☆ジョージ秋山原作の「人肉食い」などで話題になり、主人公の世を恨んだような立ち居振る舞いとともに問題作とされてきた作品。
残念ながら、そのマンガ作品を、私はタイムリーには知らない。
この「アシュラ」や「銭ゲバ」のはるか後に、私は小学生となりマンガを読み始めた。
だが、「花のよたろう」の頃は知っており、ほのぼの系の絵柄だったのに、主人公が殺人を犯してしまいそうになるストーリーに、小学校低学年だった私は、強迫観念に駆られ、異常な恐怖を感じた記憶がある。
だから、この「アシュラ」や「銭ゲバ」が、時代に与えた恐怖の片りんは感じとれる。
なお、「花のよたろう」と時を同じくして、中年誌で「浮浪雲」がはじまっており、当初はハードな展開で、小学校の高学年ごろに読んで、私は「フェラチオ(もちろん江戸が舞台なのでそんな言葉は出ない)」っちゅうのを初めて知った。
「いやはや、こんなんあるんだ。やらしいことってとてつもなく奥が深いな」と思った^^;
だが、さて、その後、「アシュラ」や「銭ゲバ」にしても「ザ・ムーン」にしても、問題作として身構えて読むので、それほどの衝撃が私には無く、
なによりもジョージ秋山の画風・作風が、余白を大事にして、行間を読ませるような形なので、私にはどうしても展開が希薄に思えた。
今回、その「アシュラ」がアニメ映画化された。
こじつければ理由はあろうが、私としては、どう考えても時代にそぐわない気がした。
それでも、私のいつもの映画行動範囲から距離を隔てた場所まで、この「アシュラ」を見に行ったかと言うと、
「断片的にしか知らない この話の全てを知りたい」と感じたからだ。
絵のグレードは凄まじく高く、中世の山間部の自然の描写は美しい。
法師の顔、その骨太な描線を動かす技術や、
アシュラの飢えた体と爛々と光る目の宿り、
美しく整い、飢えてなお愛らしく美しいヒロイン・若狭の、無力な気高さなど、とても素晴らしい。
飢饉が極まり、自分を食らおうとした母親から逃れることにはじまり、何とか生き延びていく、アシュラの動きのアクションもいい。
だが、テーマである「人間としての理性を手に入れての苦しみ」みたいなものは、当時は新鮮だったかも知れないが、現代では色んな作品で、もっと凝った状況の中で見られるものだ。
だから、私はもっぱら、例えば、まだ幼いアシュラが、大きな斧を、身体をふらつかせながら振り回すような描写の丁寧さに感心しつつ、
途中から、先が読めるようでいて読めない展開に目が離せなくなった。
う~ん、アシュラのことは誰にも責められない。
そうしないと生きてこれなかったし、他の道を示されずに生き抜いてきた。
だが、法師に遠く見守られ、若狭と出会い、「してはいけないこと」を知ってからは、アシュラは禁を犯していない。
だが、理性を知ったアシュラは、更に凄まじい苦悩にはまっていく。
・・・いや、私、結局、途中から、このテーマに夢中になっていった。
「生まれてこなければ良かったんギャ・・・」
「後から苦しくなるから食わないって、今はもっと苦しいギャ!」
そして、若狭にひたすらに愛を乞うアシュラの瞳・・・。
野沢・孫悟空・雅子が、辛く、そして可愛さも感じられるほどに演じきる。
この作品の監督は、同じく公開している映画『TIGER & BUNNY』のテレビ版の監督をしていた人らしい。
でも、映画版は監督してないようだ。
ヒット作の映画版を監督しないで、こちらを監督したんだね。
ちょっと感心!
(2012/09/30)
☆スピーディーに記す。
何度も語っているが、私は、月から木の帯番組である<FM NACK5>の「GOGOMONZ(13:00~16:55)」を丸々 聴けるのは、休日の火曜日だけで、
後の曜日は、本職の昼の休憩時間の「13:00~13:30」と、午後の休憩時間の「16:00~16:15」しか聴くことが出来ない。
今週の月曜日のオープニングで、三遊亭鬼丸師匠とコンビを組んでいる横田かおり嬢(カオリン)が「鶴瓶師匠に粗相をした鬼丸さんが、謝罪しに行きました! その話は、13:30からたっぷり鬼丸さんが話してくれますね^^」と、いつにもまして嬉しそうに言い出します。
鬼丸師匠も、「鶴瓶師匠のラジオ番組では話されなかった裏話も含めてお話します^^; なお、あちらの番組『ヤングタウン』は、今ならばポッドキャスティングで聞けますよ^^」と続けます。
私は、「GOGOMONZ」を聴けない時間もあり、聴いてない時間に、既に前段階が語られているんだろうなぁ、と思いつつ、「ああ、やっぱり、鶴瓶と、なにかあったんだ!」と分かった。
と言うのも、十日ほど前の放送のオープニングで、カオリンが「鶴瓶師匠よりも面白い鬼丸さんの番組ですよ!^^」と言い、
鬼丸師匠が「おいおい、それは洒落にならんから・・・^^;」と言っていたので、
その時、唐突に笑福亭鶴瓶の名前が出てくるのはおかしいなぁ、とは思っていたのだ。
おそらく、その前日に、話が出てきていたのだろう。
なお、落語界では、真打の方には「師匠」と敬称をつけるようだが、私は鬼丸ファンなので、臨機応変になると思うが、とりあえず、鬼丸師匠にだけ「師匠」と付ける。
他の落語家は、例えば、鶴瓶さんは、私にとってはテレビの中の大スターに過ぎないので、「師匠」を付けると、かえって文章が変になっちゃうと思うのだ。
私は、鬼丸師匠にはラジオで投稿を読んで頂いてるし、ライブも見に行くし、その御令嬢マニュちゃん(仮名)とも心を通わせているので、「師匠」と言うか「お義父さん」と呼ぶに支障がないのである^^;
・・・マニュちゃん
・・・ああ、しかし、私の休憩時間は13:30までなので、その後の、鬼丸師匠のおもしろ話が聴けないのは悔しかった。
鬼丸師匠もカオリンも、私が火曜日以外は13:30までしか聞けないことを知っているはずなのに!(いや、知らねーって!!^^;)
私は今、真剣に、録画できるラジオを購入しようかと考えている。
◇
また、カオリンは、今回の話には出てこないので、少し、カオリン話を書いておくと、
杏林大学卒だそうである。
私はあきる野市在住なのだが、私の家の窓から、杏林大学八王子キャンパスの校舎の先端が山の稜線の向こうに見えまする。
私は、現役時代に推薦入試で杏林を受けて落ちています^^;
また、カオリンは中野出身だそうですが、私は大学時代に中野の新井薬師に一人暮らししていました。
オーム真理教が、まだ活動が華やかなりし頃で、中野駅前では布教活動をしておりまして、私は、オーム信者に捕まると、いつもどうにかこうにか逃げていました。
それから、これは本当に関係ないのですが、私は、「香織」と言う女の子とつき合っていた時期があります。
その子は、服部栄養専門学校に通っていたので、私は、<NACK5>の日曜昼の服部幸應氏の番組『Well taste』を聴くと、いつも「香織」のことを思い出して、ああ、あの子は「Well taste」だったなぁ、と思うのでした。
◇
てなワケで、「鬼丸・鶴瓶、まったり衝突事件」について書きますが、
この話は全て、鶴瓶さんの番組「ヤングタウン・サンデー」のポッドキャスティング(番組ログ)で聞いた内容(の私流アレンジ)である。
その鬼丸話題は、今のところ、二週に渡っていて、一週目は、今は番組ログが残っていないので、一度聴いたきりでウロ覚えです^^
では、スピーディーに記す。
とある落語界のお偉いさんの法事が終わり、笑福亭鶴瓶・春風亭昇太・立川談春の三大巨頭が飲みに行ったのだそうだ。
テーブルには、愛ちゃん・メグちゃんと言う姉妹の女の子がつき、話も盛り上がり、楽しく過ごしていた。
と、話題が「一番おもろい落語家は誰じゃろな?」と言う、鶴瓶さん自身がいい気分になりたくて、女の子に問うたそうだ。
すると、鶴瓶さんの思惑とは別に、愛ちゃん・メグちゃんは言い始めた。
「私は鬼丸さん! 私のお母さんは、毎日毎日笑わせてもらっていて、キャー、鬼丸さん、面白い、サイコー! 一番は桂鬼丸さん!」
一瞬にして、その場の雰囲気が凍結した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・
その場にいたチョウシュン(チュウシュン?)さんは、大御所・鶴瓶の顔を覗き見た。
やばいことになっていた・・・。
「なんや、その桂鬼丸っちゅうんは! おい、知っとるか?」
「いや」と首を振る談春さん。
「おい、お前は?」
「う~ん」と、首を傾げる昇太さん。
「誰も知らんのに、その桂鬼丸っちゅうのは、一番 面白いっちゅうんか・・・」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・
「は、はばかりながら!」と、チョウシュン(チュウシュン? 名前が分からない)さんが意見を具申した。「私は存じてます! 関東で活躍している真打になって二年目ほどの者でして、正しくは三遊亭鬼丸です!」
「ほぉ、しっとるんか! 知ってるだけでも罪だっちゅうこともあるんやでぇ!」
「ひーっ!」
しかし、その時、おもろいことを思いついた鶴瓶師匠!
この場で、鬼丸とやらに電話することにした。
落語家っちゅうのは本当に面白い^^
ここで電話すると言うフレキシブルな発想が面白い!
チョウシュン(チュウシュン?)さんの携帯を使い、鬼丸とやらに電話する鶴瓶、果たして、おそらく、どこぞで飲んでいた鬼丸本人が出る。
「つるべです」
「はぁ・・・」
「今、皆で飲んでんやけど、一番おもろい落語家は鬼丸さんやと名前が出たんで、電話したんですわ」
「はぁ・・・」
鬼丸師匠は、チョウシュンさんの仕掛けたつまらないギャグだと思っていた。
その<偽つるべ>との二言三言の後にチョウシュンさんと話した鬼丸師匠は、「あんまし似てない・・・」と答えるのだった。
続いて、「談春兄さんも挨拶をしたいそうで^^」と言われ、談春さんが電話口に出てきた。
鬼丸師匠は思った。「似てねぇ・・・」
そして、<偽談春>に「チェッ! 全然 似てない」と舌打ちするのだった。
続いて、昇太さんが電話口に、もう、この頃には、鬼丸師匠は、なんでチョウシュンさんがこんな下らないことをするのか分からなかった。
鶴瓶・談春・昇太と言う、いかにもテレビで人気の落語家を三人並べた物まねのチョイスに辟易した。
しかも、三人とも全然 似てない。
鬼丸師匠は、「はいはい、もういい、もういい」と、<偽昇太>に言うと、電話をガチャンと切ってしまうのだった。
その時、チョウシュンさんは、鶴瓶の顔を恐る恐る窺った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・
・・・危うし、鬼丸!!!
◇
落語家の世界の上下関係は厳しい・・・。
以下の序列は絶対である。
鬼丸師匠は真打になった。
真打とは、まあ落語界の<超サイヤ人>だと思えばいい。
しかし、<超サイヤ人>になったからと言って、安穏とはしていられない。
<超サイヤ人>にも、「通常」「2」「3」「4(名人)」と序列があるのである。
・・・「通常」・・・鬼丸・チョウシュン
・・・「2」・・・談春・昇太
・・・「3」・・・鶴瓶
・・・「4」・・・名人クラス
◇
電話を切った鬼丸師匠、「なんで、あんなつまらない、オチのないことをチョウシュンさんはしたのだろう。落語家にあるまじきことだぜ」と、飲みなおしをはじめた。
う~ん、しかし、酒っちゅうのはうまいなぁ!
ゴキュゴキュとビールを煽りながら、鬼丸師匠はいい気分。
「こうしてたまに連絡をしてくれるのは嬉しいなぁ^^」
ゴキュゴキュ。
「けど、落語家が、あんなオチのないネタをしちゃあいかん、そう思うよ、この鬼丸は!」
ゴキュゴキュ。
プハーッ! うんめぇー!
・・・何かが心に引っかかった・・・。
落語家が、あんなオチのないネタをしちゃあいかん
落語家が、あんなオチのないネタをしちゃあいかん
落語家が、あんなオチのないネタをしちゃあいかん
・・・故に、チョウシュンさんの、今回やったことはネタじゃない、ってことにならないか?
ゾッとした。
顔が青ざめる鬼丸師匠!
ま、まさか、あの3人の「偽」ッ! いや、本物は本物!?
◇
「エピローグ」
・・・新宿某所。
鬼丸師匠は、笑福亭鶴瓶師匠に非礼を詫びに来ていた。
鶴瓶 「まあ、今回のことは、気にすんな。わしも常々、落語界の若手もどんどん台頭してきて欲しいと思っているんだわ、しょーみな話^^」
鬼丸 「そうですか^^ 良かったです。どうぞ、これからもご愛顧たまわりたく^^」
鶴瓶 「おうおう^^」
・・・そこへ、通りがかりの三人のおばさんが!
一人のおばさんが黄色い声を張り上げた。
「キャー! 鬼丸さん!」
鬼丸に抱きつかんばかりに近づいてきた。
「ハハハ^^ 応援有難う御座います^^ いやいや、こちらには、大スターの鶴瓶師匠もいるんですよ^^」
鬼丸師匠は、鶴瓶師匠に華をもたせようとした。
しかし、おばさん。
「キャー! 鬼丸さん! 面白いから大好きーっ!^^」
鬼丸師匠は、おばさんをかいくぐり、鶴瓶師匠の表情を垣間見た!!!
ゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・
・・・マジ危うし、鬼丸!!!
(2012/09/30)
その設定を聞いただけで胸がワクワクして見に行きましたよ^^
残業が8時までだったけど、レイトショーに駆けつけました。
おっと、それから、今夜はアルコールを摂取していないぞ、俺! 偉い!^^;
さて、肝心の作品だが、おそらく、ほとんどの人が誉めそうだけど、私はいまいちノレなかった。
『バトルシップ』のような、小嘘はつかない、豪快な仕掛けの作品だと期待していたのだが、いまいち、『マーズ・アタック』的にせせこましかった。
途中、ナチ思想に65年間どっぷり浸っていた月面基地のドイツ人たちが、現代のニューヨークに先遣隊として訪れ、そのカルチャーギャップで笑わせるような展開になったと思いきや、
その展開もすぐに忘れられ、なかなか良く出来ているCGの宇宙戦争が描かれつつも、対スペース・ナチス戦において集った世界各国の宇宙船の仲違いとなり、風刺的な味わいを醸しつつ『博士の異常な愛情』のような結末を迎えた。
ナチスが現代に生き続けているといった時代錯誤的な面白さも、せせこましい割りには、丁寧に描かれておらず、
スペース・ナチスのメカニック描写がゴシック調で気に入りはしたが(特に、「神々の黄昏」号の巨大歯車グルングルン^^)、
作品全体での調和が全く感じられなかった。
もしかして、共同製作国であるフィンランド・ドイツ・オーストラリアの感性に私が合ってないだけなのかも知れない。
タランティーノな味わいもありましたな^^
ただ一つだけ、どうしても気になってしょうがなかったのが、敗戦から逃れたナチスが、何故にあのような巨大な基地を月面に作れたのかと言う問題だ。
野暮なことを言うな! と言ってくる人もいると思うが、その問題についての答えを作中で語ってくれなくては、月を舞台にした意味がない。
あの大物量の資材や、それを造る加工システムはどうやって運んだのか?
私は、気になって気になって、と言うのも、
私は、SF小説のアイディアとして、
地球が爆発滅亡し、宇宙に放逐された、朽ち果て 中に泥土のたまったタンクが、何らかの形で内部の気圧が保たれ続け、太陽に照らされ、その中に生命が宿り、その微小な生命がタンクの中を「世界」にして進化していき、知的生命体へと発展、その中で紡がれる歴史を描いていく、と言う構想を持っていたので、
宇宙の真空の中で保たれる文明の物語として、この作品を、ちょいと気にしていたのだ。
でも、それは満たされなかったな。
字幕訳を町山智浩が担当したそうだが、女性アメリカ大統領のあけすけな言動や、その広報官がキレたときなどが、絶妙に面白かったかな?
ヒロインの女の人が、序盤、真空に吹き飛ばされそうになり、ナチス女性高官のタイトなスーツを引っぺがされ、下着があらわになり、太もものガーターベルトがあらわになるシーンには萌えた。
でも、最終的に、アメリカナイズされたナチス軍服の着こなし(おろした髪型を含め)が一番魅力的だった。
この作品、ハリウッドが作ればもっと面白くなると思うのだが、俺ってば、アメリカに毒されているのかな・・・?
(2012/09/28)
中央に、ちょいワル風の八木秀次先生の写真とともに記事のタイトルがでっかく載っている。
≪「いじめ」の元凶は、赤い共産党マニュアルだ≫
いい扱いだ^^
で、仕事の帰り道に購入する。
でも、私、今回は、あえて、その記事を読まないで、とりあえず、自分の感じ方で語っていきます。
私の文章が嫌いで、でも、この問題に興味がある方は、購入してくれ!
撃論 第七号 | |
クリエーター情報なし | |
オークラ出版 |
◇
「少年ジャンプ」で、比較的 新しく連載のはじまった作品に「暗殺教室(松井優征著)」がある。
この作者、ヒット作「魔人探偵 脳噛ネウロ」で燃え尽きたと思っていたのだが、
やっぱ才能のある人なんだな、意表をついた設定のマンガで復活した。
・・・ある日、宇宙人が、超科学兵器でもって月を削り取ってしまうのだ。
宇宙人にとっては地球も簡単に破壊できるものであった。
しかし、宇宙人は、条件(ルール)を出した。
「自分を、とある学校のクラス(落ちこぼれクラス)の教師にして、その生徒達が一年の間に、自分を暗殺することが出来たら、地球は救われるぞ」と言うものだった。
まだ話は序盤で、その宇宙人「殺(ころ)せんせー」は授業をはじめ、担任教師としての活動を行なう中で、
生徒達が暗殺を仕掛ける、
また、「少年A」の如き殺人少年が暗殺を仕掛ける、
更に、副担任としてプロの殺し屋が赴任してきて暗殺を仕掛ける・・・、
・・・のだが、「殺(ころ)せんせー」はその能力・マッハ20のスピードで暗殺をかいくぐりつつも、通常の担任としての仕事を続けるのだ。
そして、次第に、暗殺と言う目標について考えることで、生徒達が、次第に、生きがいを得て成長していくと言う、物語的に非常に面白い展開になっている。
ちょうど、今週の月曜日発売の「少年ジャンプ」の最新号では、
地球破壊・宇宙人暗殺は別にして、舞台となる学校の問題として、落ちこぼれクラス「END」の「E組」が生き生きと精力的に活動しはじめていることに、学校の、若き冷酷な理事長が意見をしてきた。
「殺(ころ)センセー」は、自分の決めたルールの中で、いたって教職は真面目にこなすし、学校の長である理事長には頭が上がらない。
理事長の主張は、全国生活指導研究協議会が提唱せし、「ボロ班」「クズ班」の必要性と同じである・・・。
以下、丸い頭が宇宙人「殺(ころ)せんせー」である。
この、理事長は、他の生徒を活かすために、エンドのE組は、そのまま落ちこぼれクラスでなくてはいけないと言うのだ。
そして、「殺(ころ)せんせー」は、理事長に、かつてない闘志をメラメラと燃やすのだった
暗殺教室 1 (ジャンプコミックス) | |
松井 優征 | |
集英社 |
◇
・・・恐ろしき、この「共時性」である。
保守派が、かつて(40年前)行なわれていた「狂気の学校方針」を問題視しはじめたのと時を同じくして、
世界最大部数のマンガ雑誌の一作品が、かような展開を見せるのだ・・・。
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
八木秀次先生の語りの続き。
・1971年に、全国生活指導研究協議会(全生研)によって、
教育の場で実行され始めた「生活指導」を評し、
「連合赤軍のようだ・・・」と言ったものがいる。
それもあたりまえ、そもそもが、ソビエトの全体主義を支えた思想の導入だった。
・アントン・マカレンコと言うソビエトの教育者の「集団主義教育理論」の実践。
(蘭による注:・・・「子どもの自発性や関心、子どもの個性への着目の傾向とは一線を画して、
集団の中での忠誠と服従、協同に重きを置いた〈「wikipedia」より〉」。)
・だが、そもそもが、肝心のソビエトでも、その教育理論は頓挫していた(1930年半ば)。
・・・スターリン時代、部下の1人が革命遺児を養っていたのだが、
ある日、その子がいじめられて帰ってきた。ただのいじめにしても何かおかしい。
スターリンの耳に入り、調査が開始される。
すると、えもいわれぬ教育現場の荒廃の様が見て取れるのだった。
そこには規範意識などはなく、生徒相互の疑心が渦巻き、
生徒達は、大事なことは教えてもらっておらず、余計なことばかりが詰め込まれていた。
レーニンからこのかた、スターリンさえ知らない間に、20年の荒んだ教育が為されていた・・・。
(蘭による注:私は、左翼を評す時、「そもそも」と言う言葉をよく使うのだが、
かれらは、根本的に何かを間違えていることが多く、その言葉を使わざるを得ない)
(蘭による注:しかし、ソビエトで1930年半ばに破棄された理論が、
1970年の日本で活用されるのである。
日本は、70年代には既に、ソビエトを超越した近代国家であり、
なんで、ソビエトから学ぼうと言う発想を捨てられないのか・・・)
・いじめ自殺事件のあった大津市は、全国生活指導研究協議会の影響が非常に大きい滋賀県にある。
・全生研による集団主義教育に対し、当時「集団主義教育の批判」と言う反論の書も出ていた。
集団主義教育の批判 (教育名著選集) | |
片岡 徳雄 | |
黎明書房 |
◇
この後、貝塚茂樹先生の発言になるので、次回に持ち越します。
◇
少し、私の雑感を、これまた箇条書きで書いていきたい。
このシリーズを書きながら、仕事中など、思いついたことをメモし続けたら、それが溜まってしまった^^;
あまり論理的な内容じゃないが、ここに書いておいて、メモは捨てていく^^;
・「集団主義教育」は、子供内に組織を作り、上下関係を発生させる。
物事が包括的に判断できない子供に「権利」を与えることの恐ろしさ。
まあ、大人の社会でも、「権利」がないのに意見だけは通そうとする奴は多い。
仕事もまともに出来ない子供に「権利」だけを与えてはならず、
そこには「責任」を背負わせることがなくてはならない。
・無責任に育つと、それを叱っても、一時的に真剣に考えるようになるも、
集中力が養われていないので、すぐに、元に戻る。
・「木を見て森を見ない」と言う表現があるが、左翼は「枝も見ない」。
国を蔑ろにし、されど個人も蔑ろにする「市民たち」。
教室を蔑ろにし、生徒一人一人も蔑ろにする「班のメンバーたち」。
・平等にすべきでないことを平等にし、平等にすべきところを不平等にする。
学校内でのそんな指向は、生徒たちの個性を破壊する。
・丸い形である「常識」を、
異常な教師たちが、上から下から横から前後から引っ張りあって原型をなくすような言葉を駆使するので、
子供は、何が正しいのかと言う基準を喪失させる。
・異常な教師の恣意的な、その場その場の方向性に、
子供は本来の柔軟さで対応し順応していくが、その弊害は数十年後に現われる。
・英国の寄宿舎生活=人生の通過儀礼(イニシエーション)
全国生活指導研究協議会の集団主義教育=死ぬまで終わらない魂の拘束
・「♪みんなは一人のために 一人はみんなのために」てのはいい歌だけど、
それを原理主義のように教育現場で実践されたら、そこは「地獄」と化す。
・これについては詳しく書くが、私が、あいつらに嫌悪感を抱く理由が分かった。
「AKBは、その存在・売り方を含め、悪しき、集団教育理論の実践だ!」
◇
今日はこの辺で終わり!
次回で最終回ですが、この流れでのシリーズはまだまだ書きます。
(2012/09/27)
まあ、かつて、あなたの「差し金」で「新しい歴史教科書をつくる会」潰しに動いているとされ、東京地検に訴えられた私としても嬉しいものです^^;
(参照)[一ヶ月しか経ず、またも再掲! 『敵は、中朝韓だけ(2005/07/01)』]←クリック!
私としては、橋下弁護士と繋がっているあなたよりも、石破さんのほうが実務的で良いかなとは思っていたのだが・・・。
更に言えば、情の面では、この苦渋の自民党3年をうまくやりくりしていた谷垣さんに、短期間でもいいから総理大臣を経験させたかった。
ともあれ、安倍新自民党総裁誕生! おそらく、総理大臣になれるでしょう。
二度目の総理大臣ですね。
では、歌っていただきましょう!
『セカンド・ラブ』!!!
♪総裁 二度目なら 少しは上手に~
「愛国」のメッセージ 伝えたい~
あなたが投票 用紙をつまんで~
「自民」と書くだけよ~
「(拉致被害者を)返したくない~」 言うと痛い目にあうよ
その他人事じゃ 癒えない
♪担ぎ上げて つれてって 自民ごと~
与党へ運んでほしい~
選挙への スピードは 高まって
とまどうばかりの私~
♪総理 二度目なら 少しは器用に~
甘いマニフェスト 吹かしたい~
♪公約を少し 直すふりをして~
軍隊にしちゃうだけなんて~
尖閣に伸びた チャンコロの影を~
動かぬように 止めたい~
♪つまみあげて 興石ごと 直人ごと~
由紀夫を葬ってほしい~
清々しさが クロスする さよならに~
復活してくるのはイヤよ~
♪担ぎ上げて つれてって 自民ごと~
与党へ運んでほしい~
選挙への スピードは 高まって~
気分が乗ってきた私~
◇
すいません、駄作の替え歌でした。
でも、元々の歌詞と比べると、なかなか捨てがたい魅力が・・・^^;
お詫びとして、私が流行らせようと思っているキャッチフレーズを発表します^^
≪ありがとさん! 安重根は、併合推進者!!≫
だって、韓国併合反対論者の伊藤博文を殺して、併合を早めたからして、
安重根を併合推進論者と考えるのが理屈でしょ?
後から、(韓国の)愛国者としての理屈を語っていたけど、結果は逆だった・・・。
と、まあ、そんな、今更の当たり前のネタよりも、
私は、自分の行動の過ちに気付かなかった安重根と、
そんな道理に合わぬ行動の安重根を「英雄」と持て囃す朝鮮人の欺瞞をせせら笑う意味で、
≪ありがとさん! 安重根は、併合推進者!!≫
の、キャッチフレーズが流行って欲しいと思っているのです。
でも、朝鮮人は普通の生活の中でも、自分を騙して生きているからなぁ・・・。
まあ、朝鮮人の女の「たった一人の愛人でありたい」(クリック!)の変な思考回路と同様に、
「たった一国(中国)の奴隷でありたい」と願う朝鮮人の考え方では、日本の奴隷になっちゃうのは主義に反したのだろうが・・・。
(2012/09/26)
☆今、会社への出掛けに書いているので短信です^^
昨日、久し振りに、FM NACK5「GOGOMONZ」で投稿が読まれた^^
テーマは、 『おろ? 態度がガラリと変わった! その理由』でした。
が、私が書いた投稿内容の対象人物は、このブログを読んでいるので、ここに転載できません、あしからず^^;
私の投稿を読むとき、鬼丸師匠は、「火曜日のミドラン(私のラジオネーム)は、火曜日だけなのに、読まれる率が高いなぁ」と言ってました。
でも、投稿を始めた当初は、かなりの高率でしたが、今は5~6回に一回ぐらいです。
先週なんて、休みだった火・水・木曜日と三日連続で投稿したが読まれなかった^^;
まあ、木曜日は、番組やっている途中で、多摩六都科学館のプラネタリウムを見たので、その時に読まれた可能性もあるけど・・・(希望的観測^^;)。
「アクアフレッシュ」と言う方や、「あっちゃんパパ」「チーズ屋ママ」「スダチオレンジ」と言う方々は、いつも読まれているなぁ^^(いずれも仮名にした)
しかも、面白い!
◇
さて、またもや、ひょんなことから『GOGOMONZ』に事件があったようです。
簡単に言うと(実際はもっと間接的)、
鬼丸大々々ファンである人物が、
こともあろうに、飲みの席で、笑福亭鶴瓶・立川談春・春風亭昇太と言う、当代きっての人気落語家三大巨頭を前にして、
「一番面白い落語家は鬼丸さんだ! いつも大笑いさせられています^^ 一番面白い!! ウヒャヒャ」
と、言ってのけたのだそうだ。
笑福亭鶴瓶は、ほろ酔いの上機嫌を一転、眼鏡越しに円らな目をギラリと光らせ、
「なんや、その鬼丸っちゅうのは? ちょいと呼んで来いやぁ、われぇ!」と、
『おろ? 態度がガラリと変わった!』そうです(私の脚色あり^^;)。
・・・そう言えば、数週間前に、オープニングで、カオリンが、「鶴瓶師匠よりも面白い鬼丸さんの番組です!」と言って、鬼丸師匠を凍らせていました。
その頃の出来事なのかな?
・・・この話については、次回に書きまする^^v
(2012/09/26)
今回からの内容が一番 皆さんに報告したかったことなのです。
ここにおいては、学校における「常軌を逸した<いじめ>」、その発生に至る元凶の一つを提示します。
ただ、これには、今後の私個人の調査行動が必要です(その為には、先ず国会図書館に行かなくては!)。
だから、あくまでも初動報告に過ぎませんよ。
だけども、現代の「いじめ」と言うものには原因があったことが分かります。
おっと、それから、私、今、シリアスに入り組んだ話を書いておりますが、あまり買いかぶらないで下さいよ。
私、このシリーズを書き終わったら、超ド級に下品な話を書く予定になってますから^^;
所詮は、いつも、ヤラシイことしか考えていない男ですから・・・。
ただね、私は、法律に反することはしないのです。
それから、関係書類を紐解いているうちに、私個人の「うっかり忘れていた凄まじい過去」のことが思い出されました。
それも、次回かな、書くことになると思います。
子供ながらに、私が「左翼のいかがわしさ」を直感していた出来事です。
多分、これを読んでいる保守派の関係者は仰天するでしょう。
・・・いや、あなたの想像の上をいきます^^;
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
八木秀次先生の語りの続き。
・修身科が敗戦とともに無くなり、昭和33年に復活した道徳も、日教組には認めがたいもの。
かくして、日教組(と言うよりも、左翼の一組織:全国生活指導研究協議会)は、
道徳に替わる概念を必要とし、作った。
それが「生活指導(創刊1959年)」と言う雑誌に代表される概念であった。
この雑誌の内容を発展させた1971年の書籍『学級集団づくり入門 第二版』の内容が、
真摯に教育を志す者には、到底 認め難い常識で記されていた。
だが、当時は、日教組の勢いに押され、それが「新しい常識」の如く浸透していった。
・この本は、数十万部売れている。
(蘭による注:当時 組織率80% 50万人の日教組会員はこぞって読み学び、
勉強会をおこなったことだろう)
・しかし、今、この書籍は、どこにも見当たらない。
私(八木)は、国会図書館でやっとコピーをした。
最近、やっとネットに出回っているが5000円以上の高額になっている。
(蘭による注:偽の歴史の生成の中心には、必ず、このような欺瞞の書がある。
偽りの「従軍慰安婦」問題・・・吉田清治『私の戦争犯罪』
偽りの「日本による世界支配の意図」・・・『田中上奏文』
妄想の「南京大虐殺」・・・ジョン・ラーベ『日記』などなど・・・。
左翼は、このような発端の書を、いつの間にやら矢面から消し去っていく)
(蘭による注:その、『学級集団づくり入門 第二版』の内容は「いじめのススメ」であった)
(蘭による注:実は、講演において、八木先生は、問題の書籍の書名を「生活指導」としか言わなかった。
ネットで調べても、そんな古い時期の、雑誌「生活指導」は手に入らない。
休みだった先日の日曜、国会図書館に行こうとしたら、日曜は休館だった。
私は、知り合いの詳しい方にメールで問い合わせた。
すると「八木先生は、以前、『学級集団づくり入門(小学校篇)』に言及していたので、
それかも知れません」と教えてもらえた。
それともう一つ、「八木先生は、原武史著『滝山コミューン1974』にも注目していた」とのこと。
しかし、『学級集団づくり入門(小学校篇)』は1990年刊である。
八木先生の言っている書籍とは違うように思った。
とりあえず、その二冊をアマゾンで購入したのだが、その時、分かった。
低価格の1990年刊の『学級集団づくり入門 新版(小学校篇)』ではなく、
問題の1971年に、『学級集団づくり入門 第二版』が刊行されていたことを!
これは、アマゾンで7000円の高額が付けられていた。
1990年刊の『学級集団づくり入門 新版』では、大幅に改定されていて、
そこに、70年代の「左翼ヒステリックMAX」の姿を見ることが出来ない)
(私が買ったやつ。あんまし意味なし)
新版 学級集団づくり入門〈小学校編〉 | |
クリエーター情報なし | |
明治図書出版 |
(これも、私は買った。パラパラ見ていたら、忘れていた自分の過去が蘇った・・・)
滝山コミューン一九七四 (講談社文庫) | |
原 武史 | |
講談社 |
(これが最重要! 高いが買おうか? もしくは国会図書館でコピるか?)
学級集団づくり入門 (1971年) | |
全国生活指導研究協議会常任委員会 | |
明治図書出版 |
・(『学級集団づくり入門 第二版』の内容。
ここでは、教育再生機構の会報「教育再生(9月号)」の「いじめ問題」での緊急対談にきれいにまとまっており、
講演でも八木先生は同じ主張をしていたので、それを転載する)
≪いじめが増えた根底には教育思想があります。ネット上にわいせつな画像を投稿していた大阪の公立小教諭が7月に逮捕されたんですが、その教諭は全国生活指導研究協議会(全生研)の幹部です。全生研とは、1970年代前後にソ連式の集団主義教育を推進した組織です。どういう教育かというと、学級運営を班単位にし、給食を早く食べるとか掃除を早く終わらせる競争をし、「ビリ班」「ボロ班」をけなします。給食を食べるのが遅い子供が班内部で糾弾されて、人間関係がズタズタになります。指導者である担任と子供たち個々の関係を作る共産主義支配の教育です。その結果、80年代に校内暴力が盛んになり、その後、いじめが急増しました。今回の滋賀県は全生研の勢力の強いところです。≫
◇
長くなったので、今回は終わる。
これまでの歴史の中でも、いじめは厳然と存在した。
しかし、それまでの「いじめ」は、日本の風土にあった情動の中での「必要悪」の側面を持つものであった。
が、1971年からはじまる、全く異なった異国の概念であり、また、戦前教育のアンチテーゼとしての意味しかなく始まった「反作用教育」は、
これまでの「いじめ」とは違った狂気を宿していた。
その、新しい「いじめ」は、一つのパターンでしかないと思われよう。
でも、そのパターンは、これまでのものとは、あまりにも異質であった。
例えると、身体の一部分、仮に右腕を痛めたとしよう。
その右腕をかばわなくちゃならず、左腕に限らず、身体の他の箇所もまた、過負荷となり、別の箇所が徐々に傷ついていく・・・、なんてことはよくあることだ。
教育現場に、「いじめ」の異質な1パターンが発生した。
それは、被害者・加害者に限らず、第三者の生徒の精神にまで作用する。
小学生・中学生の心に、あまりにも大きな「異常な負荷」を与え続けた。
教師にも作用する。
その異質な「いじめ」は、最終的に多くのパターンを派生させ、
その後の教育現場の問題のあらゆるパターン(校内暴力・不登校・猥褻教師・学級崩壊・学力低下・非行、などなど)の元凶となる・・・。
1971年が、近代「いじめ」元年だ!
めでたく、40周年だ・・・。
その異常な歴史も、・・・歴史となってしまっている・・・。
が、これ以上の常識への固着を認めてはならないぞ!
ならば読もうじゃないか!^^v
13歳からの道徳教科書 | |
道徳教育をすすめる有識者の会・編 | |
扶桑社 |
(2012/09/25)
橋下弁護士が、こんなこと言い始めたぞ!
≪橋下市長、竹島を「日韓の共同管理に持ち込め」(2012/09/23 読売新聞)≫
<新党「日本維新の会」代表に就任する橋下徹大阪市長は23日、新党参加を目指す国会議員らを集めて大阪市内で開いた公開討論会で、島根県・竹島を巡る日本と韓国の対立について「(韓国の)実効支配を武力で変えることはできない。どうやったら(日韓の)共同管理に持ち込むかという路線にかじをきるべきだ」と述べ、韓国との共同管理を目指すべきだとの認識を示した。
橋下氏は討論会で、「北方領土と竹島については、(国際司法裁判所で他国から訴えられた場合に応じる義務が生じる)『義務的管轄権』の受諾を外交的に圧力をかけながら決着を付けるしかない」と指摘したうえで、「(日韓間の)根っこにある従軍慰安婦問題についてどこまで認めるかを韓国側としっかり議論し、(竹島の)共同管理という話に持っていくしかない」と述べた。>
ホント、いい加減な人・・・。
(歴史的な)事実関係をちゃんと認識しないで、安易に「共同管理」なんて言葉を使って、手打ちに走らないで欲しい。
あの国の民族的低劣性を知らないでさぁ。
ワールドカップの「共同開催」で、かの国のやり口から学んだ教訓を理解していないのかね・・・。
これもまた、冠せられた言葉と実際の状況の上滑り、ってやつですな・・・。
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
八木秀次先生の語りの続き。
・1992年に、アメリカで、800P超の大著『ザ・ブック・オブ・ヴァーチューズ』が出版された。
(蘭による注:「美徳集成」とでも訳せばいいかな)
Book of Virtues | |
クリエーター情報なし | |
Simon & Schuster |
・親切や勇気、責任感や真摯さなど、10の徳目の、短いエピソードが集められている。
ワシントンの桜の木のエピソードも載っている・・・。
・レーガン政権時の教育長官ウィリアム・ジョン・ベネットが財団法人を設立し著した本。
・その種本として、日本の、戦前の「修身科の教科書」があった。
・先の大戦が終わり、GHQが、日本の教育の表舞台から排除した書物が、
わりと近い過去に、こともあろうに敵国・アメリカで、
現在までに3000万部の大ベストセラーになったのだ。
・キャラクター・エドュケーション(人格教育)の必要性が、当時のアメリカには必要だった。
・その序文には、これまで教えるに疎かになっていたことを、今こそ、教えるべき・・・、との一文があった。
さもなくば、アメリカは取り返しのつかない衰退をする、と。
・昭和33年、国会で、道徳の授業が再開することに決まった時の、日教組の反発は異常だった。
全国15ブロックの説明会の会場には、日教組や全学連が大挙として押し寄せ、反対のシュプレヒコールをあげた。
御茶ノ水の会場には2000人が集まり、会場に担当官が入れず、急遽、上野の国立博物館に会場が代えられた。
・・・その頃の日教組、組織率80%・50万人
・そこでの、あまりのアレルギー反応に、
文部省が、「戦前の修身とは異なりますよ」と、説明してしまったので、
状況は、この後の、問題に対し考えるにあたって更にこじれる要素を生んでしまった。
・戦後、日本を占領したマッカーサーは、
「さぞや、日本には、特殊なイデオロギー教育があっただろう」と考えていた。
・アメリカは、修身教育こそ、軍国主義を生んだと考え、
1942年、教育政策・教科書を自国に持ち帰り、
(蘭による注・名前を忘れてしまったが)ローマ字製作などで有名な学者等が、徹底的に精査した。
しかし、結論として、
「総体的に無害」
「高レベルの教育・教科書」
との結論しか出せなかった。
・占領軍は、日本教育界に、「修身」から「社会」と言う科目を切り替えさせることを実行したが、
内実は、修身科を「歴史的な遺産」と考えていた。
・ロバート・キング・ホールの『修身:敗戦国家の道徳』コロンビア大学学位論文
・『ザ・ブック・オブ・ヴァーチューズ』の主な内容は、
日本人にもなじみの深い「伝記」シリーズである。
いや、そもそも、それは、日本の「修身」の教科書を手本にしている。
(蘭による注:これはアメリカにとどまらず、イギリスやドイツでも、だ)
・日本では、戦後の日教組教師が戦前の教育の徹底的な排除をしている。
しかし、「伝記」シリーズは奨励している。
「修身」の魂は、否定されているようで、ちゃんと現在にも生きている。
・『13歳からの道徳教科書』は、そんな世界の教育最前線に負けていないと自信を持っている。
13歳からの道徳教科書 | |
道徳教育をすすめる有識者の会・編 | |
扶桑社 |
◇
仕事に行くんで、この辺で今日は終わり^^
(2012/09/24)
いざ、物語が始まると、トップアーティストを夢見て、老舗ライブハウス<バーボンルーム>で働く、若き男女二人の出会いと恋と成功の物語で、しかも、ミュージカルだった。
かような美男美女(ドリュー&シェリー)のカップルには、あまり共感が出来ないのだが、話がシンプルなので、それなりに楽しむ^^
だが、トム・クルーズ演じるロックスター・ステイシーが出てきてから、その怪演(?)に魅了され、
なんか、ドリューがラップシンガーに転向させられた時の、K-POPみたいな変なダンスとコスチューム以外は、本筋のほうの印象が残らなくなってしまった^^;
そもそも、主役の二人が結ばれるのがあまりにも早過ぎて、「俺の知らない世界の、美男美女の一目惚れの相思相愛」なんだなと解せなさが募る。
まあ、ミュージカルって、そんなもんではあるけれど。
でも、ライブハウスのオーナー(アレックス・ボールドウィン^^;)とリーダーの恋は、割りと丹念に描かれていたので、こちらは笑うパートの恋だが、理解は出来た(二人とも男だが)。
う~む、しかし、トム・クルーズって、うまいし、面白いよなぁ。
『トロピック・サンダー』や『大いなる陰謀』、『マグノリア』など、暗黒面に偏った役を演じさせると、その凄みが際立つ。
でも、どんなに男らしい役をやっても、どんなに男臭さを発散させようとしても(「ミッション・インポッシブル」シリーズなどで)、どうしても「ホモっぽさ」が感じられる^^;
色んな、私の好みでないゴージャスな女たちが画面を彩るが、私が一番エロく感じたのは、<バーボンルーム>閉鎖を目論む婦人会のリーダーのキャサリン・ゼタ=ジョーンズだな^^
<バーボンルーム>やステイシーを憎む理由は、物語の進行とともに予想がつくけど、だからこそ「可愛い」って感じることもある。
この服装のダサさもなんか、いい!
あと、この作品、やたらと「ベラチュ~」が強調されていたなぁ^^;
「ベラチュ~」の空振りのシーンが何度かあり、クスクス笑わせられたよ^^v
(2012/09/23)
・・・(すいません、国会図書館は日曜休館でした^^;)
私、子供好きなので、子供好きとして筋を通したく、「いじめの問題」で苦しんでいる子を「どうにかして助けたい」の思いが少しはあるのです。
・・・ただ、子供には子供の未熟なる愚かさがある。
日本教育再生機構が示した、
>>・・・正義、勇気、親孝行、親切・・・。
>>子供たちは、そんな言葉のみには感動しない。
>>それを、社会で具現化した人物の生き様にこそ感動するのだ。
>>『13歳からの道徳教科書』では、そこに重点が置かれている。
はもっともだが、
「諸刃の剣」の側面もあろう。
例えば、『ワンピース』と言うマンガは、冒険の中での仲間のきずなを描いた素晴らしい作品である。
あるいは、キムタクのドラマなどでも、仲間との友情が強く描かれているものもあった(超人気の時のキムタクの発言だったかな?)。
仲間との結束は大事だが、果たして、それを現実世界にフィードバックさせている子供たちの仲間との関係は、「ワンピース」の面々やキムタクの周囲の人間関係の如く「正しい」とは限らない。
なんか悪いことをするのに、「仲間!」「友情」とかの虚飾の言葉がデコレイトされることも多い。
・・・さあ、素晴らしい人物の生き様(結果)を見た。
だから、
それでは、その生き方に至る経過も知ろう、としたのが『13歳からの道徳教科書』でもある。
私は、感動エピソードに添えられた解説(善行に至るプロセスの提示)こそが、『13歳からの道徳教科書』での、私の考えるところの重要な「肝」だと考える。
13歳からの道徳教科書 | |
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なお、私の、子供の影響されやすい愚かさに警鐘をならしたエントリーは以下を参照のこと!
[若者よ! 「物語」の表面だけをなぞるな!](2006/10/13)・・・クリック!
◇
・・・では、<日本教育再生機構:トークセッションin高崎>の続きです!
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
八木秀次先生の語り。
(蘭による注:「トークセッション」であるが故に、相手(この場合は貝塚茂樹先生)を補ってセッションは奏でられるので、内容が重複することもありますからね^^)
・そもそも、なんで「教育勅語」が出来たのか?
必ずしも、いわゆる保守派が美化しているとされる時代の姿がそこにはなかった。
当時の教育環境はあまりにも荒廃していたのだ。
・当時の全国の都知事の会議でも教育がテーマとされていた。
小学生が親をバカにする、など。
・自由民権運動の悪影響が、子供にフィードバックされていた。
学生も、
校則破り→処分→逆ギレ→退学→政治運動
が、悪しきパターンとしてあった。
・故に、「教育勅語」が時代の要請として必要とされた。
・その内容は、
特定の宗教に偏らない。
抽象的な哲学概念は避ける。
おしつけは反作用を生む。
に注意しつつ、明治天皇が、自ら手本を示し、国民に語りかけると言う形で作られた。
・ただ、「特定の宗教に偏らない」にあまりにも厳格だったのは、
「道徳」と言うものから重要な要素を排除したきらいもある。
・そもそも、それまでの教科書業界は「汚職・癒着の巣窟」でもあり、
故に、国定教科書の形を必要とした。
・修身科の教科書は、抽象論でなく、優れた人物の生き方を示す形式になった。
例えば、ワシントンの桜の逸話。
これは、英国人サミュエル・スマイルズの創作らしいが、教育上、よくできた話だ。
(蘭による、下らない余談)
・・・ワシントンの桜の話だが、こんな小話がある^^
父 「だから、お前も、ワシントンのように正直に生き、立派になるのだぞ」
子 「うん、わかった^^ ところで、ワシントンはお父さんの歳にはどうなっていたの?」
父 「ああ、大統領になっていたんだ^^」
子 「じゃあ、お父さんは、正直に生きなかったから、そうなったんだね^^」
・・・ギャフン!
・サミュエル・スマイルズの『西国立志編(「自助論」の中村正直訳)』は、
日本でも明治維新直後に翻訳され、当時、福澤諭吉の『学問のすすめ』と同じくらい読まれていた。
修身科の教科書には、その手法が多く取り入れられている。
スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫 | |
サミュエル スマイルズ | |
三笠書房 |
・だが、戦後、「修身科の教科書」も「教育勅語」も、GHQによって、否定された。
・そして、戦後の教育界には、「修身科の教科書」「教育勅語」への<恐怖症>が意味なく蔓延した。
いや、左翼には意味があった。
そして、普通の人々には、左翼によって意味のない恐怖イメージを植えつけられた。
(蘭による補足)
これ、反原発の醸す状況と同じですね。
昨今のオスプレイ反対運動もそう・・・。
・ところが、1992年、アメリカで不思議な書籍が販売され、爆発的に売れた。
The Book of Virtues | |
クリエーター情報なし | |
Simon & Schuster |
・2000万部売れている。
・今も、売れ続けている。
これ、戦前日本の「修身の教科書」の、モロ「パクり」であった・・・!!!
(次回に続く 20012/09/23)
・・・また、この作品、映画館では観た事なかったし(「PART2」「3」は新宿プラザで見た記憶がある)、記憶しているつもりでも、20年振りくらいにちゃんと観る機会でもあったので赴いた^^
この一作目は、私が高校の時に封切りされ、友人たちがデートで観に行って「良かったよぉ^^ もう一回観に行きたい」などと言ってたのを覚えている。
私は、高校の時など、「中二病」の真っ最中で、とてもとても彼女なんかいなかった^^;
私の友人は、高校ではバンドしているヤツが多かったので(大学では小劇団員)、
この作品での、主人公マーティー(マイケル・J・フォックス)のギタープレイへのこだわりなどには、さぞかし共感したのだろう。
やっぱ、30年近く前の作品なのでフィルムに少なからずのザラつきはある。
が、それが気にならないほどに面白い!
30年と言う、時代を超えない微妙なタイムスリップは、おそらく作り手の長時間のディスカッションの末に練られた、幾つもの小ネタに彩られ、
更に、元の時代に戻ろうとするクライマックスでは、やはり「手に汗握る」サスペンスがある。
しかし、見直すと、マーティーって、当初は、家族には恵まれていなかったけど「リア充」だよなぁ^^;
序盤から、可愛い彼女・ジェニファーと街中でイチャつけるだけで、即「リア充」認定だ。
ただ、「作中現在」のパートでの、彼女・ジェニファーだが、今の感覚で見ると、ちゃんと、当時の「現在」なのに、古さが感じられるのは、まあ、しゃーないことだよね。
対して、情けない過去の父親の姿は、近年 流行の「オタク少年の主人公 ヒーロー化」のさきがけのような気がする(「キックアス」「ゾンビランド」など)。
この作品が、世界中の若者の心をつかんだのは、
私が『トワイライト ~初恋~』を観て思ったことと同じで、
上層に導かれることへの優越感でもあるような気がする。
≪・・・観終えて、私は、この作品が全米の女子に支持された理由がよく分かった・・・。
女の子は、自分の住む平凡な世界とは別の、高次な集団に属すことを夢見るものだ。
あるいは、そんな違うレベルの集団を憧れで見つめたいと願っている。
後者においては、平凡な身分でありながら、そんな「有閑倶楽部」みたいな集団に引き上げられることさえも妄想している・・・。 ・・・≫
マーティーは、未来(現在)から来たが故に、30年過去の世界の人々に比べ、圧倒的な情報の優越がある。
その高み・・・、若者は、そこに憧れるのだろう。
私は、バンドを組んでのロックの知識などには疎いが、
スケボーの、過去の世界での粋な使い方などに代表される、マーティーの立ち位置には、やはりちょっと憧れるし、
その後の役者としてのマイケル・J・フォックスの行く末に想いを巡らすことを含め、マーティーは、多くの若者の「永遠の青春のヒーロー」でもあろう。
PS.近年、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を知っている入場者が年々少なくなり、
USJの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』アトラクションがなくなる、
とのニュースが数年前にあったが、今はどうなったのだろう?
(2012/09/22)
先ず、こちらの再掲(クリック!)を読んで下さい。
≪・・・(私がくどいていた)娘 「あと、変に仕事が出来ると思って口を出し続ける新米店長も困ったよぉ。張り切って、いかにも『この停滞した職場を改革するぞ』みたいな」
私 「ああ、確かに不必要な動きをはじめる、異動してきたばっかの上司ってのもいるね」
娘 「うん、余計、職場が混乱しちゃうの」
私 「なんちゅうかな。例えば、ピザ屋だったら、トッピングの具材を置くキッチンでのレイアウトなんかがある訳だろ? それは、長い間に、その場所が一番使い勝手がいいからと、その場所になったんだろうけど、余計なことする店長は、そこに何か一つの短所を見つけて改悪に走り、それまでの機能的なレイアウトを全く変更しちゃったりするんだよね~」
娘 「そうそう、左手には近くなるけど、利き腕の右手には遠くなっちゃったり!」
私 「そうそう!! 君、何で俺の言うことをそんなに理解してくれちゃうの?」
娘 「・・・二歩進んでも、五歩下がっちゃうの^^」 ・・・≫
・・・「保守」派とは、上記の文中の「二歩進んでも、五歩下がっちゃう」ようなことを仕出かすヤカラ、・・・社会の混乱を助長するような集団・システムを許さない思想を持つ者たちである。
それは、合理的におかしい時もあるし、文化・伝統・論理的に考えておかしい時もある。
習俗的に、宗教的におかしい時もある。
情緒的に、精神的におかしい時もある。
科学・物理的におかしい時もある。
おかしい時は認めないのが「保守」派である。
民主党政権と言うのは、あらゆる意味で「おかしい政権」であった。
3年が経ち、その認識は国民の一人一人に浸透しただろう。
だけど、民主党が「党」として誕生した頃から、「保守」派のほとんどが、今日の結果を分かっていたんだぜ。
だが、当時、分かりやすく目に見えた自民党の欠点を目の当たりにした国民のほとんどの思慮のないヒステリーには抗しきれず、狂気の政権を誕生させてしまった・・・。
この「高速度情報化社会」の中で、この3年間の「五歩下がっちゃう」状態は、国家の天文学的な損失と言える。
「二進五退、結構じゃないか、変わること(政権交代)自体が良かった!」と言う、
思考停止したバカが多いが、
私は「よくね~よ! だったら、その理由を言ってみろよ!」と言いたいものだ。
仮に、民主党政権を構成する(した)あらゆる因子と、自民党政権の因子を、それぞれ加点法で厳密に加算していったら、民主党においてはあまりにものマイナスポイントがあるので、
民主党のポイントは限りなく「ゼロ」もしくは「マイナス」になり、
自民党と100倍くらいの功績の違いが現われると思う(ここでは記さないが、民主党政権には、少しだけ特筆すべき功績もあった^^)。
民主党結党の頃から民主党劣悪政権誕生の時期までは、
あまりにもの、「悪質」と言うか「愚か度」の高い者が、国家の上層にいるのがベーシックとなってしまい、
それに反旗を翻す発言をする者こそが「愚か」とされる異常な「常識」が蔓延ってしまった。
少なくとも、それまでの政権担当の政治家には、例え私欲を肥やそうが、対外的に利益をもたらす「思慮」があった。
かつての歴代の政治家たちよりも、昨今の自民党政治家は、政治活動における「徳」のパーセンテージは遥かに低くなっただろうが、
民主党政権のように「ゼロ」もしくは「マイナス」ではなかった・・・。
◇
・・・では、<日本教育再生機構:トークセッションin高崎>の続きです!
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
貝塚茂樹先生の語りの継続。
・明治4年に学制が検討され、教科の概念も生まれる(明治五年公布)。
日本には欧米のような宗教的な基底が希薄なので、
(蘭による注:日本人の価値観・常識として宗教的道徳があったと思いますが)
教育でベーシックな共通概念を構築しようとした。
・教育勅語(明治23年)が、当時の学者たちの激しい検討の末に出来上がる。
修身・道徳教育の根本規範である。
12の徳目(孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・
修業習学・知能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇)
(蘭による注:私の書いた教育勅語絡みのエントリーは「こちら」をクリック!)
・明治36年には、国定教科書が制度となる。
修身科の教科書もあり、
それは、言われるような丸暗記で無理矢理に教え込むものではなく、
教育者が真摯につくりあげた、学生の身につくものであった。
・戦後、修身は教科の一つとしてはなくなった(軍国主義の第一要因とされた)。
(蘭による注:それは日本神道が、先の戦争の原因として貶められたのと同義である。以下の書籍に詳しい)
「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。 | |
新田 均 | |
PHP研究所 |
・しかし、昭和33年、「道徳」科として復活する。
この時の日教組の反発たるや、現在の中国の反日デモの如く過激であった。
その頃の日教組の組織率は(全教師中)86%、50万人であった(今でも30%超)。
その教員たちが、(戦争を起こした官)による「官製教育」の反対!
(戦争を起こした)「修身科復活」反対!のデモ・ボイコットまでした。
(蘭による注:もちろん、↑この認識は間違っている・・・)
(蘭による注:おぞましき組織「日教組」に関しては、臨場感とともにこちらの書籍に詳しい)
いいかげんにしろ日教組―われ「亡国教育」と、かく闘えり | |
松浦 光修 | |
PHP研究所 |
・さて、現在、道徳の授業はおこなわれているか?
文科省は、他の教科にはない、「道徳」に関しての調査を5年に一度実施している。
中学では70%(蘭による注:この数値、ちょっとうろ覚え^^;)
小学校では62%
(蘭による注:私は、NHK教育のドラマを見せられた記憶が鮮明だが、
時に小冊子を使って説教風の話を聞いた記憶がある。30年前)
つまり、小学校でも中学校でも、30%以上の生徒が道徳を習っていないのだ。
(蘭による注:このパーセンテージって、現在の日教組の組織率と符合するじゃん!)
・教職をとっている学生には、道徳についてのテストを白紙で出す者も少なからずいる。
「習ってない」がその理由だ。
・教育の現場では、修身科にアレルギーを起こす教師も多い。
戦争に至る道を作ったのが教育勅語という認識の「教育勅語恐怖症」がある。
左翼には、日教組には、前提としての「戦前の全否定」がある。
・だが、その「否定」は、
社会で正しいとされる、他者との関係を結ぶ、先祖からの連綿とつないだ結晶である「道徳」、
それを貶めることであり、
それを子供に教えないことは、
子供に、正しいと思われる基礎が形成されないことを意味する。
・何が正しいのか?
何が、日本社会では正しいとされるのか?
・・・正義、勇気、親孝行、親切・・・。
子供たちは、そんな言葉には感動しない。
それを、社会で具現化した人物の生き様にこそ感動するのだ。
『13歳からの道徳教科書』では、そこに重点が置かれている。
13歳からの道徳教科書 | |
クリエーター情報なし | |
扶桑社 |
・現在の道徳授業は、ある問題を出し、生徒達にそれぞれの答えを出させている。
だが、そこまでで、教師は、その問題の答えを出すことをしない。
社会で正しいとされる価値が、授業では示されないのだ。
だから、「冷静沈着な詐欺師」や「用意周到な泥棒」にまで価値が見出されるような大人が育つ・・・。
◇
>>>「冷静沈着な詐欺師」や「用意周到な泥棒」
私は、この、左翼教師による「被害者ないがしろの加害者擁護」のような言説には非常に辟易していて、かつて、かような、とある人物の糾弾に際し、とある人物の考え方をひも解く文章を書いた。
A=ノイジーな左翼
I君=みんなに迷惑を掛けて、私がクビにした作業者
S子=仕事に真面目な、仕事にまい進したい女の子
≪・・・(2008/01/14)・・・
・・・とにかく、内実の伴わない二重三重の虚言を吐くのが好きなAである・・・。
例えば、こんな話はどうか?
仮に、I君が、連続レイプ犯だったとする^^;
そして、捕まったとする。
当然に、重い刑が課せられるだろう。
それに対して、Aのメンタリティはこう言うのである。
『いや、I君は偉い! 人間が一つの道に邁進することはいいことなんだよ』
・・・^^;
仮に、S子さんが、そんな無茶苦茶な意見に疑問を呈したとする。
『でも、犯罪だから・・・』
Aは言い募るのである。
『そうだよぉ~、確かに犯罪だよぉ~。
(他人の言うことを、あたかも知っていたかのように肯定し、
自分の虚言を上乗せするのがAの口癖である)
でも、人間が一つのことに集中することはいいことでしょ? ねっ? ねっ? ねっ?』
S子さんは、
「そりゃ、まあ、人間が一つのことに集中することはいいことだけど・・・」
と、勢いに押され渋々答える。
『でしょ? ねっ? ねっ? ねっ?』
・・・ご臨終である・・・。 ・・・≫
◇
今回も、スケールの大きい話にはこぎつけませんでした^^;
次回に続く!!!
(2012/09/21)
早速、「けしからーん!」と感じてしまっているようなバカな人もいますが、
私は、そんな単純バカの喜ぶような手法で文章をしたためていません。
私が学ぶ先生方には、左翼のように批判しっ放しや、現状を嘆いているだけの方々はいません。
それは、それを回避できる手段があってこその現状認識のセリフです。
まあ、このシリーズを読み進めていただければ分かろう・・・。
なお、先生方の話は、聞いている時点では、流れで理解できたのですが、
メモに書き写したものの羅列では、閲覧者の皆さんは、断片的に過ぎる印象を受けるかもしれません。
でも、このシリーズ全てが記されてから読み直すと、パズルのピースが一片づつはめられて、最終的には全体像が分かるように理解し得るのではないかと考えております^^v
今は、羅列されているエピソードの表層を楽しんでくださいな^^
◇
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
最初は、八木秀次先生の語りから。
箇条書きで記していきます。
・この会を主催した「日本教育再生機構」は、安倍晋三内閣時の政策に沿って、
民間から、その方針を支えようとはじまった。
・そもそも、「教育再生」という言葉は、安倍首相と会合を繰り返した八木先生の主張から使われ始めた。
・残念ながら短命に終わった安倍内閣だが、その誕生時から、「日本教育再生機構」は、大きく3つの功績を残した。
・一つに、ゆとり教育の是正に意見を通した(保守派の中には異論もあった)。
・二つ目として、「教育再生機構」と組織的に重なる点もある「教科書改善の会」が、
教科書作成に入り、昨年、採択の大躍進を果たした。
・三つ目として、今日の教育の荒廃は、「道徳教育の欠如」が原因の一つと突き止め、
「道徳教育をすすめる有識者の会」を発足。
道徳教科書のパイロット版的な位置づけで『13歳からの道徳教科書』が出版された。
13歳からの道徳教科書 | |
道徳教育をすすめる有識者の会・編 | |
扶桑社 |
・平成18年の教育基本法の改正、平成20年の学習指導要綱の改正に伴い、道徳授業が復活した。
しかし、未だ正式な教科ではない。
週一回の授業は、教師自身が何をしたらいいのか悩む、つかみどころのない訳分からない授業と化している。
副読本はいい加減なものしかない。
・かくして、学習指導要綱に則し、真面目に取り組んで作ったのが『13歳からの道徳教科書』。
宣伝もしていないのに、静かなベストセラーで、今年二月の発売から7刷を重ねている。
多くの学校で副読本として採用され、
中でも、中学生の対象の書籍なのに、例えば、筑波大付属の小学校などでも使われている。
・「さて、貝塚先生、今、道徳の専門家と言うと、どれくらいいらっしゃるんでしょうか?
この書籍の発行の意義、近代教育史の中の位置づけを交えて語ってください^^」
貝塚茂樹先生の語りから。
・「道徳の専門家は、5,6人でしょうか・・・(蘭注:その理由は後に語られる)。
いやはや、新幹線で一緒にこの高崎に来たのに、雑談ばかりで打ち合わせも何もないですが、
八木先生、多くの書籍を机に並べて、やる気まんまんですね^^」
・高崎に来たのは初めてだが、自分がかつて文部省国立教育研究所で世話になった富岡賢治氏は、
この高崎市の市長であったときもあり、満更 縁がないわけでもない。
・大津の(中二いじめ自殺)事件から、子供の自殺がクローズアップされている。
昨年は20年振りに200人を突破してしまっている。
警察の発表では、350人を超えている。
文科省は、正確な数を把握できないので、来年からは発表しないとか訳の分からないことを言い出しはじめている。
・2005年の記録だが、青少年の引きこもりの数は160万人。
準ひきこもりの人数も160万人。
併せて320万人・・・、もはや、まともな国の姿じゃない。
・年間の自殺者の数は3万人。
・これらは、教育と関係ないのか? 関係なくない。
私は、道徳教育の不在と切っても切り離せないと考えている。
・震災後、やたらと「きずな」「つながり」という言葉が語られてきた。
しかし、一ヶ月ほど前にNHKで放送されていた番組『無縁社会、その後』では、
考察の結論として、震災前と震災後、人と人の無関心において「変化なし」と答えを出していた。
・今、日本には、無縁社会の帰結としての遺品整理回収業者が3000社あり、
最後の助けを肉親に求められない多くの(年金も葬式もない)人が、
社会に多く存在しているが故に、そんな商売が成り立つ。
・人間とは、生物学的に1人では生きていけない、全生物の中でも稀有な存在である。
共同体を、・・・他者を介在しなくては生きていけない宿命にある。
例えば、赤ちゃん。
・「道徳」とは、他者との関わりの、よりよき方法を示すものである。
・戦後教育は、この「他者とのかかわりをズタズタ」にしてしまった。
規範意識を蔑ろにしたなれの果ての帰結が「現代日本社会」である。
◇
次回から、論理的にスケールが大きくなってまいります。
ご期待ください^^v
(2012/09/20)
冒頭、前作の「引き」からの過酷な戦い・・・、
敗北し、海に投げ出されるアリスの水中の幻想的なシーンにタイトルがかぶさる場面から、逆回しスロモーションの手法で、なぜに海に没するに至ったかが描かれ、テーマ的な深みはないのだけど、いかに潤沢な技術で、またスタイリッシュさにこの作品が支えられているかをまざまざと見せてくれる。
そして、目覚めると、アリスは、アメリカは郊外の平和な家庭の一員となっている。
だが、状況の訳が分からないうちに、サドンリーにゾンビの襲撃を受ける。
この後、幾何学的な、アンブレラ社の監禁室に捕らわれているアリスがおり、
そして、そこを脱出したアリスは、東京都内と思われる、賑やかなスクランブル交差点の中央へ。
無人だったのが、ふいに雑踏となり、これまたふいに、ゾンビが出現しだす。
アリスは応戦する。
訳が分からないが、戦いの構図は面白い。
展開がシュールで、その理由は後から分かっていくのだけど、この時点では「?」「?」「?」で、文字通り「不思議な国のアリス」の状況だ。
アリス役のミラ・ジョヴォヴィッチは、ここ数年、目覚しい活躍とともに、でもギスギスした感じが否めなかったのだが、今回は、そのトウが立った時期さえも過ぎて、美しさが安定していた。
さすがは、「2011年度ナカデミー主演女優賞」!!!(←クリック!)
で、ミラにとどまらず、後から仲間となる、ゲームをやっている者なら知っているエイダ・ウォンをリーー・ビンビンが演じていて、黒髪・丸顔・短髪。スレンダー、ついでにチャイナドレスでたまらない。
私のリーもビンビンしちゃう^^;
この写真の表情は間延びしているなぁ^^;
ところで、リー・ビンビンで思い出したが、『マダガスカル3』のエンドロールで、「CHIN・KO」と言うスタッフの名を見たぞ!
・・・でも、私は、敵として立ちはだかる、これまた美しいジル役(シエンナ・ギロリー)の、線の細い金髪スレンダーのバトルスーツ姿に萌えた。
戦いの中で、白い頬が上気するのが最高です^^
他にも、アリスが助ける美少女や、作品中でクローンや「バイオハザード」ウィルスの検体となって、これまでのシリーズから役柄をシャッフルされているミシェル・ロドリゲスや、ちょい役だけど目立つ役に中島美嘉も出ています^^
さて、物語だが、嘘だと分かっていて、やっぱり嘘だったけど「最終章」と宣伝がなされていたのだが、意外!
世界を舞台にした大風呂敷のスケールと思いきや、超どでかい舞台設定ではあるが、今作は、水中の超巨大研究施設と言う閉鎖空間からの脱出の物語だった。
東京や、アメリカの郊外の町や、ニューヨーク・モスクワなどの都市が出てくるが、それは「バイオハザード」環境実験ドームであり、
そこは、映画史上でも稀な凄まじいアクションの数々で破壊されるが、そこでは実に芸の細かい描写がなされています。
大爆発が、夜空の映像を写しているドーム天井を壊し、天井を形成するパネルが発光しながらがれきとなり下に降り注ぐシーンなど、なかなか荘厳だ^^
・・・出かける時間になっちゃいました、続きは後で書きます!!!
≪今、子供たちに伝える道徳とは
~『13歳からの道徳教科書』編集委員が語る~ ≫
テーマが「道徳」で、地味に感じられる方もありましょうが、
その問題が、世界を揺るがせる一大カテゴリーであることは、この報告を最後まで読んでいただければ、すぐに分かると思います。
書くことが多いので、すぐに本題に入ります。
・・・トークセッションの最後のほうで、八木秀次 高崎経済大学教授が「日本は衰退期に入りました」と言った。
私は最近、保守派の会合にとんと出ていなかったので、教育再生機構理事長の断言に驚いた。
私も、ここ二週間くらい、ずーっと「衰退期」と言う言葉を想っていたからだ。
他のテーマで書くつもりだったが、日本は、人類史上最高レベルの国家を極めたが故に停滞するしかないと考え至り、
その行く末を考えるために、最近、トマス・モアの『ユートピア』を熟読していたのだ。
そして、やはり、問題は「心」にあると考え、それを育てるためのよすがとして『エミール』なども読み直していた・・・。
ユートピア (中公文庫) | |
トマス モア | |
中央公論社 |
エミール〈上〉 (岩波文庫) | |
ルソー | |
岩波書店 |
◇
登壇した八木秀次先生の容貌には驚いた。
そもそもが若手の保守派リーダーとして、やや顔に幼さが残っていたはずだ。
しかし、その後、やや恰幅が良くなったのは、産経新聞の正論欄の写真で見て知っていた。
だが、今回は、格好良かったのだ。
甘さがなくなり、力みもなく、心身が絞れている印象で、
同じく登壇した、ワイルドさのある武蔵野大学教授の貝塚茂樹先生ともども、「ちょい悪」的な貫禄があった。
「うは~」と、私は、ちょい涙目だったのだが、変な言い方で申し訳ないが、時は流れ、誰もが皆、人として完成していくのだなと驚いた。
・・・なんで「涙目」だったか?
実は私、このサイトで、教育再生機構系の育鵬社の出した『13歳からの道徳教科書』を宣伝はしているものの、購入していなかったのだ。
今回、会場のロビーにて購入し、始まる前に読んでいたら、思わず感動してしまった。
私は、赤ちゃんが好きなので、赤ちゃんを含む貧しい人々を助けるマザー・テレサの話や、
同じく、若くして自殺するしかなかった「葬式ごっこ」の被害者・鹿川君の死の傍観者となってしまった男の人が、鹿川君のおばあちゃんに会い、「この人はこんな悲しい目にあうために、七十年も八十年も生きてきたのか」と思い至り、とてつもない状況の中で、自分が何も出来なかった罪悪感に苛まれる話などに、思わず、目に涙を溜めてしまうのだ。
13歳からの道徳教科書 | |
道徳教育をすすめる有識者の会・編 | |
扶桑社 |
とても読みやすい本です、どうぞ^^
正しいことが淡々と書いてあります。
鹿川君の話は、左翼・朝日新聞からの引用だ。
つまり、この本、思想に偏重する本ではなく、「正しいおこない」が粛々と集録されたものなのです。
◇
先ずは、群馬県郷友会の島田会長の挨拶で、この方の挨拶の中で出てきた「教育勅語」が、今回の講演会の重要なキーワードです。
( ↓ 私が「教育勅語」について書いたエントリー)
[個々の抱く思想の、学究に与える影響(2006/10/11の再掲)](クリック!)
続いて、八木先生主催の勉強会「八木塾」の代表の北村女史の挨拶、
男女共同参画における性差の否定や、自衛隊員の300億円経費削減に対しての、待機児童7万人の問題解決のための2兆6千万の予算支出を問題提議しつつ、
悪名高き、中国や朝鮮におもねった「近隣諸国条項」の話もしてくれた。
これは、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との内容である。
つまり、「事実」でも捻じ曲げられるってこと。
でも、それは、何の疑問もなく反日教育を続けている中国や朝鮮には、これっぱかしも適用されない、対象国には実行の意思がないことのおかしさを、私に早足に教えてくれたのだった。
要は、先の大戦の敗戦国・日本にだけ科せられた枷だ。
我が国は、中国にも朝鮮にも負けちゃいなくて、敗戦=間違っていた訳でもないのに。
◇
では、次回、講演会の内容を報告します。
明日、すぐに書きます^^
(2012/09/19)