☆私のMOVIXポイント=164点
二人で映画を観れて、まだ余る^^
▼先行ロードショーが、いつものMOVIX昭島であるというので、観に行った。
思えば、『ダイ・ハード』は、私の最も好きなアクション映画である。
これまでもネット上で、何度となく繰り返し語ってきた。
『ダイ・ハード』をはじめて観たとき、私は、帰宅後、その面白さの理由をノートに書いて研究したものだった。
結論としては、その「立体構造」にあった。
舞台となったナカトミビルが、もちろん立方体であったのだが、そこを縦横無尽に使い切り、人物配置も多重構造にしていたのが斬新だったのだ。
・・・私は、ルービック・キューブをイメージしたものだった。
主人公ジョン・マクレーン刑事は、戦いの最中に、ふと壁に貼ってあったヌードポスターに視線を落とし、それをやり過ごす。
しばらくして、ビルの中、銃撃戦をかいくぐり、走り回っていると、再び、また、ヌードポスターの場所に舞い戻っている。
そんな、「場」のうまい使い方に唸らせられたものだ。
第一作目の監督のジョン・マクティアナンの名は、当時、私の中では、神様のように思えた。
▼二作目も面白かった。
二作目に過ぎないのに、私たち観客は、馴染みのヒーローを見るかの如く、マクレーンの活躍に拍手喝さいした。
『ダイ・ハード2』の先行オールナイトの盛り上がりは、とてつもなかった。
監督のレニー・ハーリンは、自身の思う「ダイ・ハード」像を、自身の撮った『2』に叩き込んでいた。
多くの粋な脇役・・・。
狭いダクトをぼやきながら這いずり回る主人公・・・。
『1』ほどではないが、許せる範囲で、ちゃんと舞台となる空港の「立体構造」も踏襲されていた。
クライマックスの、
軍用機のコクピットに閉じ込められたマクレーンが、窓から手榴弾をいっぱい放り込まれ、絶体絶命の危機に陥り、そこを脱出するに至るアクションの凄さ!!
平面アクション(縦・横)が、3D構造(高さが加わる)へと変貌する妙。
私は、これ以上に衝撃を受けたアクションシーンを、いまだかつて知らない。
豪快なレニー・ハーリン監督・・・、
最近、アクション大作を撮らないが、今でも大好きです。
・・・ただ、二作目は、ちょっとセルフ・パロディが多かった^^;
それが楽しかったばっかりに三作目が「お祭り」気分に至れなかった・・・。
▼そもそも、『3』の監督に復帰したジョン・マクティアナンは、「ダイ・ハード」を、舞台設定を現代的にした「西部劇」と定義していたようだ。
故に、なんだかんだと言いながらも等身大の人間でしかなかったマクレーンを「スーパーヒーロー」のように描いた『2』はお気に召さなかったようだ。
『3』は、『1』の後に作られたら、傑作の評価を受けたかも知れない。
そこには、粋な会話一つで観客を楽しませる映画作品の姿があった。
ただ、「ダイ・ハード」は、派手なアクションの『2』で方向付けされてしまったので、『3』の地味な印象は拭えない。
マクティアナンは、ちゃんと作っていた。
しかし、それは、私たちの望む「ダイ・ハード」ではなかった。
「立体構造」も薄まっていた。
クライマックスの、ジェレミー・アイアンズ扮する悪党との、マクレーンの一騎打ちも、『1』との関連の中でなら、あくまでも「西部劇」の踏襲として理解できるのである。
だが、『2』の後にあっては、あまりにも呆気ないクライマックスであった。
▼『4.0』は、凄まじかった。
『3』で、マクティアナンが目論んだ「いつもは火だから、今度は水のアクションだ」などという冒険はせずに、『4.0』のレン・ワイズマン監督は「ならば、もっと凄い火だ!」とばかりに、それでも必然のある爆発シーンを見せてくれた。
今回は、アメリカ全土をパニックに陥れる「サイバー・テロ」犯罪である。
私は、その争点を、どうやって一刑事のマクレーンに還元できるのか?
マクレーンは、どうやったら、勝てるのか?
映画の最後の最後までドキドキさせられた。
ワイズマン監督は、「立体構造」を忘れていなかった。
アパートメント、トンネル、発電所、金融情報管理ビル、高速道路・・・。
各所で、マクレーンは立体的な戦いを見せてくれた。
平面移動しか出来ないはずの車を、マクレーンは、文字通り、「空中」でヘリコプターと勝負させる。
ビルでは、お得意のエレベーター縦溝内での大格闘がある。
高速道路では、F35戦闘機を相手に、それを下に見おろすという状況をこしらえた。
島田荘司は、「ミステリー作家は、世の中を平面的だけでなく、立体的に見なくてはいいトリックを考えられない」と言っていたが、アクション作家も同様なのである。
今回は、これまでのシリーズを遥かに超えた大破壊が行なわれる。
私は、崩れ去るハイウェイの姿を見て、阪神大震災の映像を思い出させられた。
しかし、犯罪は、アメリカ全土が対象であるので、違和感はなかった。
ただ、敵役のガブリエルと腹心の恋人マイは、『3』の敵役コンビの焼き回しのようで、芸がないと思った。
ならば、『3』のジェレミー・アイアンズの方が演者として遥かに上であった。
だが、マイ役のマギー・Qは魅力的であった。
美しい平安(時代)顔、色っぽい小雪というイメージだ。
マクレーンは、そのマイと、「ダイ・ハード」史上一番長い格闘をする。
マイは、とにかく強いので、最終的にはマクレーンにコテンパンにやられるのだが、「女なのに可哀想」などとは思えず、「この女は危険だ! 早くやっつけろ!」と思わさられる^^;
今回、強く思ったのが、ブルース・ウィリス演じるマクレーンが「大人になったなあ」だ。
今までのシリーズの数倍ものダメージを喰らっているのに、ぼやきつつもめげずに、「犯罪者は打ち殺す」のポリシーに忠実であることに迷いがないのだ。
打ちのめされても、即座にファイティングポーズを構えるのだ。
そして、けして、テロリストと取引しない。
交渉もしない。
娘を人質に取られても、瞬時に、「娘を人質に取るしかない敵の弱み」を見て、突進するのである。
▼・・・情報量の非常に多い作品であった。
矢継ぎ早に豪勢な物語が進行する。
個々のアクションも、味のある登場人物たちも、堪能し切れなかった。
もう一度、観に行こうと思う^^
(2007/06/24)
二人で映画を観れて、まだ余る^^
▼先行ロードショーが、いつものMOVIX昭島であるというので、観に行った。
思えば、『ダイ・ハード』は、私の最も好きなアクション映画である。
これまでもネット上で、何度となく繰り返し語ってきた。
『ダイ・ハード』をはじめて観たとき、私は、帰宅後、その面白さの理由をノートに書いて研究したものだった。
結論としては、その「立体構造」にあった。
舞台となったナカトミビルが、もちろん立方体であったのだが、そこを縦横無尽に使い切り、人物配置も多重構造にしていたのが斬新だったのだ。
・・・私は、ルービック・キューブをイメージしたものだった。
主人公ジョン・マクレーン刑事は、戦いの最中に、ふと壁に貼ってあったヌードポスターに視線を落とし、それをやり過ごす。
しばらくして、ビルの中、銃撃戦をかいくぐり、走り回っていると、再び、また、ヌードポスターの場所に舞い戻っている。
そんな、「場」のうまい使い方に唸らせられたものだ。
第一作目の監督のジョン・マクティアナンの名は、当時、私の中では、神様のように思えた。
▼二作目も面白かった。
二作目に過ぎないのに、私たち観客は、馴染みのヒーローを見るかの如く、マクレーンの活躍に拍手喝さいした。
『ダイ・ハード2』の先行オールナイトの盛り上がりは、とてつもなかった。
監督のレニー・ハーリンは、自身の思う「ダイ・ハード」像を、自身の撮った『2』に叩き込んでいた。
多くの粋な脇役・・・。
狭いダクトをぼやきながら這いずり回る主人公・・・。
『1』ほどではないが、許せる範囲で、ちゃんと舞台となる空港の「立体構造」も踏襲されていた。
クライマックスの、
軍用機のコクピットに閉じ込められたマクレーンが、窓から手榴弾をいっぱい放り込まれ、絶体絶命の危機に陥り、そこを脱出するに至るアクションの凄さ!!
平面アクション(縦・横)が、3D構造(高さが加わる)へと変貌する妙。
私は、これ以上に衝撃を受けたアクションシーンを、いまだかつて知らない。
豪快なレニー・ハーリン監督・・・、
最近、アクション大作を撮らないが、今でも大好きです。
・・・ただ、二作目は、ちょっとセルフ・パロディが多かった^^;
それが楽しかったばっかりに三作目が「お祭り」気分に至れなかった・・・。
▼そもそも、『3』の監督に復帰したジョン・マクティアナンは、「ダイ・ハード」を、舞台設定を現代的にした「西部劇」と定義していたようだ。
故に、なんだかんだと言いながらも等身大の人間でしかなかったマクレーンを「スーパーヒーロー」のように描いた『2』はお気に召さなかったようだ。
『3』は、『1』の後に作られたら、傑作の評価を受けたかも知れない。
そこには、粋な会話一つで観客を楽しませる映画作品の姿があった。
ただ、「ダイ・ハード」は、派手なアクションの『2』で方向付けされてしまったので、『3』の地味な印象は拭えない。
マクティアナンは、ちゃんと作っていた。
しかし、それは、私たちの望む「ダイ・ハード」ではなかった。
「立体構造」も薄まっていた。
クライマックスの、ジェレミー・アイアンズ扮する悪党との、マクレーンの一騎打ちも、『1』との関連の中でなら、あくまでも「西部劇」の踏襲として理解できるのである。
だが、『2』の後にあっては、あまりにも呆気ないクライマックスであった。
▼『4.0』は、凄まじかった。
『3』で、マクティアナンが目論んだ「いつもは火だから、今度は水のアクションだ」などという冒険はせずに、『4.0』のレン・ワイズマン監督は「ならば、もっと凄い火だ!」とばかりに、それでも必然のある爆発シーンを見せてくれた。
今回は、アメリカ全土をパニックに陥れる「サイバー・テロ」犯罪である。
私は、その争点を、どうやって一刑事のマクレーンに還元できるのか?
マクレーンは、どうやったら、勝てるのか?
映画の最後の最後までドキドキさせられた。
ワイズマン監督は、「立体構造」を忘れていなかった。
アパートメント、トンネル、発電所、金融情報管理ビル、高速道路・・・。
各所で、マクレーンは立体的な戦いを見せてくれた。
平面移動しか出来ないはずの車を、マクレーンは、文字通り、「空中」でヘリコプターと勝負させる。
ビルでは、お得意のエレベーター縦溝内での大格闘がある。
高速道路では、F35戦闘機を相手に、それを下に見おろすという状況をこしらえた。
島田荘司は、「ミステリー作家は、世の中を平面的だけでなく、立体的に見なくてはいいトリックを考えられない」と言っていたが、アクション作家も同様なのである。
今回は、これまでのシリーズを遥かに超えた大破壊が行なわれる。
私は、崩れ去るハイウェイの姿を見て、阪神大震災の映像を思い出させられた。
しかし、犯罪は、アメリカ全土が対象であるので、違和感はなかった。
ただ、敵役のガブリエルと腹心の恋人マイは、『3』の敵役コンビの焼き回しのようで、芸がないと思った。
ならば、『3』のジェレミー・アイアンズの方が演者として遥かに上であった。
だが、マイ役のマギー・Qは魅力的であった。
美しい平安(時代)顔、色っぽい小雪というイメージだ。
マクレーンは、そのマイと、「ダイ・ハード」史上一番長い格闘をする。
マイは、とにかく強いので、最終的にはマクレーンにコテンパンにやられるのだが、「女なのに可哀想」などとは思えず、「この女は危険だ! 早くやっつけろ!」と思わさられる^^;
今回、強く思ったのが、ブルース・ウィリス演じるマクレーンが「大人になったなあ」だ。
今までのシリーズの数倍ものダメージを喰らっているのに、ぼやきつつもめげずに、「犯罪者は打ち殺す」のポリシーに忠実であることに迷いがないのだ。
打ちのめされても、即座にファイティングポーズを構えるのだ。
そして、けして、テロリストと取引しない。
交渉もしない。
娘を人質に取られても、瞬時に、「娘を人質に取るしかない敵の弱み」を見て、突進するのである。
▼・・・情報量の非常に多い作品であった。
矢継ぎ早に豪勢な物語が進行する。
個々のアクションも、味のある登場人物たちも、堪能し切れなかった。
もう一度、観に行こうと思う^^
(2007/06/24)