☆今日は、バイトで登戸を駆け回りつつ、私は無法者なので、コンビニでビールを買って休憩中に飲んだりしているのだが、
飲みながら、携帯で、気になるブログを見て回った。
産経新聞の阿比留瑠比記者のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」を読んでいたら、最近のエントリーにこんな一文があった。
《・・・先日、皇學館大の松浦光修教授から著書『【新訳】南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』と『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の2冊を送っていただきました。・・・》
「うひょひょ^^」と私は嬉しくなった。
だって、私も松浦先生から送られていたし、また、人気政治ブロガーである阿比留記者と「つながり」が出来たような気がしたからだ^^
まあ、松浦先生から阿比留記者へは、「参考になると思いますよ」って感じで、
松浦先生から私へは、「学びたまえ」ってトコかな。
しかし、私の頂いた『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』だが、非常に好著である。
吉田松陰の手紙や論文などの現代語新訳なのだが、それ以上の長さで、松浦先生による、その文章の書かれた「(時代)状況」が語られ、また、訳の後には、「(思想)背景」が説明され、なんか、とてもスリリングに感じられるのだ。
上記の写真を見てもらえば分かるように、ビニールのカバーを付けている。
吉田松陰の手紙や論文はけして長いわけではないので、ちょっとづつ、噛み締めて読んでいくことが可能な本なので、ビニールのカバーで保護して、いつも持ち歩きながら読んでいる次第。
そういった読み方がされるべき本で、読んでいると、吉田松陰の「青春」の息遣いが感じられて、
吉田松陰が身近に感じられ、感じられつつも、その真摯さに圧倒されもする。
「身近」に感じられると言うことは、「つながり」が出来ると言うことである。
この本で重要なテーマとされているのは、「自らが死んでも、引き継がれ生き続ける天命たる意志・意思(吉田松陰の「死生観」)」の存在である。
私は、三十路を過ぎてからと言うもの、ずーっと、とにかく、「自分の一部を継ぐ子孫」だけは残したいと念願している。
吉田松陰は子孫を残さずに死んだ。
しかし、その「意志・意思」は、今なお、多くの者に引き継がれている。
小物の私は、不安なので、私の「意志・意思」の一部を血で引き継いでくれる者を待望している。
松浦先生も、吉田松陰の如く大らかに、自分の「意志・意思」を多くの者に伝えようとしている。
だが、基本的に、私は普段、「性と死」のことしか考えていないので不適格な面もあろう。
と言いたいが、松浦先生は最後にこう書いている。
《・・・松蔭と(高杉)晋作は、ともに短い人生であったという点では同じです。しかし、一方の松蔭は“謹厳実直”というほかない生涯を送り、一方の晋作は“放蕩三昧”といってよい生涯を送っています。一見すると、まったく色あいがちがう人生です。それでも、私は本書を書き終えて、“つまるところ松蔭も晋作も、「おもしろきこともなき世」を「おもしろく」生きたという点では、同じではなかったか”と思っています。・・・》
私は、例え、阿比留記者のように松浦先生に献本のお礼の電話などしても、気の利いたことが言えない男なので、電話できないが、
「有事」の際には、晋作の「爪の垢」程度の働きは出来ると思うので、重宝して頂きたい^^;
・・・世の中の「悪意」のほとんどは、それを為した者の「人格の欠如」が大きな原因だと私は信じていて、
対象の人格をおおむね把握してから戦い始める私のやり方は、かなり「強力」だと思っていますよ^^v
◇
なお、今回は、『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の感想ではありませんよ。
感想は、ちゃんと熟読してから更新します^^
(2011/11/27)
飲みながら、携帯で、気になるブログを見て回った。
産経新聞の阿比留瑠比記者のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」を読んでいたら、最近のエントリーにこんな一文があった。
《・・・先日、皇學館大の松浦光修教授から著書『【新訳】南洲翁遺訓 西郷隆盛が遺した「敬天愛人」の教え』と『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の2冊を送っていただきました。・・・》
「うひょひょ^^」と私は嬉しくなった。
だって、私も松浦先生から送られていたし、また、人気政治ブロガーである阿比留記者と「つながり」が出来たような気がしたからだ^^
まあ、松浦先生から阿比留記者へは、「参考になると思いますよ」って感じで、
松浦先生から私へは、「学びたまえ」ってトコかな。
しかし、私の頂いた『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』だが、非常に好著である。
吉田松陰の手紙や論文などの現代語新訳なのだが、それ以上の長さで、松浦先生による、その文章の書かれた「(時代)状況」が語られ、また、訳の後には、「(思想)背景」が説明され、なんか、とてもスリリングに感じられるのだ。
上記の写真を見てもらえば分かるように、ビニールのカバーを付けている。
吉田松陰の手紙や論文はけして長いわけではないので、ちょっとづつ、噛み締めて読んでいくことが可能な本なので、ビニールのカバーで保護して、いつも持ち歩きながら読んでいる次第。
そういった読み方がされるべき本で、読んでいると、吉田松陰の「青春」の息遣いが感じられて、
吉田松陰が身近に感じられ、感じられつつも、その真摯さに圧倒されもする。
「身近」に感じられると言うことは、「つながり」が出来ると言うことである。
この本で重要なテーマとされているのは、「自らが死んでも、引き継がれ生き続ける天命たる意志・意思(吉田松陰の「死生観」)」の存在である。
私は、三十路を過ぎてからと言うもの、ずーっと、とにかく、「自分の一部を継ぐ子孫」だけは残したいと念願している。
吉田松陰は子孫を残さずに死んだ。
しかし、その「意志・意思」は、今なお、多くの者に引き継がれている。
小物の私は、不安なので、私の「意志・意思」の一部を血で引き継いでくれる者を待望している。
松浦先生も、吉田松陰の如く大らかに、自分の「意志・意思」を多くの者に伝えようとしている。
だが、基本的に、私は普段、「性と死」のことしか考えていないので不適格な面もあろう。
と言いたいが、松浦先生は最後にこう書いている。
《・・・松蔭と(高杉)晋作は、ともに短い人生であったという点では同じです。しかし、一方の松蔭は“謹厳実直”というほかない生涯を送り、一方の晋作は“放蕩三昧”といってよい生涯を送っています。一見すると、まったく色あいがちがう人生です。それでも、私は本書を書き終えて、“つまるところ松蔭も晋作も、「おもしろきこともなき世」を「おもしろく」生きたという点では、同じではなかったか”と思っています。・・・》
私は、例え、阿比留記者のように松浦先生に献本のお礼の電話などしても、気の利いたことが言えない男なので、電話できないが、
「有事」の際には、晋作の「爪の垢」程度の働きは出来ると思うので、重宝して頂きたい^^;
・・・世の中の「悪意」のほとんどは、それを為した者の「人格の欠如」が大きな原因だと私は信じていて、
対象の人格をおおむね把握してから戦い始める私のやり方は、かなり「強力」だと思っていますよ^^v
◇
なお、今回は、『【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」』の感想ではありませんよ。
感想は、ちゃんと熟読してから更新します^^
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(2011/11/27)