先週末、岡山で母の一周忌の法要をしました。あれからもう一年かを思い、いろんなことが頭を駆け巡りました。多少のハプニングがあったのですが、なんとか無事に終わりました。暑かったです。また暑くなってきたんですかねえ。今週も職場では恒例のイヴェントがあって、二日間外での仕事になります。暑くなりそうで、少々気が重いですね。日焼けしそうですね。それが終われば、三連休が二度あります。それを目指して頑張りたいと思います。
さて、最近仕事の疲れもあってか、夕食後ヘッドホンで音楽を聴きながら、居眠りをしてしまうことがありまして、まあそれがけっこう心地よいのです。先日もそんな風になってしまったのですが、目が醒めたときに聞こえていた音楽がなんとも心に染みまして…。まあ半分は寝惚けていたのでしょうが、天上の妙なる音楽のような音色で、しばし恍惚としておりました。
そのときに聴いていたのは、先般DGから発売されたカルロ・マリア・ジュリーニのシカゴ響とのBOX。先日三宮の中古やさんで見つけて買いました。5枚組の一枚目のCDでシューベルトの『悲劇的』を聴いてました。しかし、始まってすぐに寝てしまったようで、それから目が醒めたときは、『悲劇的』のあとに収められていたドボルザークの『新世界から』の第2楽章になっていました。この非常に有名すぎる曲が、ゆめうつつの中で聞こえてきたのでありました。
このドボルザークの交響曲第9番『新世界から』の第2楽章、『家路』という歌として有名な旋律があります。1922年にはドヴォルザークの弟子フィッシャーによって「Goin' Home」として出版され、それを堀内敬三が『遠き山に日は落ちて』としての日本語訳が有名ですね。『家路』というのは、野上彰による歌詞です。私としても中学生のときに吉備津神社の近くのキヤンプ場での林間学校で、この『遠き山に日は落ちて』を聴き、歌ったのが強く印象に残っています。
このジュリーニの演奏は、1977年4月、シカゴのオーケストラホールでの録音。ジュリーニは、ドボルザークをけっこう録音していまして、この『新世界から』についても、1960年代のPO、1992年のACOとの録音があり、計3種類の演奏を聴くことができます。他の演奏は聴いたことがないのですが、このシカゴ響との録音は、ゆったりとしたテンポで、ドボルザークの旋律を実に味わい深くたっぷりと演奏しています。よく指摘される民族的な色彩はまったくといっていいほど感じることはありません。そして、それぞれの楽器がたいへんうまく演奏しているので、どの局面でも、じっくりと聴くことができます。刺激的なところもなく、スマートな『新世界から』であります。第1楽章、序奏からシカゴ響の弦のしっとりと演奏に木管が加わり、うっとりとさせられる。私はこの第1楽章、ほんとに好きだったんですがなかなか飽きてしまって、でもこのジュリーニの演奏で聴くと、実に新鮮に聞こえるのです。第2楽章。この演奏の白眉であると思っています。先に述べたように、旋律の美しさは他の例えようがありません。まずイングリッシュ・ホルンによる主題は、郷愁に満ちた美しいことこの上ありません。イングリッシュ・ホルンも素晴らしいのですが、この美しさを支えているのが、光背のように奏でられている弦ではないかと思います。シカゴ響の弦がこんな柔らかな演奏をするとは、であります。そして、続いて弦による主題の演奏が続きますが、これがまさに天上の音楽だったのですねえ。いやー、参ってしまいました。続いて、木管による主題が流れ、その背後でのコントラバスのピチカートがこれまた美しい。このような蔭で支える力の存在がこの演奏を極上のものにしているのでしょうね。第3楽章スケルツォ・第4楽章ともに一瞬のスキも無いような演奏。軽快でメロディが実に心地よく入ってくる。各楽器の音色も素直でかつ味わい深いものであります。
最近、ジュリーニのBOXが、DGやEMIなどから発売されていますね。これはけっこうお買い得であり、またジュリーニがどんな指揮者であったかを知るにはいいCDであります。
(DG 00289 477 9628 Giulini in America Chicago SO 輸入盤)
さて、最近仕事の疲れもあってか、夕食後ヘッドホンで音楽を聴きながら、居眠りをしてしまうことがありまして、まあそれがけっこう心地よいのです。先日もそんな風になってしまったのですが、目が醒めたときに聞こえていた音楽がなんとも心に染みまして…。まあ半分は寝惚けていたのでしょうが、天上の妙なる音楽のような音色で、しばし恍惚としておりました。
そのときに聴いていたのは、先般DGから発売されたカルロ・マリア・ジュリーニのシカゴ響とのBOX。先日三宮の中古やさんで見つけて買いました。5枚組の一枚目のCDでシューベルトの『悲劇的』を聴いてました。しかし、始まってすぐに寝てしまったようで、それから目が醒めたときは、『悲劇的』のあとに収められていたドボルザークの『新世界から』の第2楽章になっていました。この非常に有名すぎる曲が、ゆめうつつの中で聞こえてきたのでありました。
このドボルザークの交響曲第9番『新世界から』の第2楽章、『家路』という歌として有名な旋律があります。1922年にはドヴォルザークの弟子フィッシャーによって「Goin' Home」として出版され、それを堀内敬三が『遠き山に日は落ちて』としての日本語訳が有名ですね。『家路』というのは、野上彰による歌詞です。私としても中学生のときに吉備津神社の近くのキヤンプ場での林間学校で、この『遠き山に日は落ちて』を聴き、歌ったのが強く印象に残っています。
このジュリーニの演奏は、1977年4月、シカゴのオーケストラホールでの録音。ジュリーニは、ドボルザークをけっこう録音していまして、この『新世界から』についても、1960年代のPO、1992年のACOとの録音があり、計3種類の演奏を聴くことができます。他の演奏は聴いたことがないのですが、このシカゴ響との録音は、ゆったりとしたテンポで、ドボルザークの旋律を実に味わい深くたっぷりと演奏しています。よく指摘される民族的な色彩はまったくといっていいほど感じることはありません。そして、それぞれの楽器がたいへんうまく演奏しているので、どの局面でも、じっくりと聴くことができます。刺激的なところもなく、スマートな『新世界から』であります。第1楽章、序奏からシカゴ響の弦のしっとりと演奏に木管が加わり、うっとりとさせられる。私はこの第1楽章、ほんとに好きだったんですがなかなか飽きてしまって、でもこのジュリーニの演奏で聴くと、実に新鮮に聞こえるのです。第2楽章。この演奏の白眉であると思っています。先に述べたように、旋律の美しさは他の例えようがありません。まずイングリッシュ・ホルンによる主題は、郷愁に満ちた美しいことこの上ありません。イングリッシュ・ホルンも素晴らしいのですが、この美しさを支えているのが、光背のように奏でられている弦ではないかと思います。シカゴ響の弦がこんな柔らかな演奏をするとは、であります。そして、続いて弦による主題の演奏が続きますが、これがまさに天上の音楽だったのですねえ。いやー、参ってしまいました。続いて、木管による主題が流れ、その背後でのコントラバスのピチカートがこれまた美しい。このような蔭で支える力の存在がこの演奏を極上のものにしているのでしょうね。第3楽章スケルツォ・第4楽章ともに一瞬のスキも無いような演奏。軽快でメロディが実に心地よく入ってくる。各楽器の音色も素直でかつ味わい深いものであります。
最近、ジュリーニのBOXが、DGやEMIなどから発売されていますね。これはけっこうお買い得であり、またジュリーニがどんな指揮者であったかを知るにはいいCDであります。
(DG 00289 477 9628 Giulini in America Chicago SO 輸入盤)
この人の演奏で一番好きなのは、フィルハーモニアOとのヴェルディのレクイエムです。これは本当に歌と気迫に満ちた演奏で、素晴らしいです。
シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ギャウロフの重唱も素晴らしく言うことはありません。
この演奏はすばらしいです。私もボックスを見て、衝動買いしました。当時は高校生で(高価なので)高値の花でした。FMで録音し、繰り返し聞きました。今聞いてもまったく色あせていないです。「本当にシカゴ響?」マッチョなショルティーとえらく違いますね。