『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[私の1991年のメモ日記・6]

2009-05-06 23:01:58 | 1991年の日記
☆職場のリーダーが失脚した。

 だから、忙しいので、過去のエントリーの再掲だ!

 おっと、そのリーダーの追い落としには、私は動いていないですぜ^^;

 私は、社員であるが故に、その人をかばっていたほうだ。

 しかし、その人は、仕事を「しない」、「できない」、傲慢、自分「だけ」楽をしようとする・・・、で、ベテランのバイトから総スカンを喰って、精神に偏重をきたしてしまったのだ・・・。

 ・・・で、そのリーダー格のお鉢は、私に回ってきた。

 まあ、私は、過酷な条件での登板は慣れているので、至って平常心だ^^v

   ◇   ◇   ◇

  [私の1991年のメモ日記・6 沖縄・前篇] (2007/07/26 23:27)

▼今日は、同僚と飲んできたので、これで勘弁ね

     #     #     #     #     #

▼左翼が糾弾してくるところの『新しい歴史教科書(扶桑社版)』だが、その糾弾内容の一つに、「過酷な沖縄戦の記述がたった数行・・・」がある。

 ではさて、現時点では、新版の方は手に入らないが、現行版の方の「沖縄戦」記述を書き出してみよう。

 ≪1945(昭和20年)4月には,沖縄本島でアメリカ軍とのはげしい戦闘が始まった。日本軍は戦艦大和をくり出し,最後の海上特攻隊を出撃させたが,猛攻を受け,大和は沖縄に到達できず撃沈された。沖縄では,鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って,一般住民約9万4000人が生命を失い,10万人に近い兵士が戦死した。≫

 豊富に書いていったら、とめどもなく書いていけるのだろうが、教科書としては充分な事実記述だろう。

 他の記述も同程度の概観となっている。

 同じような批判を、放送法に引っかかるギリギリの「不公正さ」で『報道ステーション』はニュースでの問題点としていたそうだ、ケッ!

 西村幸裕氏は、そのブログでこう記している。

 ≪たとえば、沖縄戦に多くの文字数を費やす帝国書院の教科書は、「日本兵に殺害された」という立証されない証言を取り入れたり、15年戦争という時代遅れの共産党史観で書かれている。≫

 つまり、沖縄戦の記述・・・。

   帝国書院 - 扶桑社教科書 = アカ印の過剰な嘘

 と言うシンプルな数式が成り立とうぞ^^

 ☆10月3日(木)

 昨日に続いて快晴。12時間も眠ったので、体の調子も、まあ良い。本日は朝食から吉野家で牛丼(並)+生玉子、ごぼうサラダと食い、ちゃんとトマトジュースも、とどめとばかりにファイブミニ! ジムで汗を流し、家に帰ってクソしたら、柔らか~。明日からのゼミ沖縄旅行の準備も終えたし、楽しみ、楽しみ~^^ しかし! その前に、強敵、つぼ八(居酒屋)のバイト(夜10時~翌3時)があり、そして、金八(築地の八百屋)のバイト(早朝5時~8時)もある。それから、浜松町からモノレールに乗って羽田に行く訳だ。ゆえに、今、午後5時なのだが、しばし眠らなくてはならない・・・。・・・沖縄かぁ・・・、ブルーラグーン・・・。何かロマンスはないのでしょうか・・・。

 ☆10月4日(金)

 さて、AM3時までの「つぼ八」バイトを終え、しばらく中野駅の出入り口シャッター前に座り、始発で新橋へ。変則の早朝バイト。8時まで「金八」で働き、専務(注・1)に一万円頂き、浜松町から羽田へ、初めての飛行機だ! モノレールから見える景色も新鮮だったが、飛行機からの景色だ・・・。滑走路、いきなり鬼のようなスピードで走り出し、飛び立った飛行機からの風景は最高だった。窓際から、窓にかじりつく様にして、地面が見えなくなるまで見続けた。人間なんてちっぽけな存在だ! と思うと同時に、ジャンボ機を作り、1万メートルの空にまで到達できる人間の叡智にも感心。・・・沖縄に降り立つ、モアーッとした上天気。しかし、日差しの爽やかな町だ。喋りまくるバスガイドさんの話を聞きつつ、浜比嘉島に向かう。港からは高速船で行く。風が爽やか、真っ青な海。島ではシナリキョやアマミキョの史跡を見学する。海辺のアマミキョで、現地の子が、「オメラ、フライズンで来たんだろ?」と問うてきた。フライズンとは、僕たちの乗ってきた船・ホライズン号のことだった。ホ(O)とフ(U)の母音変化に納得する。夜はバーべQ、オリオンビールをグビグビやる。その時、ツツツ・・・と、ゼミ生だが、会話したことなかった可愛い斎藤さんが寄って来てポツリと言った。「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。私は、嬉しくなった(ロマンスのはじまりでしょうか・・・^^;)。同室の稲葉君は、ホームステイの経験があるそうで、その話で盛り上がる。

 (注・1)・・・私の大学のゼミ合宿(旅行)は、学習院との合同ゼミ合宿だったのです。で、築地の野菜卸し業「金八」の専務の娘さんが、学習院の学生だったので、その御令嬢も、同じ旅行グループに参加していました。でも、専務が恐いので手を出しませんでした^^;
 「金八」は、「吉兆」や「金田中」、「歌舞伎座」「新橋演舞場」「岡半」「浜長」・・・などの一級料亭に野菜を卸していた一級の八百屋でした^^
 また、私のゼミの合宿には、前年、紀子様も参加しております^^
 私の母校である左翼チンポコ大学と、学習院が合同ゼミ旅行を行っているというのは面白い話である・・・。

                      (2005/06/30の再掲 続く・・・)

   ◇   ◇   ◇

 では、寝ます^^

                      (2009/05/06)

[私の1991年のメモ日記・5]

2009-05-01 08:34:29 | 1991年の日記
☆本日は映画の日で、封切り作も多く、仕事が遅番なので一本くらい観ていこうと思ったのだが、

 どうも、ここ十日間くらい腹が痛いので、本格的な連休を前に病院に行くことにした(私は休みはほとんどないけどね^^;)。

 いつもの結石とは異なる痛みである。

 で、今、病院に診察券を出してきて、一時間後に診察なので、一本投稿しておこう^^;

   ◇   ◇   ◇

  [私の1991年のメモ日記・5 北朝鮮篇^^;] (2007/07/25 19:41)

▼何故だか好評のこのシリーズ

 さあ! 北朝鮮編だッ!!

   ・・・肩透かしの内容なんだけどね^^;

     #     #     #     #     #

▼拉致完全発覚のはるか以前、十五年前の、私の北朝鮮認識を垣間見ることの出来る僅かな文章が、1991年の日記から発見された。

 この程度が、当時のノンポリの学生の認識だろう・・・。

  ☆5月6日(月・こどもの日の振替休日)

 今日も一日を無駄に過ごしてしまった。せめて映画でも観てくれば良かった。ビデオをレンタルしてくる。「クライムストーリー」の第2巻。昨日は第1巻を借りて観た。シカゴの犯罪組織と戦う特捜刑事たちの物語。全8巻だそうだ。それ程に面白い訳ではないが、アメリカの連続TVドラマを楽しんでいる。主人公のマイク・トレロが無骨なおっさん風だが、帽子が似合っていて結構いい。奥さんも可愛い。マイクの仲間も気さくだ。対する、悪役のルイ・カル。嫌な顔の奴である。その最終局面、核実験間近の実験場にルイ・カルを追い詰めていく、と言う衝撃の結末が待っているそうだ。あの可愛い奥さんが、殺されたり犯されたりする展開だけはやめて欲しい。「世界まるみえテレビ」・・・北朝鮮のテレビ番組、例えアニメ番組であっても、主人公が勝つと、「金日成のおかげです」ときたもんだ。違う意味で凄い。

  ☆10月18日(金)

 「金日成のパレード 東欧の見た<赤い王朝>」を観た。かなり話題になっているようで、僕も前々から観ておこうと思っていたのだ。中野武蔵野ホール、ロードショー最終日・最終回に、菅君とともに滑り込む。狭い映画館、かなりの盛況だった。いやはや凄い・・・。金日成を神のように敬う北朝鮮人民の超人海戦術的、鋭角的芸術のあらわれ・・・。戦後、40年の間に、よくもまあ、これだけの、独裁を維持する為の民衆の意識改革を施したものだ・・・。とめどもない人文字のイメージの数々に、正直、圧倒された。国の何かが、根本的に歪んでいるにもかかわらず、金日成はふくよかだ。この国、鉄壁だぞ!

     

▼すいません・・・、この二日間しか、「北朝鮮」の名は日記に出てきません^^;

 でも、私は、この翌年、ニュージーランドに一年間のワーキングホリデーに行ったのですが、そこで知りあった多くの旅人の口から、【「北朝鮮で仕事があるからって誘われたんだ」】とか、【「北朝鮮で一年程、働いてみようかなと思っている」】とか、ざらに聞ける状況ではありました。

 それらの意味する「恐怖」は、その後、十年程経ってやっと私に理解できるのでした・・・。

                           (2005/06/07の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 「保守」と言うものは、殊更に吹聴してまわる類のものでないので、極々普通に暮らしていれば、「ノンポリ」として生活できたのです。

 しかし、同時に、戦後民主主義が、日本を骨抜きにする最終段階の時期でもありました。

 同時に、それが行き過ぎ、数々の粗を表出していた時代でもありました。

 世界では、既に、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の解体が起こっていました。

 しかし、北朝鮮はいまだに生きながらえていますね・・・。

                           (2009/05/01)

[私の1991年のメモ日記・4]

2009-04-24 23:50:41 | 1991年の日記
☆・・・仕事から帰宅した。

 酒を飲もうか、飲むまいか、今、悩んでいる。

 たまには、休肝日を作らないと身体に悪かろう・・・。

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・4 <湾岸戦争>] (2007/07/24 10:00)

▼依然として、多くの閲覧者を呼び込むこのシリーズ

 どうぞ、楽しんでお読みください!

     
       「お読みくだちゃい」


▼『湾岸戦争』篇です。

 ・・・と言っても、別にそれについて詳しく語っている訳ではない。

 でも、毎日の日記と言う生活感あふれる内容の中で、サラリと自然に戦争が語られている雰囲気に、興味を覚えて欲しい・・・。

 「つくる会」の副理事(現会長)・藤岡信勝先生(今は呼び捨て)は、この湾岸戦争を考えるにおいて、左翼思想からの完全なる決別を果たした・・・云々との文章をどこかで読んだ。

 それから、前回の「3」で、

  《・・・5:30からのCNNを見る。
   ゴルバチョフのいまいち冴えない姿が悲しい。
   あのノーネクタイのフォーマルな姿は、どっかのオヤジみたいだった・・・。》

 と記しているが、「ノーネクタイのフォーマルな姿」と言うのはおかしい表現だ^^;

 ここは「ノーネクタイのラフな姿」と書くべきだっただろう。

 こういった言葉の使い方のミスは、いまだに続いているなあ^^;

 ☆1月10日(木)

 以前、大沼から誕生日プレゼントに貰ったエヴァン・ウイリアムス8年ものを引っ掛けながら、書いている。水割りなので飲みやすい。バイトを休んで、今日はマンガばかり読み、そして寝て、テレビばかり見た。ニュースステーションを見る。ペルシャ湾岸危機は、かなり緊迫しているようだ。ジュネーブ外相会議の結果として、フセイン(イラク軍)は(クウェートから)撤退に向かうのだろうと思いきや、だ。目が離せんのう。

 ☆1月16日(水)

 イラク軍のクウェート撤退期限時間午後二時が過ぎた。我が大学に顔を出すと、『米帝によるイラク干渉許さぬ』などとプラカードや立て看板を掲げているが、フセインの独裁も許していないようだ。必死で科学史のテストを終える。50分のテスト時間の短く感じたことと言ったら・・・。金を借りに秋川に帰る。実家で「ニュース23」を見る。特に戦争は起きていない様だ。僕には、どちらが正しいのか、分からない。アメリカの言い分に納得し、フセインの言い分にも一理感じる。非公式に、アメリカが日本政府に聞いてきたそうだ。「日本の石油はどれ位持つ?」 ・・・不忠の部下を心配してくれる親分アメリカ。いいヤツだけど「メサイア(お節介な神様)」・・・。

 ☆1月17日(木)

 いやはや、父が、寝ている僕に「ついに戦争だぞ」と声を掛けてきた。米が空爆に出たのだ。TVの全チャンネルを変えつつ、見る。フジテレビの情報の早さが目立つなあ。CNN放送のバーナード・ショーのイラクからの電話報告はスゴイ! F15の爆音、対空砲火の音、そのリアルさ。何となく、長びきそうだなあ。夜遅くまで見てしまう。途中に飽きて、うたた寝したけど。7時に中野に戻る。西武線の車中で、サラリーマン風三人組が子どもの私立校受験について話していた。「親の職業がこうだと、先生に嫌われるからなあ」 何の仕事をしているのだろうと、僕は注意して聞いていたのだが分からない。自衛隊の隊員かなあ、塾の教師か? 分からない。明日の政治学のテスト勉強をする。湾岸戦争とオーバーラップするなあ。

 ☆1月18日(金)

 学校へ。テストに向け、テキスト「政治学への接近」を猛スピードで読む。なかなか面白い。もっとゆっくり読みたいものだ。本の中で語られていたホッブス、ロック、ルソーくらいは、新学期までに読んでみるかな。政治学のテスト、Bくらいの評価は得られるだろうが、自分の作文能力に不満。「ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」のサントラCDを、新宿のレコード屋で探したのだが、ない。どういうことだ! 米の空爆を受けたイラクは、イスラエルにミサイルを放ったそうだ。化学兵器ではなかったのだが、ガス兵器だと思ったイスラエル国民はガスマスクを着用。つけ方を間違えた幼児や老人が死んでしまったそうだ。

 ☆1月21日(月)

 金がない。持ち金約1800円。借金、母に一万五千円、丸山さんに一万円。電話は止められている。しかし、あれはNTTが悪い。こっちに請求書を送ってこないんだから・・・。お昼は、250円で、赤飯のおにぎり四個を買って食った。もち米なので腹はふくれる。夜は丸山くんに「ともえ」でお好み焼きをおごってもらった。やっぱうまいんだけど、少し飽きてきた。(注・バイト先には、二人の「丸山」がいた。年上が丸山さん、年下が丸山くん^^ しかし、おごってもらっておいて、「飽きた」とは、相変わらずの傲岸不遜^^;) 八百屋では、以前は、やさぐれた爺さんが来ると、どうも心の中ではぞんざいな扱いをしていたものだが、今は、優しく接する。何しろ戦争とか、僕の経験しようのない体験をしてきてるんだからなあ。「うどんみっちゅ(ウドン三個くれ)」と言ってきても、「はい、分かりました」と、いい売り子を演じている。イラクの米兵捕虜の顔の生々しい傷。

 ☆1月27日(日)

 11時に目覚める。東京新聞日曜版の湾岸地域大地図はグッドな企画だった。壁に貼ってニュースと交互に見るのがよろしい。父・母・姉と八王子のFAMに買い物に行く。外には真理が落ちている。ある寺の前に「愚者は教えたがり、賢者は知りたがる」と記されていた。自分と照らし合わせ、考えさせられる。午後、「ポピュラス(スーパーファミコン)」をやる。面白いのだが、敵に洪水を起こされ、ヤケになり、リセットボタンを押した。夜、テレビ「知ってるつもり」はベートーベンがテーマだった。努力する天才の姿を、襟を正して見ました。

                              (2005/04/19の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 よしっ! 明日を休肝日にしよう^^

 かくして、缶ビールのリングを引っ張ってしまうのだった・・・^^;

                              (2009/04/24)

[私の1991年のメモ日記・3]

2009-04-15 10:47:54 | 1991年の日記
☆うん、アクセス好調です^^v

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・3 <ソ連のクーデター>] (2007/07/22 16:22)

▼いやはや、意外に好評のようで、今日も続ける。

 こう暑くては、頭も回らないのだわ^^;

 今日、12歳の姪と、『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』を観に行ったのだが、正直、一本筋の通っていない、パッとしない作品だった。

 でも、ルーナ役の娘(イバナ・リンチ)だけは、非常に私好みの少女で満足した^^

  

 この子、スチール写真よりも、画面上の方が、病的で可愛い^^

     #     #     #     #     #

▼私は、この頃、翌年に予定していたニュージーランドへのワーキングホリデーの資金を貯めるべく、早朝は築地市場の野菜問屋「金八」で働き、夜は居酒屋「つぼ八」で働いていた。

 ワーキングホリデーの資金はどうにかなりそうだったが、大学の休学にかかる費用がやるせなかった。

 ☆1991年8月19日(月)

 金八のバイトをしている最中、暴風雨が起きた。大粒の雨がバチバチ降ってくる。仕事を終え、市場から新橋までタケさんに車で送ってもらう。その車中、カーラジオから株価暴落の報、続いて、ゴルバチョフ失脚の報。激しい雨の中、時代は目まぐるしく流れる。ソ連には、共産党保守派のクーデターが起きたらしい。少し汗をかきつつ、寝た後、つぼ八へ。今日はお客さんが少なく仕事しやすかった。福田君にビールを注いでもらい、仕事の後の一杯。うまい。家に帰って、ニュースステーションを見る。ソ連は、このまま、時代の流れを停滞させるのか?

 ☆1991年8月20日(火)

 今日は仕事をしている最中から、大雨に降られた。体が、配達の時にビショ濡れになった。風邪をひいたかな。家に帰ると、ゴルバチョフ失脚・ソ連共産党保守派のクーデターの新しい情報のニュースをじっくりと見る。どうやら、もろいクーデターのようだ。エリツィンが、ロシア共和国大統領として、やたら格好良く見えてきやがる。民衆も「エリツィン」コールだ。テレビもニュース番組ばかり見てしまう。でも、あまり進展がなく、同じ情報ばかりだ。雨は激しい。時おり、バケツを引っくり返したかのようなドボドボ音がする。

 ☆1991年8月21日(水)

 ソ連情報を知りたくて、休みの日なのに、早朝5時に起き、CNNを見る。特に進展はないが、エリツィンの下には民衆が集っている。菅君と「荻窪・湯~トピア」に行き、終日くつろぐ。サウナでは、高校野球やソ連状況を語り、ミストサウナにも入り、暑くなった体を冷水風呂で癒し、薬湯・檜風呂を楽しんだ。汗を流した後の食堂のビールもうまい。シアターでは「ダイハード2」を楽しむ。そこを出た後、荻窪の春木屋でラーメンを食おうとしたが定休日だったので、丸福で食う。ここも有名店らしく、お客がかなり並んでいた。菅君は「うまい!」と満足。PM7:43、NHKを見ていると、クーデターを起こした国家非常事態委員会のメンバー8人が国外逃亡を謀ったそうだ。更に今夜も、ニュースウォッチャーになってしまう。

 ☆1991年8月22日(木)

 完全にクーデターは失敗。エリツィンの株が上がっただけだった。なんとも、うまい話だなぁ、と疑問も湧く。昨日の休み疲れで、金八の仕事に身が入らない。早くに家に帰って寝る。続いて、つぼ八のバイトへ。暇な日で楽に仕事ができました。その後に、酒飲みの川口・吉田・中村さんに捕まり、ビールを飲む。色々おもしろい話をし続け、時は過ぎる。AM2:30。僕は明日、と言うか、今日早朝の金八の仕事を考えつつ・・・。⇒

 ☆1991年8月23日(金)

 ⇒仕事を終えたつぼ八野郎たちも含め、白木屋で飲む。楽しいが、不覚にも横になってしまう。気分は、もう、金八は休みますです、ハイ。川口君の話が頭に残っていた。「学校をサボった時、おじいさんが倒れたので、と嘘をついたら、本当に死んじまった」のだそうだ・・・。しかし、僕は、AM5:30に金八にテルし、こう嘘をついてしまった。「おばあさんが倒れてしまって!」。いやはや、他の嘘が思いつかなかった。おばあちゃん、ごめんなさい。5:30からのCNNを見る。ゴルバチョフのいまいち冴えない姿が悲しい。あのノーネクタイのフォーマルな姿は、どっかのオヤジみたいだった・・・。

▼以下の本は、ブックオフなんかで100円で叩き売られてますな^^

 でも、この本に載っているエリツィンの赤ちゃん時代の写真は丸くて可愛い。

          

                              (2005/04/04の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 昨日の東京の雨も激しかったですな・・・。

                              (2009/04/15)

[私の1991年のメモ日記・2]

2009-04-14 06:47:54 | 1991年の日記
☆仕事の前に更新しておきましょうかね^^

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・2(好評なので^^;)] (2007/07/21 20:49)

▼好評のようなので、また転載する^^

 今日は、姪っ子のバレエの発表会に行ったのだが、

 姪っ子のダンスが非常にうまくなり、マジで感動してしまった^^

 また、発表会には、3歳くらいの女の子も出ていたのだが、寸足らずの手足を棒のように動かす様がメチャ可愛かった^^

     #     #     #     #     #

 ☆1991年11月27日(水)

 昨夜は徹夜でゼミ発表の草稿の清書。とりあえず書き終わると、AM5時、さすがにまたもバイトを休んでしまう。丸井に11・12・1月分のローンを払い、家賃を下ろすと、第一勧銀の自分の定期預金からの借金もあり、今月稼いだ14万円、プラマイ0と消える。昨日と今日、仕事休んでしまったのは、後々、大きな悪影響を生むだろう・・・。さあ、ゼミ発表だっ! 僕が2時に学校に着くと、広瀬君は来ていたが、星名さんがまだだった。どうした星名!? で、星名さんが遅れてきたと思ったら、今度は広瀬君の作業が進まない。どうした広瀬!? ともあれ、原稿をプリントし、三人でホッと一安心し、コーヒーを飲む。さて、発表! そして先生との問答、緊張しながらも言いたいことは言えた。終わった後に、半澤さんが、僕の発表に対し、「力作じゃん」と肩を叩いてくれて、それがメチャ嬉しかった。

 ☆1991年6月25日(火)

 「日分特研(近代)」のレポートを、今日の三次限目までに書かなくてはならないなあ。昨日は、「女の一生」を読んだわけだが、一つの作品をじっくりと読み込むのはいいことだと思う。読み飛ばしていったら、頭に残らないものなあ。でも、あと5時間でレポートを一本あげなくちゃならないのは辛いもので。・・・だが、思ったよりスムーズに書けた。もちろん、内容が問題となるのだが。バイトを終え、サンプラ(中野サンプラザ)の横を通っていると、北島三郎が裏口から出てきた。日に焼けていて、服装がヤクザのようだった。空には、少し欠けた月が雲の隙間から見え、美しかった。ビールを飲み、すみやかに寝る。

 ☆1991年6月26日(水)

 暑い。メチャ暑い。扇風機からの生温い風が熱い。アパートの下では、大家の子のチーちゃんがさっきから泣いていて、更に暑い。おっと、咳き込みつつ、泣きやんだぞ。面倒臭いので、学校には行かなかった。5時半から再放送の「ドラゴンボール」を見て、7時から「ドラゴンボールZ」を見た。面白いけど、「Z」の方は、絵がかなり雑だ。特に背景が。アニメーターの賃金の低さから、人が集まらないと言うニュースを見たけど、その影響なのかなあ。昨日から暑くて、読んでて充分に楽しめないのだが、雑誌を買いすぎた。「キネ旬」「SPA」「シティロード」「ミスターマガジン」「少年マガジン」・・・。

 ☆1991年6月27日(木)

 暑い日だった。後日分かった事だが、観測至上6月では最高だそうだ。38℃、温室効果! ジムでも、今までになく汗をかいた。授業中の大ホールの中は、一種異様な熱気で、汗がしたたった。机と、置いている腕の間に水滴が溜まった。山本梨香子というAVギャルのビデオを借りてくる。すっごく美人なのだが、すっごくいやらしいので、思わず超興奮する。なんで、こんなに美人なのに、こんなことをしているのだろうと、しみじみと考えてしまう夏のはじまりだった。今日のとんねるずはメチャ笑った。二人とも頑張ってるなあ、暑いのに。「巨人の星」のパロディー、「博士と助手」のコント。

 ☆1991年6月28日(金)

 今日も負けずに暑かった。夏のアルバイトはどうしようかと思っている。学校もないことだし、電話加入権のローンや沖縄旅行のために、金を稼がにゃあならん。まあ、いろいろ考えよう。昨日、菅君が、新橋駅のパナソニックの電光掲示温度計を見たら、35℃だったそうだ。今日は31℃、まあボチボチか。ジムでも汗をかき、帰宅。

   ◇

▼金がないない、と言いつつ、妙に楽しげに暮らしてやがる。

 まあ、保険とも年金とも税金とも無縁だからなあ、学生は・・・。

                             (2007/07/21)

   ◇   ◇   ◇

 こちらが山本梨香子ですな。

 今で言う、柴崎コウのようなキツネ顔の美人でした。

 でも、エロかった^^;

          

 ネットで検索すると、多くの人の思い出のAVギャルのようですね^^

                             (2009/04/14)

[私の1991年のメモ日記・1]

2009-04-09 23:57:53 | 1991年の日記
☆私が昔書いていた日記を転載したものです。

 短い日記なのに、こうして並べて読むと妙に読み応えがある。

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・1] (2007/07/20 20:53)

▼今日は忙しいので、十七年前の私の日記です^^

 てゆ~か、私、この頃と精神年齢が変わらない・・・^^;

     #     #     #     #     #

▼いやはや、これが面白いのだわ^^

 これから、たまに転載しますね^^

 中野に一人住まいし、八百屋で働き、大学に通う生活^^

 ☆1991年11月17日(日)

 昨夜はあまり飲んだ覚えがないにもかかわらず、体の調子が悪い。昼に起き、体操の中日カップをテレビで観る。来日してきた東独の女子選手たちは美しいので大好きだ。ハンガリーのヘンリエッタ・オノディーの、ショートカットと瞳の輝きが良い。ルーマニアのポンタシェは美人だが、性別の判別不能って程に硬質のイメージだ。ルーマニアは薬でも使って選手を育てているのかもしれん。マイルチャンピオンシップ・・・菅君おすすめのダイイチルビー、僕もそれを軸に5点買いした。ルビーは危なくも2位に入り、1000円儲けた。黒字は久し振り。かくして僕は、4時間ほど起きて、また、眠るのだった。

 ☆1991年11月18日(月)

 雑誌を買ったら、こんな記事があった。古館伊知郎のラジオ番組の再録だが、面白い話を続ける中、その合い間のCMや曲を流している間の彼の言葉も拾っている。彼の姉の死が語られる。活字ながらも、古館の語り口にジーンときてしまった。広瀬君と星名さんとゼミ発表の打ち合わせ。なにも決まらなかったが、帰りは星名さんとおしゃべりして帰る。なかなか楽しい。彼女はなんか勇ましい。新宿オデヲンで『チャイルドプレイ3』。何でこんな下らない映画を観てしまうのだろう、と思いつつも、結構面白い。途中、女子トイレから、「キャーッ! 痴漢!」の声。その後、ガードマンが可愛い女の子を連れて、上映中の館内へ。覗き(?)の犯人を見つけようとしているのだ。ホラー映画の内容より、疑われているみたいで、そっちの方に恐怖した。

 ☆1991年11月19日(火)

 ここ一週間ほど、朝起きるのが異様に辛い。大沼のように病気(A型肝炎)になってしまうような気がする。100%アップル、トマトジュースを飲んでヘルシーに生きよう。レンタル屋で、古くさい『宇宙への冒険』という白黒の米映画を借りてきて観る。『禁断の惑星』のロボット・ロビーが出てくる。大きなコンピューターに操られて米の将校が反乱を起こすのだが、その将校が8人いて、一人が死んでしまうのだ。ソビエトのクーデターを思い出してしまった。ロビーが妙にリアルで不気味、あんなのが道を歩いていたら、僕は恐くて逃げる。・・・この作品の観客の対象が、大人なのか子供なのか分からない変な作品であった。U2のニューアルバム『アクトン・ベイビー』、聞き込んでいる。押し寿司とタコ足ぶつ切りを食う。海産物はうまい。

 ☆1991年11月25日(月)

 バイト仕事を終え、学校へ。沖縄文学研究所へ。しばらく勉強していると、星名さんが来た。彼女とゼミ発表についてのおしゃべり。僕の発表は、「沖縄のオモロの時代から、その政治、世界観(神概念)、農耕、祭りを考えていく中で、古来の日本神道の影響を見てゆき、大嘗祭の秘儀へと話を運んでいく」という壮大な展開だ。書けば書くほど、書き足りなくて、どんどん字数が増えていく。あまりの多さに星名さんも広瀬君も辟易している。しかし、頭の中で結論の構想が出来てきた。

 ☆1991年11月26日(火)

 ・・・仕事を休んでしまった。どうにか、少ない字数(枚数)の中に、多くの内容を込めなくてはならない。星名さんや広瀬君がうるさいのだ。しかし、バイトばっかで、こんなにもの他の学生との触れ合いは久しくなかった。学食で広瀬君と食事。大味で不味いハンバーグ定食ながらも友人と食すものはうまい。ここ数日間、頭をフル回転させているような気がする。図書館で前に座っていた人妻(学生なのだが結婚指輪)・・・、僕の前で、わざとに不自然にプリントを上下させる。プリントの裏面には、名前とテル番号が書いてある。僕に誘いをかけているのか?

▼人妻・・・、この頃の私は、誘惑に身を委ねる術さえ知らなかった^^;

 今、思えば、私は多くの据え膳に手をつけずにやり過ごしてしまっていた^^;

 また、古館伊知朗に感動させられていた時期もあったのだな^^;

 この二年程前かなあ、DT喪失したのは・・・^^;

                       (多分、PART50くらいまで続く)

   ◇

 てな訳で、この「1991年の日記」シリーズ、続きます^^v

                       (2009/04/09)