『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

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[(短信)カンボジアとタイのクメール遺跡取り合い]

2011-02-24 23:58:47 | 海の向こうでの冒険
☆カンボジアとタイで、クメール遺跡を間に挟んだ国境紛争が、今月初めから激しくなっている。

 カンボジア北部の国境に位置するヒンズー教寺院遺跡<プリア・ヴィヘア>が舞台だ。

   《タイ・カンボジア停戦破棄、再び交戦 世界遺産の遺跡損傷 (産経 2011/02/07 02:10)》

 <【シンガポール=青木伸行】タイ、カンボジア両国の国境紛争が再燃している。国境に位置するヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」の周辺で、4日から6日にかけ、両国軍による散発的な戦闘が続いている。
 ロイター通信によると、4、5の両日で、カンボジア兵やタイの民間人ら少なくとも5人が死亡。タイ、カンボジア双方とも、戦闘を仕掛けたのは相手側であると非難した。遺跡の一部も損傷を受けた。
 現地からの情報によると、6日はプレアビヒア周辺で両軍幹部が会談し、停戦と、戦闘の発生で避難した住民の帰還で合意した。だが、6日夕になり再び両軍が衝突した。タイ軍のスポークスマンは、死傷者の有無は不明だとしている。
 ダンレック山脈の断崖絶壁に建つ同寺院遺跡をめぐる国境紛争は、フランスのインドシナ植民地政策の「残滓(ざんし)」だともいえる。
 もともとは現在のカンボジアの多数派民族、クメール人が建て、タイのアユタヤ王朝がカンボジアのアンコール王朝を倒した15世紀以降、タイの領土となる。だが、カンボジアが19世紀以降、フランスの保護国となると、タイはカンボジアの領土をフランスに割譲。この際の国境画定の“曖昧さ”に紛争の起源がある。
 1962年に国際司法裁判所は、同寺院をカンボジアの主領土とし、2008年には世界遺産に登録された。しかし、タイ国内の保守派には、政府の「弱腰な対応」への不満が強く、今回もアピシット政権に批判の矛先が向けられている。>

   ◇

 最近の情報には疎いのだが、もしかして、近年は、この<プリア・ヴィヘア(タイ名:カオ・プラ・ヴィハーン) >、カンボジア側からも行けたのかも知れないが、私がアンコール遺跡に夢中になっていた20年前から10年前くらいは、この遺跡は、カンボジア領内でありながら、カンボジア内部からは行けなかった。

 それは、ジャングルに潜伏していたポル・ポト派が、このカンボジア北部に潜んでいたこともある。

 カンボジアからだと断崖絶壁の上にあったからでもあろう。

 地雷もたんまりと埋められている。

   ◇

 私は、タイやラオスのクメール遺跡も訪ね、タイ東北部に行ったときは、この<プリア・ヴィヘア>にも行くつもりだった。

 しかし、タクシーの運ちゃんが「危険だ!」と連れて行ってくれなかった。

 となると、私も興奮してきて、「金を倍払うから連れてけ!」と言ったのだが、運ちゃんは首肯しなかった。

 日本のマスコミでは、戦火を交えるまでしなくては報道されないが、この地区の両国の緊張はずっと続いていたのだろう。

 ・・・で、私なりに考えてきたのだが、おそらく、このような地形(カンボジア側からは高低差があり過ぎ)にあり、

 地形国境を主張したいタイと、カンボジアは、地政学的帰結として争わざるを得なかったのだろう(間違っていたらゴメン)。



                                                   (2011/02/24)

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