組みだ。委員のうち教育長だけは常勤だが、他の委員は非常勤。会議のときだけ来る存在だ。
結果、教育長をトップとする教委事務局が教委を仕切ることになる。事務局は現場の学校の先生の出向者が大半で、両者は表裏一体の関係にある。大津市の場合は教育長も校長経験者だ。教委が現場をかばうのも当然だ。
市長はどうしているのか。教育長を含む教育委員は市長の任命だが、委員には任期があり、途中でクビにはされない。大津市の場合、教育委員は全員、前の市長に任命されている。教育行政の「政治的中立性」の名の下に市長が教委に口出しできない仕組みになっている。こうして教委が現場と一体となって聖域化する。偏向教育が横行し、いじめが隠蔽される理由だ。大阪府市の教育関連条例はここにメスを入れ、教育を住民の手に取り戻そうとしている。
2つ目の問題は教育の内容についてだ。滋賀県は「人権教育」が盛んな地域として知られる。だが、人権教育が盛んな地域ほど子供たちは荒れている。
人権教育は自身を「弱者」や「被害者」の立場に置いて「権利」を主張することを教えるからだ。内容はどうでもよく、「被害者」を自称すれば、どんな主張も成り立つと暗に教えるのだ。事件の加害少年と保護者も、自分たちは被害少年を自殺に追い込んだ“犯人”呼ばわりされている「被害者」と主張している。人権教育の見事な成果だ。
必要なのは人権教育ではない。善悪の判断を教える「道徳教育」だ。だが、この中学でまともな道徳教育が行われた形跡はない。それどころか、道徳教育に反対する日教組を支持基盤とする民主党政権は道徳教育を学校から消そうとしている。大津市の事件は氷山の一角でしかない。=終わり≫
まあ、なんだかんだ言って、八木理事長は、このブログをたまに見ていてくれているでしょう(エロいネタには怒りで歯軋りしていることでしょう・・・)。
・・・文中の「レーマン・コントロール」ですが、
私、
「レイマン・コントロール」として、2006/09/07にエントリーしています^^(クリック!)
もっとも、この言葉は、松浦光修先生の著書で知ったのだが^^
どうりで、「レイマン・・・」では検索できなかったわけだ^^;
◇
この事件も、「いじめ」の裏返しで起きた、教師の悲劇だ。
東京高裁、女性新人教師の自殺は公務災害と認める判決 (2012/07/19)
≪・・・着任後、4年生の学級担任を任された百合子さん。
しかし、授業を妨害したり、言うことを聞かない児童が増え、クラスは学級崩壊状態になっていったという。
百合子さんの日誌には、「いじわるをされているが、仕返しが怖くて何も言えない子。小学生で円形脱毛症になりかけている子。なぜこんなにも多くの問題が起こるのか?」、「自分の授業が下手だから。それはそうだけれど、教室内の重い空気に、何とも言えない息苦しさを感じる」などとつづられていた。
周りの先輩教師にSOSを送っていたという百合子さん。
しかし、ある教員からは、こんな言葉を突きつけられたとしている。
百合子さんの日誌には「6月25日、ある先生が、わたしに『給料をもらってるんだろう、アルバイトじゃないんだぞ、ちゃんと働け』と言った。この部分だけ取り上げると、語弊を招くが、わたしの心に突き刺さった。わたしはこの3カ月、自分の最善を尽くしてきた」とつづられていた。・・・
・・・そして、うつ病を発症した百合子さんは、着任からわずか半年で、自ら命を絶った。・・・≫
子供は、人間ではない。
聞き分けのないときには、鉄拳制裁を含む強硬策さえ必要なときもある。
だが、いじめられる生徒に逃げ場がないように、教師もまた、多くの規制の中で逃げ場がなくなっている。
まあ、大学で教職を取っていたが、生徒と過ち(純愛だが)を犯すのが目に見えていたので先生になるのをやめた私がアドバイスできることはない・・・。
でも、あんまし詳しくないのだが、こちらの組織の教師の技術向上システムは、少なくとも、「学級崩壊」には即効性があると思われます。
TOSS(トス:Teacher's Organization of Skill Sharing(教育技術法則化運動)の略)
◇
(おまけ)
【産経抄】7月19日 (2012/07/19)
≪〈原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた〉〈原子力は魔女ではないが彼女とは疲れる(運命とたたかふみたいに)〉。歌人の岡井隆さんが、「3・11」の後、原発事故について詠んだ作品だ。
▼岡井さんは、反原発を主張する東京新聞に「けさのことば」という連載を持つ。今年2月、その東京新聞のインタビューに、元医師でもある岡井さんは、「ぼくは原子力容認派」と答えていた。勇気ある発言に驚いたものだ。
▼「日本中の新聞で原発擁護を書いたのは岡井さん一人。袋だたきに遭いますよ」と周りから言われるそうだ。歌壇の大御所でさえ、このありさまである。まして、電力会社の社員に、発言の自由はないらしい。将来のエネルギー政策に関して、国民からの意見を聴取する会に、東北電力の幹部や中部電力の関係者が発言者として出席していたことに、批判が広がっている。
▼「個人的な意見として、原発をなくせば経済や消費が落ち込み、日本が衰退する」「(福島第1原発事故では)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」。小欄にはもっともな意見に聞こえるが、会場は騒然となり、テレビのコメンテーターは「信じられない」と罵(ののし)っていた。政府は今後、電力関係者を排除するという。
▼16日に東京都渋谷区の代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」は、主催者発表で約17万人、警視庁によれば約7万5千人と、大変なにぎわいだったらしい。作家の落合恵子さんは、「今日ここに来ているのが、国民であり市民」と言い切った。
▼「小さな声」でも、原発擁護を口にすれば国民とは認められない。そんな日が来るとしたら、放射能より恐ろしい。≫
・・・反原発の本拠地・東京新聞の中心で「愛(原発容認)」を叫ぶ岡井隆さん、かっちょいいです!!
で、さて、私の一昨日の更新^^
[累計300万アクセス突破記念! 近況・175/元民主党支持者→反原発へ](2012/07/17)(クリック!)
≪・・・暑い中、作業をしながら、思い出してイライラするのが、昨日か一昨日の代々木公園で行われた「反原発集会」だ。
これ、主催者側は17万人とか言ってるが、実際は7万ちょいしか集まっていない。
数年前の沖縄での反米軍基地集会と同じ「左翼水増し」だ。
でも、まあ、7万ちょいでも凄い。
これ、集会のメインにいるのは、いつもの共産党運動家の面々だ。
そして、それに群がっている汚ねぇ顔した面々のほとんどが、
民主党政権を支持し誕生させて、その失政の責任について、自らを反省することなく、その汚い思考回路を「反原発」にスライドしただけの奴らだ。
ノイジーな「魔女狩りの群れ」である。
「魔女狩り」であるが故に、反対意見を聞こうとはせずに、「言論封殺」を行う。
原発推進派の意見を聞き議論をしようと言う気が、きゃつ等にはなく、「欠席裁判」で断罪をするのみである。
そこには、科学的根拠は胡散霧消し、ただ、ヒステリックに、「危険とされる区域内からの避難期間」や「風評被害」を拡大させるだけである。
「魔女狩りの群れ」に押され、原発再開を決断したはずの首相さえも、とんでもない指示をした。
民主国家としてあっちゃいけないことだ。
直接的に同級生を嬲り殺した大津のクソガキ三人にさえ、語る機会を与えるのが民主主義だぞ・・・。・・・≫
・・・文章が似てなくなくない~?^^;
(2012/07/19)