▼私の「1991年1月4日の日記」。
《さあ、三が日はビデオ三昧だったが、今日からはキーティング船長の言うとおり、「今を生き」て行こう。
祖母とマコちゃんを送りに、母と八王子に行く。
家に帰ると、父がテレビで『日本一のゴマスリ男』を観ていた。
何が起きてもめげない前向きな植木等に感心する。
床屋に行き、さっぱりした後、新宿に向かう。
待望の『ロッキー5』だ。
ジョイシネマ2館内は空いていたが、内容には満足した。
今回のロッキーには悲壮感が漂っていた。
しかし、ロッキーが僕らのヒーローであることには変わらない。
ストリート・ファイトで終わったのは、ヤケクソで良かった! 》
そして、17年が経ち、ロッキー・バルボアはリングに戻る。
「ロッキー」最終作の六作目『ロッキー・ザ・ファイナル』だ。
私は、正直、ロッキーの熱狂的なファンではない。
三作目などは観ていない。
しかし、今回は気になって気になってしょうがなかった。
なんか、私に必要なパワーを与えてくれそうな気がした。
▼公開は20日からだが、先行ロードショーで、府中の映画館では上映していると聞き、五日市線、青梅線、南武線、京王線と乗り継いで観に行った。
かなり興奮した。
映画を二日と空けずに観に行っていた、上記の日記の頃の私は、若く、感受性も敏感で、多くの映画で「武者震い」みたいな間隔を味わったものだが、ここ数年はなかった。
しかし、今回、クライマックスの試合前には、足がビクンビクンした。
カッケの測定の時みたいに、足が突っ張っちゃって、前の席を数度蹴飛ばし、迷惑掛けてしまった。
でも、前の席の人も、私の気持が分かってくれていたかも知れない。
▼やはり、クライマックスの試合が肝なのである。
そこでロッキーは、戦うことで、全ての問題を解決してくれる。
そこにカタルシスがある。
が、前半の状況を丹念に、現実感を持って描いていかなくては、4コマ漫画の如き『ロッキー4』に堕してしまうのだ(これもこれで面白かったが^^)。
今回は、物語の前半で提示される、多くの人々の問題(悩み)の描き方が、実に見事だった。
スタローンは、いい脚本を書いた。
この17年間の、スタローンの映画俳優としての紆余曲折の経験が生きていると思った。
妙に土臭い情動も描かれているのだが、映像はとてもスタイリッシュであった。
▼ロッキーはリアルに老境を迎えていた。
落ちぶれ過ぎておらず、かつてのヒーローの現実感のある姿を見せていた。
最愛の奥さん・エイドリアンは亡くなっており、その命日には、思い出のフィラデルフィアの街を巡る。
奥さんの兄貴・ポーリーは、長年働いていた精肉倉庫を解雇される。
息子は、「ヒーローの息子」を脱しきれない自分に悩む。
成人したかつての不良娘は、自分の人生に自信を失いつつある。
その息子は、なんかテンポのずれているロッキーに、微妙な軽蔑を向ける。
また、フィラデルフィアに住む人々も丹念に描いている。
私は、これは、ロッキーの「愛郷心」の物語なのだと思った。
『ロッキー4』では、アメリカを背負うまでになってしまったロッキーが、フィラデルフィアと言う街に回帰する物語だ。
活気ある市場が描かれ、酒場が描かれ、寂れた、かつての奥さんとの思い出のデートコースが描かれる。
肉屋の特訓もあるし、州の美術館前(?)のランニングコースも疾駆する。
フィラデルフィアの人々は、ロッキーを「かつての英雄」として温かく見守っていた。
しかし、ロッキーの心には、充たされない思いが募っていた。
多くの人の人生があり、ロッキーは、それぞれに、自分の不器用な語りで素直な気持ちをぶつけていく。
・・・ロッキーは、「戦って勝つ力」を見せなくてはならなかった。
▼才能はあり、連戦連勝なのだが、人気のないヘビー級チャンピオン・ディクソンがいた。
彼は好敵手に恵まれず、その不遇に気付かず、ひねくれていた。
そんな折、かつてのチャンピオンとして、今だに愛され続けているロッキーが、ライセンス再取得をしたことを知り、ディクソンのマネージャーとプロモーターがマッチメイクに動く。
・・・そして、死闘が行なわれるのだ。
試合後、
その強さを見出した者でありつつも、自分の下から離れていったディクソンのもとに、再び招聘された老トレーナーは、言うのだ。
「(ロッキーと戦い)本当のボクシングが出来たな!^^」
試合後、
ロッキーは、心配深げに自分のもとに集った仲間たちに言うのだ。
「さあ、帰ろう!」
そして、ロッキーは、自分の故郷フィラデルフィアの街に戻るのだ・・・。
(2007/04/15)
《さあ、三が日はビデオ三昧だったが、今日からはキーティング船長の言うとおり、「今を生き」て行こう。
祖母とマコちゃんを送りに、母と八王子に行く。
家に帰ると、父がテレビで『日本一のゴマスリ男』を観ていた。
何が起きてもめげない前向きな植木等に感心する。
床屋に行き、さっぱりした後、新宿に向かう。
待望の『ロッキー5』だ。
ジョイシネマ2館内は空いていたが、内容には満足した。
今回のロッキーには悲壮感が漂っていた。
しかし、ロッキーが僕らのヒーローであることには変わらない。
ストリート・ファイトで終わったのは、ヤケクソで良かった! 》
そして、17年が経ち、ロッキー・バルボアはリングに戻る。
「ロッキー」最終作の六作目『ロッキー・ザ・ファイナル』だ。
私は、正直、ロッキーの熱狂的なファンではない。
三作目などは観ていない。
しかし、今回は気になって気になってしょうがなかった。
なんか、私に必要なパワーを与えてくれそうな気がした。
▼公開は20日からだが、先行ロードショーで、府中の映画館では上映していると聞き、五日市線、青梅線、南武線、京王線と乗り継いで観に行った。
かなり興奮した。
映画を二日と空けずに観に行っていた、上記の日記の頃の私は、若く、感受性も敏感で、多くの映画で「武者震い」みたいな間隔を味わったものだが、ここ数年はなかった。
しかし、今回、クライマックスの試合前には、足がビクンビクンした。
カッケの測定の時みたいに、足が突っ張っちゃって、前の席を数度蹴飛ばし、迷惑掛けてしまった。
でも、前の席の人も、私の気持が分かってくれていたかも知れない。
▼やはり、クライマックスの試合が肝なのである。
そこでロッキーは、戦うことで、全ての問題を解決してくれる。
そこにカタルシスがある。
が、前半の状況を丹念に、現実感を持って描いていかなくては、4コマ漫画の如き『ロッキー4』に堕してしまうのだ(これもこれで面白かったが^^)。
今回は、物語の前半で提示される、多くの人々の問題(悩み)の描き方が、実に見事だった。
スタローンは、いい脚本を書いた。
この17年間の、スタローンの映画俳優としての紆余曲折の経験が生きていると思った。
妙に土臭い情動も描かれているのだが、映像はとてもスタイリッシュであった。
▼ロッキーはリアルに老境を迎えていた。
落ちぶれ過ぎておらず、かつてのヒーローの現実感のある姿を見せていた。
最愛の奥さん・エイドリアンは亡くなっており、その命日には、思い出のフィラデルフィアの街を巡る。
奥さんの兄貴・ポーリーは、長年働いていた精肉倉庫を解雇される。
息子は、「ヒーローの息子」を脱しきれない自分に悩む。
成人したかつての不良娘は、自分の人生に自信を失いつつある。
その息子は、なんかテンポのずれているロッキーに、微妙な軽蔑を向ける。
また、フィラデルフィアに住む人々も丹念に描いている。
私は、これは、ロッキーの「愛郷心」の物語なのだと思った。
『ロッキー4』では、アメリカを背負うまでになってしまったロッキーが、フィラデルフィアと言う街に回帰する物語だ。
活気ある市場が描かれ、酒場が描かれ、寂れた、かつての奥さんとの思い出のデートコースが描かれる。
肉屋の特訓もあるし、州の美術館前(?)のランニングコースも疾駆する。
フィラデルフィアの人々は、ロッキーを「かつての英雄」として温かく見守っていた。
しかし、ロッキーの心には、充たされない思いが募っていた。
多くの人の人生があり、ロッキーは、それぞれに、自分の不器用な語りで素直な気持ちをぶつけていく。
・・・ロッキーは、「戦って勝つ力」を見せなくてはならなかった。
▼才能はあり、連戦連勝なのだが、人気のないヘビー級チャンピオン・ディクソンがいた。
彼は好敵手に恵まれず、その不遇に気付かず、ひねくれていた。
そんな折、かつてのチャンピオンとして、今だに愛され続けているロッキーが、ライセンス再取得をしたことを知り、ディクソンのマネージャーとプロモーターがマッチメイクに動く。
・・・そして、死闘が行なわれるのだ。
試合後、
その強さを見出した者でありつつも、自分の下から離れていったディクソンのもとに、再び招聘された老トレーナーは、言うのだ。
「(ロッキーと戦い)本当のボクシングが出来たな!^^」
試合後、
ロッキーは、心配深げに自分のもとに集った仲間たちに言うのだ。
「さあ、帰ろう!」
そして、ロッキーは、自分の故郷フィラデルフィアの街に戻るのだ・・・。
(2007/04/15)